萩生田光一が言う如くに空自緊急発進機への中国軍機の攻撃動作からのミサイル発射は事実無根か、情報隠蔽か

2016-06-30 12:13:46 | Weblog

 元航空自衛隊航空支援集団司令官の織田邦男元空将(ネット上では退官後「三菱重工業株式会社顧問」となっているが、事実なら三菱重工業と防衛省を結ぶ顔効きのための天下りか)が6月28日、〈インターネットのニュースサイトで、東シナ海上空で中国軍の戦闘機が空自機に対し「攻撃動作を仕掛け、空自機がミサイル攻撃を回避しつつ戦域から離脱した」とする記事を発表した。〉と、6月29日付「産経ニュース」が伝えている。  

 どのようなインターネット・ニュースサイトなのかネットを調べてみると、6月28日付で、《東シナ海で一触即発の危機、ついに中国が軍事行動》と題して「Japan Business Press」に載せている。 

 記事は6月9日に中国海軍艦艇が尖閣諸島周辺の接続水域に侵入したこと、6日後の6月15日に中国海軍情報収集艦が口永良部周辺の領海を侵犯したこと、そして翌6月16日に同じ中国海軍情報収集艦が沖縄・北大東島の接続水域に侵入したことを伝え、このような海上に於ける挑発的な行動と呼応してなのか、従来は空自のスクランブル機に対して敵対行動を取ったことは一度もなかったが、スクランブル機に対し攻撃動作から入ってミサイル攻撃を仕かけてきたと書いている。

 〈攻撃動作を仕かけられた空自戦闘機は、いったんは防御機動でこれを回避したが、このままではドッグファイト(格闘戦)に巻き込まれ、不測の状態が生起しかねないと判断し、自己防御装置を使用しながら中国軍機によるミサイル攻撃を回避しつつ戦域から離脱したという。〉・・・・・

 「ミサイル攻撃を回避しつつ」と書いているのだから、明らかにミサイル攻撃を仕掛けられたが、中国側が最初から狙いを外していたのかどうか分からないが、いずれにしても空自機は命中を避けてミサイル射程外に逃れたということになる。

 と言うことは、中国軍機はそれ以上追尾してこなかった。

 まさかミサイル発射用のレーダーの照射を受けた(=「攻撃動作」を受けた)だけのことで、その照射回避を照射の次の段階としての「ミサイル攻撃を回避しつつ」と表現しているわけではあるまい。

 そうであるなら、日本の元軍人・現軍人の頭を疑うことになる。

 実際に中国軍機がミサイルを発射したことは記事題名も「ついに中国が軍事行動」となっているし、次の言葉も証明することになる。

 〈筆者は戦闘機操縦者だったので、その深刻さはよく分かる。まさに間一髪だったと言えよう。冷戦期にもなかった対象国戦闘機による攻撃行動であり、空自創設以来初めての、実戦によるドッグファイトであった。〉――

 〈冷戦期にもなかった対象国戦闘機による攻撃行動〉、〈実戦によるドッグファイト〉という言葉は明らかにミサイル発射を示している。

 この記事を引用したマスコミ記事は「攻撃動作」のことをロックオンという言葉で説明している。ロックオンとはミサイルや機銃の照準のためにレーダーなどで捕捉・追尾することを言う。

 アメリカの空中戦を取り入れた映画で確か記憶しているところによると、操縦士が敵機を操縦席のモニター画面で発見すると、位置を確認してレーダーを照射し、機影に赤い点がつくと、「ロックオン」と呟き、同時に操縦席脇の右手で握ったままでいたレバーの先端の赤いボタンを親指で押すと、ミサイルが発射されて敵機をどこまでも追尾し、最後には命中して撃墜に成功するといった場面に出会う。

 ドッグファイト(格闘戦)とは、 犬がケンカする際に互いに相手のしっぽを追いかける様子に似ていることからきた言葉で、相互に敵機の背後に回って相手のミサイルや搭載機銃の攻撃を避けつつ、こちら側のミサイル発射や機銃掃射を有利に運ぶ空中戦法のことらしい。

 中国軍機が空自のスクランブル機に対してミサイルを発射して攻撃を仕掛けてきた。これは重大事態であって、国際問題化しかねない。だが、政府からは如何なる発表もなかった。

 安倍晋三の腰巾着副官房長官の萩生田光一に言わせると、事実無根だからである。事実無根の出来事を公表できるわけはない。

 6月29日付の「NHK NEWS WEB」記事。
  
 萩生田光一は6月29日午前の記者会見で今月6月17日に中国軍用機に対して空自機がスクランブル(緊急発進)をかけた事実は認めたという。

 萩生田光一「攻撃動作をかけられたとか、ミサイル攻撃を受けたという事実はない。上空で、中国機との、ある意味では近距離でのやり取りは、当然あったと思う。政府としては、わが国の領土、領海、領空を、断固として守る観点から、引き続き、わが国周辺海空域での警戒監視活動に万全を期すとともに、国際法、自衛隊法に従い、厳正な対領空侵犯措置を実施していきたい。

 (織田邦男元空将の記事について)国際社会に与える影響も極めて大きく、個人的には遺憾だと思っている。今回のことは特別な行動ではないと判断している」・・・・・

 スクランブルが領空侵犯機に対するものだとばかり思っていたら、領空を越えた公海上空に設定する防空識別圏に侵入した国籍不明機に対しても領空侵犯を未然に防ぐ目的から行われるという。今回のスクランブルがどちらに対して行こなわれたか記事からでは分からないが、どちらであっても、「今回のことは特別な行動ではないと判断している」と言っている。

 織田元空将の記事にも書いてあるが、約3週間前の6月9日午後9時50分頃にロシア海軍の駆逐艦等3隻が尖閣諸島周辺の日本領海外側の接続水域を航行し、続いて3時間後の午前0時50分頃、中国海軍のフリゲート艦が同じ接続水域の別の場所に入り、2時間20分に亘って航行、午前3時10分頃、接続水域から出るという行動を取ったばかりである。

 この行動に対して6月9日夜開催した国家安全保障会議(NSC)の関係閣僚会合で自衛隊制服組トップが次のように発言している。

 河野克俊統合幕僚長(中国艦船が今後、領海に入った場合の対応について)「そういう事態にならないようにしたい。万が一そうなった場合は、それ相応の対応はする」(日経電子版

 誰もが接続水域航行から領海内航行という領海侵入を次の事態として想定したから、記者が質問し、幕僚長自身も同じ事態を想定していたから、「万が一そうなった場合は、それ相応の対応はする」と答えたはずである。

 ところが1週間後の6月15日未明、中国海軍の情報収集艦1隻が鹿児島県口永良部島の沖合で日本の領海を侵入した。この侵入に対してマスコミは軍事的な選択肢として自衛隊への「海上警備行動」の発令も想定される事態だったが、各国の軍艦は一般の船舶と同じように沿岸国の安全を害さなければ、領海を通過できる「無害通航権」が国際法で認められていることから、特に危険性はないと見て見送ったということで、海上自衛隊P3C哨戒機が上空から確認し、領海を出るまでの約1時間半、単に上空から監視しただけで領海内の航行を許した。

 だが、このことは中国が自国領海内を他国の軍艦が無害通航する際には事前許可を求めているということと矛盾するし、中国公船が尖閣沖周辺の日本領海を繰返し侵入していることと重ね合わせると、主役を公船から軍艦へ段階的にバトンタッチする手始めと考えられないことはないことから、単に無害通航で片付けるのは単純過ぎるように思える。

 バトンタッチは中国が領有権を主張する尖閣諸島の周辺領海内航行を既成事実化させた公船の事例を一歩進めて、「無害通航権」を口実とした中国軍艦の航行の既成事実化の事例を目的とし、そのことを以って中国領有の証明とする意図を持たせていないはずはない。

 どうも中国は自分たちがどう出たら、日本はどう反応するか、小出しにじわじわと探る神経戦を仕掛けているようだ。公船の領海侵入に対して日本政府は警告を発する以外、これといった手段は何も取らない。次に中国海軍艦艇の接続水域航行。海上自衛隊護衛艦が確認し、警戒監視しただけで、日本政府はそれ以外の手段を何も取らない。

 そして中国海軍の情報収集艦の日本領海侵入に対しても「無害通航権」を考慮して、海上自衛隊P3C哨戒機が上空から監視したのみ。

 こういった東シナ海に於ける中国の出方の全体を考えると、空自がスクランブルかけた中国軍機が「攻撃動作」を仕掛けた上、ミサイルを発射して攻撃したと言っていることが例え事実無根であったとしても、あるいは中国軍機の侵入が日本の領空内であっても、防衛識別圏内であっても、その一つ一つの目的を細心の注意で探らなければならないはずだが、萩生田光一は「今回のことは特別な行動ではないと判断している」とさも大したことのない一般的事例であるかのように言っていること自体が矛盾することになる。

 このように領空・領海内侵入という一般化できないことを一般化し、侵入という重大事態を重大事態ではないと思い込ませようとしているところに胡散臭さ――情報隠蔽を嗅ぎ取らざるを得ない。

 織田元空将は中国軍機にスクランブルを掛けた空自機が逆に攻撃動作を仕掛けられてミサイル攻撃を受けたという情報は自衛隊に在籍していた当時のツテで防衛省内か航空自衛隊内から得ていなければならない。

 と言うことは、確たる情報源があっての二次情報の提供と言うことができる。

 それが証拠に6月29日付早朝の「産経ニュース」は、〈防衛省幹部は産経新聞の取材に対し、大筋で事実関係を認めたが、「実際にどこまで中国機が空自機に迫ったかが問題だ」と指摘した。〉と書いているし、6月28日付深夜の「47NEWS」記事は、〈防衛省幹部は、共同通信の取材に大筋で事実関係を認めた。〉と書いている。    

 だが、萩生田は事実無根だとしている。「国際社会に与える影響も極めて大きい」と批判までしている。

 ここで思い出すのは2013年1月19日に海上自衛隊護衛艦搭載飛行中のヘリコプターが敵艦から発射したミサイルや大砲等を標的に誘導する、一般的には攻撃目的の射撃管制レーダーの照射を中国海軍艦艇から今回と同じように受けていた事実である。

 いわば「攻撃動作」(ロックオン)を受けた。それをヘリコプター搭載の電波探知装置(ESM)が感知した。

 ヘリは回避行動を取って、レーダーから逃れた。

 ヘリがスクランブル機に変わっただけで、「攻撃動作」という点では何も変わっていない。

 そしてヘリが「攻撃動作」を受けてから11日経過した2013年1月30日、今度は自衛隊の護衛艦が中国艦艇から再びレーダーの照射を用いた「攻撃動作」を受けた。

 このことを小野寺防衛相が安倍晋三の了解を得て公表したのは1月30日から6日経過した2013年2月5日夜である。

 最初の「攻撃動作」からすると、2週間経過している。

 公表までの日数の経過から見て、安倍晋三は1度のことであったなら、公表せず、情報隠蔽を図ったに違いない。

 だが、2度まで同じ「攻撃動作」を受けた。これが3度4度と重なると、防衛省内や、特に現場を担う自衛隊内から政府対応の生ぬるさを批判する声が漏れないとも限らない。

 それで仕方なく公表した。公表したことが幸いして、世界の世論を対中国批判に向けることができたが、中国はレーダーの照射自体を否定した。

 だが、今回は日本側がレーダーの照射=「攻撃動作」自体を事実無根だとしている。

 織田元空将は記事で、《外交手段を取らない日本政府》という小見出しで次のように日本政府を批判している。

 〈今回の事例は極めて深刻な状況である。当然、政府にも報告されている。

 だが、地上ではその深刻さが理解しづらいせいか、特段の外交的対応もなされていないようだ。だからニュースにもなっていない。問題は、こういった危険な挑発行動が単発的、偶発的に起こったわけでなく、現在も続いていることだ。

 これら上空での状況は、海上での中国海軍艦艇の動きとは比較にならないくらい大変危険な状況である。政府は深刻に受け止め、政治、外交、軍事を含めあらゆる観点からの中国サイドに行動の自制を求めるべきである。

 しかしながら、参議院選挙も影響してか、その動きは極めて鈍い。〉・・・・・・・

 織田元空将は記事を書くことで政府対応の生ぬるさを告発すべく二次情報を用いて情報漏洩、あるいは内部告発の役目を担ったように見える。

 織田元空将の記事と記事に対する萩生田の発言からは萩生田光一自身が事実を隠蔽しているとしか見えない。事実が表に現れると、安倍晋三の口先ばかりで毅然とした対応を取ることのできない手ぬるい対中姿勢が批判の矢面に立たされることからの企みに見える。

 安倍晋三は何を恐れているのだろう。事態を公表して、万が一自衛隊と中国軍との間に不測の事態が発生して衝突し、それがエスカレートした場合に国民に与える不安を頭に入れていたのだろうか。せめて参院選前のゴタゴタは回避したいと。

 このことは安全保障関連法が3月29日に施行されていながら、南スーダンに派遣する自衛隊PKO部隊の安全保障関連法に基づく「駆け付け警護」等の新任務を万が一の事態発生を恐れて、参院選後の、それも12月以降に回したところにもゴタゴタを回避したい思いの一端を窺うことができる。

 こういったことのために事を穏便に済まそうとして、情報隠蔽を謀った?

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自衛隊違憲:共産党の言うことが正しい 自衛隊法によって市民権を得ているに過ぎない

2016-06-28 10:40:48 | 政治

 6月26日日曜日NHK「参院選特集 政策を問う」で共産党の藤野保史政策委員長が「軍事費が初めて戦後5兆円超えたけど、人を殺すための予算ではなくて、人を支えて、育てる予算をこれを優先していくべきだ」といった発言をした(後の取り消している)。

 「人を殺すための予算」という発言に他党から、「取り消せ」、「訂正した方がいい」といった発言があった。

 この後、憲法改正問題が取り上げられた。

 稲田朋美「憲法改正について、決して逃げているわけではありません。公約の中にも憲法改正については、提言をしています。

 しかしですね、やっぱりしっかり考えが示して貰わないと、憲法議論が私は深まらないと思うんですね。例えば(野党が憲法改正に必要な)3分の2阻止っておっしゃてるんですが、日本は主権国家なんですね。

 主権国家として必要があれば憲法を改正をする。その3分の2です。それを阻止する、憲法改正自体がいけないって言うのは日本は主権国家をやめる?

 あの、日本列島は日本人のものだけじゃないと言われた鳩山総理がいらっしゃいましたけども、3分の2阻止っていうのは違って、ただしっかりとですね、私は考えを示して頂きたいと思います。

 今9条の話がありました。それについても、レッテルを貼られて批判するのは違うと思いますし、例えば民進党の枝野幹事長ですね、2013年に憲法改正草案を出されて、9条についても自衛権の明記、それから必要最小限度の自衛権の行使ということを言われています。

 そういう方と、民進党の中でも憲法改正論者、集団的自衛権を認めていくべきだという方々がいらっしゃるわけですから、しっかりと具体案を出される、3分の2阻止というのはあまりにも違う。

 さらに言うと、自衛隊、憲法違反なんですでは、そして防衛費は人を殺す予算なんでしょ。そんなこと言っている党と一緒に選挙やって、選挙後どうされるつもりなんでしょうか?私はおかしいと思いますよ」――

 我田引水、ここに極まれりの詭弁を言葉巧みに駆使して、野党支持者にまで自らの憲法改正を正当化しようと策している。

 何も憲法改正という政治行為そのものを阻止するために3分の2阻止を言っているわけではない。安倍自民党憲法改正が国家主義に彩られていて危険と見ているから、改正発議に必要な3分の2の議席を阻止しようと言っているに過ぎない。野党の出方こそが極めて主権国家に則った政治行為と言える。

 例えば現日本国憲法と自民党憲法改正案の「第3章 国民の権利及び義務」の中の第12条の違いを見てみる。

 現憲法「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」

 自民党憲法改正案「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」

 この二つの条文の違いはどこにあるのか。

 前者が「自由及び権利」の行使を公共の福祉を目的とした利用責任を求めているのみだが、後者は「常に公益及び公の秩序に反してはならない」と禁止規定を設けている。

 問題は日本国憲法の「公共の福祉」と、自民党憲法改正案の「公益及び公の秩序」は誰が決めるのかということである。

 前者は自らの責任行為とされているのだから、個人(=国民)の判断に任されていることになる。判断主体は個人(=国民)であるが、「公共の福祉」を踏み外せば、勿論一般法で罰せられることになる。

 後者は個人個人の責任行為ではなく、「常に公益及び公の秩序に反してはならない」と、「公益」と「公の秩序」という枠を設けて、その範囲内の「自由及び権利」となっている。

 但し「公益」と「公の秩序」が個人個人のそれぞれに共通した行為の積み重ねが個人相互の利益の形を取ることで社会的慣習として形成されることになる「公益」と「公の秩序」であるなら問題はないが、そういう形を取らずに戦前のように個人相互の利益とは離れて国家の利益が強制して社会的慣習とする「公益」と「公の秩序」であるなら、問題ないとすることはできない。

 いわば国家権力が決めることもできる「公益」と「公の秩序」だということであって、自民党憲法改正草案にはそういった「自由及び権利」を否定しかねない危険性を孕んでいる。

 例えば現在選択的夫婦別姓は法律で認めていられないから、夫婦別姓を望む男女は別姓で婚姻届ができないために事実婚を選ばなければならない。そういった男女が増えた場合、伝統的家族制度を望む国家権力が「公益に反する」、あるいは「公の秩序を乱す」「自由及び権利」の濫用だとして事実婚を禁じることもできることになる。

 野党はこういった国家主義的危険性を嗅ぎ取って3分の2阻止を手段とした安倍自民党憲法改正阻止を目的としているのであって、「憲法改正自体がいけない」と言っているわけでもないし、稲田朋美の言う「主権国家」云々とは関係しない。

 稲田朋美がここでも発言しているように参院選1人区で野党が共闘していることについて安倍晋三や自民党議員は特に野党第一党の民進党が自衛隊を違憲とする共産党と共闘していることに批判を集中しているが、自衛隊合憲の根拠はどこに置いているのだろうか。

 安倍内閣、そして自民党は安倍晋三が進めた憲法解釈による集団的自衛権行使容認の根拠として1959年12月16日の砂川事件最高裁判決を挙げているが、この裁判は安保条約に基づく米軍の戦力が日本国憲法の9条2項が禁止している戦力に当たるかどうかを論点に駐留米軍の合憲性について争ったもので、戦力に当たらないと規定、米軍の日本駐留を合憲と判断した判決であって、集団的自衛権まで認めているわけではない。

 最高裁判決が自衛隊をどう判断しているか関係する個所も見てみる。
 
 〈憲法9条の趣旨に即して同条2項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。

 従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうも のであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。〉・・・・・・

 要するに「9条2項が自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否か別として」と、その判断は下さずに、「わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力」は9条2項が禁止している戦力に当たり、憲法違反となるとしている。

 例え自衛のための戦力であろうとなかろうと、如何なる戦力もその戦力を保持している国家が主体となってこれに指揮権、管理権を行使するのが一般的である。

 自衛隊は「わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使」しない戦力だとでも言うのだろうか。

 であるなら、自衛隊の最高指揮官に日本の内閣総理大臣を置くことは矛盾することになる。

 日本に駐留する米軍は「わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力」ではないゆえに9条2項が禁止している戦力に当たらないとする認識と考え合わせると、自衛隊は否が応でも9条2項が禁止している戦力ということになって、違憲の存在ということになる。

 共産党が言っていることは間違っていない。

 自衛隊は憲法とは無関係に1950年の朝鮮戦争勃発時にGHQ指令に基づくポツダム政令によって編成された警察予備隊を出発点として、自衛隊法によって組織を拡大していき、現在の自衛隊へと成長した。いわば市民権を得ているに過ぎない。

 集団的自衛権に関しては、〈平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、(サンフランシスコ)平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。それ故、右安全保障条約は、その内容において、主権国としてのわが国の平和と安全、ひいてはわが国存立の基礎に極めて重大な関係を有するものというべきである が、また、その成立に当っては、時の内閣は憲法の条章に基き、米国と数次に亘る交渉の末、わが国の重大政策として適式に締結し、その後、それが憲法に適合するか否かの討議をも含めて衆参両院において慎重に審議せられた上、適法妥当なものとして国会の承認を経たものであることも公知の事実である。〉・・・・・

 要するに「(サンフランシスコ)平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認」していることを以って日米安全保障条約を締結する権利が否定されていないことと、「国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認している」ことに基づいて軍備を有しない日本が代替措置として米国が日本国内にその軍隊を配備する権利は否定されていないということを述べているのであって、一般論的には個別的および集団的自衛権は主権国家の固有の権利ではあっても、日本国憲法がその行使を容認しているとの意味で言及しているわけではない。

  「個別的および集団的自衛権」について触れているのはこの一個所のみで、あとはどこを探しても見つからない。

 この国家間の安全保障に於ける一般論を安倍晋三もはどこをどう解釈したのか、2015年6月26日の「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する衆議院特別委員」で日本国憲法が認めている憲法内の一般論へと巧妙にすり替えている。

 勿論、初めてではない。他の日の答弁でも触れている。

 安倍晋三「平和安全法制について、憲法との関係では、昭和47年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理は変わっていないわけであります。これは、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものであります。

 そこで、砂川判決とは何かということであります。この砂川判決とは、『我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることは国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならない』、つまり、明確に、必要な自衛の措置、自衛権について、これは合憲であるということを認めた、いわば憲法の番人としての最高裁の判断であります」

 だが、憲法学者の大多数が安倍晋三の砂川最高裁判決集団的自衛権日本国憲法合憲論を認めていない。

 砂川最高裁判決を当たり前に読み、当たり前に解釈したなら、どこを探そうと合憲論は出てこない。

 出てこないものを出てくるかのように解釈して合憲とする、この国家権力の危険性は計り知れない。3分の2阻止は当然なことである。

 国家主義を出発点とした憲法改正と国民主義を出発点とする憲法改正とは自ずと大きな違いがあることに留意しなければならない。

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安倍晋三自身は英国の対EU離脱を世界経済のリスクとして想定していなかったのではないか

2016-06-27 10:14:36 | Weblog

 5月27日(2016年)外務省公表の「G7伊勢志摩首脳宣言」は伊勢志摩首脳会議(G7)で討議されたイギリスがEUから離脱した場合の世界経済に与える影響について述べている。   

 〈世界経済の回復は続いているが,成長は引き続き緩やかでばらつきがあり,また,前回の会合以降,世界経済の見通しに対する下方リスクが高まってきている。近年,世界的な貿易のパフォーマンスは,期待外れの状況にある。弱い需要及び未対応の構造的な問題が,実際の及び潜在的な成長に負荷を与えている主な要因である。非経済的な由来による潜在的なショックが存在する。

 英国のEU からの離脱は,より大きな国際貿易及び投資に向けた傾向並びにこれらが生み出す雇用を反転することになり,成長に向けた更なる深刻なリスクである。

 悪化した地政学的な紛争,テロ及び難民の動きは,世界の経済環境を複雑にする要因である。我々は,新たな危機に陥ることを回避するため,経済の強じん性を強化してきているところ,この目的のため,適時に全ての政策対応を行うことにより,現在の経済状況に対応するための努力を強化することにコミットする。〉――

 触れているのは1行に過ぎないが、離脱の可能性と可能性が現実化した場合のリスクの深刻さに触れている。

 但し前者はイギリス国民が決めることであり、イギリス国民が離脱を決めた場合の考え得る世界経済規模のリスク対処はḠ7各国首脳が決めることになる。

 「イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票」は6月23日(2016年)に実施され、即日開票の結果、離脱派が約52%、残留派が約48%となり、離脱が決定した。

 6月26日日曜日NHK「参院選特集 政策を問う」

 中川緑アナウンサーがイギリスのEU離脱を受けて日本の株が急激に値下がりし、円が急騰したことを説明した。

 太田真嗣司会者「今回のイギリスのEU離脱をどう捉えるか。そのうえで日本としてどのような対策を、あるいは政策をどう進めていくのか」

 稲田朋美「今回のEU離脱、まさしく伊勢志摩サミットG7で総理が提言されで最終合意に至った、まあ、このEU離脱による世界経済の成長を阻害するリスクということが現実化したと思います。

 投機的な激しい円高、株価の下落等々ですね、しっかりと見極めた上で、総理も閣僚会議を開かれて、指示をされておりますけれども、必要とあれば政府は躊躇なく大胆な政策を、対策をしていくべきだと思っておりますし、党として緊急特別本部を私を本部長として立ち上げました。

 政府と連絡しつつ、今回の事態が日本経済に与える影響をしっかりと見極め、必要があれば、対策を打っていくべきだと思っています」

 安倍晋三と同類、国家主義者稲田朋美は言っている。安倍晋三が伊勢志摩サミットで提言して最終合意に至ったイギリスのEUからの離脱の可能性と離脱した場合は世界経済の成長を阻害するリスクとなり得るとしたことが現実化したと。

 と言うことは、「G7伊勢志摩首脳宣言」に書いてある〈英国のEU からの離脱は,より大きな国際貿易及び投資に向けた傾向並びにこれらが生み出す雇用を反転することになり,成長に向けた更なる深刻なリスクである。〉としている懸念は安倍晋三が提言して最終合意に至った文言ということになる。

 そもそもの提言は本家本元のイギリスからではなかったということである。

 安倍晋三は至って先見の明があったことになる。

 つまり安倍晋三はイギリス国民が国民投票でEUからの離脱を選択する可能性とその可能性が現実化した場合の世界経済に与えるリスクを頭に入れていて、世界経済の下振れリスク要因の一つになると想定していた。

 当然、このことは安倍晋三が日本と世界の経済の成長について言及するとき、「EU離脱」は重要なキーワードの一つとして占めることになる。

 安倍晋三は伊勢志摩首脳国会議(G7)後に議長国としての「記者会見」(首相官邸/2016年5月27日)を開いている。

 安倍晋三「今世紀に入り、世界経済を牽引してきたのは、成長の活力あふれる新興国経済です。リーマンショックによる経済危機が世界を覆っていた時も、景気回復をリードしたのは、堅調な新興国の成長。いわば、世界経済の『機関車』でありました。しかし、その新興国経済が、この1年程で、急速に減速している現実があります。

 原油を始め、鉄などの素材、農産品も含めた商品価格が、1年余りで、5割以上、下落しました。これは、リーマンショック時の下落幅に匹敵し、資源国を始め、農業や素材産業に依存している新興国の経済に、大きな打撃を与えています。

 成長の糧である投資も、減少しています。昨年、新興国における投資の伸び率は、リーマンショックの時よりも低い水準にまで落ち込みました。新興国への資金流入がマイナスとなったのも、リーマンショック後、初めての出来事であります。

 さらに、中国における過剰設備や不良債権の拡大など、新興国では構造的な課題への「対応の遅れ」が指摘されており、状況の更なる悪化も懸念されています。

 こうした事情を背景に、世界経済の成長率は昨年、リーマンショック以来、最低を記録しました。今年の見通しも、どんどん下方修正されています。

 先進国経済は、ここ数年、慢性的な需要不足によって、デフレ圧力に苦しんできましたが、これに、新興国の経済の減速が重なったことで、世界的に需要が、大きく低迷しています。

 最も懸念されることは、世界経済の『収縮』であります。

 世界の貿易額は、2014年後半から下落に転じ、20%近く減少。リーマンショック以来の落ち込みです。中国の輸入額は、昨年14%減りましたが、今年に入っても、更に12%減少しており、世界的な需要の低迷が長期化するリスクをはらんでいます。

 現状をただ『悲観』していても、問題は解決しません。私が議長として、今回のサミットで、最も時間を割いて経済問題を議論したのは、『悲観』するためではありません。

 しかし、私たちは、今そこにある『リスク』を客観的に正しく認識しなければならない。リスクの認識を共有しなければ、共に力を合わせて問題を解決することはできません。

 ここで、もし対応を誤れば、世界経済が、通常の景気循環を超えて『危機』に陥る、大きなリスクに直面している。私たちG7は、その認識を共有し、強い危機感を共有しました」――

 世界経済の下振れリスク要因として新興国経済の減速と中国経済の減速を挙げているのみで、イギリスのEUからの離脱か残留かを問う国民投票についても、離脱を選択した場合の世界経済への悪影響についても一言も触れていない。

 とすると、「私たちは、今そこにある『リスク』を客観的に正しく認識しなければならない」と言っているものの、客観的に認識していたのは新興国経済の減速と中国経済の減速のみで、イギリスの対EU離脱の可能性と可能性が現実化した場合の世界経済に与えるリスクは客観的に認識していなかったことになる。

 認識していたなら、当然言及していたはずだ。

 6月1日(2016年)の通常国会閉幕に合わせて開いた「記者会見」でも、宣言した消費税増税の再延期の理由として伊勢志摩サミットで合意したとしている世界経済の減速を挙げている。

 安倍晋三「世界経済は、この1年余りの間に想像を超えるスピードで変化し、不透明感を増しています。

 最大の懸念は、中国など新興国経済に『陰り』が見えることです。リーマンショックの時に匹敵するレベルで原油などの商品価格が下落し、さらに、投資が落ち込んだことで、新興国や途上国の経済が大きく傷ついています。

 これは、世界経済が『成長のエンジン』を失いかねないということであり、世界的な需要の低迷、成長の減速が懸念されます。

 世界の経済の専門家が今、警鐘を鳴らしているのは、正にこの点であります。

 これまで7回にわたって国際金融経済分析会合を開催し、ノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツ教授やクルーグマン教授を始め、米国や欧州、アジアの経済の専門家から直接意見を伺ってまいりました。

 その専門家の多くが、世界的な需要の低迷によって、今年、そして来年と、更る景気悪化を見込んでいます。

 こうした世界経済が直面するリスクについて、G7のリーダーたちと伊勢志摩サミットで率直に話し合いました。その結果、『新たに危機に陥ることを回避するため』、『適時に全ての政策対応を行う』ことで合意し、首脳宣言に明記されました。

 私たちが現在直面しているリスクは、リーマンショックのような金融不安とは全く異なります。しかし、私たちは、あの経験から学ばなければなりません。

2009年、世界経済はマイナス成長となりましたが、その前年の2008年時点では、IMFも4%近いプラス成長を予測するなど、そのリスクは十分には認識されていませんでした。直前まで認識することが難しい、プラス4%の成長予測が一気にマイナス成長になってしまう。これが、『リスク』が現実のものとなった時の「危機」の恐ろしさです。

私は、世界経済の将来を決して『悲観』しているわけではありません。

 しかし、『リスク』には備えなければならない。今そこにある『リスク』を正しく認識し、『危機』に陥ることを回避するため、しっかりと手を打つべきだと考えます」――

 議長国記者会見と同じで、世界経済の下振れリスクとして挙げているのは新興国経済の減速と中国経済の減速のみである。

 「『リスク』には備えなければならない。今そこにある『リスク』を正しく認識し、『危機』に陥ることを回避するため、しっかりと手を打つべきだと考えます」と立派なことを言っているが、安倍晋三の以上見てきた発言からはイギリス国民がEUからの離脱を選択する可能性の認識にしても、選択した場合の世界経済に与えるリスクについての認識にしても、共に自らのものとしていたとは到底思えない。

 このことを事実とすると(発言から逆の事実は考えられないが)、稲田朋美が「今回のEU離脱、まさしく伊勢志摩サミットG7で総理が提言されで最終合意に至った、まあ、このEU離脱による世界経済の成長を阻害するリスクということが現実化したと思います」と言っている安倍晋三の「提言」を経た「最終合意」は事実に反しているばかりか、事実に反していることを平気でこのように言う理由は、身内目線に立って一国のリーダーとしての地位にふさわしい先見の明がある人物であることをウリにするためとしか思えない。

 日本のマスコミはイギリス国民が離脱を選択した場合の世界経済のリスクを色々と想定して報道していたが、安倍晋三は、G7各国政府にしても、国民投票の結果が離脱と出ることは想定していなかったようだ。

 つまり安倍晋三にしても、「今そこにある『リスク』を正しく認識」していなかった。

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高知東生覚醒剤逮捕:介護を自己存在証明の手立てとすることと俳優を自己存在証明の手立てとすることの違い

2016-06-26 10:18:32 | Weblog
 

 高知東生(たかち・のぼる 51歳)が覚せい剤取締法違反と大麻取締法違反(所持)の疑いで逮捕された。元俳優と書いてある肩書に、いつ俳優業を引退したのか知らなかったから、驚いた。

 尤も気に入りの俳優ではない。理由は私自身の感覚だが、顔の表情から軽薄な感じがどうしても見えてしまう。

 ついでに言うと、同じ年齢の妻である高島礼子も気に入りとは言えない。まあ、彼女を気に入っているフアンがゴマンといるだろうから、少しぐらいの不満分子の存在など、どうってことはないはずだ。

 確かに美人である。だが、平板な感じがして、年齢相応の深みを感じさせない。テレビドラマで喋るセリフは脚本家が書いた通りを喋るのだろうが、それでも役柄となっている一個の女性をそこに存在たらしめる以上、言葉そのものに、あるいは感情がつくり出す表情に起伏や陰影といった変化を感じさせていいはずだが、ストレートで希薄な存在感しか感じることができない。

 勿論、既に述べたように逆の存在感を感じるファンはゴマンといるはずだ。だから、主演作も多いということなのだろう。

 高知東生逮捕で一番驚いたのは彼が俳優業を引退した理由である。マスコミが伝えている情報によると、昨年12月公開の映画「W~二つの顔を持つ女たち~」を最後に昨年6月、芸能界を引退。

 妻である高島礼子の父親が10年以上もパーキンソン病に患っていて、その自宅介護のためだそうだ。

 自分の父親でもない義父の介護のために俳優業を引退する。ちょっと考えられない並大抵ではない身の振り方である。

 映画「W~二つの顔を持つ女たち~」の荒筋をネットで調べると、昼間はそれぞれの職業を持って生活している若い女性たちが夜はガールズバー「W Lounge」で働いているという体を装って探偵事務所を職業とし、女性の敵と戦うというストーリーらしい。

 高知東生はテレビ番組「必殺シリーズ」の中村主水のような探偵事務所を取り仕切るボス役なのか、あるいは悪役の方なのか、そこまでは書いてなかった。

 ネットで高知東生のことを調べている内に元アナウンサーで現在テレビのワイドショーでリポーターとかを務めている武藤まき子女史の高知東生の介護について書いた「高知東生くん、気張らんでね 介護は、ひとりで全ては無理」ZAKZAK/2015.07.08)なる記事に出会った。   

 その中で武藤まき子女史は自身の母親の介護について書いている。入退院を繰返しながらの自宅介護と介護付きの病院に入院させてからの介護。

 但し日々の介護に携わっていたのは彼女の姉と妹であって、女史自身はテレビ業界に仕事を持っていたために月2回自宅や病院に駆けつけて介護につく。

 こう書いている。

 〈月に2度は、妹たちにもゆっくりしてもらおうと母の元へ。私にできることは私なりにやってきたが、姉妹の間で感情的にぶつかり合うことも度々。そんな中、母より先に死にたいと言っていた父は、小康状態の母を残して逝った。

 それから4年、介護付きの病院に入り、表情も口数も笑うことすら忘れた母は、月2回訪れる私に「あなたは仕事をしなさい。ここに来る時間がもったいない。母さんは大丈夫だから」と言葉をくれた。〉――

 「姉妹の間で感情的にぶつかり合うことも度々」と書いていることは姉と妹が自分たちに介護の苦労を押し付けて、実際の介護の苦労も知らずに自分は月2回の介護で済ませて、それを以て親の介護だとしていることに対する不満からであろう。

 だが、武藤まき子女史は「私にできることは私なりにやってきた」と、子の親に対する介護の務めを曲りなりに果たした自負を見せている。

 その根拠を「月2回訪れる私に『あなたは仕事をしなさい。ここに来る時間がもったいない。母さんは大丈夫だから』と言葉をくれた」ことに置き、それを以て正当性に当てている。

 但し母親の言葉の裏にある自分の二人の娘との葛藤、いわば武藤まき子女史の姉と妹と母親との葛藤がそう言わせていることに気づいていない。

 特に自宅介護はそうなのだが、常に限られた空間と限られた人間関係の中で限られた人間の支配を受けることになる介護の性質上、人間関係が近過ぎ、我慢しなければならないことを知っていながら、どうしても感情のこじれが生じやすくなる。お互いが生じさせては反省して、お互いが許し合おうとするが、そうしようとしたことも忘れて、また感情のこじれを生じさせる。その繰返しが介護に付き纏い、ときにはしこりとなって残り、しこりが感情をこじらせる火種となってわだかまることになる。
 
 そのような感情の反復が忍耐の限界を超えると、介護そのものに嫌気が差し、介護している相手が親であっても、親に嫌気が差し、介護に縛られている自分にも嫌気が差して厭世気分に取り憑かれて、介護殺人とか介護心中とかが起きることになるのだろう。

 いわば介護する側にとってそれが例え肉親であっても、自分の思い通りにならないとき、それが相手の我儘に見えて、実際にも我儘その通りの時もあるが、母親が疎い(親しみが持てない。煩わしく思う)存在になる。

 それが高じると、ときには憎悪にまで発展し、「いい加減にしてよっ」と怒鳴りつけたり、言うことを聞かせようと手を上げたりすることになる。

 このような段階で子にとって親は愛憎の対象となり、人間は相手の感情に応じる感情の生き物だから、親は子どもの愛憎の感情を感じ取って、子を愛憎の対象とする感情の悪循環に陥ることになりかねない。

 だが、武藤まき子女史は月2回の訪問だから、母親の方もあれこれ世話を焼いて往々にして疎ましい思いをさせる姉や妹に対するよりも言うことを聞く気持になって介護がしやすくなり、結果として母親に疎い思いをさせる関係からも、母親を疎い思いにする関係からも離れていることができた。そういった思い通りにならない人間関係が生み出す感情のこじれに手を染めずにいられた。

 姉妹と違ってこういった葛藤のなさが武藤まき子女史への素直な愛情となって現れて、「あなたは仕事をしなさい。ここに来る時間がもったいない。母さんは大丈夫だから」と言わしめたはずだ。

 大体が「母さんは大丈夫だから」は姉妹の介護があっての大丈夫なのであって、自分一人では大丈夫ではないのだから、かなり勝手な理屈となるのだが、武藤まき子女史はその背景を考えることができなかったようだ。

 かくこのように介護は難しい。精神的報酬として日々満足感を与えられることは少なく、逆に憎悪を日々の精神的報酬としなければならないこともある。職業上の介護士が少ない給料でも仕事を続けていられるのは、他人という近づき過ぎることはない人間関係を保つことができることも一因であるはずだ。

 満足感を得ることができずに、憎悪をばかりを日々の精神的報酬とすると、精神的に疲労困憊することになる。 
 
 武藤まき子女史は高知東生の俳優から自宅介護への転身について次のように書いている。

 〈俳優、高知東生(50)が義父の介護生活を支えるため、第2の人生を歩くことを決意。実際に直面しても、心は揺れる。介護に疲れ、命を捨てる人が多いのも現実。

 取材で会うたびに見せる優しい笑顔に、高島礼子(50)もいい男を選んだと思っていた。マンションが近く、クリーニング屋さんが同じことを話すと、「えらいこっちゃ、まぁニュースになるようなことはないよ」とおどけたことも。

 私は、本音で向き合う彼の姿に嘘はないと思っている。「嫁さんより、俺のほうが何でもできるんや」。この言葉を思い出す。

 介護だけだと先が見えなくなる。偉そうなことは言えない私だが、ひとりで全ては無理。時には自分の好きなことに時間を忘れることも必要。気張らんでね。〉――

 相当楽観的に見ているが、長年、俳優として一定程度の地位を得て、そのことを高知東生なりに輝かしい自己存在証明の手立てとしてきたはずの人間が、その輝かしい自己存在証明の手立てを俳優を引退することで捨ててまでして、活動自体が地味であるゆえにその輝かしさを失わせ、ときには相手が疎ましい存在になることも、ときには憎悪の対象としかねない、日々の精神的報酬が少ない介護を自己存在証明の手立てとすることが決して生易しいことではない覚悟をした上で俳優を引退し、血が繋がっているならまだしも、血の繋がっていない義父の介護を選択したのだろうか。

 とても信じることのできない転身に見える。今年5月、と言うと、先月になるが、横浜市内にエステサロンをオープンさせたとマスコミは伝えている。

 介護する方が精神的に追いつめられることもある、その息抜きのオープンなのだろうか。

 だとしても、俳優時代の輝かしい自己存在証明に変え得る自己存在証明の手立てとするには一店や二店の経営では追いつかないはずだし、それまで自分なりの輝かしい自己存在証明の手立てとしていた俳優を自分から引退してまで、それを介護に変えたそもそもの奇異な転身を解く鍵とはならない。

 俳優で売れなくなった、あるいは何らかのスキャンダルで芸能界にいられなくなったと言うなら、少しは理解できる。

 「スポニチ」の報道によると、高知東生が逮捕されたのは横浜市のラブホテルで、33歳のクラブホステスと宿泊していたという。その際室内から覚醒剤約4グラム、大麻タバコと乾燥大麻計約2グラム、ストロー、ガラス製の小瓶などが見つかり、ホテルの駐車場に停めたホステスの車からは薬物が入っていたとみられる空のポリ袋が見つかったったと伝えている。   

 要するに二人共々セックスの激しい快感を得る道具として覚醒剤を使用していた。

 ここに誰もが常習性を見るはずだ。

 義父の介護に専念とは架空話で、実際は高島礼子が夫の覚醒剤の常習に気づいて、自身の地位を守るためにも因果を含めて義父の介護を口実に俳優を辞めさせたとしたら、俳優として自己存在証明の手立てとしてきたことを引退することで捨てたという経緯も納得がいくし、架空話だから、俳優の代わりに介護を自己存在証明の手立てとするかのように見せかけた話も十分に納得がいく。

 勿論、事実は今のところ不明である。

 但し介護が、介護を受ける側にしても介護をする側にしても、当事者同士共にそんなに生易しいことではないということは確実に言うことができる。その多くが肉親だから止むを得ないという感情からの選択であって、だから仕事か介護かといった二者択一を迫られることになり(生易しければ、仕事をしながら、その合間に介護はできることになる)、介護離職者を多数作り出すことになる。 

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安倍晋三の沖縄慰霊の日のメッセージには米軍性犯罪を軍属に限る矮小化が見える

2016-06-25 11:42:57 | 政治
 

 1945年3月26日開始の沖縄戦の組織的戦闘が終結した1945年6月23日の71年後の2016年6月23日の沖縄慰霊の日に糸満市摩文仁の平和祈念公園で「平成28年沖縄全戦没者追悼式」が行われ、安倍晋三が日本政府を代表して「挨拶」(首相官邸サイト)を述べた。一部抜粋。  
 
 安倍晋三「71年前、ここ沖縄の地は、凄惨な地上戦の場となりました。20万人もの尊い命が失われ、何の罪もない市井の人々、未来ある子供たちが、無残にも犠牲となりました。沖縄の美しい海や自然、豊かな文化が、容赦なく壊されました。平和の礎に刻まれた方々の無念、残された人々の底知れぬ悲しみ、沖縄が負った癒えることのない深い傷を想うとき、ただただ、頭を垂れるほか、なす術がありません」

 「Wikipedia」に次のような記述がある。

 〈大本営は、1945年(昭和20年)1月に『帝国陸海軍作戦計画大綱』を策定し、「沖縄戦闘は本土戦備のために時間を稼ぐ持久戦である」と戦略を明示した。 沖縄戦における日本軍の作戦は、これをもって「捨て石作戦」と呼ばれている。〉――

 巷間広く伝えられている事実となっている。

 要するに目的は時間稼ぎであって、負ける戦闘であることを前提としていた。そしてその戦闘に沖縄の住民の多くを巻き込んだ。

 その結果の米軍兵士死者12520人に対して日本軍人・軍属死者94136人、この94136人に対して沖縄県民死者が94000人(「沖縄県平和祈念資料館」)という日本軍兵士と匹敵する犠牲数にのぼった。

 文藝春秋2007年4月特別号『小倉庫次侍従日記・昭和天皇戦時下の肉声』(半藤一利解説)の中の沖縄戦終了25日前の日付には次のような下りがある。

 〈昭和20年6月8日(金)前10時より正午迄、御前会議。重要国策に付、審議せらる。

 (半藤一利氏解説)この御前会議で決定された大事なところは次のとおり。「方針=七生尽忠の信念を源力とし、地の利、人の和をもってあくまでも戦争を完遂し、もって国体を護持し、皇土を保護し、征戦の目的の達成を期す・・・」

 即ち徹底抗戦、最後の一兵までの決意である。天皇はこれを裁可した。〉

 「七生尽忠」(しちしょうじんちゅう)とは「七度(ななたび)生まれ変わって天皇と国家に尽くすこと」を意味するが、最初から米国という超大国の巨大な軍隊相手に戦争で勝つ見込みはなかったにも関わらず、日米開戦の1941年12月8日に遡る約3カ月前の1941年8月27・28日開催、内閣総理大臣直轄の「総力戦研究所」が日米が戦争をした場合の勝敗の行く末を国力や戦力を比較した各種データーに基づいて検証した結果、「日本必敗」の結論を出していたことがこのことを証明しているが、その結論を当時の陸軍大臣東条英機が「意外裡の要素」(=計算外の要素)の重要性を持ち出してそれに期待して無視、現実に戦争してみて米軍を相手に、あるいは米国という超大国を相手にもはや戦争を遂行していくだけの能力を、敗色濃かった沖縄戦の現実を見ても、失っていたことを認識していなければならなかったはずだが、なおも天皇と国家は国民に命の犠牲を求めた。

 沖縄戦を時間稼ぎの持久戦と看做して“捨て石”とすることを決めて住民をも戦争に巻き込み、その命を捨て石としたことは、勝てぬ戦争を日本は神国だ、現人神が統治する国だといった精神力を主体としていたに違いない「意外裡の要素(=計算外の要素)」に求めて戦争を起こし、多くの国民を犠牲にしたことと併せて国家の犯罪そのものであろう。

 当然、安倍晋三は戦後の国家権力に関与する者として現在の沖縄県民が戦争の記憶を引き継いでいる以上、戦前の沖縄県民に対して犯した国家犯罪に関わる国家の責任に言及、その過ちを謝罪すべき立場にあるが、沖縄戦を歴史のほんの一コマに纏め上げて、その事実を簡略的に述べるだけにとどめている。

 国家の立場に立って国家の安全保障を考えるのみで、沖縄県民の立場に立っていないからできる安倍晋三の姿勢に他ならない。

 安倍晋三「今般、米軍の関係者による卑劣極まりない凶悪な事件が発生したことに、非常に強い憤りを覚えています。米国に対しては、私から、直接、大統領に、日本国民が強い衝撃を受けていることを伝え、強く抗議するとともに、徹底的な再発防止など、厳正な対応を求めてきました。米国とは、地位協定上の軍属の扱いの見直しを行うことで合意し、現在、米国と詰めの交渉を行っております。国民の命と財産を守る責任を負う、政府として、二度とこうした痛ましい犯罪が起きないよう、対策を早急に講じてまいります」――

 今回の事件に関して、「米国とは、地位協定上の軍属の扱いの見直しを行うことで合意し、現在、米国と詰めの交渉を行っております」としている。

 「日米地位協定 第17条刑事裁判権」は、日本国の領域内で犯す罪で日本国の法令によつて罰することができるものについて、日本側が裁判権を有するが、罰することができないものについては米側が裁判権を有すると第1次裁判権を規定した上で裁判権を行使する権利が競合する場合については次のように規定している。    

 〈3 裁判権を行使する権利が競合する場合には、次の規定が適用される。

 (a) 合衆国の軍当局は、次の罪については、合衆国軍隊の構成員又は軍属に対して裁判権を行使する第一次の権利を有する。

  (i) もつぱら合衆国の財産若しくは安全のみに対する罪又はもつぱら合衆国軍隊の他の構成員若しくは軍属若しくは合衆国軍隊の構成員若しくは軍属の家族の身体若しくは財産のみに対する罪

  (ii) 公務執行中の作為又は不作為から生ずる罪
 
 (b) その他の罪については、日本国の当局が、裁判権を行使する第一次の権利を有する。

 (c) 第一次の権利を有する国は、裁判権を行使しないことに決定したときは、できる限りすみやかに他方の国の当局にその旨を通告しなければならない。第一次の権利を有する国の当局は、他方の国がその権利の放棄を特に重要であると認めた場合において、その他方の国の当局から要請があつたときは、その要請に好意的考慮を払わなければならない。

     ・・・・・・・
 5
 
  (c) 日本国が裁判権を行使すべき合衆国軍隊の構成員又は軍属たる被疑者の拘禁は、その者の身柄が合衆国の手中にあるときは、日本国により公訴が提起されるまでの間、合衆国が引き続き行なうものとする。〉――

 肝心なことは、〈公務執行中の作為又は不作為から生ずる罪〉の第1次裁判権は米軍当局にあるとされていることである。公務中とすれば、すべて米軍当局が第1次裁判権を持つことになる。

 さらに日本当局が裁判権を有していたとしても、米軍当局がその身柄を拘束している場合は日本の裁判所が公訴するまでは米軍当局が引き続き身柄を拘束できるとしていることである。

 日本の警察は取調べができないことになる。

 但し1995年に沖縄県で発生した少女集団暴行事件を受けて、運用面で改善が施された。
   
 「日米地位協定第17条5(c)及び、刑事裁判手続に係る日米合同委員会合意」(外務省) 

 「日米地位協定第17条5(c)」が、〈日本国が裁判権を行使すべき合衆国軍隊の構成員又は軍属たる被疑者の拘禁は、その者の身柄が合衆国の手中にあるときは、日本国により公訴が提起されるまでの間、合衆国が引き続き行うものとする。〉と規定していることに対して――

 〈1.合衆国は、殺人又は強姦という凶悪な犯罪の特定の場合に日本国が行うことがある被疑者の起訴前の拘禁の移転についてのいかなる要請に対しても好意的な考慮を払う。合衆国は、日本国が考慮されるべきと信ずるその他の特定の場合について同国が合同委員会において提示することがある特別の見解を十分に考慮する。

 2.日本国は、同国が1.にいう特定の場合に重大な関心を有するときは、拘禁の移転についての要請を合同委員会において提起する。〉――

 要するに「殺人又は強姦という凶悪な犯罪」であったとしても、「日本国が行うことがある被疑者の起訴前の拘禁の移転」(起訴前に行う警察及び検察の取調べのための拘禁の移転)の要請に対して米軍当局は日米合同委員会で日本側から提起された場合は「好意的な考慮を払う」と取り決めている。

 今回の沖縄女性に対する米軍属の強姦・殺人事件は公務外であったために米軍当局は日本の警察の取調べと裁判権に何も異議を唱えなかった。基地反対闘争に悪影響を及ぼすことを恐れたに違いない。

 翁長沖縄県知事はこの日米地位協定の抜本的改定を求めている。6月23日沖縄慰霊の日の翁長知事の挨拶を見てみる。

 翁長沖縄県知事「日米安全保障体制と日米地位協定の狭間で生活せざるを得ない沖縄県民に、日本国憲法が国民に保障する自由、平等、人権、そして民主主義が等しく保障されているのでしょうか」(沖縄タイムス/2016年6月23日)  

 いわば日本人の「自由、平等、人権、そして民主主義」を保障する内容の日米地位協定の改定を求めている。

 対して安倍晋三は同じ沖縄慰霊の日の挨拶で上記紹介したように次の発言をしている。

 安倍晋三「米国とは、地位協定上の軍属の扱いの見直しを行うことで合意し、現在、米国と詰めの交渉を行っております」

 日米地位協定にしても、地位協定の運用に関わる「日米合同委員会合意」にしても、犯罪構成主体を「合衆国軍隊の構成員又は軍属」としている。だが、安倍晋三は犯罪構成者を「地位協定上の軍属の扱いの見直しを行うことで合意した」と軍属に限っている。

 沖縄に於ける米軍関係者が起こした事件を全部知っているわけではないが、上記1995年の沖縄の少女暴行・殺人事件は12歳の女子小学生を3人共に米軍兵士であった者が拉致し、集団暴行したもので、軍属は含まれていない。2014年の強姦事件も米兵であって、軍属ではないし、その他の強姦事件や殺人事件にしても、その殆んどが米軍兵士となっている。

 今回の事件で軍属がクローズアップされたが、少なくとも安倍晋三が口にした「非常に強い憤り」は今回の事件に限った激しい感情ではなく、なくならずに継続される米軍兵士による凶悪犯罪をも含めた感情の発露でなければならない。

 であるなら、「沖縄慰霊の日」に立ち会っている間は、あるいは日米地位協定に関わる問題に直面している間は今後共米軍兵士の犯罪発生が否定しきれない可能性を常に頭に置いていなければならない。その可能性が否定しきれないからこその「扱いの見直し」であろう。

 だとしたら、実際には米軍将兵と軍属を含めた地位協定の「扱いの見直し」であったとしても、安倍晋三は挨拶の中で犯罪構成主体に兵士を外すことはできなかったはずだが、含めるのは忘れた、あるいは勘違いしていたでは済むはずはなく、今回の強姦・殺人事件を米軍兵士そのものが犯した犯罪ではない、軍隊に直接関係する者の犯罪ではないとする矮小化の意識が働いた見直し対象者からの兵士の除外ということでなければ、除外したことの整合性を得ることはできない。

 今回の事件以外にも過去に軍属が犯罪を犯していたとしても、兵士が圧倒的に多いことからも、除外したことの整合性は軍属の犯罪だとする矮小化以外にを見つけることはできない。

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安倍晋三の「アベノミクス3年半で税収21兆円増えた」は格差拡大とその政策の失敗をカラクリとしている

2016-06-24 11:11:59 | Weblog

 6月21日、日本記者クラブで参院選を控えて9党首討論会が開催された。そこで安倍晋三は長いデフレにあったが、「税収を21兆円増やすことができた」と自身の経済政策の成功を広言した。

 尤もこの手の広言は初めてではない。6月1日の通常国会閉幕に合わせた記者会見でも同じことを広言し、6月19日のNHK「日曜討論」でも同じであった。各テレビ局が選挙前に各党首を呼んで党首討論を行うことを恒例としているから、民放テレビでも同じ広言を繰返しているはずだ。

 日本記者クラブでの発言は産経ニュース【参院選・党首討論会詳報】から拝借させて頂くことにした。  

 志位和夫共産党委員長「安倍さんに質問します。安倍さんはアベノミクスの果実として、民主党政権時代の平成24年度(2012年度)に比べて、税収が21兆円増えたと。消費税増税分を除いても13兆円増えたと主張し、『あの4年前の暗い時代に後戻りさせていいのか』と繰り返している。

 私たちも当時の民主党政権には批判を持っているが、安倍さんが比較の対象に持ち出す2012年度というのは、2008年のリーマン・ショックによる税収減と、2011年の東日本大震災による税収減という二重の打撃を受けていた時期です。

 あのトヨタでさえ、法人税を1円も納めていなかった時期です。そうした巨大な外的要因をまったく考慮せず、数字だけを比較するというやり方がフェアな政策論争といえるでしょうか。この選挙戦での政策論争を実りあるものとするためにも、このような手法は慎むべきではないかと考えるが如何か」
 
 安倍首相「先程申し上げましたように、成果、結果が大事なんです。確かに、リーマン・ショック、東日本大震災があった。だからこそ、リーマン・ショックに対して、麻生太郎政権で大型の補正予算を組んだ。その成果は出ている。

 そして私たちが増やした21兆円。これは皆さん、リーマン・ショック以前よりも増えているんです。つまり、あのデフレが始まった平成9年段階に我々は戻すことができたと言っていいと思います。先程申し上げた国民総所得を取り戻す。これは民主党政権時代からではありません。いわばデフレで失った50兆円を私たちはたった3年間でその多くを取り戻している。

 20年間で失ったものをいま私たちは3年間で取り戻しているんです。中小企業の倒産件数は3割減少した。正規の職員、正社員は26万人増えた。これは8年ぶりだ。しかも、労働生産人口が300万人減る中で増やしている。これはどうかご理解いただきたい。

 我々は3党合意のもとに、消費税率を5%から8%へ引き上げた。しかし、残念ながら、我々の予想以上に冷え込んだのは事実だ。しかし、その中でも「税収は21兆円増え、国債の発行は10兆減額した。プライマリーバランス(基礎的財政収支)も我々は14兆円も改善した。

 財政再建に向けて確実に進んでいる。しかし、社会保障費は伸びていく。伸びていく社会保障費に対応していかなければ、この大切な社会保障を次の世代に引き渡していくことができない。そのためにも、われわれは消費税の引き上げは必要であると考えているが、やみくもに引き上げれば税収は増えるものではない。適時適切に引き上げていく必要がある。われわれは2年半延期する必要がある。こう考えました」(以上)

 2014年4月1日に消費税率を5%から8%に引き上げた際、経済が「我々の予想以上に冷え込んだのは事実」だが、そういった状況下でもアベノミクス3年半で「税収は21兆円(消費税税収分が8兆円、株や債券からの税収も含まれているから、実質的には13兆円以下となる。)増え、「国債の発行は10兆減額」、「プライマリーバランス(基礎的財政収支)は14兆円も改善させた」、国民総所得は「デフレで失った50兆円を3年間でその多くを取り戻している」とその成果を誇っている。

 先ず2014年4月1日に消費税率を5%から8%に引き上げた際、経済が「我々の予想以上に冷え込んだのは事実」としていることの正当性を確かめてみる。

 第2次安倍内閣が成立したのは2012年12月26日。安倍内閣は直ちに補正予算に取り組み、2013年2月26日成立。2012年度補正予算は総額13兆1054億円で、そのうち公共事業を中心とした緊急経済対策費が10兆3000億円を占めている。

 2014年2月6日、消費税増税を睨んで、景気の腰折れを防ぐための公共事業依存の経済対策を柱とする総額5.5兆円の2013年度補正予算案を成立させている。
 
 2015年2月3日、3.5兆円の緊急経済対策を柱とする2014年度の補正予算が成立している。

 この補正予算は公共事業よりも消費や地方の支援に軸足を置いたものだという。

 2016年1月20日、好循環実現のための経済対策を中心とした総額3兆3213億円の2015年度補正予算案を成立させている。

 勿論、補正予算だけではなく、本予算もある。2013年から今年2016年までの本予算のうちの公共事業費を見てみる。

 2013年度本予算公共事業費約5兆2000億円
 2014年度本予算公共事業費約5兆9684億円
 2015年度本予算公共事業費約5兆9710億円
 2016年度本予算公共事業費約5兆9737億円

 占めて23兆円を超える。

 2012年12月26日の安倍内閣発足直後から2014年4月からの消費税5%から8%への増税を視野に入れて総額13兆1054億円の内公共事業を中心とした緊急経済対策費が10兆3000億円の2013年度補正予算を組み、年を追って5.5兆円、3.5兆円、3.3兆円と経済対策・景気対策にカネを注ぎ込んできた。

 そして本予算でも23兆円を超える公共事業費を注ぎ込んできた。

 これだけカネを注ぎ込めばGDP値はそれ相応に上がっていいはずだが、目に見える成果を上げていない。個人消費も1%以下で、見るべき勢いは見えない。

 にも関わらず、2014年4月1日に消費税率を5%から8%に引き上げた際、経済が「我々の予想以上に冷え込んだのは事実」だと言い、「冷え込んだまま」が続いて、結果的に2014年4月からの8%から10%への消費税増税を最初は2017年4月に延期、それでも経済が追いつかずに2019年10月に再延期せざるを得なかった。

 何のことはない。2014年4月からの消費税増税による経済・景気の腰折れを防ぎ、尚且つアベノミクスの3本の矢の経済政策・財政政策を駆使して経済の好循環の回転をつけ、その回転を高速に持っていくために安倍政権3年半で公共事業に依存した経済対策・景気対策に多額の予算を注ぎ込んだものの効果を上げることができず、失敗であったことの証明そのものではないか。

 一方でアベノミクス3年半で消費税増税分を除いて税収が13兆円増えたと言い、デフレで失った国民総所得50兆円の多くを取り戻したと誇っている。

 具体的には、「アベノミクスの3年間の成果」(内閣府/平成28年1月21日)を見ると、〈GNI(国民が受け取った所得の総額)についてみると、実質では2012年10-12月期と比べて約21兆円増加し、リーマンショック前の水準を上回った。名目でもリーマンショックで失った約50兆円のうち約35兆円を取り戻し、16年度には50兆円を超える見込み。〉と書いてある。   

 景気が冷え込んだままで個人消費が見るべき状況で伸びない中での13兆円の税収増と国民総所得の目を見張るような回復額という関係が成立するのは所得余裕層や大企業が主として担った個人消費であり、税負担からの税収増であり、国民総所得の伸びであって、中間層以下の国民や中小零細企業は殆んどタッチしていない貢献と見なければ、合理的な整合性をつけることはできない。

 このことはこの関係を裏返せば、簡単に理解できる。中間層以下の国民が税収増や国民総所得の伸びを担い、貢献していたなら、個人消費そのものも大きく伸びているはずだからである。

 要するにこの関係の成立には厳然たる格差の存在を見ないわけにはいかない。格差があるから、税収や国民総所得が増えようと、中低所得層が占める人数の多い関係から個人消費ぞのものが伸びないことになる。

 当然、安倍晋三が「中小企業の倒産件数は3割減少した」と言おうと、「正規の職員、正社員は26万人増えた」と言おうと、「大学卒の就職率は史上最高」と言おうと、「47全ての都道府県で求人倍率を1にした」と言おうと、すべては格差をキーワードとして、その中に全体を収斂させて解釈しなければならない。

 殊更言うまでもないことだが、税収21兆円の成果誇示、更には国民総所得35兆円の回復誇示はその根底に格差をカラクリとしていて、そういったカラクリでアベノミクス3年半の成果を誇っているということである。
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安倍晋三の参院選公示後第一声は熊本地震の地元、これが巧妙なマヤカシなのは心のケア対策の遅れが証明

2016-06-23 11:24:41 | 政治

 第24回参議院選挙が公示された6月22日、安倍晋三は第一声を熊本市で上げた。

 2016年4月14日21時26分熊本県と大分県で発生したマグニチュード6.5の地震は熊本県益城町で震度7を観測、28時間後の4月16日1時25分には本震となるマグニチュード7.3の地震が発生、熊本県西原村と益城町で震度7を観測した熊本地震は熊本県各地に大きな被害をもたらした。

 このことが安倍晋三が第一声の地として選んだ理由となっている。

 「YouTube」に載っていた「KYODO NEWS」が紹介している映像から発言を拾った。 

 安倍晋三「私はどうしても第一声を熊本から発しようと考えました。あの震災を一生懸命復旧に向けて頑張っておられる熊本の皆様を少しでも励ますことができれば。

 そして熊本の復興に対する私たちの強い意思を全国に発信しようと、そう考えたところであります。今回の選挙戦の最大のテーマは経済政策であります。野党は口を開けば批判ばかりをしている。『アベノミクスは失敗した』、そればかりであります。この戦い、前進か後退か、力強くこの政策を前に進める。

 日本を成長させ、地域を豊かにしていくのです。みんなが良かったら、景気の実感を感じ取れるような、この日本を作っていくのか、あるいは4年前に逆戻りしてしまって、中小企業が今よりも更なる多く倒産している、若い人たちがなかなか就職できない、企業がどんどん海外に逃げてしまった、あの暗い低迷した時代に戻るのか、それを決める選挙であります」――

 「熊本の復興に対する私たちの強い意思を全国に発信しよう考えた」

 さも地震発生当初の食料や飲料水、医薬品等の物資支援を不自由を強いることなく行うことができ、避難所生活も混乱のない一定の秩序を提供できた、あとは復興一筋に貢献していくかのように言っている。

 要するに安倍晋三は安倍政権が熊本地震の復興に滞りなく対応していると国民に思わせることで、安倍政権そのものの危機管理対応が優れていると宣伝したかったのだろう。

 だから、熊本地震の復興に触れた後に直接的には口にはしなかったが、アベノミクスを持ってきて、経済政策でも、その運営能力が優れていると国民の頭に記憶させようとした。

 しかし実際には熊本地震の対応からは不手際をいくつも見つけることができる。

 2011年3月11日午後発生の東日本大震災の支援、復旧・復興は2012年12月26日第2次安倍政権発足前日まで民主党政権が担っていたが、それ以降の実際的関与から得た学習と、地震発生当初からの前政権の危機管理からの学習によって、どのような段階ではどのような対応が必要かは学んでいたはずだ。

 ところが、いざ熊本地震が発生すると、発生当初の被災者が最も必要とするのは食料や飲料水であることは学習していて分かっているはずだったが、その支援に遅れや避難所毎に偏りを見せたりしたばかりか、発生何日か後には食器を洗ったり身体を拭く水を必要とすることが分かっていながら、そういった用途の水の配給に遅れを見せた。

 あるいは避難所に多くの被災者が入ることになって他者との距離が近づき過ぎ、そのことを嫌ったり、幼い子どもを抱えている、ペットを飼っているからと他人への迷惑を恐れたりして狭い車の中に寝泊まりする車中泊を強いられるケースを多く生じさせたが、早急に手を打つことができずに何十日も狭い車中で窮屈な思いをさせることになった。

 その数は多いときで数千人規模に上ったという。

 地震発生から2カ月を経過した現在でも熊本県内の7市町村で車中泊をしている人(一部テント泊を含む)が575人いると「asahi.comが」記事が伝えていた。

 仮設住宅への入居が始まっているものの、6月14日時点で熊本市の避難所には1531人が今もなお避難しているという。

 東日本で学習した災害発生時の危機管理に必要な情報を整理して、その情報を次の災害発生に対して臨機応変な態様で随時に適応させて、それぞれの状況を解決してく。

 安倍晋三と以下の閣僚もそれを満足に機能させることができなかった。熊本地震が東日本大震災と比較して地理的な被災規模が狭い範囲で済んだために、そのことに対応した犠牲者の人数の少なさ、避難生活者の数の少なさ、瓦礫の量の少なさ等々、被害の少なさに助けられたに過ぎない。

 両災害が同じ規模であったなら、安倍政権は学習した危機管理を東日本大震災時よりも満足に機能させることができなかったという理由で民主党政権以下だと非難されていたに違いない。

 このように言い切ることできる証拠がある。

 東日本大震災から3年目に当たる2014年3月10日、安倍晋三は首相官邸で「記者会見」を開いている。  

 安倍晋三「インフラや住宅の復興が幾ら進んでも、被災者が心に受けた傷が癒されるわけではありません。震災から3年、長期にわたる避難生活が大きな精神的な負担ともなっています。人と人のつながりを守り、被災者が孤立することのないよう、地域の見守り体制をつくります。仮設住宅への保健師などの定期巡回を進め、被災者の心に寄り添った支援に重点を置 いてまいります。

 特に子供たちへのケアは欠かせません。従来から、カウンセラーの学校への派遣を行ってきましたが、仮設住宅への巡回訪問も実施することとし、子育て世帯も含めてバックアップしてまいります。さらに、仮設住宅の空き部屋を遊び場や、学習スペースとすることで、子供たちが安心して過ごせる場所をつくってまいります。これからは、ハード面の復興のみならず、心の復興に一層力を入れていきます」――

 要するに「心の復興」に本格的に取組むことの宣言である。

 「子供たちへのケア」(心の復興」については震災発生から4カ月後の8月23日に閣議決定したhttp://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpab201201/1324356_004.pdfが触れている。   

 〈兵庫県教育委員会では,阪神・淡路大震災(平成7年1月)の際の全国の支援に報いるため,被災地の教育復興を支援する「震災・学校支援チーム」(EARTH)を設置しています。公立学校の教職員等150名(平成23年度現在)で組織されています。

 平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に際しては,宮城県教育委員会からの要請により,地震直後の3月15日から現在まで,延べ81名のEARTH員等を派遣し,学校に設置されている避難所の運営支援,早期に学校再開が見込まれる地域の学校再開支援,被災した児童生徒の心のケア支援について助言を行ってきました。

 7月,8月の支援活動では,石巻市,気仙沼市,南三陸町において,1学期を終えて学校が抱えている防災体制や心のケアの課題に対して助言を行いました。

 学校の防災担当者からは,学校における防災訓練の事前事後の指導の在り方,地域と連携した防災訓練の意義と推進方法等について各学校の取組や課題を聞きました。EARTH員からは今後の防災教育の推進について助言をしたり,避難所となっている学校を訪問し学校が抱えている課題への助言をしたり,しました。心のケアでは,各学校の職員研修会において,震災後の経年変化にともなう子どもたちの様子の変化やその対応,教職員の心のケアの必要性等を助言しました。また,被災地の中学生への学習支援を行い,子どもたちと交流をしながら子どもたちの心のケアを行いました。〉

 〈3 児童生徒等の心のケアや学習支援

 (1)スクールカウンセラーの派遣等

 文部科学省では,被災した子どもたちの心のケアや学習支援への対応のため,次のような取組を行ってきました。

 震災直後,平成22年度においては,心のケアを含む健康相談を行うなど,被災児童等の心の健康問題に適切に取り組むよう配慮することを各地方公共団体に要請するとともに,「子どもの健康を守る地域専門家総合連携事業」を活用して,被災地に臨床心理士等を全額国庫負担により,緊急派遣しました。

 平成23 年度においては,第1次補正予算及び第3 次補正予算において「緊急スクールカウンセラー等派遣事業」を措置し,被災した幼児児童生徒等の心のケアのため,被災地域や被災した幼児児童生徒等を受け入れた地域の学校などにスクールカウンセラー等を全額国庫負担により派遣する経費を措置しました。

 なお,本事業の第3 次補正予算においては,被災地での新たな課題に対応するため,スクールカウンセラー等に加え,新たに高校生への進路指導・就職支援を行う緊急進路指導員や特別支援学校における外部専門家を活用できるようにしています。

また,平成22 年9 月に配布した指導参考資料(「子どもの心のケアのために」)を増刷し,被災した県及び市町村の教育委員会からの追加配布要望に応じて発送しました。〉――

 要するに震災発生直後の早い段階から行政機関は児童・生徒の心のケアに取り組んでいた。

 だが、3年後に本格的に取組むということは児童・生徒の被害体験の恐ろしさ、あるいは深刻さと、そのことによって生じる、ときには心的外傷にまで至る精神的抑圧の大きさ、深刻さからの回復が追いついていないということでなければならない。

 そして「インフラや住宅の復興が幾ら進んでも、被災者が心に受けた傷が癒されるわけではありません」と言い、「これからは、ハード面の復興のみならず」と言っている以上、所管する行政機関は異なるのだから、ハード面の復興と同時併行で進めるべき心のケアを物理的な復興、あるいは経済的復興を優先させたために本格的には取り組んでこなかったことを意味することになる。

 では、3年目以降からの本格的な取組みによって心のケア問題は解決したのだろうか。

 〈小野薬品工業とスポーツ・コミュニティ・アンド・インテリジェンス機構(SCIX)は、2011年の東日本大震災が被災地域における子どもの運動習慣に依然影響を及ぼし、肥満傾向の増加や運動能力の低下といった課題をもたらしているとする調査結果(調査期間:2016年1月22日〜29日)を発表した。〉と、東日本大震災発生から5年経ってもなお子どもの心身に影響を与えているとする、2016年2月26日付記事を「日経Gooday」が配信している。

 震災前よりも肥満傾向、粘り強さの減退、社交性の後退、行動力の低下が見られる子どもが決して少なくない様子が浮かんでくる。

 恐怖体験が頭の隅っこの方に張り付いていて、何かの機会にふと思い出し、そのときの恐ろしさが蘇って虚脱状態になるといったことを繰返しているのではないのだろうか。

 大きな災害に遭うと、特に年齢が低い程、心の傷は直りにくく、最悪の場合、何年も尾を引くゆえに心のケアは早期に本格的な形で取組まなければならないことを学んでいなければならない。

 今回の熊本地震で政府はそのような取組みをしたのだろうか。  

 4月14日の熊本地震発生1カ月半後の5月30日付「時事ドットコム」記事が、熊本県教育委員会が熊本市を除く県内の小中高と特別支援学校の計463校、11万6588人を対象に5月6日から5月27日の間までに実施した調査によると、心のケアが必要と判断した児童・生徒は県内の小中高校などに通う子の1.8%に当たるが2134人に上るとしている。  

 甚大な被害を受けた益城町を含む地域が突出して多いということも、当然のことだが、災害の大きさとストレスの大きさが相関関係にあることが分かる。

 「夜眠れない」、「急に泣き出す」といった症状を見せるという。

 問題は県教委が「被災自治体の学校のカウンセリング体制を急ぐ必要がある」と言っていることである。

 大きな災害が発生する度に起きる定番化した出来事となっているのだから、熊本地震発生後、地震が子どもたちに与える被害体験の恐ろしさ・深刻さと、それらが彼らの精神に及ぼすストレスを前以て予測して、少なくともカウンセリング体制の確立を準備していなければならなかったはずだが、発生後1カ月半後に「カウンセリング体制を急ぐ必要がある」とこれから準備にかかるようなことを言っている。

 このことは県教委に任せっ放しにすることではなく、阪神・淡路大震災や東日本大震災を教訓に文科省が率先して動くか、安倍晋三が指示を出して動かせるかして取組まなければならなかったカウンセリング体制確立の準備であり、実際の確立であったはずだ。

 だが、熊本県教委の調査からはそういった様子を窺うことはできない。

 安倍政権の熊本地震発生当初の被災者に対する支援物資提供の滞りや、東日本大震災でその必要性を学習していたはずのカウンセリング体制確立の遅れ等を見ると、実際には熊本地震に対する安倍政権の危機管理は満足に機能していたとは決して言えない。

 にも関わらず、参院選公示後の第一声の地として熊本を選び、安倍政権が危機管理対応を満足に機能させているかのように言い、今後の復興の進め方にも手抜かりがないかのように振る舞う。

 ここには都合のよい統計を並べ立ててアベノミクスの成果を誇るのと同根のマヤカシを見ることになる。

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文科大臣馳浩、アホなこと言わんといて 東大アジアランキング首位から7位転落、「一喜一憂しない」

2016-06-22 09:38:36 | 政治


      「生活の党と山本太郎となかまたち」

《本日6月22日、第24回参議院議員通常選挙の公示を受けた声明発表》

 『第24回参議院議員通常選挙公示日にあたって』

 いよいよ「闘い」のはじまりである。日本の民主主義と立憲主義を守る、そして、国民の「生活」を守る、これまでになく重要な戦いである。
政治とは正に「生活」である。私どもは、この理念に沿った政策で、安倍政治による破綻から何としてもこの国を救うべく、この選挙戦、全力で闘っていきたい。
確かに我々の敵は「強大」であるが、徐々にこの政権の危険性に気付き、行動をする人々が増えつつあるのも事実である。今や全国各地でそういう諸勢力が結集しつつある。

 今こそ、我々は、安倍政権の暴走を止めるという旗の下、結束をしなければならない。そして、全力でこの政権を打倒しなければならない。
この国を確かな未来へと繋いで行くために。

 平成28年6月22日
 生活の党と山本太郎となかまたち
 代表 小沢一郎

 あくまでもその能力や人間性は個人が担うものだから、日本の学問の最高峰・・・・・なのかどうか知らないが、東京大学がアジアの大学ランキングで3年間トップの地位を維持してきた首位の座から落ち、7位に転落したと、6月21日付「NHK NEWS WEB」記事が報じていた。

 イギリスの教育専門誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション」が発表したランキングだそうだ。

 ランキング付けの規準は研究内容や論文の引用回数など13の指標。
  
 1位:シンガポール国立大学
 2位:シンガポールの南洋理工大学&中国の北京大学
 4位:、香港大学
 5位:中国の清華大学
 6位:香港科技大学
 7位:東京大学
 8位:韓国ポハン(浦項)工科大学
 9位:韓国ソウル大学
 10位:韓国科学技術院
    ・・・・・・
 11位:京都大学
 23位:東北大学
 24位:東京工業大学
 30位:大阪大学
 34位:名古屋大学
 46位:筑波大学
 48位:九州大学
 49位*北海道大学。

 私立大学(111位~120位)
 順天堂大学、慶応大学、

 私立大学(121位~130位)
 東京理科大学、早稲田大学、

 私立大学(161位~170位)
 近畿大学

  6月21日の閣議後記者会見。

 馳浩「結果は結果として、厳粛に受け止めたいが、ランキングの尺度は、実施主体によって違うので、あまり一喜一憂しないほうがよい。

 国立大学への運営費交付金や私立大学への私学助成など、基盤的経費をしっかりと確保するという『安定性』が、高等教育機関にとっては、一番重要だ。学長や経営主体の頑張りに期待したいが、大学側の予算要望にも、しっかり応えていかなければいけないと思っている」

 国がカネを出して財政基盤をしっかりとしてやることが一番重要だと言っている。いわば教育とはカネなりと言っている。

 確かに教育を受ける機会を得るにはカネは重要な要素を占める。家にカネがないばっかりに行きたい高校を断念する、行きたい大学を断念する若者が安倍政権になってからの非正規雇用の増加(6月29日のNHK「日党討論」で「生活の党」の山本太郎が非正規が4割に達していると言っていた。)と、一旦非正規雇用になるとそこから抜け出すことができない年配者の非正規雇用職への固定化によって確実に増えているはずで、進学は何よりもカネが問題となる。

 大学に入ってからも、何かしらアルバイトをしなければ学費を払うことができない、生活していくことができないという大学生もゴマンといて、アルバイトが勉学の時間を削ぐということもあるだろう。

 だが、記事が伝えている東大のトップの座から7位への転落の理由はカネの問題ではない。教育の質では全体の1位だった。学生と教員の国際性に関する評価が70位だったことが全体のランクを押し下げて7位という名誉を獲得したことである。

 学生と教員の国際性が他大学と比較して相当に劣っていたと言うことになる。

 と言うことは、東京大学では全体的に見て教員自身が国際性を自らの精神性の血肉としていなかったために学生の精神にその国際性の種を撒き、その種を学生自身が育てて果実としていく循環を構築できていなかったことになる。

 では、東大が過去3年間はトップの地位だったということは少なくとも3年間は学生と教員の国際性は問題なかった、国際性はそれを果実としている教員から学生に種の形で受け継がれ、その種を果実へと実らせていく循環を滞りなく果たし得ていたことになる。

 だとすると、ここに矛盾が生じる。この循環性は1年性のものではないからだ。学生が入学時に自らの種としていなかったとしても、教員自身が果実とし得ていただろうから、何人かの例外はあったとしても伝統や文化や慣習、あるいは教養として受け継がれ、学年を超えて自ずと循環していくはずだ。

 だが、そうはなっていなかった。トップだった3年間は国際性が評価されていたのかネットを調べてみたが、順位のみの記事ばかりで、手がかりを得ることはできなかった。

 一般的な循環性を破ってトップの座からいきなり7位という矛盾を解くには2016年調査から学生と教員の国際性が調査項目に加えられたとすることによって納得がいく。

 そうではなくても、21016年のアジアの大学のランキングで東大の学生と教員の国際性が欠けていると評価付けられた事実に限って、どういうことなのか考えてみる。

 東大がそれなりの予算を国から得て運営されているはずだから、カネの問題ではない。それをカネの問題とする馳浩のアホなこと言わんといてのトンチンカンな認識能力は文科相の資格を失うはずだ。

 学生と教員の国際性が70位という評価によってトップの座からいきなり7位に引きずり降ろされたとなると、「一喜一憂しない」と高みの見物を決め込むわけにはいかないはずだ。

 それにしても70位というのは余りにも酷過ぎる。

 国際性は大学で学んだ学問、知識・教養を世界で生かす基礎的素養となる。如何なる人種であろうと、如何なる民族であろうと、如何なる国籍であろうと、如何なる性であろうと、如何なる文化に所属していようと、如何なる社会に所属していようと、それぞれに対等性を認めて、それぞれの価値を尊重し、それを以て基礎的素養とする。

 このような基礎的素養を得て初めて国際性を身につけることができる。そしてその国際性を世界で活かすことによって国際人足り得るはずだ。

 その国際性が70位とされた。

 「日本人はなぜ国際人になれないのか 」とよく言われるが、日本人の思考様式・行動様式が上下の人間関係に基づく権威主義性を今以て引きずっているからだろう。そこには純粋な対等性は存在しない。

 昔程ではないにしても、大学では教授・助教授・助手の関係が対等ではなく、教授が絶対権力を握ったピラミッド形の人間関係を築いていて、助教授以下は教授に見習い奉公に入った徒弟さながらの徒弟制度に今なお縛られていると言われているが、上下関係にあるこのような非対等性が他の物の見方や考え方にも反映されて、対等性を必要とする国際性と相矛盾することから国際性を身近に引き寄せることができないでいる面もあるはずだ。

 大学のこの徒弟制を窮屈に思い、伸び伸びと研究できないことから自由な研究の場を求めてアメリカの大学に移る研究者も多くいるようだ。

 思考様式・行動様式共に権威主義性に縛られた関係になると、自由で対等なコミュニケーションが取れないことになる。非対等性に慣らされて、対等な思考も対等な行動もできにくくなる。

 男は女性を下に見、日本人を人種的に上に見て、アジア人種や黒人種を下に見ることになる。職業で人間を上下に価値づけることになる。地位の高い人間や財産家を優れた人間と見て敬い、貧乏な人間やホームレス等を蔑むことになる。

 そういった人間が世界に出たとしても、国際性を発揮できるわけがない。

 馳浩は教育行政を与る文科相でありながら、国際性が70位と評価付けられたことに対して「一喜一憂しない」と、ハエが頭に止まった程度のことを言い、国がカネを出して財政基盤をしっかりと支えていけば、国際性の欠如がさも解決するかのように考えている。

 アホなこと言わんといて。

 馳浩のこの認識の程度の低さは何を物語るのだろう。

 勿論、文科相に据えた安倍晋三の人間を見る目にも問題があることになる。

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おおさか維新の会の教育無償化憲法改正政策実現のために安倍政権の憲法9条改正を取引材料とするあざとさ

2016-06-21 08:53:35 | Weblog

 おおさか維新の会幹事長の馬場伸幸(51歳)が6月20日、東京都内の外国特派員協会で記者会見して、維新が憲法改正によって実現を目論んでいる教育無償化と抱き合わせで安倍政権が憲法9条改正を提案した場合、教育無償化の実現との兼ね合いで賛成する可能性に言及したと「時事ドットコム」記事が伝えている。  

 馬場伸幸「(憲法9条の)改正を我々から持ち出す気はないが、他党との駆け引きで、9条改正が国民投票にかけられる可能性は否定しない」

 記者から自民党が9条改正と併せておおさか維新が主張する教育無償化などを提案した場合の対応を質問された。

 馬場伸幸「全否定するものではない」

 記事は、〈賛成に含みを持たせた。〉と馬場信幸の発言内容を解説している。

 そして記事末尾で憲法に関わるおおさか維新の会の立場を紹介している。

 〈おおさか維新は、改憲について教育無償化や憲法裁判所の設置などを優先し、9条は当面、扱わないとの立場。馬場氏の発言は、自民党の出方次第で柔軟に対応する余地を残したものだ。〉――

 そこでおおさか維新の会のサイトにアクセスしてマニフェストである6月3日発表の「おおさか維新の会2016政策資料」と、3月24日発表の「おおさか維新の会憲法改正原案」をダウンロードした。 

 両文書の作成方法を見て、おおさか維新の会は国民に非常に思い遣りがあり、非常に親切な政党であることが確認できる。コピー&ペーストもできないし、文字検索もできないように仕上げている。

 文字検索はできるが、コピー&ペーストはできない自民党の2016年参院マニフェストよりも始末に悪い。

 情報の活用を言っているはずだが、自民党は少しはマシとは言え、両党共に国民が気軽に情報を利活用できる仕組みを提供していない。いわば有言不実行の体をなしている。

 こういったことからも、非常に立派なことを言っていたとしても、果たして信用できる政党かどうかが判断できる。

 「おおさか維新の会憲法改正原案」は教育無償化や憲法裁判所の設置、地域主権について触れているが、憲法9条に関しては何も触れていない。

 但し自民党が9条改正とおおさか維新主張の教育無償化を抱き合わせで提案した場合、「全否定しない」としている。

 いわばおおさか維新主張の教育無償化が実現できるなら、9条改正に賛成してもいいと、9条改正を教育無償化実現の取引材料にする可能性に触れたのである。

 この取引きは教育無償化の重要性と9条改正の重要性を同じレベルの同じ重さ(=等価値)に置いていることになる。でなければ、取引きは成り立たない。

 確かに国の教育の形(教育の制度)も大切であるが、国の安全保障と同じレベルの同じ重さ(=等価値)に置いて相互に取引材料とすることが果たして相応しいことと言えるのだろうか。

 あくまでも別個に扱うべきそれぞれに国家の根幹に関わる重要問題であるはずである。

 だが、おおさか維新の会は自党の教育無償化の憲法改正の実現のための数(各党議席数に応じた賛成票)を獲得するために安倍政権が目指す憲法9条改正と取引きする可能性を示唆した。

 NHKが6月17日から6月19日までに行った世論調査のうち憲法改正に対する賛否を見てみる。

 「今の憲法を改正する必要があると思うか」

 「改正する必要がある」26%
 「改正する必要はない」33%
 「どちらともいえない」33%

 同じ日付で行った読売新聞の世論調査は次のとおりとなっている。

 読売新聞社は6月17~19日、参院選公示を前に全国世論調査を実施した。

 「参院選で憲法改正を目指す勢力が参院の3分の2以上の議席を確保する方がよい」40%
 「そうは思わない」44%

 朝日新聞が憲法記念日を前に実施し、5月1日付の記事にした世論調査を見てみる。

 「憲法を変える必要はない」55%(前年3月比調査+7ポイント)
 「憲法を変える必要がある」37%(前年3月比-6ポイント)

 「憲法9条について」

 「憲法9条を変える方がよい」27%(前年3月比-2ポイント)
 「憲法9条を変えない方がいい」68%(前年3月比+5ポイント)

 安倍政権と9条改正との抱き合わせで教育無償化憲法明記の取引きをすれば国会で3分の2の議席を確保できるかもしれない。但しこの取引きは国民の憲法に関わる意思を無視する形で行われることになる。

 いくら国民投票が後に控えているにしても、教育無償化を是が非でも憲法に盛り込むためとは言え、何と言うおおさか維新の会のなり振り構わないあざとい遣り方だと言えないだろうか。

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蓮舫の都知事選立候補見送りによって先見の明が試されることになる

2016-06-20 10:43:11 | 政治

 東京都知事の舛添要一が自身の政治資金私的流用疑惑の説明責任を果たし切れずに追い込まれる形で6月21日に自ら辞任した。舛添辞任に伴う都知事選挙も7月14日告示、7月31日投票開票と決まった。

 国際都市でもあり、日本の首都東京の次の知事は誰になるのか注目が集まった。誰が手を上げるのか。2012年12月16日投開票の都知事選挙では猪瀬直樹を推薦して当選させたものの、黒いカネの問題で2013年12月24日に辞任、2014年2月9日投開票の都知事選の舛添要一の場合は野党に下った自民党に見切りをつけて離党、除名処分に付した関係から公明、自民東京都連推薦の形を取ったが、安倍晋三や幹事長の石破茂、地元選出で当時文科相だった下村博文、公明党代表の山口那津男がそれぞれ舛添の応援に駆けつけて自民党支持さながらの熱い言葉で都民に舛添の当選を語りかけ、成功したものの、政治資金私的流用問題で任期途中で辞任、二人続けて欠陥品だった眼鏡違いを犯した手前、率先して候補者擁立の動きを見せることができない事情にあるという。

 都民の方も自公が押した候補者を当選させて失敗した自分たちの人間を見る目のなさを反省、反省が自公系候補者を冷ややかに見る目を育み、野党候補に傾斜する反動を生む可能性も生じる。

 当然、これまでの知事選が知名度争いだったことから、知名度さえありさえすれば、野党民進党にも民進党知事を誕生させるチャンスが生じる。

 それとも民進党に対する都民・国民のアレルギーを考慮して党を離れて無所属で立候補するのだろうか。民進党知事を誕生させた場合のその波及効果を考えると、党籍を外すべきではないだろう。

 その利点は何しろ日本の首都大東京の知事である。当選させることができたなら、テレビに映り、新聞に名前が載ってその行動が伝えられるとき、その思いさえあれば工夫一つで民進党というカードを胸のポケットにほんの頭だけ覗かせて、それが何のカードなのか読み取れる状態で都民・国民の前に立つことができる。

 政治はチームワークである。都知事と都の官僚・役人、そしてそこに民進党が必要に応じて自らの政策を反映させて、都の政治として同化させる。その共同作業であって、何かしらの政治スキャンダルさえ起こさず、官僚・役人を使いこなすことができさえすれば、最低限、無難に任期を務めることができる。

 もし都民に歓迎される知事となることができたなら、その歓迎は国民にもある程度は伝わる。民進党の党勢低迷を一定程度回復させる効果は期待できないはずはない。

 何よりも重要なのは2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催を控えた主催都市の知事となることができるということである。オリンピック関連でマスコミに露出する機会が多くなり、都知事としての存在を植え付ける機会に変えることもできる。

 再選できたなら、東京オリ・パラ開催中の競技の合間に、あるいは競技を伝えるマスコミ報道に主催都市の知事として登場することになる。金・銀・銅メダルを取った選手を都庁に招いて祝福することで自身を露出させることもできる。

 民進党にとって自党系の候補者を当選させる有利な状況と党勢低迷を回復させるまたとない機会に恵まれたのである。

 一時期、民進党内で参議院東京選挙区選出の民主党代表代行蓮舫の立候補を期待する声が上がった。マスコミ報道によると、蓮舫は「(都知事選出馬に期待する)仲間の声は大事だ」と、その声を尊重する姿勢を一度は見せたらしい。

 6月18日、蓮舫は幹事長枝野幸男に会い、都知事選挙への立候補に慎重な考えを伝えたという。その考え内容を東京都内で開かれた会合で述べている。

 蓮舫「次の世代に可能性や未来を残したいというのが、私の政治家としての原点だ。それは国政でしかできない私の志だ。私は自分の志に素直でいたい」(NHK NEWS WEB) 

 国政に専念しますとの宣言である。

 蓮舫はまた民進党代表の座を狙っていて、参院選後の9月末に予定される党代表選への意欲を滲ませているとも言われている。

 いくら次の世代に可能性や未来を残すことが政治家としての原点だとしても、党代表になることができたからと、それだけで原点の実現はできない。政権を取らないことには実現させることはできないはずだ。

 実現の唯一絶対条件は政権奪取となる。

 現在の民進党の党勢低迷と岡田代表の不人気(低い政党支持率と民主党時代に執行部を担っていた、いわば民主党政権を失敗させた戦犯の一人と見做されていることに引き続く岡田代表の不人気は正比例の関係にあるはずだ。)、対して低い身長に30センチもの踵を取り付けて底上げしているような安倍晋三の人気、こういった環境下で党代表になれただけで、政権獲得に一気に進めることができるだろうか。

 蓮舫は現在48歳。オリンピックでのマスコミ報道への自身の露出を人気と政治能力アピールのために最大限利用するためにオリンピック開催年を含む2期8年を務めると、56歳。その間、東京都知事として外から民進党を援護、党勢回復の立役者となることができ、都政の活性化を連動させてその政治的能力の高さを認知させることができたなら、それからでも国政に戻って、代表の座を狙ったとしても、遅くはない年齢であり、却って円熟した年齢と見られ、これらの成果によって一目置かれる存在となっていたとしてもおかしくはない。

 このことは民進党に於ける自身の地位の確立を意味し、同時に都政ばかりか、国政に於いても国民の目に実績ある政治家として映る政治家像の確立を意味する。

 自身をそのような政治的状況下に位置させることこそが政権奪取の機会獲得の近道となる場合もある。

 その8年の間のより短い期間内に現在の低迷した党勢で民進党が政権を奪取できる確かな目算があるならいい。きっと目算があるのだろう。

 いずれにしても、蓮舫は都知事となることが政権奪取の機会獲得の近道とならないと見ていることになる。つまり機会獲得の賭けに出る意志もなかった。

 蓮舫の先見の明が試されることになる。

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