渡部恒三民主党最高顧問は29日の衆院予算委で菅首相では災害対応は無理だ、総理の資格はないと宣言した

2011-04-30 10:13:00 | Weblog

 

 勿論、「あなたが頑張らなければダメだ」と激励したが、実質的には総理失格宣言を行ったも同然である。

 この宣言をしたも同然の質疑をHP「衆議院インターネット審議中継」から拾ってみる。

 渡部恒三議員「菅総理、連休が終わったら、オールジャパンキャビネット、自民党から共産党まで、災害対策、ためには、心を一つにして、頑張れと、やっぱり国民のみなさんが政治家はたいした、やってくれると、いう、思いにするのはあなたの仕事だと思うんです。

 だが、あの、私は自民党の谷垣総裁にあなたが連立を求めたのは間違っていなかったと思う。しかし、あの、やり方を間違った。電話で、入閣してくれなんて、あんなことはやっぱりまだ、政治の経験が浅い。

 私だったら、黙って自民党本部に行って、総裁室に行って、谷垣総裁に手を突いて、(実際にテーブルに両手を突いて深々と頭を下げる)『国のためです。あなた総理になってください、私、副総理でお仕えします』と、言ったでしょう。そしたら恐らく、谷垣総裁だって、断れなかったと思う」――

 渡部恒三センセイ、浪花節がかったなかなかの名演技、一人芝居といったところだが、菅仮免は「国のためです。あなた総理になってください、私、副総理でお仕えします」という態度を取るべきだったとしているところに菅仮免では今回の大災害の対応は無理だと、総理は谷垣自民党総裁でなければダメだとの宣言となっている。

 このような宣言こそが、菅首相が仮免首相にとどまっている所以であり、本免首相とはなり切れない理由が存在する。

 対する菅仮免の反応を見てみる。

 菅仮免「まあ、私自身、えー、今の渡部恒三先生の、おー…、お話を聞きながら、自分自身を、おー、無にして、えー、頑張らなければならない、私の姿勢が、あー…、ま、ケンキョシャに、謙虚さに欠けるというふうに、見られ勝ちで、エ、大変そういう意味では、みなさんに、イー…、色んな面で、えー…、私に、の態度、ヲー…、が、不十分であったことを、お詫びを申し上げたいと思います。

 シー、これからそういったことも、おー、十分に、ウー…、気をつけながら、本当に、政治は国民のためにあるという原点に、立って、頑張り抜きたいと、えー、改めて決意を新たにさせていただきました。どうもありがとうございました」

 民主党席からだろう、「そうだ」の声と拍手。

 確かに菅仮免の謝罪は電話で入閣を求めたことを非礼として、そのことが謙虚さに欠ける態度だったというころに置いている。だが、渡部恒三から、「国のためです。あなた総理になってください、私、副総理でお仕えします」と総理としての資格を否定されながら、「電話で入閣を求めたのは謙虚さに欠けたが、私は副総理格として入閣を求めたのであって、谷垣総裁に総理になることを求めたのでも、私自身が副総理になることを伝えるつもりもありませんでした」と否定の否定を宣言する強い意志を見せることができなかったこと自体に既にトップリーダーとしての資格を失っている。

 なぜなら、4月22日の記者会見で、「私自身、この大震災のときに、総理という立場にあったひとつの宿命だと受け止めておりまして」とまで言っているのである。

 「ひとつの宿命」だとしていながら、総理にふさわしくないと宣告されて、宿命論を振りかざすこともできず、渡部恒三の叱咤激励によって、事ここ至って(「事態が悪化してどうにもならない状態になって」(『大辞林』〈三省堂〉)、「政治は国民のためにあるという原点」を新たにするという、一見謙虚な態度に見えるものの、常に保持していなければならない基本的出発点の思想・思いとしていなければならないことに反する、と同時に常に核とすべき基本的な信念としていなければならないことに反する遅すぎる反省を今更ながらに表明する意志薄弱を見せているところにもトップリーダーとしての資格を失っていることを窺わせている。

 また「政治は国民のためにあるという原点」に立ち返ると改めて表明しなけれならないこと自体が既に満足な災害対応を行い得ていなかったことの反省と看做さなければならない。

 渡部恒三の冒頭の質問に対する菅仮免の答弁にも自分のことしか考えない、だが自分のことが見えていない、一国のリーダーにふさわしくない姿勢を露にしている。

 渡部恒三「えー、委員長、渡部恒三であります。最初にお許しをいただいて、(痛ましげな、一語一語を噛みしめるようなゆっくりとした口調で)この千年に一度と、言われる、災害で、尊い、命を、失った、皆さんの、霊に、手を合わせて(手を胸のところで合わせる)、祈り、お詫びを、申し上げたいと思います(一礼)。

 菅総理、これから質問させていただきます。今、ちょっと昔のことを思い出したんですが、私は中曽根厚生大臣、内閣で厚生大臣で、年金法と健康保険法を、やっておったとき、社会労働委員にあなたはなられ、ずーい分厳しい質問を、されたことを今、思い出しますけれども、昨日本会議の、答弁を聞いていると、なんか元気がなさそうで、まあ、あんた、答弁より質問の方が、向いてたったのか(ママ)なあと、感じもしますけれども、しかし、国難と言われる、このとき、あなたは国で一番大事な、総理大臣という、立場にあるんです。今、災害地のみなさん、家族を失い、家を失い、故郷(ふるさと)を失い、明日の生活もどうなるか分からない、この災害地の、みなさんのために、あなたが働きゃならないんです。命をかけてやらなきゃならない。先ず総理の決意をお伺いしたい」

 答弁よりも質問の方が向いているという批評には、野党議員としては能力を発揮したが、与党の首相としては能力を発揮していない、その資格はないとの示唆を含んでいる。

 また、「今、災害地のみなさん、家族を失い、家を失い、故郷(ふるさと)を失い、明日の生活もどうなるか分からない、この災害地の、みなさんのために、あなたが働きゃならないんです。命をかけてやらなきゃならない」の言葉には菅仮免が被災者のために働いていない、命をかけていない状況となっていることの逆説の示唆となっている。

 このことも総理としての資格がないことの暗黙の指摘であろう。

 渡部恒三は自分では意識しないままに、結果として一生懸命に、「あんたでは災害対応は無理だ」、「総理の資格はない」と言っていたのである。

 菅仮免「被災地でもある、ウー…、福島、あー、から、選出されている渡部恒三先生から、お話をいただきました。シー、私も今、あー…、渡部恒三先生が厚生大臣時代、被爆者支援法など、ヲー、そういった課題でも、何度も議論させていただいたことを、思い出しながら、あー…お話を聞いておりました。

 シー、私も、おー…、この大震災発生以来、何度か、あー、現地を、訪れ、えー、特に、イー…、避難されている皆さんと直接膝を交えて、えー、話をー…し、また、石巻を始め、えー…、被災をされた、地域を…、実際に、イー、歩いた、中で、ホントーにま、すべてを失った、みなさん、あー、家族を失われたみなさんが、しかしその中で、何とか立ち直ろうと、必死になって頑張っておられる姿を、たくさん、見てまいりました。

 シー、あー、こういうときに、本当に、イ、私自身が、総理という、この立場であるということは、……これまでの、オ、……とき、以上、こういう、ことに対して、何ができるか、1秒たりとも、そのことを、頭から、離、れない形で、考え、行動してきた、つもりであります。

 シー、えー、えー、とにかく、そうした被災を受けた皆さんが、1日も早く、……元の、生活に先ずは戻り、そしてもう一度、元気な、……地域社会を、再建させて、いく、(声を強めて)そのために、政府としてできることは、何でもやるんだ、カネのことは心配するなと、そういうつもりで、取り組まなければならない、そういう思いを、強く致しております。

 私にも、まだまだ未熟なところがあり先ず、必ずしも、何か私の、オ、気持が、十分に伝え切れないところがありますけれども、渡部恒三先生がおっしゃるように、このことに、命をかけるという、その覚悟で、臨んでまいりたい、このように、考えて、おります。よろしくご指導お願いします」――

 次の言葉にスムーズにつなげることができず、滑らかな発言とすることができない、的確な判断能力を欠いている点もリーダーとしての資格を限りなく疑わせる箇所であろう。

 「政府としてできることは、何でもやるんだ、カネのことは心配するな」はあくまでも「そういうつもり」の取り組みであって、言葉通りでないことをさも言葉通りであるかのように声を強めて言う軽々しさは「有言実行」の看板に反する、「有言実行」とはいかない一種の詐欺宣言であって、この軽々しさも一国のリーダーとしての資格を疑わせる。
 
 菅仮免は大震災発生以来何度か現地を訪れ、「避難されている皆さんと直接膝を交えて」話し合ったと言っている。だが、渡部恒三は「今、災害地のみなさん、家族を失い、家を失い、故郷(ふるさと)を失い、明日の生活もどうなるか分からない」状況に現在もあると言っている。

 両者が描く二つの状況から見て取ることができる様相は要するに「直接膝を交えて」話し合ったことを菅仮免が何ら役立たせることができていないということのみである。

 渡部恒三が「明日の生活もどうなるか分からない」現在も続いている状況が決して大袈裟な指摘ではないことは4月24日日曜日のテレビ朝日「サンデー・フロントライン」が伝えている被災者の声が証明してくれる。

 避難場所の体育館の中で話している。

 宮城野体育館避難所運営本部・片桐勝二運営委員長「今後の生活基盤的なものが、やはり明確にこういうふうに行くよ、こうだよ、じゃあ時期は?時期はいつだよということをきちんと明確にして貰えれば、みんな安心して次ぎの行動に移せると思うんですよ。

 光を求めて人間は進みますから――

 要するに菅仮免が「何ができるか、1秒たりともそのことを頭から離れない形で考え、行動してきた、つもり」ですと言っていることに反して、被災者に対して現在の窮状から将来に向けて立ち上がる指針となるべきビジョンを示し得ていない、希望を与え得ていない、あるいは光を与え得ていない状況にあり、このこと自体が「直接膝を交えて」話し合ったことの無効果の証明となり、自分のことしか考えていない、だが自分のことが何ら見えていない発言と言うことができる。

 大体が「何ができるか、1秒たりともそのことを頭から離れない形で考え、行動してきたつもり」は自身の責任を果たしていることへの言及であって、本来なら、被災者が置かれている状況に関して「1秒たりともそのことを頭から離れない形で考え、行動」し、一つ一つ解決していくことへの言及でなければならないはずだが、自分のことだけに目を向けているから、被災者に目を向ける言及足り得ないことになる。

 自身の責任云々よりも常に被災者に目を向ける姿勢こそが、「政治は国民のためにあるという原点」を守っていると言えるはずだが、現実にも被災者の窮状・困窮を一方に存在させながら、それを無視して、自分が責任を果たしていることだけを言う姿勢にしても、一国のリーダーとしての資格を失う証明となり得る。

 また自身の問題点、未熟な点を「必ずしも、何か私の、オ、気持が、十分に伝え切れないところ」に置いているが、これは世論調査での低支持率や不人気をリーダーとしての自身の資質に目を向けずに自己発信能力に問題があるとしていることと同じパターンで、自分が行っていることを単に伝え切れていないだけだ、国民が気づいていないだけのことだとするのはやはり自分を見る目のない責任転嫁の姿勢そのもので、この責任転嫁姿勢にしても総理としての資格がない証明とすることができる。

 菅仮免が4月22日の記者会見で「私自身、この大震災のときに、総理という立場にあったひとつの宿命だと受け止めておりまして」と発言したことに引っ掛けて、昨4月22日のブログの最後に、〈全く国民は、特に被災者はこの最悪の時期に菅仮免を一国のリーダーとして抱える情けない「宿命」に見舞われたことになる。〉と書いたが、渡部恒三の間接的な示唆を待つまでもなく、首相の資格のない政治家を首相として頭に頂く国民の悲劇を何度でも繰返さなければならない訴えとなるに違いない。


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必要なのは菅仮免首相の「強い思い」ではなく、実行能力であり、結果である

2011-04-29 09:20:58 | Weblog




 辞任するまでに本免許が取れるのかどうか。この調子では仮免のまま退任という確率の方が依然として高いのではないのか。本人の「一生懸命やっているのに、支持率が上がらないのは分からない」と納得できない様子だということからすると、仮免にとっては低支持率は原因不明のまま推移することになり、改善点に気づかずに指導力ゼロの現状維持――いわば仮免のまま終わることになる。

 菅首相名4月22日(2011年)の記者会見で、「私自身、この大震災のときに、総理という立場にあったひとつの宿命だと受け止めておりまして」と言っているが、実際は仮免のままであることこそが菅直人という政治家にとって総理という立場に立った場合の「ひとつの宿命」だったのだろう。

 仮免が終始ついてまわる「宿命」だということである。

 《お盆までに希望者入居=仮設住宅で目標-菅首相》時事ドットコム/2011/04/26-18:23)

 4月26日午後の衆院予算委員会での小野寺五典(いつのり)自民党議員の東日本大震災被災者の仮設住宅整備についての質問に対して。

 菅仮免首相「遅くともお盆のころまでには希望者全員が入れるよう全力を尽くす」

 と約束した。いや、公約とした。小野寺議員に請合ったわけではない。仮設住宅入居を予定している被災者全員に「遅くともお盆のころまでに」と請合い、全員の入居完遂を心待ちにしている日本国民に同じく「遅くともお盆のころまでに」と請合った。

 記事は菅首相の、いや日本のトップリーダーのこの重大な発言に対する枝野官房長官の記者会見での発言を伝えている。

 枝野官房長官「首相の強い思いとして言ったと理解している。資材の確保は見通しが立っているが、最終的には土地の確保などの(制約)要因がある」

 要するに首相発言を否定した。発言は「首相の強い思い」であって、実行可能なスケジュールではないと。

 仮設住宅入居を心待ちにしている被災者にとっても国民にとっても必要としている事柄は「首相の強い思い」などではなく、スケジュールの着実・強力な具体化である。着実・強力な具体化が伴わなければ、発言はすべてカラ約束、カラ公約、カラ請合いと化す。

 枝野官房長官が上記発言を述べたのは4月26日午後4時の記者会見である。

 《枝野官房長官の記者会見全文〈26日午後4時〉》asahi.com/2011年4月26日18時25分)

 【仮設住宅】

 記者「仮設住宅の入居時期について、菅首相は国会答弁で「お盆のころまでに」と語ったが、それまでの具体的な道筋は?」

 枝野官房長官「詳細は国土交通省にお尋ねを頂きたい。ただ、私が把握しているのは、5月末までの時点で合計3万戸余りの完成が見込まれると。これはもちろん部品、資材の確保と土地の確保ということ含めてだ。その後についても、土地の確保について県の協力、努力をお願いしないとならないところだが、総理の強い思いとして各県にも協力頂いてということで言ったものと理解している

 記者「単なる思いの中での発言なのか。具体的な道筋はないのか」

 枝野官房長官「かなりの部分について、資材等の確保についてはある程度の見通しが立っている。最終的には土地の確保とか、土地に対する様々な建物を立てる以外の要因がある。確定的なところを今言えれば、逆に確定的な見通しで言えるのであって、何とか国も県も最大限のスピードでそういった目標を達成できる方向で努力をしていきたいというのが、今の時点で言えることだ」

 記者「仮設住宅の入居期限は延長する方向で検討しているのか」

 枝野官房長官「これは具体的には原則2年だったと思うので、ある程度の時期で決定というか明確に確定的にさせないとならないと思うが、まずは希望のある方に入って頂くことをしっかり済ませた上で、ただ被災地の状況あるいは原発の方の状況等踏まえた時に当然2年ではなかなか仮設住宅から出て頂くのが難しい地域が少なからずあるということは、ある意味では共有されている認識ではないかと思う。ただ、その手続きというか、そこをいつから始めるかについては、まずは入って頂くことが済んでからだ」――

 いくら「総理の強い思いとして各県にも協力頂いて」いるとしても、実行可能でなければ、意味をなさない「強い思い」で終わる。枝野にしても政治家ならそのくらいのことは理解しているはずだが、単に「総理の強い思い」だとする詭弁でその場を誤魔化したに過ぎない。

 枝野の正体をなす詭弁は次の言葉でも発揮されている。

 枝野官房長官「確定的なところを今言えれば、逆に確定的な見通しで言えるのであって、何とか国も県も最大限のスピードでそういった目標を達成できる方向で努力をしていきたいというのが、今の時点で言えることだ」――

 「確定的なところを今言えれば、逆に確定的な見通しで言えるのであって」とは、「確定的な見通しがつくなら、確定的なことが今言える」と言うことであろう。「確定的な見通し」がついていないにも関わらず、「確定的な見通しがつくなら、確定的なことが今言える」といったことを言うのは詭弁そのものである。

 「政治は結果責任」であって、「政治は努力責任」では決してない。努力しましたが、達成できませんは許されないということである。努力したんだから、責任は負わないは許されない。

 努力は決めた一つの目標の達成に向けて発揮することになる、当然、その目標の達成に対する責任行為となる。その責任を果たすことによって政治の負託を受けた国民に対する責任遂行ともなり得る。

 目標をつくって初めて努力が発生する。しかしその目標を達成するという結果を実らせなければ、努力は責任不履行と化す。

 菅仮免にしても枝野にして、「政治は結果責任」だとする厳しい認識を常に欠いている。欠いているところに「リーダーシップは生れない。

 枝野は一見、菅仮免に付き合わされて「政治は結果責任」意識を欠くことになっているように見えるが、元々の詭弁家を本質としているのである。言葉巧みに自分たちに都合のいいように情報操作する人間にしても、「政治は結果責任」意識を備えるはずはない。

 枝野の仮設住宅に関する詭弁は28日午後の記者会見での発言にも現れている。《枝野官房長官の記者会見全文〈28午後〉》asahi.com/2011年4月28日18時32分)

 【仮設住宅への入居】

 記者「総理は仮設住宅への全希望者の入居について『お盆の頃』と言ったが、国交相は会見で『そういう見通しは立っていない』と言っている。政府として『お盆の頃』という見通しは立ってないのか。

 枝野官房長官「総理の発言自体、正確に記憶しているわけではないが、資材等の確保、人員等の確保、建設場所の確保と、それぞれにおいていろんなハードルあるが、少なくとも資材の確保等について政府として最大限の努力を払って、できるだけそうした時期に入って頂けるようにということに向けて最大限の努力をしているというのが現状だ」――

 建設に向けた障害(=ハードル)として「資材等の確保、人員等の確保、建設場所の確保」を挙げながら、これらすべての障害をクリアして初めて責任を果たしたことになるはずだが、後者二つの障害を取り除いて、「少なくとも資材の確保等について政府として最大限の努力を払って」いると、「資材等の確保」のみが政府の責任であリ、その責任を果たしているかのように見せかける詭弁を働かせている。

 確かに建設資金と資材の確保は政府の責任であり、人員と建設場所の確保及び建設は自治体の責任と分担が分けられているが、政府と自治体が一体とならなければ、仮設住宅の迅速な建設と被災者の入居は実現できない。国民の一部である被災者の生活回復と安心の確保は先延ばしにされることになる。

 菅仮免の「遅くともお盆のころまでには希望者全員が入れるよう全力を尽くす」の“思い”に対して、仮設住宅建設の直接の所管機関である国交省大畠国交相は次のように発言している。《“仮設住宅用地めど立たず”》NHK/2011年4月28日 13時1分)

 記事は、仮設住宅は岩手・宮城・福島の3県で7万2000戸必要とされているが、これまでに完成したのはたったの約2800戸にとどまっていると書いている。

 4月28日閣議後の大畠国交相の記者会見。

 大畠国交相「お盆までに完成できるめどがついていれば、私から申し上げている。特に津波の被害を受けた自治体では用地の確保が難しい。5月末までに3万戸を完成させるめどはついている。できるだけお盆までに仮設住宅に入れるよう、県や地元自治体とも急ぎ調整を始めた」――

 「お盆までに完成できるめどがついていれば、私から申し上げている」。目途などついていないと菅仮免の“お盆完成説”を真っ向から否定している。

 「5月末までに3万戸を完成させるめどはついている」が、必要戸数は7万2000戸だから、差引き4万200戸不足することになる。お盆まで残すところ2ヵ月半だから、スピードを上げて一カ月2万戸近くの建設とすれば、計算上はギリギリ間に合うことになるが、大畠国交相は目途はついていないと言っている。記事題名にもあるように、またテレビでも伝えているが、用地確保が最大の障害となっているのだろう。

 そこで2階建てという発想となった。《国交相、仮設住宅入居、お盆までに「努力」》MSN産経/2011.4.28 11:33)

 この記事では菅仮免の「お盆のころまで」が8月中旬の旧お盆となっている。「5月末までに3万戸を完成させるめど」がついていながら、5月、6月、7月、8月中旬までの3ヵ月半で残る4万2千戸建設の目途がついていないということなら、相当に悲観的な見通しとなる。

 先の記事と同じ4月28日の閣議後の記者会見の報道である。

 大畠国交相「できるだけお盆までには仮設住宅に入ってもらうように努力はしたい。6月以降の仮設住宅の建設がどのような形で実現できるか、関係自治体と詰めに入ったところ。同じ用地でも倍の戸数になる2階建ての仮設住宅が必要かなという思いがある」

 お盆という時期はあくまでも努力目標であって、確約とはっていない。

 大畠国交相は枝野官房長官が「首相の強い思い」といったのと同じように、「思い」という言葉を使っている。「同じ用地でも倍の戸数になる2階建ての仮設住宅が必要かなという思いがある」と。

 既に書いたように緊急に必要としている事柄は「思い」ではなく、具体化の措置である。それを具体化に向けた計画決定以前の「必要かなという思いがある」「思い」の段階にとどめている。

 だが、この28日の大畠国交相の「必要かなという思い」よりも状況が進んでいることを記者会見前日の27日付、《用地不足解消に2階建て仮設住宅 海外製を輸入へ》asahi.com/2011年4月27日9時54分)が伝えている。記事に2階建て仮設住宅の写真が添付してあるから、どんな物か興味のある方はアクセスして貰いたい。

 海外メーカー製のコンテナ式2階建て仮設住宅で、数千戸予定しているという。国内製仮設住宅は現地で組み立てるが、海外製は最初から組み立てが終わっている完成品で、台所、風呂、トイレ、押し入れを常備しているものの、2階建て丸ごとの完成品のまま輸送する関係上、輸送費が割高になるということだが、1戸あたりの建設費用は国内製と同程度の約400万~500万円だという。

 仮設住宅建設だけで約400万~500万円×7万2千戸の費用がかかる。5月に発注し、7月には完成する見込みだと記事に書いてあるが、では大畠国交相は「同じ用地でも倍の戸数になる2階建ての仮設住宅が必要かなという思いがある」などとなぜ言ったのだろうか。

 用地確保難の解決策として外国製仮設住宅の発注を進めていると言えば済んだはずだ。

 再度言うが、仮設住宅建設に向けたスケジュールの達成は決して「思い」ではあってはならない。長期の避難所生活を余儀なくされている被災者がプライバシーを守れない等の理由で各種のストレス障害に陥り、既に健康を害している状況にあるからだ。

 《避難所生活 依然厳しい状況に》NHK/2011年4月16日 4時36分)

 政府が4月6日から10日にかけて岩手・宮城・福島の3県設置の1047箇所のすべての避難所責任者を対象に初めて行ったアンケート調査。回答は31%に当たる323か所。

▽食事
「毎日、主食のほかに、おかずや温かい物が食べられる」60%の避難所
「おかずや温かい物が時々しかない」40%の避難所

▽下着
「替えがなかったり、洗濯ができなかったりして不足している」47%の避難所

▽入浴
「週に1回程度」33%の避難所
「先月の地震以来、入浴できていない」5%の避難所

▽プライバシー
「避難所の中に間仕切りなどが全くない」28%
 
 政府の被災者生活支援特別対策本部「全体的な状況から半数近い避難所が厳しい状況にある」

 記事も書いているように衛生面やプライバシーの問題点を残している避難所がまだ多く残っているにも関わらず、菅仮免は「政府一体となってやるべきことはやっている」と言っている。あるいは、「私自身、この大震災のときに、総理という立場にあったひとつの宿命だと受け止めておりまして」と言っている。

 「政治は結果責任」と言うことは結果を伴わせて初めて責任を果たせたと言えるということだろう。結果を伴わせる意識も努力も欠いたまま、「宿命」だ何だと言っている。

 記事は、〈アンケートの回収は被災した地域の自治体を通じて行っていて回収率が低く、実際には、さらに厳しい状況にある避難所が多いとみられています。政府は当面、週1回のペースで調査を続け、避難所の改善などに役立てたいとしています。〉と結んでいる。

 アンケートを取っている時間も人でも不足しているといった自治体が中にはあって、低い回収率の原因になっているのではないだろうか。

 また、《お年寄り6割、日常生活が不自由に 4避難所で調査》asahi.com/2011年4月28日6時15分)は避難所で日中を過ごす高齢者の6割が床からの立ち上がりや歩行困難となる「生活不活発病」に罹っていると書いている。

 半田一登日本理学療法士協会会長「地震と違って津波で何もかも失い、家の片づけや思い出の品を取りに行こうという動機が持てないでいる人が多い。被災地を離れ、他県の避難所へ避難した人たちも同じ。若くても2週間動かないと、かなりの筋力が衰えるので、元気でいる目標や動機が持てるよう支援してほしい」

 地震と津波に襲われた未だ癒えない恐怖も原因しているかも知れないが、避難所に入る前にはなかった症状であり、行く末の不安や劣悪な環境に閉じ込められていることの憂鬱も影響した心の萎えからの「生活不活発病」だとすると、菅仮免の「遅くともお盆のころまでには希望者全員が入れるよう全力を尽くす」は決して“思い”などであってはならず、「政治は結果責任」でもある手前、具体的な成果を伴わせた着実・強力な結果として現さなければならないはずだ。

 だが、菅仮免には今に始まったことではないが、何事につけてもそういった強い意識がない。

 指導力を欠いていることに相互対応した「政治は結果責任」意識の欠如であるのは今更断るまでもない。

 全く国民は、特に被災者はこの最悪の時期に菅仮免を一国のリーダーとして抱える情けない「宿命」に見舞われたことになる。


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菅仮免視察は3月12日の上空視察ヘリコプター内で被災地の窮状を他処にビデオ撮影の主人公を演じていた

2011-04-28 11:03:41 | Weblog



 4月24日(2010年)当ブログ記事――《菅仮免は「KAN-FULL TV」4月23日紹介の石巻市避難所視察で情報隠蔽を謀った - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で取り扱った4月23日首相官邸発信、石巻市視察報告の「KAN-FULL TV」付属のブログの最初の謳い文句の箇所、〈「もっと現場を見ろ」「邪魔になるから行くな」「時期尚早」「遅すぎる」---様々な意見が飛び交う、総理の被災地訪問。事実を、淡々とお見せします。いつもの音楽もナレーションも、付けません。まずは、石巻から。〉の〈「もっと現場を見ろ」「邪魔になるから行くな」「時期尚早」「遅すぎる」〉などの声〉を「asahi.com」記事――《首相ブログ、批判も見せます 被災地訪問「事実のまま」》(2011年4月26日0時40分)は被災者の声、現場の声として取り扱っていた。

 私自身は、〈被災住民の声かと思ったが、あとの会話から菅仮免の視察に対する閣僚等が発した色々な意見だと分かった。〉と書いた。

 「asahi.com」記事の冒頭は、〈さまざまな意見が飛び交う被災地訪問、事実を淡々とお見せします――。〉とカンフルブログの謳い文句の紹介から入って、続けて、〈菅直人首相が自身のブログで自らの被災地訪問を取り上げ、これまでと違って音楽もナレーションもつけない動画をネット上で配信した。「邪魔になるから行くな」「時期尚早」といった批判めいた表現も、自戒を込めて載せたという。〉と、「邪魔になるから行くな」「時期尚早」を被災者の声として扱っている。

 記事は書いている。〈これまでは首相出席の国際会議の成果などを強調し、広報的な色彩が濃かった。今回は政権への好意的な反応に偏らず、視察の様子をそのまま伝えた。〉と。

 つまり批判的な反応もそのまま伝えたということになる。

 だが、「邪魔になるから行くな」「時期尚早」といった批判めいたとしている表現や、自戒を込めて載せた、様々な意見が飛び交う、総理の被災地訪問を今回は政権への好意的な反応に偏らず、視察の様子をそのまま伝えたと等々の文言を併せた前後の脈絡から見ると、「邪魔になるから行くな」「時期尚早」の声は被災地側の被災者等の批判の声ということにどうしてもなる。

 そうでなければ、残念ながら菅仮免よりも私自身の頭が悪いことになる。

 大体が、「政権への好意的な反応に偏らず」と言っているが、4月23日再開したというカンフルブログでは、80代の女性だという「これからどういう風に、自分たち生きていくのか…」という嘆きの言葉を伝えているものの、批判的な発言は一切伝えていない。

 「asahi.com」記事は撮影・制作の広報担当の下村健一内閣審議官の発言を伝えている。

 下村審議官「視察をどう思うか、判断や議論の材料として見てほしい」

 この発言自体にも、好意的反応だけではなく、批判的反応をも材料として提供する意思表示を含んでいる。まさか好意的反応のみを取上げて、「判断や議論の材料として見てほしい」と言っているとしたら、公平さに欠ける。

 「もっと現場を見ろ」「邪魔になるから行くな」「時期尚早」「遅すぎる」の声のうち、「もっと現場を見ろ」と「遅すぎる」は被災地の声と解釈できないこともないが、「邪魔になるから行くな」の「行くな」は官邸側が発する言葉であって、被災地側が発するとしたら、「邪魔になるから来るな」になる。

 また、「時期尚早」は時期の判断であって、その判断はどちらかというと官邸側が下す判断であろう。首相側から訪問の意向を伝えられた被災地側が「時期尚早」とは言わない。失礼に当たるからだ。

 官邸側の誰かが、「現地はまだ混乱しているから、訪問は時期尚早ではないですか」とは言えるが、被災地側の県知事か市長が、「現地はまだ混乱しています。訪問は時期尚早です」とは言えない。「訪問できる程に現地が落ち着いたなら、連絡します」といった言葉を使うはずだ。

 実はこの「時期尚早」という言葉を使って枝野官房長官が視察を止めている。《枝野官房長官の会見全文〈14日午後9時3分〉》(asahi.com/2011年3月14日23時15分)

 〈【首相の災害対応】

 記者「夕方の会見で、首相が避難所を直接訪問したいと検討していたと。誰が誰に持ちかけ、どういう理由で遠慮してほしいとなったのか」

 枝野「遠慮してほしいというよりも、事務方を通じて、現地が受け入れられる状況かどうか、改めて情報を把握したところ、かえって思いは別として迷惑をかけるということを、私のところで判断して、まだ時期尚早でありますということを、総理に進言して、できるだけ早い時期に、しかし、現場にかける迷惑が、様々な救援活動に影響を及ぼさない、出来るだけ早い時期に改めて検討することになった」

 「時期尚早」は、裏方を通じて把握した現地の情報に基づいて枝野自身が行った判断となっている。

 この枝野官房長官の記者会見は3月14日。時期尚早ということで一カ月近く待たされてから、4月10日の石巻市訪問となったということなのだろう。

 また「時期尚早」は理由を必要とする。いくら無能のトップリーダーだとしても、地位上は上の相手に対して理由を述べもせずに頭ごなしに「時期尚早です」とは言えない。

 「時期尚早」の理由が「邪魔になるから行くな」であろう。

 勿論「邪魔になるから行くな」と命令はできない。「邪魔になりませんか」とやんわりと諌めたはずだ。それを端的な命令形に変えることで、さも様々な意見が飛び交ったかのように見せかけることができる。

 「遅すぎる」は「時期尚早」に対する反意語として用いられている。「時期尚早」の意見に対して、菅仮免に取り入っている閣僚などが菅仮免の視察願望に迎合して「遅すぎる」といった意見、「もっと現場を見るべきだ」(=もっと現場を見ろ」)といった意見が出されたことは容易に想像することができる。

 「時期尚早」と「邪魔になるから行くな」の意見に対して、その意見に対立する「遅すぎる」と「もっと現場を見ろ」の意見を並立させることで、訪問や視察が批判一方でないこと、紛れもなく進める意見もあったことを示すことができる。

 それを正当理由とした菅仮免の石巻市訪問と見ることもできる。

 下村審議官は「視察をどう思うか、判断や議論の材料として見てほしい」とは言っているが、避難所内部の撮影をカットして放映した事実を裏切る発言であって、この言葉自体が情報操作となる。

 「KAN-FULL TV」に関係することだが、4月26日の衆議院予算委員会で自民党の小野寺五典(いつのり)議員が既にご承知の向きもあるかもしれないが、面白い事実を言及している。

 小野寺議員「少しだけ総理に、最後に初動態勢について確認させていただきたい、そのように思っております。あの、原発のことについては、あとで額賀先生が触れられます。この写真、総理がこの地震発生直後の1月(3月の間違い)12日の朝、ヘリコプターで、視察に、まわられた、そのときの写真です。

 私、この映像、テレビで見ました。総理、これを撮られたのは誰ですか」

 左に載せた写真だが、自衛隊服を着て、耳に大型のレシーバーのような防音用の耳当てを当ててヘリコプターの窓から下界を覗いている。青色の防災服で間に合うのに、何のために自衛隊服を着ているのだろうか。勿論、自衛隊の最高指揮官ではあるが、自衛隊の最高指揮官としての役目ではなく、あくまでも内閣トップとしての役目上、大震災に当たろうとしているのである。

 わざわざ着替えて写真を撮らせたところを見ると、変わった一枚として宣伝用に用意したとしか思えない。

 だが、この自衛隊服については小野寺議員は何も追及しなかった。

 秘書官が菅仮免に近づき、膝をつく形で何か伝えた。

 菅仮免「えー、同行した官邸のスタッフ、うー…、だったと思います。シー」

 小野寺議員「えー、下村さんという審議官、元TBSの。えー、テレビでキャスターをされた方。エ、この方と伺っております。そして、この、総理、あなたは一番震災で、大変なとき、視察をされたとき、そのときに、同行をお願いしたのは、寺田、えー、補佐官、斑目(原子力安全委員会)委員長。そして、この下村さんというふうに伺っています。あの時ヘリコプターにいらっしゃったのは、その方々であったでしょうか」

 菅仮免「エ、12日早朝に、イー…、宮、城県のー、仙台上空ー、を、おー、視察をし、またそれに先立って、福島原発に、まあ、これは、あのー、現場に行って、えー、関係者の話を聞きました。

 シー、今、確認しました、あ、この写真は、あー、官邸の公式のカメラマン、あー、であって、あー、今ご指摘をされた、あー、方ではない。今ちょっと秘書官に聞いたんですが、えー、これは、あのー、私は、えー、特に仙台から、あー、えー、石巻にかけて、海岸線沿いをずっと、見ておりましたので、えー、そのときの、おー、そうだと思います」

 同行者の名前を挙げるだけで片付くことを余分なことをまで言って埋めなければ答弁を成り立たせることができない的確な判断能力の欠如を物の見事に遺憾なく発揮している。

 下村審議官のことを、「今ご指摘をされた、あー、方ではない」と名前を挙げなかったのは、何か隠したい意識が働いたからだろう。表情は落着いてはいたものの、かなり苦し紛れの言葉遣いとなっていたのはそういった意識が働いていたこともあったからに違いない。
 
 中井洽予算委員長「随行者の名前は?」 

 小野寺議員(座ったまま)「随行者の名前は?」 

 菅仮免「あのー、全員を、私、あのー、SPさんを含めて、たくさんおられますので、分かりませんけれども、シー、えー…、政治家としては、あ、寺田、補佐官と、それから今ご指摘のあった下村、イー、参事官と、それから公式の、おー…お名前は、すぐには浮かびませんが、エ、官邸のカメラマン。あー、また、あのー、警備の人は、何人か同行をしております。(一旦帰りかけるが、戻ってきた)斑目委員長もその一人です」

 SPは質問の対象となっていないこととして把える判断能力さえ持ち合わせていない。内心うろたえ、何か誤魔化したい意識が働いているから、質問の対象とはなっていないSPの名前に言及しようとしたに違いない。

 小野寺議員「一番大事な斑目さんを忘れたくないと思っています。えー、実は写真ですが、同じような映像をビデオに撮っておりました。これは下村さんが撮ってらっしゃる。これは官邸のブログを発するために、実はいつもカメラを回している。

 私はヘリコプターでとても不思議なことがありました。映像がずっと流れていました。誰が撮ったか聞いたら、下村さんという方。

 ではなぜ、この一番大切な初動のときに同行する方が、例えば松本防災大臣ではない。なぜ、原発の問題だったら、所管する、海江田担当大臣じゃないのか。

 なぜ、カメラマンを連れて行くのか。なぜビデオを回す人がいるのか。私は正直言って、初めに総理が行った目的というのは、官邸ブログで自分のプロモーションビデオを作るためじゃないか。こんなことは思いたくないと思います」

 最初の「asahi.com」記事も下村審議官を撮影・制作の広報担当として扱っている。

 小野寺議員は視察のヘリコプター内で「KAN-FULL TV」用のビデオ撮影を行っていたことの不謹慎を追及しようとしたわけではなかった。地震発生を受けて危機対応に全力を傾けなければならない最も大切な初期段階の3月13日に蓮舫を節電啓発担当相任命したこと、辻元清美を首相補佐官に任命したこと、翌3月14日に在日外国人からの献金をドサクサに紛れてこっそりと返したことなど、緊急に必要ではないことにエネルギーを注いでいたことを以って初動態勢にミスはなかったかと追及したのだった

 対して菅仮免は例の如く、地震発生後決算委員長が委員会の休憩を宣した、直ちに官邸に戻って、それから視察以外は一秒たりとも官邸から出ていない、法律に基づいて緊急災害対策本部と原子力対策本部を立ち上げた。自衛隊を出動させ、できる限りのことはやってもらいたいと命令した、消防、警察も出動させた、献金は国会で日本国籍でないことを確認した上でお返しすると約束したから、弁護士が当事者と面会して返金した、こっそり返したわけではないと、長々と自己正当性を訴えた上で、最後にこれも例の如くの答弁で責任遂行を訴えている。

 菅仮免「えー、私は、色んな問題も見方はありますけども、私、個人というだけではなくて、えー、内閣全体として、できることは精一杯やってきたということだけは、はっきりと申し上げておきます」

 いくらでも言い逃れるのだから、そんなことの追及よりも、小野寺議員はなぜ、まだ津波が引かない被災地の惨劇を下に見て、その瞬間にも命を落としているかもしれない惨状や、あるいは建物内に取り残されて孤立した多くの被災者の不安や恐怖、避難所で身内の命を案じている被災者の極度の不安などに思いを馳せることができずに、「KAN-FULL TV」用のビデオ撮影のためにカメラを回させ、よくも被写体となっていられましたねと、その不謹慎を追及しなかったのだろうか。


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原発建設の割切りの限界は隕石直撃に置くカネをかけて初めて「安全神話」を確立し得る

2011-04-27 10:51:29 | Weblog


20 

 4月10日(2010年)日曜日のテレビ朝日10時からの「サンデー・フロントライン」で福島第一原発の全電源喪失問題を取上げていた。

 コーナーの題名は「見過ごされた“危険性” 全交流電源喪失」

 このコーナーに入る前に研究者の東電に対する貞観地震クラスの地震の再来、津波の再来の危険性の指摘に対して東電が考慮しなかった、既に広く知られている事実を取上げていた。

 武藤栄東電副社長「一部の研究者から貞観津波の大きさを想定するモデルの論文が出ているというふうに理解をしております。このモデルそのものにつきましては統一見解を纏めるには至っていない状況だったというふうに思っています」

 要するに大勢意見ではなかった。少数意見に過ぎなかった。

 一部研究者とされた産業技術研究所の岡村行信氏。

 岡村行信氏「一部の研究者であるというのは、それは、あの、事実ではあるし、統一した見解ではないというのは事実であると思うんですけども、あの、否定する材料は何もなかったと思うんですね。可能性、否定できないものについては、あの、対応するというのが基本的な考え方だというふうに、我々はそう思って、そういう審査を参加してきましたので――」

 番組はここで福島原発の全電源喪失について解説。地震で鉄塔が倒壊、外部電源が喪失、津波によって内部電源が喪失、外部から電源車両を集めて試みたがうまくいかず、非常用バッテリーも8時間程でダウン。原子力関係者にとって長時間の電源喪失はまさかの出来事だった。

 そもそもからして原子力安全委員会作成の指針が長時間の全電源喪失を想定していなかった。全電源喪失非想定の上に原発安全神話を成り立たせていた。

 平成2年(2009年)8月30日原子力安全委員会決定の「発電用軽水炉型原子力施設に関する安全設計審査指針」

 「電源喪失に対する設計上の考慮」

 「長期間に亘る全交流動力電源喪失は、送電線の復旧又は非常用交流電源設備の修復が期待できるので考慮する必要はない」

 とまあ、国は各電力会社に全電源喪失対策はしなくてもよいとのお墨付きを与えた。全電源喪失対策免除の葵の御門の印籠を与えた。党でんとしたら、大いなる力を得た思いがしたに違いない。

 1990年当時安全指針作成の作業部会に委員として関わった元原子力安全委員会委員長の藤家洋一氏。

 男性記者「17の文字(?テロップには「指針」と書いてあった。)があったことで、全電源喪失への備えが疎かになった?」

 藤家洋一氏「それは全くありません、ハイ。それは何を対象に見てきたのですか。今回の事故の合わせますと、津波、津波がなけ、なくて収まる話であれば、ちゃんと収まったと思います。

 余震というか、あのー、この間宮城で行った、あの話はですね、確かに1日足らずで復活、復帰するんですよ」

 そこでなん、何日も何十日もという時間をかける必要もないでしょ?だからここ(指針)に書かれていることは何も矛盾していない」

 余震で停電し、東通原発と女川原発、六ヶ所再処理工場で電源が喪失したが、1日足らずで復旧したから、指針は間違っていないと言っている。

 但し津波が発生しないことを前提とした自己正当化に過ぎないから、この自己正当性は当然の如く福島第一原発には通用しない。これが学者の論理だとは驚きである。「津波がなくて収まる話であれば、ちゃんと収まった」。

 津波は既に存在した事実であって、その事実は最早消去できない。

 2010年5月、衆議院経済産業委員会――

 吉井英勝共産党議員「電源も切断されて、あのー、原発停止となった場合には、最悪で見ますと、どういう事態が起きるとお考えになるのか、伺います」

 原子力安全・保安院長「多重防護の考え方に基づいて、その設計がなされまして、それによって安全性を確保しているというところでございます」

 吉井英勝共産党議員「最悪の場合に炉心溶融ですね。最悪のとき」

 原子力安全・保安院長「あの、最悪と言いますか、あの、まあ、それでも(笑いながら)、そういった事態が起こらないように、あの、設計、工学上の設計、あの、殆んどそういうことはあり得ないだろうというぐらいの安全設計をしているところであるますけども――」

 番組のインタビューを受けた吉井議員。

 吉井議員「住民の安全・財産を守ろうと思ったら、先ず、そのどんなことがあっても、炉心溶融のようなことはさせちゃならないと。そのために外部電源も内部電源も喪失された場合の対策を考えなきゃいけないじゃないかと――」

 ここで番組は2006年の4月開催の第42回原子力安全基準・指針専門部会 耐震指針検討分科会で行われた全電源喪失を巡る議論を取上げる。

 石橋克彦神戸大学名誉教授「大地震が原子力発電所を中心とする一帯を襲えば、商用電源の喪失。要するに電気が停まることがかなり長時間予想されます。その場合に早急に修理がなされるかというと、それがなされない可能性も最も高い」

 柴田碧東京大学名誉教授「地震による損傷は共通事象。同時多発的である。同時多発性の可能性があることを認識して、その対策を考えなければならない」

 だが、こうした危険性の指摘がなぜ見過ごされたのかと番組は問いかけ、この会合に出席した2006年当時原子力安全委員会委員長の松浦祥次郎氏を登場させる。

 松浦祥次郎氏「この世にはまさに、あのー、オ、人間でとても想定できないようなことが起こる可能性はあると思います。

 で、隕石というのは想定できないわけではないですけども、ヒジョーに確率は少ないわけですよね。それに全部対応しようと思いますとおー、凄い費用がかかる

 あり得ないだろうと思うぐらいの最悪の事態を想定して、そのように想定した事態に備えるのが危機管理だが、原子力に関係する場所に於いては想定する事態は徹底的に尽くさなければならないはずだ。

 そう、隕石の直撃をも想定して、そのことに備える対策の構築である。なぜなら、隕石直撃の被害は一般的には局所的である。だが、隕石が原子力発電所を直撃した場合、隕石の被害は局所的ではあっても、原子炉に被害を与えて損傷を与え、放射能が大量に漏出した場合、その被害は局所的ではすまない。

 福島第一原発の放射能漏出の比ではなく、その被害が及ぶ範囲も福島第一原発の比ではなく、最悪全世界に影響を与える。

 だが、コストを考えて、隕石の直撃を想定外としている。

 松浦氏の隕石を譬え話としたこのコスト意識は安全対策を講じる側の人間を律していた危機管理の制約ということであろう。当然、電気事業者側はコストがかからないに越したことはないから、忠実に従い、自発的に指針以上の安全対策を取ることもないし、危機管理意識を働かすこともない。

 コストが危機管理に制限を設けていた。現在の原子力安全委員会の斑目春樹委員長もご他聞に洩れずコストを制約とした危機管理に制約されていたことを番組は伝えている。

 2007年は浜岡原発差し止め訴訟での被告側の証人。全電源喪失を想定しない理由を次のように述べたという。

 斑目委員長何でもかんでも、これも可能性ちょっとある、これはちょっと可能性がある。そういうものを全部組み合わせていったら、モノなんて絶対造れません。だから、どっかで割り切るんです

 3月22日(2011年)の参議院予算委員会――

 福島瑞穂社民党党首「割り切った結果が今回の事故ではないですか?」

 斑目委員長「確かに、あの、割り切らなければ、あの、設計できないというのは事実でございます。で、その割り切った、あ、割り切り方が正しくなかったということも、あのー、えー、我々は十分反省してございます」

 今更反省されても、福島の放射能被害者に対して取り返しはつかない。
 
 原発に対する危機管理をコストとの関係から、ある一線で割り切った。だが、その割り切りが裏切られた。しかも被害者は原子力行政を担う役人たち、その他の関係者ではなく、福島県などの一般生活者であり、風評被害を受けたり、放射能汚染に不安を抱えている日本国中の多くの国民である。

 原子力の専門家でも「割り切り方」を間違え、裏切られたとなると、絶対正しいと言える「割り切り方」は存在しないことを危機管理上考慮しなければならない。

 存在させるとしたら、いくらコストがかかろうと、「割り切り方」の限界の限界を「ヒジョーに確率は少ない」隕石の直撃にまで置いて万全の危機管理体制取ること以外に方法はないことになる。

 そこまでコストをかけたなら、「モノなんて絶対造れません」ということなら、絶対正しいと言える「割り切り方」が存在しないことを考慮することと併せて、原発を全廃するしか国民の安全と財産を守る方法はないことになる。

 国民が常に安心して暮らす方法は見い出せないことになる。

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菅仮免首相(4月25日参院質疑)「原発事故の責任は私にも政府にもありません」の答弁に見る責任意識欠如

2011-04-26 12:19:36 | Weblog


 
 昨4月25日(2011年)、参議院の予算委員会と決算委員会で原子力事故問題で集中討議が行われた。新党改革の荒井広幸議員が、「総理、責任はどこにあるんですか、この人災である原子力事故については」と聞いているが、責任論についての菅仮免の答弁に関して結論を言うと、「原発事故の責任は私にも政府にもありません」となっていた。

 最初は原発事故責任に関してではないが、参院決算委員会での岡田広自民党議員の統一選に関する責任についての質問と、以下井上哲士(さとし)共産党議員と新党改革の荒井広幸議員の原発事故の責任に関する質疑のみを取上げて、菅仮免の責任意識の程度を見てみる。

 岡田広自民党議員「自民党の岡田広でございます。東日本、大震災の、復旧・復興のための、第一次補正予算が今週28日にも提案されることになっているんです。この28日は、大震災の日から数えて、49(しじゅうく)日目に、なります。1日も早く、補正予算を成立させて、そして原発の、収束、復旧・復興の支援に、全力を尽くしていかなきゃならないと、考えているところであります。

 改めて、大震災で、亡くなられた方々、被災をされたみな様に、心からのお悔やみと、お見舞いを申し上げたいと思います。

 質問に入る前に、菅総理にお尋ねをいたします。昨日統一地方選挙の後半戦が終わりました。振返って見れば、昨年の6月に菅政権がスタートして以来、7月の参議院選挙、10月には衆議院北海道の補欠選挙、11月には、沖縄県知事選、和歌山県知事選、12月には…、新政権がスタートして以来、初めての、都道府県議会選挙、茨城で行われました。

 そして、統一地方選挙の前半戦、後半戦が終了いたしました。衆議院の愛知補選でも、結果が出ました。ま、結果はご承知のとおりであります。特に統一地方選につきましては、震災、対応が、今回の選挙の結果に反映をしたと、私はそういうふうに考えております。

 昨年の7月からの一連の選挙の、結果を踏まえた総括、これは民主党の中でも、岡田幹事長を中心に、総括、検証、総括がされるんだろうと思いますけども、党代表としての、菅総理の考え、そして今回の一連の、選挙が政局に与える、影響等につきまして、菅総理の考え方を、先ずお聞かせをいただきたいと思います」

 菅仮免「シー、先ず、ウー…、ウー…、3月、11日の、この決算委員会の、おー、ときに、イー、大震災が発生して、えー…、決算委員が、あー、迅速に、休憩を、おー、宣して、シ、その後に対応に、イ、当たる、ことができたことについて、シ、その扱いを含めて、えー、改めてお礼を申し上げたいと思います。

 シー、それから、ア、40日、イー、あまり経過、をいたしました。シー、また私は、あー、今回の、大震災、えー…震災、津波、と同時に、エ、発生した、福島原子力発電所事故に関して、シー、えー、えー、全力を挙げて、えー、取り組んでまいりました。シー、えー…、先ずは救命ということで、えー、特に自衛隊には当日に、えー…、しっかりと、おー、対応するようにということを申し上げ、また原子力発電所についても対応をしてまいりました。

 シー今、あー…、岡田委員の方から、シー、えー…、この間のいくつかの選挙の結果について、どう考えるかというご質問をいただきました。シー、確かに、イー、それぞれ厳しい結果、あー、に、えー、なっていて、シー、そのことは真摯に受け止めなければならないと、思っております。

 ただ、私は、この大震災に対する対応について、シー、えー…、そのことが、あー、今回の、おー、結果に、イー…、直接に、大きく響いたという、いわ、いわゆる、うー、選挙ですから、色んな要素がありますけれども、少なくとも震災対応については、私は、ア、政府を挙げて、やるべきことは、しっかりやってきていると、そのように、イー…、考えておりまして、ま、そういう意味で、えー、今回の結果は、結果として、真摯に受け止めなければなりませんけども、震災の、えー、復旧・復興、そして原子力、発電所事故の、おー…何としても、これを抑えるということに、今後も全力を挙げて取り組んでまいりたいと、このように考えております」

 岡田議員「あの質問の、おー、要点だけ、お答えいただけたら、いいと思います。けども、やっぱり、今回、今までの一連の、選挙の結果という、敗因の一つに、私は菅総理を始め、閣僚の言動がが、あったと思います。

 これまでは仮免許だったと。国際の格付けは疎いと。そして閣僚でも、自衛隊は暴力装置。今、10万6千人の自衛隊のみな様がご遺体の収容や、被災地の支援に、不眠不休で努力をしている。こんなことを考えたら、こんな発言が出るんだろうか。(柳田)法務大臣の不適切な発言がありました。

 震災があってからも、様々な発言がありました。ここでは時間がないから、一つ一つのことを述べる時間はありませんけども、私は総理が発言をしたとか、言ったとか、言わなかったとか、そんな問題ではない。

 こういう報道にされることが私は、問題があるんだろうと、そういうふうに思っております。総理が発言をされなくても、総理が任命をされた方々の発言というのは、総理の任命責任はどこにあるんだろうか。

 やはり、総理の言動一つとって、言動一つによって国民のみなさんが安心を担保し、総理の言動一つによって国民のみなさんが不安を広げていくんです。

 是非トップリーダーとしてしっかりとした言動を、今後していただきたい。そのことは指摘しておきたいと思います」

 岡田議員はここで統一選敗北が震災対応が反映した結果ではないかという追及を切り上げる。

 菅仮免はもう一つの、統一選家結果が今後の政局に与える影響についての追及は巧妙になのかどうか分からないが、一言も答えずにすり抜けている。

 菅仮免は答弁を3月11日の決算委員会が震災発生と同時に休憩を迅速に宣したことがその後の対応に役に立ったと礼を述べることから始めているが、菅仮免自身は初動を含めたすべての対応に間違いはないと信じていたとしても、質問者はそうは思っていなくて、政府の震災対応の遅滞・不備を前提に質問しているのだから、菅仮免の主観的当否は第三者的客観的当否次第でその後の対応への評価は変わってくる不確かな変数でしかない。当然、その指摘の当否を的確且つ論理的に論じて客観的に導き出すことから始めるべき答弁を菅仮免の主観的当否から入っている。

 だから、岡田議員から、「あの質問の、おー、要点だけ、お答えいただけたら、いいと思います」と注意を受けることになる。

 この見当違いな答弁から入る合理的判断能力の欠如一つを取っても、とても一国のリーダーにふさわしい理知的な思考能力を備えているとは到底思えない。

 菅仮免は地震発生後迅速に自衛隊に対して出動命令を下したことに盛んに言及して自らの初動に間違いがないこと、責任がないことの理由としているが、自衛隊の出動が仮設住宅建設から被災者の生活の十分な確立と充足、街や各産業の復旧・復興、雇用等々のすべてを解決するわけではなく、全体の解決は首相自身のリーダーシップにかかっているのだから、自衛隊に対する迅速な出動命令を以って対応に間違いがないとするのは現実には十分な対応となっていないことを言い逃れる単なる口実に過ぎないことが分かる。 

 菅仮免は統一選挙の結果は真摯に受け止めなければならないが、震災に対してはしっかりと対応してきたから、選挙の結果に大きく響いたとは思わないと答弁した。

 なぜ岡田議員は、それでは何が原因した統一選敗北なのかを問い質さなかったのだろうか。多分、敗北の原因については今後の検証に待つと逃げるだろう。だが、今後の検証に待つということなら、震災対応が影響したかどうかも検証を待たなければ分からないことになって、影響しなかったと否定はできないことになるが、否定している以上、検証抜きの否定という矛盾が生じる。

 何が原因した敗北なのかを追及することによって矛盾を突くことができるか、あるいは否応もなしに菅仮免自身の口からリーダーシップ欠如が原因した統一選敗北だと炙り出すことができた可能性は否定できないはずだが、岡田議員はその原因を尋ねることをしなかった。

 井上哲士共産党議員「日本共産党の井上哲史(さとし)です。福島第一原発は、まさに最悪の、事故になりました。初動に於ける、危機的事態にふさわしい、イ、政府の対応が決定的に遅れました。そして、エ、政府はまともな説明もないままにイー、避難指示、屋外、屋内退避、エ、計画的退避、そしてー、えー、警戒区域など、周辺住民と自治体に、エ、多大な、あー、混乱と苦難を、押し付けてきました。

 避難所の住民からはですね、安全と言ってきたんじゃないかと、どうしてくれるんだと、こういう怒りの声も上がっております。なぜこういう事態になったのかということを私は問いたいわけであります。

 先ず、ウー、今回、えー、地震と津波によって、すべての電源が失われて、エ、冷却水が確保できず、うー、炉心損傷にいたり、レベル7という事故になりました。シー、シビアアクシデント、過酷事故、と言われる、重大な事故であります。アメリカのスリーマイル島原子炉事件、そして、えー、旧ソ連の、チェルノブイリの事故。ま、これを受けて、えー、国際原子力機関は、こうした重大な事故を想定した、安全指針を全世界に求めております。

 安全委員会、来ていただいておりますが、日本はこの全電源喪失などによって炉心損傷に至る、重大事故について、どういう計画を取ってきたんでしょうか」

 斑目原子力安全委員会委員長「えー、原子力安全委員会では、エ、平成4年に、えー、シビアアクシデントに、イー、えー、タ、なんと、対応として、えー、アクシデントマネジメント、あー、について、という文書を発出してございます。

 その中で、えー、シビリアンアクシデントが生じた場合の管理策を、えー、事業者自身が、えー、整備し、えー、それを確実に実行すること、を、強く推奨してございます。

 えー、それから、えー、原子力安全委員会としましては、えー、昨年、えー、これから、えー、取り組むべき重要な課題というのを少し整備してございまして、そん中で、えー、このシビアアクシデント対策というものについての、えー、徹底的に見直す、ということをまさに始めたところでございます。

 しかしながら、実際にはこのような大事故を、防げなかったということに関しまして、原子力安全委員会が意図としては、深く反省し、えー、今後の指針類の改訂ですとか、あるいは監督等に努めてまいりたいと思っている所存でございます」

 かなり苦し紛れの答弁となっている。原子力安全委員会としての責任を果たしてこなかったことが如実に現れた苦し紛れなのは察しがつく。

 井上哲士議員「(書類をちょっと持ち上げて)これがそのアクシデントマネジメントの指針でありますが、シー、これどういうふうに位置づけているのかと、今ありましたように、この原子炉設置者に於いて、効果的なアクシデントマネジメントを、自主的に整備することを、奨励すると、言うことに過ぎないわけですね。

 そして(書類を読み上げる)、その具体的な対策の内容如何によって、原子炉の設置、または運転に制約するような、規制措置は要求されるものではないと、ここまで言っているわけですねぇ。

 ま、これでは電力会社に丸投げであって、えー、国が、この重大事故に対する対策を放棄したもんじゃないですか。通産大臣如何ですか」

 海江田経産相「今、お話がありました、あー…原子力安全委員会からの指摘を受けまして、えー、原子力安全・保安院では、平成4年の7月にですね、えー、事業者に対して、アクシデントマネジメントの対策を取るように、イー、指示をいたしました。

 そしてその結果、平成6年の3月に各社が、アクシデントマネジメントの、検討報告書が提出をされました。しかしその、おー、中身は、先程、おー、委員長からお話たありましけれども、主に、電源喪失の対策として、複数号基幹の電源の、ま、実は融通を可能するよう、設備改善を行うと、いうことをこのアクシデントマネジメントの中身として位置づけがあったわけでございます。

 シー、ですから、ま、これだけでは、特に津波対策などには不十分でございまして、え、こうした事態を予め想定し、十分な対策をできなかったという限界があったというふう認識しております


 井上哲士議員「あの確認しますが、今、言われた、各電力会社からの報告書の中で、今回福島で起きているでしょ?この冷却水を確保するための電源機能を、長時間に亘って、失うと、こういう事態を想定されたものは、あったんですか、なかったんですか」

 海江田経産相「シー、今も、お話をいたしましたけれども、とにかく電源の、この複数化と申しますか、備えを十分に行うということがございます」

 井上哲士議員「つまり、隣の原発などからですね、引いたら確保できるということで、長時間失うということは想定していなんですね。そういう報告書を政府は、了承してきたわけなんです。

 ま、それもそのはずでありまして、えー、原子力安全委員会は90年に作った、原子炉の安全設計指針というものがあります(右手で書類を示す)。こう書かれておりまして、えー、長時間に亘る、外部電源の喪失は、送電線の復旧または、非常用交流電源設備の修復が期待できるので、考慮する必要がないと、わざわざ考慮する必要がないと、安全指針自身が言ってるんですよ(書類を数回指で叩き示す)。

 ま、これはですね、電力会社がそういうことを想定していないのは当たり前なわけでありまして、なぜ、安全委員会は、この長時間の電源喪失は考慮する必要はないと、こういう指針を作ってるんですか」

 斑目委員長「ただ今、あの、井上委員がご指摘になった、あー、とおり、あの、えー、指針は、そのように書かれてございます。この指針の改訂は、平成2年に行われています。えー、従って、平成4年に、あの、むしろシビアアクシデント対策をしっかりやるように、という文書を、えー、提出したところでございます」

 井上哲士議員「あのー、意味が分かんないですよねぇ。大体ね、指針はですねぇ、津波については、地震以外の想定される現象と、その他大勢にしかなっていないんですね、全く。

 この、おー、必要な、この、おー、ものになっておりませんし、そもそもですね、この安全設計をするときに、地震の強さとか、津波の大きさっていうなどは、あまり想定をする、絶対なりません(ママ。限界を設けてはならないと言おうとしたのか。)。同時にですね、どんな想定をしても、想定外っていうことはあり得ると、いう立場で、重大事故に対する、対策を取ることが必要なんですね。

 ところがですね、今、この90年代の指針のあとに、92年にアクシデントマネジメント対策を出したと言われましたけど、そのアクシデントマネジメントの、92年の決定自身が、全く逆の考え方なんですねぇ。こう書いてあるんです。

 えー、我が国の原子炉施設の安全性は、えー、現行の安全施設、(「施設」を言い直して)姿勢のもとに、えー、設計、建設、運転の各段階に於いて、多重防護の思想に基づき、厳格な安全確保対策を行うことによって、シビアアクシデントは工学的に現実に起こることは考えられないほど、発生の可能性は十分小さいものになっていると。

 こういうふうに(書類を持ち上げ)書いてるんですねぇ。ですから、90年の指針で、不十分だっただけじゃなくて、むしろ92年のアクシデントマネジメント対策で、改めてですね、安全神話を宣言しているんですよ。こういうことがですね、事態をつくってきたわけで。ですから世界各国は、チェルノブイリの事件などを受けて、重大事故対策を強めているのに、日本は現実に起こることは考えられないって言って、むしろですね、国の規制対象から外して、電力会社に丸投げしたんですよ。

 ですからね、今回の事故が起きても、この間、東電社長、予算委員会に来られましてけれどね、国の範囲内でやってきましたと、こういう発言になるわけですね。

 総理ね、やはりそういう安全神話の話のもとで、重大事故に対する、構えも備えもなかったと、いうことが、私は、今回の深刻な事態をつくり出したと、思っておりますけども、総理、如何お考えでしょうか」

 要するに井上議員が言っていることは、原子力安全委員会の委員長以下のスタッフは内閣総理大臣が任命、内閣府に置かれた国の機関であることを前提として、原子力安全委員会策定の国の指針・規制の元に東電は原子力発電事業を行っている。当然、その指針・規制に誤り、もしくは不備が関係している重大な事故に関しては国の責任となるということであろう。、

 菅仮免「ま、現時点では、エ、まだ、アー…、原発事故が、あー…収束しておりませんので、シ、先ずは何を、於いても、収束の、努力をすることが、ま、当然、必要だと考えております。

 シー、その上で、今、あー、ご指摘のありましたように、では、なぜこれだけの重大事故を、の発生を防げなかったのか、シー、これまでの、おー、考え方が十分だったのか、これもまた、あー、徹底的な検証しなければ、ア、ならない段階が、そう遠くない時期に来ると思っています。

 エ、私も、おー、当初、おー、事故の、発生、そしてすべての電源が、あー、落ちたと、シ、さらには、あー、電源車を持っていけば、あー、大丈夫だというご指摘もありましたけども、電源車が着いても、なかなか、あー、電源がつながらない等の、経緯を見ていて、シ、やはり、えー、想定外という言い方はやはり、これだけ重大な問題では、あー、あってはならない。今後考えるときには、シ、そういうことをまさに、えー…、想定外と、言うようなことが、ないようにあらゆることを想定して対応していかなければならないと、こう考えております」

 原子力安全委員会作成の指針や規制に不備・不足があった可能性に対する重大性の認識を全然感じることができない、他人事のような答弁となっている。その象徴が、「徹底的な検証しなければ、ア、ならない段階が、そう遠くない時期に来ると思っています」の、「徹底的な検証」を前置きしているが、その言葉に込められていいはずの決意は何も窺わせることはない、逆にそういった決意からは程遠い「遠くない時期に来ると思っています」という言葉に現れている。

 「時期」は周囲の状況からそうなるものではなく、国の責任者として自分から求める「時期」としなければならないはずだが、そうはなっていない発言となっている。

 井上議員「ま、あのー、ま、想定外ということが、この間、何度か言われたわけですが、我が党は、地震や津波が起きて、えー、電源がすべて失われて、エ、炉心の冷却ができなくなると、ま、こういう事態が起こることは、あ、この間国会でも、指摘してまいりましたし、東電にも申し出をしてきました。これにね、耳を貸さなかった東京電力、そして、歴代自民党政府の、この責任は大きいんですよ。

 同時にですね、この安全神話を受け継いだ、民主党の責任も政府の責任もこれは、当然、問われなくちゃなりません。

 しかしねぇ、この間の対応を見ておりますと、ホントーにこの安全神話に対する、真剣な反省があるんだろうかということを、感じるわけですね。例えば、説明責任一つを取っても、東電はですね、あの、放射能の放出状況などの、キソ、基礎的なデータも、まだすべて出してないんです。

 あの、政府が求めてもまだ出してないデータがあるんですね。そして、あの、政府からの色んな説明、原発の現状とか、今後の見通しについても、とっても納得できる説明でないと、関係自治体や住民からも出てるわけですよ。ですから、これまでずっとですね、原発、原発というのは安全だ、安全だと、大丈夫だと、こういう説明・公報しかずっとしてこなかった。

 私はね、この枠から、今の対応がまだまだ今の姿勢がまだ変わっていないと思うんです。先程収束が、大事だと言われました。本当にそうです。収束に対してですね、ホントーに、あの全体の英知を結集する、点でも、私はきちっと情報を出していくっていうことが必要だったと思うんですが、それがなされていないわけで、やはり、こういう安全神話への根本的な反省があって、しっかり情報を国民の前に明らかにしていく。

 このことが私は、この、今の危機対応ができるかと思いますけども、改めて総理、その情報という点で如何でしょうか」

 菅仮免は事故は収束していないから収束の努力をしなければならないを持ち出すことによって、初動に始まった事故対応の不備・遅滞から目を逸らす口実に使っているに過ぎない。

 海江田経産相「シー、お答えいたします。あの一つだけご理解をいただきたいのは、あのー、先ず地震が起きて、津波が来て、そして電源喪失しましたから、一時期のこの、パラメーターと申しますか、資料がないことは事実でございます。全部が全部揃っているという状況ではございません。

 しかしですね、やはりこの、ある、手元にある資料は全部出すようにということで、先ず私は、あのー、資料の保存ですね、それを先ず命じました。そしてですね、先だって衆議院の経済産業委員会で、御党の吉井委員から、ご指摘がございましたから、私は昨日ですね、文書にしまして、なかなか出てまいりませんので、文書にしまして東京電力にはっきりと、その資料を全部出すようにということを命じましたので、まもなくそれが上がってくると思います。

 そうしましたら、委員会を通じて、えー、みな様方にしっかりとお示しを申し上げます」

 東電が情報を隠している様子を窺うことができる。

 井上議員「えー、きちっと示していただきたいんですが、また、ここここに至るまでまだ東電が、あ、資料を、データを全部出していないってこと自体は極めて重大なんですね」

 民主党が昨年打ち出した、2030年までに新しい原子炉を14基つくるという「エネルギー基本計画」に追及を変える。

 荒井広幸新党改革議員「新党改革の荒井です。被災者のみなさんには今も悲しみに、そして不安に、政府の対応にも不満を持っています。山のような、そういう気持です。原発について集中的にお尋ねをいたします。

 これまでの、おー、政府の取組み、勿論、今までの自民党政権にしても責任があります。同時に今回の対処については、民主党政権が責任があるのは当然だと思いますが、どーもこの1ヵ月半、総理を始め閣僚のご意見を聞いていても、誰ーがどこに、何の責任を取るのか全く分からない。東電にやらせてんのか、東電に責任があるのか。自分たちに責任があるというならば、どういうところに責任があるのか、何をするのか。

 総理、それを見せてもらわないと、分からないんです。総理、責任はどこにあるんですか。この人災である原発事故については

 菅仮免「原子力事業、えー、特別措置法という法律があることはご存知だと思います。普通の場合はですね。例えば、何らかの製造、おー、会社が、その工場で、事故が起きたからといって、えー、まあ、消防とか、は、勿論来ますけども、政権が直接、ウー、その、オー…、ことについて資料を出したりすることは、普通の場合はありません。

 ただ、原子力が重大な事故を起こす、ウー、起した場合、いわゆるその法律に基づく、10条、15条の、オ、規定によって、原子力事態、イー、緊急宣言を、いたしまして、そして、えー、そうした本部をつくるということが法律で定められて、いるわけであります。

 そういった意味で、こういう事故が、起きた場合の対応について、政府が、あー、あるいは私が本部長でありますから、総理にそういう、エ、責任が、あー、ある、という、ことについては、私は否定を、いたしません。

 シー、同時に、原子力、発電所そのものは、あー、先ずは、当事者である、事業主である東電が、この、おー……、(右手を回し)操作をして、いるわけですから、オペレーションしているわけであります。

 同時に保安院がそれを、えー、常時チェックしているわけであります。さらには原子力安全委員会が、ア、そうした基本を、をー、安全の基準を、出しているわけでございます。

 そういった意味では、ア、当事者を含め、そうした関係機関と、おーしっかりとですね、情報を共有しながら、あー、このー、おー、ゲン、原子力のオー、事故の、収束に向けて全力を挙げていく。えー、このことを、我々、事故が起きて以来、全力を挙げて、行っているというのが、現状であります」

 菅仮免は原子力発電所に事故が起きた場合は原子力事業特別措置法に従って原子力事態緊急宣言を発令、対策本部を設置することだけを政府と対策本部長を務める自身に責任があるとしている。

 何と狭い責任論なのだろう。大体が社会一般の製造工場を持ち出して、その工場が何らかの事故を起こした場合は政府に責任はないの譬えとする判断能力・責任能力は狂っているとしか思えない。

 しかも、原子力安全委員会が内閣府に所属し、保安院が経産省に所属していながら、この2者と東電を併せた3者の外に菅政府を置いて、それでも3者の責任に言及するならまだしも、責任論を収束の話に矮小化する誤魔化しを働かせている責任意識の欠如は鉄面皮そのものとしか言いようがない。

 荒井議員「委員長、さっぱり分かんないです(議場から失笑)。佐藤エイサク福島県知事が4月21日、総理との話し合いの中で、それは分かったと、国が責任を持つって言っているんです。佐藤、オ、雄平、知事ですね、そういう意味で言うと、私、これ、国の責任逃れかな。

 東電は一義的にはこれはもうきちんと責任がある。みなさん、何遍も言っている。これ、もう、東電に責任、ぎっちりと、負わせるのは当然ですよ。しかし、国が責任を負うことじゃないんですか。

 原発は国策じゃないんですか、総理」

 菅仮免「ま、責任という言葉、あー…、が、あのー、色々な意味を持っておりますが、私は、確かに補償を含めて、そういった問題について一義的に、イー、東電が、あるけれども、しかし、最終的には国が責任を持つということは、あの佐藤知事にも申し上げました。えー、そういった意味での責任であれば、全くおっしゃるとおりです」

 荒井議員「そういう意味がどういう意味か分からないんです(再び議場内から失笑)。じゃちょっと総理、形を変えますね」

 操業できなくなった工場や生産活動ができなくなった農業等に対する政府による直接的な補償の要請に移る。

 菅仮免はここでも責任問題を東電の補償が足りない分の政府の補償に責任を限定する矮小化を行っている。原子力安全委員会が安全神話作りに手を貸したことの責任、国の指針や規制が甘かったことの責任、保安院のチェック・監督の機能不全、東電の情報伝達の遅滞、あるいは隠蔽の可能性等のすべての最終責任は政府にあるという責任意識を全く欠いている。

 3人の質疑者を取上げて、菅仮免の責任意識、合理的判断能力を見てきたが、一国のリーダーにふさわしいとは決していえない責任意識、合理的判断能力であり、今に始まったことではない責任回避意識・言い逃れだけが目立つ、呆れるばかりの答弁となっていた。


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大健三郎氏、沖縄戦集団自決訴訟勝訴と集団自決関係当過去記事紹介

2011-04-25 06:28:02 | Weblog



 沖縄戦「集団自決」は旧日本軍の命令だとするノーベル賞作家大江健三郎氏著作「沖縄ノート」の記述は名誉毀損に当たるとして訴え、出版差し止め等を求めていた訴訟の上告審で最高裁は原告の上告を退ける決定を4月21日(2011年)下し、大江氏側の勝訴が確定した。

 正直、すっかり忘れていた。

 この集団自決日本軍強制説は従軍慰安婦日本軍強制説と深く関わる。両者共大日本帝国軍隊の国民に対する絶対権力介在の力学が可能とした、“お国のために命を捧げる”の強制、殉国思想からの犠牲強要であろう。

 逆説するなら、軍隊と国民が対等な関係を築いていたなら、このようは非人間的な、人間の存在性を無視する強制は起こり得なかった。

 日本軍隊内に於いても、上官と兵との関係が指揮命令系統に関しては上下の関係にあったとしても、人格的・存在的に対等な関係にあったなら、戦術的には殆んど効果がなかった精神主義の美名の元人間生命を蔑ろにしただけの玉砕や特攻にしても避け得たに違いない。

 Twitterに次のように投稿した。

 〈沖縄集団自決訴訟 大江健三郎さん側の勝訴確定 最高裁 - MSN産経ニュース http://t.co/h807Pb7大日本帝国軍隊は天皇の絶対権力を体現し、天皇に代わって日本国民に対して絶対権力を恣にしていた。そのような権力構造が慣習上制度化していない場所に集団自決は起こらない。 2011年4月22日 14:56:09〉――

 沖縄の集団自決に関してはこれまでにいくつかブログ記事にしてきた。 たいした内容ではないが、興味を示すかもしれない読者のために参考までにリンク付き記事題名を記載しておきます。

 《『ニッポン情報解読』by手代木恕之 集団自決「軍強制」を修正検定》

  《『ニッポン情報解読』by手代木恕之 日本民族優越性(=無誤謬性)を残したままの沖縄集団自決結末》

  《『ニッポン情報解読』by手代木恕之 沖縄戦集団自決軍関与否定は安倍「美しい国づくり」の一環(1)》

  《『ニッポン情報解読』by手代木恕之 沖縄戦集団自決軍関与否定は安倍「美しい国づくり」の一環(2)/「戦陣訓」》

  《『ニッポン情報解読』by手代木恕之 沖縄集団自決検定/「政治的介入はあってはならない」のマヤカシ》

  《『ニッポン情報解読』by手代木恕之 沖縄集団自決訴訟/大江健三郎vs元隊長(1)》

  《『ニッポン情報解読』by手代木恕之 沖縄集団自決訴訟/大江健三郎vs元隊長(2)》


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菅仮免は「KAN-FULL TV」4月23日紹介の石巻市避難所視察で情報隠蔽を謀った

2011-04-24 11:41:42 | Weblog



 菅仮免首相が東日本大震災発生以降は新たな配信を見送っていた「KAN-FULL TV」を4月23日土曜日に再開、4月10日に宮城県石巻市を視察した様子を取上げているというので、今朝(4月24日)アクセスしてみた。

 アクセスしたのは、菅仮免が自身の記者会見アレルギーを自己発信した情報がマスコミが曲げて伝えるために真意が伝わらない、悪意を持って把えられることもあるといったことに理由を置き、自己発信情報が中間処理が何ら行われずに自己発信したなりに伝わる、いわば生の姿を生のまま伝えることができるテレビや自身が始めた「KAN-FULL TV」 とかカンフルブログ等の情報発信を主要な機会とする姿勢を見せていたから、再開した「KAN-FULL TV」で実際に何ら中間処理を行わずに生の姿を伝えたのか確かめる意図があった。

 こういった意図が働いたのは、再開「KAN-FULL TV」は4月10日の宮城県石巻市の視察を取上げているが、菅首相が4月21日に福島県を訪れて避難所となっている福島県田村市総合体育館を視察した際、被災住民から抗議を受けたり不満をぶつけられたりした、菅仮免にとっては非常に不都合な場面が頭にあったからである。果して不都合・都合に関係なしに生の姿を伝えている「KAN-FULL TV」になっているのかどうかに関心を持った。

 「KAN-FULL TV」は動画と共に動画内容を文字で起している。以下に起した全文を記載、丸カッコ付き青文字で動画が描き出す内容のうち、説明不足の部分を詳しく伝えてみる。 

 04/23(土曜日) KAN-FULL TV

 第17話【訪問】震災1ヶ月の宮城県石巻市 

「もっと現場を見ろ」「邪魔になるから行くな」「時期尚早」「遅すぎる」---様々な意見が飛び交う、総理の被災地訪問。《事実》を、淡々とお見せします。いつもの音楽もナレーションも、付けません。まずは、石巻から。

 (最初「もっと現場を見ろ」の文字を読んだとき、被災住民の声かと思ったが、あとの会話から菅仮免の視察に対する閣僚等が発した色々な意見だと分かった。)

<移動の車中から、外の人達と握手する総理>

 (動画の最初の画面は青色の防災服を着た菅仮免が大勢の人に囲まれながら子どもと握手しているごく短いシーンとなっている。すぐ近くに自衛隊服を着た男性も見える。

 次がマスクをつけたかなり高齢な女性で、菅仮免の右手を両手で握り、頭を深く下げて、「よろしくお願いします」と訴えるシーンとなっている。

 菅仮免[右手を情勢に握られながら、左手を女性の右手に軽く添えて笑みを見せながら]「あー、どうも」

 このあとバスの席に座った菅仮免が開けた窓から外の被災者と手を握るシーンとなる。「あー、どうも」の会話は芸がなさ過ぎる。)


女性:よろしくお願いします! 

総理:しっかりやります! 

漁民:お願いします! (二人ほどとかなりな高齢男性と握手しているが、「お願いします!」の声は動画では聞こえない。)

 KAN-FULL TV 4月10日 宮城・石巻市 訪問(の字幕。)

 (街の中を歩いている。大きな建物に近づく。建物の正面に「石巻市市役所北口」の文字。
「石巻市災害対策本部」の看板が立てかけてある。)

<石巻市役所で地元首長らの報告を聴く>

 (石巻市亀山紘市長」の字幕。市長は立ち上がって発言、菅は長机の前に座って、ペンを握って何か書き留めている。)

亀山 石巻市長:雇用を守るということが、今一番必要な対策だと思っております。 

 (実際に口にした言葉。亀山市長「雇用が、あー、を、守るということが、今、一番必要な、ア、対策だと思っております」。ここまでで、次ぎのシーンに移る。)

 (
「東松山市 阿部秀保市長」の字幕。)

阿部 東松山市長:国の出番です。間違いなく、国の規模でこの災害を乗り切っていかないと、復旧・復興はないと思っておりますので、よろしくお願いしたいと思います。 

 (菅はテーブルを挟んで向き合って座っている。)

<市役所内のラジオ石巻 臨時サテライトスタジオで生放送に出演>

ラジオ局DJ:菅総理はこのあと市街を回り、私たちの街の現状を視察します。 

 (菅仮免、椅子に座り、マイクに向かって、)

総理:石巻の皆さん、こんにちは。(あー、)私、(えー、)総理大臣の菅直人です。是非とも、(みなさんに)元気よく、復興(へ)(、)道筋を歩んでもらいたい(いただきたい)。国としても(、)全力をあげて、(えー、)そうした皆さんの(、おー、)歩みに、(えー、)全力をあげて(、)一緒になっていきたい! 

<石巻市内を見渡せる高台へ。住民に声をかける>

 (男性の声「おはようございます」。高齢女性と握手。隣に立っていた男性と握手。)

総理:ご苦労様。本当大変でしょうが… 

<地元選出衆議院議員から被害状況の説明>

 (安住、柵のところから腕を上げて指差し)

安住淳議員:あのマルハ日魯の主力工場ですけど、この中は全然だめです。 

<総理への注文>

 (マスクをした老女)

女性A:(えー、そうですね、)早く復興するようにね、(ねえ、)やっていただきたいです。 

 (再びバスの中。窓を開けたバから手を出して被災者と握手。

 菅「しっかりやります」

 マスクをした高齢女性と握手。泣きながら訴える。)


女性B:(総理の手を握って)お願いだから、みんなが幸せになれるようにしてね(ー)
 
 菅(握った手を振りながら)「ハイ、分かりました。ハイ」
。 

<再び移動のバス。運転する自衛隊員のヘルメットには「まげんな!東北!」の文字>

 (カメラ、ヘルメットに貼った「まげんな!東北!」のステッカーを大写し)

<移動の車中も、新たな余震の影響などを聴き取り>(の字幕)

総理:松島も(自衛隊)基地が水が出ないと(か)言ってましたけど、どうですか、県内の…(県内全体を示すように手をぐるりと回す。) 

村井宮城県知事:かなりライフラインはやられました。水道が止まり、ガスが止まりという 

 (字幕 宮城県村井嘉浩知事

<インタビュー/総理が訪問する意義は―>

村井宮城県知事:(それはもう、あのー、)まず、地元の人たちが安心しますので。また(、)総理自らが被害状況を見ていただきますと(ですね)、対応に(、)また違いが出てくるかと思いますので、このように来ていただけることを本当にありがたいと(いうふうに)思っております。 

 (カメラを向けて言わせたのである。当たり障りのない公式見解と見るべきだろう。)

<バスが急に止まる>

男性:ちょっと降りて(いただいて)、はいお願いします。

<急きょ下車して、がれき撤去現場へと歩く総理>

 (バスから降りてくる菅を自衛隊員が迎える。

 少し離れた場所の数十人に向かって、)


総理:どうもご苦労様です! 

 (左手を振る。)

 作業の手を止める住民たち:あー菅さん!あ、あー!!

 (あー)という声は聞こえたが、「菅さん」といった声は聞き取れなかった。)

作業を説明する自衛隊員:剥がしながら、ああやって止まった所で、自衛隊や警察が剥がしていく… 

総理:これだけの災害に対して、警察や自衛隊の皆さんが本当に寝食を忘れて頑張っていただいてる事を、本当に誇りに感じています! どうか頑張って下さい! (どうも)ありがとうございます! 

警察官ら:ありがとうございます! 

総理:どうもありがとうございます! 

(字幕)<避難所では被災した皆さんと直接対話>(撮影なし/字幕のみ)

 (菅仮免が避難所の建物に入っていくところまで撮影。)

 (字幕)「これからどういう風に、自分たち生きていくのか…」

 (字幕)―総理が受けとめた、80代・女性の方の言葉

 (再びバスの中。フロントガラスから港の道路を写し出す。)

(字幕)<漁業関係の方から直接要望を聞くため、石巻漁港へ>

安住淳議員:宮城県の漁船が、漁業船がすっかりダメになっちゃって… 

 (横断歩道を渡る菅仮免。近くの誰かに、)

総理:どうもご苦労様です。いや本当にご苦労さんです。 

漁業関係者 (ハンドマイクを口に当てたまま、マイクの先は斜め下に向けているが、):車、それからこういう廃材が、海中に散乱しております。たらい回しでなく、早急に漁場、あるいは航路の撤去作業をしていただきたい。 

  (菅「ハイ」

 その場にいる十数人が菅仮免と共に一斉に「ガンバロー」と大きな声を出し、一斉に拳を突き上げる。)


集まった漁業関係者たちと総理:(声を合わせて)がんばろう、石巻! ガンバローー! 

 (ハンドマイクを持っていた男がハンドマイクなしで、「石巻、ガンバロー」と音頭を取る。再び拳の突き上げ。動画終了)

     つづく 

 菅仮免は自己発信した情報をマスコミが曲げて伝えるために真意が伝わらないとマスコミを批判する以上、自身の情報発信に関して曲げて伝えることは決して許されないはずだ。

 だが、この動画を見る限り、自身に都合のいいシーンだけを取上げている。訪問した避難所に関しては、字幕で<避難所では被災した皆さんと直接対話>(撮影なし/字幕のみ)と伝えるのみで、避難所に入っていくところまでしか撮影していない。何か中で不都合な場面があったために情報隠蔽を謀る必要が生じ、カットしたということなのだろうか。

 だが、マスコミは不都合な場面は何も伝えていない。《菅首相、3度目の被災地視察=宮城入り「孤立させない」-東日本大震災》時事ドットコム/2011/04/10-16:03)

 石巻市役所で村井県知事と亀山石巻市長等から瓦礫撤去での自衛隊の引き続いての協力などの要望を受けた。

 菅仮免「日本の防衛という任務もあるが、両立を図りながら努力する」

 「日本の防衛という任務もあるが」とは、何と勿体振った発言だろう。要するに恩を着せている。速やかな復興も経済的な必要不可欠の“日本の防衛”に当たるはずだ。日本の経済的地盤が沈下した場合、満足な軍事的装備も持てなくなり、ひいては軍事的防衛力も劣ることになる。「両立」よりも先ずは復興であろう。このような危難のときに、攻めてくる外国は政界世論の袋叩きにあう。

 記事は「KAN-FULL TV」にあるように地元のFM局を訪問して、市民に呼びかけたこと、そのあと避難所となっている石巻商業高校を訪問した書いている。

 動画で入り口まで撮影した避難所が石巻商業高校だったことになる。記事はそこでの出来事を、〈被災民に「大丈夫ですか。今何が必要ですか」などと声を掛けて回った。同校を立ち去る際、記者団に「お年寄りに優しい街、クリーンなエネルギーなど、新しいものを目指す街に再生してほしい」と語った。〉と書き、記事を終えている。

 何も不都合な出来事はなかったように見える。避難所での被災者との会話を堂々と動画に取上げてもよさそうなものだが、そうしなかった。なぜなのだろうか。

 石巻市視察は4月10日、福島の田村市総合体育館を視察したは4月21日。「KAN-FULL TV」再開は2日後の4月23日。取上げたのは2日前の田村氏の避難所視察ではなく、4月10日の石巻市の視察だった。

 4月21日の田村市総合体育館の視察は菅仮免にとっては屈辱的な不都合な場面に出食わすことになった。

 動画の字幕で〈総理が受けとめた、80代・女性の方の言葉〉として伝えた、同じく字幕のみの発言は「これからどういう風に、自分たち生きていくのか…」であり、文字でも起してある。

 対して、菅仮免がどう答えたのか書いてないし、動画は避難所の入り口までの撮影だから、どう答えたか、動画からは知りようがない。何も答えずに通り過ぎたとは考えることはできないから、その答を情報隠蔽する必要があったのだろうか。

 4月21日の田村市総合体育館の視察では被災者に「もう帰るんですか」、「私たちのことを無視するんですか」と非難を浴びせられていたことから、そこに居合わせた全員に向かって励ましの声を掛けたり、政府がしていることの情報を伝えたのではなく、何人かを適当に選んで声を掛けてまわったスタイルの視察だったことになる。

 だから、21日9時からのNHK「ニュースウオッチ9」が取上げていたようにマスクをかけたオバサンから、「じゃあ、ご苦労さん、みなさん頑張ってくださいって行っちゃったけど、何にも通り過ぎずに(「自分たちのところに寄って来ずに」の意味か)さっと行っちゃった。あんなじゃあねえ、やっぱりねえ、総理大臣がさあ、悲しいですねえ」と、声を掛けたのが数人だったことの不満を言われる始末を生じせしめることになったに違いない。

 この視察以後、抗議や不満を受けたことから視察のスタイルは変えることはあっても、4月10日の石巻市の避難所視察で被災者との間に取り立てて不都合がなかったなら、4月21日の田村市の避難所の視察スタイルを変えることは考えにくい。

 上記「時事ドットコム」記事が、〈被災民に「大丈夫ですか。今何が必要ですか」などと声を掛けて回った。〉と伝えるのみであるように、全員を前にして励ましの言葉を伝えたとは一言も書いてないから、同じスタイルで適宜選んだ何人かに声をかけてまわった視察スタイルしか浮かんでこない。

 もし石巻市の避難所となっている石巻商業高校を視察した様子をそのまま動画で伝えたなら、田村市総合体育館の視察と同様、そこに居合わせた全員に励ましの声を掛けたり、仮設住宅建設が遅々として進まない現状を謝罪したりしたのではなく、適当に選んだ数人に声を掛けて回っただけの気の利かない、あるいは心が篭っているとは言えない視察スタイルであることが動画によって改めて暴露されてしまうことになり、その不都合を避ける必要があった、避難所のシーンをカットした情報隠蔽ではなかったのではないだろうか。

 実際に数人に声を掛けただけでその場を立ち去っていた視察であり、「KAN-FULL TV」でそのことを知ったなら、「何だ、相変わらず、じゃあ、ご苦労さん、みなさん頑張ってくださいって行っちゃう視察じゃないか」といった批判や非難は必ず予想される。

 そのための情報隠蔽であり、情報操作でもある石巻商業高校避難所内撮影カットということではなかったのか。

 このことが薄汚い勘繰りであったとしても、菅首相は自身が発信する情報を曲げて伝えて真意が伝わらないとマスコミを批判し、生の姿を伝えるために、「KAN-FULL TV」やブログを始めたといった趣旨のことを言っているのである。避難所を訪れながら、被災者の様子を伝えない動画などあり得ようがなく、その場面をカットしたこと自体が、既に自身の発言を裏切る情報隠蔽・情報操作に間違いなく当たる。 

 マスコミを批判する資格はない。また、少なくとも田村市の避難所視察はそこを住いにさせられている被災者に抗議や非難を浴びせられても当然の心の篭っていない、気の利かない視察であったとは確実に言える。

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菅仮免首相の被災者に対して何とも失礼な大震災運命論

2011-04-23 11:23:16 | Weblog

 

 菅仮免首相が昨4月22日夕方5時40分から記者会見を行った。例の如くケチをつけることにした。《首相官邸HP》に動画とテキスト版が記載されている。

 冒頭発言で昨日の福島原発避難所視察に言及しているが、避難所被災者から抗議を受けたり不満をぶつけられたりしたことには一切触れていない。都合の悪いことは情報隠蔽する。逆に情報公開しても差し支えないエピソードには言及している。

 菅仮免「まず昨日、福島県を訪問いたしました。その中で被災者の方に何人もお会いしましたが、一番耳に残った言葉がありました。それは、私の家は今、アメリカよりも遠いんですよ。アメリカなら十数時間で行くことができるけれども、私の家には何週間も、場合によったら何か月かかっても帰れないかもしれない。何とか早く帰れるようにしてほしい。その言葉が一番耳に残った言葉でありました。何としても、この原子力事故によって家を離れなければならなくなっている皆さんが一日も早く自分の家に戻れるように、政府として全力を挙げなければならない。改めて、そのことを強く感じた次第であります」――

 「皆さんが一日も早く自分の家に戻れるように、政府として全力を挙げなければならない。改めて、そのことを強く感じた」とは言っているが、「一番耳に残った言葉」であっても、心にまで響かなかった言葉であったようだ。

 自分の家には帰れない、アメリカよりも遠い場所にあるのも同然だという被災者の言葉にはもどかしさ、苛立ち、辛さ、情けなさといった様々な思い・感情が込められているはずで、これは極めて個人的なものではなく、大方の被災者の気持を代弁しているはずだ。

 当然、菅仮免の「一日も早く自分の家に戻れるように、政府として全力」は多くの被災者の思い・感情を汲み取った発言でなければならない。

 だが、例え東電が4月17日に原発事故収束の工程表を公表、放射線量の着実な減少目標の「ステップ1」に3カ月、放射能放出を管理し、線量を大幅抑制する「ステップ2」に3~6ヶ月の最長合計9ヶ月としていることに対して英科学誌ネイチャーが記載した、廃炉・除染に10年から最長100年かかるとする専門家の予測を無視するとしても、被災者を取り巻く現実は「一日も早く自分の家に戻れるよう」な方向に進んでいない。逆に4月21日に警戒区域(原子力発電所から20km圏内)設定、4月22日に計画的避難区域と緊急時避難準備区域設定と益々住んでいた場所、住んでいた家から遠ざかる逆の方向に進んでいる。

 東電の工程表どおりに事故収束が進んだとしても、あるいは少しぐらい前倒しが実現したとしても、9ヶ月かそこらの間被災者の期待に添うことができない何の手立てもできない状況に政府は現在のところ置かれている。

 いわば被災者の苛立ち、辛さ、情けなさといった様々な思い・感情を放置し、長引かせることの済まなさを表現した言葉、苛立ち、辛さ、情けなさといった様々な思い・感情を汲み取った言葉を一言も見受けることができない。

 単に事務的・形式的に「皆さんが一日も早く自分の家に戻れるように」と言っているに過ぎない。

 もし被災者の思い・感情を汲み取った言葉を発することができたなら、避難所視察の態度にも反映され、被災者から抗議を受けたり不満を言われたりすることはなかったはずで、また避難所視察が被災者の気持を汲み取った思いの篭もった訪問であったなら、その思いは記者会見の発言にも反映されて、現在のところ被災者が家に戻れずに避難生活を送らざるを得ないことに関しては何の手立てもできない政府の対応を一言ぐらい謝罪する心の篭もった発言ができたはずだが、そうはなっていない。

 これは記者会見の自分を売るいいネタになると持ち出した「私の家は今、アメリカよりも遠いんですよ」のエピソードといったところだろう。

 この被災者をままならない状況に置くことの一片の済まなさもない態度は仮設住宅に言及する件(くだり)にも現れている。

 菅仮免「当面、仮設住宅の整備が大きな課題であります。各県で仮設住宅の建設を精力的に進めていただいておりまして、感謝をいたしております。政府も資材確保などに全力を挙げており、自治体が提供できる場所を決めていただいて、その中で作業を急ぎたいと思っております。5月末までには3万戸を完成させたい。最終的には仮設住宅、あるいは借り上げ等を含めて10万戸を避難される方に提供できるようにしていきたい。こう考えております。」――

 仮設住宅に関して触れたのはたったこれだけである。建設の進捗状況、入居状況には一切触れていない。完成を待たされている被災者の思い・感情についても一切触れていない。計画表を単に表面的・事務的に述べたのみである。

 震災発生から1カ月以上経過しているが、仮設住宅は7万2千戸の必要戸数に対して完成は455戸(4月21日付asahi.com)といった遅れた状況にある。入居希望の被災者が全員仮設住宅に入居を果たす間、順次残される被災者はプライバシーのない、心身の健康を自ら管理できない状況下に置かれることになる。その心労、ストレスに対する一言ぐらいの思い遣りある言葉を述べてもようさそうだが、何一つ述べていない。避難所を視察しながら、数人に声を掛けただけで、それ以外の被災者はその他大勢と扱って素通りしたのと同じ冷淡さしか窺うことができない。

 記者会見はマスコミの記者にのみ向かって喋っているわけではあるまい。記者の背後、テレビカメラの背後にいる不特定多数の国民に向かって喋っているはずだ。当然、その国民の中には被災者が存在し、特に耳を傍立て、目を凝らして中継しているテレビの画面を見入っている被災者も多く存在するはずだ。

 口先だけで記者会見を済ませている印象しか受けない。「復興は、単に元に戻すという復旧ではなくて、すばらしい未来をつくるという復興であってほしい。そのことも多くの皆さんと共有している考えだと思っております」と言っているが、口先だけの奇麗事と見た方が無難だ。

 菅首相は大震災は長年の経済の低迷によってもたらされた世界的な地位の低下や年間自殺者13年連続3万人といった従来から日本が抱えていた危機の中に発生した危機だという把え方をしている。

 菅仮免「この復興を考える上で、私は更に今回の大震災、原発事故、この危機が1つの危機ではなくて、危機の中の危機だと、このように位置づけをいたしております。つまり、我が国は、この20年余り、経済的にも成長が低迷し、社会的にも自殺者がなかなか3万人を切らないといったような多くの課題、社会的なある意味での危機を経験しつつあったわけであります。そうした中にこの大震災、原発事故という危機がまさに発生した。危機の中の危機の発生。このようにとらえてまいりたいと思います。
 
 そして、この2つの危機に対して、同時にこの危機を解決していくことが、今、私たちに求められておりますし、もっと言えば、この復興ということは、大震災を契機に多くの国民が、自分たちが何とかしなければという思いを強くしていただいている。その思いを本当に力に変えて、この復興をバネにして、もともとの危機を含めて2つの危機を乗り越えていく。つまり、日本再生が東日本の復興を支え、一方では東日本の復興が日本の再生の先駆けとなる、こういう形で推し進めてまいりたいと考えております」――

 指導力を欠いている割にはなかなか壮大なことを言っている。かつて「大風呂敷」論争が起こったが、大風呂敷でなければいい。

 そしてこの大震災に遭遇したことを自身にとって「宿命」だと強い立派な決意を示している。

 菅仮免「今回の大震災で亡くなられた皆さん、私はその皆さんが声なき願いを私たちに強く伝えていただいているように思えてなりません。それは生き残った皆さんが、私たちが、力を合わせて素晴らしい日本をつくってほしい、こういった願いだと、このように思っております。

 私自身、この大震災のときに、総理という立場にあったひとつの宿命だと受け止めておりまして、こうした亡くなられた皆さんのその願いを実現するために、私に持てるすべての力を全身全霊振り絞って、その実現に向けて頑張りたい。その気持ちを改めて強くいたしているところであります」――

 この発言は自らの指導力欠如を弁えていないからこそ言える決意でなければならない。

 地震災害、原発災害と日本の経済的な成長の低迷や年間自殺者13年連続3万人といった社会的危機とは性格が異なる。前者の復旧・復興は資金をかけた物理的労力に負う側面が大きい。後者の解決には資金をかけただけでは解決しない。政治や企業に於けるアイデア・創造性を必要とするはずだ。

 そうであるにも関わらず、二つを並べて置いている。

 勿論、大震災需要が日本の経済成長を刺激する面も否定できないが、経済の構造改革がないままであったなら、復興が一段落したとき、反動が生じて不況に見舞われるだけではなく、元の木阿弥となる。

 日本の現在の経済の構造、あるいは日本の政治の構造まで加えて、そこに問題がある日本の現在の経済的な成長の低迷であリ、世界的な政治・経済に於ける地位低下だと見なければならないはずだ。

 菅仮免が大震災遭遇を首相にとってのひとつの宿命だと宿命論で把えるなら、その復旧・復興の政治的業績を成すことをも併せて宿命と把えていることを意味する。遭遇したことだけでとどまらない宿命であるはずだからだ。

 また大震災遭遇が首相にとってひとつの宿命であるなら、東北の被災住民にとっても大震災遭遇は宿命でなければならない。亡くなった被災者が力を合わせて素晴らしい日本をつくってほしいと願っていると看做した上で自らの宿命としたのはそのためだろう。

 いわば菅仮免は大震災を「総理という立場にあったひとつの宿命」とすることによって、東北にとっても、そこに住む住民にとっても、特に死者にとって、大震災を宿命だとしたのである。

 菅仮免にとって宿命である大震災が被災住民にとっては宿命でないとするなら、菅仮免の宿命の延長にある復旧・復興の宿命に関係しないことになって矛盾を来たす。大震災は被災者にとっての宿命に対応する菅首相にとっての宿命であると相互対応させて初めて復旧・復興の整合性を得る。

 菅首相にとって大震災遭遇が宿命である以上、復旧・復興の見事な成就を以って宿命は完遂可能となる。復旧・復興まで宿命としていることの目標達成となる。

 この関係から、「私に持てるすべての力を全身全霊振り絞って、その実現に向けて頑張りたい」という発言が生じたことになる。

 当然、その完遂に応じて、復旧・復興は菅首相の宿命からの政治的業績に帰することになる。

 いわば菅首相が大震災を宿命論で捉えたということは政治的業績を挙げることをも自らが担う宿命と位置づけたということであろう。そうでなければ、復旧・復興まで宿命としたことと矛盾する。
 
 そうである以上、犠牲を強いられた側の被災者にとっては割の合わない宿命であリ、菅首相に取ってはおいしい宿命となる。
 
 また大震災の危機と同時に経済の低迷による日本国家の停滞の従来からの危機、同じく従来から陥っていた年間自殺者13年連続3万人や収入格差等に現れている日本社会の劣化・劣弱化の危機を併せた2つの危機を同時に解決していくことまで背負うことにしたのは自らの宿命にふさわしく政治的業績を偉大ならしめるためであるはずだ。

 この未曾有の大震災遭遇を自らの宿命とする位置づけにはそこに必死な思いがあるはずで、そのような宿命論、あるいは必死な思いに反して日本の2つの危機の同時解決を小さな政治的業績として目指したなら、宿命に反する矛盾した目標となる。

 大震災遭遇という宿命を機会に日本の2つの危機を同時解決する政治的業績の達成までを自らの宿命とするという心理には大震災を自らの政治的業績達成の一つのチャンスと看做す思いが当然働いていたはずだ。

 大震災を自らの政権延命の一つのチャンスとしたようにである。

 チャンスとするということは大震災を政権延命に利用するのと同じく、政治的業績の達成に利用するということであろう。

 この場合の利用は被災者の大震災遭遇という割の合わない宿命が菅首相によって政権延命と政治的業績達成の運命的な実験材料とされることを意味するはずだ。

 被災者に対して何とも失礼な、自分に有利なだけの菅首相の大震災遭遇運命論ではないだろうか。

 被災者に対して心の篭もっていない記者会見の発言と言い、自身の手柄のみに重点を置いた運命論と言い、菅仮免の指導力欠如・合理的判断能力欠如と比較した場合、菅首相お得意の「大風呂敷」と見た方がよさそうだ。


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菅仮免首相は福島原発避難所視察で見事な情報発信力を見せた

2011-04-22 11:21:35 | Weblog



 菅仮免首相は自身に関係する情報発信はすべて自分の発言が何の解釈も解説も施されずに発言どおりにそのままストレートに国民に伝わることだと思い込んでいる。

 この仮免なりの情報発信論は、一度ブログに取上げたが、2011年1月7日に「プレスクラブ - ビデオニュース・ドットコム インターネット放送局」の動画に出演したときの発言に如実に現れている。

 菅首相「インターネット放送と言うよりも、この間、特に国会開会中はかなりタイトな時間で、自分で発信することはなかなかできないですよね。ま、確かに、あの、私自身は映ったりしてるんですが、かなり自分の中でギャップがあったんです。

 つまり、自分としてはここが重要だから、例えば本会議場でこういうことを言っているとか、委員会でこう言ってるとか、という思いがあるのですが、その部分は殆んど放送されないで、まあ、言葉は激しいけれども、それ程内容的には重要と思われないようなところを、特に政局と絡むようなところをですね、エー、どんどん流れていくと、エー、なかなか自分の思いが伝わらないという、そういう感じが強かったんです。

 それで昨年の11月頃から、あの、カンフルTV とか、カンフルブログというものをつくって、まあ、自らの始めたんですが、あの、一般のテレビ番組にでもですね、あの、少し出ようと、そして、あの、インターネットのこの番組にも出してもらって、あのー、出来るだけ、私として何を考えて、また、私として何をやっているのか、あの、生の私の姿をですね、もっと伝えたいと、ま、そう思って、今日出させて貰いました」――

 要するに自身の発言・姿をマスコミが曲げて政局がらみの報道にしてしまう。だから、そのことを避けるためにカンフルTV とかカンフルブログを始めた。テレビ番組やインターネットテレビにも出演して、生の姿を伝え、それがそのまま国民に伝わるようにしている。

 この思い込みをそのまま裏返すと、自分の発言・自分の情報発信はすべて正しいとする姿が浮かんでくる。言葉を替えて言うと、情報発信とは自身の意図を常に正しいこと、正義と位置づけ、そのことを前提に自分が意図した発言が意図したとおりに伝わることだとしていることになる。

 正しい情報発信をしていながら、マスコミが曲げて伝えるから、不人気も低空支持率もマスコミが元凶と看做すことになって、記者会見を避けるようになったということなのだろう。

 意図した発言、意図した情報発信でなくても、言葉を発しない一挙手一投足、あるいは国会質疑中の居眠りも質疑の状況や重要度に応じて情報発信となるということに気づいていない。弁解も強弁も言い逃れも人間性や指導力の有無の情報発信になり得るということに気づいていない。

 すべては菅仮免首相が合理的な判断能力を著しく欠いているからに他ならない。

 例えば福島原発避難所視察後に郡山市内で行った記者会見早々に自身の発言以外のことで、勿論本人は気づいていないからだろう、見事な情報発信を行っている。

 《原発被害「国が最後まで責任持つ」 21日の菅首相》asahi.com/2011年4月22日0時19分)

 記者「総理、ぶら下がりお願いします」

 菅仮免「はい」

 秘書官「申し訳ない。1、2分です」

  この「1、2分です」は菅仮免が前以て秘書官に指示しておいた制限時間であって、この制限時間から浮かんでくる情報はマスコミを介して国民になるべく多くの情報を発信して国民の理解を得よう、多くの説明をして現在の状況を知らしめようと心がける誠意ある姿の不在である。

 いわば「1、2分です」と時間制限することによって、国民に対する自身の不誠実さを情報発信したのである。たっぷりと質問に答えて、「他にもうありませんか」と逆に尋ねる誠意ある余裕も強い意志も演出することができなかった。

 例えマスコミが意図を曲げて伝えることがあっても、真の相手は国民であって、意図がマスコミのよって曲げられずに国民に伝わるように努力し、才覚を働かすのも一国のリーダーの責任であるはずだ。

 なぜなら、低支持率が政策を進める上でも内閣を運営する上でも、また選挙を戦う上でも障害とならない保証はないからだ。

 だが、努力もせず、才覚を働かすこともせず、記者会見を避けて、国民への説明・情報発信を怠ることをしている。

 また、そんな責任はないとするなら、極端なことを言うと、マスコミが正しく伝えないからとマスコミの取材を一切拒否することができることになる。

 この記者会見で菅仮免首相は地元住民に対する自らの姿勢について次のように発言している。

 菅仮免「やはり一番感じたのは、政府の関係者、政府の関係者なりにも、地元のことを考えているつもりではありますけど、やっぱり、こうして中にお邪魔して話を聞くと、まだまだそういう、皆さんの気持ちが、本当にこの親身になって、分かっていたかと言われると、やはり改めてですね、もっと被災者の立場に立って、全てのことを考えなければならないという、その、知事や皆さんの言われることが、改めて私にも痛感をされました」 ――

 地元住民に対する親身な理解の不足を自ら反省している。だが、視察しなければ理解できないという自らの判断能力についての反省はない。避難生活を送っている被災者の言葉・思いは自身が直接出かけなくても如何ようにも情報収集できるからだ。また、如何ようにも情報収集しなければならない。

 単にそのことを怠ってきたに過ぎない。「地元のことを考えているつもり」が事実はそうではなかったということに過ぎない。地元に関して持っている自らの情報と地元自身が抱えている情報との乖離があったということだろう。

 この反省発言は勿論、避難所の視察が言わせたものであることは断るまでもない。

 昨4月21日夜9時からのNHK「ニュースウオッチ9」で菅首相の避難所訪問を放送していた。

 体育館を避難所としている場所に現れて幼い子どもを抱えた若い母親の前に、椅子なのかどうかダンボールの衝立で見えなかったが、腰掛け、何か話しかけ、それから例の如く両手の拳を握って胸を張った姿勢で体育館の出入り口から出て行こうとしたら、中年の男性に背後から呼び止められた。

 中年男性「もう帰られるんですか。もう帰られるんですか」

 妻らしき中年女性(怒りからの震え声で)「無視されて行かれる気持って分かりますか」

 中年男性「俺らはどうなるんですか。ここにいるの、これだけの人数ですよ」

 妻らしき中年女性「みんな痩せながらね、もう一カ月以上生活して。だから、ホントーに、原発何とか抑えてくださいよ」

 菅仮免「とにかく先ずは原発を、抑え、ないことには、次ぎの、そのー、次のことが進みませんので、とにかく全力を挙げて、今、あの、手当を尽くしているところです」

 国会答弁程ではないにしても、テキパキとしない言葉運びとなっているが、避難生活者の苦労に対する労(ねぎら)いの言葉をかけたのかどうか番組からだけでは分からないが、少なくとも最初に持って来るべきその言葉を最初には持ってこず、役人が発するような、単に公式的見解を事務的に述べるような発言に替えている。

 マスクをかけたオバサン「じゃあ、ご苦労さん、みなさん頑張ってくださいって行っちゃったけど、何にも通り過ぎずに(「自分たちのところに寄って来ずに」の意味か)さっと行っちゃった。あんなじゃあねえ、やっぱりねえ、総理大臣がさあ、悲しいですねえ」

 NHK「ニュースウオッチ9」が伝えた場面からは体育館を避難場所としていて、そこに居合わせた全員に声を掛けずに何人に声を掛けだけで、そのまま去ろうとした情報発信しか浮かばない。

 同じ内容の情報を伝えているNHK記事――《首相 福島県内の避難所を訪問》NHK/2011年4月21日 14時48分)を見てみた。

 記事では福島県庁で佐藤知事と会談したあと、田村市の田村市総合体育館にある避難所を訪れ、住民ら10人余りと言葉を交わしたあと次のように発言したことになっている。

 菅仮免「東京電力が、事故の収束について6か月から9日月かかるという見通しを示しており、避難生活が少し長くかかることになる。政府としても、一日も早く収束させるよう、全力を挙げたい。原発から半径20キロ圏内の住民の方も一時的に立ち入ることができるよう計画している」

 これが体育館にちょうど居合わせた全員に向かっての発言だとしたら、例え公式的見解を述べただけで、避難生活者の苦労に対する労(ねぎら)いの言葉を欠いていたとしても、被災者が菅仮免に向けた非難は必ずしも正当とは言えなくなる。

 そこで記事に付属している動画を開いてみた。
 
 「もう帰られるんですか」と抗議した上記夫婦については動画の最後に簡単に触れているだけで、NHK「ニュースウオッチ9」では伝えていなかったが、幼い子どもを抱えた若い母親に向かって菅仮免は会話を交わしている。
 
 菅仮免「短くても6ヶ月、場合によってでも、もう少し、それが目途がつくのに、少し時間がかかります」

 ここまで菅仮免の声を伝えて、なお話しかけている場面を続けながら、アナウンサーが「その上で菅総理大臣は、政府としても1日も早く収束させるよう全力を挙げたい。原発から半径20キロ圏内の住民の方も一時的に立ち入ることができるよう計画していると述べ、理解を求めました」と解説。

 要するに体育館に居合わせた全員に向かって避難生活の今後と政府の努力、さらに一時的な立ち入りを説明したのではなく、言葉を交わした10人余りに対して同じ言葉を繰返し述べてまわったことになる。

 だから、住民の何人かが面と向かって抗議することになった。

 アナウンサーの解説のあと、NHK「ニュースウオッチ9」では伝えていなかった、別の住民(高齢者)の抗議の場面を記事の動画は伝えている。

 高齢者(非難する強い口調で)「本当に我慢しているんです。頑張ってらっしゃるのは分かるんですけども、もっともっと頑張っていただいて、原発の収束の方をお願いします」

 お願いの頭を深く下げる。菅仮免が応じて頭を下げると、

  高齢者「本当によろしくお願いします」

 大きな声で言って、再び頭を深く下げる。

 この高齢者の発言からも、政府が原発事故対応に全力を挙げているという説明は全員に向かって行った説明ではないことが分かる。

 記者会見で「1、2分です」と秘書官に区切らせたことによって知らしめることとなった誠意のない情報発信といい、体育館に居合わせた全員に向かって理解を求めることはしなかったことの情報発信といい、10人ばかりに声を掛けたものの、機械的に公式的見解を述べただけで、あとは素通りしようとしたことの情報発信といい、すべて菅仮免の能力・人柄に関わる情報として発信された。

 マスクのオバサンが不満を述べたように、「じゃあ、ご苦労さん、みなさん頑張ってください」と最後に全員に向かって声を掛けた程度の情報発信のみで、全員に対しては一国のリーダーとして必要な情報発信を欠いたままその場を立ち去る情報発信を曝け出した。

 結果として、少なくともマスクのオバサンに対しては、「あんなじゃあねえ、やっぱりねえ、総理大臣がさあ、悲しいですねえ」といった情報を発信したことになる。

 マスクのオバサンから菅仮免の視察に関わる情報の発信を受けた多くの人間がオバサンの情報に同調し、同じように他の人間に発信していくチェーンメールもどきの情報発信の連鎖が繰り広げられない可能性は否定できない。

 確かにNHK「ニュースウオッチ9」が伝える情報とNHK記事とその動画が伝える情報に同じ出来事を扱っていながら異なりがある。だからと言って、曲げて伝えていると批判するだけでは済まない。自身が意図し発信した情報が常に正しくも正義でもないことはこの避難住民に対する視察が証明しているし、記者会見を「1、2分です」と時間制限した国民に対する不誠意にも現れているのである。

 さらに体育館で菅仮免の態度を直接目にし、住民が手にした情報とその発信も疎かにできないし、何よりも国家運営の責任を負うリーダとして乗り越えなければならない障害と看做さなければならない以上、マスコミが意図を曲げて伝える、情報を曲げて発信するは自身が発信する情報・意図が常に正しいとは限らないことと併せてマスコミへの責任転嫁でしかないことになる。

 それにしてもどのくらい時間をかけたか分からないが、一つの視察で支持率にプラスになるとは決して言えない見事な情報発信を見せたと言わざるを得ない。未だ本免許獲得までいかない仮免だから仕方がないか。


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2005年1月8日HP記事 『異常災害時代への備えは乞食行為・乞食犯罪への根絶から』

2011-04-21 07:04:11 | Weblog



 ※訂正――菅首相が地震・津波の「ハッサイ」と使っている言葉は「発生」の間違いで言っていると思っていたが、原子力関係で通用させている、いわゆる業界語なのか、菅首相自身の造語なのかは分からないが、どうも災害の発生の意味を持たせた「発災」として使用しているようです。辞書を見てもインターネットを検索しても見つからない言葉ですが、遅蒔きながら気づきました。訂正します。

 今回の記事は2004年12月26日発生の(菅仮免流に言うと、2004年12月26日発災の)スマトラ沖地震(最終死者数22万人と言われている)を題材として2005年1月8日に自作HP「市民ひとりひとり」に載せた記事――《異常災害時代への備えは乞食行為・乞食犯罪への根絶から》だが、何か役に立ちはしないかと当ブログへ再録してみることにした。

 日本にも似たような巨大地震が発生した場合、復旧・復興に巨額の財源が必要になる、外国からの援助も必要になるかもしれない、その備えに政治家・官僚の私腹行為の根絶から始めるべきだをテーマとした記事だが、記事は直接的な言葉では予算のムダ遣いの根絶に触れていないが、当然のこと、「根絶」の中に予算のムダ遣いの根絶も入れなければならない。

 今回の「東日本大震災」の復興費用は最大で約20兆円と言われている。今日の日本の巨額の財政赤字からすると、外国からの支援と名のつく一切の助けなしに日本単独で復興できると言える程、孤高の精神を維持できる状況にはない。

 日本は表面上は外国の無償資金供与は受けていないが、クウェートによる日本の一日の原油の消費量を上回る500万バレルの原油(日本円でおよそ450億円相当)の無償供与表明や、外務省HPの《諸外国等からの物資支援・寄付金一覧》によると、4月19日時点で計138の国・地域及び計39の機関が支援意図を表明、その中に中国からガソリン1万トンと軽油1万トンを既に4月2日に受入れていると書いてあるし、外務省HPには記載されていないが、そのほか相当額の義援金も受けているはずだ。

 また米軍の復興支援やイスラエルの医療支援に代表される人的支援にしても金額に換算できない、バカにならない価値ある足跡を残すはずで、こういった各種支援を土台として、その上に築いていくことのできる復興であろう。

 となると、やはりさらなる巨大災害に備えるためにも財政の健全化は必要であるし、「乞食行為・乞食犯罪」と名づけた不正私腹行為に対するブレーキとなる政治家や官僚の何事にも襟を正した行動を財政健全化の基本的な前提とすることによって、予算編成に対しても影響を与えてムダや不正の排除を生み出していく“襟の正し”と把えるのは決して間違っていないように思える。

 誤字以外はそのまま再録した。少なからず解釈間違いがあるかもしれないことと、HP「市民ひとりひとり」にリンク不可能だった場合、ご容赦を―― 

『異常災害時代への備えは乞食行為・乞食犯罪への根絶から』(upload 05.01.08 .(土))

 スマトラ沖巨大地震を発生源としたインド洋津波死者は既に15万人を超えた。近年の世界規模で繰返される大規模な異常気象と世界各地で頻発する巨大地震に引き続いての、止どめを刺すかのような今回の広範囲な被災国と被災地域、膨大な被災死者数が見せつけた全体の悲惨さ・凄惨さから判断するに、地球の将来を予測する決定的前触れであるように思えてならない。

 確実に地球は混乱期に入っている。日本人の多くが今スマトラに目を注いでいるが、同時に発生したばかりの中越地震がまだ記憶に生々しいだけに、鋭く日本の次なる地震の可能性にも向けられているはずである。最悪のシナリオの一つとして、東海地震と南海地震が同時に発生する、決して頭から否定できない予測と恐れ。過密巨大都市東京に関東大震災クラスの地震が襲いかかる可能性──等々。

 日本のすべてに亘って中心を成す首都東京が壊滅したなら、我が国の政治・経済・金融はどうなるだろうか。敗戦後の衰退した日本の姿をも想定しておかなければならないだろう。最悪そうなった場合、現在でも財政赤字にある日本は復興のために世界各国から資金援助を受けることになる可能性も否定できない。

 今回のスマトラ沖地震の場合、当初日本は総額3000万ドル(31億円)の援助を表明した。その金額はその段階では国際的に最も大きな支援規模だった。しかし被害の規模がはっきりとするにつれ、日本政府は当面5億ドル(約515億円)を限度に関係国や国際機関に無償で供与する方針を発表している。但し、ドイツが5億ユーロ(約700億円)の支援を表明して、日本を抜いている。アメリカも1500万ドルから3億5千万ドルに増額した。 今後とも支援額は増加の一途を辿るに違いない。

 尤も、被害に直接遭遇している外国人は行方不明者だけを見ても、日本人が100人以上、アメリカ人が5000人以上、ドイツ人が1000人以上であって、援助額はある程度その割合に比例して然るべきだという見方をしたなら、ドイツの5億ユーロは日本と比較して多すぎるということはない。一人日本の額だけが相当突出していることになる。

 そんなにも気前のいい日本が、逆に援助を受ける立場となったなら、何という皮肉な攻守逆転となるだろうか。決してあり得ないシナリオではない。

 自力回復は不可能ではないと主張する人間は大勢いるだろう。但し国の借金が700兆を超え、特殊法人と地方の借金を含めれば1000兆円を超える。そこへきて東京が巨大地震で直撃された場合、現在8000億ドル(約88兆円)にも及ぶ日本の外貨準備があったとしても、その殆どを米国債で運用しているため、円に変えた場合、アメリカ経済に変調を与え、それがただでさえ地震で打撃を受けた日本経済に二重三重に悪影響を与えないとも限らない。また、国民の金融資産が1400兆円あるからそれを運用すればいいと言っても、それに手をつける場合、 手をつけようとしただけで国民は誰もが預金を全額降ろしてタンス預金に走るだろうから、それを防ぐためにアルゼンチンみたいに預金封鎖することになる。例えてみるなら、隣家にこっそり押し入って、預金通帳と印鑑を盗み出して全額引き出し、それを別の金融機関に預けて隣家の人間が手をつけることができないようにしてから、必要なときに必要なだけ降ろして使うようなものである。 混乱が、それも“大”と形容しなければならない混乱が巻き起こるだろう。あるいは消費税を大幅且つ早急に値上げするか、預金そのものに税金をかける金融資産課税を施すといった方法もあり得るということである。

 あらゆる手を複合的に打つだろうが、すべて国民の生活を犠牲にするものである。そのような犠牲が先程述べたように、戦争直後の日本に国民の生活を引き戻さない保証はない。その当時日本はアメリカから様々な援助を受けた。地震等の災害で援助を受けなくても、結果的に外国から援助を受ける可能性は否定できない。日本の戦後経済の復興はアメリカの援助に加えて、朝鮮戦争特需という無視できない多大な恩恵によってもたらされ、ベトナム戦争特需で加速させたものであり、その殆どが自力的なものではなく、他力性の強いものであったことを忘れてはならない。

 いわば単独更生にしても、外からの何らかの恩恵がなければ難しい。スマトラ沖地震と津波で被害を受けた現在のインドネシアやタイなどに於ける災害援助がそれに当たる。

 いずれにしても最悪の結末を想定して、今から心の備え・国の備えをしていた方がよさそうだ。それが危機管理というものだろう。そのように考えてもいい近年の地球状況であり、日本状況である。

 何事も、最終的にはカネがモノをいう。それが外部からの援助であっても、内部的な遣り繰りであっても、カネの力を借りないことには、人道支援も復興支援も前には進まない。例え悲しいことであっても、それが現実である。地震発生当初国連事務次長は、各国の支援は不十分だと発言したそうだが、カネがモノをいう事実を証明して余りある発言であろう。

 各国政府の途上国援助を国民総所得(GNI)の0.7%以上に引き上げることを80年に国連決議したことに比較して、GNIの0.1%から0.2%にとどまっている現実に対する不満が、「不十分でケチな数字だ」といった発言につながったそうだ。

 その事務次長が見通しとして表明した、今回被災した国々への緊急支援のために国連が加盟国に拠出要請した支援金額はイラク戦争後の16億ドル(1760億円)を上回り、史上最高となるということである。かくも手当てにカネのかかる人道の回復と災害の復興なのである。

 アメリカ政府が最初に表明した支援金額は日本よりも少ない、半額の1500万ドルであった。事務次長の不満は暗にアメリカの支援の少なさに向けられた批判だとの指摘が報道に見えた。

 だが、国連は批判する資格はない。フセイン時代、国連の人道援助活動「石油と食糧の交換計画」に関わって、国連幹部が旧政権からワイロを受取ったりする不正を働いている。そのような体質から類推するに、発足から60年近くになんなんとしている国連に官僚主義がはびこり、公金の私的流用や職権濫用による無駄遣いとか職務怠慢が無視できない非効率・非能率の不利益を作り出して、各国の支援金額ないしは努力に見合う成果を生産し得ていない可能性は否定できないからである。

 日本の警察や官庁に見る裏金作りや公金を使った贅沢暮らしといった組織内特権化の乞食行為・乞食犯罪に加えて、それらによって醸成される職務怠慢・職業的惰性が国連に於いても演じられている可能性である。

 全国的に見ることのできる乞食行為・乞食犯罪ののさばりからの役目に関わる機能不全の誘発・蔓延が、金額に換算した場合にどれ程の非効率的・非能率的損失・損害を直接的・間接的に生み出しているだろうかを考えるとき、「石油と食糧の交換計画」に於ける不正額が当初は100億ドル相当と見られていたが、米議会筋が213億ドルに及ぶとしている膨大な私腹金額を生み出した乞食行為体質、あるいは乞食犯罪体質を、「石油と食糧の交換計画」にのみ発揮された乞食行為・乞食犯罪であると特化することは困難である。

 このことに加えて、2002年3月の新聞に国連難民高等弁務官事務所の職員やNGO(非政府組織)のメンバーがアフリカ難民の少女らに援助食糧と交換に性的関係を迫っていたと報じていた疑惑から判断しても、その多くは現地職員だったと言うが、上が下に影響して下は上を真似る人間の姿からも、国連という組織全体に亘る全般性としてあることの有力な傍証の一つとなり得る乞食行為・乞食犯罪ではないだろうか。

 約40団体、67人の名前が強姦の加害者として名前が挙がったというから驚きであるが、それだけの数の人間がただ単に援助食糧を配るに過ぎない自らの役目を権力に変え、難民少女らが弱い立場にあることを悪用して、時代劇の悪徳豪商よろしく無理難題の乞食行為・乞食犯罪を働いたのである。

 213億ドルもの不正とは、今回の地震・津波災害に米政府が当初表明し、国連事務次長が不満を示した1500万ドルどころか、のちに増額した3億5千万ドルをはるかに上回り、日本、ドイツの支援額をも上回る金額である。国連は各国の支援額リストのトップに、国連がつくり出した死に金として、213億ドルの金額を記入しておくべきだろう。

 救済と復興にかくもカネのかかる大規模災害がこれが最後だと保証不可能であることと連動して、各国に対する支援要請もこれが最後だと保証不可能である地球受難時代に人類のすべてが位置しているのである。国連は加盟国からの拠出からなる運営資金を、例え一部を人件費に用立てる場合であっても、厳正であることから外れて、官僚的乞食行為・乞食犯罪等への流用によって、いささかでも無効としてはならない活用性を率先して確立しなければならない義務を負う立場にあることを先ず認識すべきである。

 それは日本に於いても同じことが言える。NHKが特権階級化した職権の乱用で不正を働いた職員を出しておきながら、他にもムダがあるはずで、そのムダを放置しておいて、中越地震、そして今回のスマトラ沖地震とインド洋津波被害の復興に募金を求めるのはいささか滑稽である。

 それと同様に日本の多くの警察、外務省や大蔵省、社会保険庁、その他たくさんの官庁・役所の役得まがいに私腹する、あるいは飲み・食い・買うの個人的欲望の充足に流用する乞食行為・乞食犯罪を一方で野放しにしておいて税金を空費しておきながら、災害復興に国民の税金を使って、日本はこれだけ出しましたと、その活用を自慢するのは倒錯的に過ぎる。

 国内の災害復興に於いても、復興への活用と乞食行為・乞食犯罪による不活用(全国規模で厳密に洗い出したなら、どれくらいの金額になるだろうか)の多い方から少ない方を差引き計算して導き出せる有効性・無効性を無視した支援は(もしかしたら無効性の方が上回るのではないだろうか)、それが被災国にとって十分な金額であったとしても、自国民に対しては政治家・官僚の乞食行為・乞食犯罪に見る税金誤魔化しを上回る誤魔化しを働くことを意味する。

 もはや飲んで・歌って・踊ってのバブルの時代は遠くに過ぎ去った。いつどんな大規模な災害が突発して、緊急に財政の出動が迫られるか予測しがたい時代に入った。うかうかしてはいられない。税金という国のカネを公私の区別なしに締りなく取扱い、締りなく惰性の勤務状態を続けていたなら、日本が他国から支援を受けても受けなくても、現在でも満足に機能していない行政が半身不随状態に陥り、国自体が政治的・経済的に沈んでしまうこともあり得る。

 どんな災害に襲われても、逞しく復興し得るか否かは、国民の財産である税金の有効活用の習慣・制度を確固不動のものとし、場合としてはあり得る外国からの支援にも生かされて力とすることのできる職務上の機動性の発揮如何にかかってくる。このことは北朝鮮に於ける外国からの人道支援・経済支援に見ることのできる成果を反面教師としなければならない、逆説的可能性でもある。

 となれば、日本に決定的な大規模災害が襲う前に政治家・官僚の乞食行為・乞食犯罪の根絶こそが緊急不可欠の課題となってくる。

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