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菅仮免の緊急事態宣言発令遅れに見る全編無責任とウソと詭弁で塗り固めた国会事故調参考人証言

2012-05-30 11:21:58 | Weblog

 5月28日午後、菅仮免の国会事故調参考人証言を開始から45分程度のところまで文字化したため、その掲載と最後に緊急事態宣言の遅れについて感想を加え、残りの発言が気になる箇所はおいおい取り上げていきたいと思う。

 年齢に合わせてボッチラ、ボッチラ。心の中では両手に一本ずつ、二本の杖を突いていて、最早手放すことができない状態となっている。菅仮免の空元気が羨ましい。

 菅は例の如く、「あー」だ、「うー」だ、「えー」だと合いの手を頻繁に入れた会話体となっているが、省略することにした。

  国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会

 黒川委員長「それでは国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会、通称、国会事故調でありますが、第16回の委員会を開催いたします。

 それでは今日のご案内にありますように参考人に対する質疑を開始いたします。本日は衆議院議員、また前内閣総理大臣であられました菅直人さんにいらしていただきました。

 (菅、軽く二度頭を下げる)

 お忙しいところありがとうございます。ご承知のように菅さんは2010年6月から総理大臣を務められ、福島原発事故当時も内閣総理大臣として事故対応に当っておられました。本日は事故当時のことを中心に質疑をさせて頂きます。

 それでは菅総理の方から、ご挨拶をしていただければと思います」

 菅仮免(マイクを手に持ち、立ち上がって)「先ず昨年の東日本大震災、そしてそれに伴う福島原発事故に於いて亡くなられたみなさん、被災されたみなさん、そして全国のみなさんに対して心からお悔やみと御見舞を申し上げたいと思います。

 特に原発事故は国策として続けられてきた原発よって引き起こされたものであり、そういった意味では最大の責任は国にある、そのように考えております。

 この事故が発生したときの国の責任者でありました私として、この事故を停められなかったこと、そのことについては改めてお詫びを申し上げたいと思います。

 今日はこうした事故が二度と起きないように、起こさないためにどうするか、そういうことに役立つならと思って、私が知り得る限りのこと、あるいは当時を含めて私が考えたことについてみなさんから忌憚のないご質問をいただければ、できる限り率直にお話ししたい、そういう意味で出席をいたしましたので、どうか国会事故調のみなさんに於かれましても、よろしくお願い申し上げます」

 丁寧に一礼して座る。

 黒川委員長「ありがとうございます。それでは私からと思いますが、現在のようなテレビ、インターネットで世界中に情報が広がっている中で、今回のような東日本大震災、地震と津波、さらに福島原子力というのは世界中に日本の発言、対応、すべてが見られ、毎日のように日本の記者会見もですね、日本語で喋っているとはいえ、同時に訳されて世界の共有するところとなりました。

 今日の参考人である菅さんには私共は福島の事故に限って調べておりますが、大変な時だったと思います。内閣総理大臣という職にあり、行政府のトップという責任あるものとして事故の対応に当っておられました。今日は貴重なお時間をいただけるということについて御礼を申し上げます。
 
 さて、ご承知だと思いますが、この委員会は英語の同時通訳もありまして、ネットでも見れるようになっておりますし、のちのちホームページからも見られるようになっておりまして、また菅総理も、その後色んな機会にインタビューを受けられ、あるいは海外のインタビューにも受けておられることは十分承知をしております。

 その意味で今日は大変時間が限られておりますので、質問についてはできるだけ簡潔に。正面から誠実にお答えいただくことを希望しております。

 ということで、まずは桜井委員の方から幾つかの質問をさせて頂きます。よろしくお願いいたします」

 桜井委員「委員の桜井でございます。よろしくおねがいします。先ず事故前のことについて若干お伺いしますが、菅総理と呼ばせていただきますので、当時の総理のことをお伺いしますので、そのような言葉を使わせて頂きますが、(菅の方から訂正したのだろう)じゃあ、菅さんにさせて頂きますが、菅さんには原子力発電所の事故というものについて、総理になる前、どのような見解、認識をお持ちでしたでしょうか」

 菅仮免「私もスリーマイル島の事件、そしてその後のチェルノブイリの事件、事故、それぞれ関心を強く持っておりました。チェルノブイリの事件については、事故については、その当時ですけども、その原因というものを私なりに調べたことがあります。

 また、原子炉ではありませんが、JOCの事故のとき、まだ私は野党の議員でありましたけども、なぜ臨界事故と言ったものが起きたのか当初理解ができなかったものですから、色々と関係する人に当たりまして、その原因を私なりに調査し、私なりに理解をした、そういうことがあります」

 桜井委員「菅さんは原子力災害の可能性、その発生について、総理になる前で結構ですが、どのように認識をお持ちでしたでしょうか」

 菅仮免「私も議員になる前も色々な形の市民運動をやっておりまして、当時の広い意味の仲間の中にはかなり原発に対して疑念を持っておられた方も数多くおられました。

 当時、私が議員になるかならないかの頃にも、地元のある方が浜岡原発について活断層の存在があるからということで、是非それを停めるべきではないかということを言ってこられた方もありました。

 また私もできるだけ、この原発、原子力エネルギーというのは当初私が属した社民連などは過渡的なエネルギーという位置づけをしていまして、ある段階にまで来たなら、それからの脱却ということも、当時私が属していた政党などでは主張していた時期もあります。

 そいう中で私自身、その後民主党という政党に結成から参加し、政策を固める中で、安全性をしっかりと確認すると、そういう前提の中で原子力を活用すると、そういうことはあってもいいのではないかと、そういうふうに私自身の考え方を、一番古くから比べれば、やや柔軟といいいましょうか、やや許容の方に変わったところであります。

 そしてこれは仕事の話になると思いますが、やはり3・11を経験いたしまして、そうした私自身が考え方を緩めたというか、あるいは緩和したということが結果として正しいことではなかったと、このように現在は思っています」

 桜井委員「それでは次に総理になられてからのことをお聞きします。

 総理の権限と責務はたくさんあると思いますが、その中の一つとして緊急事態宣言が発せられて原子力災害対策本部が設置された場合は、そのトップとして、災害の対応に当たらなければならないことは改めて私が申し上げるまでもないことでありますが、総理は就任されてからこのような場合、どのような責務と権限があるかということを事前に何らか等の説明を受けておられたでしょうか」

 菅仮免「内閣総理大臣としてどういう権限・権能があるかということは一般的には従来から色々議論もしてきましたし、私の中でも一定の考え方を持っております。言うまでもないことですが、憲法にも内閣法にも規定されております。

 原子力事故に当ってどのような権限が総理大臣として、あるいは本部長としてあるかということについて、詳しい説明を総理になった以降、事故までの間に聞いたということは、そういうことは私は覚えている限りありません」

 桜井委員「総理になられてから平成22年に総合防災訓練というものが行われていると思いますが、それに総理は何らかの関わりを持っておられたのでしょうか」

 菅仮免「国会でもそのことを聞かれたことがありまして、そういう機会があったということは覚えておりますけども、深くその時に特に原子力の本部長としての権限などを、その時に深く認識をしたかと言えば、必ずしもそういう形には私自身、残念ながら、なっておりませんでした」

 桜井委員「のちに振り返ってみてですね、事前によく説明を受けて知っておいた方がよかったとお考えにはなりませんでしたか」

 菅仮免「(一つ笑みをこぼして)勿論、この事故に遭遇して、もっと早くからしっかりとした説明を受けておればよかったと、このように思いました」

 桜井委員「それでは15条通報がなされた後のことについてお伺いしますが、海江田経産大臣の方から緊急事態宣言いついて総理としての決済を求められたことがございますね。

 その際に結果的には19時を過ぎてから、緊急事態宣言がなされているということで、時間がかかっており、その間に野党との党首会談が入って、おりますが、詳しいことは結構なんですが、党首会談前に速やかに緊急事態宣言を発するということはできなかったのでしょうか」

 菅仮免「東電から経産大臣の方に15条通報の報告があったのは15時42分と承知をしております。経産大臣の方から、失礼いたしました、今のは10条でしたね。

 15条の方は16時15分と認識しております。経産大臣から私の方にその件について説明及び上申があったのは17時42分であります。確かに野党のみなさんとの党首会談が既にセットされておりましたので、その説明(緊急事態宣言について説明)の途中、確か5分程度でありますけれども、党首会談に、まあ、顔を出して、中座をして戻ってきて、そしてその後の説明を受けて、宣言をしたということで至っております。

 結果として19時3分に緊急事態宣言をいたしました。それ以前に既に地震・津波については緊急災害対策本部が立ち上がり、また原発についても既に官邸に対策室が立ち上がって、実質的な動きは始めておりました。

 そういった点で、もっと早ければよかったというご指摘はご指摘として是非皆さんの方でご検証していただきたいと思いますが、それによって何か支障があったかと問われれば、私が認識している限り、支障がなかったと認識しております」

 桜井委員「私が伺っているのは現実の支障があったかなかったということではなくてですね、ある意味、当時官邸におられた方で、原子力災害ということに一番詳しかったのは菅さん自身ではなかったかというような評価もされていますが、そいう中で15条通報がなされて、緊急事態宣言が経産大臣の方から求められるという意味というのは、一番分かっておられたのではないかと思います。

 そのことをなぜ時間をかけてしまったのかというところをお伺いしたいと思います」

 菅仮免「率直に申し上げまして、何か私が理由があって引き伸ばしたとか、何か押し留めたという気持ちは全くありません。その意味で、17時52分に報告が上がってきて、そして上申が上がってきた中で、私としては確かに野党の党首のみなさんでありますので、やはりその方々に対してもお約束をした以上はですね、あまりお待たせをする訳にはいかないとうことで、中座をして5分間行って帰ってくると。

 確かに1時間21分かかっておりますけども、もっと早ければよかったと言えばそのとおりだと思いますが、何か意図的に引き伸ばした、何か理由があって伸ばしたということでは全くありません」

 桜井委員「次に避難区域の設定、避難指示ということについてお伺いします。3キロという、避難を当初政府は決められておりますが、これはどういう根拠、どういう経緯で決定されたのでしょうか」

 菅仮免「避難につきましては、本来なら、後程議論になるかもしれませんが、オフサイトセンターなどからですね、現地の状況を踏まえて何らかの指針が出されて、それが本部長に対して承認を求めると、そういう形になるのが本来のルールであると思いますが、残念ながら、オフサイトセンターはその時点を含めて機能をいたしておりませんでした。

 そこで原子力・保安院、そして原子力安全委員会委員長、あるいは東電の関係者に集まって貰って、状況把握をしておりました。特にこの避難については必ず原子力安全委員会、当時は班目安全委員会委員長が一緒にしていただいている時間が長かったと思いますが、そのご意見を聞きながら、最終的にその意見に添って決めたところであります。

 21時23分にF1(福島第1原発)から半径3キロ圏内から避難を決定したのは、つまりは15条という状態に至っていると、今後そのことがどういう厳しい状況に至るのか、まだ分かりませんでしたが、予防的な措置として先ず3キロ圏内を決めたと、このように認識をいたしております」

 桜井委員「続いて避難区域のことを纏めてお伺いしますが、次に10キロの避難区域というか、避難指示の決定を、時間的に5時44分ということですが、それはどのような情勢判断、どなたの判断によって決められたのでしょうか」

 菅仮免「3月12日の午前、5時44分、F1から半径10キロ圏内の決めました。その根拠は1号機の圧力が見られるというそういう指摘を、報告を東電から派遣された方から話を聞き、それを踏まえて、先程申し上げました原子力安全・保安院、原子力安全、特に委員会の意見をお聞きしまして、この圧力上昇というのは最悪の場合は、格納容器を破壊する危険性もあるので、そういう危険性を考えて、10キロ圏という範囲に拡大をいたしました」

 桜井委員「この10キロ圏の決定とベントとは関係あるんでしょうか」

 菅仮免「ベントについては(少し考えてから)、11日の段階から、本格的には12日の未明に経産大臣の方から、指示が出るわけでありますけれども、(10キロ圏内避難指示の)12日の午後5時44分というのはベントの指示が出るよりも、後でありますので、そういったことも関係者の皆さんの中には判断の一つの材料になっていたと思います。

 私としては先程申し上げましたように専門家のみなさんの助言を聞いて、国際的な色々なこれまでの、何と言いましょうか、経験を踏まえたご意見を聞いて決めさせていただきました」
 
 桜井委員「続きまして20キロの指示は同じようにどういう状況判断とどなたのご意見によって決定されたのでしょうか」

 菅仮免「基本的には同じでありますけれども、この時点は3月12日の18時25分でありますけれども、既にこの時点では15時36分に1号機の水素爆発が起きております。

 そういった点で、さらに2号機、3号機がそういった事態を迎える危険性もありましたので、そういう専門家の皆様のご意見を聞いて、20キロ圏に拡大をいたしました」

 桜井委員「その際に30キロという検討をされましたか」

 菅仮免(ほんの少し考える)「色んな議論があったと認識をしております。と同時に避難区域を拡大するということは避難をする先を含めて、避難ができる、迅速にできるということも併せて準備をしなければなりません。

 そういった議論もあったと認識をしております。その時点では1号機の水素爆発のあとでありましたので、2号機、3号機がもしそうしたことになって、放射性物質がその時点で外に広く出た場合には、場合によっては屋内にいた方が、ある時期屋内にいた方が安全ではないかと、そういった議論も含めて、最終的には専門家のみなさんの、少なくとも私のところに周りにおられた皆さんは、最終的に20キロでよしと。

 そののち、20キロから30キロを屋内退避にしたわけです」

 桜井委員「次に総理が福島第1に視察に行かれたことについて伺いますが、津波、その他の被害の所も併せて視察をなさったことは皆さんもご承知で、改めてご説明はいりませんが、福島第1原発をご自分で行かれたということは如何でしょうか」

 菅仮免「視察に行く目的は、今言われましたように地震・津波の現状を直接私が見て認識したい。これはかつての阪神・淡路の震災のときに、当時の内閣、私は内閣のメンバーではありませんでしたけど、そういった関係者がいつ行く、いつ行かないで色々と議論があったことを私も覚えております。

 私としてはテレビ出見ておりましたけれども、やはり現場の状況を上空でいいから、やはり見ておくことが、その対策を取る上で極めて重要だという認識を一方で持っておりました。

 例えばあったのは、東電から先ず電源車を送る、そのために協力して欲しい。そういうことについて色々遣りました。後にベントの話もありました。しかしそういった根本的な状況についての説明は残念ながらありませんでした。

 特にベントに関しては既に経産大臣の方から、東電がベントをしたいということについて了解していると言っているにもかかわらず、何時間経っても、それが行われない。

 私からも東電から派遣された方に、なぜ進まないんですかとお聞きしました。そしたら、分からないと言われるんですね。分からないと言われるのは本当に困りました。

 技術的な理由なのか、何か他に理由があるのかですね、分かれば、またそれに対して判断できますから、そういった状況がありましたので、私としては福島のF1、第1サイトにその責任者と話をすることによって、状況を把握できるんじゃないかと、そう考えまして、地震・津波の視察を併せて福島第1サイトの視察に行くことを決めたわけです」

 桜井委員「福島の第1で当時の吉田所長と会われまして、その結果、行われた先程の目的とその他のことで、どのような成果というか、結論を得られたのでしょうか」

 菅仮免「免震重要棟に入りまして、2階の部屋に入りました。そこで吉田所長と、確か武藤副社長がその同席をされて、こちらに何人かが同席をされていました。

 その中で炉の図面などを広げて、今の状況の概略の説明がありました。その上で、私の方から、ベントについて、我々としたら、もう了解をしているのでベントを行わないと圧力が上がって、格納容器が破壊されると、そういう危険があると聞いているので、何とか早くベントをやって欲しいと申し上げましたら、『分かりました』と。『決死隊をつくってでもやります』と、そういう返事をいただきました。

 それで私も、この所長なら、しっかりやってくれるという印象を持ちまして、確か免震棟降りましたのは40分程度でありますが、それでそこを後にしました。

 私としてはその後、色々な判断をする上で、特に東電の撤退問題、後程話題になるかもしれませんが、そういったことは判断する上で、必ずしも私は何回もお話ししたわけではありませんが、現場の皆さんの考え方、あるいは見方を知るという上では極めて大きなことであったと。そこで顔と名前が一致したということは極めて大きなことであったと、このように考えております」

 桜井委員「撤退問題については後程またお伺いしますが、原災法の建付けでは、こういった事態が起こったときに現地の、俗にオフサイトセンターと言われているんですが、そちらに本部の権限を委譲することができることになっておりまして、ところが委譲されていないようですが、当時の本部長としてはどのような経緯から、これが委譲されていなかったのか把握されていいるのでしょうか」

 菅仮免「当時私は原子力安全・保安院から、そうした説明があったという記憶はありません。ですので、法律の在り方についてはそのご詳細に調べましたけれども、その時点ではそういう説明もなかったし、またオフサイトセンターそのものがですね、確か副大臣が到着したのも12日の未明だったと思っておりますので、その上でも関係者が集まらなかったと聞いておりますので、実際にはそういった機能が果たせる状態ではなかったので、保安院が伝えなかったのか、あるいは他の理由で伝えなかったのか、そこは分かりませんが、私はその時点できちんと説明を受けておりません」

 桜井委員「第2回の災害対策本部の会議というのが後に作成されていまして、この拝見しますと、第2回については菅さんが欠席ということになっているんですが、それによりますと、権限委譲についての案というものが配布資料の中に入っておりまして、ところが、その案についてどう扱ったかということが議論の結果とか概要にも書いてないのですが、その事情はご存じなかったでしょうか」

 菅仮免「存じ上げません」

 桜井委員「その点はそう伺っておきまして、ベントの話が先ほどちょっとございましたので、その関係で海水注入についてお伺いしたいと思います。

 海水注入の問題というのは菅さん、ところでお話があったのはどういう経緯だったでしょうか」

 菅仮免「この海水注入については大変私にとってもですね、色々とご批判を頂いた件でもありますので、少し整理をして説明をした方がいいのではないかと思います。

 先ず海水注入について、真水がなくなった場合には冷却のためには海水注入が必要であるという点では私と海江田大臣を初め、そうした専門家の皆さん、関係者の皆さんは一致をいたしておりました。

 そういう認識のもと、3月12日18時頃から20分程度、私、海江田大臣、原子力安全委員長、保安院責任者、東電の派遣された方が話をされまして、その時点では東電から来られた技術担当の武黒フェローが準備に1時間から、失礼、1時間半から2時間かかると、こういう説明がありました。

 そこでその時間を使って、海水注入だけに限らず、いくつかの点で議論をしておこうと。というのはこの日の15時ですが、1号機が水素爆発を起こしておりますけども、この水素爆発についても、前からそういうことが起きることはないか、私も聞いておりましたが、その時点では格納容器内に窒素が充填されているので起きないというご返事でしたけれども、現実には起きたわけでありまして、そういったことを含めてですね、いくつかの事象について聞いておいた方がいいと、時間があるなら聞いておいた方がいいと、こういう認識のもとで幾つかのことが議題となりました。

 一つは勿論塩水ですから、塩分による影響であります。それから問題となりました再臨界については淡水を海水に代えたら再臨界が起きるということではありません。これは私もよく分かっておりました。

 つまり、私も技術的なことは専門家でありませんので、詳しくは申し上げませんが、再臨界が起きる可能性というのは制御棒が抜け落ちたとか、あるいはメルトダウンした後の、その燃料より大きな塊になったとか(手を大きく動かしてゼスチャーたっぷりに話す)、そういう場合に起きる危険性があるわけでありまして、班目委員長の方からは『可能性がゼロではない』というお返事がありました。

 まだ時間があるという前提で、それならそういうことも含めて、検討して欲しい。つまりはホウ酸を入れれば再臨界の危険性を抑えることができるということは、その関係者はみんな知っておりますので、そのことも含めて検討して欲しいと、このように申し上げたところであります。

 その後のことを申し上げますか」

 手で遮られる。

 桜井委員「国会でもこのことについて何回も聞かれておりまして、総理は質問と答をどう取られるか、非常に難しい問題もあろうかと思われますが、海水注入の関係で聞かれてくるときに、『いわゆる再臨界という課題も私にはありましたし、そのことの検討』――、ちょっと要約させて頂きますと、『これを皆さんにお願いする』と。

 こういうような答弁をされておりますが、今のご説明との関連ではどういうことでしょうか」

 菅仮免「今申し上げたとおりですけども、何か矛盾はあるでしょうか。私が申し上げたのは、例えば海水注入が再臨界に関係ないというような表現で、何か報道されたものもありますが、これは全く間違っています。淡水を海水に代えたからといって、再臨界の可能性が増えるわけではないと、こういうことを言ったんですが(ふっと笑い)、その前の部分が省略されていると全く意味が違います。

 そういった意味で再臨界のことを申し上げたのは、こののち海水の中にもホウ酸を入れるわけですけども、原子炉にはホウ酸が置いてあるわけですから、それを念のために入れるということを含めて、検討をして欲しいという趣旨で申し上げたので、国会の答弁と矛盾はありません」

 桜井委員「既に総理もご承知だっと思いますが、現実には東電の方の本店からは始めていたなら、それを停めるという指示が出されてた。吉田所長の方はその指示に反して、海水注入を続けたという事実は既にご承知かと思いますが、少なくとも東電の方では総理の、当時の総理のお言葉を重く受け止めて、そのような行動に出たと思いますが、その点については総理の方はご感想を、どのような見方をされているのでしょうか」

 菅仮免「東電の会長の、この委員会での発言も私は聞いておりました。しかし東電会長はこの問題について本当に技術的なことをですね、関係者から聞かれて言っておられたとは思えないわけであります。

 先ず事実関係を正確に申し上げますと、先程申し上げましたように具体的名を上げて恐縮ですが、直前まで副社長をやっておられた現職の武黒フェローがですね、6時から6時20分の会合では、後1時間30分から2時間はあると準備に、という話を前提で話を始めたわけであります。で、それを20分程度で切り上げて、じゃあ、後、その結果を含めて報告をして下さいと。

 で、私のところに来たのは確か、19時の40分で、準備ができたということで、じゃあやって下さい。

 で、その後始まったと。

 その時点ではそういうふうに理解をしておりました。そしたら、その後色々なことが分かってきますと、武黒フェローはその20分の間の会合の後に直接でしょうか、吉田所長に電話をされて、そこで既に海水が入っているということを聞かれたわけです。

 そのことは私には連絡はありません。

 私は二重の意味で大きな問題と思います。先ず第一は、既に入っているなら、私は当然入れ続ければいいと思っています。もし再臨界の危険性があるなら、ホウ酸を後で追加すればいいわけですから。現実にそうしています、そののちに。

 それを武黒フェローが判断をして吉田所長に停めろと言った。

 よくですね、官邸の意向ということが他の場面によく出ますが、官邸の意向には私自身の意向、あるいは私自身を含む政府の意向と、当時官邸に詰めていた東電関係者の発言とが混在しております。

 少なくともですね、東電関係者の発言は官邸の意向というふうに表現されるということは私は間違っていると思います。これはメディアの関係者の皆さんにもはっきりと申し上げておきたいと思います。

 そこで今申し上げたことが一つです。もう一つは武黒さんというのは確か原子力部長を務められたプロ中のプロです。ですから、水を入れること、海水を入れること、如何に重要であるか。そしてそのことは再臨界とは、淡水を海水に代えたことは再臨界とは関係ないということは、プロであればよく分かっていることであります。

 その人がなぜですね、そういう技術的なことがよく分かっている人が吉田所長に停めろと言ったのか、私には率直に言って全く理解できません。

 そして吉田所長はそれに対して、私はあとで聞いた話ですけれども、私の意向だというふうに理解したと。そこで東電本店に聞いたら、総理の、時の総理の意向なら、仕方がないじゃないかと言って説得されたけれども、それではと言って、まあ、一芝居と言いましょうか、今から停めろと言うけども、停めるなと現場の人に言って、停めろということを言われたと。

 それでテレビ会議の装置を使って、東電本店にも伝わっていたので、東電の大部分の人にも、その時点で一旦停まったと、このように認識されたようです。

 こういうようなことが私に分かったのはずっと後になってからです。これについても予算委員会でも、あるいは政治家の中でもですね、私が停めたと、それでメルトダウンが起きたと、激しく批判をされました。

 しかし重ねてもう一度申し上げますが、東電の中で派遣されていた人が自分の判断で言ったことについて官邸の意向、まして私の当時の総理の意向とは全く違うんで、そのところはきちんと区別して検証していただきたいと思います」

 桜井委員「今、東電の方が海水注入を伝えていないという、開始を伝えていないという認識でおられたですけど、東電の方から海水注入をした(開始した?)と保安院の方に連絡が入っている。それが当時の総理の所に届いていないというこをよく分かりました。

 その辺は当時の最高指揮官としてどのようにお考えでしょうか」

 菅仮免「これはですね、例えば保安院の、直接的には責任者は経産大臣です。経産大臣が例えば、同席していた武黒フェローにですね、聞いてみたら、実はもう入っていたというような話があれば、間違いなく私にもですね、大臣なり来ます。

 武黒フェロー自身がそのことを認識したら、私と一緒の会で話をされたことなんですから、私に直接言うのがですね、当然でありまして、そういう関係でなければ、別ですよ。

 ですから、私にはその間の保安院にどう伝わったかということも、少なくともその当時は知りません。

 それから敢えて申し上げますと、その後も暫くは東電は19時、確か3分でしたか、7分でしょうか、解消(海水注入中断を)したということを、当時は認めていなかったはずです。

 そして19時40分に私のところに来て、確か20時何分かに解消(19時25分、東電、海水注入中断)したという上申をしたはずです。

 ですから、私はそこまで申し上げませんが、東電が伝えたということと、そのあと東電が言っていることと、またその後に言っていることとかなり、私から言うと矛盾しておりますので、少なくとも私にはちゃんと伝えるんであれば、武黒フェローと話をした直後でありますから、私に直接伝えるなり、経産大臣に伝えるのは当然であったと、そのように考えております」

 桜井委員「菅さんは今海水注入と再臨界とは直接繋がらないという説明があったが、(手でひっくり返すゼスチャーをして、淡水から海水へ)代えたことです。ハイ、分かりました。

 当時はですね、総理のお傍におられた方が総理に対して再臨界と海水とは直接繋がらないということをご説明するために随分色々と資料を集めたり、検討されたり(して)おるようですが、その辺については総理はどのようにお考えになりますか」

 菅仮免「私はそのことは知りません。私が再臨界について色々と調べていたのはかつての再臨界事故がJOCのときにありましたから、そういうことを含めてですね、必ずしも原子力安全委員会や保安院からも聞きましたけども、それ以外の原子力の専門家からも、どういう場合にそういう危険性があるのかと、そういう色々な話を。その時点で分かっておりましたのは、先程申し上げたように、例えば制御棒が何らかの理由で抜け落ちて、燃料が臨界に達してしまう。

 あるいはメルトダウンしたものがここに大きく山盛りにのように溜まって、その形状によっては臨界ということになる得ると、そういうことを聞いておりました。

 少なくとも淡水を海水に代えることが臨界条件に何らかの影響を及ぼすということは、私はそういうふうに全く思っておりません。

 それにはホウ酸を入れて、中性子のですか、動きを止めればいいわけですから、それは別のことで、何かそういうこと(資料集め)を準備をされていたということは私は全く知りません」

  以上、ここまで。残りはいつの日か。 

 全編無責任とウソと詭弁で塗り固めた国会事故調参考人証言となっているが、おいおい問題別に取り上げて行きたいと思う。

 今回は緊急事態宣言発令が遅れたことの菅の発言の正当性を見てみる。

 最初に菅は原発事故の最大の責任は国にあるとし、「この事故が発生したときの国の責任者でありました私として、この事故を停められなかったこと、そのことについては改めてお詫びを申し上げたいと思います」と言っているが、事故発生以後の自身の対応に関わる責任を抜きにした、それゆえに自らの事故対応に免罪符を与えることになる文脈の狡猾な意図を秘めた国の責任の認知に過ぎない。

 最初に東電からの通報から始まる推移を時系列で見てみる。

 2011年3月11日16時45分
   ――東電、「原子力災害対策特別措置法」第15条に基づく事象(非常用炉心冷却装置注水
     不能)が発生したと判断して第15条報告行う(東電HP)

 2011年3月11日17時42分
   ――海江田経産大臣から緊急事態宣言発令の説明及び上申(菅の説明)
 2011年3月11日18時12分
   ――与野党党首会談開始
 2011年3月11日18時17分
   ――同会談を5分で中座
 2011年3月11日18時18分
   ――執務室へ(時事ドットコム「菅首相l2012年3月11日動静」
 2011年3月11日19時03分
   ――緊急事態宣言発令。

 東電の通報から宣言発令まで、2時間20分近くかかっている。
 
 菅は「15条の方は16時15分と認識しております」と言っているが、先に挙げた「16時45分」は東電のHPによるから、前者が正しいと見る。

 以下この遣り取りを再掲してみる。

 菅仮免「党首会談に、まあ、顔を出して、中座をして戻ってきて、そしてその後の説明を受けて、宣言をしたということで至っております。

 結果として19時3分に緊急事態宣言をいたしました。それ以前に既に地震・津波については緊急災害対策本部が立ち上がり、また原発についても既に官邸に対策室が立ち上がって、実質的な動きは始めておりました。

 そういった点で、もっと早ければよかったというご指摘はご指摘として是非皆さんの方でご検証していただきたいと思いますが、それによって何か支障があったかと問われれば、私が認識している限り、支障がなかったと認識しております」

 桜井委員「私が伺っているのは現実の支障があったかなかったということではなくてですね、ある意味、当時官邸におられた方で、原子力災害ということに一番詳しかったのは菅さん自身ではなかったかというような評価もされていますが、そいう中で15条通報がなされて、緊急事態宣言が経産大臣の方から求められるという意味というのは、一番分かっておられたのではないかと思います。

 そのことをなぜ時間をかけてしまったのかというところをお伺いしたいと思います」

 菅仮免「率直に申し上げまして、何か私が理由があって引き伸ばしたとか、何か押し留めたという気持ちは全くありません。その意味で、17時52分に報告が上がってきて、そして上申が上がってきた中で、私としては確かに野党の党首のみなさんでありますので、やはりその方々に対してもお約束をした以上はですね、あまりお待たせをする訳にはいかないとうことで、中座をして5分間行って帰ってくると。

 確かに1時間21分かかっておりますけども、もっと早ければよかったと言えばそのとおりだと思いますが、何か意図的に引き伸ばした、何か理由があって伸ばしたということでは全くありません」――

 桜井委員の言うように支障があったなかったの問題ではない。支障がなかったは結果オーライの結果論に過ぎないだろう。支障があってからでは困るから、法律の規定に則って立場上定められた的確な行動が求められているときに的確な行動を示さなかったことが問題であるはずだが、責任意識を欠いているから、支障がなかったからいいではないかと開き直っているに過ぎない。

 また、「地震・津波については緊急災害対策本部」を既に立ち上げ、「原発についても既に官邸に対策室」を立ち上げたと言っていることも同じで、東電が緊急事態宣言発令に該当する事象が原子炉に生じたと看做して第15条報告をもたらした以上、「原子力災害対策特別措置法」がそのような報告から「直ちに」と規定しているように早急に緊急事態宣言を発令する責務を負っているのだから、緊急災害対策本部を立ち上げた、官邸に対策室を立ち上げたで緊急事態宣言を「直ちに」行わなかったことの責任の肩代わりができるはずはない。

 それを責任の肩代わりができると解釈しているのだから、無責任も甚だしい。

 緊急事態宣言は国民に対する緊急的な注意喚起であって、国民はその宣言を以って緊急事態に対する生命・財産の備え、危機管理とする。

 いわば国民の生命・財産を対象とした緊急事態宣言なのである。

 「原子力災害対策特別措置法」は「第一章 総則、第一条」で、「災害対策基本法 (昭和三十六年法律第二百二十三号)その他原子力災害の防止に関する法律と相まって、原子力災害に対する対策の強化を図り、もって原子力災害から国民の生命、身体及び財産を保護することを目的とする」と書いている。

 重大事故が発生していることを知らないでいて事態が急変した場合、2時間遅れれば、2時間、生命・財産の備えが遅くなる。

 「何か私が理由があって引き伸ばしたとか、何か押し留めた」ということではなく、逆に「直ちに」行わなかったことの不作為、無責任が問われているのである。

 しかも菅仮免は一国の指導者として限りなく無責任に出来上がっているから、どちらを優先する責任行為とすべきか判断できずに、党首会談を「お約束をした以上はですね、あまりお待たせをする訳にはいかないとうことで」と、国民の生命・財産に対する備えよりも党首会談を優先させた。

 要するに責任を果たさなかったこと、不作為の詭弁の言い逃れを行なっているに過ぎない。

 党首会談を中座して18時18分に執務室に戻ってから、19時03分の緊急事態宣言発令まで1時間近く時間がかかっている。

 要するに急事態宣言発令を求めた海江田経産相にしても菅仮免にしても、他のその場に居合わせた誰もが、原子力発電事故の場合の緊急事態宣言発令がどの法律を根拠としているか知らなかったために、それを知るために時間が取られたと、12月25日(2011年)日曜日TBS放送『「報道の日2011」記憶と記録そして願い』(第三部)が伝えている。

 江田経産相「法律の、おー、“たてつけ”と申しますか、ま、そういうことについて、えー、(菅仮免から)質問がありました。ま、うまく答えられなかったと、言うこともあって、ま、時間がかかったと思います」
 
 番組は〈“15条通報”の何たるかを知るために総理執務室の隣の首相秘書官室で秘書官が六法全書のコピーに追われていたと関係者の話として〉解説している。

 以上、2011年12月27日当ブログ記事――《原発事故報道番組が改めて証明する菅のお粗末な認識と判断能力 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》による。
  
 前日のブログでも取り上げたが、菅は特に2010年10月の浜岡原発事故想定の防災訓練に原子力災害対策本部長として参加していたのであり、その訓練にしても「原子力災害対策特別措置法」第15条の緊急事態宣言発令に仮に基づいて行ったはずだから、一国の総理として記憶して置かなければならなかったはずだが、何も覚えていなかった。

 無責任だからこそ忘却できた防災訓練だったに違いない。


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菅仮免の国会事故調参考人証言に於ける真っ赤なウソつきであることが分かる象徴的シーン

2012-05-29 13:02:42 | Weblog

 昨日5月28日午後の菅仮免の国会事故調参考人証言。今朝4時頃から動画の文字起こしにかかったが、3時間弱の証言の内、9時近くまでかかってやっと45分程度が済んだだけ。パソコン入力がまた時間が掛かるために解釈なしで起こした文章だけを3回か4回に分けてブログに載せるつもりでいたが、時間不足で初回は断念。

 これまでも何度かブログに取り上げてきた菅仮免参加の2010年10月20、21日の静岡県御前崎市中部電力浜岡原子力発電所事故想定の総合防災訓練についての遣り取りがあり、菅がウソをついていることから、ウソつきであることが分かる象徴的シーンとして取り上げることにした。

 71歳5カ月という年齢が年齢だから、文字に起こした文章はおいおいブログに取り上げてみようと思う。

《国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会》
  
 桜井委員「それでは次に総理になられてからのことをお聞きします。

 総理の権限と責務はたくさんあると思いますが、その中の一つとして緊急事態宣言が発せられて原子力災害対策本部が設置された場合は、そのトップとして、災害の対応に当たらなければならないことは改めて私が申し上げるまでもないことでありますが、総理は就任されてからこのような場合、どのような責務と権限があるかということを事前に何らか等の説明を受けておられたでしょうか」

 菅仮免「内閣総理大臣としてどういう権限・権能があるかということは一般的には従来から色々議論もしてきましたし、私の中でも一定の考え方を持っております。言うまでもないことですが、憲法にも内閣法にも規定されております。

 原子力事故に当ってどのような権限が総理大臣として、あるいは本部長としてあるかということについて、詳しい説明を総理になった以降、事故までの間に聞いたということは、そういうことは私は覚えている限りありません

 桜井委員「総理になられてから平成22年に総合防災訓練というものが行われていると思いますが、それに総理は何らかの関わりを持っておられたのでしょうか」

 菅仮免国会でもそのことを聞かれたことがありまして、そういう機会があったということは覚えておりますけども、深くその時に特に原子力の本部長としての権限などを、その時に深く認識をしたかと言えば、必ずしもそういう形には私自身、残念ながら、なっておりませんでした」

 桜井委員「のちに振り返ってみてですね、事前によく説明を受けて知っておいた方がよかったとお考えにはなりませんでしたか」

 菅仮免「(一つ笑みをこぼして)勿論、この事故に遭遇して、もっと早くからしっかりとした説明を受けておればよかったと、このように思いました」 

 桜井議員が聞いた総理大臣としての責務と権限は緊急事態宣言が発せられて原子力災害対策本部が設置された場合のことであって、「憲法にも内閣法にも規定されております」と言わなくてもいい余分な言葉をいたずらに費やしている。

 このシーンだけではなく、至るところで見受けることができる無駄な言葉の浪費であり、このことから菅直人という指導者が的確な情報処理から程遠い人間であることを窺うことができる。

 相手の言葉を的確に判断して、的確に判断した相手の言葉に対して自分の言葉を的確に判断して的確に発言する情報処理能力が如何に劣っているかである。

 但し責任逃れに誤魔化す情報処理能力は一人前ときている。

 菅仮免が「原子力事故に当ってどのような権限が総理大臣として、あるいは本部長としてあるかということについて、詳しい説明を総理になった以降、事故までの間に聞いたということは、そういうことは私は覚えている限りありません」と答えたのに対して、桜井委員は菅が政府原子力災害対策本部会議本部長として参加した2010年10月20・21日実施の浜岡原発事故想定の「平成22年度原子力総合防災訓練」を取り上げた。

 但し、「それに総理は何らかの関わりを持っておられたのでしょうか」では、質問の仕方が拙劣としか言いようがない。この訓練は「原子力災害対策特別措置法」第13条の規定に基づいて行われるもので、緊急事態宣言発令(第15条)も、総理大臣が就任することが決められている原子力災害対策本部長の権限、あるいは責務もこの法律に規定されているである。

 もっと直接的に、訓練に参加した以上、内閣総理大臣の責任として詳しい説明を聞いていないでは済まないではないかと追及すべきだったろう。

 菅仮免は原子力事故にあたっての権限については「詳しい説明を総理になった以降、事故までの間に聞いたということは、そういうことは私は覚えている限りありません」と一度は答えたものの、桜井委員から2010年の総合防災訓練を指摘されると、「国会でもそのことを聞かれたことがありまして、そういう機会があったということは覚えておりますけども」と答えているが、真っ赤なウソもウソ、ドス黒いウソとしか言いようがない。

 昨年の(2011年)4月18日の参院予算委員会で中部電力浜岡原発事故想定の総合防災訓練に関して次のように質疑応答があった。

 脇雅史自民党議員「えー、去年の、10月20日(はつか)でございますが、(平成)22年の10月20日(はつか)、21日非常に大事な催しがあったわけですが、そのことはご記憶ですか、総理」

 菅仮免「ま、突然のご質問ですので、えー、何を指されているのか、あー、分かりません」

 脇雅史議員「実はこの日はですね、えー、原子力総合防災訓練、というものをやってらっしゃるんですね。

 で、これは本部長として菅直人内閣総理大臣、私がいただいたものには、紙には書いてあります。20日(はつか)、21日と総合防災訓練をされたと。そのときに、どういうテーマで訓練されたか、覚えてらっしゃいますか」

 菅仮免「詳しい、イ、内容については記憶しておりませんが、やはりこうした、あー…、色んな、あー、地震等を想定した、あー……、ことではなかったかと思っております」

脇雅史議員 「また呆れちゃうんですけどね(失笑)、これ大変なことですよ。私は日本の国はたいしたもんだと思うんですが、ちゃーんと訓練してるんですね。

 その訓練はですね、事故の想定という項目があるんですが、原子炉給水系の故障により、原子炉水位が低下し、原子炉が自動停止、その後の非常用炉心冷却装置と複数の設備故障により、万一放射性物資が放出された場合、その影響が発電所周辺地域に及ぶ恐れがある、と想定。

 まさに今回と同じことを想定しているんじゃないですか。そのことについてなんにも記憶はないんですか。何のための訓練だったんですか。あなたが本部長として、参加されてるんですよ。本当の覚えていない?どうぞ」

 菅仮免「シー、少なくともですね、あのー、おー、おー…、私にとって、えー、そうした原子力の、おー、いろいろな、あー、事故は、過去に於いても、オ、多くありましたし、日本では、あー、臨界事故、というものが最も大きかったわけでありますから、えー、そういった意味で、えー、一般的な認識を持っておりましたし、えー、そういう想定に、立っての、おー……そうした、あー、訓練が、行われたということは、ア、ご指摘のとおりだと思っております」

 以上2011年4月20日当ブログ記事――《菅仮免首相の危機管理能力ゼロを改めて証明する国会答弁 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》による。

 最後は臨界事故については一般的な認識を持っているだ、訓練が行われたということはご指摘のとおりだと誤魔化しているが、福島原発事故が発生した約5カ月前の原発事故想定の、自身が政府原子力災害対策本部会議本部長として指揮を取った国の総合防災訓練を何も覚えていなかった。

 にも関わらず、昨日の国会事故調の証言では、「国会でもそのことを聞かれたことがありまして、そういう機会があったということは覚えておりますけども」とシャアシャと答えている。

 まさか、覚えているという「そういう機会」とは国会で質問があったことを指すわけではあるまい。

 原発事故想定の防災訓練があったことは忘却していて、そのことの質問が国会であり、覚えていませんと答えたことを覚えていると言うのではあまりにも滑稽な倒錯としか言いようがないだろう。

 何よりも問題としなければならないのは引き続いての発言である。

 「深くその時に特に原子力の本部長としての権限などを、その時に深く認識をしたかと言えば、必ずしもそういう形には私自身、残念ながら、なっておりませんでした」――

 何という無責任さなのだろうか。一国の総理大臣であり、原子力発電事故ではなくても、国内で大災害が発生した場合は災害対策本部会議本部長に就く責務を負っている人間が、自らが果たさなければならない権限に関して深く認識していなかったと答えている。

 ウソつきな上に無責任と言いたいが、無責任な人間というのは大体に於いてウソつきであり、ウソつきな人間は大体に於いて無責任であって、両者は概ね重なる。

 その典型が菅仮免だというわけである。

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枝野のご都合主義と責任回避意識に満ちた詭弁家の面目躍如の国会事故調証言

2012-05-28 10:49:22 | Weblog

 昨日5月27日、福島原発事故当時官房長官だった詭弁家枝野が国会の原発事故調査委員会に参考人として出席、政府の事故対応について証言したが、詭弁家の面目躍如の発言となっている。

 以下、《枝野氏“情報発信十分でなかった”》”(NHK NEWS WEB/2012年5月27日 18時15分)による。

 政府の情報発信についての証言――

 詭弁家枝野「情報発信そのものよりも情報を政府として集約すること、そしてその後の予想や想定ができなかったことこそ反省だと思っている。放射能の影響などについて、私の思っていたことと、特に被害を受けられた周辺地域のみなさんの受け止めとの間にずれがあったことは、改めて大変申し訳なく思っている」

 記事題名は《“情報発信十分でなかった”》となっているが、「情報発信そのものよりも」という言葉は自分たちの「情報発信そのもの」に関しての評価を他の事柄に関する評価と比較して擁護していることを意味しているはずだ。

 いわば詭弁家枝野は「情報発信そのものよりも」という言葉を使うことによって「情報発信そのもの」に関してはさして反省点はないとした。
 
 また、政府として「集約」した情報の「その後の予想や想定ができなかった」ということは的確な情報処理を行うことができなかったということを意味する。

 当然、的確な処理を行うことができなかった情報はその発信に際して、的確な情報発信は期待できようがない。的確に処理できなかった情報を間違いなく的確・適切に発信しましたでは二律背反も甚だしい。

 要するに枝野は詭弁家らしく、「情報発信そのもの」に関してはさして反省点はないがとしながら、そのことよりも政府としての情報集約、集約した情報の的確な処理(=情報処理)に関しては反省点があると、平気で矛盾したことを口にしたのである。

 情報集約と情報処理に反省点があるなら、当然のこととして情報発信(処理した情報の的確な発信)に関しても反省しなければ、整合性を得ることはできない。

 ところが、「情報発信そのものよりも」と言いながら、「放射能の影響などについて、私の思っていたことと、特に被害を受けられた周辺地域のみなさんの受け止めとの間にずれがあった」と、最終的には一転して情報発信の不備・不手際を認めている。

 当然この情報発信の不備・不手際は情報発信の前段階としての情報集約や情報処理の不手際、あるいは不備が前提となる。

 あとでも触れるが、政府全体としてはSPEEDIの公表遅れや緊急事態宣言発令の遅れ、避難指示の自治体への連絡忘れ等、様々な情報発信に関して実際にも不備・不手際を起こしているのである。

 にも関わらず、「情報発信そのものよりも」という言葉を使って、いわば反省点はさしてないとしたのは情報発信の主たる役目を負っていた官房長官と政府全体の情報発信に対する責任回避意識が働いていたからだと見られても仕方があるまい。

 この情報発信については「asahi.com」には次の発言が載っている。

 詭弁家枝野「私なりにベストを尽くしたつもりだ。ファクトについて発表するか躊躇(ちゅうちょ)したことはない。把握した時点で直ちに発表している」

 これは詭弁・強弁の最たるものだろう。把握した情報が例え正確な情報であっても、その情報を処理する段階で不備・不手際があったなら、「発表するか躊躇(ちゅうちょ)したことはない」としても、的確・適切な情報発信とならないのは誰の目にも明らかである。

 大体がこのようなことを問題としないこと自体が責任の所在を的確に判断していないことになる。

 避難区域の設定についての証言――

 詭弁家枝野「すぐに戻れるつもりで避難したものの、長期にわたり一時的にすら戻れない人がいる。避難が長期にわたるという問題意識を私だけでなく、皆さん、持っていなかったことが、結果的により大きな苦労をかけた。大変忸怩(じくじ)たる思いだ」

 「避難が長期にわたるという問題意識を私だけでなく、皆さん、持っていなかった」と言っているが、福島第1原発は地震発生3月11日14時46分から約44分後の15時30分頃の全交流電源喪失を受けて政府に対して「原子力災害対策特別措置法」第10条通報を行っている。

 〈「原子力災害対策特別措置法」

 第十条  原子力防災管理者は、原子力事業所の区域の境界付近において政令で定める基準以上の放射線量が政令で定めるところにより検出されたことその他の政令で定める事象の発生について通報を受け、又は自ら発見したときは、直ちに、主務省令及び原子力事業者防災業務計画の定めるところにより、その旨を主務大臣、所在都道府県知事、所在市町村長及び関係隣接都道府県知事(事業所外運搬に係る事象の発生の場合にあっては、主務大臣並びに当該事象が発生した場所を管轄する都道府県知事及び市町村長)に通報しなければならない。この場合において、所在都道府県知事及び関係隣接都道府県知事は、関係周辺市町村長にその旨を通報するものとする。 〉・・・・・

 そして3月11日16時36分、福島第1原発1、2号機の原子炉水位が確認できず、注水状況が不明なため「原子力災害対策特別措置法」第15条に基づく事象(非常用炉心冷却装置注水不能)が発生したと判断、16時45分に政府に「原子力災害対策特別措置法」第15条報告を行っている。

 だが、15条には原子力事業者(ここでは東電)の義務規定はなく、政府による原子力緊急事態宣言の発令と原子力災害対策本部設置に関わる規定のみであるが、原発事業者から〈主務大臣が受けた通報に係る検出された放射線量又は政令で定める放射線測定設備及び測定方法により検出された放射線量が、異常な水準の放射線量の基準として政令で定めるもの以上である場合〉を一つの義務とする原子力緊急事態宣言発令と原子力災害対策本部設置の規定であることから、その必要性喚起の東電の報告と見ることができる。

 遅くともこの時点で政府はスリーマイル島原子力事故とチェルノブイリ原発事故の資料を取り寄せて、関係省庁の官僚を動員し、原子力安全委員会、原子力・保安院等の知見と合わせて避難や放出放射能の拡散状況等の学習を行なっていなければならなかった。

 菅政府が最初の第1原発半径3キロ圏内避難指示、3~10キロ屋内退避指示を出したのは東電の第15条通報3月11日16時45分から5時間近く後の3月11日21時23分である。

 多分、スリーマイル島原子力事故とチェルノブイリ原発事故の資料閲覧と討議に5時間近くかかったのかもしれない。

 避難と避難範囲は放出放射線量と拡散状況に関係するはずだから、半径3キロ圏内避難指示、3~10キロ屋内退避指示を出した時点で、それで十分と考えたとしても、以後の事故処理と並行した放出放射線量と拡散状況次第で避難期間は決まってくるのだから、場合によっては長期間の避難は「問題意識」の一つに入れていなければならなかったはずだ。

 だが、長期間の避難を「問題意識」の一つとしていなかったということは、当初は長期間の避難そのものを想定していなかったことになる。長期間の避難を必要としないで事故は処理できると考えていた。

 だとしたら、枝野は「避難が長期にわたるという問題意識を私だけでなく、皆さん、持っていなかった」ではなく、「問題意識を持つに至るだけの危機管理意識をみながみな働かすことができなかった」と自分たちの先見性のなさ、情報処理能力欠如を潔く認めるべきだったろう。

 逆に「皆さん」と同列にすることで責任回避意識を働かせている。自分だけではない、皆さんも同じだったと。

 東京電力や原子力安全・保安院などとの連携についての証言――

 詭弁家枝野「必ず発表することは、同時に総理大臣官邸にも報告してくれと言ったが、発表前に承認を求めるということではない。とにかく分かったことは全部出せと、政府内部や東電にも指示していたが、指示が徹底していなかったということで、忸怩たる思いだ」

 「忸怩たる思いだ」とあとで反省すればいいというわけではない。「指示が徹底していなかった」ということは偏に情報管理・指揮命令が関係部署に対して行き渡っていなかったということであり、自身及び官邸のマネジメント能力やリーダーシップに降りかかってくる問題であるはずである。

 それを「徹底していなかった」と反省だけで済ますのは自分たちのマネジメント能力やリーダーシップについての資質の程度にまで踏み込まないことになり、やはり責任回避意識が働いているからこそできる不問であろう。

 菅仮免の事故直後の現地視察についての証言――

 詭弁家枝野「『邪魔になったのではないか』という抽象的、感情的な政治的批判は免れないので、『とてもおすすめできない』という趣旨を進言した。しかし、菅総理大臣は『できるだけベストに近い対応をする動きが大事だ』という趣旨のことをおっしゃったので、政治的なリスクを分かったうえで対応されるならば、そこは総理の判断だ」

 このことについては東京電力勝俣会長が5月14日の国会の原発事故調査委員会に参考人として出席、次のように発言している。

 勝俣東電会長「混乱の極みのなか、発電所で最高司令官の所長が時間をとられるのは芳しいことではない」(NHK NEWS WEB

 この証言から分かることは「抽象的、感情的な政治的批判」といったことが問題ではなく、視察が現場の事故処理の障害となるかならないかが問題であり、そのことが視察の判断基準になるということであろう。

 だが、枝野は詭弁家らしく、批判を基準に視察の良し悪しを決めようとした。ここに働いている意識は内閣に対する防衛反応のみである。あるかもしれない批判から内閣を守ることだけを考えて、現場の判断を考えもしなかった。

 だが、独善的かつ独断的な菅に押し切られて、視察を認めることになった。管は視察が「できるだけベストに近い対応をする動き」だと自ら信じこんで。

 東電の全面撤退に関する証言――

 詭弁家枝野「清水社長との正確なことばのやり取りまでは覚えていないが、『そんなことしたら、コントロールできなくなり、どんどん事態が悪化する』と私が指摘したのに対し、清水社長は、口ごもった答えだったので、部分的に残すという趣旨でなかったのは明確だ」

 「清水社長との正確なことばのやり取りまでは」記憶していないが、自身の清水社長に対する指摘ははっきりと記憶している。ここにご都合主義がないだろうか。

 「そんなことしたら、コントロールできなくなり、どんどん事態が悪化する」という重大な危機感を持ち、そのことを伝えたとしたなら、「口ごもった答え」で済ますわけにはいかなかったはずだ。

 「全面撤退するのかしないのか、全面撤退した場合、『どんどん事態が悪化する』が、誰が事態悪化を食い止めるのか、誰が事故処理に当たるのか」、危機感に促されて政府幹部として追及しないでは済ますわけにはいかなかったろう。

 だが、「口ごもった答え」で済ませた。危機感に相応しくない、危機感を裏切る何という責任の無さなのだろう。

 この証言は当ブログに何度か用いた菅仮免の全面撤退に関わるインタビューでの発言と奇妙な符合を見せる。

 《菅前首相インタビュー要旨》時事ドットコム/2011/09/17-19:58)

 記者「東電は『撤退したい』と言ってきたのか」

 菅前首相「経産相のところに清水正孝社長(当時)が言ってきたと聞いている。経産相が3月15日の午前3時ごろに『東電が現場から撤退したいという話があります』と伝えに来たので、『とんでもない話だ』と思ったから社長を官邸に呼んで、直接聞いた。

 社長は否定も肯定もしなかった。これでは心配だと思って、政府と東電の統合対策本部をつくり、情報が最も集中し、生の状況が最も早く分かる東電本店に(本部を)置き、経産相、細野豪志首相補佐官(当時)に常駐してもらうことにした。それ以降は情報が非常にスムーズに流れるようになったと思う」・・・・・

 枝野の場合は、「そんなことしたら、コントロールできなくなり、どんどん事態が悪化する」と危機感を抱きながら、相手から引き出した意思表示は「口ごもった答え」

 菅の場合は、「とんでもない話だ」と危機感を募らせながら、相手から引き出した意思表示は「社長は否定も肯定もしなかった」

 二人とも何のために内閣官房長官だ、内閣総理大臣だと、責任ある立場についているのか分からない。

 責任ある立場にありながらのこの奇妙な符合は口裏を合わせているとしか勘繰りようがない。

 放射性物質の拡散を予測する「SPEEDI(スピーディー)」のデータ公表遅れについての証言――

 詭弁家枝野「私がスピーディーというシステムがあるということを知ったのは、震災後の15日か16日くらいだったと思う。シミュレーションしていたのに、報告が上がらず、公表されなかったことが、まさに信頼を損なっている大きな原因になっていると思う」

 このことが事実だとしても、次のことも当ブログに何度も書いてきたが、大震災発生の3月11日からたったの約5カ月前の2010年10月20日に静岡県の浜岡原子力発電所第3号機が原子炉給水系の故障により原子炉の冷却機能を喪失、放射性物質が外部に放出される事態を想定した、菅首相を政府原子力災害対策本部会議本部長とした「平成22年度原子力総合防災訓練」を実施、SPEEDIを用いて放射能拡散のシュミレーション訓練を行なっているのである。

 もし菅仮免がこのことを迂闊にも忘却していたということなら、そのことの責任を問わなければならない。

 アメリカから総理大臣官邸に常駐したいと申し入れがあったことについての証言――

 このアメリカからというのは別記事によるとルース在日米大使のことらしい。

 詭弁家枝野「アメリカは情報がないといらだっていた。官邸は、我が国の国家主権の意思決定をする場所であり、国家主権としての意思決定に、外国の政府関係者が直接関わるということはありえない。『官邸の中に、常駐というのは、勘弁してほしい』と申し上げた」

 要するに緊急非常事態という例外を考えることができずに被災住民の命、国民の生命・財産よりもタテマエに拘った。

 アメリカの原子力専門家の常駐に拒絶反応を見せたが、菅仮免は原子力の素人でしかない大学時代の友人を官邸に招き入れて、内閣官房参与に任命、官邸に常駐させることになった。

 以上、「NHK NEWS WEB」記事に基づいて枝野の詭弁家の面目躍如とした無責任を管の無責任と併せて書いてみた。

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石原都知事の「日本人は痩せた民族」発言に見る自分と東京を日本の中心に置いた自己中心性

2012-05-27 12:45:46 | Weblog

 ― 石原慎太郎は「日本は痩せた国家だ」と言うべきだったろう。―

 勿論、日本を痩せた国家としたのは偏に創造性なき貧弱・お粗末な日本の政治である。

 2020年夏のオリンピックに東京都が立候補。一次の書類審査で東京(日本)、イスタンブール(トルコ)、マドリード(スペイン)の3都市が通過、最終決定は来年2013年9月アルゼンチンで開催のIOC総会に委ねられる。

 五輪誘致成功のカギは開催各国国民及び開催都市市民の開催支持率にかかっていると言われている。東京は2016年立候補では書類審査トップ通過だったが、支持率が5割台に低迷、野田内閣支持率よりずっとマシだが、そのことが影響したリオデジャネイロ最終決定だとされている。

 当然、今回の東京開催のカギは日本国民、東京都民の熱烈な開催支持率にかかっている。

 東京都知事・石原慎太郎としたら前回大苦(おおにが)の苦杯を舐めた二度目の立候補である。大いに期待したいところだろうが、期待に反してIOC調査で、マドリード(スペイン)78%、イスタンブール(トルコ)73%、東京(我が日本)47%の後ろから数えてトップというやつ。

 小中高校と私の学校時代を通したテストの成績が逆から数えて常にトップだった状況と似ているから、同情を禁じ得ない。

 だが、頭脳優秀な石原慎太郎にとって許しがたい現実だったのだろう。後ろから数えてトップの支持率について一言申し上げた。

 5月25日の記者会見。

 石原都知事「日本人は何を実現したら胸がときめくのか。ちまちました自分の我欲の充実で痩せた民族になった。

  人の心はまちまち。(支持率を)上げる努力をするだけのことです」(時事ドットコム

 日本人は自分の欲望を追求することだけを考える自己中心の人間ばかりになって、そういった人間ばかりが集まる「痩せた民族」になってしまったと嘆いている。

 この嘆きは多くの日本国民の胸を鋭いドスのようにグサリと突き刺し、彼らをして恥いらせたに違いない。

 しかしこの発言は自分を中心に置いた、いわば自己中心の考えから成り立っている。

 立候補は自身の発案である。1次審査を無事通過したが、IOC調査で日本国民の開催支持率が3都市のうちでビリから数えてトップだったことから、大いなる嘆きを投げかけることになった。

 全て自己中心の構造を取っている。全て自分中心の解釈である。

 この自己中心を許しているのは東京が日本の中で富と人間が一番集中している優秀な大都市だからだろう。日本で一番の大都市であるばかりか、世界でも有数の大都市に数えられている、そのような大都市の知事である。

 いわば石原慎太郎は日本の中心の中心に位置している人物であり、特に権威主義的に自己中心が許される場所に立っている。常々オールマイティ意識に駆られているとしても不思議はない。

 オールマイティ意識をバックとした自己中心だからこそ、五輪開催支持率50%を切っている国民の冷めた熱意に我慢ならなかった。何ゆえの冷めた熱意なのか、検証することなく、たちどころに「痩せた民族」だと断罪した。

 この検証しないこと自体が自己中心であることを証明している。自己の判断を絶対としたのである。

 もし石原慎太郎が自己中心の考えに立っていなかったなら、検証もせずにたちどころに「痩せた民族」だと断罪することなかったろう。

 自己中心だからこそ、たちどころの断罪となった。

 立候補を表明する前に日本国民は立候補をどう考えているのだろうか、東京都民はどう考えるだろうか、なぜ前以て世論調査を行わなかったのだろうか。

 勿論、低支持率だからと言って、立候補を断念する絶対理由にはならない。低支持率に関わらず敢えて賭けに出ることもあり得る。野田首相は2011年民主党代表選で前評価は3位につけていたが、最終的には1位を獲得することになった。

 だが、前以ての世論調査が立候補に冷めた熱意しか示さなかったとしても、その時点で国民のことを「ちまちました自分の我欲の充実で痩せた民族になった」と考えることはあっても、その断罪が国民の反発を却って誘い、なおさらの支持率低下を招きかねないからと口に出して言うことを憚るかもしれない可能性は否定できないが、敢えて立候補の賭けに出るとしても、それなりに覚悟は決めたはずだ。

 その覚悟は例え国民・都民を度し難い存在だと軽蔑することはあっても、否応もなしに自己の対極にその度し難い国民・都民を置かざるを得なくなって、逆説的な意味の於いてだが、自己中心から僅かではあっても離れざるを得なかったに違いない。

 立候補を断念した場合は、「痩せた民族」だと断罪、自己中心を貫くのだろうか。

 「人の心はまちまち。(支持率を)上げる努力をするだけのことです」と言っているが、自己中心から離れて国民・都民の心情を考えざるを得ないキッカケとなる可能性も捨て切れない。

 いや、以上のことは全て幻想で、日本の中心である、すべての面に於いて一極集中した東京の中心に位置する都知事として自己中心を捨てきれず、断罪意識を持ち続けるのだろうか。
 
 石原都知事自身は富と人間、その他諸々が一極集中した、日本の中心となっている東京の中心に位置する存在だが、東京都民が日本の中心である東京に住んでいるからといって、経済的・精神的に全て日本の中心に位置しているわけではない。

 ましてや一極集中の東京に対する地方に住んでいる無視し難い数の日本国民からしたら、日本の中心どころか、経済的にも精神的にも阻害された日本の周辺、あるいは日本の辺境に置かれた状況にある。

 具体的にどのような状況かというと、厚労省HPが教えてくれる。

 《生活困窮者 孤立者の現状》(一部抜粋) 

●非正規雇用は働く人たちの3人に1人。若い世代と女性では約半分が非正規雇用という実態
●非正規雇用の殆どが年収200万円以下の低賃金

●正規雇用者と非正規雇用者(パート、派遣、契約社員等)の推移

 ○ 正規雇用者数は近年減少傾向。
 ○ 非正規の職員・従業員は前年に比べて48万人の増加(被災3県を除く)。
 ○ 2011年非正規職員・従業員割合(35.2%)(被災3県を除く)

●性別・年齢別に見た非正規労働者の推移

 ○ 特に女性で非正規の従業員の割合が高くなっている。
 ○ 正規の職員・従業員以外の者の割合は、すべての年齢層において上昇傾向。
 特に15~24歳の層では、1990年代半ばから2000年代初めにかけて大きく上昇。
   (なお、2000年代半ば以降においては、若干の低下)

 2011年男性正規労働者(80.%)
 2011年女性正規労働者(45.3%)

 2011年男性非正規労働者(19.9%)
 2011年女性非正規労働者(54.7%)

●単身世帯は2010年現在で、3割を超える1679万世帯(全世帯数約5184万世帯)、2030
 年には約4割に達する見込み。
●生涯未婚率

 2010年男性生涯未婚率(19.1%)――2030年予測(29.5%)
 2010年女性生涯未婚率( 9.9%)――2030年予測(22.5%)

 2010年男性30~34歳未婚者比率(47.3%)――2030年予測(50.9%)
 2010年女性25~29歳未婚者比率(54.0%)――2030年予測(62.7%)

●2009年度高等学校不登校生徒数(約5万2千人/不登校生徒割合1.66%)
  2010年度高等学校不登校生徒数(約5万6千人〈+約4千人増加〉/不登校生徒の割合1.5
 5% )

●2010年度高等学校中途退学者数(約5万5千人/中途退学率1.6%)・ここ5年は減少傾
 向。

●大学進学率は、20年間で20%以上上昇する一方、大学卒業時に就職も進学もしていないも8
  万人増加。
  
 2011年度大学進学率(54.5%)
 2011年度未就職大学卒業者率(10.7%)

●母子家庭の平均年収は213万円(平成18年度全国母子世帯等調査)
 全世帯の平均年収は564万円(平成18年国民生活基礎調査)

※ 平成18年国民生活基礎調査における母子家庭の平均年収は212万円
 ○生活保護を受給している世帯は約1割

●平成15年と平成19年の「ホームレスの実態に関する全国調査」を分析。
 ・55歳以上のホームレス層の増加
 ・野宿期間が5年以上の長期ホームレスの割合の増加

 ホームレスの「高齢化」「野宿期間の長期化」の様相。

 そして1998年(平成10年)から2011年(平成23年)まで14年連続3万人超の自殺者。

 既に痩せた国家と化している。東京オリンピックがこの痩せた国家を立ち直らせる一大カンフル剤となる確証があるならまだしも、なお一層の東京一極集中に手を貸すことはあっても、地方への富や人間や物流の公平な拡散をもたらして日本の周辺を隅々まで蘇生・格差解消のカンフル剤とならないのは目に見えている。

 場所限定のいっときの華々しい花火大会で終わるだろう。

 亭主の浮気が止まない、離婚騒動の渦中にある女性にとって、年に一度の観光客をたくさん集める街のお祭りの賑やかさはイライラさせる騒音にしか聞こえない場合があるだろうし、離婚後の生活を考えて上の空でいる場合は、遠くの微かに聞こえる音にしか聞こえない場合もあるだろう。

 以後の生活から見て、祭り自体意味のないものに化す場合もある。

 経済的にも精神的にも日本の中心から阻害されて遠く離れた辺境に置かれた国民が、自らの現在の安心も将来の安心も見い出し難いその日暮らしの生活から見た場合、五輪が意味もない祭りに映ったとしても無理はないはずだ。

 そもそもからして東京一極集中は地方を犠牲とした、その空洞化によって成り立っている。

 ビリから数えて東京47%という五輪開催支持率は以上の状況を背景とした国民の冷めた感覚から発した評価ということのように見える。

 オリンピックで熱に浮かされる程の生活余裕はない国民が半数を超えるということでないだろうか。

 あるいはオリンピックにカネをかけるのなら、景気回復にカネをかけて欲しいといった要求の表れにも見える。

 この数字は消費税増税に対する支持率にほぼ重なる。増税反対が50%を超える。財政再建の必要性は理解できたとしても、自分の生活を考えた場合、素直には賛成できない心情がそうさせている半数超えの反対ではないだろうか。

 生活利害者という宿命を負っている人間である以上、生活から離れて政治にしてもオリンピックにしても見ることができない状況に置かれてしまっているということであろう。

 そのことへの理解を思い馳せもせず、「日本人は何を実現したら胸がときめくのか。ちまちました自分の我欲の充実で痩せた民族になった」とたちどころに断罪する。如何に自己中心に侵されているかが分かる。

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野田首相のいいところだけを見せた不正直な海洋エネルギー開発加速化指示

2012-05-26 12:28:33 | Weblog

 波力発電や潮力発電等の海洋発電開発が海外比較で遅れていることから、政府が企業等の自由な実証実験可能な専用海域を早ければ2年後の平成26年度にも整備する支援策強化の方針を纏めたと次の記事が伝えている。《海洋発電実験場 26年度にも整備》NHK NEWS WEB/2012年5月25日 4時20分)

 5月25日早朝の記事である。海洋発電開発先進国イギリスと比較した日本の遅れを5月10日放送のNHKクローズアップ現代 「海から電気を作り出せ」が取り上げていた。

 以下NHK「クローズアップ現代」に関する文章はNHKHP記事による。

 上記記事は放送から15日遅れの報道である。官僚か政治家がこの放送を見て、慌てて取り掛かった支援策強化の方針ではないと思うが、昨年2011年3月11日福島原発事故を教訓に脱原発の方向性と原発を埋め合わせる再生可能エネルギー構築重点化の方向性を同時並行させるエネルギー志向に軸足を移してから1年以上経ちながら、再生可能エネルギー構築の目標は主として太陽光発電に偏ったために遅過ぎる海洋発電のための専用海域設置目標、その他となったということではないだろうか。

 イギリスがスコットランド地方オークニー諸島に海外企業も参加可能な海洋発電開発実証実験の公的な専用海域の整備と海洋発電開発支援に乗り出したのは9年前だという。

 そして既に民間企業による4年前設置の潮流発電装置が継続的な発電に成功、岸辺の変電所で電圧を整えて送電線に乗せて街の1500世帯に電気を安定的に供給しているという。

 しかも検証の結果、この潮流発電装置の稼働率は風力発電の2倍にも達しているとのこと。

 次の発言も海洋発電の安定性を伝えている。

 ティム・ヨウ英エネルギー・気候変動委員会会長「私たちは2020年までに自然エネルギーを全電力の15%にします。短期的には風力ですが、長期的には海洋発電で賄おうと考えています。

 なぜなら、信頼性が高く、原子力や化石燃料と同じ安定した電源として使えるからです」――

 安定電源の可能性が高いから、最終的には海洋発電を自然エネルギーの主体に持っていくと言っている。

 この展望に基づいた、2020年までに原発2基分の電力を海洋発電で賄う計画の策定ということなのだろう。

 上記「NHK NEWS WEB」記事は日本の実用化に向けた開発の遅れを欧米に比べて公的な支援が弱いことを挙げているが、政治が何よりも海洋発電に目を向けなかったことが原因しているはずだ。私みたいに女性が目を向けない男は相手にされていないことを意味するのと同じ原理である。

 NHK「クローズアップ現代」のゲスト発言も同じ趣旨になると思う。
 
 木下健東京大学生産技術研究所教授「15年前までは、国のプロジェクトがあったんですけれども、それ以降、すっかりやめてしまったということで、そのときから、日本のエネルギー政策というのが一点集中になって、原子力と、あと自然エネルギーでは太陽光ということで、風力のほうもあんまり進まなくなってしまいまして、それが大きい。

 しかし自然エネルギーというのは、基本的に各所各所の一番適したものを、優しく集めていくということですので、そこが非常に大きな失敗点だったと思います。

 (海洋発電に対する国からの支援は)やっとぼちぼち始まったというところでして、まだまだ欧米の各国に比べると、断然小さいですし、中国や韓国に比べても見劣りするものです。

 特に諸外国は数年先まで、中期的な見通しを国として出すと、そういうところが日本にはないものですから、難しいと思います」

 どうもこの発言を読むと、この放送を見て慌てて海洋発電開発支援策強化の方針を纏めたような気がしてくる。

 日本は全体的・長期的な展望がないと言っている。要するに調和の取れたエネルギー戦略がないと。

 もしこの批判が当たっているとしたら、日本の政治はこの程度だということになる。

 原発事故以降、あれだけ自然エネルギーだ、自然エネルギーだと騒いでいながら、日本の自然エネルギーに対する投資はイギリスの半分以下だと書いてある。

 日本の企業として初めて大手重工メーカーがイギリスの実験場で海洋発電装置の試験を行うことになったということだが、国内に於いてはこれまではベンチャー企業などが細々とした自己資金と少ない公的支援のもと、目指した実験海域の漁業関係者との許可を得るための様々な交渉、自治体及び関係省庁の了解等、自ら走り回って実験を整えなければならない不便な開発環境にあった。

 そしてやっとと言うか、政府は専用の実験海域の選定だけではなく、〈開発企業に代わって海の環境に与える影響の評価方法や漁業組合との漁業権等に関する権利関係の処理といった制度面の整備〉を開始することになった。

 「NHK NEWS WEB」記事結び。

 〈日本は海岸線が世界で6番目に長く、国の研究機関などの試算では、将来的には原発10基分の発電が可能とされていますが、発電効率を上げて実用化するには、さまざまな波や潮で実験をすることが不可欠で、海外でも国による海洋発電の実験場の設置が相次いでいます。〉

 いわば政府はやっとのこと海洋発電にまともに目を向けることになった。

 相変わらず後手後手だなあという印象を持ったところへ、野田首相が総合海洋政策本部の会合を開催した上で関係閣僚に対して海洋発電開発支援の加速を指示したという記事に出会った。

 《首相 海洋発電開発加速を指示》NHK NEWS WEB/2012年5月25日 11時20分)

 最初の「NHK NEWS WEB」記事が「2012年5月25日 4時20分」の発信。上の記事は同じ日でも、「2012年5月25日 11時20分」の発信。翌日の5月26日に目に触れることになったはずだ。

 要するにこの会合で企業等の自由な実証実験可能な専用海域の設置や環境影響評価方法や漁業組合に対する権利関係処理といった制度面の整備を政府が負担、海洋発電利用促進に取りかかることを決めたと記事が書いている。

 この決定を受けて野田首相が関係閣僚に対して海洋発電開発支援の加速を指示したのだと。

 野田首相「方針は新たなエネルギー社会を築く礎となるもので、これを機に各府省の連携を密にして、取り組みを一層強化していくことが重要だ」

 海洋発電開発加速化の指示を出したというと立派なことのように見えるが、遅過ぎる海洋発電開発支援の取り組みに対する開発支援加速化の指示にゴマカシはないだろうか。

 「取り組みを一層強化していくことが重要だ」と言っているが、この「一層強化」は従来も強力な取り組みを行なっていて、それを前提としたさらなる取り組みでなければ、「一層強化」とは決して言うことはできないはずだ。

 ここに矛盾を感じて、不正直さの臭いを否応もなしに嗅ぎ取ってしまった。

 尤も遅過ぎたから、言葉の綾で「一層強化」の指示を出したとも言えるが、なぜ取り組みが遅くなったのかを先ず問題にしなければ、いわば政策決定の過程を明らかにしなければ、それが政府の政策選択の過ち、あるいは政府の怠慢・不作為であった場合、無条件で免罪符を与えるばかりか、政治自身も自らの過ちを曖昧化することになる。

 野田首相は日本の外国と比較した海洋発電開発の遅れを説明してから、開発支援加速化の指示を出すべきだったろう。それが正直な政治の姿というものだと思う。

 遅れを知らない国民がこのニュースに接したなら、野田首相が的確な政策運営を行なっているかのように錯覚し、本人もその気になってしまう。

 まさかそう思わせるために遅れには触れずに加速化の指示だけ出したというわけではあるまい。もしそうなら、陰険極まりないうことになる。

 2010年6月、菅内閣は「エネルギー基本計画」を閣議決定している。日本を資源小国と位置づけて、ネルギーに関する「目指すべき姿」として、〈原子力は供給安定性と経済性に優れた準国産エネルギーであり、また、発電過程においてCO2を排出しない低炭素電源である。

 このため、供給安定性、環境適合性、経済効率性の3E を同時に満たす中長期的な基幹エネルギーとして、安全の確保を大前提に、国民の理解・信頼を得つつ、需要動向を踏まえた新増設の推進・設備利用率の向上などにより、原子力発電を積極的に推進する。〉――

 このように謳い、〈2020年までに、9基の原子力発電所の新増設を行うとともに、設備利用率約85%を目指す(現状:54 基稼働、設備利用率:(2008 年度)約60%、(1998年度)約84%)。さらに、2030 年までに、少なくとも14 基以上の原子力発電所の新増設を行うとともに、設備利用率約90%を目指していく。これらの実現により、水力等に加え、原子力を含むゼロ・エミッション電源比率を、2020 年までに50%以上、2030 年までに約70%とすることを目指す。〉と、長期的な具体的目標まで掲げている。

 対して再生可能エネルギーに関しては、〈太陽光発電・洋上風力発電・バイオガス・海洋エネルギー・蓄電池に関する技術等の技術開発・実証事業を推進する。その際、産学官で適切に役割分担し、新たな技術シーズの発掘、コスト削減や性能向上等のための研究開発及び、実証事業を効果的に推進するとともに、それらに資する人材の育成を図る。〉の記述が主としてあるのみで、具体的な目標設定にまではいっていない。

 「今後の課題」として海洋エネルギーを取り上げている箇所もある。

 〈海洋エネルギー利用技術(海洋温度差発電・波力発電等)といった新たな可能性を有する技術の研究開発や、宇宙太陽光等、将来のエネルギー供給源の選択肢となる可能性を有するより長期的な研究開発課題については、技術開発の状況やエネルギー政策上の位置づけ等を総合的に考慮しつつ、必要な取組や検討を進める。〉――

 今後の課題としているというだけで、具体化からは程遠い。

 原子力発電を基幹的エネルギーと策していたことが前者に対する後者の違いの現れであるのは明らかであるが、2011年3月11日の福島第1原発事故を受けた再生可能エネルギー志向は、今さら言うことではないが、付け焼刃に過ぎなかった。

 要するに原子力にばかり向けていた目を慌てて再生可能エネルギーに向けることになった。

 このことを裏返すと、菅自身が原子力安全神話に骨の髄にまで侵されていたことになる。

 菅直人は原子力発電推進を策していながら、原発事故以降、再生可能エネルギーを掲げるに及んで、「私は元々自然エネルギー推進の市民派だった」といったことを言っていたが、少なくとも原発事故まで自然エネルギーにまともには目を向けていなかった。

 野田首相は菅内閣が2010年6月に「エネルギー基本計画」を閣議決定した当時、財務相として原子力発電推進決定に財源の面から深く関わっていた。

 いわば野田首相は菅仮免と共に原子力発電推進の重点化にばかり目を向け、再生可能エネルギー推進には殆ど目を向けていなかった。

 NHK「クローズアップ現代」で木下東大教授が指摘しているように、このような原子力発電偏重も原因した日本に於ける海洋エネルギー開発の遅れでもあるはずである。

 そしてこの遅れとは同時に世界で6番目に長い、将来的には原発10基分の発電が可能とされる日本の海岸線という自然資源を政治が放置してきた重大性をも意味する。

 であるなら、この説明なくして野田首相の加速化の指示だけの姿を見せるのはいいところだけを国民に見せる一種のゴマカシに当たるはずで、国民の評価を晦(くら)ます行為ともなるはずである。

 過ちがあったとき、その過ちを認めて謝罪することから入ったとき、その過ちを取り返そうとする責任意識がより強く働く。

 謝っても、責任意識が全然働かない政治家というのもいるが。

 いいところだけを見せようとする政治は責任に対して地に足のついた確実な政治は望みようがない

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「言葉の人」野田首相の社会保障と税の一体改革「アジア・モデル」志向と政局との大言壮語的矛盾

2012-05-25 12:33:01 | Weblog

 野田首相が昨日5月24日午後開催の国際交流会議「アジアの未来」の晩餐会で、野田内閣の社会保障と税の一体改革を持続可能な高齢社会の「アジア・モデル」としたいとスピーチしたと今朝読んだ各記事が伝えていた。

 この記事を読んで受けた第一印象は“矛盾”の二文字であった。なぜなら既に「アジア・モデル」とする絶対条件を失いつつあるからだ。

 スピーチ全文を首相官邸HPから捜し出して、まずは掲載。主要と思われる文字には文飾を施した。 

 《第18回国際交流会議「アジアの未来」野田総理スピーチ》首相官邸HP/2012年〈平成24年〉5月24日)

 リー・クアンユー・シンガポール元首相、
 マハティール・マレーシア元首相、
 並びに、ご列席の皆様、

 日本の内閣総理大臣、野田佳彦です。明日の日経の一面は、政局でなく、この話になるように頑張りたいと思います。

 本日は、「アジア・太平洋の世紀」の確かな礎を築いてこられた偉大なる大先輩、そして各国の政治・経済の中枢を担っていらっしゃる、まさに「当事者」の方々を前にして、アジアの未来と日本の役割についてお話しをさせていただく機会を頂戴し、大変に光栄です。

 まず初めに、昨年の東日本大震災に際して、我が国に寄せられた温かい支援と励ましに対し、改めて御礼を申し上げます。

 震災から一年余りを経て、被災地の復旧・復興は道半ばではありますが、明るい兆しも見えてまいりました。

 その一つの表れは、被災地の「海」にあります。津波で破壊された東北沿岸部の港湾での貨物の取扱量は、既に震災前の水準に戻りました。また、地域の基幹産業である漁業についても、宮城県の漁港の水揚げは、金額ベースで震災前の8割程度にまで回復をしております。

 日本経済全体も、震災直後こそ製造業のサプライチェーンに支障が生じて大きな影響を受けましたが、復興需要にも支えられて力強い回復を遂げており、先に発表された直近の四半期のGDPは、年率4.1%の高い伸びを示すまでになっております。

 震災直後に導入された日本産品への規制や日本への渡航制限についても、多くの国で措置の緩和や撤廃が進みました。未だ規制が残る国におかれましても、最新の状況を踏まえた見直しや緩和が進んでいくことを強く期待をしています。

(1.世界史の中の「アジア太平洋の世紀」)

 さて、「アジアの未来」に思いを馳せるにあたって、まず、アジアに住む私たちは、長い文明の歴史の上で、類まれなる幸運のもとに生まれているということを確認したいと思います。

 人類の文明は、その発祥以来、「西回り」でその重心を移してきました。

 黄河、インダス、メソポタミア、エジプトに発祥した文明は、ギリシャやローマを経てヨーロッパで大きく花開き、大英帝国の時代の後に、アメリカ中心の20世紀を迎えました。

 そのアメリカも、西側の太平洋へと軸足を向け、「アジア・太平洋の世紀」が、今、本格的に幕を開けようとしております。

(2.中間層の拡大が牽引する豊かさ

 「アジア・太平洋の世紀」の最大の特徴は、かつてない規模での「豊かさの増大」にあります。

 最新の予測によれば、5年後には、アジア新興諸国のGDPは20兆ドルに達し、米国やEUと並ぶ巨大経済圏になると見込まれております。21世紀初頭は、わずか2.5兆ドル程度であったことを考えると、その成長力は驚異的であります。

 豊かさは、「中間層」の爆発的な拡大を生んでいきます。今後10年の間に10億人を超える新たな中間層が生まれ、その旺盛な購買力が生み出す好循環は、これからの世界経済を動かす巨大なエンジンとなることは間違いございません。

(3.「アジアの未来」の鏡としての日本)

 しかし、こうした「豊かさが一人一人に広がっていくアジア」というバラ色の未来図は、待っていれば自動的に実現できるほど単純なものではありません。

 「繁栄」を現実のものとするためには、行く手に潜んでいる様々なリスクに対する備えが欠かせません。それでは、私たちは、いかなるリスクを念頭に置き、どのような備えを用意しておくべきなのでしょうか。

 その手がかりは、東日本大震災から一年余りを経た日本が抱える数々の課題の中にあります。

 大震災からの復興。原発事故後のエネルギー政策の再構築。疲弊する中間層の建て直し。そして、世界最高速で進む少子高齢化への対処。私は、こうした難題に立ち向かい、一つ一つ解決策を見出していくという使命を負っております。

 こうした問題は、精緻に眺めれば、10年先、20年先を見渡した際に、いずれの国も向き合わなければならない「アジア共通の課題」を含んでいることに、既に多くの方がお気づきではないかと思います。

 自然の脅威は、日本においてすら、決して侮れるものではなく、多くの人たちから住み慣れた「ふるさと」の平穏な暮らしを奪いました。災害多発地帯であるアジアにおいては、東日本大震災の教訓に学び、災害に強いまちづくりを目指していかなければなりません。

 世界最大の化石燃料消費地域であるアジアは、資源多消費の従来型成長を続ける限り、早晩、資源・エネルギー面での制約が成長の限界となる事態に直面します。「低炭素成長」の具体化を急がなければなりません。

 そして、リー・クアンユー元首相がかねてより警鐘を鳴らされているとおり、社会の高齢化の波は、2020年以降、確実にアジアを覆っていきます。高齢化がもたらす社会の歪みに、早くから万全な備えをしておかなければなりません。

 こうしたリスクを封じ込め、アジアは、強靭な活力ある社会を維持していけるのでしょうか。日本は、アジア全体の先行きを占う壮大な「鏡」であり、アジアのどの国よりも早く、この挑戦に立ち向かわなければなりません。

(4.アジア全体に資する日本の挑戦)

その典型となる挑戦が、「社会保障と税の一体改革」であります。

 戦後の日本は、国民皆保険、国民皆年金といった確かな社会保障制度に支えられた「分厚い中間層」の存在により、世界に類のない高度成長を達成しました。しかし、あまりにも急速に少子高齢化が進み、制度を持続可能とするため、大きな手術が「待ったなし」になっております。

 少子高齢化社会到来は、ずいぶん前に予見されていましたが、問題は半ば先送りされてまいりました。

 私は、この改革を成し遂げることによって、課題を先送りしない「決断する政治」の先鞭をつけたいと考えています。私は、「決断する政治」の象徴的な課題だと考えるからこそ、この一体改革を最優先課題の一つとして掲げ、その実現に向けて全力を傾けているところでございます。

 この長年の「宿題」を日本が自ら解決し、確かな処方箋を示していかなければ、2020年以降、日本を追いかけるように高齢化していく他のアジア諸国に対して、同じ課題を残したままになってしまいます。

 この改革を必ずや実現して、持続可能な高齢社会の「アジア・モデル」を示していきたいと考えています。

(5.地域の「繁栄」の基盤づくりのために)

 豊かなアジアの未来を呼び込むためには、各国それぞれの取組とともに、「繁栄の共通基盤づくり」に皆で汗をかかなければなりません。

 「財政健全化」と「経済成長」の両立は、繁栄の大前提となる課題です。特に、人口構成が高齢化していけば、経済成長を促すための環境整備は、各国共通の課題として、今まで以上に意識されていくでありましょう。

 高いレベルでの経済連携を目指した「アジア太平洋自由貿易圏」は、域内の経済成長を促す基盤として、より重要性を増すはずであります。

 その実現に向け、TPP交渉参加に向けた関係国との協議を引き続き進めるとともに、先般の日中韓サミットで年内の交渉開始につき一致した日中韓FTAやASEANを中心とした東アジア地域の包括的な経済連携を並行的に追求をいたします。

 これらの取組が相互に刺激し合い、すべてが活発化するというダイナミズムが働いていくことを期待しているところであります。

 このように、我が国としては、様々な場を活用して、域内の貿易・投資のルールづくりを主導し、議論を牽引したいと考えております。

 また、各国の先駆的な知見を集め、低炭素成長を加速させることも重要です。

 先月、東京で開催した「東アジア低炭素成長パートナーシップ対話」は、そのための先駆的な取組の一つです。「省エネ先進国・日本」として、この分野で引き続き主導的な役割を果たしてまいります。

(6.繁栄に欠かせない「安定」をもたらすために)

 そして、「繁栄」を追求するためにも、地域全体の「安定」が欠かせません。そのために重要なのは、共通のルールに基づき、摩擦に対処していくという姿勢であります。

 域内のルールメークの基盤となるのが、開放的な地域協力です。ASEANとの間で進めている域内の連結性強化の取組はその一例であり、これを、改革が進んでいるミャンマーを経て、成長著しい南アジア地域まで繋げることによって、更なる地域の発展が期待できます。

 また、欧州発の金融危機がアジアに波及することを未然に防ぐため、チェンマイ・イニシアティブを強化する具体策に合意したのも、地域の安定に寄与する重要な取組であります。

 我が国は、今後とも、東アジア首脳会議やAPECなど様々な場を使って、域内の秩序・ルールづくりに重層的に取り組み、アジア・太平洋の安全保障を高め、地域の安定に積極的な役割を果たしてまいります。

(7.おわりに)

 私は明日沖縄に赴き、第6回太平洋・島サミットを主催をいたします。太平洋島嶼(とうしょ)地域の平和と繁栄に向けた有意義な議論を行う考えです。

 「繁栄」と「安定」に裏打ちされた、確かな「アジア太平洋の世紀」を切り拓いていくために、各国がそれぞれの責任を果たしながら、共に成し遂げていくべき課題は、数多くあります。

 この「アジアの未来」に代表される知的交流の場は、そうした課題を再確認し、地域の協力を進展させるきっかけとなりうるものです。関係者のご尽力に敬意を表しつつ、今後の益々の発展をお祈りして、私のスピーチを締めくくらせていただきます。

 ありがとうございました。

 アジアをリードしていくんだという強い決意に満ちた気概溢れる、人を感動させずにはいられない力強い美しい言葉の羅列を物の見事に実現させている。

 このような力強い言葉を実現させることができたという点に於いては強烈な(まではいかないかな?)リーダーシップを感じ取ることができる。

 例えば、「『アジア・太平洋の世紀』の最大の特徴は、かつてない規模での『豊かさの増大』にあります。

 最新の予測によれば、5年後には、アジア新興諸国のGDPは20兆ドルに達し、米国やEUと並ぶ巨大経済圏になると見込まれております。21世紀初頭は、わずか2.5兆ドル程度であったことを考えると、その成長力は驚異的であります。

 豊かさは、『中間層』の爆発的な拡大を生んでいきます。今後10年の間に10億人を超える新たな中間層が生まれ、その旺盛な購買力が生み出す好循環は、これからの世界経済を動かす巨大なエンジンとなることは間違いございません」の件(くだり)は実現がすぐの目の前に控えている確約されたものの如くに聞く者をして確信させる。

 アジア・太平洋地域が「かつてない規模での『豊かさの増大』にあります」ということは現在進行形の渦中にある「増大」を言うはずで、その「豊かさの増大」化は「『中間層』の爆発的な拡大を生んでいき」、「5年後には、アジア新興諸国のGDPは20兆ドルに達し、米国やEUと並ぶ巨大経済圏になる」と予測しているのである。

 これ程の壮大な確約はないはずである。

 だが、この確かな約束、あるいはよく当たる占い師並みの予言はアジア・太平洋地域に於いても存在する貧富の格差拡大現象、あるいは貧富の格差二極化現象の抑制と収束を同時に約束、あるいは予言しないことには、その「豊かさの増大」は欠陥ある、見せかけの姿を取ることになる。

 にも関わらず、野田首相はこのスピーチで格差について一言も触れていない。一言も触れずに、「豊かさの増大」一方の「アジアの未来」を力強い胸打つ言葉で描いている。

 このように描くためには否定されるべき汚れた風景である貧富の格差拡大現象、あるいは貧富の格差二極化現象は触れるわけにはいかなかったのだろうか。

 第18回国際交流会議に臨席したマハティール元首相のマレーシアは、「Wikipedia」に、〈民族間に限らず、国民全体に貧富の差が広がりつつあり、経済格差の規模は東南アジア最大である。〉という記述があるし、同じく臨席したリー・クアンユー元首相のシンガポールに関しては、《「シンガポールは格差社会だ」》堀江貴文ブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」/2009-09-29 12:03:31)には格差に関する次のような記述がある。

 〈日本に比べれば超格差社会である。しかし格差の下層部に居る人たちが豊かな暮らしを出来ていないわけではない。生活する上で大事な食。シンガポールには沢山のホーカーズと呼ばれる屋台コンプレックスが存在し、格安で食事を楽しめる仕組みになっている。もちろん都心部には東京並みの高級レストランも存在し、ブランドショップが林立している。たったあれだけの面積に格差社会が詰め込まれている。〉・・・・・

 シンガポールは日本よりも超格差社会だが、インスタントラーメンなどで飢えを凌いでいる、社会の底辺に位置した低所得層たる日本のフリーターたちよりもマシな貧乏生活を送っているという比較対照に過ぎない。

 経済の拡大が格差の拡大を生んでいるのである。と言うことは経済の拡大は富が上層のみに偏って流れることを示し、ある意味、高所得層による低所得層からの富の剥奪が彼らの富の独占を成り立たせる経済構造となっていると言うこともできる。

 経済の拡大が格差拡大を生んでいる現実世界の困難に向ける視点を欠いた野田首相が言っている「アジアの未来」であるなら、「豊かさは、『中間層』の爆発的な拡大を生んでいきます。今後10年の間に10億人を超える新たな中間層が生まれ、その旺盛な購買力が生み出す好循環は、これからの世界経済を動かす巨大なエンジンとなることは間違いございません」とする理想世界実現の実効性は怪しくなり、話半分のアジアをリードしていくんだという強い決意に満ちた気概、聞く者をして人を感動させずにはいられない力強い美しい言葉の羅列と見ないわけにはいかない。

 次の野田内閣の「社会保障と税の一体改革」を「必ずや実現して、持続可能な高齢社会の「アジア・モデル」を示していきたい」の意気込み、強烈なリーダー意識を持たせたその実現性にしても、最初に野田内閣の社会保障と税の一体改革は既に「アジア・モデル」とする絶対条件を失いつつあると書いたように話半分、あるはいそれ以下、あるいはまるきりのマヤカシと見た方がいい。

 この「アジア・モデル」とする基本形は野田内閣が閣議決定した「社会保障と税の一体改革大綱」念頭に置いたものでなければならないはずだ。なぜなら、それを最善だとして整備した内容であるはずだからだ。

 決して最善ではないものをつくりましたとは言えない。

 また、最善であるからこそ、「アジア・モデル」とすべく意志志向が可能となる。

 国会に上程し、採決を得て実体的制度として社会に定着させて、「持続可能な高齢社会」の確立と同時に持続可能な財政健全化を目指そうと努力してきた。

 いわば野田内閣の「社会保障と税の一体改革」を「必ずや実現して、持続可能な高齢社会の『アジア・モデル』」とするには閣議決定の「社会保障と税の一体改革大綱」の実現を前提としているということであり、前提としていなければならないことになる。

 なんてたって最善の「社会保障と税の一体改革」案なのだから。

 だがである。最初の「不退転の決意」もどこへやら、野田内閣が最善だとして掲げてきた低所得層対策としての「最低保障年金」と、同じく低所得層向けの消費税逆進対策としての「給付付き税額控除」が野党の猛反対に遭って同意を得ることができず、ただでさえ与野党逆転状況の参院通過が危ぶまれているところに持ってきて、残り1カ月を切った審議日程との関係からも野党の両案撤回の要求に対して柔軟な姿勢に転じたことは妥協を前提とした野田内閣閣議決定の「社会保障・税一体改革大綱」の変質を同時に意味することになる。

 簡単に言うと、「持続可能な高齢社会の『アジア・モデル』」とするとした「社会保障と税の一体改革大綱」とは別の内容となるということである。

 5月22日の衆院社会保障・税特別委員会。

 安住財務大臣「(低所得層の逆進性対策として)軽減税率を導入し、適用範囲を広げると兆円単位で税収に影響する。諸外国をみると、標準税率が15%前後の国では導入しているところもあり、現金を給付するなどの『給付付き税額控除』と『軽減税率』のどちらがよいのか議論してほしい」(NHK NEWS WEB

 「給付付き税額控除」が最善の逆進性対策だとしていたのが、「どちらがよいのか議論してほしい」と後退を示すことになった。

 5月23日の衆院社会保障・税特別委員会。

 野田首相「最低保障年金というゴールを見て、今、改善しなければならないという意見と、現行の制度は大丈夫なので改善しながらよりよいものを作ろうという姿勢は、一致点は見いだせる」(NHK NEWS WEB

 野党は「最低保障年金」の撤回を求めているのである。参院の議席数がそのまま反映することになる現在の力関係から言って、野田首相が「見いだせる」としている「一致点」は限りなく撤回に近い形の場所となるだろう。

 例えそこまでいかなくても、野田内閣閣議決定の「社会保障・税の一体改革大綱」とは厳密には違ったものとなる。

 当然、最善としてきたこととは内容の変質が避け難くなった状況下で「社会保障と税の一体改革」を「実現して、持続可能な高齢社会の『アジア・モデル』」とするということは矛盾しているということだけではなく、矛盾であることにとどまらず、詐欺でもあり、変節にも当たるはずだ。

 野田首相の国際交流会議「アジアの未来」のスピーチは5月24日午後。5月24日以前から既に制度内容に対する妥協の姿勢を野田首相を筆頭に安住財務相、岡田副総理等が示していたのである。

 だからこそ、政府の国会対応に対して民主党内から反発の声が上がった。《一体改革:民主・前原政調会長 政府答弁に不満示す》毎日jp/2012年05月22日 21時36分)

 5月22日記者会見。

 前原誠司口先番長「(野党の修正要求への)柔軟対応がにじみでていて違和感を感じる。

 我々は(政府案が)ベストだと認識している。最終的な修正協議では柔軟な対応をすべきだが、党の立場を踏まえてもらいたい」

 記事はこの発言を民主党内の反発を懸念してクギを刺したものだとしている。だが、如何ともし難い数の力を前にした政府の四苦八苦を救う方策が政策によっては丸呑み、あるいは大きな譲歩以外にない以上、前原発言は尤もらしげに取り繕いの体裁を述べたに過ぎない。

 野田首相はこれまで消費税増税はマニフェスト違反ではないと強硬に主張してきたが、5月24日の衆院消費増税関連特別委員会で到頭降参する妥協を見せた。《増税提起は「公約違反」 首相、初めて認める 衆院委》asahi.com/2012年5月25日0時14分)

 野田首相「2009年(の衆院選で)マニフェストに明記せず、口頭では任期中に上げないと国民に訴えた。選挙時に明確に方向性を打ち出していなかったことはおわびする」

 だが、この発言にもゴマカシがある。「マニフェストに明記」しなかったこと、「口頭では任期中に上げないと国民に訴えた」こと、「選挙時に明確に方向性を打ち出していなかったこと」は間違いだったとして、そのことに謝罪しているが、これらのことに違反して打ち出した野田首相の消費税増税であるはずだが、そのことは間違いだとはしていない発言となっている。

 間違いだとしていなからこそ、消費税増税そのものを撤回するとは発言しなかったのだろう。

 口達者だからできる、なかなかの誤魔化し屋である。

 だとしても、何よりのゴマカシ・矛盾は変質目前の運命にある「社会保障と税の一体改革」の実現を以てして、「持続可能な高齢社会の『アジア・モデル』」としていることである。

 これを以て大言壮語と言わずに他に言いようはないはずである。

 もし変質目前の運命にないというなら、野党に対してどのような妥協も示すべきではない。玉砕を覚悟で遣り抜くべきだろう。

 但し、玉砕した場合であっても、「持続可能な高齢社会の『アジア・モデル』」とはならないことに変わりはない。

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橋下徹大阪市長入れ墨調査発端職員の人事評価と社会的行動性の食い違いを勘繰る

2012-05-24 10:44:16 | Weblog

 橋下徹大阪市長の入墨者(にゅうぼくしゃ)を社会的異端(公務員的異端かな?)と看做す一種の魔女狩りの発端となった大阪市役所職員が児童福祉施設で腕の入れ墨を子供たちに見せたり、入所児童に暴言と恫喝を繰返したりしているとの告発が昨年4月以降、市側に複数寄せられていた一方、市の人事評価ではA評価の優秀さだったと伝えている記事がある。

 《【激動!橋下維新】児童に暴言・恫喝の入れ墨職員、賞与連続最上位のA評価》MSN産経/2012.5.23 14:25)

 入れ墨者(「いれずみもの」あるいは「いれずみもん」)と言うと、江戸時代の主として窃盗犯に施さる入れ墨の刑に処せられた前科者に対する蔑称となってしまう。

 市民の告発に対する市の調査中の昨年6月、同僚女性に交際を強要した事実が発覚、9月に停職2カ月の懲戒処分、今年4月に他部署に異動。

 記事は、〈市側は入所児童への問題行動も認定したが、事実を公表しないまま「セクハラ案件と合わせて重い処分を行った」としていた。〉と書いている。

 公務員としてだけでなく、社会人としても人間的な適格性を欠いていたことが分かる。

 にも関わらず、〈市側は停職処分後の毎年11月に行う人事評価で、職員について「業務への取り組み自体は熱心」などとして高評価の点数を与え、職員は12月のボーナス査定でA評価を獲得。ただ直近に停職処分を受けていたため、手当基礎額から6割を減額され〉、来月のボーナスに関しても、〈この半年間に他の処分案件などがない限り、A評価の額がそのまま支給される〉とのこと。

 記事後半は大阪市役所のボーナス支給の人事評価制度に触れている。

 係長級以下はA~Dの4段階
 課長代理級以上は5段階

●昨冬のボーナスで、市長部局職員2万2751人のうち下位2ランクに入ったのは計12人(0・05%)

 記事締め括り。〈現在、人事評価を相対評価にする職員基本条例案が市議会で審議されているが、成立しても評価については今年度は試行期間となる。〉・・・・・

 この入れ墨職員は公務員としてだけでなく、社会人としても人間的な適格性を欠いていたにも関わらず、公務員としての勤務態度は最上位A評価を受けていた。

 5月17日当ブログ記事――《橋下徹大阪市長の入れ墨で人間を判断・評価することの正当性を再度問う - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で、〈倫理意識・責任意識は公務員としての職務上の行動として現れる。この行動は職場から離れた一般社会に於いても社会人としての行動としても現れるだろう。

 いわば公務員としての倫理意識・責任意識は社会人としての倫理意識・責任意識と相互反映しているはずだ。

 それが公務員としての、当然、相互反映の関係性からして社会人としてのということにもなるが、倫理意識・責任意識に反する行動を取る人間であるなら、入れ墨を彫った精神性と深く関係し、そのような精神性が倫理意識・責任意識に反する行動を取らせていると見ることはできる。

 だが、入れ墨を彫った全ての人間が公務員としての、さらに社会人としての倫理意識・責任意識に反する行動を取るとは断言できないはずだ。〉と書いたが、この職員の場合、公務員としての倫理意識・責任意識と社会人としての倫理意識・責任意識は相互反映していない、二律相反の姿を取っていたことになる。

 まるきり正反対の矛盾状態にあった。あるいは二重人格状態にあったとも言えるかもしれない。要するに裏表(うらおもて)があった。

 要するに上司や格上の同僚の目が届く範囲では優秀な公務員を演じ、目の届かない場所では子どもや女性といった社会的弱者に対して社会人として反社会的行動を演じていた。

 ここで一言断って置かなければならない。女性の中には社会的弱者ではない、男性よりも遥かに社会的強者の女性が数多く存在するから、社会的弱者で一括りすることは女性差別だと抗議を受けかねないが、あくまでも一般論である。

 私などは対女性に関して常に社会的弱者であることを断っておかなければならない。
 
 もし入れ墨を彫っていること自体がその人間の悪しき人間性を現しているとしたら、入れ墨を彫っているということだでけ、その人間の全般的な倫理意識・責任意識を判断した方が手っ取り早いのではないのかいうことになりかねない。

 いわば入れ墨=否定的人間性と看做すべきだということになる。

 だが、児童福祉施設で腕の入れ墨を子供たちに見せたり、入所児童に暴言と恫喝を繰返したりしているとの告発が昨年4月以降、市側に複数寄せられていたばかりか、市民の告発に対する市の調査中の昨年6月に同僚女性に交際強要の事実が発覚していながら、停職処分後の毎年11月に行う人事評価で最上位のA評価をつけることになったのはなぜなのだろう。

 市側が市民の告発事実や女性に対する交際強要事実を知らなかったというわけではあるまい。

 もし上司に対してはいい顔を見せ、裏に回っては邪悪な顔を見せる面従腹背が可能としていた社会人としての欠格性に反した公務員としての人事評価だとしたなら、社会人としての欠格性が露見した時点で面従腹背の正体がバレてしまい、人事評価に於ける最上位のA評価を受ける根拠を失うことになるから、面従腹背からの人事評価ではなかったことが分かる。

 社会人としての欠格性が露見したとしても、公務員としての評価を維持できる方法がある。

 それは本人がコワモテの人間であるか、誰かコワモテの人間をバックにしていて、前者なら直接的に、後者なら間接的に怖い存在となっていることから面倒な人間として扱われ、面倒を起こされたくないばっかりに周囲が当たり障りなく扱ったり、長い物に巻かれろの態度を取ることから、それが人事評価にも反映されて高評価を与えることになった場合、社会人としての欠格性が露見したとしても、そのことに反して公務員としての評価は維持できることになる。

 こういった怖い存在・うるさい存在に対して周囲が長い物に巻かれろの態度や事勿れな態度を誘発する風土は世界中どこにもあるだろうが、特に日本人は上が下を従わせ、下が上に従う上下の力関係を人間関係の構造としている権威主義性を行動様式・思考様式としていることから、よくある風景となっている事勿れ主義の行動ではないだろうか。

 大阪市役所だけではなく、市の職員が暴力団やエセのあからさまな威し、あるいは暗黙的な威しに屈して生活保護やその他の便宜を図ってしまうことはよくあることである。

 勿論、この職員がこの例に当てはまるかどうかは実際のところは分からない。状況証拠でしかないが、社会人としての欠格性が露見したにも関わらず、露見に反する市側の人事評価を解くとしたら、そこに何らかの情実を勘繰らないわけにはいかない。

 市経営のごみ収集の職員は一般よりも給与が高いために求職希望者が多く、その履歴書が山のように溜まっていると聞くが、一方で市会議員の口を通すと、簡単に採用されるという話も聞く。

 市会議員も市職員にとっては上に位置するうるさい存在であって、機嫌をそこねた場合、時には怖い存在となり、市職員をして長い物に巻かれろの態度や事勿れな態度を取らざるを得なくしていることから、ついつい便宜を図ることになるのだろう。

 もし件の職員が自らが直接的にか間接的にか持つコワモテの威迫性を利用して高い人事評価を得ているとしたら、入れ墨云々の問題ではなく、あくまでも市上層部の人事管理の問題、マネジメントの問題となる。

 入れ墨=否定的人間性とはならないということである。

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野田首相の内山晃新党きづな代表との質疑から見た東日本大震災を偶然に与えられた僥倖とする景気政策

2012-05-23 12:49:19 | Weblog

 誰もが知っていて、余計なお世話かもしれないが、先ず「僥倖」の意味。

 【僥倖】「〈ぎょうこう〉思いがけない幸運」)(『大辞林』三省堂)

 昨日5月22日の衆院「社会保障・税の一体改革特別委員会」での新党きづな代表の内山晃議員の質問。

 内山晃代表「1千万円以上の負債を抱えて倒産する企業が1月~3月までの累計で1日35社以上。自殺者が相変わらず3万人を超えている。生活保護者が209万人とこの間数字が出ていた。今でも消費税が(製品価格に)転化できずに身を削って飲食店や商店が払っている。

 このままにして今の時点で消費税増税すれば、さらに失業者が増え、中小零細企業が倒産していく。国民生活に多大な影響を与えると懸念され、消費税増税実施後の国民生活はどのようになるのか、どう推測されているのかお尋ねをしたい」

 岡田社会保障と税の一体改革担当相「(要旨)社会保障と税の一体改革をやらなければ、これらの問題の先送りになる」

 内山晃代表「学識経験者やシンクタンクの予測が出ているが、2015年と2011年を比較して家計収支にどのような影響が生じるかの分析結果。実質可処分所得は4.8%以上減少するとの試算結果が出ている。

 消費税増税5%の引き上げに家計が耐えられるのかということが出ている。デフレを脱却して、2%程度のインフレ率となり、4%程度の名目成長率になったとき、消費税増税可能な状況となるのではないのか。

 家計の消費税負担は年収300万で11万円。年収500万円で17万円。年収1千万円で29万円の年間の負担増になるとの試算も出ている。

 家計消費需用を13兆9180億円減少させる。国内生産額は21兆2643億円減少。雇用が114万9千人減少。税収は10兆円余り税収が伸びるけれども、国・地方併せて2兆1660億円減少する。こういう数値も出ている。

 こういった数字が消費税増税行ったときにどう総理は責任を取るのか」

 野田首相「先ほどの江田さん(みんなの党幹事長)のご意見と近いと思います。ギリシアの話をされていました。食い扶持を与えないで増税したからダメになった――。

 そのとおりだと思うんです。だから、国際社会での共通課題は成長と財政再建の両立なんです。成長やらないで、緊縮だけやろうなんてことはまたく思っていませんし、これまでもやって参りました。これは政権交代した直後、四半期でプラス成長になったということ、この間も申し上げました。

 今も足許は、これは油断なりませんよ、だけど、復興需要を取り込んでいく、今足取りになってきていると。こういうものを加速して、きちっと成長は促進していくということを前提としています。

 その上で消費税を上げたときのマイナスの影響だけをお話されるています。それは私は公平な議論ではないと思います。上げることによって負担に注目をして、そういう見方をする識者もいます。でも、逆に何もやらないことのリスクを語る識者もいます。
 
 で、この場合むしろ、国際社会では共通している認識じゃないでしょうか。成長と財政再建やるんだと。財政再建はやらないんだというメッセージが出たら、その時に金利が1%上がったときのリスクはこれは政府のリスクだけじゃないです。利払いだけではなくて、企業の資金調達等々含めて、企業にもろに影響します。経済に影響します。そういうことはバランスを良く考えていただきたいと思います」

 最後腹立たしげに言う。

 内山晃代表「どちらにブレるかですね。出たとこ勝負ではダメなんです。きちっと、そういう悪い結果が出るという、私が言っていることはあり得ないとでもおっしゃるんですか。

 野田さんはこういうことを言ったじゃないですか。『景気の回復局面にあったとき、言ってみれば、風邪が治りかけたときに冷たい水を浴びせて肺炎になってしまって、その後の日本経済、偉い目に遭ったという教訓がある』

 これ、野田さんの言葉ですよね。2004年10月財務金融委員会。野田発言です。

 これ、自公政権の定率減税を廃止して、97年消費税増税など9兆円負担についての教訓発言じゃないですか。今まさにあなたはこれをやろうとしてるんじゃないですか」

 野田首相「午前中の質問で聞いていただいたなら、それに答えたんですが、風邪を引いたときにはやらないということです。それが教訓です。だから経済をよくするために全力を尽くすということです」

 内山晃代表「じゃあ、2014年には風邪を引いているんですか」

 野田首相「風邪を引かないように経済の好転を図っていく。全力を尽くしていく。だから、名目成長率3パー、実質2パー、こういう政策も目標掲げているわけです」

 内山晃代表「そういう状況の数値になっていなければ、消費税増税行わないってことですか」

 岡田社会保障と税の一体改革担当相「これは総合判断なんですね。条件にはしておりません。しかし、全体の状況を見て、まさしく、それはその時のリーダーのほんとうに重要な政治判断、総合的に判断をして、最終的に決めることになります」

 持ち時間は15分で、質問の最初に同じ議員数の共産党は持ち時間が1時間、公平に扱って欲しいと委員長に申し出ていたが、残り時間が数分になったために年金問題で質問相手を小宮山厚労相に変更。

 野田首相は、「消費税を上げたときのマイナス影響のみを話するのは公平な議論ではない」と言い、消費税増税のマイナス面に注目する識者もいれば、増税しないことのリスクを語る識者もいると発言した。
 
 増税判断・反増税判断はどちらも絶対ではないと言ったのである。いわば前者が正しいかもしれないし、後者が正しいかもしれない。判断の正否は増税時の経済状況にかかっている。そのために「風邪を引かないように経済の好転を図っていく。全力を尽くしていく。だから、名目成長率3パー、実質2パー、こういう政策も目標掲げてているわけです」とした。

 このような状況の中にあって野田首相は後者に賭けた。当然、賭けた判断の実現に危うい状況(=「名目成長率3パー、実質2パー」以下の風邪を引きかねない経済状況)に至った場合、増税判断の撤回が必要となる。撤回が結果責任に当たるはずだ。

 にも関わらず、岡田克也は増税判断の撤回は全体の状況を見ての総合判断だという。この総合判断は野田首相が言う「不退転の決意」にも反する。不退転の決意まで示して増税判断に賭けた以上、賭けが外れ、増税判断の実現が危うくなった場合、潔くその判断を撤回するのが、反増税判断が正しいと出たことに対する責任でもある。

 いわば名目成長率3%、実質成長率2%を達成できない経済状況が出来(しゅったい)した場合、政治的な総合判断ではなく、増税判断撤回を条件としなければ、反増税判断こそが正しかった見做される側に対して「公平な議論」ではなくなる。

 なぜ内山代表は消費税増税を取り下げてもらわなければ公平な議論ではないと言わなかったのだろう。

 尤も野田首相はあれこれ言って逃げるだろうが、一応は言うべきだろう。

 野田首相は「国際社会での共通課題は成長と財政再建の両立」だと言い、「これまでもやって参りました」という表現で両立を図ってきたと発言、その証拠として「政権交代した直後、四半期でプラス成長になった」ことを挙げた。

 だが、生活保護費受給者は内山代表が「生活保護者が209万人とこの間数字が出ていた」と言っていたが、2012年1月時点で209万1902人のことを指し、この数字は昨年2011年7月から年々過去最多の更新記録となっている。

 但し今年2012年1月から3月のGDP=国内総生産の伸び率が年率に換算プラス4.1%と、3期連続のプラスとなり、そのうちGDPの6割を占める個人消費が1.1%の増加、4期連続のプラスだということだが、このことに貢献した主たる要因が政府がカネをつぎ込んだエコカー補助金制度復活と東日本大震災後の自粛ムードの反動にあるという。

 と言っても、生活保護費受給者が下げ止まりもなく年々増えている貧困世帯増と所得格差の二極化、若年層の貧困化、低収入が影響した未婚男女の増加等を見ると、エコカー補助金制度復活と東日本大震災後の自粛ムードの反動を要因としたGDP年率換算プラス4.1%・3期連続のプラスは中所得層以上の国民の貢献であって、低所得層には無縁の景気と言える。

 無縁とは低所得層が共にも参加したGDP年率換算プラス4.1%・3期連続のプラスではないということであり、参加できない低所得層にとっては消費税増税は打撃となり、明日の安心どころか、今日の安心さえ危ういのになおさら危うくなることを意味する。

 多分、世論調査で消費税増税反対50%~60%近くはこれら景気回復のための個人消費に参加できない低所得層がその多くを占めているに違いないと見ると、この種の低所得層が国民の半数近くを占めていると予測することもできる。

 そして野田首相は「成長と財政再建の両立」のために「今も足許は、これは油断なりませんよ、だけど、復興需要を取り込んでいく、今足取りになってきていると。こういうものを加速して、きちっと成長は促進していくということを前提としています」と、消費税増税の前提として“復興需要取り込み”による景気回復を予定している。

 だが、この“復興需要取り込み”による利益獲得の構造は大企業を頂点として、ピラミッド型に底辺に向かって広がっていく形を取り 底辺の不特定多数の低所得層(その多くを貧しい被災者が占めるに違いない)にはさしたる恩恵が行き届かないばかりか、政治自らが政策的に創造した景気回復政策では決してないゆえに東日本大震災を偶然に与えられた思いがけない幸運――僥倖とする景気政策となる。

 大体が災害からの復興を国の景気回復の契機とするのは他人の不幸を自分の幸福とするようなもので、被災地・被災者に対して失礼に当たるはずだ。

 勿論、復興需要が景気を刺激し、GDPを押し上げる機会となるが、あくまでも予定外とし、政治の責任・内閣運営の責任として自らが政策的に創造しなければならない景気回復政策であろう。

 このことはリーマン・ショック以後の景気回復が証明している。中国特需、あるいはアメリカの一時的景気回復の恩恵を受けた外需による他力本願の日本の景気回復であり、日本の政治自身が創造した景気回復政策による自立的景気回復でなかったためにアメリカの景気後退、ヨーロッパの金融危機を受けた中国経済の縮小によって日本の景気も停滞することになった。

 東日本大震災を景気回復の契機とすることまで含めた他力本願一辺倒の日本の経済構造は自立的景気政策を創造し得なければ、いつまで経っても同じことの繰返しを続けることになるに違いない。

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橋下徹大阪市長の安全性追求最優先後退の大飯原発臨時運転に見る論理矛盾

2012-05-22 12:39:13 | Weblog

 大飯原発の再稼働には反対していたと思っていた橋下徹大阪市長が夏を乗り切る1、2カ月の間の臨時運転の可能性を指摘したというWEB記事を読み、反対から臨時運転への経緯に矛盾はないのか、それとも整合性あることなのか、橋本市長の発言を改めて追ってみた。

 先ず橋本市長は4月24日(2012年)午前、松井大阪府知事と共に訪れた総理官邸で大飯原発再稼働の8条件を藤村官房長官に申し入れた。

 その8条件を大阪市のHPから引用してみる。 

 原発再稼働に関する8条件

 【そもそも論】

現在、政府が原発再稼働を検討する以前に、根本的に欠落している論点があるので指摘しておく。

1. 「次のフクシマ」級の原発事故が起きた場合には、日本を滅ぼすという危機感が欠けているのではないか。

2. 政府や国会に設置された事故調査委員会の報告も行われておらず、原発事故原因が究明されていない状況では、再稼働の検討はできないのではないか。

3. 原発事故は当事者の東電だけでなく、原子力安全・保安院と原子力安全委員会には「安全規制の失敗」が免れないのではないか。だとすれば、現在の再稼働の手続きは、いわば「A級戦犯」が進めている構図にならないか。

4. 原発が十分な安全性を持つかどうかは、信頼に足る専門家が客観的・中立に判断すべきであり、政治家がそれを判断するというのは「間違った政治主導」ではないか。

以上の「根本的に欠落している論点」を踏まえた上で、次の「八条件」を満たすことが原発再稼働の前提条件であると考える。

1. 国民が信頼できる規制機関として3条委員会の規制庁を設立すること

2. 新体制のもとで安全基準を根本から作り直すこと

3. 新体制のもとで新たな安全基準に基づいた完全なストレステストを実施すること

4. 事故発生を前提とした防災計画と危機管理体制を構築すること

5. 原発から100キロ程度の広域の住民同意を得て自治体との安全協定を締結すること

6. 使用済み核燃料の最終処理体制を確立し、その実現が見通せること

7. 電力需給について徹底的に検証すること

8. 事故収束と損害賠償など原発事故で生じる倒産リスクを最小化すること

《8項目提案も双方の溝埋まらず》NHK NEWS WEB/2012年4月24日 20時4分)

 会談での発言――

 藤村官房長官「8項目の提案は、将来的には考えるべきことだ。今回の手続きについては進めていきたい」

 今回の安全基準で大飯原発の再稼働を目指したいと言っている。

 橋下市長「科学者や原子力安全委員会のコメントがないなかで、安全性の問題を政治が判断するのはいかがなものか。政権が安全宣言したのは絶対におかしく、福島の事故前の平時の再稼働の手続きで進めるのは納得いかない」

 政府が大飯原発再稼働に向けて適用した安全基準は原子力の専門家の知見が加えられていない、政治家だけの判断で行われた安全宣言で、「福島の事故前の平時の再稼働の」安全性に基づいていて、不完全であり、この条件では再稼働は認めがたいと主張している。

 会談後のそれぞれの記者会見。

 橋下市長「政権が政治家の作った手続きをそのまま進めているだけで、安全かどうか誰も判断していない。これは国家運営の重大な危機だ。藤村官房長官は『今の手続きは変えられない』と言っていたが、それを変えるのが政治主導ではないか」

 藤村官房長官「橋下市長も関西の電力需給の現状については理解しているようにみえた。お互い対立しているわけではなく、今後もさまざまな説明や遣り取りをするなかで認識は共通になってくると期待している」

 藤村長官の発言は事勿れな当たり障りのない発言となっている。これ以上の反発も抵抗も、その拡大を避けたいからと、その場凌ぎの意図が働いたからではないだろうか。

 橋本市長は藤村官房長官との会談から2日後の4月26日朝、記者会見で大飯原発再稼働なしの場合の府県民の節電負担案を関西広域連合の場で示した上で、その負担案を判断材料に再稼働か否かの決定を府県民の意思に委ねる考えを示した。

 《橋下市長“負担案示し判断を”》NHK NEWS WEB/2012年4月26日 15時43分)

 記事冒頭。〈関西電力大飯原子力発電所の運転を再開しなくても大規模な停電が発生しないようにするための、各家庭での具体的な節電の負担案を関西広域連合で示したうえで、快適な生活を求めて運転再開を認めるのか、安全性の確立を求めて不便な生活を受け入れるのか、関西の府県民がどう判断するかを見極めたいという考えを示しました。〉

 橋下市長「具体的にこれから府県民に負担を示したい。去年のような節電の呼びかけではなく、ここまでやらないと無理だという負担案を示して、あとは政治感覚を研ぎ澄ませて、府県民がどう思うか、感じるしかない。産業には影響を与えないようにするので、家庭に負担をお願いしようと思ってる。

 快適な生活を求めて、そこそこの安全でいくのか。しっかりと安全性を確認するために不便な生活を受け入れるのか、二つに一つだ。不便な生活が無理なら再稼働するしかない」

 記事は次のように解説している。〈関西の府県民がどう判断するかを政治家として見極めたうえで、府県民が負担の受け入れに否定的な場合には、政府に申し入れた原発の安全性に関する8項目の提案が満たされなくても原発の運転再開もやむをえないという考えを示しました。〉

 当初は「原発再稼働の8条件」が満たされなければ再稼働は認められないと強硬姿勢を示していた。その強硬姿勢の中には産業への影響が予定事態として入っていたはずであるし、入っていなければ、全体的展望に立った行動であったとは言えない。

 だが、「原発再稼働の8条件」申し入れからたった2日後に産業への影響回避に方向転換し、家庭への全面的な負担へと舵を切った上で、府県民の節電の負担を受入れるか否かで再稼働の態度を決めるとし、負担受け入れノーなら、いわば「不便な生活が無理なら再稼働するしかない」と、その判断を府県民に委ねることにした。

 しかしここには矛盾がある。関西地域の統治者の一人として、再稼働はあくまでも自分たちが納得し得る確実この上ない安全性の追求を最優先としていたにも関わらず、安全性の追求を最優先から外して従の位置に後退させ、府県民による快適な生活か不便な生活かの選択を先に置いた安全性の判断――そこそこの安全か、十分な安全かを決定させる矛盾である。

 もし安全性の追求を最優先した場合、快適な生活か不便な生活かの選択は除外しなければならない条件のはずだが、除外せずに持ち出したことによって、橋本市長は場合によっては最優先としていた安全性の追求をある程度犠牲にするという意味のことを言ったのである。

 橋本市長は府知事時代にツイッターで次のように発言している。

 橋下大阪府知事「僕がその判断を誤れば選挙で首を飛ばされて責任を負う。それが民主主義。僕は維新の会の活動こそが大阪府民の将来を変えるものだと確信している。そしてそれを府民に問います」(2011年2月3日)

 つまり自身が確信している政治行動を任期中は推し進めて、任期後にその是非を選挙で有権者に問い判断して貰うのが民主主義だとごく当たり前のことを言っている。判断を誤った政治行動であったなら、選挙で首を飛ばされる。

 だが、自身の政治行動に非常に自信を持っている。

 自信を持っているからだろう、自身の政治信念を上に置き、先ず貫いて、有権者の審判を従とすることを両者の関係だと殊更に言うことができる。

 このような関係性から言うと、原発の安全性を最優先させることを信念としていたなら、任期中はその信念を貫いて、その是非を任期後の選挙で問えばいいはずだが、府県民の快適な生活か不便な生活かの選択を通した原発の安全性の判断を優先させる関係性の変更という矛盾を犯している。

 また、「原発再稼働に関する8条件」で「根本的に欠落している論点」として掲げた一つの、〈「次のフクシマ」級の原発事故が起きた場合には、日本を滅ぼすという危機感が欠けているのではないか。〉は地震や事故発生の時期に関しての予測不可能性を添わせた文言であり、そのよう予測不可能性を前提として安全性を最優先とする危機管理の慣例に反する矛盾だとも言うことができる。

 いわば安全性を最優先としていたはずなのに、府県民が求めるなら「そこそこの安全」でも構わないと言っているのである。

 5月19日になって大阪市内で関西広域連合と細野原発事故担当相が意見交換を行なっている。細野原発事故担当相の運転再開理解要請に対する橋下大阪市長や山田京都府知事等の関西広域連合の政府批判という構図が再度繰り広げられこととなった。

 《原発事故相 関西広域連合と議論》NHK NEWS WEB/2012年5月19日 19時21分)

 次の発言は記事解説を会話体に直したもの。

 細野原発事故担当相「京電福島第一原発の事故を踏まえて政府がつくった安全基準で、大飯原発の安全確認を行いました。福島と同じ規模の津波が来ても対策は十分取れていると思います。是非運転再開に理解を求めたいと思います」

 橋下大阪市長「なぜ政府が原発問題で国民の信頼を得られていないか、よく分かった。福島と同じレベルの対策では、安心できないというのが多くの国民の感覚だ。

 原発がどうしても必要だという場合にも、動かし方はいろいろある。臨時なのか1か月なのか2か月なのか。ずっとフル稼働していくような政府の説明に、国民は信頼を寄せていない」

 4月26日に快適な生活か不便な生活か、いずれであるか府県民の選択を通した原発の安全性の判断に委ねると言っていたのに対して、ここでは「福島と同じレベルの対策では、安心できないというのが多くの国民の感覚だ」と、福島原発以上のレベルの安全性を担保することを求めている。

 にも関わらず、産業への影響が頭にあったからなのだろう、「福島と同じレベルの対策では、安心できないというのが多くの国民の感覚だ」と言いながら、「原発がどうしても必要だという場合」はと電力需給にウエイトを置き、フル稼働ではなく、夏を乗り切る1カ月か2カ月程度の臨時の運転の方法もあり得ると提案している。

 この発言にも矛盾がある。

 「福島と同じレベルの対策では、安心できないというのが多くの国民の感覚だ」は自らも一役買って掲げた「原発再稼働に関する8条件」の安全性確保・安全性最優先の発想と整合性を持ち得るが、この夏を乗り切る1カ月か2カ月程度の臨時の運転は逆に「原発再稼働に関する8条件」の実現を前提としないことによって可能となる運転であって、そこに否応もなしに矛盾が生じる。

 フル稼働は「原発再稼働に関する8条件」を実現させなければならない、1、2カ月間の臨時運転は「原発再稼働に関する8条件」を完全には実現させなくてもいいという二重基準とも言える。

 橋本市長が1、2カ月間は臨時運転の可能性を指摘したということは、その間、大地震も人為的な大事故も起きないことを予定調和としている(=前提としている)ことになる。

 あるいは大地震も人為的な大事故も起きないことを予定調和としている(=前提としている)ことによって、1、2カ月間は臨時運転もあり得るとすることができる。

 政府の安全基準でも、1、2カ月は大丈夫だろうとしたのである。

 果たしてそう断言できるのだろうか。既に「原発再稼働に関する8条件」で、〈 「次のフクシマ」級の原発事故が起きた場合には、日本を滅ぼすという危機感が欠けているのではないか。〉としていることは地震や事故発生の時期に関して前以ての予測不可能を前提とした危機管理であるはずだと書いた。

 いつ起きるか分からない。だから、安全性の追求を最優先し、確実な安全性を担保してからではないと、再稼働は認められないということであったはずだ。

 地震や事故発生時期が予測可能なら、いつ再稼働しても、地震・事故発生前に停止すれば原発は無事のまま維持できることになる。

 浜岡原発は地震発生率が80%を超えて高いからと停止要請した。だが、1年経過しても、地震は発生しない。だが、事前には予測不可能の発生時期だからこそ、地震発生率を基準として停止要請し、中電はそれに応じた。

 危機管理は災害や事故の発生時期やその規模を前以て確認できないからこそ、最悪の事態を想定、その発生に事前に備えることを言う。

 「福島と同じレベルの対策では、安心できない」のなら、1カ月2カ月の臨時の短期間の運転でも、前以ての発生時期は予測不可能を前提として福島以上のレベルの安全性を担保できなければ運転させないという姿勢を示してこそ初めて整合性を得るはずである。

 勿論、夏を乗り切る期間の1、2カ月の臨時運転の間、地震も発生せず、人為的運転ミスもなく、原発の機器自体の故障もなく通常運転を通す可能性は高いだろう。

 だが、このことの絶対確認は1、2カ月の経過後であって、それ以前ではない。以前には予測確認しかできない。繰返しになるが、〈 「次のフクシマ」級の原発事故が起きた場合には、日本を滅ぼすという危機感が欠けているのではないか。〉と指摘しているように前以ての発生時期は予測不可能であることを絶対条件としなければならない。

 予測不可能であるにもかかわらず、多分大丈夫だろう、多分大丈夫だろうと予測不可能を予測可能のもとに行動を起こしていたなら、危機管理は成り立たなくなる。

 東電は巨大地震の発生可能性とそれに伴った巨大津波の発生可能性の指摘を受けながら、対策を怠り、今回の重大事故に至った。このことは巨大地震の発生時期の予測不可能性を軽視したからだろう。

 逆に予測不可能性を前提として直ちに対策を講じなければならなかった。

 だが、橋下市長の1、2カ月間の大飯原発臨時運転は東電と同じ轍を踏む予測不可能性の軽視に当たる。

 1、2カ月間に何も起こらなかったしても、このことが前例となって予測不可能性の軽視に慣れ、そのことに鈍感となった場合、自分たちでは気づかなくても、自分たちの技術は優秀だとしたのとは異なる「原発安全神話」に再度陥ることになるに違いない。
 
 上記「NHK NEWS WEB」が伝える山田京都府知事と仁坂和歌山県知事は橋本市長と異なる姿勢を見せている。

 〈京都府の山田知事や和歌山県の仁坂知事も、政府の安全基準の作成に国の原子力安全委員会が関わっていないことや、原子力規制庁の創設が遅れていることを指摘したうえで、「新しい組織ができるまでは原発を動かすべきではない」と述べ、運転再開を急ぐ政府の姿勢を批判しました。〉――

 細野原発事故担当相「安全対策に終わりはなく、大飯原発については特別な監視体制の構築を急ピッチに進めている」

 関西広域連合側の政府不信に対して政府の再稼働の安全性には問題はなく、現在「構築を急ピッチに進めている」「特別な監視体制」で二重に安全対策を取ると再稼働の安全性に太鼓判を押している。

 意見交換後の細の原発事故担当相の記者会見。

 細野原発事故担当相「率直な、いい意見交換ができた。われわれとしては、科学的知見に基づいて専門家が積み上げた3つの基準を当初の予定時間をはるかに超えて説明できた。受け止めについては、それぞれいろいろな考え方があると思うので、きょう出席した皆さんがどういった思いを持っているか把握したうえで、政権全体で受け止めていく必要がある」
 
 橋下市長停案の1、2カ月間の臨時運転の可能性に直接的には何も答えていない。答えたのは藤村官房長官であった。

 《臨時的な運転再開“念頭にない”》NHK NEWS WEB/2012年5月21日 12時19分)

 5月21日の記者会見。

 藤村官房長官「運転再開の必要性については、電力需給の厳しさもあるが、これまで電力供給の30%を担ってきた原子力を直ちに止めた場合、LNG=液化天然ガスの膨大な買い増しなど、現実の日本経済、国民生活が大変大きく影響を受ける。需給の厳しさだけを踏まえた臨時的な稼働を念頭に置いているわけではない。

 各知事や市長からさまざま意見を頂戴し、政府として真摯(しんし)に受け止めている。こうした意見や福井県や大飯町の動きを踏まえつつ、総理大臣のリーダーシップのもと、責任ある判断をしたい」

 「需給の厳しさだけを踏まえた臨時的な稼働を念頭に置いているわけではない」とは、あくまでも安全性を最優先の基準とするということであろう。

 当初は橋下市長側が徹底的な安全性優先に拘り、安全性よりも電力需給にウエイトを置いた途端に再稼働ありきだった政府が安全性によりウエイトを置くことになる皮肉な逆転現象を呈している。

 対して橋本市長の反応。《橋下市長“政府は再稼働再考を”》NHK NEWS WEB/2012年5月21日 21時48分)

 5月21日夜の記者会見――

 橋下大阪市長「再稼動ではなく、臨時的な運転再開のほうが論理的にはすっきりしている。政府にはもう一度再考していただきたい。

 原子力規制庁を作り、安全基準を早く作るんだと政府は言うが、それなら大飯原発はなぜその基準で考えないのか。論理矛盾も甚だしい。大飯原発は新しい基準に照らし合わせていない不十分な状態だから、再稼動ではなく、臨時的な運転再開のほうが論理的にはすっきりしている。政府にはもう一度再考していただきたい」

 確かに橋本市長が指摘している政府の論理矛盾は甚だしい。

 だが、「大飯原発は新しい基準に照らし合わせていない不十分な状態だから、再稼動ではなく、臨時的な運転再開のほうが論理的にはすっきりしている」と言っていることも論理的に矛盾していることに気づかない。

 安全性が「不十分な状態」であるなら、なおさらに 〈「次のフクシマ」級の原発事故が起きた場合には、日本を滅ぼすという危機感が欠けているのではないか。〉とする地震や事故発生時期の予測不可能性に対する危機管理はより確実に万全を期し、自分たちが理想とし、望む安全性の確立を優先させるべきだが、そうしない論理矛盾に自ら陥っている。

 電力需給優先とすべきか、安全性最優先とすべきか迷っていることからの論理矛盾といったところなのかもしれない。

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野田首相の「申し上げるべきことを申し上げる」相手を間違えたG8勘違い外交能力

2012-05-21 10:40:57 | Weblog

 野田首相がワシントン近郊キャンプデービッド開幕の主要国首脳会議(G8サミット)に参加。5月18日夜(日本時間19日午前)の最初の討議で北朝鮮の核実験阻止へ各国首脳の理解を取り付け、サミット初参加の立場としてはまずまずの滑り出しを示したという。

 ホントーかいな、ホントーかいなと二度思ったが、次の記事にそう書いてあった。

 《北朝鮮対応を主導=ハードル高い?経済討議-野田首相》

 5月18日の夕食会。野田首相に対して好物の日本酒を特別提供する程のオバマの野田首相に対する気の使いようであったかどうかは、そこまでは書いていない。

 もしそのような気の使いようがあったとしたら、ホントーかいな、ホントーかいなとさらに二度思わなければならない。

 尤もオレゴン州産とかカリフォルニア産とか日本産に劣らない日本酒が製造されているというから、提供していたなら、宣伝にはなったはずだ。

 例え野田首相が美味過ぎるアメリカ産日本酒を堪能することはあっても、政治に於ける対米従属と同様に日本酒に於ける対米従属にハマってしまうことはあるまい。

 北朝鮮自制に対するG8首脳協調の呼び掛け発言。

 野田首相「国際社会として北朝鮮の悪行に対価を与えない意思を明確に示していくべきだ」

 各国首脳「北朝鮮の挑発行為は地域の安定を脅かす」

 要するに野田首相は北朝鮮問題で議論をリードしたということであろう。

 だが、記事は次のように伝えている。

 〈欧米の首脳の関心は実際、イランの核開発疑惑やシリア情勢に向き、「北朝鮮問題は二の次」(外務省筋)。〉

 要するに欧米側は北朝鮮問題で議論をリードする気はサラサラなかった。その間隙を突いての野田首相の対北朝鮮議論リードといったところらしい。

 但しそのような状況にあったことの謙虚な客観的判断など問題にしないのが日本である。

 首相同行筋「野田首相はサミットデビューだったので心配したが、上々のスタートだ」

 野田首相は日本時間の5月19日午前、ワシントン近郊の空港で同行記者団の質問に次のように答えている。

 野田首相「世界経済と地域情勢について、率直な意見交換ができた」(NHK NEWS WEB

 「世界経済」とは欧州の財政・金融危機を指し、「地域情勢」とは核実験の構えを見せている北朝鮮問題を指しているのは断るまでもない。

 「率直な意見交換ができた」とは成功を意味するはずだ。

 北朝鮮問題では議論をリードし、会談は成功を収めた。

 最初の記事を読んだとき、菅仮免の本格的な外交デビューとなった2010年6月25日・26日閉幕のカナダ・トロントG8(主要国首脳会議)での菅仮免の発言を思い出した。

 G8終了時の首脳宣言に盛り込んだ韓国哨戒艦沈没事件(2010年3月26日)に対する北朝鮮非難は菅仮免主導(リード)の功績があったからだと明かしたのである。

 6月26日午後(日本時間27日朝)、トロント市内で記者団に語った。

 菅仮免「わたしがリードスピーチを行い、非難すべきは非難するよう申し上げ、宣言に盛り込まれた」(The Wall Street Journal

 尤も事実の検証を経ない本人のみの証言だから、真正の事実とは断言できないが、この菅仮免のリードはG8では役立ったものの、本番とも言える肝心要の国連安保理での韓国哨戒艦撃沈事件協議に関しては何ら役に立たなかった。

 日韓は法的拘束力があり、加盟国が履行義務を負う、北朝鮮制裁の安保理決議で動いたが、中国の反対に遭って、2010年7月9日(日本時間同日深夜)、法的拘束力のない一段格下げの議長声明全会一致採択で鉾を収めることになった。

 この経緯を見ると、対北朝鮮コントロールは中国の出方次第であり、中国にどういう態度を取らせるかの一点にかかっていることが分かるが、北朝鮮の軍事的挑発とそのことに対する国際的制裁働きかけの中国の反対による無効化、あるいは弱体化はこれまでも何度も繰返されてきたことで、経緯を見なくても中国の出方次第は把握しなければならないことで、当然、G8首脳宣言に北朝鮮に対するどのような非難宣言を盛り込もうと効果はないことになる。

 菅仮免はこのことを自覚していなければならないはずだったが、「わたしがリードスピーチを行い、非難すべきは非難するよう申し上げ、宣言に盛り込まれた」とさも立派な功績を果たしたかのように言う。

 要するに自画自賛に過ぎなかった。

 菅仮免は一見対北朝鮮コントロールは中国の出方次第だと自覚していたと窺わせる提案をG8で行っているが、あくまで一見、そう見えるというだけのことである。 

 菅仮免「中国に一層責任感を高めてもらうため、時には中国をG8に呼ぶことを考えてもいいのではないか」

 だが、カナダ・トロントG8、2010年6月26日閉幕翌日の6月27日、早速中国に無視されている。

 中国外務省馬朝旭報道局長「G8の文書は知っているが、中国はG8でなくG20のメンバーだ」(日経電子版

 例え菅仮免の提案どおりに中国がG8に参加したとしても、今度は逆に首脳宣言に北朝鮮批判の文言を盛り込もうとしても、従来からの例からして中国の反対にあって実現しないか、あるいは非難や批判を弱めた文言の採択となることは目に見えている。

 いわば中国がG8に存在しなかったから盛り込むことがで「わたしがリードスピーチを行い、非難すべきは非難するよう申し上げ」た「宣言」だったと言うこともできる。

 要するに菅仮免は日本の首相でありながら、全体を見渡す目を持ち合わせていなかった。

 今回の北朝鮮ミサイル発射(2012年4月13日)でも、日韓、アメリカ等が発射が強行された場合、「過去の安保理決議に対する深刻な違反である」と警告を発し、発射後、法的拘束力のある安保理決議を求めていたが、中国の対北朝鮮カードに妨げられて、2009年のミサイル発射実験後の議長声明よりも非難の調子が強まっているというものの、法的拘束力のない議長声明で収まったことは前回と変わりはない。

 野田首相にしても、当然、北朝鮮問題で中心に位置していると言える中国をどう動かすかに北朝鮮の脅威払拭がかかっていることになる。

 だが、ワシントンG8で、「国際社会として北朝鮮の悪行に対価を与えない意思を明確に示していくべきだ」と中心の中国ではなく、周辺に位置しているG8各国を動かすべく発言し、「世界経済と地域情勢について、率直な意見交換ができた」と、北朝鮮問題での会議の成功を誇った。

 いわばG8で各国首脳を動かすべく働かきかけるのではなく、5月18日G8を遡る4日前5月14日の野田首相、胡錦涛、李明博三者首脳会談で北朝鮮の挑発行為を自制させるべく何としてでも胡錦涛主席に働きかけ、自制の方向に動かすべきだった。

 だが、中国を些かも動かすことができず、14日の北京日中韓サミットの共同宣言に日韓双方が望んだ北朝鮮の核実験意思、あるいは様々な挑発行為を自制させるどのような文言も盛り込むことができなかった。

 野田首相は対北朝鮮外交に於いて管仮免と同様に申し上げるべき相手を間違える同じ轍を踏んだのである。あるいは外交的先見性に関して同じ軌跡を辿っている。

 中国を動かして初めて誇ることができる対北朝鮮外交のはずだが、野田首相は、菅首相がトロントG8サミットで自身の外交能力を誇ったように5月16日の自身の官邸ブログで、日中韓サミットでは「申し上げるべきことは申し上げた」と自身の外交能力を誇る見当違いを自覚もなく、さらに判断能力もなく犯している。

 二人共G8では「申し上げるべきことは申し上げた」だろうが、相手を間違えていただけではなく、実効能力の点で誇ることのできる点は何もなかった。

 関連ブログ案内――2010年6月29日記事――《菅首相のカナダ・トロントG8存在感、自画自賛 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

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