安倍晋三が谷垣入院に一度も見舞いに行かなかった 幹事長の能力だけを買ったドライ人事であることの暴露

2016-07-31 11:22:12 | 政治

 マスコミが7月16日午前、自民党幹事長谷垣禎一が東京都内で趣味のサイクリングをしていたところ転倒し、入院したとの自民党幹事長室の発表を伝えた。同時に、「軽傷だが、大事を取って入院した」との発表も伝えていた。

 ところが3日経過した7月19日になっても退院しない。マスコミは政府関係者の話を色々と伝えた。「軽症ではなく、重症だ」とか、「最初の病院では手術不能で、手術できる病院に移った」とか。

 谷垣の転倒・入院から10日経った7月26日、幹事長代行の細田博之が自民党の役員会で谷垣の入院の経過を報告したと7月26日付「NHK NEWS WEB」が伝えている。  

 細田博之「頚髄を損傷し手術を受けた。その後、テレビで相撲を観戦するなど意識ははっきりしている。合併症はなく経過は良好だが、今後の正確な見通しは申し上げることはできない。

 医学的にもどのように回復するか個人差があり、経過を見守っていきたい。党の役員人事への影響は、議論もしていないし承知していない。来月の臨時国会に戻れるかどうかも分からない」――

 手術が必要な程の頚髄損傷であった。当然、直ちに手術可能な病院に転院、その病院の手術を早期に受けたことになる。7月16日午前中に転倒し、すぐさま病院に搬送、転院ということなら、午後の間に手術を受けたはずだ。

 脊髄損傷の程度に応じて手術時間が異なるだろうし、谷垣幹事長の脊髄損傷がどの手術方法に当たるのか不明だが、ネットを調べてみると、大体3時間~4時間程度のようである。

 手術が成功して術後の経過が良ければ、全身麻酔から覚めるのは個人差はあるが、30分程度だというから、少なくとも手術終了後1時間もかからない間に意識は回復していることになる。 

 脊髄損傷した場合、それぞれに程度はあるが、手術によって痛みは取れるが、運動麻痺と知覚麻痺が残るそうだ。その回復のために早期にリハビリテーションが行われる。

 ロシアの通信社、7月27日付の「Sputnik」は7月26日午前の党役員会での細田博之の発言を次のように伝えている。  

 細田博之「谷垣氏は頸髄(けいずい)を損傷し、手術を受けた。テレビで相撲を観戦するなど意識ははっきりしており、経過は順調だ。手術後病院で、リハビリを受けている」――

 二つの記事から分かることは7月16日午前入院、7月16日午後の手術が成功したこと、術後の経過が良く、意識をしっかりと保っていること、細田が報告した7月26日から遡った何日前からかリハビリを開始していること等である。

 自民党幹事長職は同党総務会長、同党政務調査会長、同党選挙対策委員長と伴に党四役として同党総裁安倍晋三を補佐し、党最高責任者である総裁が首相である場合は党務全般を幹事長が握る事実上の党ナンバー2だと「Wikipedia」に紹介されている。

 要するに安倍晋三から見ると、自身は内閣運営に専念し、自民党に関わる運営については党幹事長に任せ、党幹事長の立場からすると、首相でもある党総裁から党運営を任されていることになる。

 この任せ・任せられる関係は断るまでもなくお互いに相手の人間を信じて頼り合う相互信頼性に基づいているはずである。

 このようにも相手の人間を信じて党幹事長に任命し、党務に関して万全の信頼を置いている(万全の信頼を置かずに党幹事長を任せたというのは逆説過ぎる)谷垣禎一が自身の不注意かもしれないが、サイクリング中に転倒して脊髄損傷の重症を負い、手術まで受けた。

 当然、安倍晋三は党務にどのくらいの影響が出るかを考える以前にお互いに信頼し合った関係にある間柄として少なくとも手術後から何日かして体の心配をする見舞いに行かなければ、信頼関係にあることの意味を失う。

 党の誰かが見舞いに行って、見聞きした情報を聞けばいいという問題でも、秘書官の誰かを代わりに見舞いに行かせて、自身の目・耳の代わりをさせたから、それで済む問題でもない。

 ところが安倍晋三本人自身は相互信頼性に基づいて構築しているはずの谷垣との関係に反して一度も見舞いに行かなかった。

 安倍晋三が見舞いではなく、面会の意向を示したとマスコミが伝えたのは谷垣が入院した7月16日から11日後の7月27日である。

 見舞いという形式ではなく、面会という形式を取ったのは当たり前の見舞いでは遅過ぎるし、目的そのものは8月3日頃に予定している内閣改造・党役員人事での谷垣の処遇を最終判断するための人事上の問題だからだろう。

 対して谷垣は安倍晋三の面会の意向を体調を理由に固辞したという。

 安倍晋三本人自身は谷垣の身体を心配する当たり前の見舞いに一度も行かずに、面会にしても誰でもいいから代理を病院に行かせて、主治医と本人から党幹事長を続けることができるまでに身体が回復し、退院できるのはいつになるのかを尋ねさせれば片付くものを、本人が面会を望んで自らが確かめようとしたということは、党幹事長続投は身体の回復が条件になるにしても、誰を党幹事長に就けるか自身の都合を最優先していたことになる。

 この安倍晋三の自己都合に反発した谷垣の固辞なのだろうか。

 いずれであったとしても、安倍晋三が谷垣の入院に対して一度も当たり前の見舞いに行かなかったということはお互いに相手の人間を信じて頼り合う相互信頼性に基づいた安倍晋三の谷垣幹事長という人事ではなく、そんなものは抜きに幹事長の能力だけを買った、極めてドライな人事であったことを暴露することになる。

 安倍晋三のこの性向は国民の生命が危機に瀕する大規模災害が起きたとき、自身はゴルフをしていても、首相官邸危機管理センターに情報連絡室等を設置し、それぞれの関係閣僚が安倍晋三の携帯電話を通した指示や情報共有の下お互いの役目を十分に果たしているから、例え内閣の長が官邸を不在にしていても対応に間違いはないとする国民の生命に対する配慮にも現れているドライさと同じ性質のものであろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

都知事選候補鳥越俊太郎:伊豆大島は消費税5%、国に頼らずとも3%引きは可能

2016-07-30 11:16:00 | 政治

 東京都知事選の終盤情勢、どの記事を見ても小池百合子が頭一つ抜け、自公その他推薦の増田寛也が追い、野党4党推薦のジャーナリスト鳥越俊太郎が伸び悩んでいるといった状況にあるようだ。

 鳥越俊太郎は序盤戦では小池百合子の後をつけていた。だが、女性問題が週刊誌に取り上げられて以降、3番手の増田寛也にも抜かれてしまった。

 反権力のジャーナリストでありながら、無党派層の支持が弱いということは女性問題報道もその一因となっているのだろうが、俺はジャーナリストとして大物だといった大物風を吹かせているといったところまではいっていないが、知性も創造性もキャリアも高級なジャーナリストだといった雰囲気をどことなく漂わせている大物臭が逆に親近感を抱(いだ)かせない原因になっているのではないかと見ているが、どうだろうか。

 少なくともその高級感は、当たり前と言えば当たり前のことだが、庶民性を感じさせない原因となっている。

 そして自らが見せたいその高級感をスーツ等の高価なファッションで表現している。

 一見、気取っているようには見えないが、実際には高級人間風にそれとなく気取っている雰囲気がある。きっと理髪にもカネと回数をかけているに違いない。

 こういった高級感・大物臭が自民党の分裂選挙で票が割れるチャンスを生かし切れずに最初からトップに躍り出ることができなかったことの最大の原因に思える。

 鳥越は「僕は弱い立場の人に寄り添う」をタテマエとしているが、高級感・大物臭が実感受けを妨げている。

 一時民進党都連から立候補要請された元経産官僚の古賀茂明はこの逆を行く。

 古賀氏が立候補した方が人気が出たのではないのだろうか。民進党代表の岡田克也の目(=見識)が決めた鳥越である。

 7月25日、鳥越は伊豆大島に遊説に出かけた。「産経ニュース」が伝えている「演説詳報」から、その発言を見てみる。  

 大島は人口減、少子高齢化の状況にあり、医療施設は一つだけの過疎化を受けている。但し自然は素晴らしいと讃えている。

 鳥越俊太郎「やはり大島の場合、私が来てみて感じるのは、空気がおいしい、光が輝いている、すぐ前には海が輝いている、そういう自然に恵まれた、本当に観光という面で言うと、こんなに恵まれたところはないと私は思います。従ってやはり大島が今後生きていくには、観光のことを十分に考慮に入れながら生きていく必要があるんだと」
 
 こういった素晴らしい自然と比較したもう一つの難点は船舶輸送の関係からだろう、物価が高いと指摘。

 鳥越俊太郎「しかし残念ながら、東京都の島は物価が高い、ガソリン代でも何でも。都内に比べると割高で、その分、消費税がかかりますから、消費税も割高になる。こういう現実もあるということをちゃんと教えていただきました。

 そうすると、こういう問題に対して、どういうふうにしていけばいいか、私は一つアイデアがあります。私はいろいろな人から話を聞いて分かったことですけども、外国にこういう例があります。フランスにコルシカ島というのがあります。小さな島です。コルシカ島、ナポレオンが出たコルシカ島です。それからイギリスにマン島という島があります。

 この2つの島で何が行われたか。これはですね、消費税を…欧州の国々にも日本より高い消費税がありますけど、そういう中でフランスのコルシカ島、イギリスのマン島では消費税をずっと引き下げて、そうすることによって2つの島は非常に経済的にも栄えることになって、住民の方も非常に喜んでおられる。

 そういう現実があるそうです。従ってこれは一つのやり方だと思います。大島で物を買った場合、消費税8%、2年後には10%と安倍さんは言っておりますが、大島は例えば半分の5%にします。これは東京都の権限ではありませんので、私が知事の権限で消費税を下げることはなかなか難しいと思います。
 しかし、都知事として国に働きかけて、少なくとも東京都の島については消費税については半分にしてください、そうでないと東京都の島は生きていくことはできませんと、ちゃんと交渉してやっていきたい。

 そういうふうにして、大島は今後、人口を増やしていき、それで最終的には観光立地、東京の宝・大島、そして東京の真珠のネックレスと言われるような島になってほしいと私は心から思っています」――

 消費税を5%に下げるよう国に働きかけること以外、伊豆大島をどう観光化していくのか、どう人口増に持っていくのか、抽象論ばかりで、具体論はない。

 消費税にしても国に働きかけて消費税5%特区と言った地域指定を求めなくても、商店のレジの消費税計算を5%に設定、商店側が保存するレシートの原本の3%不足分の合計を東京都が補填、消費者が支払った5%と合わせて国に税金として収めさせれば、伊豆大島の人口は8000人弱と言うことだから、都の豊かな財政からすれば、実行は不可能ではないはずだ。

 言ってみれば3%上乗せしたプレミアム商品券を、一般的には前以て購入するところを食品その他の支払いと同時に購入・使用するという形にする。

 そうすれば、実際のプレミアム商品券は金額通りの商品を買わなければならない手前、そのとき必要でない物まで買わなければならないが、そういった不必要を省くことができるし、鳥越が万が一にも当選すれば、準備期間は必要だろうが、ほぼ直ちに実行できる。

 レシートに「3%付きプレミアム商品券レシート」と印字するのも一つの手である。

 東京都の大島を除いた島部の平成28年1月1日現在の総人口は26,289人だそうで、他の島が公平性を求めて同じ方法を求めたとしても、実行できない数字ではないはずだ。

 多目に3万人と見て、子どもを含めて1カ月の生活費が1人当たり3万円とすると、その3%は900円。その3万人、2700万円、1年で3億2400万円の負担。

 1ケ月の生活費を5万円と見ても、その3%は1500円。その3万人は4千500万円×12カ月で、5億4500万円。

 東京都の2014年度決算での地方消費税額の繰入見込額は4千227億円となっている。一極集中の恩恵をほぼ独り占めしているのである。その恩恵が及んでいない島嶼部に配分してもいいわけである。

 観光にしても、原発事故が原因で外で遊ぶ機会が減少、運動不足に陥っている福島の子や海のない山梨県やその他の県の子どもを都の予算で無料招待、将来の投資とすれば、リピーターとなって再び訪れない保証はない。移住するものも出てくる可能性は否定できない。

 問題は一般地域と比較した島嶼部の物価高であろう。農産物を生産していても、あるいは漁業が盛んに行われていても、農業が必要とする肥料や農機具用の燃料、あるいは農機具そのもの、漁業が必要とする船の燃料、あるいは漁具そのものといった基本資材は輸送費分高くついて、そのコストが農産物や魚介類に跳ね返って、結果的に高い野菜や魚となって現れる。

 伊豆大島町では新規就農者支援研修を、「研修中及び研修終了後も大島町内に定住し、引き続き農業に従事することができる概ね40歳以下(研修終了後、青年就農給付金受給対象)の健康な方で、普通自動車の運転免許証を所有するか、研修開始までに取得予定であること」と研修期間2年間(追加1年の専門研修を認める場合有り)を応募条件に募集しているが、都の資金で当初必要とする固定資産をすべて賄ってコンピューター制御の大型の野菜工場と養殖場を造り、動力はソーラーパネル等の自然エネルギーを用いれば、光熱費を抑えることができて、製品価格に跳ね返ることを防ぐことができる製品が提供可能となる。

 そこに島外から若者を研修生として招くこともできる。

 定住を条件としなくても、生活のし甲斐と働き甲斐を見つけることができさえすれば、自ずと定住することになる。

 鳥越俊太郎の大島消費税5%提案から、以上のように考えてみた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相模原障害者殺傷事件:警察の危機管理に関わる柔軟な想像性を欠い対応を各記事から見る

2016-07-29 11:22:56 | Weblog

 【訂正】昨日の「ブログ」で、〈入院から12日後の3月2日に症状の改善と容疑者本人の反省の言葉を受けて、医師が「他人を傷つける恐れがなくなった」と診断し、県の承認も受けて退院させることになったということは、精神分析を用いたカウンセリングを行ったかどうか不明だが、少なくとも潜在意識下に深く根付かせた抹殺願望ではないと見たことになる〉と書きましたが、緊急措置入院は知事または政令指定市長の行政権限によって行われる強制入院制度ということで、「津久井やまゆり園」は政令指定都市相模原市に所在するゆえに入退院の承認は相模原市長でした。

 訂正しておきました。大変失礼しました。謝罪します。

 先ず2016年7月26日付の「NHK NEWS WEB」記事、「障害者施設殺傷 議長宛ての手紙受け取った経緯を衆議院が説明」から。  

 向大野(むこおおの)衆議院事務総長の記者会見による説明である。

 植松聖は今年(2016年)2月14日の午後3時25分頃議長公邸を訪れて、正門脇のインターフォンを通じて「大島議長宛ての書簡を渡したい」と申し出た。

 議長公邸の職員が応じられないと断ると、植松聖は地面に土下座する等をして、どうしても手渡そうとした。

 公邸職員が不審に思って公邸警備の警察官に対応を依頼したのか、警察官が正門の所に出て職務質問した。

 その職務質問に植松聖が名前を告げたのか、どのような内容の書簡なのか、どう答えたとも記事は何も書いてない。

 警察官の方は職務質問と言うからには名前と住所、手渡そうとしている書簡の内容と目的は肝心なことだから、質問して良さそうなものだが、その日はそのまま立ち去ったとだけ書いてある。

 職務質問したところ、「じゃあいいです」と言って立ち去ったと言うことなら、少なくとも不審者と見て、追いかけて問い質さなければならなかったはずだが、書簡の内容を把握したのは翌日植松が再び公邸を訪れてからだから、何も質問していなかったことになる。

 植松は翌2月15日の午前10時20分頃、衆議院議長公邸を再度訪れ、書簡を手渡そうとした。公邸職員が「手紙は郵送するよう」求めたが、応じず、警備の警察官が公邸の前から移動するよう求めたが、それにも応じない。

 止むを得ず、記事は「衆議院側で対応を協議」と書いてあるが、衆議院の事務局に電話して、事務総長の向大野に対応を尋ねたのかは不明である。

 書簡を受け取ったのは午後0時半頃となっている。

 植松は手紙を渡すと、そのまま立ち去った。

 書簡1通を受け取るのに午前10時20分頃から午後0時半頃まで約2時間もかかっている。

 この生産性、危機管理は素晴らしい。

 単なる不審者の他愛もない意味不明な手紙の内容だったと後で分かったとしても、そうと分かるまでは衆議院議長は国家を与る重要な一員であるのだから、最大限の警戒心を持って対応する危機管理が必要だったはずだ。

 何者なのか。書簡の内容は。何が目的なのか。これらを知って初めて単なる不審者かどうかが判明する。

 受け取った書簡には犯罪を予告するような内容が書かれていたために衆議院の事務局が警察に通報し、提出した。
 
 翌2月16日、時間が書いてないから何時頃か分からないが、警察は衆議院の事務局に、「本人に対しては、『これ以上東京に出向いて、そういうことを起こすな』と厳しく話した。しばらくの間、動静を見守っていく」と連絡を入れた。

 記事は最後に向大野の発言を伝えている。

 向大野「「今回の事件は大変遺憾であるが、衆議院としては、こうした書簡は軽々に扱わず、しっかり対応している。今回も、すぐに大島議長の指示をあおいで警察に連絡しており、適切な対応だったと考えている」――

 警察は植松本人に対して「これ以上東京に出向いて、そういうことを起こすな」と厳しく説諭した。

 と言うことは、警察は衆議院議長公邸に出向いて手紙を直接渡そうとした行為を問題にしたことになる。

 当然、「しばらくの間、動静を見守っていく」という言葉は再び同じ行動を取らないように注意するという意味になる。「決して衆議院議長に再び迷惑をかけるようなことはさせません」と。

 いわば警察の危機管理は植松本人の万が一の同じ行動に向けられていた。

 手紙に書かれていた「障害者総勢470名を抹殺することができます」という言葉に関しても、「私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です」という言葉に関しても、「障害者は不幸を作ることしかできません」という言葉関にしても、更に記してあった決行の方法にしても、万が一にも決して決行されることのない妄想程度の危機管理でしか見ていなかった。

 以上が上記「NHK NEWS WEB」から見た警察の危機管理の程度である。

 警察が衆議院の事務局に「「本人に対しては、『これ以上東京に出向いて、そういうことを起こすな』と厳しく話した」と報告した2月16日から2日後の2月18日に植松が勤務中に同僚職員に「重度の障害者は生きていてもしかたない。安楽死させた方がいい」と発言したことに端を発した施設園長との面談、植松が自分が正しいことを譲らなかったために施設側は翌2月19日に警察に通報。

 警察は植松聖が4日前の2月15日に衆議院議長の公邸で手紙を渡そうとしていたことなどを踏まえ、「他人を傷つける怖れがある」と判断し、市に連絡、市は緊急の措置入院を決めた。

 要するに警察は手紙の内容を最初に見た印象から、「他人を傷つけるおそれがある」と判断したのではなく、だから、再び東京に出向いて衆議院議長に迷惑をかけないように注意することにしたのだが、2月18日の勤務中の発言と重ね合わせて、初めて「他人を傷つける怖れがある」と判断したことになる。

 だが、手紙の内容が障害者という存在に対する抹殺願望で貫かれていることに気づかなかった。単に「傷つける」程度の危機管理で把えていた。

 障害者をこの世から抹殺したいという願望である。警察は、そして措置入院させた病院の医師も、相模原市も障害者施設も、そのような存在抹殺願望を植松本人の中に実際に巣食わせているのか巣食わせていないのか、巣食わせているとしたら、願望の程度はどのくらいなのか知ろうとする、危機管理に関わる想像性を柔軟に巡らせることはしなかった。 

 危機管理とは常に最悪の事態を想定して、想定した最悪の事態に備えることを言う。今回の事件を見ると、特に警察の対応に関して危機管理に関わる想像性を柔軟に持つべきを、持つことができずに欠いたままで推移したように見えて仕方がない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相模原障害者殺傷事件:ヘイトスピーチの存在抹殺願望との共通性、願望でとどまっているか実行したかの違い

2016-07-28 11:12:02 | 政治

 相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」に元職員だった植松聖(さとし・26歳)が7月26日午前2時半過ぎに侵入、入所者19人を殺害し、26人に重軽傷を負わせた事件、各マスコミ記事から、事件に至った経緯を見てみる。

 大学在籍当時、小学校の教師を目指していた。2000年の大学3年生の頃に参加した教育実習時に子どもとのふれあいその他に喜びを感じる様子をネットに書き込んでいたという。

 但し特別支援学級の実習に関しては、「今日は身体障害の人200人ぐらいに囲まれてきたぜ。想像以上に疲れるぜ。みんな頭悪いぜ」と書き込んでいたという。

 実際に小学校教師になって子どもに手こずるようになったなら、障害者に対するのと同様にたちまち嫌悪の対象へと様変わりさせるに違いない。

 ここには自分は障害者に対してどのような教育支援ができるだろうか、生活支援ができるだろうかといった障害者の身になって考える対等意識はなく、自己を絶対的存在者に置いた優劣意識しか見えてこない。

 この精神構造は子どもや障害者等の社会的弱者に対したときに自身を絶対的存在者に位置づけることができる関係性によって成り立っている。

 このことを裏返すと、自身を絶対的存在者に位置づけるためには子どもや障害者等の社会的弱者が必要となる。

 女性に暴力を振るって暴君足り得る男は自身を暴君という絶対者の高みに持ち上げるためには暴力によって屈服させることのできる弱い女性を必要とするようにである。

 しかし植松聖は自らが望んでいた小学校教師にはならなかった。「教員免許採用試験の受け付けがとっくに終わっていたので、ことし教師になれる可能性は0になりました。タハー」とネットに書き込んであるという。

 果たして心の底から教師になることを望んでいたのだろうか。

 大学を卒業して2012に飲料関係の運送会社に勤めた。但し長続きせず、入社約半年後に「介護関係の仕事がしたい」と辞め、同年、障害者施設「津久井やまゆり園」に勤務。

 大学時代の特別支援学級での実習では、「今日は身体障害の人200人ぐらいに囲まれてきたぜ。想像以上に疲れるぜ。みんな頭悪いぜ」と書き込んでいたことと矛盾する行動に見える。

 多分、運送会社の仕事が厭になり、その嫌悪感の強さが障害者に対する嫌悪感の記憶を薄れさせてしまったに違いない。そして就職先として実習で経験した障害者施設関係しか思いつかなかった。

 つまり社会的に広い視野の持ち主ではなかった。広い視野の持ち主ではないから、社会的弱者に対したとき、自己を絶対的存在に位置づけることができる。

 今年(2016年)2月14日、衆議院議長の公邸に出向き、手紙を渡そうとしたが断られたが、翌日再度出かけて、手渡している。内容は障害者に対する抹殺の意志と障害者に対しての安楽死制度の創設となっている。

 4日後の2月18日、勤務中に同僚職員に対して「重度の障害者は生きていてもしかたない。安楽死させたほうがいい」と発言。職員は危険な印象を受けたのだろう、施設園長に報告。園長が面談。植松は「自分の考えは正しい」と主張。

 施設側は障害者を殺す意向があると判断、翌2月19日に警察に通報。警察は植松聖が4日前の2月15日に衆議院議長の公邸で手紙を渡そうとしていたことなどを踏まえ、「他人を傷つけるおそれがある」と判断し、市に連絡、市は緊急の措置入院を決めた。

 但し入院から12日後の3月2日に症状の改善と容疑者本人の反省の言葉を受けて、医師が「他人を傷つける恐れがなくなった」と診断、病院は自治体に「措置入院者の症状消退届」を神奈川県に提出、県知事が書類を見てその内容通りに機械的に判断して承認印を押し、無事退院という運びになったのだろう。

 そして今回の7月26日午前2時半過ぎの犯行である。

 この犯行を防ぐことができなかったどうかの判断は衆議院議長に手渡した手紙ががカギを握っているように思える。

 手紙の全文は共同通信記事を引用したものを「The Huffington Post」が伝えている。部分的に引用する。  

 「私は障害者総勢470名を抹殺することができます。

 常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為(ため)と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。

 理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。

 重複障害者に対する命のあり方は未(いま)だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません」――

 以上の文言はナチズムと同じ優生学に基づき、優秀な人間だけを残して国家を存立・維持する必要上、障害者を不要な存在と看做し、不要実現の方法としての抹殺、あるいは安楽死の提唱となっている。

 だから、「重複障害者に対する命のあり方は未(いま)だに答えが見つかっていない所だと考えました」という言葉を成り立たせることができる。

 障害者であっても、生活上の補助・助けは近親者やその他第三者の手を借りるとしても、本質的な「命のあり方」そのものは本能の力や自らのそれなりの知恵を借りて自らがその答を見つけるものである。

 当然、障害者の命の在り方はそれぞれによって微妙に違ってくる。

 それを植松はその答を出すのは第三者の手にかかっていて、第三者が一定の答を見つけなければならない、いわば第三者が一定の命の在り方で括ろうとする僭越な義務感を覗かせている。

 それが抹殺、あるいは安楽死という方法であるが、障害者に対して国家の立場に立って障害者の命を自由に扱おうとする支配意志を見て取ることができる。

 世が世なら、あるいは機会さえ得ることができたなら、ヒトラーにもなり得る人物である。

 そして抹殺の決行の記述に及んでいる。

 「職員の少ない夜勤に決行致します。

 重複障害者が多く在籍している2つの園を標的とします。

 見守り職員は結束バンドで見動き、外部との連絡をとれなくします。

 職員は絶体に傷つけず、速やかに作戦を実行します。

 2つの園260名を抹殺した後は自首します」――

 勿論、これを妄想と解釈することもできる。

 警視庁は植松が衆議院議長宅に手紙を届けた2月15日のうちに住所がある地域を管轄している神奈川県警の津久井警察署に情報提供したと言うが、緊急措置入院の前後の期間、警察の監視下に置いていたわけではないから、妄想と解釈していたのだろう。

 だが、「障害者は不幸を作ることしかできません」からと安楽死を手段としてこの世からの抹殺を望んだり、「私は障害者総勢470名を抹殺することができます」と、障害者の存在そのものを消し去りたい抹殺願望を露骨に見せているのである。

 単なる妄想なのか、潜在意識下に深く根付かせている抹殺願望かどうか、措置入院させたときに精神分析を用いたカウンセリングを行わなかったのだろうか。

 入院から12日後の3月2日に症状の改善と容疑者本人の反省の言葉を受けて、医師が「他人を傷つける恐れがなくなった」と診断し、相模原市の承認も受けて退院させることになったということは、精神分析を用いたカウンセリングを行ったかどうか不明だが、少なくとも潜在意識下に深く根付かせた抹殺願望ではないと見たことになる。

 だから、2週間足らずで退院させることにした。

 もし潜在意識下に深く根付かせた抹殺願望と診断したなら、それを解き放つためのカウンセリングに要する日数は相当なものになるに違いない。

 だが、「総勢470名」、あるいは「2つの園260名」という人数に違いがあるだけで、手紙に書いたのとほぼ同じ決行が行われた。

 障害者に対する安楽死や凶行を手段とした抹殺願望は単なる妄想ではなく、潜在意識下に深く根付かせた病的なものであったことを植松聖自身が証明した。

 要するに植松聖が衆議院議長に手渡そうとして警備に当たっていた警察官に渡していた手紙の内容から読み取ることができる植松本人が抱えている障害者に対する抹殺願望が単なる妄想に過ぎないと解釈し、潜在意識下に深く根付かせた抹殺願望だとは解釈できなかった。

 2016年3月22日のヘイトスピーチ問題を扱った当「ブログ」に、ヘイトスピーチは単なる憎悪表現や人権侵害ではなく、在日朝鮮人全体に対する攻撃的な存在抹殺願望表現であることを書いた。  

 ヘイトスピーチに現れている〈この願望は願望である間はまだ心理面にとどまった攻撃的な抹殺願望でしかないが、願望は常に現実世界に実現させたい衝動をも同時に抱えていることから、願望に潜ませた攻撃性が何かの機会に憎悪をバネとして露出し、実際の攻撃の形を取って存在抹殺行為へと走る危険性を常に背中合わせとしている。〉――

 そして〈この危険性が現実化した関東大震災での朝鮮人虐殺、あるいはナチスドイツのユダヤ人ホロコーストはそれらの規模に無関係に存在抹殺性という点で共通し、両者共にそれぞれの国民の正義として行われた。〉と書いた。

 植松聖は自らの障害者に対する抹殺願望を願望の域にとどまらせずに具体的行動で現実化した。それも自らの正義として。

 ヘイトスピーチは抹殺願望を憎悪表現のレベルでとどまらせているが、社会の状況に応じて関東大震災時の朝鮮人虐殺のようにいつ現実化へと爆発するかその保証はない。

 両者はこの違いがあるのみで、存在抹殺願望という点では極めて共通している。

 緊急措置入院させた病院の医師が植松の抹殺願望を潜在意識下に深く根付かせている病理なのかどうか見抜くことができなかった点も問題だが、手紙を最終局面で受け取った警視庁は願望、あるいは妄想の万が一の現実化を恐れる危機管理に欠けていたのではないのか。

 監視下に置くという行動を一切考えつきもしなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロシアの国家ぐるみのドーピング犯罪をウヤムヤにしないためにも個人の権利よりも優先させるべき出場停止

2016-07-26 09:13:25 | Weblog

 世界反ドーピング機関(WADA)の調査チームがロシアが国家ぐるみで組織的に競技選手にドーピングを勧めて、その事実を検体をすり替える等の方法で隠蔽し、競技に出場させていた問題でリオデジャネイロ五輪・パラリンピックでロシア選手団の全面的出場禁止を検討すべきだと国際オリンピック委員会(IOC)と国際パラリンピック委員会(IPC)に勧告したのに対してIOCはロシア選手の出場可否を各国際競技団体(IF)による適切なドーピング検査等を経た潔白の証明を条件にそれぞれの判断に委ねるという決定を下した。

 要するにオリンピック開催総元締めとしての責任を各国際競技団体に丸投げした。

 当然、それぞれの国際競技団体によって基準が異なることになる。

 元々カネをワイロとして受け取って開催都市の投票先を決めるIOC委員が存在した。ロシアからカネを貰って厳しい決定の骨抜きに動いた委員がいたのではないのかと疑いたくなる。

 この決定に対する日本のアスリートの発言を「NHK NEWS WEB」が伝えている。

 内村航平体操選手「ドーピングをした選手は、永久に試合に出場できなくても文句を言えないと思うが、それが飛び火して、努力をして勝ち取った権利を持つ選手が、オリンピックに出られないのはおかしいし、かわいそうだと思っていたので、出場できることはよかった。

 体操にロシア選手が出場すれば『体操は薬物をやっていない』ということを意味することになるし、演技でそうした姿勢を示さないと、この問題はなくならないと思うので、ぜひロシアに出てほしい」

 要するにドーピングをしていない選手まで連帯責任の形で出場停止するのはおかしいと言うことなのだろう。

 室伏広治「社会を巻き込んだ大きな問題だったが、オリンピックを控えたなか、一刻も早く状況をはっきりさせて前に進んで行かなければという状況だったと思うので、一つの決断をしたことはよかったと思う。

 (ロシア選手出場可否の)着地点をどのようにするかは大変難しい問題があると思う。しかし、これだけアスリートや世間の方々がドーピングに対して注目したことはなかったし、少なくとも薬物を使って競技力を向上させることがどれだけ無意味なことか分かったのではないか。IOCとしては各競技団体に判断を任せたということで、今後は競技団体が厳しく判断していくことを注視したい。

 (2020年東京大会組織委員会のスポーツディレクターとして)リオデジャネイロ大会はもうすぐ始まるが、無事に大成功で終わってほしいし、その先には東京が待っている。東京大会をドーピング問題を含め、より一層クリーンな大会にしていくべく取り組んでいきたい」

 鈴木大地スポーツ庁長官「個人のアスリートの権利を尊重した裁定になったんではないかと思う。今後、競技団体が厳しく選手のドーピングを見極めていくと思う。競技によって差が出ることなく、一様に厳しく見ながら出場を認めるという形になればいいのでは。

 日本としてもこれからも厳しくアンチドーピングを推進していくし、世界に対してもアンチドーピングの働きかけを行っていく」

 IOCの決定は「個人のアスリートの権利を尊重した裁定」だとしている。

 菅義偉「IOC=国際オリンピック委員会が慎重に調査、検討したうえで決定したものであり、日本政府としてコメントすべきではない。

 ドーピングは、スポーツのフェアプレー精神や高潔性を汚し選手を蝕むものであり、世界最大のスポーツの祭典であるオリンピック・パラリンピックが、ドーピングによって汚されることは絶対あってならない。リオ大会がクリーンな大会でアスリートが日ごろの努力や成果を最大限発揮できるような大会になることが望ましい」

 以上の発言が問題としているのはドーピングしていなかった選手まで巻き込む連帯責任か、そういった選手の出場を認める個人の権利の優先かであろう。

 ロシア国家は国家ぐるみで選手にメダルを取らせるために体力増強の禁止薬物の注射を勧めて、その事実を検査時に検体をすり替えるゴマカシで隠蔽する、フェアプレーであるべきスポーツに対しての犯罪を犯した。

 そして多くの選手がその国家犯罪に加担し、自らフェアプレーの精神を踏みにじった。

 その目的は断るまでもなく国家威信の高揚であり、そのことに選手が応えるためである。金メダルを何個獲った、銀メダルを何個獲ったかで国家の威信を高め、選手自身の威信を高める。

 国家から言うと、選手を国家威信高揚の道具とした。あるいはオリンピックを国家威信高揚の道具とした。

 ロシア国家のこの陰湿な犯罪は厳しく罰せられるべきであろう。

 最も重い罰はオリンピック出場禁止という、選手にとっての連帯責任以外にない。

 「オリンピック憲章」は「オリンピズムの根本原則」で、〈スポーツを行うことは人権の一つである。すべての個人はいかなる種類の差別もなく、オリンピック精神によりスポーツを行う機会を与えられなければならず、それには、友情、連帯そしてフェアプレーの精神に基づく相互理解が求められる。〉と謳っている。

 だが、同じ「オリンピック憲章」が〈オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。オリンピック競技大会では、各NOC によって選ばれ、IOC がその参加を認めた選手たちが一堂に会する。選手は関係IF の技術的な監督下で競う。〉と謳っているにも関わらず、現実は国家間の競争となっている。

 国家間の威信高揚の競争となっている。そのために莫大な公的資金を投入する。一見個人の競技に見えるが、その競技を動かしているのは国家であり、その資金の多くが国家のカネとなっている。

 例えば選手育成にしても、選手となった競技者がトレーニングするナショナルトレーニングセンター(命名権の導入により2009年5月11日より「味の素ナショナルトレーニングセンター」と名称変更)にしても、文科省が関わり、その資金は国家予算、あるいはスポーツ振興くじの益金によって賄われている。

 スポーツ振興くじと言っても、サッカーの勝敗を対象とした公営ギャンブルであり、国のカネとなるべき益金だから、国家予算と変わりはない。

 一時問題となった新国立競技場は当初の建設費が3000億円かかるとされたが白紙撤回され、新しいデザインに変えられたものの、都と国の予算で1490億円と見積もられている問題にしても、国家関与を背景に置いている。

 いわばそこに民間のカネが関わっているにしても、大半は国家予算が動かしているオリンピックに於ける個人それぞれの競技となっている。

 あるいは国家の威信が多額の国のカネを投じて動かしている競技となっている。

 そのために国家予算が豊富な国程、メダル獲得が有利となる格差を生じせしめ、その数を増やしている。

 オリンピックなる競技がそういった状況下にある中でロシアは国家ぐるみでドーピングまで行い、その事実を巧妙に隠蔽してメダルの数を増やそうとした。実際に増やしもしてきた。

 当然、重罰を与えるべき対象はロシア国家となる。

 だが、ドーピングをしていない選手の個人の権利を認め、条件次第でオリンピック参加を認めるとすると、ロシアに対して重罰を与えることにはならず、逆にある種の免罪を与えることになる。

 ロシアの犯罪をウヤムヤにするという免罪である。

 高校野球でチームの一人が起こした不正行為であっても、連帯責任の形でチームが公式試合出場を見合わせるのは、あるいは高校野球連盟が出場停止の連帯責任を負わせるのは、フェアプレーの精神をチームの全体性とすることができなかったそれぞれの責任を問い、そのことをウヤムヤにしないためであろう。

 ロシア国家そのものがフェアプレー精神を踏みにじった。そのことに関係のない選手がいたとしても、国家を罰しない理由とはならない。

 戦争を起こして負ければ、その国は戦争賠償の責任を負わなければならない。例え戦争に反対した国民が多数存在したとしても、国に賠償責任を負わせない理由とはならない。戦争賠償の責任は連帯責任の形で同じように全ての国民に降りかかってくる。

 ロシアの重大な犯罪をウヤムヤにしないためにも個人の権利よりも優先させるべきはロシア国家に対する懲罰であって、オリンピック出場停止以外の懲罰はないはずだ。

 これを機会にオリンピックが国家威信高揚の道具となっていることをそろそろ考え直すときではないだろうか。

 選手もそれに加担しているのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京都知事選終盤情勢、鳥越俊太郎が与党分裂選挙を生かしきれずに3位につけている諸問題について考える

2016-07-25 09:51:09 | 政治

 今回の都知事選で民進党代表岡田克也は、自ら立候補したいと申し出たジャーナリストの鳥越俊太郎(76)と会談、その擁立を決め、野党4党の統一候補とすることに成功した。

 主たる相手は自民党推薦の元総務相の増田寛也(64)、自民党所属でありながら、党の反対を押し切って立候補した元防衛相の小池百合子(64)で、与党分裂選挙となる。

 しかも鳥越はハンサム、長身、ジャーナリストとして常に反権力・正義の味方を演じ、人柄も高潔に見えて、断然有利な位置につけると最初は思われた。

 都知事選の告示日は7月14日。毎日新聞が7月16、17両日の都内有権者対象の「電話世論調査」が伝える序盤情勢は断然有利とはいかなかった。 

 4割以上が投票先を決めていない状況にあるものの、小池百合子と鳥越俊太郎が競り合い、増田寛也が追う展開となっていると伝えている。

 序盤から与党分裂に対して野党統一候補という有利な態勢を生かしきれていない。民進党も鳥越も与党分裂に賭けたはずだ。民進党の人気のなさも然ることながら、鳥後本人の人気も左程のことはないということの兆候なのだろうか。

 だとすると、与党分裂は左程の影響はないことになる。

 同記事が伝える最重視する投票基準を見てみる。

 「政策」37.0%・・・・・小池約3割、鳥越約2割、増田2割弱
 「行政経験」13.5%・・・・・6割弱が増田寛也
 「おカネに対するクリーンさ」13.4%
 「人柄」13.1%・・・・・5割弱が鳥越俊太郎
 「政治経験」9.9%・・・・・6割が小池百合子
 「支援する政党や団体」6.4%
 「五輪開催の知事に相応しいか」3.6%
 「友人・知人の依頼」0.3%
 「その他・無回答など」2.8%

 都民は猪瀬直樹と舛添要一の前任二者の不正行為を経験しているはずだが、人柄がそれ程重視されていないのは人柄の良さを予定調和とし、それを前提に各候補者を見ているからなのだろうか。

 何か不正行為が発覚して、その前提が崩れたとき、自らの予定調和を裏切った者として厳しいノーという態度を突きつけることになるということなのかもしれない。

 記事は、〈鳥越氏は60代女性や70代以上を中心として、高齢層に人気が高い。増田氏は30代で一定の支持を集めている。〉との記述があるから、同年齢層からの支持が高いことが窺えるが、逆に他の年代層、特に若い年代層は鳥越のハンサム、長身、反権力・正義の味方を然程重視していないことを示す。

 いずれにしても小池、増田と票が割れるはずの与党分裂は鳥越に有利な条件とはなっていない。小池とどうにか競り合う程度の効果しか現れていない。

 こういった情勢下で7月14日の告示日から1週間後の7月21日発売の「週刊文春」が鳥越俊太郎の過去の女性問題を報じた。

 対して鳥越俊太郎は同じ7月21日の午前中に民進党の会合に出席して、「一切、事実無根であり、心ない誹謗中傷だ。弁護士が法的手段に訴えるべく行動に出ている」(NHK NEWS WEB)と説明、その言葉通りに鳥越の弁護団は同7月21日、即座に東京地検察に刑事告訴している。

 鳥越俊太郎は「事実無根、誹謗中傷」と言う以外、何の説明もしていない。

 不祥事や不正行為を報道された政治家や企業経営者、学校関係者等の「事実無根」といった否定は素直に否定と受け取られることはない。最初の否定が覆されることが多いことを国民は学んでいるからだ。

 猪瀬直樹は最初の否定を最後には否定しきれなくなった。舛添要一にしても、最初の否定を自分の言葉で、それが否定通りであることを満足に説明することができなかった。

 当然、多くの国民は両者の否定を否定に反した事実と予想することになった。

 鳥越がジャーナリストなら、そのことを心得ていなければならない。

 マスコミ報道を見ていると、与党分裂の好機を生かすことができずに小池と競り合う程度の位置にどうにかつけていた鳥越俊太郎がこの問題で選挙終盤に差し掛かって増田寛也の後塵を拝するようになったようだ。

 もし与党分裂の好機を生かすことができて断然トップという状態で支持を集めていたなら、その落差は大きく映ったに違いない。生かしきれていなかったことがその傷口を小さく見せることに成功しているようだ。

 尤もどちらであったとしても、都民の多くは鳥越が当選した場合、当選後に前任二者と同じ二の舞いを目にするのではないかと予想したはずだ。

 当然、鳥越俊太郎は実際にも「事実無根、誹謗中傷」であるなら、そのように否定するだけでは素直に否定と受け取られないことを弁え、「当選したとしても、前任二者の二の舞を演じることはありません。事実無根、誹謗中傷だからです。もし二の舞いを演じたなら、ジャーナリとしてだけではなく、人間としての立場を失うことになります」と前任二者の二の舞を演じないことの確約を与えなければならなかった。

 そうすることによって最初の否定を否定のままに保つことができる。

 後ろ暗いところがあって、そう言った確約を与えることができなかったのか、あるいはジャーナリストでありながら、都民の危惧を的確に汲み取ることができなかったのか、そういった説明の経緯を取らなかった。

 結果、小池百合子を先頭に増田寛也と競り合い、鳥越俊太郎が追う展開へと様変わりした。

 7月24日付産経新聞の「世論調査」が鳥越俊太郎に対する女性の支持離れを伝えている。   

 〈産経新聞社が23、24両日に実施した東京都知事選に関する世論調査で、鳥越俊太郎氏への女性の支持離れが浮き彫りとなった。前回調査(16、17両日実施)と比べて6ポイント以上減少し、2割を切った。民進党幹部は週刊文春の「女性問題」をめぐる記事が「響いている」とみている。〉

 〈6ポイント以上減少し、2割を切った〉と言うことは、その6ポイントを足しても20%台半ばの女性の支持しかなかったことになる。

 この程度であることも幸いした6ポイント程度の支持離れということでもあるはずだ。

 記事は逆に増田寛也が相対的に女性の支持を集めていることを伝えている。対して小池百合子は男性・女性共に3割以上の支持を集めているという。

 女性の支持が鳥越から益田に移った。

 鳥越のジャーナリストとしての資質を疑う点が他にもある。

 7月24日の最後の日曜日の該当演説の様子を「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。  

 鳥越俊太郎「東京都は、核のない世界、『非核都市宣言』をしたい。太陽光や風力、地熱、バイオマスなどさまざまなエネルギーがあり、それをぜひ活用して、一刻も早くできるだけ原発に依存しない社会、『原発ゼロの社会』を作ろう」――

 最近の国政選挙は福島第1原発事故の記憶が遠のいたせいか、原発問題はさしたる争点となっていない。当然、票に結びつかないことになる。

 7月の自民党勝利の参院選後の安倍晋三に対する力を入れて欲しい政策順位選択について、「朝日新聞世論調査」(7月11、12日)を見てみる。  

 「社会保障」32%
 「景気・雇用」29%
 「教育」13%
 「外交・安全保障」11%
 「憲法改正」6%
 「原発・エネルギー」5%

 「原発・エネルギー」はたったの5%を占めるに過ぎない。人間は生活を最大の利害とする生きものであって、「社会保障」も「景気・雇用」も生活に関わる最大の利害問題である。

 但し福島原発事故当時は最大の生活の利害であったはずだが、現在ではそうではなくなった。

 ジャーナリストであるなら、こういったことも弁えていなければならない。もし脱原発を訴えるなら、「再び原発事故が起きない保証はどこにもない。福島原発も事故は起きないものとして『原発安全神話』を前提としていたが、物の見事に裏切られた。もし再び原発事故が起きたなら、みなさんの生活が福島のときのように破壊されないとも限らない。景気が良くても、その足を引っ張って不景気を招かない保証はない」と人間が最大の利害としている生活と絡めて、それがどうなるか、そのことに訴えかけなければならないはずだが、単にエネルギー転換論を述べるだけで終わっている点はジャーナリストでありながら、説得力に欠ける演説で終わっている。

 もう一点、鳥越俊太郎がジャーナリストなのか、疑わしさを掻き立てる記述がネットに出回っている。

 2015年7月に放送したとかのNHKの人気ドキュメンタリー番組「ファミリーヒストリー」に鳥越が出演し、鳥越の親戚筋が提供した鳥越家の家系図に基づいて、戦国大名・大友宗麟の家臣、鳥越興膳を出自としていることを明らかにしたという。

 だが、鳥越興膳の実際の子孫が鳥越俊太郎の家系は単に鳥越という苗字だけが同じの別の家系だとNHKに抗議し、鳥越も最終的にはそれを認めたという。

 問題は別の家系だったという事実誤認ではない。

 ジャーナリストを名乗っているからには権威に対して自由人でなければならない。私は私だ、自身の生き方・考え方、その個人性を権威とすると。

 だが、家系も出自も一つの権威であって、個人性を離れて家系・出自という権威に拘った。家系と出自という権威を個人性の重要な要素に付け加えようとした。

 果して真のジャーナリストと言えるだろうか。

 例え「週刊文春」を読まなくても、内容はネットにタレ流しにされる。家系・出自問題もネットに跋扈し続けることになる。

 後者も影響した序盤情勢の与党分裂を生かしきれなかった小池百合子との競り合いであり、さらに前者の影響が加わった終盤情勢での3位後退といったところであるはずだ。

 ジャーナリストを名乗って立候補する資格はなかったのかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三はアベノミクスの失敗を隠すために「地方創生回廊」なるキーワードをアベノミクスに付け加えたのか

2016-07-24 10:11:13 | Weblog

 安倍晋三が7月11日(2016年)、7月10日投開票の参議院選挙勝利の結果を受けて自民党総裁として自民党本部で「記者会見」を開いた。

 一種の勝利宣言儀式である。

 安倍晋三「『アベノミクスを一層加速せよ!』と、国民の皆様から、力強い信任を頂いたことに、心から御礼を申し上げます」

 NHKが参院選後の7月16日から3日間行った世論調査を見てみる。

 安倍内閣を「支持する」48%(前回比+2ポイント)
 安倍内閣を「支持しない」36%(前回比±0ポイント)

 安倍政権の経済政策「アベノミクス」について

 「大いに期待している」9%
 「ある程度期待している」37%
 「あまり期待していない」34%
 「まったく期待していない」14%

 確かに内閣支持率は2ポイント上がっているが、そのことに反して「アベノミクスを一層加速せよ!」と自分が思い込んでいる程の信任とはなっていない。

 「アベノミクス」で一部上層部を除いて中流以下の生活が良くなっているわけではないし、地方が活性化しているわけではない。物価が上がって却って生活が苦しくなっていて、地方の沈滞に変わりがあるわけではない。「アベノミクス」の効果が限りなく疑わしくなっているが、「アベノミクス」以外の経済政策の選択肢がないから、仕方なくアベノミクスへの期待にしがみつくしかないといった事情が内閣支持率+2ポイントにつながったのではないのか。

 記者会見では経済対策について「未来への投資」をキーワードとして挙げ、「主役は、『地方』。目指すは、『世界』」だと相変わらず言うことは勇ましい大風呂敷を広げている。

 安倍晋三「地方が誇る、魅力ある農産物や観光資源を、世界にどんどん売り込んでいく。この選挙戦を通して、私は、各地で、そうお約束してきました。まずは、それを実現させていく。そのための『21世紀型のインフラ』を整備していきます。

 輸出1兆円目標の早期実現に向けて、農林水産物や食料の輸出基地、輸出対応型施設を、全国につくります。外国人観光客4千万人時代に向かって、クルーズ船を受け入れる港湾施設の整備など、地方の観光施設を抜本的に増強しなければなりません。

 各地方の旅館やホテルの改修や建設など、未来の成長を生み出す民間投資も、どんどん喚起してまいります。

 現下のゼロ金利環境を最大限に活かし、財政投融資を積極的に活用します。リニア中央新幹線の全線開業を最大8年間前倒しし、整備新幹線の建設も加速します。

 東京、そして大阪。日本の二大都市を大きなハブとしながら、全国に広がる『地方創生回廊』をつくりあげ、成長の果実が、全国津々浦々にまで、行き渡るようにしてまいります」――

 殆んどがこれからやりますという意味で言っている。将来的実現の約束である。「21世紀型のインフラ」の整備、「リニア中央新幹線の全線開業最大8年間前倒し」、「地方創生回廊」の完成。

 リニア中央新幹線は2027年の開業予定だったから、2019年の開業への前倒しとなる。なかなかどうして気宇壮大な構想の打ち上げである。

 だが、「地方創生回廊」を言い出したのはこの記者会見が初めてではない。

 2015年12月14日開催の《内外情勢調査会2015年12月全国懇談会》でも同じことを言っている。  

 勿論、アベノミクスの成果と今後見込まれる成果についていつもどおりに一通り言及することは忘れていない。

 安倍晋三「先日、二階総務会長のおひざ元、和歌山県の、高野山に出かけたところ、ケーブルカーで流れた案内が、日本語の後、まずフランス語、そして英語と続くのです。実際、ヨーロッパやアメリカ、オーストラリアなどからの観光客が多い、という話でありました。

  初めて日本を訪れる方は、どうしても、東京や京都、大阪といった場所に行きがちです。中国などから来る方は、こういう方が多いかもしれません。

  しかし、二度、三度と、リピーターになって下さる方々は、ミシュランガイドを片手に、高野山など日本を深く感じられる場所に出かけようと思ってくださる。次なる目標は、年間3000万人の高みであります。観光立国をどんどん進めることは、確実に、地方創生につながっていくと思います。

  そのためにも、日本の地方と地方を、新幹線を始めとした交通網で、しっかりとつないでいく。正に『地方創生回廊』を完備する必要があるでしょう。

  外国人の皆さんにとっても、アクセスしやすい、一つの大きな経済圏へと統合していくことが重要であると考えています。この辺の具体化は、また次なる機会にお話させていただきたいと思います」――

 「日本の地方と地方を、新幹線を始めとした交通網で、しっかりとつないでいく」「地方創生回廊」を完備し、日本を「一つの大きな経済圏へと統合」する。

 いわば“日本列島一大統合的経済圏”とも言うべきそういった構想を持っているが、「この辺の具体化は、また次なる機会にお話させていただきたいと思います」と、具体的構想は次の機会に譲っている。

 ここで思い出すのは1972年7月の自民党総裁選で田中角栄は三木武夫、大平正芳、福田赳夫の4人で争い、総裁選前月の6月に政策綱領を発表、その中で「人とカネとモノの流れを巨大都市から地方に逆流させる “地方分散” を推進する」構想を打ちあげ、同年に書物にして出版した『日本列島改造論』である。

 安倍晋三は「内外情勢調査会2015年12月全国懇談会」開催1カ月後の2016年1月22日の通常国会冒頭の「施政方針演説」でも「地方創生回廊」に触れている。   

 安倍晋三「リニア中央新幹線が本格着工しました。東京と大阪を一時間で結ぶ夢の超特急。最先端技術の結晶です。

 3月に北海道新幹線が開業します。札幌へと工事を続けます。九州新幹線も着実に長崎へとつなげてまいります。東京から富山、金沢を貫く北陸新幹線も、敦賀へと延伸することで、大阪へとつながる回廊が生まれます。

 大阪や東京が大きなハブとなって、北から南まで、地方と地方をつないでいく。『地方創生回廊』を創り上げ、全国を一つの経済圏に統合することで、地方に成長のチャンスを生み出してまいります」

 単に北海道新幹線と九州新幹線と北陸新幹線と、東北新幹線線も加えてだろう、東京を起点に東海道新幹線をつなぎ、さらに完成後のリニア中央新幹線を加えて高速鉄道網を全国に張り巡らす、それを以て「地方創生回廊」だと銘打ち、そのような「回廊」が日本列島を“一大統合的経済圏”へと発展させていくとブチ上げているだけのことで、そのような全国的な高速鉄道網が東京一極集中ではない、一極集中を排した満遍のない「地方創生」にどう繋がっていくのか、2015年12月に具体的構想の提示は「次の機会」に譲ると言いながら、一年間の政府の基本方針や政策を提示する重要な施政方針演説で何も示すことができないでいる。

 何も示さないまま、単に全国的に張り巡らす高速鉄道網を、「地方創生回廊」だと単純・機械的にイコールさせるているのみである。

 『日本列島改造論』で構想した「人とカネとモノの流れの“地方分散”」は今以て実現できず、人もカネもモノも地方から東京一極集中への一方通行が依然として続いている。当然、「地方創生回廊」は『日本列島改造論』の失敗を繰返さないためにもより具体的な構想を国民に提示しなければならない。

 単に全国的に張り巡らす高速鉄道網を以って「地方創生回廊」だと意味づけることは許されない。

 アベノミクス3年半で、「アベノミクスの恩恵を全国津々浦々」の公約、さらには「地方創生」の公約にも反して地方の経済は決して良くなっていない。地方人口の縮小も続いている。中低所得層の生活も苦しくなっている。

 今以て具体的な構想を打ち出すことができないということは、「1億総活躍社会」構想がその疑いがあったように、このようなアベノミクスの失敗、公約の未達成を隠すために「地方創生回廊」などという新しいキーワードをアベノミクスに付け加えて、さもアベノミクスの経済政策が有効であるかのように思わせようとしている疑いが濃い。

 安倍晋三がやりかねないことである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全世界の政治指導者は自らの演説にスピーチライターを用いるべきではない 国民を欺かず、自身の言葉で話せ

2016-07-23 06:17:56 | 政治

 7月18日夜に行われた共和党党大会でのトランプ夫人メラニアの演説が8年前のオバマ大統領夫人の演説の一部と似ていた問題。トランプ陣営は当初は馬鹿げていると盗用を否定していたが、スピーチライターの女性が、「メラニアさんが例として読み上げたミシェル夫人の演説の一部を書き留め、草案に盛り込んでしまった。私のミスだった」(NHK NEWS WEB)と謝罪した。

 実際はトランプ夫人メラニアが盗用したのだが、大統領候補の妻が盗用というと、そのような女性を妻としている大統領候補者自身の性格が疑われることから、ヒール役を引き受けるスピーチライターを急遽仕立てたのかもしれない。

 あるいはよくあるように実際にスピーチライターが用意した演説で、お粗末なことにその中に盗用部分が含まれていたということなのかもしれない。

 事実は分からない。

 盗用個所はミシェル夫人が両親から教えられた価値観として「自らの言葉は自分との契約で、言ったことは実行し、約束を守る」(同NHK NEWS WEB)と語った言葉だそうだ。

 もし著名な政治家の妻までもがスピーチライターが作文した演説を自分の言葉として読み上げる習慣があるとしたら、ミシェル夫人の8年前の演説もスピーチライーターが書いた演説ではないかと疑うこともできる。

 たまたまその中に他人の言葉を盗用した個所がなかったから、ミシェル夫人自身が発信した言葉、あるいは思いだと受け止められたと言うことかもしれない。

 このような疑いを一切排除するためには政治家自身も、最終的には自身の推敲を経るとしても、スピーチライターそのものを用いるべきではなく、自分の言葉で自らの主義・主張を語るべきではないだろうか。

 スピーチライターを用いると、どうしても必要以上に美しい言葉、感動させる言葉を心がけるようになる。それがスピーチライターとしての役目だからだ。

 安倍晋三も自らの演説の草稿作成にスピーチライターを用いている。日経BP社『日経ビジネス』記者出身の内閣官房参与谷口智彦(59歳)だという。

 東京大学法学部卒業で、「Wikipedia」の「谷口智彦」の項目には次のような記述がある。 

 〈第2次安倍内閣では、2013年2月より内閣官房にて内閣審議官に就任し、主として広報を担当した。内閣総理大臣である安倍晋三のスピーチライター的な存在として活動する。

 同年1月の時点で、第183回国会における安倍の施政方針演説を既に手掛けており、同年2月以降も国際戦略研究所での安倍の英語の演説などを手掛けた。同年9月の国際オリンピック委員会第125次総会においては、安倍が東京オリンピック招致のためのプレゼンテーションを行ったが、福島第一原発の汚染水はブロックされているで知られるこの演説も谷口が手掛けたものである。〉・・・・・

 安倍晋三自身がこういった事柄を書き入れるよういくつか注文し、出来上がった原稿に最後に目を通して加筆することがあったとしても、他人の言葉をベースとしていることに変わりはない。

 それをさも自分の言葉であるかのようにジェスチャー宜しく国民に伝える。あるいは外国の首脳たちに伝える。政治家同士はお互いにやっていることであったとしても、口にしている政治家自身の言葉だと思って耳にしている国民を結果的に欺くことになる演説となる。

 国民を欺かないためにも、政治家の言葉への信用を失わせないためにも、全世界の政治指導者がスピーチライターを用いないことを契約とすべきだろう。

 自らの政治思想をよりよく国民に伝わる言葉に紡ぎ上げることができない人物は政治指導者になるべきではない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国を国際法に従わせるには安倍晋三の「法の支配」なる呪文は役に立たず、対中断交の超強硬策以外にない

2016-07-22 09:13:25 | 政治

 オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所は7月12日(2016年)、フィリピン政府の国連海洋法条約に基づいた中国相手の2013年1月の訴えに対して南シナ海に対する中国の領有権主張や人工島の建設等を国際法に違反するとする判断を示した。

 中国は地図上に引いた「9段線」(きゅうだんせん)を基に南シナ海の90%に当たる海域の領有権を主張しているが、裁判所は国際法上の根拠を退けた。

 当然、「9段線」内の岩礁の上に建設している人工島の造成は国際法違反となる。

 中国が仲裁裁判所の判断を受け入れないのは目に見えていた。岩礁の上に人工島を造成し、飛行場まで建設して、それを起点に自国領海とする既成事実化を着々と進めてきたからだ。

 今後共既成事実化を進めていくだろう。

 その前提となる受け入れない姿勢を中国政府首脳は示している。

 習近平国家主席(7月12日、EUのトゥスク大統領等との会談で)「南シナ海の島々は、古来より中国の領土だ。南シナ海における中国の領土主権と海洋権益は、いかなる状況下でも仲裁の判断の影響は受けないし、判断を基にしたいかなる主張や行動にも中国は受け入れない」

 李克強首相(同じくEUのトゥスク大統領等との会談で)「中国政府は仲裁裁判の判断を受け入れない。中国は、南シナ海の地域の平和や安定を維持することに最も関心を払っているし、努力している」

 王毅外相「争いや不公平に満ちた仲裁裁判は、国際法や国際法に基づく秩序を代表しえない。この茶番はもう終わりで、正しい軌道に戻るべきときが来た。中国は、フィリピン政府が中国とともに対立を適切にコントロールし、両国関係を速やかに健全な発展への軌道に戻るよう推進していくと楽観している」(以上7月12日付NHK NEWS WEB

 王毅外相の発言に対するフィリッピンの反応。

 ヤサイ・フィリピン外相(7月19日の地元テレビ局のインタビュー)(ASEM=アジア・ヨーロッパ首脳会議の際に会話した中国の王毅外相から)「仲裁裁判の判断を踏まえずに2国間で話し合おうと打診されたが、それは、我々の国益にそぐわないと伝えた」(7月19日付NHK NEWS WEB

 7月19日にドゥテルテ比大統領とマニラで会談した米議会代表団のクリス・マーフィー米上院議員は自身のツイッターで大統領は南シナ海問題で中国と交渉する計画はないことを表明、「交渉の余地はない」との発言を投稿したと7月20日付「時事ドットコム」記事が伝えている。

 要するに仲裁裁判所の判断が全てだということを示したのだろう。それを全てとするためには国際世論の味方を前提としていることになるが、果たして国際世論が味方となるかが問題となる。

 当然、国際世論と中国が南シナ海で着々と進めている既成事実化との戦いとなる。前者が力を発揮し、後者を撤回させるか、前者を無視し、後者の既成事実化をさらに進めるのか。

 中国政府の姿勢を見ると、中国は後者の選択肢以外に考えていないようだ。

 ASEM=アジア・ヨーロッパ首脳会議でモンゴルを訪れていたときに示した我が日本の安倍晋三の仲裁裁判所の判断に関わる見解を見てみよう。

 安倍晋三「「法の支配は国際社会が堅持していかなければならない普遍的な原則だ。国連海洋法条約に基づき仲裁裁判所の判断は最終的なもので、紛争当事国を法的に拘束する。

 これまで私は一貫して海における法の支配の3原則、すなわち、法に基づいて主張を行うこと、力や威圧を用いないこと、紛争解決には平和的収拾を徹底することの重要性を訴えてきた。わが国は国際社会に対してこの3つの原則に基づいて行動することを呼びかける」(7月16日付NHK NEWS WEB

 安倍晋三はこれまでも中国に対して「海洋に於ける法の支配」を訴え続けてきた。

 2013年1月18日に訪問先のジャヤカルタで行う予定だったが、アルジェリア邦人拘束事件が発生、急遽帰国することになり行われなかった、《開かれた、海の恵み ―日本外交の新たな5原則―》首相官邸/2013年1月18日)と題した幻のスピーチ。  

 安倍晋三「日本の国益とは、万古不易・未来永劫、アジアの海を徹底してオープンなものとし、自由で、平和なものとするところにあります。法の支配が貫徹する、世界・人類の公共財として、保ち続けるところにあります。

 ・・・・・・・・

 わたくしたちにとって最も大切なコモンズである海は、力によってでなく、法と、ルールの支配するところでなくてはなりません」

 このスピーチは中国が海洋進出を強めていることを念頭に置いたもので、アジアの海は法に則って自由で平和なものでなければと訴えた。

 だが、2年半経過しても、南シナ海は国際法は無力で、中国の法が支配するところとなっている。

 そして何よりも安倍晋三自身の言葉が無力でしかなかったということである。

 中国の既成事実化を前にして無力でしかない言葉を今以て繰返している。

 中国は南シナ海のほぼ全域を自国領海とする既成事実化を国際法を無視し、主要各国の批判を無視して推し進めている。この事実に今後共変わらないだろう。

 それが南シナ海の90%ほぼ全域を自国領海とする究極の形を取るようになった場合、アメリカは南シナ海に於ける米艦船の「航行の自由」作戦を強めざるを得なくなるだろう。

 中国にしても自国領海であることを示すために実力阻止に出ざるを得なくなった場合、緊張感が高まり、不測の事態が起こらない保証はない。最悪の場合、米中戦争の勃発ということもある。

 戦争という最悪の事態を前以て阻止し、中国を国際法に従わせるためには主要各国が中国と外交関係を断ち、中国から各国企業が撤退する超と名のつく強硬策以外に道はない。

 勿論、そうした場合、中国のみが政治的にも経済的にも大打撃を受けるだけではなく、日本を含めた主要各国も経済的に大打撃を受ける。

 だが、国土の破壊や多くの犠牲者を出すことになる戦争の勝敗で国際法に従わせるよりも、将来の戦争の危険性を前以て避ける代償として経済的打撃を覚悟して、経済戦争で中国を負かして国際法に従わせる方がより賢明ということができる。

 いずれにしても法の支配も民主主義も人権も無視している現在の共産党1党独裁の中国を国際法に従わせるためには戦争か主要各国が足並みをそろえた断交といった超強硬策以外にないはずだ。

 それとも安倍晋三のように役にも立たない「法の支配」を言い続けるのか。

 あるいは中国のゴリ押しに負けて、南シナ海を中国領海とする既成事実化に目をつぶるかである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

強権トルコ大統領エルドアンとプーチンそれぞれの国民的人気と両者と親交の厚い安倍晋三それぞれの共通点

2016-07-21 09:35:20 | 政治
 

 7月18日(2016年)昼間放送のTBS「ひるおび!」でトルコのクーデター未遂を取り上げて、クーデター発生と同時にトルコ大統領エルドアンが民間のテレビ局を通じて国民に外に出て抗議するよう呼びかけ、国民がそれに応じたことに対して司会者の恵俊彰が、「言論の自由や報道の自由に制限を加えているエルドアンの呼びかけに国民の多くが応じて外に出て抗議をした、逆なら分かるけど、ある意味不思議だ」といった趣旨のことを話していた。

 ヒトラーやプーチンを例に挙げれば、簡単に理解できることである。

 よく知られているように、独裁者としてのヒトラーの出発点は民主的方法によった。「Wikipedia」の「アドルフ・ヒトラー」の項目には、〈第一次世界大戦までは無名の一青年に過ぎなかったが、戦後にはバイエルン州において、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)指導者としてアーリア民族を中心に据えた人種主義と反ユダヤ主義を掲げた政治活動を行うようになった。1923年に中央政権の転覆を目指したミュンヘン一揆の首謀者となり、一時投獄されるも、出獄後合法的な選挙により勢力を拡大した。

 1933年には大統領による指名を受けてドイツ国首相となり、首相就任後に他政党や党内外の政敵を弾圧し、ドイツ史上かつてない権力を掌握した。1934年8月、ヒンデンブルク大統領死去に伴い、大統領の権能を個人として継承した(総統)。こうしてヒトラーという人格がドイツ国の最高権力である三権を掌握し、ドイツ国における全ての法源となる存在となり、ヒトラーという人格を介してナチズム運動が国家と同一のものになるという特異な支配体制を築いた。この時期のドイツ国は一般的に「ナチス・ドイツ」と呼ばれることが多い。〉と解説されている。

 最終的にはユダヤ人を除いて殆どのドイツ国民がヒトラーを熱狂的に歓迎した。国家権力指導者のその政治性と、それを歓迎する国民の存在という相互性がヒトラーという怪物を生み出した。

 プーチンにしても同じ共通項を成している。

 政敵や反政権活動家、プーチン批判のジャーナリストの暗殺、あるいは汚職や脱税、横領等の罪で検察に告発させ、裁判で禁錮5年やそれ以上の判決で刑務所に幽閉する方法で活動を停止させる粛清が専ら行われている。

 「Wikipedia」「ウラジーミル・プーチン」の項目には、〈ロシア情報公開擁護財団によると、ロシアでは1999年から2006年までに128人のジャーナリストが死亡・もしくは行方不明となっており、プーチン政権がこれらの事件に関わっているのではないかとの疑惑が浮上している(この点に関してゴルバチョフは、ロシアではジャーナリストが不審な死を遂げる事件がエリツィン政権時代から頻発しており、いずれも真相が明らかにされていないため、政権の関与が疑われてしまうと発言している。)。〉との解説が載っているが、8年間で128人。1年間平均16人という決して無視できない、多くの人数となっている。

 1999年はプーチンが第5代首相に就任した年である。

 その1999年から政府批判のジャーナリストの死亡もしくは行方不明が頻発している。

 政府批判のジャーナリストの死亡もしくは行方不明という形の活動の停止が誰により多くの利益を与えるのか、活動を目にしたり耳にしたりして不愉快という不利益と支持率低下への恐れが実際の形を取った場合の不利益は批判の対象となっている政府が被ることになり、死亡・行方不明はその不利益を避ける利益となっていることは誰の目にも明らかである。

 このようなある種の粛清に助けられていないことはない状況下で1999年以来、プーチンは首相、大統領、首相、大統領とロシアの権力を握ってきた。

 ロシア人の人種的な偉大性――大ロシア主義は広大な領土に依拠させた強大な国家権力を不可欠な二大要素としているが、ロシア国民がその大ロシア主義を最も満足させたのはプーチンが元々旧ソ連の領土だったウクライナからクリミアを2014年3月に取り戻したときであろう。

 ロシアへのクリミア併合を国民は熱狂して歓迎し、プーチンの支持率はその強権主義を無視して8割以上にも達した。

 現在は支持率は65%程度に落ちているが、それはクリミア併合に反対の欧米の経済制裁によって国民の生活が苦しくなっていることから、少しは目が覚めたからだろうが、プーチンが何かをキッカケとしてロシア国民の多くが血としている大ロシア主義を刺激した場合、再び国民を熱狂させ、高い支持率を獲得するケースが生じないとも限らない。

 トルコ大統領エルドアンは2007年の爆弾テロ未遂事件発生をクーデター計画と見做し、軍関係者ばかりか、ジャーナリストまで100人以上を投獄する言論弾圧と、国民がSNSに投稿する政権批判の声をツイッターやフェイスブックを遮断する言論弾圧等の手段を使って反対派を抑えこんできたが、今回未遂に終わったクーデター参加者摘発の名を借りて、放送24局の免許取り消し、公務員2万5千人の停職処分や解任処分、軍幹部等の8千人以上の拘束等、反対派粛清に乗り出している。

 現在のトルコ大統領は儀礼的存在でしかないが、自らが任命した首相を傀儡として自身が国家権力の実権を握り、その完成形として新憲法の制定によって現行の議院内閣制から自身に行政権を含めた権限を集中させる新たな大統領制への移行を狙っていると言われている。

 このような新憲法制定と共にクーデター関係者摘発の名を借りた広範囲な反対派粛清は自身への権力集中に終わらず、反対派を粛清・一掃することによって成立させることができる独裁権力掌握の意図に基づいて行われているはずだ。

 それがヒトラーがしたように国民の支持のもとに着々と進められている。

 欧米がどう批判しようと、国民の支持こそが権力の正当性を証拠づける唯一絶対の打出の小槌である。支持を得るためにも反対派粛清の権謀術数を尽くす。

 我が日本の安倍晋三は無意識の内に政治的体質に近親性を響き合わせているのか、プーチンとエルドアン、それぞれと親交を厚くしている。

 安倍晋三にしても民主的な選挙によって首相に選ばれたが、報道の自由に制限を加えたい欲求を実際の形で示すこともあるし、人間が生活を最大の利害とする生活の生きものであることを利用、選挙では国民が反対する安倍晋三の安全保障政策や憲法改正問題は争点隠しをし、国民の生活に密着する経済政策のアベノミクスを争点とする偽りの正面作戦で議席を伸ばし、その議席の力で国民が反対する政策を着々と実現させていく、目的のためには頭数だけを絶対として手段を選ばない、表面上はソフトに見える巧みな権謀術数で権力の維持を謀る、その本質性に於いてエルドアンやプーチンと何ら変わらない。

 国民の支持がその権力の正当性を決定づける唯一のバロメータとなるとは限らないことを心しなければならない。

 アメリカの共和党大統領候補トランプの支持率が何と高いことか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする