日本の農業をダメにした自民党政治の代表、安倍晋三がアフリカ農業に助言する滑稽

2013-09-30 03:52:46 | 政治


 
 日本の農業を高関税保護と補助金漬けでダメにした自民党政治の代表、安倍晋三がアフリカ農業に助言するという滑稽を演じた。

 《アフリカは「稼ぐ農業」を=安倍首相》時事ドットコム/2013/09/27-08:15)

 国連総会出席のために訪米していた安倍晋三が9月26日午後(日本時間27日早朝)、コートジボワールのウワタラ大統領、マラウイのバンダ大統領らと国連本部で会談して、アフリカの農業について意見交換した。

 安倍晋三「『食べるための農業』だけでなく、『稼ぐための農業』を目指すべきだ。農民が豊かな生活を送るようになれば、アフリカは巨大な消費市場へと変わっていく」――

 記事は、アフリカの〈経済発展を見据えた農業開発の必要性を訴えた〉発言だとしている。

 インターネット上に次のような記述がある。

 日本の農業が1960年から2010年の今日までGDPに占める農業の割合は9%から1%に減少、逆に65歳以上の高齢農業者の比率は1割から6割へ上昇。専業農家は34.3%から19.5%へ減少し、第2種兼業農家は32.1%から67.1%へと大きく増加。

 1953年まで国際価格より低かった米は800%の関税で保護されるなど国際競争力は著しく低下、食料自給率もカロリーベースで79%から40%に低下――云々。

 但し生産額ベースの総合食料自給率は68%と高い比率を確保しているが、非効率生産によるそもそもの価格が高いことが一因となっている68%という高い比率であって、高い価格は逆に国民の生活を圧迫する原因となっているはずで、褒めることのできる68%というわけではあるまい。

 また、先に挙げた65歳以上の高齢農業者の比率の1割から6割への上昇と関連するが、日本の65歳以上の高齢者が3186万人で過去最多となり、総人口に占める割合は25%丁度、日本人の4人に1人が高齢者となったという報道に最近触れた。産業別では農業・林業が101万人と最多で、農業・林業に従事する就業者の45.1%と半数近くを占め、高齢者が日本の農業や林業を支えている現状が窺えるとしている。

 要するに日本の農業こそが高い関税に守られたコメ以外は多くを外国産農産物の流通を許すことになっていて、「食べるための農業」とはなっていないし、当然、政府保護がなければ大半が「稼ぐための農業」ともなっていない。

 少なくとも現時点ではそうなっている。

 このように日本の農業をダメにし、自立させるに至らなかったのは減反政策と輸入米に対する高関税、現金給付等の様々な保護策、地方の過疎化の放置等だと言われている。最近の3年間は民主党政治が関わったものの、戦後ほぼ一貫して政権を独占してきた自民党政権が戦後から現在に至る長い年月をかけて培ってきた今ある日本の農業の惨状ということであろう。

 長い年月の産物である以上、健全な姿を取り戻すには至難の業で、一朝一夕には不可能なはずだ。

 にも関わらず、安倍晋三は2013年5月17日の日本アカデメイアでの「成長戦略第2弾スピーチ」で、一朝一夕に日本の農業を立て直すと宣言したばかりか、この10年間で所得を2倍に生産額を10倍に飛躍させるとご託宣した。

 「この20年間で、農業生産額が、14兆円から10兆円へ減少する中で、生産農業所得は、6兆円から3兆円へと半減した」、あるいは「基幹的農業従事者の平均年齢は、現在、66歳です。20年間で、10歳ほど上がりました。これは、若者たちが、新たに農業に従事しなくなったことを意味します。耕作放棄地は、この20年間で2倍に増えました。今や、滋賀県全体と同じ規模になっています」と言っていながらの大飛躍の約束である。

 安倍晋三「私は、現在1兆円の『六次産業化』市場を、10年間で10兆円に拡大していきたいと思います」

  ・・・・・・

 今日、私は、ここで正式に、『農業・農村の所得倍増目標』を掲げたいと思います。
 池田総理のもとで策定された、かつての所得倍増計画も、10年計画でありましたが、私は、今後10年間で、六次産業化を進める中で、農業・農村全体の所得を倍増させる戦略を策定し、実行に移してまいります。

 その着実な推進のために、新たに、私を本部長とする『農林水産業・地域の活力創造本部』を官邸に設置します。さっそく来週から、稼働します」――

 民主党は2019年総選挙マニフェストで、「農山漁村の『6次産業化』」を掲げている。但しインターネット上の記述を参考すると、6次産業化は1990年代半ばに現東京大学名誉教授の今村奈良臣氏が提唱した造語で、1次産業+2次産業+3次産業=6次時産業という考えに基づき、1次産業(農林漁業)の従事者が2次産業(製造・加工)や3次産業(卸・小売・観光)に取り組み(=6次産業)、新たな付加価値の創造や農村漁村・農山・漁村の活性化を策すとする考えだそうだ。

 提唱から20年近く経過している。一部では成功しているようだが、全体的な成功の水準にまではいっていない。そのために農業の法人化を進めて、6次産業化を推進する政策に取り組んでいるのだろうが、次のような農水省の統計がある。

 私自身理解していなかったから、最初にお断りしていくが、「新規自営農業就農者」とは農家世帯員による新規就農者を言い、「新規雇用就農者」とは農業法人や農業生産法人などに雇用される形での就農者を言い、「新規参入就農者」とは、農家以外の外部人材による新規就農者を言うということである。

 「新規雇用就農者」には農家世帯員と外部人材、両方が所属していると思う。農家に生まれて農業を生業としていながら、将来に見切りをつけて農業法人に就職するということもあるはずだからだ。

平成23年新規就農者数

平成23年の新規就農者は5万8120人となり、前年に比べ3550人(6.5%)増加した。

これを就農形態別にみると、

新規自営農業就農者は4万7100人――+5.1%
新規雇用就農者は8920人――+10.9%
新規参入就農者は2100人――+21.4%

年齢別にみた新規就農者数(平成23年)

新規自営農業就農者数4万7100人(100%)

 60歳以上29920人(63.5%) 
 40~59歳2230人(25.0%)
 39歳以下7560人(16.1%)

新規雇用就農者数8920人(100%) 

 60歳以上830人(9.3%)
 40~59歳9620人(20.4%)
 39歳以下5860人(65.7%)

新規参入者数2100人(100%)

 60歳以上540人(25.7%)
 40~59歳760人(36.2%)
 39歳以下800人(38.1%)

 こう見てくると、「新規自営農業就農者」の世界は現実の農業社会をそのまま反映した高齢化状況となっている。

 「新規雇用就農者」と「新規参入就農者」のみの人口構成がピラミッド型となっていて、若者の底辺が広がりを見せているが、「新規参入就農者」に限ると、その差は小さく、尚且つ絶対数が決定的に少数となっている。

 希望は雇用就農者が雇用される農業法人や農業生産法人ということになる。

 また、安倍晋三が「現在1兆円の『六次産業化』市場を、10年間で10兆円に拡大」すると言っている「六次産業化」は「新規雇用就農者」が主たる就職先としている農業法人等の新規参入増加や既存組織の経営規模拡大を欠かすことができない。

 だが、農業法人が雇用就農者の年齢構成を無にする定着率の問題を抱えていることを次の記事が伝えている。

 《就農調査 離職率の高い雇用就農者、アンケートから背景を探る》全国農業新聞/2012-4-20)

 記事冒頭。〈離職率の高さが指摘される雇用就農者。農業法人の経営者からは、従業員定着の難しさを嘆く声が多く聞かれる。全国農業会議所で農業法人などの従業員を対象に行ったアンケートなどから、彼らの意向や離職の背景を探った。 〉――

 入来院重宏全国農業経営支援社会保険労務士ネットワーク会長「正社員に対して時給で給与を支払っているのは、農業ぐらいのもの。生活や将来の見通しが非常に不透明だ。

 社長一人の頑張りには限界がある。現場作業だけでなく経営面にも熟練した従業員が求められている」――

 言っていることを裏返すと、給与が安く、生活の見通しや将来性を立てることができない。そのため離職率が高くて、熟練従業員が集まらない。あるいは短期で辞めていくために技術習得がままならない。

 入社2年以内の新入社員を対象にした10年度調査

 「離職を考えたことがある」45%
 「よく離職を考えている」15%

 離職を意識した理由(複数回答)

 「給与額が低い」23%(最多)
 「人間関係がうまくいかない」11%
 「勤務先に将来性を見いだせない」11%

 農業法人等に務める雇用就農者の半数近くが「離職を考えたことがある」というのは異常である。

 農業法人がこのような状況を一般的としていたなら、安倍晋三が「六次産業化」をどう謳おうと謳うまいと、本人が言うように10年やそこらでの大きな飛躍を確実視できるだろうか。

 確実視できないとなったなら、所得倍増も絵に描いた餅で終わる。

 また、新規自営農業就農者数4万7100人に対して農業法人等に雇用される新規雇用就農者数8920人は5分の1であって、まだまだ少数であることも課題であるはずだ。

 この8920人にしても青年の就農意欲の喚起と就農後の定着を図るため、就農前の研修期間(2年以内)及び経営が不安定な就農直後(5年以内)の所得を確保するための給付金を年額にして150万円を給付し、農業法人に最長2年間、研修費として月10万円支給している上での8920人であろう。

 だが、農業法人の給与は低い。景気が悪くて、就職先がなくて飛び込んできた新規雇用就農者であるとしたら、給与の低さから、景気が回復して就職先がより自由に選べる時がきたら、さっさと離職していかない保証はない。

 決してバラ色ではない「六次産業化」だと言うことができる。

 先ずは足元の日本の農業の諸問題を一つ一つ解決していくことが先決であって、立て直した上で将来を見通すべきだろう。どのような建物も、政策と同じで、最下層の土台がしっかりしていないと上層はいくら見栄えよく造ろうとも、見かけの見栄えでしかなく、内部は常に脆さを抱える。

 《首相国連演説、国連女性機関が歓迎 米誌は注文も》MSN産経/2013.9.29 11:43)の記事も、安倍晋三の国連総会演説、「女性が輝く社会」に女性の地位向上を目指す国連組織「UNウィメン」のムランボヌクカ事務局長が歓迎の意を示したものの、米誌タイム(電子版)が、〈先ず日本は、女性が活躍しにくい企業社会を変えるべきだと注文した。〉と、同じく足元の状況の解決が先決だとしている。

 この場合の足元の状況とは未だ残っている男尊女卑の風潮と、その風潮を受けて働く女性たちの多くが低い地位と低い給与にとどまっていることの先進国として貧しい社会的状況であり、そのような状況の優先的是正を言っているはずだ。

 ムランボヌクカ事務局長「演説を心から歓迎し、指導力を持って、女性、少女を最優先の政策課題としたことに拍手を送る」

 〈一方タイムの記事は、日本企業の上級管理職のうち女性は7%とする統計を挙げ「安倍首相は(日本の)企業文化を変える必要がある」と指摘。英金融大手HSBCや国際的な監査法人デロイトの女性支援プログラムが効果的だと紹介した。〉――

 女性を低い地位にとどめているのは「企業文化」ではない。日本人が根に巣食わせている男尊女卑の精神性であり、それを受けて企業文化にも反映されている一般的な社会化であろう。

 安倍晋三は確かに立派なことを言う。素晴らしい世界を言葉で描くことに長けている。しかし殆どが足元の今ある状況を無視したバラ色の未来に過ぎない。
 
 足元の状況を是正できないままに、その上にどうバラ色の未来を築くことができるというのだろう。地に足をつけていないままの変革といったところだ。空中楼閣と表現することもできる。

 かくこのように足元を合理的・客観的に把握する認識能力を欠いているから、自分たちの政治がダメにした足元の日本の農業のお粗末な現状を顧みずにアフリカ農業に助言することができる。「女性が輝く社会」の演説と同様に可能としたのは日本の指導者としてリーダーシップがあるところを演出できたといったところだろうが、所詮、演出に過ぎない。アフリカの農業に助言すること自体が滑稽だが、ホンモノのリーダーシップだと勘違いしているとしたら、恥の上塗りならぬ滑稽の上塗りとなる。

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収入が下がっている中で「長いデフレから脱却しつつある」と歓迎する甘利の国民思い

2013-09-29 04:56:44 | 教育


 
 9月27日に判明した消費増税後の景気腰折れ回避を狙った政府検討の経済対策原案には「復興特別法人税の廃止検討」が盛り込まれ、賃上げ企業への減税措置と合わせ、所得増を実現し、「デフレ脱却と経済再生の道筋」を確実にする姿勢を鮮明に打ち出していると、《経済対策、「復興税の廃止検討」=賃上げでデフレ脱却-原案判明》時事ドットコム/2013/09/28-02:07)が伝えている。

 与党との調整を経て最終案を纏め、安倍晋三が10月1日に2014年4月の消費税率引き上げ表明と同時に正式発表する予定だという。

 賃上げした企業に減税措置を行う、要するに減税で報いるということは、アベノミクス効果による円安・株高で多くの企業が資産を向上させていながら、今年2月以来の安倍晋三直々、あるいは甘利や麻生といった閣僚直々の企業に対する賃上げ要請への快諾がほんの一部にとどまって全体的な波及とまでいっていないということの裏返し措置であろう。

 企業が従業員にお小遣いを与えたなら、国がその負担を少し和らげるお小遣いを与えるという手を使うということである。

 要するに安倍政権は賃上げした企業には減税を施すことと、復興特別法人税を前倒しで撤廃する形の減税分を賃金に還元させる方法で被雇用者の所得増を実現させてデフレ脱却を導き、併せて経済再生へと持っていくという手順を取ろうとしていることになる。

 いわばデフレ脱却は賃上げを前提としていることになる。前提とすることによって、物価上昇とのバランスが取れる。

 民間企業サラリーマン等の平均年収が2年連続で減少しているとする国税庁の調査を次の記事が伝えている。

 《サラリーマン年収 2年連続減》NHK NEWS WEB/2013年9月27日 17時59分)

 今回は非正規労働者の平均年収が初めて発表されたと書いてある。

 昨2012年の平均年収は408万円、前年より1万円少なく、2年連続の減少。

 ピークだった平成9年(1997年)の467万円に比べて59万円減少。

 正規労働者の平均年収468万円
         男性521万円   
         女性350万円

 非正規労働者の平均年収168万円(正規労働者と300万円の差)
          男性226万円
          女性144万円
 年収別労働者数
   200万円以下1090万人(前年+21万人・全体の23.9%)
   1000万円超172万人(全体の3.8%)
 
 業種別年収
 「電気・ガスなど」718万円
 「金融・保険」610万円
 「情報通信」572万円

 「宿泊、飲食サービス」235万円(最低)

 最低の理由――非正規労働者の比率が高いから。

 こう見てくると、正規と非正規間の年収の差が300万円も大きく違うと同時に、正規・非正規に関わらず、男女間の年収差に大きな違いが生じていることが分かる。

 記事解説によると、総務省調査で非正規労働者数はバブル経済崩壊後、急速に増加、今年に入っても増えていて、4月から6月までの3カ月の平均で1881万人と労働者全体の36.2%を占めているとしている。

 樋口美雄慶大教授「1度、非正規になるとなかなか正規になれず、階層が固定化する問題がある。正規になりたいという『不本意非正規』が増加しているなかで、いかに正規に転換するかが重要だ」――

 だが記事は、〈5人に1人が正社員になれないため、望まずに非正規雇用の仕事に就いているとみられてい〉ると、「不本意非正規」の実態を伝えている。

 この正規と非正規の待遇の格差、正規・非正規に関係しない待遇の男女格差の冷酷な社会的矛盾は他方で人件費のコストカットに資する非正規雇用と女性雇用の増加していく存在が企業利益を支えて、日本の経済向上に貢献している現実を生み出しているもう一つの矛盾を裏合わせとしている。

 この二つの矛盾を考えたとき、安倍晋三の国連総会演説、「すべては、日本の地力を、その経済を、再び強くするところに始まります」とか、「女性の力の活用」、「女性の労働機会、活動の場を充実させる」、「女性が輝く社会の実現」等々の言葉は社会の実態を反映しない、まさしくキレイゴトの世界を目指しているとしか見えない。

 企業だけを強くしていく経済再生であり、「女性の力の活用」であり、「女性の労働機会、活動の場の充実」であり、「女性が輝く社会の実現」であるように見える。

 給与が上がらない、下がっているという現実、格差が拡大しているという現実の中で円安によって輸入製品やエネルギー関連製品の価格が上がって、中低所得層の生活を圧迫しだしている。

 その結果、全国消費者物価指数が3カ月連続でプラスとなった。

 《「長いデフレから脱却しつつある」と甘利氏 消費者物価指数プラスで》MSN産経/2013.9.27 13:31)

 9月27日の閣議後の記者会見。

 甘利明経済再生担当相(3カ月連続プラスについて)「長いデフレから脱却しつつある。その過程にある。

 食品やエネルギーを除くと下落が続いているが、(これが)プラスに転じ、大きなショックでもない限り元に戻らないという環境が整備されたときに、(デフレ)脱却と言える」(下線部分は解説文を会話体に直す。)――

 要するに食品とエネルギーが主として消費者物価上昇を支えていることになる。

 安倍政権は一方でデフレ脱却を賃上げを前提としていながら、賃上げがない状況下であるにも関わらず、甘利はデフレ脱却に資するからと、消費者物価の上昇を歓迎している。

 賃上げという反対給付がない中での食品とエネルギーの値上がりが特に中低所得層の生活を圧迫するにも関わらずである。

 何という国民思いなのだろうか。

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安倍晋三の女系天皇反対が証明する国連総会演説“女性の人権尊重”はキレイゴト名人の戯言

2013-09-28 11:20:21 | Weblog


 
 安倍晋三が第68回国連総会で「女性の力の活用」と武力紛争地域での「女性に対する性的暴力の防止」、弱者の立場に置かれがちな女性の存在性に対する配慮等を訴えた。

 但し「女性の力の活用」は経済成長、もしくは経済活性化という文脈内での重視でしかなく、女性の男性と同等の人権改善の文脈で俎上に載せたわけではなく、「女性に対する性的暴力の防止」、弱者の立場に置かれがちな女性の存在性に対する配慮等は一見女性の人権尊重を訴えているように見えるが、人権尊重に努力しているところを見せるための現実の状況に対する政治的手当に過ぎない。

 演説の本質はあくまでも女性の人権とは関係ない経済のための「女性の力の活用」が主題となっている。

 第68回国連総会における安倍晋三一般討論演説(首相官邸HP/2013年9月26日)
  
 安保理改革を訴えてから――

 安倍晋三「議長、そしてご列席の皆様、

 すべては、日本の地力を、その経済を、再び強くするところに始まります。日本の成長は、世界にとって利得。その衰退は、すべての人にとっての損失です。

 ではいかにして、日本は成長を図るのか。ここで、成長の要因となり、成果ともなるのが、改めていうまでもなく、女性の力の活用にほかなりません。

 世に、ウィメノミクスという主張があります。女性の社会進出を促せば促すだけ、成長率は高くなるという知見です。

 女性にとって働きやすい環境をこしらえ、女性の労働機会、活動の場を充実させることは、今や日本にとって、選択の対象となりません。まさしく、焦眉の課題です。

 「女性が輝く社会をつくる」――。そう言って、私は、国内の仕組みを変えようと、取り組んでいます。但しこれは、ただ単に、国内の課題に留まりません。日本外交を導く糸ともなることを、今から述べようと思います。

 私はまず、国際社会を主導する一員となるための貢献を、4点にわたって述べてみます。

 第一に日本は、UNウィメン(男女平等と女性の地位向上の促進に取り組む国連の専門機関)の活動を尊重し、有力貢献国の一つとして、誇りある存在になることを目指し、関係国際機関との連携を図っていきます。

 第二に、志を同じくする諸国と同様、我が国も、女性・平和・安全保障に関する「行動計画」を、草の根で働く人々との協力によりつつ、策定するつもりです。

 第三に我が国は、UNウィメンはもとより、国際刑事裁判所、また、「紛争下の性的暴力に関する国連事務総長特別代表」であるバングーラ(Zainab Hawa Bangura)さんのオフィスとの、密な協力を図ります。

 憤激すべきは、21世紀の今なお、武力紛争のもと、女性に対する性的暴力がやまない現実です。犯罪を予防し、不幸にも被害を受けた人たちを、物心両面で支えるため、我が国は、努力を惜しみません。

 第四に我が国は、自然災害において、ともすれば弱者となる女性に配慮する決議を、次回・「国連婦人の地位委員会」に、再度提出します。2年前、大災害を経験した我が国が、万感を込める決議に、賛同を得たいと願っています。
 議長と、ご参集の皆様、

 ここから私は、3人の個人に託し、「女性が輝く社会」の実現に向けた、我が国の開発思想と、なすべき課題を明らかにしたいと思います。

 日本人の女性と、バングラデシュの女性を1人ずつ、3人目として、アフガニスタンの女性を紹介します。

 佐藤都喜子(ときこ)さんは、母子保健の改善を、15年以上、ヨルダンの片田舎で担った、JICAの専門家でした。

 村人が当初投げた不審の眼差しにひるむことなく、佐藤さんはどこででも、誰とでも、話をしました。芸能の力を借りて説得するなど、工夫に余念のなかった佐藤さんを、村落コミュニティはやがて受け入れます。

 「子どもの数を決めるのは、夫であって、妻ではない」。そんな伝来の発想は、佐藤さんの粘りによって、女性の健康を重んじるものへ、徐々に変わっていったのです」――

 「世に、ウィメノミクスという主張があります。女性の社会進出を促せば促すだけ、成長率は高くなるという知見です」との言い方は「ウィメノミクス」という名称の主張が世間に存在している、世間一般で流布しているとしているものであり、その意味・内容はこれこれという知見ですと紹介した文脈となる。

 で、インターネットを調べてみたら、マスコミは「women」(woman=女性の単数形)の複数形の「ウイメン」と「アベノミクス」をかけた安倍晋三の造語であり、国連総会での新たな提唱だと扱っている。

 だが、約1年前の2012年10月17日NHKテレビ放送のクローズアップ現代『女性が日本を救う?』が、『女性は日本を救えるか?』というタイトルで、「女性の社会参加を増やすことが日本の経済を成長させる鍵」だとする内容のIMF・国際通貨基金のリポートを紹介している。

 インターネットで調べたところ、IMFアジア太平洋地域局のチャド・スタインバーグと中根誠人両氏の著作として、『女性は日本を救えるか?』IMF WORKING REPORT/2012 年10 月)の題名で紹介されている。

 但し、〈本論文は、国際通貨基金(IMF)の考え方を表すものではない。本論文で発表された考え方は筆者のものであり、必ずしもIMF の政策や考え方を表していない。本論文は、筆者によって進行中の調査を記したものであり、さらなる論議や批評を喚起するために発行された。〉と但し書きがついているが、安倍晋三のキレイゴトの「知見」とは違って、事実としての各種統計に基づいた一つの知見であることに間違いはないはずだ。

 また、上記放送は既に韓国が2001年から女性の社会進出を国家戦略と位置づけて女性の社会進出の増加を図っていると解説している。

 韓国民の多くは安倍晋三の国連総会演説を聞いたなら、何を今更と腹の中で笑ったに違いない。

 クローズアップ現代は2012年10月放送の時点でだろう、「日本における女性管理職の割合は1割」と紹介している。対して、《今を読む 増えるか、女性管理職》YOMIURI ONLINE/2013年6月20日)は、〈政府は「社会のあらゆる分野で2020年までに指導的地位に女性が占める割合を30%以上とする」目標を掲げ〉たが、〈現在、国家公務員の本省課長級以上の女性比率は2.4%、民間企業や公務員全体で課長級以上は11.9%と、現状との開きは大きい。〉とし、〈管理職の女性比率は、アメリカ43%、フランス38%など欧米では30%超が普通だ。アジアでもフィリピンは52%、シンガポール34%。韓国は、06年から大企業に女性管理職比率の提出を義務付け、規模別・産業別に平均値の60%未満の企業に改善命令を出すことによって現在約16%まで高めている。〉と紹介している。

 アベノミクスをもじった名称に過ぎないのに、「世に、ウィメノミクスという主張があります」とさも社会的に一般化している主張であるように尤もらしげに装ったのは既に「女性の社会進出」が進んでいる、あるいは進めている国際的状況とのバランスから、第三者の提唱であるが如くに見せる必要があったからだろう。

 では、「ウィメノミクス」とアベノミクスをもじった意味を失うが、そこは自分の手柄としたい俗気が働いて、結果、誤魔化すことになったといったところではないのか。

 まさしくキレイゴトの名人の戯言(たわごと)である。

 このようなキレイゴトの名人がアベノミクスの成功のために経済成長、もしくは経済活性化という実利の文脈内で女性の社会進出を利用しようとするのは極々当たり前のことだし、痛い程に理解できるが、女性の人権や女性の権利尊重をどう言おうと、キレイゴトから逃れることができるはずはない。

 その何よりの具体的な証拠は安倍晋三の女系天皇反対の姿勢にある。 

 2005年(平成17年)1月26日、当時の小泉首相が私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」を設置、同2005年10月25日、有識者会議は全会一致で皇位継承資格を皇族女子と「女系皇族」へ拡大することを決めたが、後任の安倍晋三は女系天皇反対の立場から、「直系長子優先継承、女系継承容認」の有識者会議の報告を白紙に戻している。

 そして、私自身は読むのはカネと時間のムダだから、読んでいないが、2012年1月10日発売「文藝春秋」2月号に 『民主党に皇室典範改正は任せられない 「女性宮家」創設は皇統断絶の“アリの一穴”』と題する一文を寄稿、その中で当時民主党野田政権が議論していた「女性宮家創設」に反対する意向を示したという。

 安倍晋三「私は、皇室の歴史と断絶した『女系天皇』には、明確に反対である」――

 このように書いてあるという。

 更に言うと、安倍晋三と国家主義の点で精神的にベッドを共にしている高市早苗自民党政調会長が4月27日(2013年)午前の読売テレビに出演、女性宮家の創設に関して、「皇位継承の話なら明らかに 反対だ。述べ、男系の皇統は堅持すべきだ」と述べたという。

 女系天皇とは、インターネット上の説明を借りると、仮に現在の皇太子と雅子妃の子供である愛子内親王が即位しても、父は皇太子、祖父は今上天皇であって、父方の祖先を辿っていけば必ず初代神武天皇につながる血統を有していて男系として問題はないが、愛子内親王の子が、父が(男系の)皇族でない限り、母親の愛子内親王は初代神武天皇に辿り着くことができても、女系となり、その父の祖先をどのようにいくら辿っても初代神武天皇に辿り着くことができない非男系となるということで、その関係上、男系天皇支持派は女系には反対ということになるということである。

 だから、平沼赳夫は2006年、「愛子さまが天皇になることになって、海外留学して青い目の外人ボーイフレンドと結婚すれば、その子供が将来の天皇になる。そんなことは断じて許されない」と女系天皇容認に反対した。

 女系に反対し、男系に拘るのは女性の血よりも男の血の尊重を意味する。いわば血で以って、男女を上下に価値づける差別を精神としていることになる。

 また、血の区別は権威の区別でもある。男と女性の血の違いを基準として男に権威を置き、女性を男性の権威下に置く権威主義をそれぞれの存在性のモノサシとしている。

 このような男女それぞれに対する価値づけの上下が日本の男尊女卑の風潮となって社会に脈打ち、歴史となって引き継ぐことになって、男女平等を謳う民主主義の時代になっても現在も色濃く残すことになっている社会の状況ということであるはずだ。

 この手の日本の男尊女卑が、管理職の女性比率がアメリカ43%、フランス38%等、欧米では30%超が普通であるのに対して日本に於ける女性管理職の割合は1割前後という低い比率に反映している主たる要因でもあろう。

 安倍晋三たち女系天皇反対派は皇族と一般国民は違うと言うかもしれないが、そのような反論は許されない。なぜなら、人間の価値・権威は皇族であろうと一般国民であろうと、それぞれがどのような人間であるのかの人間性で決められるべきで、血や家柄、いわば血統で決められるべき時代ではないからだ。

 もし厳密に人間は血の違いで権威づけも価値づけもすべきではなく、真に男女平等であるとする思想に立っていたなら、女性天皇の夫が皇族ではなく、青い目の男性であったとしても、妻たる女性天皇と青い目の夫は血の違いで権威づけることも価値づけることもなく、権威も価値も血も等価値ということになって、二人の間の子どもの父親たる青い目の祖先を辿って初代神武天皇に辿り着くことができなかったとしても、優先されるべきは二人の存在性の平等性であるはずだ。

 存在性の平等である地点から、それぞれの人間の人間性が判断されることになる。

 初代神武天皇に辿り着くことができないことが問題とされ、辿り着くことが優先されるとするなら、女性天皇と青い目の夫との等価値・等権威――二人の存在性の平等性は意味を失う。

 皇族であろうが一般国民だろうが、最優先に尊重されるべきは男女の存在性の平等性であるはずだ。そういった時代ではないにも関わらず、男性と女性、どちらの血が上だとか下だとか、その上下で権威や価値が判断されるとしたら、あるいは皇族と一般国民は違うと、その血に違いをつけ、権威・価値を差別するとしたら、国民同士の平等性は失われるし、天皇対国民に関して言うと、戦前と同様に国民は天皇に従属する存在に位置づけられるていることを意味することになる。

 当然、そのような価値観を持った人間が女性尊重をどう言おうが、女性の権利をどう訴えようが、マヤカシ、キレイゴトの類に堕することになるはずだ。

 再度言う。安倍晋三が血の違いを価値基準として女系天皇反対の姿勢を取っている以上、国連総会演説で取り上げた、一見して女性の人権尊重を訴えているように見える「女性に対する性的暴力の防止」とか、弱者の立場に置かれがちな女性の存在性に対する配慮等はいいところを見せるための付け焼き刃に過ぎないと断言できるし、キレイゴト名人の戯言としか言い様がない。

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安倍晋三「私を右翼の軍国主義者と呼びたいのであれば、どうぞ呼んで頂きたい」は中国に対する挑発

2013-09-27 09:04:52 | Weblog

 

 ――積極平和主義の宣言や中国に対して「常に対話のドアを開けている」の言葉をウソにする中国に対する挑発の言葉となる。――

 軍国主義者と呼ぶも呼ばないも、安倍晋三のその本質は国家主義者であり、軍国主義者そのものである。時代が許さないから、その本質をじっと抑えているに過ぎない。

 「侵略戦争の定義は定かでない」と戦前の日本の侵略戦争を否定し、国民よりも国家を優先させた戦前の国家主義的国家日本を、あるいは軍国主義国家日本を肯定していること一つ取っても、国家主義者・軍国主義者であることの証明しかならない。

 安倍晋三は現在、強い国家・強い軍隊を望んでいる。強い経済を支えとした強い国家・強い軍隊への目論見であろう。当然、強い経済、強い軍隊、強い国家という順序を取る。

 国民は強い経済をつくり出す人材に過ぎない。このことは安倍晋三の人権意識の希薄さが証明している。

 確かに人権を尊重する発言を繰返しているが、単なる言葉に過ぎない。2013年4月28日主権回復の日の安倍式辞から人権発言を見てみる。

 安倍晋三「戦後の日本がそうであったように、わが国の行く手にも容易な課題などどこにもないかもしれません。しかし、今61年を振り返り、汲むべきは、焼け野が原から立ち上がり、普遍的自由と民主主義と人権を重んじる国柄を育て、貧しい中で次の世代の教育に意を注ぐことを忘れなかった先人たちの決意であります。勇気であります。その粘り強い営みであろうと思います」(MSN産経

 「普遍的自由と民主主義と人権を重んじる国柄」だと言っているが、これが安倍晋三の本質的な人間性から出た言葉ではなく、時代の要請によってそう見せなければならない単なる言葉に過ぎないことは2012年4月28日の自民党主催の「主権回復の日」に送った安倍晋三のビデオメッセージの発言が証明することになる。

 安倍晋三ビデオメッセージ「本来であれば、この日(主権回復の日)を以って、日本は独立を回復した国でありますから、占領時代に占領軍によって行われたこと、日本がどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、それをきっちりと区切りをつけて、日本は新しスタートを切るべきでした」――

 要するに「普遍的自由と民主主義と人権を重んじる国柄」は日本国憲法を占領軍がつくった憲法だからと否定し、「占領時代に占領軍によって行われたこと、日本がどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか」と否定している占領軍による占領時代の日本に対する国家統治・国民統治が育む素地を与えた「国柄」であって、日本人自身の手によって獲得できなかった「国柄」であるのは戦後の幣原内閣が目論んだ「日本国憲法改正松本私案」の大日本帝国憲法と殆ど変わらない復古主義が証明していることであって、占領軍の施政を否定していること自体が人権意識の希薄さを物語ることになる。

 言葉を替えて説明すると、日本国民は安倍晋三が占領軍がつくったとしている日本国憲法によって戦後初めて基本的人権の自由――思想・信教の自由、表現の自由、言論の自由等々を手に入れることができ、今日の「国柄」に至ったのであり、そのような変遷に対して安倍晋三は「日本がどのように改造されたのか」と否定的文脈で語っているのである。

 以って人権意識の程度を知るべしである。

 もし人権意識が濃密なら、自国民の人権のみならず、他国の人権状況にも黙っていられないだろう。だが、中国やロシアで人権が無視されていても、直接声を上げたところを見たことがない。

 「私を右翼の軍国主義者と呼びたいのであれば、どうぞ呼んで頂きたい」の発言は国連総会出席のためアメリカを訪問していた安倍晋三が日本時間の9月26日未明、保守系のシンクタンク「ハドソン研究所」で英語で演説した中で口から飛び出させたという。

 演説のテーマは集団的自衛権行使容認のための憲法解釈見直しへの理解と、アメリカと連携して世界の平和と安定に貢献していく「積極的平和主義」の姿勢提示等となっている。

 《首相 「積極的平和主義」で世界に貢献》「NHK NEWS WEB」/2013年9月26日 4時59分)

 安倍晋三「日本はアメリカが主たる役割を務める安全保障の枠組みにおいて鎖の強さを決定づけてしまう弱い環であってはならない。積極的平和主義のための旗の誇らしい担い手になる。

 ・・・・・・・

 日本のすぐそばに軍事支出が少なくとも日本の2倍で毎年10%以上の伸びを20年以上続けている国がある。日本は11年ぶりに防衛費を増額したが、たった0.8%に過ぎない。私を右翼の軍国主義者と呼びたいのであれば、そう呼んで頂きたいものだ」――

 この発言の順序が、《米研究所での安倍首相演説要旨》時事ドットコム/2013/09/26-03:42)記事では前後逆となっている。

 集団的自衛権の行使を真剣に検討していることを訴えてから。

 安倍晋三「本年、わが政府は11年ぶりに防衛費を増額した。すぐそばの隣国に、軍事支出が少なくとも日本の2倍で、米国に次いで世界2位という国がある。毎年10%以上の伸びを20年以上続けている。私の政府が防衛予算をいくら増額したかというと、たったの0.8%にすぎない。従って、もし私を右翼の軍国主義者と呼びたいのであれば、どうぞ呼んで頂きたい。

 日本は地域、世界の平和と安定に今までにも増してより積極的に貢献していく国になる。私は愛する国を積極的平和主義の国にしようと決意している。私に与えられた歴史的使命は、日本に再び活力を与えることによって、積極的平和主義の旗の誇らしい担い手となるよう促していくことだ」――

 相変わらず合理的認識性ゼロの発言をしている。たったの0.8%防衛予算増額一つを取って、「右翼の軍国主義者」としているわけではない。政治姿勢自体に国家主義・軍国主義を隠していることから、そう呼ぶのであって、それを日本の防衛予算増額を理由として呼ぶなら呼べと、愚かしくも中国を挑発したのである。

 中国を挑発したことに本人が気づいているかどうかは分からない。単細胞にできているから、挑発したとは思っていないかもしれない。
 
 中国の防衛予算について、「軍事支出が少なくとも日本の2倍で、米国に次いで世界2位という国がある。毎年10%以上の伸びを20年以上続けている」と言っているが、確かに中国の防衛予算の著しい不透明性と共産党一党独裁体制は問題だし、両者は相互関係にあるが、中国の国土面積は960万k㎡で日本の約26倍、人口は日本の10倍の13億3千万人余であることと、日本の軍事支出が中国の2分の1であったとしても、日米安保条約で軍事的一体組織となっている在日米軍能力を防衛予算に換算して加算した場合、2分の1の軍事支出では済まない、実態以上の軍事支出になるはずだ。

 残念ながら、「在日米軍能力 防衛予算 換算額」で検索したものの、望む情報に巡り合うことができなかったが、全体を見ずに防衛予算額だけで判断して発言するところにも非合理的認識性を否応もなしに見ることになる。

 また、ある国との関係を決定づける軍事力はあくまでも最終手段であって、政治的関係は国の指導者の姿勢や外交によって、経済的関係は技術に裏付けされた製品や技術そのものの輸出入によって決まっていく。

 前提としなければならない後者の関係性を無視して、集団的自衛権行使の検討を言い、中国の軍事支出の突出を批判する、軍事力を問題とした文脈の中で、「もし私を右翼の軍国主義者と呼びたいのであれば、どうぞ呼んでいただきたい」と中国を挑発した。

 これでは「積極的平和主義のための旗の誇らしい担い手になる」との宣言をウソにするばかりか、中国向けに言っている「常に対話のドアは開けている」という言葉自体もウソにすることになる。

 このように言葉をウソにしている自体が、安倍晋三が平和主義者でも何でもなく、対極にある国家主義者・軍国主義者を正体としていることの証明ともなるはずだ。

 演説している時の顔は自信たっぷりで、得意げな笑みを見せていたが、発言そのものからは愚かしさばかりを感じ取ることしかできなかった。

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安倍晋三のアベノミクスはトリクルダウン式利益配分、平等とならない「好循環」はいいこと尽くめではない

2013-09-26 08:28:05 | Weblog



 まあ、アベノミクスであろうと何であろうと、安倍晋三の経済政策がトリクルダウン式利益配分を構造としていることは既に誰かが言っているだろうし、私自身も2006年5月2日の当ブログ記事――《小泉政治に見るトリクルダウン‐『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で、安倍内閣は政治の舞台にまだ姿を表していなかったが、〈同じ穴のムジナに位置する小泉政治の後継者であったなら、格差は引き続いて拡大方向に向かうことになるだろうから〉と書いたとおりに安倍晋三は第1次内閣の経済政策ではトリクルダウン式利益配分の小泉政治の後継者であった。当然、小泉純一郎の格差拡大政治を受け継いでもいた。
  
 トリクルダウン(trickle down)とはご承知のように「(水滴が)したたる, ぽたぽた落ちる」という意味で、上を税制やその他の政策で優遇、富ませることによって、その富の恩恵が下層に向かって滴り落ちていく利益再配分の形を取るが、上が富の恩恵をすべて吐き出すわけではないし、より下の階層も同じで、受けた恩恵を自らのところに少しでも多く滞留させようとする結果、各階層毎に先細りする形で順次滴り落ちていくことになり、最下層にとっては雀の涙程の富の恩恵――利益配分ということもある。

 但し人間社会に於ける収入という利益獲得は否応もなしにトリクルダウン式利益配分の構造によって成り立っている。会社(=企業)が利益を上げ、その中から被雇用者に給与として利益配分する給与体系を基本としている以上、上がより多く手にし、下がより少なく手にするトリクルダウン式利益配分になるのは宿命と言うことができる。

 当然、そこには経済格差が生じる。経済格差によって、社会は上層・中間層・下層という階層社会を形成することになる。このような階層構造そのものがトリクルダウン式利益配分そのものになっていることを象徴している。

 経済格差は避けられない社会的構図だとしても、トリクルダウン式利益配分が偏り過ぎないように監視し、偏り過ぎた場合は是正するのが政治の役目であろう。

 2008年9月のリーマンショック以前の02年2月から07年10月まで続いた「戦後最長景気」と重なった小泉時代(2001年4月26日~2006年9月26日)と第1次安倍時代(2006年9月26日~2007年9月26日)は大手企業が軒並み戦後最高益を得たが、利益の多くを内部留保にまわして一般労働者に賃金として目に見える形で還元せず、その結果個人消費が低迷、多くの国民に実感なき景気と受け止められるに至る、滴り落ちるどころか、水源(=大企業等の社会の上層)は満々とした水を湛えていたが、断水状態の最悪のトリクルダウン式利益配分の政治を実現させた。

 結果が経済格差・収入格差・都市と地方の格差等々の格差拡大社会を政治の答とした。

 この反省からだろう、安倍晋三は盛んに賃金の上昇を言うが、根のところでトリクルダウン式利益配分の経済政策を政治体質としていることは企業優先の政策を次々を打ち出していることからも証明できるはずである。

 果たしてかつての偏り過ぎを是正できるかどうかにかかっている。

 安倍晋三がこのたび打ち出した復興特別法人税の1年前倒し撤廃方針も、先ずは企業に足枷となっている法人税上乗せの「復興特別法人税」を取り外すことで企業という上を富ませて、その利益の恩恵を下層に向けて滴らせようとするトリクルダウン式利益配分を構造とした政策配慮であるはずだ。

 このことは訪問先のニューヨークで9月24日夜(日本時間25日朝)記者団に語った発言そのものが証明している。

 《首相 復興特別法人税撤廃の必要性強調》NHK NEWS WEB/2013年9月25日 9時25分)
 
 記事は、〈「復興特別法人税」を1年前倒しして撤廃する方針について、「国民に均等に恩恵が行き渡るという観点で捉えることが大事だ」と述べ、経済成長の好循環につなげるため撤廃が必要だと強調しました。〉と解説した上で、全体の発言を取り上げている。

 安倍晋三「企業の活力を維持することによって、必ず賃金に反映され、消費の増大につながり、また企業の収益が増え、賃金に回っていく。こういう循環に入ることにより、広く国民に景気回復の恩恵が行き渡るようにすべきだ。その観点から法人税をどう考えるか考えるべきで、法人対個人ということでなく、国民全体の収入を上げるためにはどうしたらいいかを考える必要がある」――

 解説では「国民に均等に恩恵が行き渡るという観点で」と発言したことになっているが、全体の発言では、「広く国民に景気回復の恩恵が行き渡るようにすべきだ。その観点から」となっていて、解説での「均等に」が抜けていて、その代わりに「広く」と発言したことになっている。

 「均等に」と「広く」では大きな違いがある。既に書いたように人間社会に於ける収入という利益獲得が否応もなしにトリクルダウン式利益配分の構造によって成り立っている以上、「国民に均等に恩恵が行き渡る」ことは不可能だし、あり得ないことだからだ。

 「均等に」は、全体に対する働きかけと結果の全体への波及を意味しなければならないが、「広く」は働きかけの結果は広い範囲を示すものの、決して全体を結果としない。 

 当然、前者は妥当性を欠くことになり、後者は妥当性を維持し得ることになる。

 【均等】「二つ以上のものの間に、差が全くなく等しいこと。また、そのさま。平等」(『大辞林』三省堂)

 差のない利益配分など存在しない。

 他の記事ではどのように発言を取り上げているか調べてみた。《安倍首相、企業減税に意欲…NYで記者団に》YOMIURI ONLINE/2013年9月25日(水)14時7分)

 安倍晋三「広く国民全般に景気回復の利益が均てんしていく(平等に広がる)、その観点から法人税をどう考えるか。『法人』対『個人』でなく、国民全体の収入を上げるにはどうすればいいか、議論を冷静にしていく」――

 安倍晋三が「均てん」などといった難しい言葉遣いをしないのに記事が使うはずはないから、安倍晋三自身が使った言葉であろう。

 私自身も知らない言葉だから、辞書を調べてみた。

 【均てん】=均霑「等しく利益に潤うこと」(『大辞林』三省堂)

 「NHK NEWS WEB」記事は、「均てん」を理解しやすいように「均等」と意訳したのだろう。安倍晋三にしても一般人には耳慣れていないと思われる難しい言い回しをせずに、「均等」という分かりやすい言葉を使うべきだと思うが、そこは功名心が強くて、言葉でも有能な政治家だと思わせたいばっかりについつい難しい言葉を使うことになったに違いない。

 だから、「地球儀を俯瞰するように戦略的外交」などといった、聞こえはいいが、訳の分からないことを言うことができる。実際にやっていることはただ単に取り立てて関係悪化を招いている利害不一致の課題を抱えていない国々を回ってタテマエ上の利害一致を謳った上で相互に可能な国益を交換し合うことを以って外交だとする、誰もができることをしているに過ぎない。

 復興特別法人税1年前倒し撤廃方針に関わる安倍発言に戻るが、「均てん」と言おうが、「均等」と言おうが、社会のトリクルダウン式利益配分の現実に則さない、そのことを全く理解していない平等性を置いた発言は、当然、ウソを言っていることになる。

 難しい言葉を使えば、立派なことを言っていることになるとは限らない。

 復興特別法人税1年前倒し撤廃により「企業の活力を維持することによって、必ず賃金に反映され、消費の増大につながり、また企業の収益が増え、賃金に回っていく」と例の如くにアベノミクスの好循環を謳っているが、決して平等な利益配分の好循環ではなく、あるいは偏り過ぎを極力排除したトリクルダウン式利益配分の好循環ではないのは、安倍晋三が産業界に要請した賃上げ要請が、大企業が260兆円もの内部留保を掲げながら、基本給の引き上げではなく、より人件費の負担の少ないボーナス等の一時金で応えている状況が、それも多くない企業であることが証明している。

 この大企業を筆頭とした以下の企業の内部留保志向はバブル崩壊やリーマン・ショック、ヨロッパの金融危機、その他を経験して、万が一突然襲ってくるかもしれない似たような経済災害・金融災害に対する備えやその他国際競争力維持等から発してある種のトラウマとなっているもので、備えに対する強迫性を内に含んでいるはずだ。

 そうでなければ、一方で内部留保を増やし、その一方で人件費を抑制できる非正規社員の年々の増加といった状況は出てくるはずはない。貧しい若者の僅かな給与から削ってまでして、内部留保に回すことはしないはずだ。強迫性があってこそ、できる。

 例え政府が従業員の給与やボーナスなどを5%以上増やした場合、増額分の10%をその事業年度の法人税額から差し引き軽減する「所得拡大促進税制」を来年4月からの消費税増税に備えて改正、「5%以上」を「3%以上」に緩和したとしても、あるいは1年前倒し撤廃して浮いた復興特別法人税を賃金に回す何らかの政策を講じたとしても、企業の内部留保志向は基本のところで変わるまい。

 政府の企業優遇政策がどのようなものであっても、襲ってきた場合のバブル崩壊とかリーマン・ショック並みの経済災害・金融災害は優遇政策の効力を一瞬にして失わせるだろうからである。

 安倍晋三はアベノミクスに於ける利益配分を「好循環」という表現でいいこと尽くめのように言っているが、資本主義社会に於いて、特にグローバル社会となった今日に於いて、「均てん」といった平等・均等な利益配分は存在しないし、アベノミクスが企業利益優先のトリクルダウン式利益配分を本質としている以上、安倍晋三の約束に反して「好循環」がいいこと尽くめでないことを覚悟しなければならない。

 最悪、小泉・安倍第1次時代の再来となる、断水状態のトリクルダウン式利益配分とならない保証もない。

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猪瀬知事の安倍発言「状況はコントロールされている」の言葉の詐術を包み隠す「コントロールされていない」

2013-09-25 09:41:44 | Weblog



 どうでもいい話だが、テレビドラマ『相棒』の杉下右京でもないし、その聡明さに程遠いにも関わらず、ちょっとしたことが気になって、どうでもいいことをどうでもいいなりに記事にしてみた。

 安倍晋三は9月7日夜(日本時間)、オリンピック東京招致最終プレゼンテーションで福島原発の汚染水について次のように発言している。

 安倍晋三「フクシマについて、お案じの向きには私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、如何なる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません」(NHK NEWS WEB)――

 英語でのプレゼンテーションだったというから、「統御」はコントロールと発言したことになる。「NHK NEWS WEB」記事も英文のプレゼンテーションを併記させていて、「under control」と発言、コントロール下(=統御)にあることを示唆している。

 大方のマスコミが「状況はコントロールされている」とか、「状況はコントロールされており、全く問題はない」と要約したのも当然である。

 だが、何を対象とした「状況」なのかと言うと、英文スピーチで「about Fukushima」と言い、{NHK NEWS WEB」記事が「フクシマについて」と書いているように、福島という場所を特定した「状況」であり、汚染水の海洋流出が問題となっていた以上、「Fukushima」にしても「フクシマ」にしても、福島第1原発が立地している場所――敷地内を指すはずだ。

 要するに「福島第1原発の敷地内に於ける汚染水の状況はコントロールされている」と発言したとしなければならない。

 その上で、後段の「東京には、如何なる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません」の無影響は福島第1原発の敷地内に於ける汚染水の状況がコントロールされていることの結果としていると見なければならない。

 以前この発言を取り上げてブログ記事にしたときは迂闊にも気づかなかったが、プレゼンテーションのときには「福島第1原発の敷地内に於ける汚染水の状況はコントロールされている」との趣旨で「福島第1原発敷地内」を場所とした状況をプレゼンテーション後の各国IOC委員との質疑では、「福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメールの範囲内」へと場所をすり替えていることに気づいた。

 安倍晋三「汚染水による影響は、福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメールの範囲内で完全にブロックされている。福島の近海で行っているモニタリングの数値は最大でもWHO=世界保健機関の飲料水の水質ガイドラインの500分の1だ。また、わが国の食品や水の安全基準は世界で最も厳しいが、被ばく量は日本のどの地域でもその100分の1だ。健康問題については今までも現在も将来も全く問題ない。

 (汚染水対策について)抜本解決に向けたプログラムを私が責任を持って決定し、すでに着手している。責任を完全に果たしていく」(NHK NEWS WEB)――

 「汚染水による影響は、福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメールの範囲で完全にブロックされている」とは、汚染水は「0.3平方キロメール」の外の外洋には出ていないという意味であって、港湾内の汚染水が福島原発1~3号機で発生させている汚染水が地下に漏れていることを原因として、地下水と一体化して港湾内に流れ混んでいる結果としてある状況を示している以上、「港湾内の0.3平方キロメールの範囲」を汚染水の流れに遡った上流区域は汚染水はコントロールされていないことを示すことになる。

 いわば福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメールの範囲で完全にブロックされている」ことを以って、「フクシマについて」(=福島第1原発について)、「状況は、統御されています」とは決して言えないということである。

 だが、言っている。当然、ウソでしかない事実と異なる云々となり、「福島」(=福島第1原発)という場所を「港湾内の0.3平方キロメール」という場所にすり替えて、さも福島第1原発自体もコントロールされているように思わせるゴマ化しを働いたことになる。

 福島第1原敷地内の汚染水がコントロールされていないからこそ、コントロールできていない場所の汚染水を政府が乗り出して解決すると安倍晋三はプレゼンテーション後の内外記者会見で言明したはずだ。

 安倍晋三「(汚染水を)完全に問題ないものとする抜本解決に向けたプログラムを既に政府は決定し、かつ、既に着手している。私が、責任をもって、実行していく」(首相官邸HP

 「私が、責任をもって、実行していく」と断言しているが、汚染水解決を東電任せにし、政府として果たさなければならなかった東電に対する管理・監督を満足に「責任をもって、実行して」こなかった怠慢を棚上げしていることに変わりはない。

 このような安倍晋三の「状況はコントロールされている」発言に対して、猪瀬東京都知事は9月20日の定例記者会見で、「コントロールされていない」と発言している。

 《【猪瀬直樹知事会見詳報】福島第1原発「『アンダーコントロール』にするという意志表明が大事」》MSN産経/2013.9.23 07:00)

 記者「五輪招致に向けたブエノスアイレスでのプレゼンテーションで安倍総理が『原発は完全にコントロールされている』と世界に発信したが、知事はこれで世界に理解されたと考えているか」

 猪瀬都知事「ぼくは、安倍首相がブエノスアイレスに着く前の日に会見をやっている。その前の日に(JOC会長の)竹田(恒和)さんが記者会見をやっている。そこで『風評はだめだよ』ということを外国人ジャーナリストに言いました。『一部真実があるとしても、全体が風評になっているような表現の質問はだめですよ。経済産業省のホームページに英語で書いてありますから見てくださいね』と言いました。そうしたら静かになった。つまり基本的なことは書いてある。

 但し、安倍首相が『アンダーコントロール』だと宣言して、今、必ずしもアンダーコントロールではありませんよ。だからアンダーコントロールにする、アンダーコントロールになるんだと意思表明したことが大事で。東電の現場はいっぱいいっぱいなんです。ここでやっぱり政府はきちっとやるんだという意志を示して実際に金を出す、その姿勢が今回非常に大事。外国人もそういうやりますということで、風評たくさん混ざってましたが、一旦それは解決した。われわれ国内問題としてはこれからやっていく、ちゃんとやっていただくのはそれは良いことだと思っている」――

 「安倍首相が『アンダーコントロール』だと宣言して、今、必ずしもアンダーコントロールではありませんよ」と言っている。

 安倍晋三が事実と異なる「福島第1原発の汚染水の状況は、コントロールされている」との趣旨の発言をし、その具体的説明として「汚染水による影響は、福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメールの範囲で完全にブロックされている」と、そのことによって福島第1原発敷地内の汚染水自体がコントロールされているかのように思わせたのだから、「必ずしもアンダーコントロールではありませんよ」と指摘するのは間違っていない。

 だが、「だからアンダーコントロールにする、アンダーコントロールになるんだと意思表明したことが大事」とするのは、安倍晋三の言葉の詐術を包み隠すことで安倍発言を擁護する狡猾なゴマ化し以外の何物でもないはずだ。

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安倍晋三のアベノミクス好循環は経済界にとって業績回復への賭けの確信的根拠となり得ていない

2013-09-24 08:21:47 | 政治

 

 安倍晋三は9月20日(2013年)、首相官邸で開催の政府と経済界、労働界三者出席の第1回「政労使会議」で次の3点の指摘を受けて、最後に纏めの発言している。

 先ず3点の指摘。

 「我が国企業が厳しいグローバル競争の下で勝ち抜くための環境を整備することの重要性」

 「企業の収益拡大が、時間を置かずに賃金の上昇や雇用の拡大につながることの重要性 」

 「非正規雇用や女性をはじめとする多様な働き方の重要性」

 安倍晋三「本日は、大変お忙しい中ご出席をいただき、また貴重なご意見をいただいたことに感謝を申し上げたいと思います。

 次元の異なる経済政策によって、経済がマイナスからプラスに反転する動きが出ております。デフレ脱却、また経済のダイナミズムを取り戻す方向に向かっているのは事実であります。この動きを、企業収益、そして賃金・雇用の拡大を伴う経済の好循環につなげられるかどうか、ここがまさに勝負どころなんだろうと思います。

 (中略)

 政府としても、好循環実現に向けて思い切った対応を検討してまいります。産業界、労働界の皆様におかれてもぜひ大胆に取り組んでいただきますようよろしくお願いを申し上げます」――

 目指すは「企業収益・賃金上昇・雇用の拡大の好循環」であり、アベノミクスの核心、成否のカギだから、産業界、労働界はぜひ応えて貰いたいと言っている。

 安倍晋三と甘利経済再生担当相等々が狙っている法人税の実効税率引き下げにしても、企業基礎体力強化→企業収益→賃金上昇→雇用拡大の好循環のレールに乗せる目的からだという。

 安倍晋三が実体経済が動かないうちから産業界に賃上げ要請を行ったのは賃金が下降傾向にある中でアベノミクス効果による円安によって輸入生活物資が値上がりし始めて、一般消費者の生活を圧迫するのは目に見えて明らかになってきたからだろう。

 2013年2月1日の参議院本会議代表質問で市田共産党書記局長と安倍晋三との遣り取りがこのことを証明している。

 市田共産党書記局長「政府としての賃上げ目標を掲げ、中小企業への手立てを講じるなどして、最低賃金の大幅アップなどを実行すべきだ」

 安倍晋三「経済の再生を通じて雇用や所得の拡大に全力で取り組んでいる。賃金などの労働条件は各企業の労使関係で決定されるものだが、成長戦略で企業の収益を向上させ、雇用の拡大や賃金の上昇をもたらす好循環を生み出していく」(NHK NEWS WEB

 2月1日の時点では、「賃金などの労働条件は各企業の労使関係で決定される」と従来からの賃金決定方式を主張し、政府介入を否定する文脈で、賃金上昇をアベノミクスによる好循環に託している。

 いわばアベノミクスが実体経済を動かし、実体経済が賃金上昇を促していくというルートを選択していたのである。

 ところが、舌の根が乾かないうちにと言うか、4日後の2月5日(2013年)になって、政府は経済財政諮問会議を開き、安倍晋三は出席の経済界民間議員に対して賃上げ要請をしている。

 安倍晋三「業績が改善している企業には、報酬の引き上げを通じて所得の増加につなげるようお願いする」(毎日jp
 
 「業績が改善している」と言っても、大胆な金融緩和策による円安と株高を受けた資産向上であって、実体経済が企業収益に資する目に見える形で実質的に動き出していたわけではない。

 2013年2月の時点でガソリンは11週連続して値上がりし、政府買い付けの小麦粉の製粉会社への売り渡し価格も4月から10%程度値上がりする予定となっていたし、輸入エネルギーの値上げによる光熱費の高騰も囁かれ始めるといった生活状況の中で、2014年の消費税増税を控えて、消費者が生活の不安を訴え出したことと、小泉内閣とそれを引き継いだ安倍第1次内閣で「戦後最長景気」を迎えて各企業は軒並み戦後最高益の恩恵を受けていながら、企業利益を賃金アップという形で再分配することを怠ったために個人消費は伸びず、格差拡大という果実のみを成果としたことの批判を受け始めたことが、実体経済が動くまで待てずに政府介入の賃上げ要請ということになったはずだ。

 特に2014年4月の消費税増税を控えて、その影響による個人消費の冷え込みを緩和するには何よりも賃金上昇が条件となることから、実体経済が動くまで賃金上昇を待っていたなら、逆にアベノミクスを阻害しかねない恐れを抱くようになったといった事情も抱えていたに違いない。

 安倍晋三は2月5日の経済財政諮問会議開催から7日後の2月12日、経済同友会・経団連・日本商工会議所の経済3団体のトップとの「意見交換会」で自身もそうすべきだとしていた従来からの賃金決定方式を捨てて、直接賃上げ要請を行うに至っている。

 安倍晋三「業績が改善している企業は報酬の引き上げなどの取り組みをして頂きたい」

 「意見交換会」終了後、記者たちに。

 米倉経団連会長「業績が良くなれば一時金や賞与に反映される」(47NEWS

 米倉会長は実体経済が動くことを条件とすることを表明、政府要請を条件としない立場を示しているが、ベースアップといった恒久的な賃上げではなく、「一時金や賞与」という限定的形式の賃金上昇としている。

 このこと自体が既に安倍晋三のアベノミクスが謳う好循環が経済界にとって業績回復への賭けの確信的根拠となり得ていないということを意味しているはずだ。

 安倍晋三や甘利はその後も折に触れて経済界に賃上げ要請を行っているが、経済界は芳しい反応を見せていない。安倍晋三側から言うと、アベノミクスという偉大な政策を糧に経済界に対して企業業績回復への賭けの確信的根拠を与えるに至っていないということになる。

 このことは各関係機関が企業調査を通して賃上げの条件を尋ねているが、殆どが実体経済の動向を条件としていることに現れている。

 もし確信的根拠となり得ていたなら、実体経済が動くのを待たずに先ず賃金を上げて、賃金上昇を誘因として個人消費を伸ばすことを策し、個人消費がモノの売れ行きを改善・促進して企業業績を回復させていく、賃金上昇を出発点とした後発的時間差の循環への賭けに出るはずだ。

 最新の企業調査の一つを見てみる。《ロイター企業調査:消費増税時の賃上げは業績次第、ベア回避8割超》ロイター/2013年 09月 20日 07:09)
 
 ロイター短観と同時に同じ対象企業に実施したロイター企業調査である。調査期間(8月30日~9月13日)調査対象400社。回答社数260社程度。

 「2014年4月消費税3%増税に対応して賃金引き上げを検討している企業」

 「賃金引き上げ検討」――13%
 「現状維持」――48%
 「業績回復次第」――37%

  貴社の賃金交渉に於ける基本的な考え方は次のどれですか」(1つだけ)――(250社回答)

 「消費税分はベア引き上げ、それ以外はボーナス等対応」――8%
 「なるべく多くの部分をベア引き上げで対応」――8%
 「ボーナスなど一時金」60%
 「賃上げは全く念頭にない」――24%

 安倍晋三が法人税の実効税率引き下げだ、設備投資減税だと企業に利益となる減税を打ち出していながら、回答250社のうち、「なるべく多くの部分をベア引き上げで対応」の8%、20社のみがアベノミクスを企業業績回復への賭けの確信的根拠としているに過ぎないということになる。

 かくも信用されていない安倍晋三のアベノミクスとなっている。

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安倍晋三のフェイスブックにブロックされたようだ ケチ臭い話ではないか

2013-09-23 08:40:52 | 政治

 

 2013年7月参院選後から、安倍晋三のフェイスブックにアクセクできなくなった。「このページはご利用いただけません リンクに問題があるか、ページが削除された可能性があります」の文言が表示されて、文言の下に右手の拳を握って一本だけ突き立てた親指の頭に包帯が巻いてある画像がでんと鎮座している。 

 フェイスブック利用規約に違反するコンテンツを投稿した場合、そのことによって不利益を被る側からの通報等によってフェエイスブック側がそのページのアカウントを停止するケースがあるということだが、アカウントを停止されたなら、フェイスブックそのものを利用できなくなる。利用できる状態を維持しているから、私自身のフェイスブックはアカウント停止を食らっていないことになる。当方からの安倍晋三のフェイスブックページに対するアクセスのみ、ブロックされたとしか考えることができない。

 フェイスブックやツイッターのシステムにあまり詳しくないから、最初はページが削除されたのかなと思った。だが、時々暇を見つけてインターネットで調べてみたら、「ブロック」という機能があって、安倍晋三側からブロックされたようだと気づいた。

 安倍晋三が田中均元外務審議官の拉致問題に関わる対安倍発言批判に対して自らのフェイスブックで反論、小泉訪朝後の田中均氏の対応に対して批判を展開していることを新聞記事で知って、小泉訪朝時の拉致被害者の帰国に関わるそもそもの間違いを指摘する当方のブログ記事を紹介するコメントを寄せたのがキッカケで、折に触れて安倍晋三批判のブログ記事を書いてはコメント欄に紹介してきた。

 そして参院選約1カ月前から、安倍晋三をヒトラーに仕立てた画像をブログ記事冒頭に載せた。そのことも安倍晋三の心証を害することになったのかもしれない。

 時には全世界にまで通じる公共性を担ったマスメディアの影響力とは比較にならない微小な個人による泡沫的な批判言論であったとしても、僅かながらに読者が存在する以上、何らかの公共性を持たないわけではないのに対して自身の主張に反するからと、あるいは気に食わないからとブロックという方法で批判言論を遮断したのだとしたら、自身が常に正しい訳ではないにも関わらず、逆に批判のない気に入る意見や主張だけに触れて自己を常に正しい場所に立たせようとする素地を本質としていて、そのことゆえに一方で異質を排除する衝動を隠し持っていることになり、言論というものに対して一国の首相でありながら、ケチ臭い偏狭な態度しか持ち合わせていないことになる。

 政敵の存在やマスコミの批判を当たり前とする政治の世界にあって精神を逞しく育てているはずだが、そうはなっていないということでもある。

 第1次安倍内閣で親しい仲間だけを集めて「お仲間内閣」と批判されることになったことも、その素地が影響していたはずだ。第2次安倍内閣でも、国家主義思想の点でベッドを共にしている高市早苗や稲田朋美、下村博文のお仲間を身近に置いている。

 彼らの意見・主張は安倍晋三にとって耳に心地よい音楽に聞こえるに違いない。

 だが、微小な個人による泡沫的な批判が心地よい音楽を消し去って、不快な雑音として耳を煩わせたということか。

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川勝知事の校長名公表/テストの成績でその人の将来が決まるなら、お笑いタレントは殆ど存在しなくなる

2013-09-22 07:00:22 | Weblog



 2013年4月24日(水曜日)実施2013年度全国学力・ 学習状況調査で静岡県は小学6年生の国語のうち基礎的な知識をみる「問題A」で全国最下位の名誉ある成績を獲得したらしい。

 その名誉をどう讃えるかだが、静岡県知事の川勝平太65歳は成績の低い学校の校長名を公表する方針を示した。

 表彰台に立たせることまで考えたかどうかは分からないが、発表されたなら、高校や大学の合格者発表の掲示板に書かれた合格者名のように校長たちの名前は象徴的な意味で高々と掲げられることとなったに違いない。

 《静岡知事 成績低い校長名公表》NHK NEWS WEB/2013年9月9日 21時13分)

 9月9日の記者会見――

 川勝平太「危機感を持っている。責任は子どもではなく、子どもの能力を引き出す役割を担う先生にある。先生に責任感を持ってもらうために、成績が下から100校か平均点以下の学校の校長の名前を公表したい」――

 記事は、〈全国学力テストについては、序列化や過度な競争につながるのを避けるべきだとして、実施要領で個々の学校名は公表しないとされてい〉ると解説している。

 静岡県教育委員会「学校の序列化につながらないよう配慮が必要で、実施要領に反していないか、文部科学省にも問い合わせたうえで判断すべき」

 文部科学省担当者「校長名を出せば学校名も明らかになり、実施要領に反する。ルールに従ってほしい」――

 ところが、文科省は「学力向上に活用するためには、学校ごとに公表すべきだ」という指摘を考慮、専門家会議を設け、都道府県知事や市区町村長のほか、教育委員会や小中学校1000校、保護者約1万人を対象にアンケート調査を行っていて、今年11月をメドに今後の公表の在り方を纏めることにしていると記事は書いている。

 川勝平太の9月9日の記者会見から8日経過した9月17日、安倍徹静岡県教育委員会教育長が文部科学省から県教委に送付された学校別成績データを知事に非公表を条件に提出。

 川勝平太は非公表に不同意を表明。

 テレビで、教育長が成績データをテーブルに置いたまま立ち去ろうとしたのに対して川勝平太が「非公表できないのに置いていってどうするんだ」とか強い口調で言うと、教育長は振り返って持ち去っていくシーンを流していた。

 多分、川勝平太と教育委員会側と話し合いが行われたのだろう、3日後の9月20日、成績が下から100校か平均点以下の学校の校長名の公表ではなく、「現場で指導している先生を褒めるため」として、「国語A」の成績が全国の平均点以上だった86の小学校の校長名を20日夕方、県のホームページに50音順に公表したと別の「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。

 静岡県のHPを覗いてみた。参考までにHPで述べている川勝平太側からの公表の理由について記載してみる。 

 県民の皆様、特に先生方に

平成25年9月20日
静岡県知事 川勝平太
本日になってようやく、「全国学力・学習状況調査」の結果を示すデータを教育長から受けとることができました。

私は、自らの責任において、「全国学力・学習状況調査」に参加した県下507の小学校のうち、国語Aの成績が全国の平均点以上の86の小学校(全体の17%)の校長名を公表します(別紙1(PDF:55KB))。

 *なぜ校長名を公表するのか

校長名を公表するのは、学校教育の責任は現場の先生にあることを明確にするためです。

実施要領では、学校名の公表は禁じられています。校長名と学校名とは同じだという主張があります。それは誤っています。

学校と校長は同じではありません。なぜなら、学校は変わりませんが、校長・教師は異動するからです。よい教師に恵まれれば、その学校の教育水準はあがります。逆も真です。子供の能力を引き出すのは先生方の仕事です。子供の学力は教師の指導力・授業力に大きく依存しています。高校野球でも、よい監督に恵まれたチームは強くなりますが、監督の指導がよくないとチームの実力は伸びません。まして、小学校の子供の学力の伸びは、先生の指導力に大きく依存しています。小学校の校長は、その学校全体の教師の授業力・指導力をあげる責任をもっているので、責任をもっている者の氏名を公表するのです。

このたび、成績が上位の小学校の校長名を公表したのは、校長にもまして、その学校で実際に指導にあたっている多数の現場の先生方を褒めるためです。しかし、それが目的ではありません。

私の本当の関心事は、問題をかかえている先生方です。氏名を公表しなかった校長のもとで、日々子供と向き合っている先生方にこそ、私の最大の関心が向いています。うまくいっているところは放っておいてもよいのです。うまく指導ができないで困っている先生方は、私に勇気をもって申し出てください。助けます。

特に成績下位校の先生方の多くは問題や悩みをかかえているに違いありません。35人学級の実施にともない、かえって余裕を失っている学校のあることも知っています。問題をかかえた子供がいたり、日本語の不自由な子供がいたり、指導法に自信を失ったり、校長・教頭の管理職との関係がうまくいかなかったりと、悩まれている先生がいるにちがいありません。当初、成績下位校の校長のみを公表するといったのは、それらの学校の先生方に集中的に県の助力を傾注するためです。弱いところを支え、強くすることが、私の仕事です。ところが「校長の個人批判につながる」と県教委から強く反対されました。

たまたま成績が下位の学校の先生方は、独りで苦しんだり、悩んだりすることはありません。静岡県の教育方針は「地域の子供は地域全体で育てる」というものです。地域ぐるみ、社会総がかりです。地域社会の代表は県知事です。県知事としての私の信条は「来るものは拒まず、助力は惜しまず、見返りは求めず」です。知事室のドアは、いつも文字通りオープン、開いたままです。子供の指導で悩んでいる先生方は、いつでも来てください。助力を惜しみません。

 *これまでの経緯

ここに至る経緯を記しておきます。

8月28日(水曜日)―静岡新聞の一面トップに「本県小6国語A最下位」という大見出しが躍り、全国学力・学習状況調査の結果が文科省から発表されたことを知りました。私が結果を知ったのは県民の皆様と同じ日です。

8月29日(木曜日)―静岡新聞の社説の見出しは「全国学力テスト、最下位とはショックだ」です。
そして同日、この件をテーマに、県教育委員会が開かれました。

8月30日(金曜日)―静岡新聞が前日の県教委の議論の内容を一面トップで報道しました。見出しは「学力低下、危機感薄く、県教委、順位は議論されず」というものです。これを受けて、私はその日に県教育委員会にデータの提供を申し出ました。

驚いたことに、「データは届いておらず、文科省に照会する」というものでした。以後、再三、同じやりとりがありました。

9月9日(月曜日)―定例記者会見の日です。幹事社からあらかじめ寄せられた質問は「全国学力・学習状況調査の結果について知事の感想を求める」というものでした。ところが、データがないので、県教委に求めたところ、県教委担当課長から「文科省に照会中です」と、同じ返事でした。記者会見で私は質問に答え、「ショックを受けている。学校教育の責任は教員にあり、最下位の校長100名の氏名を公表します」と述べ、あわせて、県教委担当課長が同席していたので、突然、「いつデータが届きますか」と問いかけました。同課長は「9月中旬に届く予定で、それを知事に渡します」と記者団の前で明言しました。

後日、県教委は「データはすでに届いていた」とこれまでの説明を修正しました。

9月17日(火曜日)―教育長と教育委員長代理がデータをもって知事室を訪れました。しかし「校長名の公表は控えるべし」という条件がつけられたので、受け取りませんでした。

9月19日(木曜日)―昨日のことですが、私は県教委に「データの開示請求をするので、その用意をしていただきたい」と申し入れました。そうしたところ、本日の朝になって、教育長が教育委員長代理とともに、データをもってこられたという次第です。

私が県教委にデータ提供を申し入れた8月30日から、すでに三週間がたっています。

文科省が県教委にデータを送ったのは8月27日であったことがわかっています。それからすると、実に24日間もデータを県教委が独占し、秘匿していたことになります。

以上の経緯から、私は県教委の閉鎖的体質を改めて痛感しました。県の教育行政は改善の余地があります。県教委事務局には272人もの校長経験者、校長予備軍の教員がおり、その数は事務局員全体の6割をしめてます。県教委事務局の9人の課長のうち6人が校長経験者の教員です。このような方々は、子供から離れ、教室という現場とは別のところにおり、退職校長を含む、閉じられた校長サークルをつくっており、独善的ともいえる管理をしています。それを改革するために、先に教育委員会事務局組織体制の見直しに着手していますが、教育委の組織は岩盤のように固いというのが印象です。県庁内の椅子に座っている300人に近い事務局の教員の中には優れた教員がいます。彼らを子供たちのいる教室に戻すのが大きな目的です。

また、「全国学力・学習状況調査」については、テスト結果の入手がかくも難しく、一部の教育関係者の独占管理するところとなって、彼らの判断に基づいて、教育現場の先生が働かされるというのは、「民はよらしむべし、知らしむべからず」という専制者の姿勢ではないかと思います。知事は民の代表です。私を含む地域社会全体で検討したり、さまざまな地域の指導者とともに、子供の能力の開発に生かせないような「全国学力・学習状況調査」は不要ではないかとも思いました。

*現在進めている教育改革

この機会に、現在進めている本県の教育改革を紹介しておきます。

私は第一次安倍内閣の教育再生会議のメンバーでした。同会議では、ダメ教師を排除するという姿勢が強く出て、私は強い違和感をいだいていました。私の立場は、一貫しており、先生を大事にする、というものです。先生方を大事にしなければ、生徒はよくならないからです。知事に就任した4年余り前から一貫して教育改革をかかげ、先生方を大事にすると訴え、かつ政策を実施してきました。先生の負担を軽減するために、全国に先駆けて、一学級35人以下を小学校1年生から中学3年生まで前倒しで実現したのも、そのためです。

子供一人当たりの教育費が、静岡県は全国最低だという、現場を知らない誤った論評があります。過疎地や離島の小・中学校では、数人の生徒しかいません。中学では科目ごとの先生がいりますから、おのずと10人ほどの先生がつきます。ですから、子供一人当たりの教育費は高くなります。また、分校の数の多い都道府県も子供一人当たりの教育費は高くなります。

それに対し、静岡県は過疎の学校が少なく、分校は中学校は1校、小学校は5校しかありません。教師と生徒の数がバランスがとれ、効率的な学校運営ができています。数字をあげるなら、以下のことを見過ごすべきではありません。

各都道府県の歳出費に占める教育費の割合では、静岡県は全国で4位です。(平成21年度決算)
教育費の大半は人件費です。静岡県の教育費は全国で10位です。(平成23年度決算)
人材育成のためには予算は惜しんでいません。私は教育委員会の予算要求を削ったことはありません。もっと、予算を要求するようにと求めているほどです。良き人材すなわち徳のある人を育成することが本県の大目標だからです。

なお、現在進めている教育改革については、別紙2(PDF:168KB)(「教育改革に関する提案」)を参照してください。これらは、下村文科大臣にも報告してあります。以上。 

 校長名の公表は名前のみの羅列となっていて、面白味も何もない。どうせなら、顔写真付きで公表したなら、成績を上げている校長の顔というものをじっくりと拝めて、何らかの共通する情報を得て、ご利益を感じるかもしれないが、そんなこともない。

 尤も静岡県の小学校に通う子どもを抱えた父兄にとって、通う学校の校長名が乗っているかどうかは関心があるかもしれないが、載っていなければ、平均点以下の学校に通っていることを悟ることになるから、父兄からしたら、上位・下位、どちらの公表であっても、結果は同じである。

 校長からしたら、平均点以上で名前が公表されることは名誉となるかもしれないし、平均点以下で公表された場合の校長は不名誉となるだろうが、父兄や子どもにとってはどちらの公表にするかは小さな争いにしか見えないことになる。

 少なくとも父兄や子どもは小さな争いと見なけれがならないはずだ。なぜなら、テストの成績がすべてではないからであるのは断るまでもない。

 もし学校でのテストの成績がすべてで、テストの成績で将来が決まるなら、お笑いタレントは殆ど存在しなくなるだろう。中には京大卒だ、東大卒だといったお笑いタレントも存在するようだが、少なくとも芸能としてのお笑いは学校時代のテストの成績でその能力が決定されるわけではない。

 封建時代の足軽がよく付けている名前にあるような川勝平太は最初の方で、「校長名を公表するのは、学校教育の責任は現場の先生にあることを明確にするためです」と言っているが、全国学力テストの成績に限定した「学校教育」とし、「学校教育の責任」としている。

 その貶め・間違いに気づかない。

 改めて言うが、子供の将来は学校のテストの成績を絶対基準として決定されるわけではない。だが、テストの成績を絶対基準とした学校評価・校長評価となっている。

 このような評価基準は成績の上位・下位に関係せずに校長をしてテストの成績を上げなければならないとう強迫観念を植えつけ、テストの成績向上に特化した学校教育に走らせることになるだろう。

 現在に於いても、また将来に於いてもテストの成績がすべてではない子どもにとって、テストの成績向上に特化した学校教育は偉い迷惑で、そのような教育の被害者とならない保証はない。

 例え元々テストの成績が良い子どもであっても、学校教育がテストの成績向上に特化され、そのことだけを目的とした場合、学校教育の優先順位を現在以上にテスト教育に置くことになり、当然、時間の点でもエネルギーの点でも、注力に関してテスト教育に重きが置かれて、結果としてより肝心な人間教育が時間の点でもエネルギーの点でも削られていく反対給付を必然とすることになり、テスト教育の犠牲者という位置づけに変りはないはずだ。

 こういった状況を迎えた場合、テストの成績を上げなければならないという強迫観念は校長や教師だけではなく、子どもたちにも植えつけることになるだろう。

 学校教育がテスト教育一辺倒に彩られ、テストの成績が良い子どもに対しても悪い子どもに対しても、それぞれの尻を叩いて成績を上げさせるのではなく、将来的に自分の可能性を見つけることができるキッカケを学校生活の中で教えることが公平な学校教育であるはずだ。

 「テストの成績がすべてではない。テストの成績に関係なく、何か取り柄のある人間に育て」と、あくまでも人間を基準とした教育のことを言っている。

 人間を基準とせずにテストの成績を基準とした学校教育を日本の教育としながら、一方で規範意識を欠いているだ、道徳心がないだと、その人間性の欠如を騒ぐ。

 あるいはコミュニケーション能力を欠いているだ、何だと、人間能力の欠陥を騒ぐ。

 川勝平太は「Wikipedia」によると、早稲田の大学院経済学研究科を博士課程単位取得満期退学し、オックスフォード大学大学院を修了、前職は静岡文化芸術大学学長であって、先に掲げた校長名公表の理由の中で、「私は第一次安倍内閣の教育再生会議のメンバーでした」と言っている。

 要するに学校教育に造詣深い人間であるはずだが、テストの成績を基準とした教育観に侵されているこのような川勝平太を教育再生会議のメンバーの一人とする安倍晋三も大した教育観の持ち主でないことを暴露することになる。

 最後にもう一度言う。お笑いという素晴らしい能力を日夜発揮するお笑いタレントはテストの成績を能力の出発点としたわけではないはずだ。殆どがテストの成績を排除した場所から巣立っているはずだ。

 将来を決定する可能性は多様に亘るということに常に留意しなければならない。

 参考までに。

 2008年10月18日記事――《大阪府学力テスト結果開示/テストの成績が生徒すべての可能性を約束するわけではない - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》  

 2008年12月27日記事――《橋下府知事/テスト成績を公表するのが「バカ」なのか、しないのが「バカ」なのか ‐『ニッポン情報解読』》


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日本の政治の無責任と東電の無責任が響き合った原発事故対応に於ける長引く混乱

2013-09-21 09:16:03 | Weblog



 馬淵民主党選挙対策委員長が9月18日午前の党の汚染水対策に関する会合で、2011年6月に汚染水の流出を防ぐため、東京電力が遮水壁の設置を遅滞なく進めると約束していたにも関わらず、その後、工事が進まなかったと指摘したとマスコミが伝えている。

 次の記事から見てみる。《「遮水壁約束も工事進まず」》NHK NEWS WEB/2013年9月18日 15時20分)

 2011年6月とは東日本大震災が発災、福島第1原発の1・2号機で原発事故が発生した2011年3月から3カ月目のことで、その早い時点で既に汚染水対策が重要な課題となっていた。

 2011年6月に民主党政権と東京電力の間で汚染水流出防止のため、建屋を囲む形で遮水壁を設置する方針を決定し、発表する段取りになっていた。
 
 だが、東京電力から遮水壁を設置すれば、新たに1000億円の債務が加わることになり、市場の混乱を招くとして、発表を控えるよう要請があり、発表は見送られた。

 馬淵民主党選対委員長「総理大臣官邸などの判断で発表は取りやめたが、東京電力は遅滞なく計画を進めることを約束していた。だが、工事は進まなかった」(下線個所は解説文を会話体に直した)

 会合出席の東京電力担当者「当時のいきさつについては、まだ確認できていない」――

 「確認できていない」は東電の常套句となっている。

 原子力規制庁が東電に対して2012年9月から今年2013年2013年6月にかけて汚染水対策に関して、「パトロール体制の強化」、「監視カメラの増設」、「全タンクへの水位計の設置」等、具体的方法を挙げて10回前後、文書や口頭で指示や指導したにも関わらず、東電側は満足に対応しなかった。

 規制庁「指導の形が明確にできなかった部分もあり、今後は徹底したい」

 東電「規制庁の指導内容を確認できていないのでコメントできない」(毎日jp)――

 規制庁は約9カ月間も指導・指示を徹底履行させることができなかったことの無能力・無責任、東電は重要な地位にいる者の発言だろうから、その地位にふさわしい情報共有を果たしていなかった無責任ということになるが、10回前後という再三に亘る指導・指示の情報を上層部全体で共有していなかったとは考えにくく、責任逃れの「確認できていない」の疑いが濃く、両者の無責任と無責任が響き合ったそれぞれの役割の不徹底といったところであるはずだ。

 遮水壁設置の約束未遂の問題だが、当時の民主党政権の東電の約束を監視し、履行させるべきを履行させることができなかった無責任が結果として約束を履行しない東電の無責任を誘発、許すことになり、「当時のいきさつについては、まだ確認できていない」とする東電側の原発事故発生から今日までの東電対応の履歴の大体の情報を把握していない無責任まで引きずらせることとなった、両者間の無責任の響き合わせの構造を見て取ることができる。

 しかし無責任は民主党政権にとどまらない。政権交代して発足した安倍政権に於いても無責任は続いている。

 2011年3月15日、菅政権は「政府・東京電力統合対策室」を設置。東電本社内に政府と東電本社と第1原発現場との情報共有・情報一元化の機能を持たせることとした。

 2011年12月16日、野田政権は事故収束宣言を行い、同日付で「政府・東京電力統合対策室」を廃止。後継組織として「政府・東京電力中長期対策会議」を設置。

 「東京電力福島第一原子力発電所1~4号機の廃止措置等に向けた中長期ロードマップ」の決定及びその進捗管理並びに発電所の安全維持を政府と東京電力株式会社が共同で実施していく組織として位置づけている。

 2013年2月8日、安倍政権は野田政権設置の1~4号機廃炉に向けた「政府・東京電力中長期対策会議」を廃止。代替組織として、「東京電力福島第一原子力発電所廃炉対策推進会議」を設置。

 組織設置のテーマは野田政権の「政府・東京電力中長期対策会議」とほぼ同じである。

 野田政権の「政府・東京電力中長期対策会議」議長は経産大臣と原発事故収束・再発防止担当相の共同議長、安倍政権の「東京電力福島第一原子力発電所廃炉対策推進会議」議長は茂木経産相。

 両組織共、原子炉建屋内への地下水の流出入防止対策を議題としている。

 馬淵民主党選挙対策委員長が東電が地下水の原子炉建屋内流出入防止対策として設置約束しながら不履行状態に放置したと明かした建屋を囲む形での遮水壁について、野田政権の「政府・東京電力中長期対策会議」は、〈海洋汚染拡大防止計画 万一地下水が汚染した場合の海洋流出を防止するため、遮水壁の構築を2014年度半ばまでに完了。〉と書いている。

 一方の安倍政権の「東京電力福島第一原子力発電所廃炉対策推進会議」は遮水壁については一言も触れていないが、「滞留水に係る総合的対策」として、〈地下水流入による滞留水の増加への万全な対策として、地下水の流入抑制対策(サブドレン、地下水バイパス、建屋止水等)、水処理システムの強化(多核種除去設備等)、処理水タンクなど貯蔵設備の増強計画の策定等の総合的な対策を講じていくための全体計画を検討すること。〉としている。

 地下水対策はイコール汚染水対策である。安倍政権にしても地下水の流出入防止対策を議題としている以上、その対策に取り組まなければならなかったはずだが、汚染水問題に関しては東電任せにしてきた。

 汚染水の漏出が世間を騒がすようになっていた8月7日(2013年)、政府は安倍晋三を本部長とする原子力災害対策本部会合を開催。

 安倍晋三、「汚染水問題は、国民の関心も高く対応すべき喫緊の課題だ。東京電力に任せるのではなく、国としてしっかりと対策を講じていく。

 スピード感を持って東京電力をしっかりと指導し、迅速かつ確実に重層的な対策を講じてほしい」b>NHK NEWS WEB)――

 要するに東電任せにしていた。

 茂木経産相が8月26日(2013年)、福島第1原発を視察。

 茂木経産相「汚染水の対策は東電任せで、もぐらたたきのような状況が続いてきたが今後は国が前面に出る。

 新たに経済産業省の幹部を汚染水対策に充て、対応していく」(NHK NEWS WEB

 茂木経産相は、自身を議長とする安倍政権の「東京電力福島第一原子力発電所廃炉対策推進会議」が地下水対策イコール汚染水対策を課題として取り上げていながら、はっきりと、「汚染水の対策は東電任せで」と言っている。

 そして9月10日、政府は茂木経済産業相がトップとする「廃炉・汚染水対策チーム」を内閣府に新設すると発表。

 9月7日のアルゼンチン・ブエノスアイレスでのオリンピック東京招致IOC総会プレゼンテーションで安倍晋三が「東京は安全」だとした国際公約の発言を受けた新設なのは明らかである。

 安倍晋三「(汚染水問題の)抜本解決に向けたプログラムを私が責任を持って決定し、既に着手している。責任を完全に果たしていく」(NHK NEWS WEB

 果たすべき責任を果たさずに、これからは「責任を完全に果たしていく」と言う。

 かくかように野田政権ばかりではない菅無能政権まで含めた民主党政権の無責任、そして安倍政権の無責任は日本の政治の無責任と表現可能で、そのような無責任と響き合った東電の無責任を構造とした、汚染水問題だけではない原発事故処理対応の停滞や混乱のように見えて仕方がない。

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