不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

野田消費増税から抜け落ちている2つの視点

2012-03-31 11:47:27 | Weblog
 昨3月30日(2012年)、野田首相は税制抜本改革法案衆議院提出後、6時から記者会見を首相官邸で開いた。

 その中で衆参与野党ねじれを念頭に与野党協議による法案成立を呼びかけた。記者会見の内容は首相官邸HP《野田首相記者会見》(2012年3月30日 6:00~)による。 

 野田首相「私は、野党の皆さんにおかれましても、多くの議員の皆さんは、社会保障を安定化させ、あるいは充実させ、そのための安定財源として消費税が必要であると思っていらっしゃる方は多いというふうに思っております。

 したがって、まさに政局ではなく大局に立つならば、政策のスクラムを組むことは十分可能だというふうに考えております。このような呼びかけというものも、これからしっかり行っていきたいと思いますが、与野党で議論をしていく上で、その議論をより深めていくために欠かすことのできないのは、やっぱり何と言っても国民の皆様のご理解だというふうに思います」

 「政局ではなく大局に立つならば、政策のスクラムを組むことは十分可能だ」と言っている。

 野田消費税増税反対派はすべて「政局」に立った政治ということになる。大局観なしの政治行動だと。

 マスコミの大方がそうだが、自民党は2010年参院選で消費税増税10%の公約を掲げた。与党民主党と同じ10%で、両者の主張に基本的な差はないのだから、自民党が与野党協議に応じないのはおかしいといった論調が罷り通っている。

 民主党も自民党も消費税税収をすべて社会保障政策の財源とすることを約束し、忠実に実行したとしても、医療・年金・介護・子育てに向けた財源の配分の違いによっても、それらの各政策の有効性によっても(矛盾のない政策など存在しない)、さらに財政運営方法の違いから生じるカネ遣いの効率性の違いから言っても、社会保障政策に関わる成果を同じだとすることはできない。

 いわば同じ10%という税率のみで政治的な結果まで同じだと判断するのは早計というものであろう。

 また、民主党と自民党との間の社会保障政策以外の政策の有効性や財政運営に関わるカネ遣いの効率性の違いによっても、政治全体に与える影響、結果は自ずと違ってくる。

 株か何かから10%の配当を得ている資金を元手に会社を経営している同業2社が常に同額の利益を上げるとは限らないのと同じである。経営方法、資金の使い方によって利益は異なってくる。

 また、消費税収で社会保障政策をすべて賄うことができるからと言って、今まで負担していた他の税収に余りが生じた、自由に使える、次の選挙に備えてとバラ撒きに費やしたなら、何のために消費税を増税したのか意味を失い、財政健全化の障害にもなるだろう。

 同じ消費税10%増税をスタートラインとし、折り返し点を社会保障政策に置いていたとしても、ゴールは同じ風景とはならないということである。

 同じ風景になったなら、政党を分ける必要はないし、選挙の意味も失う。

 そもそもからして民主党政権になってから、歳出は増加傾向の一途を辿っている。政策の優先順位付けや予算の組み替え等を活用した、歳入に応じた歳出削減を機能させる財政運営、あるいは政策の立案ができていないということであって、同じ道を辿る保証はどこにもない。
 
 民主党と自民党では利害代弁の対象も異なる。自民党は主として企業の利害を代弁し、民主党は主として労働者階層の利害を代弁する政党を形作っている。

 野田首相が政治テーマとしている「分厚い中間層を復活させる」が象徴している利害代弁であろう。

 いわば「野党の皆さんにおかれましても、多くの議員の皆さんは、社会保障を安定化させ、あるいは充実させ、そのための安定財源として消費税が必要」だとしていても、だからと言って、与野党協議に応じなければならない義務は負っていないし、負わされる義理もないということである。

 野田首相にはこの視点が抜けている。

 野田首相は先の発言で、「社会保障を安定化させ、あるいは充実させ、そのための安定財源として消費税が必要」だと発言した。

 そして、「社会保障と税の一体改革の意義」は「今日より明日はよくなると思うことのできる、そういう社会」づくりだと言っている。

 野田首相「確信の持てる社会、実感の持てる社会をつくりたいというふうに思っています。その行き着く先が、国民の多くの皆さんが不安に思っている社会保障の持続可能性だと思います。若い人たちは、学んだ後に仕事につけるかどうか不安に思っている。働いている女性たちは、子供を産み、そして預けることができる、そういう社会なのか、子育てに不安を持ち、孤軍奮闘している。そして、誰もがいまだにまだ老後に対しての不安も持っている。そうした不安を取り除くことが、今日より明日がよくなるという行き着く先の一番の私は根幹であろうというふうに思います」

 消費税を安定財源として「社会保障の持続可能性」を確立し、自らが理想とする“今日より明日はよくなる社会”、「確信の持てる社会、実感の持てる社会」を構築していくと。

 いわば野田社会保障改革による“今日より明日はよくなる社会”、「確信の持てる社会、実感の持てる社会」の約束である。

 その一方で、次のように主張している。

 野田首相「今日より明日がよくなると思っていただけるためには、今のこうした社会保障の改革も必要でありますけれども、何よりも経済の再生を果たし、パイを大きくするということが大事です。この一体改革とあわせて包括的に進めていかなければならないのが日本経済の再生であります。デフレからの脱却であります。

 そのために、今回、さまざまなご議論を経た中で、平成23年から32年、この10年間の間に平均して名目で成長率を3%、実質で2%という目標を数値として掲げさせていただきました。

 これは前提条件ではありませんが、政府としての目標でございますので、この目標を早い段階で達成できるように全力を尽くしていかなければなりません。新成長戦略の加速、そして年央にまとめる日本再生戦略等々、さまざまな政策を総動員をしながら、この目標達成に向けて全力を尽くしていきたいと思いますし、特に、日銀とは緊密に連携をとり、そして問題意識を共有しながら、デフレ脱却、経済活性化に向けた取り組みを一緒に行っていきたいと考えています」

 「名目で成長率を3%、実質で2%という目標」は消費税増税の前提条件ではない、あくまでも努力目標だは消費税増税に限った「不退転」、「政治生命をかける」ということになって虫のいい話しだが、いずれにしても消費税を財源とした社会保障改革と「経済の再生」で「今日より明日がよくなる」日本を築くと言っている。

 果して「名目で成長率を3%、実質で2%」の「日本経済の再生」が「今日より明日がよくなる」日本を約束してくれるだろうか。

 1965年11月~1970年7月(57ヶ月)にかけてのいざなぎ景気では、個人消費は9.6%の伸びがあった。

 1986年12月~1991年2月(51ヶ月間)にかけてのバブル景気では個人消費の伸びが4.4%。

 最後の大型景気である2002年2月~2007年10月(69ヶ月間)までの戦後最長景気では、周知の事実となっているが、大企業が軒並み戦後最高益を得ながら、個人消費の伸びはたったの1.1%。

 個人消費の低い伸びは当然のことだが、所得の伸びを反映しているもので、戦後最長景気では-1.4%の所得の伸びと言われている。

 これも周知の事実となっているが、経済のグローバル化が過度に進み、中国やその他のアジアの国々、あるいはアフリカ各国の低賃金とその低賃金を反映した安価な製品単価に太刀打ちするための正規社員から非正規社員への転換、あるいは雇用調整弁としての活用による人件費の抑制を背景とした製品単価の抑制と突発的な金融危機、経済的危機に備える内部留保への重点化がもたらした所得の低い伸びであり、その結果として個人消費の低い伸びであった。

 この傾向はずっと続いている。年々非正規労働者が増加していることがこのことを証明している。

 いわば従来の利益再配分が機能しなくなっている。野田首相は「社会保障を充実させる、安定化させるということは、これ一つとっても再分配機能の強化でございますけれども」と言っているが、それだけでは不足だから、「名目で成長率を3%、実質で2%」の「日本経済の再生」を言ったのだろう。

 だとしても、このことが企業の内部留保重点化と非正規社員偏重による人件費抑制がこれまでと同様に障害となって、満足のいく利益再配分を機能させる約束とはならない。

 野田首相の抜け落ちている2つ目の視点とはこのことである。

 単に社会保障制度の充実を言えば済むわけではないし、あるいは「新成長戦略の加速」だ、「日本再生戦略」だと言って、経済成長を約束する、あるいは「日本経済の再生」を約束するだけでは抜けているということである。

 但し人件費抑制に関しては政府も努力している。3月28日(2012年)に改正労働者派遣法が成立した。

 だが、政府の国会提出改正案は製造業への派遣や仕事があるときだけ雇用契約を結ぶ登録型派遣を原則禁止としていたが、自公の規制を厳しくし過ぎると雇用縮小が起きるとの反発から、3党修正で削除となっている。

 また、2か月以内の日雇い派遣原則禁止規定に関しても、30日以内の派遣禁止へと短縮を余儀なくされている。

 企業側の利益を優先させれば、労働者側の利益を抑えることになる。逆に労働者の利益を優先させると、企業の活動を阻害し、その利益を少なくことになる。

 尤も政府の原案どおりに成立したとしても、内部留保の重点化と人件費抑制の流れは止どめ難く、従来の利益再配分機能鈍化の状況を変えることはできないだろう。

 経済のグローバル化の時代に於いて利益再配分機能と国際競争力とは反比例する形で背中合わせに噛み合い、動いているからだ。

 この点を何らかの方法で解決しなければ、いくら社会保障制度を充実させたとしても、“今日より明日はよくなる社会”、「確信の持てる社会、実感の持てる社会」は実現困難となる。

 経済が回復しても所得も消費も伸びないまま、消費税増税だけを頼りに社会保障制度を維持しなければならなくなる。

 だが、野田首相にはこの点についての言及は一切ない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤ちゃんポスト/預けられた子の身元判別は必要なのか

2012-03-30 10:42:58 | Weblog

 2007年5月10日から運用開始の熊本市は慈恵病院の「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」。2009年10月から2011年9月までの2年間に受け入れた30人の赤ちゃんを対象に市の有識者委員会が身元が判明した親から聞き取り調査を行い、3月29日(2012年)、その検証報告を公表した。

 《海外留学の親が預けたケースも 赤ちゃんポスト》MSN産経/2012.3.29 17:21)
 
 記事題名からすると、親が海外に留学するために子供を預けたケースを不適切事例の筆頭として挙げたということなのだろう。

 その他には、仕事の際に子供を預ける施設が見つからずに利用した例、未成年後見人の伯父が甥の男児を預けた後に相続財産を着服した例を挙げている。

 報告書「明らかな自己都合による利用と見なされる事例があり、安易な預け入れにつながっている」

 記事からでは「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」が安易な受入れを誘発する否定されるべき制度と検証しているのかどうかは分からない。

 勿論、記事が触れていないのだから、廃止の方向に向けた総括を結論づけているわけではないことは理解できる。

 だが、次の記事を読むと、否定されるべき制度と検証しているかのように受け取られかねない内容となっている。《慈恵病院が反論「安易な受け入れない」 赤ちゃんポスト》MSN産経/2012.3.29 18:25)

 記事題名は否定検証に対する反論としての肯定の主張の体裁を採っている。

 〈親が育てられない子供を匿名で受け入れる、熊本市の慈恵病院の「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」で複数の不適切な事例があるとした検証報告書について、病院側は29日に記者会見し「検証報告が指摘するような安易な受け入れはない」などと反論した。〉――

 親が海外留学のために子供を預けた事例に関して。

 田尻由貴子看護部長「彼女は葛藤の中で預けたが、今は自分で養育している。報告書は事実を追跡して評価してもらいたい」

 批判は当たらないと反論し、制度の正当性を訴えている。

 出産直後に飛行機に乗るなど、預け入れ前の子供の安全性が確保されていないとの指摘に関しては。

 蓮田太二理事長「慈恵病院だけで受け止めるのは限界がある。全国に何カ所か同じような施設ができてほしい」

 駅から徒歩何分のマンションといった具合に地理的利便性の確保を訴えている。

 制度の存在価値に否定的な検証なのか、肯定的な検証なのか、熊本市のHPにアクセス、《「こうのとりのゆりかご」検証報告書について <概要版>》(平成24 年3 月 熊本市子ども政策課作成)を探し出して、閲覧してみた。  

 報告書の「慈恵病院に対する要望」「熊本市に対する要望」「国に対すると要望」を見ると、改善の促しであって、制度自体の価値を否定してはいない。

第6章 今後の対応策 -各機関への要望-

1 慈恵病院に対する要望

・預け入れに至る前に相談につなぐ方策のさらなる充実。
・可能な限り相談につなぎ、子どもの身元判明につながるためのあらゆる努力。
・母子の安全確保のため、自宅出産の危険性や出産直後の長距離での移動の危険性のさらなる周
 知。
・ゆりかごの運用に当たる熊本市との連携。
・新生児のための施設であることの周知の徹底。

2 熊本市に対する要望

・身元の判明のため引き続きの調査の徹底。
・預けられた子どもたちの現在の状況の把握。
・里親委託をさらなる推進と里親への十分な支援。
・ゆりかごへの預け入れや虐待を行った親への支援のしくみの確立。
・育児困難な低所得世帯への援助についての検討。
・県検証報告書の要望についての実現に向けての国への働きかけの継続。

3 国に対すると要望

・医療機関で出生した子どもについて、市町村への出生届の確認のための全国的なシステムの導入
 についての検討。
・妊娠・出産や子育てに関する相談窓口や支援制度についてのさらなる周知・広報
・上記以外の県検証報告書での提言に対する取り組み。〉・・・・・

 特に報告書が要望している点は、子どもの身元となっている。 

 「慈恵病院に対する要望」では、〈可能な限り相談につなぎ、子どもの身元判明につながるためのあらゆる努力。〉を要望。

 「熊本市に対する要望」でも、〈身元の判明のため引き続きの調査の徹底〉の要望。

 身元の重要性については、3 預け入れられた後の子どもの状況の項目でも触れている。

 〈3 預け入れられた後の子どもの状況

 (1)身元が判明した事例の養育状況

・施設で養育されている子どもの割合は、平成21年9月30日時点より半減。
・早い年度に預け入れられた施設養育の子どもの多くが里親委託や家庭引取りに移行。
・特別養子縁組の成立事例は大きく増加。

 (2)身元不明の事例養育状況

・早い年度に預け入れられた子どもが里親養育へ移行し、施設養育の割合は減少。
・里親委託されている子どものうち2人は特別養子縁組に移行。現在も、特別養子縁組に向
 けて手続きを進めているものが複数ある。〉・・・・・

 このことは次の報告でも触れている。

 〈(4) 里親制度と養子縁組制度について

・里親登録数を増やすための里親制度の周知・広報や、里親支援の強化などをさらに進める
 ことが必要。
親が判明しない事例においても特別養子縁組が成立した例はあるが、認容までの期間は長期化す
 る。

・養子縁組あっせんの実態について十分な情報がないこと、及び特別養子縁組後の公的なフォロ
 ーの必要性については、引き続き課題。〉――

 何回もの説得によるものだろう、家庭引取りの場合は身元判明を前提とするのは当然のことかもしれないが、要するに里親に出すにしても、特別養子縁組にしても、身元不明のケースよりも身元判明のケースの方が有利な状況にあるとしている。

 結果として、身元判明の子の施設養育は半減した。特別養子縁組成立認容までの期間が短くて済む。

 「身元」とはその人間の生まれや境遇を言う。生まれや境遇は親によって決定する。

 だが、このような身元の重要視の裏を返すと、里親側、特別養子縁組の養父母側が身元判明の子により価値を置いていることを示している。どのような親なのかその存在と職業等を明確に把握し、その子の生まれや境遇を知って安心するというのは相互反映としてある親の生まれや境遇に価値観を置き、権威としていることであって、一種の権威主義への囚われであろう。

 生まれや職業を含めた境遇を判断価値としないはずはない。中には身元判明の子の親に対して調査会社を使って、生まれは勿論、親の学歴や学校の成績まで調べる里親や特別養子縁組の養父母も存在するかもしれない。

 だが、身元不明の子どもの親に対してはそれができない。権威としている生まれや育ち、学歴等は調べようがない。

 その差が身元不明の子と身元判明の子の差となって現れているのではないだろうか。

 身元については報告書はさらに触れている。 

(2) 子どもの健全な成長の確保について

身元が判明しない場合、施設や里親において、子どもの養育上、支障や困難が出てくることが懸念され、身元の判明は重要な課題。〉・・・・・

 子どもに新しい名前をつけて、赤ちゃんポストを人生のスタート地点としてもいいはずだし、実際にもそこが起点となるはずだが、人生のスタート地点を過去にまで遡らせようとしている。

 あるいは親の存在性にまで遡らせようとしている。

 子どもを一個の裸の存在、個人として扱わずに、親を権威としたその付属物として扱っているからこその過去への遡及ではないだろうか。

 だからこそ、社会一般に於いても大人たちだけではなく、子どもたちさえ、親の職業、生まれや境遇の違いで子どもたちに差別をつける。

 この扱いはさらに続く。

第5章 ゆりかごへの評価

1 子どもの人権・子どもの福祉の観点からの評価

(1)出自を知る権利の保障の面からの評価

子どもの権利を保障する観点から、子どもが実の親を知る権利、自らの出自を知る権利は保障されなければならず、子どもの身元がわからない事態は避けなければならない。

今後は制度上もできうる限り子どもの出自に関する情報を確保できるような工夫をすべきである。

 ――(中略)――

(4)ゆりかごの匿名性の観点からの評価

ゆりかごの匿名性は、母子にとっての緊急避難として機能し、さまざまな援助に結びつける入口となりうる一方で、子どもの人権及び子どもの養育環境を整える面から最後まで匿名を貫くことは容認できない。預け入れにあたり実名化を前提とした上で預け入れ者の秘密を守るといった手法についても検討していく必要がある。〉・・・・・

 「子どもの人権・子どもの福祉の観点から」と言いながら、子ども個人として扱う発想を持ち得ず、身元(=生まれや境遇)に拘っている。

 出自よりも、人間の価値は自分が一個の人間としてどう生きるかにあるはずだ。社会人として真面目に生きるかどうかの今後の人生にかかっているはずである。

 一個の人間として生きるとは自己を自律した存在に置き、自律した存在として自己を貫くことを言う。

 難しく、私自身がそういった存在とはなっていないが、少なくとも目指さなければならない生き方としなければならないはずだ。

 このような自律志向は当然、子ども自身の身元(=生まれや境遇)は重要ではなくなる。子の身元を証明する親の存在、親の身元(生まれや境遇)も重要ではなくなる。

 慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」に関わるスタッフや子どもを預かることになる施設は子どもをそのように教育すべきであり、そのように教育することによって、一個の自律した社会人としての育ちが期待可能となるはずだ。

 こういったことの方こそが、身元探しよりも価値あることではないだろうか。

 これまで赤ちゃんポストに関して賛成の立場からブログをいくつか書いてきた。

 2007年5月18日記事――《養育放棄助長論〟から見る赤ちゃんポストと児童虐待死 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

 〈これは赤ちゃんポスト設置が親の「養育放棄を助長する」とする危惧論、もしくは反対論が赤ちゃんポスト設置に契機を置いているものの、それが逆に子供の命を救う危機管理の役目を果すのに対して、児童虐待に於ける親の〝養育放棄〟への児童相談所等の関与が虐待死や、虐待死に至らなくても、子供の人格損壊を許してしまう方向に佇むばかりで、必ずしも子供の命を救う危機管理的な契機とはなっていない対応不備・危機管理不全と比較して考えた場合、意義を認めないわけにはいかないのではないだろうか。〉と書いた。

 2007年3月17日記事――《キレイゴトの赤ちゃんポスト忌避論 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》 

 〈人目につかない場所に既に死んでしまった嬰児・乳児の類を捨てるのは明らかに死体遺棄罪に当たるだろうが、呼吸している新生児等の人目につかない場所への放置は一般的には自力的生命力が脆弱であることを認識し、当然の結果として死へ突き放す可能性が高くなることを予想した行為であるのと違って、人目につく場所への遺棄は逆に自力的生命力の脆弱を補うための行為であり、それはそのまま生への可能性・生育の方向に向けた遺棄行為であろう。死んでもいいやと、わざわざ赤ちゃんポストにまで出かけて捨てるということは、人間の一般性に反するはずである。

 ・・・・・・

  もう一つ赤ちゃんポストの考えられる有効性は嬰児である早い段階に預けることによって、例えそれがポストの設置によって社会的につくり出された「子捨ての勧め」の風潮を受けた行為であったしても、捨て子の年齢を超えた子供の育児が面倒になった場合の〝捨てる〟に代わる虐待を方法とした邪魔者扱いで子供の人格を決定的に傷つけたり、最悪死に至らしめてしまう危険を防げるかもしれない、あるいはその数を減らせる可能性である。

 このような可能性が確実視されるなら、逆に赤ちゃんポストを各地に設置して、捨て子の年齢を超えないうちの「子捨ての勧め」を大いに広めるべきではないだろうか。邪魔者になって虐待するようにならないうちに子供のためを思って赤ちゃんポストに預けてくださいと。〉と書いた。

 2007年2月25日記事――《安倍首相/「赤ちゃんポスト」と「再チャレンジ」の関係 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》 

 〈新生児を「赤ちゃんポスト」に預けるについては確かに親の無責任もあるだろう。妊娠・出産は頭になく、快楽追求だけが目的のセックスに熱中する。妊娠したのも気づかずにいたとか、気づいても、遊ぶのに夢中で放置しておいて中絶もできなくなった。あるいは男を引き付けておくための方便に妊娠・出産したが、育児まで考えていなかったとか、無責任例は様々に考えることができる。わざわざ飛行機と電車とタクシーを乗り継いで熊本市まで預けにいく母親も出てくるに違いない。

 しかし、産み育てる覚悟で子供を持ったものの、離婚だとかリストラだとか、予期しないその後の変転から、あるいは無慈悲な年貢の嵩上げならぬ種々の税手当ての削減や税上げ、規制緩和が逆に収入低下をもたらすとかによって生活がままならなくなり、自分で育てる自信を失って預けざるを得ない親もいるに違いない。

 そんな一人を救うために100人の無責任には目をつむる。100人の有罪者を無罪にすることになったとしても、たった一人であっても、実際に無罪の人間を有罪とする冤罪を防止するための疑わしきは罰せずの精神、推定無罪の精神の趣旨適合である。〉と書いた。

 どのような制度も否定的側面、肯定的側面がある。否定が肯定を上回る場合は問題となるが、その逆の場合、否定的側面を以って肯定的側面を否定し去るのは疑わしきを以って全てを罰する過剰反応としか言いようがない。

 報告書は未成年後見人の伯父が甥の男児を預けた後に相続財産を着服した例を挙げているが、認知症の高齢者や知的障害者に代わって第三者が財産を管理する「成年後見制度」で、財産が使い込まれる被害が最近の16か月間に約37億円に上ることが最高裁判所の調査で分かったと「NHK NEWS WEB」記事が伝えていたが、このことを以って「成年後見制度」そのものを全否定することはできまい。

 あとは既に書いたように身元など問題とせずに一個の自律した子どもとして育っていき、自律した社会人へと人生の歩みを進めて欲しいと願うだけである。
 
 自分は自分であると。

 最後に、報告書は〈マスメディアの「赤ちゃんポスト」の表現については、表現の見直しを求めて行くことが必要。〉と書いているが、確かに子どもの置かれた深刻な状況に反して軽い感じを与えるが、逆に「こうのとりのゆりかご」よりも権威主義臭がない上に、子どもが大人に成長してから振り返って、ああ、ここから今の俺の人生が始まったんだと、ふと微笑ましさを感じるには似合いの名前に思うが、どんなものだろうか。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世論に逆らうのも政治であり、信念がそれを支えるが、説明責任という対価を条件とする

2012-03-29 12:26:39 | Weblog

 世論調査から言うと、消費税増税に半数以上が反対している。

 3月9日~11日(2012年)のNHK世論調査。

 野田内閣「社会保障と税の一体改革」の取り組み評価――

 「大いに評価する」  ――4%
 「ある程度評価する」 ――34%

 「あまり評価しない」 ――41%
 「まったく評価しない」――17%

 野田内閣消費税増税法案今国会成立目標賛否――

 「賛成」       ――27%
 「反対」       ――36%
 「どちらともいえない」――35%

 3月19、20日(2012年)共同通信全国電話世論調査。

 消費税増税賛否(「どちらかといえば」を含めた数値)
 「引き上げに賛成」――42・1%(前回2月中旬調査48・3%)
 「引き上げに反対」――56・0%(前回2月中旬調査50・6%)

 3月24、25日(2012年)産経新聞社・FNN(フジニュースネットワーク)合同世論調査――

 野田内閣消費税増税法案今国会成立目標賛否――

 「させるべきではない」――59・1%
 「させるべき」    ――38・2%

 平成27年度消費税率段階的10%引き上げ賛否。

 「反対」――52・4%(前回2月11、12日調査+3・5ポイント)
 「賛成」――43・2%(前回2月11、12日調査-0・3ポイント)

 かくかように反対の世論が半数以上を占めながら、国民世論の反対の荒波に逆らい、党内の反対の大合唱に対しては澄まし顔で無視して、増税を果たすべく今国会成立に向けてのっそりのっそりと、だが着実に歩を進めている。

 表面的にはそうは感じさせないが、これぞ不退転の権化というべき堅牢強固な姿と言うべきだろう。「不退転」を言い、「不退転」を守っているというわけである。

 その不退転の姿勢を支えているのは先進国随一の悪化した財政の再建をもはや先送りできない、巨額な赤字国債をもはや放置できない、このツケを将来世代に負わせるわけにはいかない、自身が首相のときに日本国家立て直しの先鞭をつけようという強い信念であろう。

 世間で広く言われているように財務省の口車に巧妙に乗せられているかどうかはここでは問題にしない。

 自身が頭に描いた、あるべき国の姿に向けて国家運営は成されるべきだとする信念、現在は国民が反対していても、結果として世のため国のためになると確信した強い信念が世論に逆らい、それをモノとはしない姿勢の原動力となっているはずだ。

 不屈の信念が野田首相をして世論に逆らわせている。石もて負われても、何時の日か必ずや再評価される日がくる。

 但し、信念を持って世論に逆らう以上、例え最終的に国民が理解しなくても、理解を図る説明責任を対価としなければならないはずだ。

 説明責任を対価とせずに世論に反しても私は私の信念を貫きます、不退転ですでは国民の選択を受けた意味を失う。

 果して野田首相は消費税増税に向けた自らの不退転、信念に説明責任を対価としてきたのだろうか。

 勿論、自らの信念の貫徹に向けて説明責任を対価とするためには信念の対象としている政策について説明可能な状態に置いておかなければならない。説明可能な政策とすることによって、初めて説明責任を果たし得る。

 この逆はあり得ない。

 自分は何が何でも正しいんだと言うなら、どう正しいのかの説明責任を負うし、説明可能な完全さを保持した状態で政策を固めていなければ、説明責任を果たすことができないということである。

 世論に受入れられている政策とは説明可能な完全さを保持している上に、国民が十分に理解できる状況で説明責任を果たし得ている政策ということであろう。

 現在、世論に逆らう形で不退転、あるいは信念の対象としている政策とは断るまでもなく、「社会保障と税の一体改革」であり、不退転、信念の対価としての説明責任を果たすためには、国民の結果的な理解・不理解は別にして、説明可能な状態に政策を固めておかなければならない。

 だが、ブログにも書いてきたことだが、そうはなっていない。「社会保障と税の一体改革」は完成した政策ではなく、当然説明不可能の部分を抱えていながら、しかも国民世論に逆らう形で自らの不退転、信念を貫こうとしている。 

 法案を国会に提出するという段階になっても、完成した政策ではないことを示す最近の記事がある。《【消費増税法案】低所得者対策、規模や財源は曖昧なまま》MSN産経/2012.3.28 21:38)

 「曖昧なまま」野田首相は不退転を貫き、信念を貫こうとしていることになって、まさに矛盾することになる。

 記事は逆進性について触れているが、2012年2月17日閣議決定の「社会保障・税一体改革大綱について」では次のように書いてある。

 〈所得の少ない家計ほど、食料品向けを含めた消費支出の割合が高いために、消費税負担率も高くなるという、いわゆる逆進性の問題も踏まえ、2015 年度以降の番号制度の本格稼動・定着後の実施を念頭に、関連する社会保障制度の見直しや所得控除の抜本的な整理とあわせ、総合合算制度給付付き税額控除等、再分配に関する総合的な施策を導入する。〉・・・・・

 但しこの給付付き税額控除は共通番号制(マイナンバー制)の本格稼働まで待たなければならず、それまでは「簡素な給付措置」を講ずるということだが、その〈給付財源について、政府はいったんは消費税増税による増収分から最大で年4千億円を充てる案を提示した。これに対し、民主党内からは財源の上積みを求める声が続出。消費税増税の税収の一部を増税による痛みの軽減にまわすのはおかしいとの指摘もあり、政府案は撤回に追い込まれた。〉云々と解説している。

 この不備も然ることながら、では代替策としてどのような財源を用意する予定なのかというと、記事は、〈政府・民主党は、国会で関連法案の審議が始まるまでに簡素な給付措置の具体案を詰める。〉と、これからのことだとしている。
 
 野田首相は自らの信念貫徹の対価としなければならない説明責任の対象政策としている「社会保障と税の一体改革」が説明責任を果たすことができない、いわば信念の対価とし得ない不完全・不備な状態に置いていることになる。

 要するに政策自体をしっかりと固めないうちに信念ばかり固めていったから、対価としなければならない説明責任が宙ぶらりん状態になっているということなのだろう。

 にも関わらず、国民世論に逆らって信念を貫こうとしている。

 記事は次のような不備も伝えている。〈具体的な給付対象などの詳細も積み残したままだ。〉・・・・

 消費税増税によって最も生活の皺寄せを受ける、それゆえに最も切実な問題となって跳ね返ることになる低所得層にこそ、先ず安心を与えるべき逆進性対策が疎かにされている。

 日本の財政状況を考えると、歴代の政治家に責任はあるとは言え、その財政健全化には消費税増税は止む得えないと考えている国民は多いはずだ。だが、反対する国民が過半数を超えている。

 それは所得に対応しているはずだ。増税は必要と思っても、生活を考えると反対せざるを得ない。

 そういった国民世論を考えないまま、国民世論に逆らう形で自らの信念を貫こうとしている。

 しかも信念貫徹の対価としなければならない説明責任を果たすための説明可能な政策の確立を待たずにである。

 何と矛盾した野田首相の「不退転」なのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野田首相は消費税増税に「不退転」を言うなら、景気回復も不退転とし、成長達成を増税の絶対条件とせよ

2012-03-28 09:12:57 | Weblog

 消費税増税法案を巡る事前審査を行っていた民主党税調などの合同総会は前原政調会長対応一任で28日(2012年3月)未明に閉会したが、増税反対派が納得した一任ではなく、次のステップに進めるために議論を打ち切る必要上の強引に纏め上げた“一任”だったようだ。

 3月30日に閣議決定という間近に迫ったスケジュールに合わせるためなのは誰の目にも明らかである。

 反対派が納得しない決着である以上、今後共紛糾は「線路は続くよ、どこまでも」とばかりに続く。

 反対派は税率引き上げの条件として「景気弾力条項」に成長率の具体的な数値の記入を求め、さらにただでさえ増税に反対姿勢を示しているのに閣議決定した「社会保障・税一体改革大綱」に書き込まれた「今後5年を目途に所要の法制上の措置を講じることを改革法案の附則に明記する」とした文言がさらなる増税を策すものと拒絶反応、削除を求めていた。

 一方の執行部側の対応は見せかけ上、かなり譲歩した形の一任だったことを窺うことができる。《消費増税法案 新修正案を提示》NHK NEWS WEB/2012年3月27日 23時7分)

 27日午後8時から始まった民主党の会議には200人近い議員が出席。

 前原政調会長(冒頭発言)「野田総理大臣が、『今年度中の閣議決定を不退転の決意で目指す』としていることを、何としてもやり遂げなければならない。その意味で、きょう、議論をまとめさせていただき、党として決定させていただきたい」

 一任ありきの会合だった。

 紛糾し、纏まらなかったからなのだろう、午後9時過ぎに休憩、この間に前原政調会長が総理大臣公邸で野田首相、岡田副総理、輿石幹事長と夜に入ってから2度目の会談を行い、新たな修正案を纏めたと記事は書いている。

 「景気弾力条項」「消費税率の引き上げにあたっては、経済状況を好転させることを条件として実施するため、平成23年度から10年間の平均で、名目で3%程度、実質で2%程度の経済成長率を目指した望ましい経済成長のあり方に早期に近づけるための必要な措置を講じる

 記事は次のように解説している。〈数値は盛り込んだものの引き上げの直接の条件とはしない形としています。〉

 「今後5年を目途に所要の法制上の措置を講じることを改革法案の附則に明記する」とした文言は削除。

 会議を午後10時過ぎに再開、修正案提示。反対派から異論が噴出、紛糾は続いた。

 そして夜中の12時を過ぎた28日未明、前原政調会長への“一任”。

 「経済成長率を目指した望ましい経済成長のあり方に早期に近づけるための必要な措置を講じる」とは回りくどい言い方だ。

 「望ましい経済成長のあり方に近づけるための必要な措置」と言っているだけで、成長率を決めた景気回復を約束してはいない。景気回復を目指す姿勢を示していさえすれば、増税の条件とし得るという内容なのだから、まさに記事の解説通り、条件でも何でもない。

 だが、この消費税は増税します、増税条件として景気回復に「近づけるための必要な措置を講じ」ますでは、政治の責任放棄に当たらないだろうか。

 景気停滞期に於いて、あるいは不況期に於いてそこからの脱出、景気回復は時の政治の使命であり、義務であるからだ。

 好況期に於いてはその好況を維持することが時の政治の使命であり、義務であろう。

 消費税増税を策す一方で景気に関しては回復への姿勢を示しますでは政治の使命・義務に関して片務的に過ぎ、責任の放棄に当たる。

 野田首相が消費税増税に不退転を言うなら、景気回復に関しても不退転を示すべきで、そうしてこそ国民に対して政治の責任を果たすことが可能となる。

 要するに政治の使命・義務を完遂するためにも経済成長率を書き込んで、達成しなければならないということである。

 勿論、リーマンショックのような世界的金融危機による景気後退は政治の力を超えることとして、政治の義務・使命の放棄に当たらないものの、同時に消費税増税の条件を否定する事態となるのは明白である。

 前原政調会長は3月25日(2012年)の「NHK日曜討論」で、消費税増税条件として政府に経済成長を義務として課す方針でいると発言している。

 《前原氏“経済成長担保に知恵絞る”》NHK NEWS WEB/2012年3月25日 13時43分)

 前原政調会長「数字を(消費税増税の)引き上げの条件とすることは絶対にだめだと思う。国際マーケットの動向を考えたときに、私は数字を条件化することには極めてネガティブだ。

 『景気弾力条項』について、あす以降、修正案を示す。経済が悪いときに消費税を上げると、より悪くなる可能性があるので、党内の意見を聞いたうえで提案したい。政府全体に経済成長を義務として課すことをどのように担保するか知恵を絞りたい

 成長率を書きこんで増税の条件とするのはダメだが、政府全体に経済成長を義務として課し、そのことを「どのように担保するか知恵を絞りたい」と言っているが、義務を担保とするということは経済成長を約束させることを意味するはずだ。

 約束させるもさせないも、不況からの脱出は政治の使命であり、義務である以上、野田内閣が政治の使命ともしていない、義務ともしていないというなら話は別だが、政府はその約束を既定事実としていなければならないし、前原政調会長は経済成長を政府全体に約束させると言明した。

 となると、成長率を書き込んで増税の直接の条件とした方が目標が明確になるし、政府の取り組みも後がないことになって真剣となる。

 成長率を明記することのどこに不都合があるのだろうか。 

 だが、“一任”取り付けの内容は経済成長率は明記したものの、「日曜討論」で前原が言った。「政府全体に経済成長を義務として課す」ことの「担保」「経済成長率を目指した望ましい経済成長のあり方に早期に近づけるための必要な措置」の“担保”へと後退し、変質させた。

 約束から努力目標への降格である。だから、前原は「口先番長」だと揶揄され、悪評に曝されることになる。

 前原だけではない、既に触れたように野田首相自身も財政再建と社会保障制度改革のために消費税増税を不退転とするなら、同時並行で景気回復をも併せて不退転としなければならない義務と責任を負っている立場にあり、そうである以上、成長率を明記して果敢に挑戦して、このことにも不退転であることを示すべきだが、景気回復に関しては不退転転じて努力目標へと逃げ込む退転を演じた。

 前原と同じ「口先番長」だと批判されても止むを得まい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北朝鮮ミサイル発射に対する国際社会の変わり映えのしない警告

2012-03-27 10:08:12 | Weblog

 北朝鮮が金日成生誕100年に合わせて4月12日から16日までの間に「ロケットを使って人工衛星を打ち上げる」と発表。《北朝鮮“人工衛星”打ち上げ発表》NHK NEWS WEB/2012年3月16日 13時7分) 

 北朝鮮国営メディア「来月12日から16日までの間に、地球観測衛星『クァンミョンソン3号』を積んだ運搬ロケットを、西部ピョンアン北道にある発射場から南の方向へ打ち上げる」

 国家財政と国家経済の脆弱性に反した軍事面に限った頭デッカチの独裁者国家の危険性は、よく言われているように、その脆弱性を支えきれなくなって国内的に混乱し、それが収拾のつかない状態で騒乱化した場合、そのような事態は国家権力の正当性を否定することになるゆえに国家権力は自らの権力の正当性を維持するために国内の騒乱を隠す目的で対外的な暴走へと走ることであろう。

 衛星打ち上げはそれを口実として、実際には過去の例と同様にミサイルの発射実験だという。〈人工衛星の打ち上げの発表は、事実上の長距離弾道ミサイルの発射を予告したものと言え、先月のアメリカとの協議で北朝鮮は長距離ミサイルの発射の凍結を約束したばかりであるだけに、国際社会からの強い反発が予想されます。〉――

 北朝鮮国営メディア「強くて盛んな国、強盛国家の建設を進めている、わが軍隊と人民を力強く鼓舞するであろう」

 鼓舞されるのは独裁権力層とその層と利害関係を一蓮托生としている一部人民だけなのは否定できない。日々の食料に満足にありつけない大多数の人民にとって、ミサイル発射に費やす国家財政は国民の食糧をなお遠ざける腹の足しにもならない阻害材料、あるいはマイナス材料となることは間違いない。

 《北朝鮮の発射費用、709億円 コメ141万トンに相当》47NEWS/2012/03/20 12:01 【共同通信】)

 3月20日付韓国紙「朝鮮日報」が韓国政府筋の話としての報道だとしている。

 打ち上げの関連費用が計約8億5千万ドル(約709億円)と推定。〈8億5千万ドルは今年2月の相場でコメ141万トンに相当。〉――

 これだけで終わらない。〈故金日成主席の誕生日である4月15日を中心に行われる生誕100周年の記念行事には20億ドルが費やされる見通しという。〉と補足している。

 金正日の後継者金正恩は自身の国家権力就任の正統性獲得の一方法として年内に食糧配給を計画しているということだが、その配給を外国からの食糧支援に依存しようとしている以上、優先させるべきはミサイル発射実験ではなく、食糧配給でなければならないはずだが、一方で外国からの食糧支援に頼りながらミサイル発射や式典に膨大な国費を費やすところを見ると、国家権力者の最大の務めである国民の生命・財産の保障は熱意を向けるべき対象とはなっていないようだ。

 北朝鮮のミサイル発射予告に国際社会は当然反発し、様々に警告を発しているた。だが、警告は変わり映えのしない批判の展開となっている。朝鮮半島の平和と安定、国連安保理決議違反、国際社会全体に対する脅威等々、繰返してきた批判・警告の改めての繰返しとなっている。

 またミサイル発射は金正日からその子の金正恩への権力継承に期待した淡い“変化”を水の泡とさせ、失望させる転換点とのなるはずだ。

 《韓国大統領“北朝鮮は変化の機会”》NHK NEWS WEB/2012年2月22日 14時46分)
 
 残り1年程となった2月22日(2012年)のソウルの大統領府での記者会見。

 李明博大統領(金正恩が新たな最高指導者になった北朝鮮について)「変化するにはよい機会であり、誠実な姿勢を見せるならば、対話も受け入れる。

 今は、未来に向けて変化するには非常によい機会だ。南北の平和と安定のため、北が誠意ある姿勢で話をしようというならば、われわれは心を開いて受け入れる」

 国民の人権を何とも思わない、抑圧一方の独裁者に「誠意ある姿勢」を期待するのは逆説以外の何ものでもない。誠意なき姿勢が”保障している独裁権力だからである。独裁者の「誠意ある姿勢」は二律背反そのものであって、両立することは決してない。

 ブログに書いてきたことでもあるが、金正恩は自身の権力の正統性は父親の金正日の国家権力者としての存在自体とその独裁権力を正義と位置づけることによって獲得可能となり、自身をも国民に対して正義の存在とし得る。

 父親を否定した場合、自身の権力継承をも否定することになる。独裁権力を正義と価値づけること自体が逆説そのものであるが、金正日総書記生誕70年記念の行事を2月16日(2012年)を盛大に欠いさしたことも、金日成生誕100年の祝賀行事を今年4月に予定していることも、父祖対自身とその権力の連続性を正義と価値づけていることからの行事であろう。

 独裁権力の父子継承自体を止めることができなくても、国際社会が賛成でないことを知らしめ、圧力を加えるためにもその権力の継承に反対の声を上げるべきだったが、さしたる声を上げることはなかった。

 ミサイル発射予定に対する各国の変わり映えをしない警告を見てみる。

 《米大統領 打ち上げ計画撤回求める》NHK NEWS WEB/2012年3月25日 19時37分)

 オバマ大統領は3月26日からソウルで開催の核セキュリティーサミットに出席するため、韓国を訪問し、25日午後5時半過ぎから1時間余り李明博韓国大統領と会談した。記事は二人が、〈国連安保理の決議に違反し、国際社会に対する挑発だという認識で一致したことを明らかにしました。〉と伝えているが、決議違反も国際社会に対する挑発も常套句となっている警告・批判の類いに過ぎない。北朝鮮の国家権力者たちは耳にタコができている、聞き慣れた言葉と映るに違いない。

 さらに李明博大統領が、〈北朝鮮が挑発に踏み切れば断固とした措置を取ることを表明し、北朝鮮の出方を牽制するとともに北朝鮮が核やミサイルを放棄すれば国際社会が支援する用意があると表明し、北朝鮮に対し、打ち上げ計画の撤回を求め〉たと伝えている。

 オバマ大統領「ミサイルの発射は国連安保理決議に違反しており、北朝鮮の孤立を深めるものだ。脅しや挑発によって得られるものは何もない」

 強行することが強い指導者としてのイメージ、姿を演出することができる。警告を受けて中止したなら、強い指導者としてのイメージ、姿を自ら引っ込めることになり承服し難く、張子の虎の悪評を恐れることになる。オバマ大統領は「脅しや挑発によって得られるものは何もない」とは言っているが、何らかの経済的な見返りを得なければ、強い指導者としてのイメージ、姿を維持したままの中止の正当性は獲得不可となる。

 我が日本の野田首相。《北朝鮮:ミサイル発射予告 野田首相「自制求める」 PAC3、首都圏配備》毎日jp/2012年3月26日)

 3月26日午前の参院予算委員会。ソウルで開催の核安全保障サミットで関係国と連携し、北朝鮮に自制を求めていく考えを表明した上で――

 野田首相「明確な国連安保理決議違反だとしっかりと主張する。北朝鮮が発射を行えないように強く自制を求め、国際社会と問題意識を共有して一緒に働き掛けたい」

 しっかりと主張してくださいと言いたいが、そんなことで思いとどまる北朝鮮ではないし、そんなことで踏みとどまった過去の例もなかったはずだ。

 記事題名の「PAC3、首都圏配備」の由来。

 田中防衛相(人工衛星の打ち上げが強行された場合に備えて、「パトリオット(PAC3)」について)「(09年の)前回例にならい、首都圏でも配備をしていくことを考えている」
 
 前回、国際社会の批判に関わらず、発射は強行された。

 同じ3月26日の参院予算委員会。《野田首相:北朝鮮「衛星」打ち上げならペナルティーを》毎日jp/2012年3月27日 0時52分)

 野田首相「国連安全保障理事会決議違反の形で強行されれば、あらゆるペナルティーを科すべく知恵を出さないといけない」

 北朝鮮は国際社会からの金融制裁や経済制裁等々を潜り抜けてきて、再びミサイル発射を強行しようとしている。要するにペナルティーは功を奏さない歴史を担ってきた。

 27日の第2回核安全保障サミットの演説では次のように表明する予定だそうだ。

 野田首相「国際社会の(核)不拡散の努力にも反し、国連安保理決議に違反している。北朝鮮が発射を自制することが国際社会の強い要請だ」

 「国際社会の強い要請だ」に効き目があれば、我が日本の優れたリーダーたる野田首相が核安全保障サミットの会議の場でわざわざ「北朝鮮が発射を自制することが国際社会の強い要請だ」などと言わずに済むはずだが、「国際社会の強い要請」がどの程度のものか合理的に判断する能力を欠いているわけではないだろうから、他に言うことがなくて紋切り型の常套句を口にしたといったところなのだろう。

 百万遍同じことを聞かれたなら、百万遍同じ言葉を繰返したに違いない。

 国際社会が朝鮮半島の平和と安定、国連安保理決議違反、国際社会全体に対する脅威等々のみを問題とするのは極度の経済的困窮を味わわされ、人権抑圧に苦しんでいる人間扱いされていない北朝鮮国民の存在性自体に対する視線、問題意識を比較欠如させているからだろう。

 もし北朝鮮国民の経済的困窮、人間らしさの剥奪に主眼を置いていたなら、北朝鮮国家を対象とした対外的な影響としての朝鮮半島の平和と安定、国連安保理決議違反、国際社会全体に対する脅威等々の批判ではなく、国民を対象とした国家権力の質そのものへの批判、程度の悪さに対する嫌悪の感情を展開するはずだ。

 このことに関しては既に2010年2月7日の当ブログ記事――《北朝鮮独裁者金正日の「トウモロコシ飯」から「白いご飯」への約束を阻む独裁政治のパラドックス - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に次のように書いた。

 〈国家指導者の為すべきことは満足のいく衣食住の保障を含めた国民の生命と財産と基本的人権の保障を確立し、維持することであるにも関わらず、独裁者の存在自体がその保障を蹂躙する元凶であり、国家指導者としての資格を失うなら、国際社会は独裁者を排除する行動を一致して取るべきだが、北朝鮮に限ってはテーブルに就く交渉によって却って独裁者の地位にとどまることを許している。

 さらには金正日が自身の独裁権力をその子ジョンウンに父子世襲すべく企み、北朝鮮国民の生命と財産と基本的人権の保障蹂躙の元凶である北朝鮮の独裁政治が維持されようとしていることに対しても手をこまねいている。

 そういうことなら、国際社会が最低限すべきことは北朝鮮に対して、「国家予算を国民を満足に食べさせる方向に有効に支出せずにその多くを核開発、ミサイル開発等の軍備増強にまわし、尚且つ外国からの食料援助をムダにし、国民生活の困窮を放置状態に置いて、結果として国民の生命・財産と基本的人権を保障せずにいるのは国家指導者としての責任の放棄に当たり、国家指導者としての資格がない」とするメッセージを常に発して、国民生活向上への政策へ転換させるせめてもの圧力とすべきではないだろうか。〉――

 ミサイルの開発・発射、核開発に国家の貴重なカネを使うよりも北朝鮮国民の飢え・食糧不足にこそ、そのカネを使うべきで、そうすることが国家権力者の最大の務めであり、それを果たすことのできない指導者は国家権力者としての資格を失うといった批判に重点を置いて、そういった批判を通してミサイルの開発・発射、核開発を断念させるべく圧力をかけるべきではないだろうか。

 またそうすることによって、変わり映えのしない警告により強いメッセージ性を込めることができるように思えるが、どんなものだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野田首相「社会保障と税の一体改革」で「政治生命をかけ、命をかけて」等々の大袈裟な言葉はいらない

2012-03-25 09:01:12 | Weblog

 昨3月24日(2012年)、野田首相が「日本アカデメイア」(事務局・日本生産性本部)の第1回交流会で講演を行った。

 どちらかと言うと、政治家でありながら、実行の人であるよりも演説の人、言葉の人だから、講演となると独壇場とばかりに高揚感を持って臨んだ荷違いない。

 「日本アカデメイア」とは、《リーダー育成へ提言 「日本アカデメイア」発足》日経電子版/2012/2/19 19:23)によると、2月19日(2012年)発足、〈尾治朗ウシオ電機会長、緒方貞子国際協力機構理事長、古賀伸明連合会長、佐々木毅学習院大教授らが呼びかけ、企業経営者や学者ら約70人が参加。今後3年間で集中的に活動し、次世代のリーダー育成などの成果を目指す。日本の課題解決への提言のほか、国会議員や官僚、各界との交流の場を設ける。〉と紹介している。

 〈次世代のリーダー育成などの成果を目指す〉とする使命を裏返すと、リーダーらしきリーダーが目につかないから、学習塾的にリーダーを育てようと思い立ったということであろう。

 政治や経営の場、その他で自ら学び闘い、優れたリーダーとしての素養と能力を自ら獲ち取っていく者が次々と輩出する日本の人材環境であったなら、何も学者連中や各界識者が次世代のリーダーを育成しますなどとお節介を焼かなくても済むはずだ。

 要するに現世代に於いて優れたリーダーの輩出に困らなければ、そのような優れた人材が育つ環境を日本は有していることになり、次世代のリーダーを心配する必要は生じない。

 だが、次世代のリーダーを心配しなければならない現世代のお粗末なリーダー状況にある。

 これは日本アカデメイアだけの感想ではあるまい。その一人でもあるはずの野田首相が19日発足懇親会で挨拶に立った。

 野田首相「3年と言わずやりましょう。緊張感と危機感と大きな志をもってことにあたりたい」

 日本のお粗末なリーダー状況に反して張り切った挨拶となっている。

 日本アカデメイアが今後3年間を集中的活動期間と定めているのに対して野田首相は3年を超える活動の必要性を訴えている。

 それだけ現世代に於いて優れたリーダーが払底している、荒涼とした状況にあるということであり、野田首相は意図せずにそのことを示唆したことになる。

 もし自身を優れたリーダーの一人と目していたなら、それが例外中の例外だと認識していない限り、日本は優れたリーダーが育つ環境を欠いていないことになり、「3年と言わずやりましょう」といった危機感を持つことはなかったろう。

 日本アカデメイアでの野田首相の講演内容をより詳しく知りたいと思って、そのHPの存在を調べたが、検索に引っかからなかった。事務局が日本生産性本部に置いてあるということだから、日本生産性本部のHPにアクセス、「日本アカデメイア」と打ち込んで検索したが、「該当データがありません」の反応。

 2月19日発足で、1カ月以上置いて3月24日が第1回交流会。だが、自らの情報伝達の場を未だ用意していない。

 今後共用意する予定がないとしたら、活動情報はマスコミ任せなのだろうか。だとしたら、自ら社会に広く知らしめる情報活動の放棄に当たり、その役目を欠いた者たちの次世代リーダーの育成は口では情報伝達の重要性を訴えたとしても、中途半端にならざるを得ないはずだ。

 「アカデメイア」という単語が何を意味するのか、「Wikipedia」で調べてみた。〈アカデメイアは、紀元前387年古代ギリシアのアテナイにプラトンが創設し、古代世界最大の名声を誇った学校(ギムナシウム)の一つである。〉

 〈アカデメイアの名は、学校の場所であるアテナイ郊外のアカデモスの聖林にちなむ。アカデメイアとは「快楽」の意味である。〉

 学問とは快楽であるいうことか。だが、簡単に手に入る即席の快楽は長続きも蓄積も効かない。獲得に苦痛と苦悶を経た学問こそ、その知は快楽となり得る。

 残念ながら、私自身はその辺りの境地にまで至っていない。即席の学問、底の浅い即席の快楽で終わっている。

 どういった野田首相の講演内容であっのたか、《首相“今国会成立に政治生命を”》NHK NEWS WEB/2012年3月24日 19時34分)から見てみる。

 当然取り上げることになる消費税増税法案について。

 野田首相「今年度内にこの法案を提出しなければ、国会の審議で与野党で向き合い『決勝』を行う前に、『準決勝敗退』であり、あってはならない。万万が一にも、ちゃぶ台返しをして後退させる議論はないと思う。

 ここで決断し、政治を前進させることができなければ、野田内閣の存在意義はない。不退転の決意で、政治生命をかけ、命をかけて、この国会中に成立させる意気込みで頑張っていく」

 TPP=環太平洋パートナーシップ協定について。

 野田首相「TPPはビートルズにたとえると、日本はポール・マッカートニーだ。ポールのいないビートルズはありえない。アメリカはジョン・レノンで、2人がきちっとハーモニーをしなければならない」

 演説の人となりとなっているから、驚きはしないが、TPPを説明するのにビートルズを持ち出し、日本をポール・マッカートニーに譬えて、アメリカををジョン・レノンに譬えて関心を引くところは流石である。アメリカと日本の2カ国による調和を持った連携・連帯の必要性を訴えたのだろう。

 ジョン・レノンとポール・マッカートニーのどちらがビートルズのリーダーだったのかインターネットを調べてみた。絶対的リーダーは存在しなかったが、ジョン・レノンがリーダー的存在だったとか、ジョン・レノンがリーダーだったといった記載が目立つ。

 野田首相は少なくともアメリカを上に位置づけ、日本をその下に置いた。いわば上下の関係の中で相互を不可欠の存在とし、上下の関係を保つ形でハーモニーある連携・連帯を必要とした。

 他の協定と同じようにTPPに於いても上下の関係を維持した結論を結果とすることになる。

 アメリカとの関係でハーモニーある連携・連帯を築き、ハーモニーある結論を得たとしても、日本のあるべきハーモニー(=あるべき国益)を侵害されたなら意味はない。

 そこにはどちらのハーモニーを優先させるべきかの判断を欠いている。

 要するにアメリカとのハーモニーに目を向けるよりも、日本社会のハーモニー、国益にこそ目を向けるべきであって、目の向けどころが間違っていると言わざるを得ない。

 ビートルズを持ち出すよりも、アメリカから日本のコメの関税完全撤廃を求められたとしても、日本のコメを救う方法があるとか、関税ゼロは受入れることはできないが、関税を半分に下げるところまでは日本のコメを救う方策があり、受入れることができるとかを講演内容lとすべきだったろう。

 国民もコメ農家もそういった言葉、そういった情報を求めていたはずだ。求めている言葉・情報が何かに気づかずに演説の人らしくビートルズを持ち出し、アメリカをジョン・レノンに擬え、日本をポール・マッカートニーに擬えて、とうしようもなく既成事実として存在するアメリカと日本との上下関係に敬意を評した。

 各界の識者が次世代リーダー育成を目的とした日本アカデメイア発足の衝動に駆られて、第1回交流会に漕ぎつけたのは無理はない。野田首相みたいな真のリーダーとは言えないリーダーが国のトップに居座っているからこその経緯であろう。

 但し第1回交流会で見当違いな発言しかできないことによって日本のトップリーダーではないことを図らずも曝してしまった野田首相を講演に招いたのは、単に日本の首相だから仕方なく設定したとしなければ理解ができないことになる。

 消費税増税法案に関して言うと、「『決勝』を行う前に、『準決勝敗退』」だとか、「ここで決断し、政治を前進させることができなければ、野田内閣の存在意義はない」とか、あるいは「政治生命をかけ、命をかけて」とか言う前に、消費税増税と社会保障制度改革を一体としている以上、社会保障制度改革が具体的にどういった内容の政策なのか、どのような成果を見込み、国民の生活向上にどのように役立つか、言葉を尽くすべきだろう。

 「ここで決断し、政治を前進させる」と言っているが、「決断」とは「決心して断行する」ことを言う。

 だが、決心するについては、断行する政策内容を前以てきっちりと固めて、説明可能としておかなければならない。

 政策内容を固めないままの断行というのはあり得ない。当然、「政治を前進させる」ことにはならないし、「政治生命をかけ、命をかけて」といった大上段の決意表明は思わせぶりとなる。

 野田内閣の「社会保障・税一体改革大綱」が完成していないのは社会保障と税の一体改革担当相である岡田福総理自身が「詳細な制度設計はこれからでございます」(3月6日(2012年)衆議院予算委員会)と国会答弁していることも裏付けていることであるし、大綱には検討や見直しの対象となっている項目が何十カ所もあることも証明している不完全体である。

 いわば野田首相は自身は安全運転を心がけると言いながら、欠陥のある新車を快適なドライブを約束しますと消費者に売りつけるようなことをしていることになり、そういった違反行為に「政治生命をかけ、命をかけて」と言っている。

 「政治生命をかけ、命をかけて」といった言葉はいらない。「『決勝』を行う前に、『準決勝敗退』」だとか、「ここで決断し、政治を前進させることができなければ、野田内閣の存在意義はない」いった言葉もいらない。

 野田内閣の「社会保障・税一体改革」がその具体像を固めないうちに先行して決めてしまった消費税増税の負担に見合う生活の質の向上と生活の安心を与え得る改革なのかどうかの理解できる言葉による説明の言葉こそ必要としている。

 だが、「若者からお年寄りまで安心出来る、『全世代対応型』の社会保障への転換」等々、口で「安心」を唱えるだけで、具体的にどう安心なのか言葉を尽くした説明は未だ行なっていない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野田首相の人口減少社会を基盤とした国のカタチの是非

2012-03-24 08:57:46 | Weblog

 野田首相が消費税増税の経済に与える影響として経済活性化の要素もあるとする国会答弁を《消費増税で「経済活性化」=首相、歳出削減に努力表明》時事ドットコム/2012/03/16-13:12)が紹介している。

 3月16日午前参院予算委員会集中審議。自民党の片山さつき議員への答弁である。

 野田首相「将来への不安をなくしていくことで消費や経済を活性化させる要素もある」

  記事は続いて、〈社会保障の安定化によるプラス効果を強調〉したと解説――

 野田首相「総合的に勘案すべきだ」

 この発言は、〈増税への理解を求めた。〉内容だとしているが、要するに経済抑制の側面からのみ見ないで、活性化の面も見て、総合的に勘案して欲しいという理解要請ということなのだろう。

 その一方で――

 野田首相「全世代で公平に分かち合う安定財源だ」

 いわば消費税増税は経済抑制の要素もあるし、経済活性化の要素もあるし、「全世代で公平に分かち合う安定財源」としての要素もあると並べ立てている。

 具体的には次のように国会答弁している。

 野田首相「消費税の経済への影響でありますが、勿論、影響がないようにするためのポリシィミックスというか、いろいろな政策は講じなければいけません。

 そのことは与野党協議の中でじっくりと議論させていただきたいというふうに思いますが、一方で、あの、先程我が党の議員との遣り取りにもありましたけれども、将来に対する不安をなくしていくことによって消費や経済を活性化という要素もあるんで、その辺は経済への影響は総合的に勘案しなければいけないというふうに思います」

 無学ゆえに「ポリシィミックス」という単語の意味を知らなかったから、インターネットで調べてみた。「マクロ経済において、いくつかの政策手段を同時に使い、政策目的を実現すること」だそうだ。

 「消費や経済を活性化という要素もある」とする発言は巷間広く言われている経済抑制の要因となるという、要するに景気を悪化させるという指摘を半ば肯定し、その肯定を前提としている。決して後者の確固とした否定ではなく、また前者の自信を持った肯定でもない。

 後者の絶対的否定の上に前者の絶対的肯定は成り立つはずだし、そのように成り立たせてこそ、消費税増税実現の不退転の正当性を得ることができるはずだが、そうなっていないところを見ると、景気や国民の生活よりも安定財源の確保、財政の安定化をより優先させた消費税増税のようだ。

 だから、「全世代で公平に分かち合う安定財源だ」とする発言を口にすることになったのだろう。

 頭の中に記憶している野田首相の国会答弁だが、同じ趣旨の発言をしている。

 野田首相「社会保障が充実することによって国民が生活に安心を得て、その安心が消費に向かってモノが売れると、企業活動が活発化して景気が回復し、雇用が生まれる」

 こういった趣旨の発言をしていたと記憶している。

 充実した社会保障制度の提供による景気循環説である。

 要するに野田首相は消費税増税を安定財源とした社会保障制度を、「消費や経済を活性化という要素もある」との発言とやや矛盾するが、いずれにしても経済活性化・景気回復の契機として位置づけ、持論としているということになる。

 野田内閣は消費税増税を財源としてそのような充実した社会保障制度を国民に提供する。

 果たして野田首相が掲げるこの景気循環説は可能だのだろうか。

 上記片山さつき自民党議員が質問をした同じ3月16日の参院予算委員会のトップバッターは川合孝典民主党議員であった。

 先ずパネルを提示、『少子高齢化』、「雇用環境の変化』、「家族のあり方の変容』、「経済成長の停滞』の項目が並んでいて、『少子高齢化』は「人口減少社会の到来・急激な高齢化」、『雇用環境の変化』は、「非正規労働者の増加」。『家族のあり方の変容』は、「三世代同居の減少」、「高齢独居世帯の増加」、『経済成長の停滞』は、「少子高齢化等による構造的停滞」とそれぞれに説明がついている。

 川合議員「このパネルは近年の社会情勢の変化を大きく纏めたものの資料をパネルに纏めさせていただきました。ここ30年、40年の間で、この日本という国がどういう形で変わってきたのか、表しているわけでわけですが、えー、少子高齢化、雇用環境の変化、そして経済成長の停滞、えー、こういうことでありますし、併せて、私、注目しておりますのは家族のあり方の変容というところであります。

 経済の方では少子高齢化のこと、雇用環境のことについてはよく議論されるのですが、家族のあり方が変容していることにつては実は、分かっているようであまり認識されていない問題で、1970年代に、世帯主65歳以上の単身・夫婦のみ世帯、960万世帯が2010年の時点では何と、1081万世帯まで増えている。

 こういう形で家族のあり方が変容してきている。従来、2世帯、3世帯同居によって家族が担ってきた部分自体を国が担わなければいけないという形に変容してきている。

 こういう近年の経済の変化を踏まえてということだが、今なぜ社会保障と税の一体価格を行わなければいけないのか、野田総理から分かりやすく説明していただきたいと思います」

 野田首相「お早うございます。今の社会保障制度の根幹は国民皆年金、国民皆保険、約半世紀に前に作られました。その後、今、パネルでお示しいただいたようにですね、人口構成も、経済、雇用をめぐる状況も、ご指摘いただいた家族のあり方だけを見てもですね、まあ、いまよく、またよくテレビでサザエさんやっていますが、あの、波野家の3世代が住むような、そういう家族は少ないようですね。

 (注意されて、笑いが起きる。自身も笑いながら、)磯野波平でした。ごめんなさい。磯野家。

 というように、相当変わってきています。こうやって人口だけを見てもですね、えー、かつては制度が作られた頃は、たくさんの人が一人の高齢者を支えるから、よく申し上げるんですけども、あの、胴上げの社会が今は、まさに、3人が1人を支えるという、そういう、騎馬戦型の社会になり、2050年代が1人が限りなく1人を支えるという時代を迎えますので、そういう劇的な変化を踏まえて、社会保障制度を持続可能なものにしていかなければならないという状況が生まれてるというふうに思います。

 特にそういうふうに人口構成で申し上げましたけども、従来は給付は、え、高齢世代中心、負担は現役世代中心、ということで、ございました。

 それでは持続可能性がなくなってしまいます。現役世代中心というよりも、今は将来世代のポケットに手を突っ込んで、赤字国債で対応すると、いう状況ですから、これも問題であります。

 そういう意味から、給付に於いてもですね、全世代対応型、特に支える側、人生前半の社会保障の子育てのところにも、これまで手薄だったものですから、その手厚くしていかなければいけないということと、それから、ご負担をいただく面に於いても、現役世代中心で支えるんではなくて、これは全世代で、即ち、社会保障の恩恵、サービスを受けるとき、どの段階、どういう形で我々受けるか分かりませんが、どの方も対象になり得ると思うんです。

 子どもを育てる、老後を迎える。失業するかもしれない、病気をするかもしれない。そういうことであらゆる人がこの社会保障とは無縁ではないというふうに思いますので、その意味では全世代で公平に分かち合うという意味に於いて、安定財源支える財源として消費税で支えたらどうかという、今、ご提起させていただいているということで、こういうことをしっかりと国民の皆様にご理解いただくように説明を尽くしていきたいというふうに思います」

 要するに野田首相は消費税増税を安定財源として充実した社会保障制度を提供する。その充実した社会制度が老後の心配はない、病気しても心配はないということになって国民の生活に安心を与え、その安心が生活を豊かにする消費へと向かい、社会を活性化し、経済を活性化する。

 だが、そのような活性化した社会、活性化した日本の国は2010年に1億2806万人だった人口が2048年に1億人を割り込み、2060年には約4000万人少ない8674万人になると予測されている人口減少社会を前提としている。

 このことは「かつては制度が作られた頃は、たくさんの人が一人の高齢者を支えるから、よく申し上げるんですけども、あの、胴上げの社会が今は、まさに、3人が1人を支えるという、そういう、騎馬戦型の社会になり、2050年代が1人が限りなく1人を支えるという時代を迎えます」という発言が証明していることであり、だからこそ、人口減少社会に対応した全世代対応型の社会保障制度ということであって、他の多くの場でも人口減少社会を前提とした似た趣旨の発言を行なっている。

 一例として、1月24日(2012年)第180回国会野田首相施政方針演説での発言を見てみる。

 野田首相「 団塊の世代が『支える側』から『支えられる側』に移りつつあります。多くの現役世代で一人の高齢者を支えていた『胴上げ型』の人口構成は、今や三人で一人を支える『騎馬戦型』となり、いずれ一人が一人を支える『肩車型』に確実に変化していきます。今のままでは、将来の世代は、その負担に耐えられません。もう改革を先送りする時間は残されていないのです。

過去の政権は、予算編成のたびに苦しみ、様々な工夫を凝らして何とかしのいできました。しかし、世界最速の超高齢化が進み、社会保障費の自然増だけで毎年一兆円規模となる状況にある中で、毎年繰り返してきた対症療法は、もう限界です」

 人口減少を前提とし、そのことに対応させる社会保障制度であり、毎年一兆円規模となる社会保障費自然増を前提とし、そのことに対応した社会保障制度改革だとしている。

 いわば、すべてに於いて現状追認となっている。人口減少という現状を追認し、毎年一兆円規模の社会保障費自然増という現状を追認した対処療法で国家経営を図ろうとしている。

 「肩車型」から「騎馬戦型」、さらに「胴上げ型」という、現状追認に逆らう発想――原因療法はどこにも見当たらない。

 国家経営とは自身が思い描いたカタチで国をつくることである。当然、野田首相は人口減少社会を基盤とした国のカタチを模索していることになる。

 だが、人口減少社会は同時併行で生産年齢人口の減少を伴う。上記の2060年に向けた人口減少予測は同時に労働力の中心となる15歳から64歳までの生産年齢人口が現況から半数近く減少して4418万人になると予測している。

 その分、高齢者が社会を占めることになる。

 野田首相は消費税増税を安定財源とした社会保障制度が「将来への不安をなくしていくことで消費や経済を活性化させる要素もある」と主張しているが、人口減少社会を基盤に据えて国のカタチとするとは明確に説明していない。

 果して人口と共に減少していく生産年齢人口の生産と消費を上回る生産と消費を国民に生活の安心を与える、対処療法としての社会保障制度一本槍で創出可能かどうかの具体的かつ詳細な説明もない。

 勿論、様々な景気政策を打っていくだろうが、現在の少子高齢化と共に年々の生産人口減少化に伴う経済の縮小・生産減少を相殺可能とする設計図を示しているわけでもない。

 要するに人口がこれだけ減っても、経済縮小に向かわせることはありません、経済大国としての地位と経済大国にふさわしい国民生活を確保することを約束しますという説明である。

 社会保障制度の充実ばかりを言う国のカタチとなっている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野田首相の東日本大震災をダシに使った国家公務員新規採用削減の薄汚い自己正当化

2012-03-23 08:41:29 | Weblog

 ――野田首相が言う国家公務員新規採用削は「東日本大震災の痛みを国民皆で分かち合う」ことと関連するのだろうか――

 若者の雇用状況を現在以上に困難とすることが「東日本大震災の痛みを国民皆で分かち合う」ことになるはずはない。鈍感な男だ。

 野田首相が民主党主催の学生インターンシップに参加した大学生ら約30人と首相官邸で懇談。野田首相は学生の国家公務員新規採用削減に示した懸念に発言している。

 その発言に取り掛かる前に先ず最初にこれまでの経緯を振り返ってみる。

 当初、岡田福総理は「YOMIURI ONLINE」記事では2013年度国家公務員新規採用を2009年度上限(8511人)比で各府省全体で7割以上削減するよう指示を出したとなっている。

 だが、各府省から猛反対に遭って5割超の削減ということになったと、《公務員採用削減「5割超」で決着へ 国交省など猛反発で方針転換》MSN産経/2012.3.22 11:05)が伝えている。

 〈政府は(3月)21日、平成25年度の国家公務員の新規採用を21年度比で各省庁への5~8割の削減要求を撤回し、平均5割超の削減を求める方針を固めた。〉

 〈岡田克也副総理兼行革担当相は週明けから各閣僚と折衝し、月内に採用数を確定させる構えだが、省庁はなお抵抗しており難航が予想される。〉

 記事はそもそもの発端を次のように解説している。

 〈政府の行政改革実行本部(本部長・野田佳彦首相)は(3月)6日、25年度の新規採用数を21年度(8511人)比で37%減だった23年度(5333人)、26%減だった24年度(6336人)を「大幅に上回る削減」を決定。岡田氏は削減目標の大幅な上積みを指示し、総務省が各省庁に5~8割の削減を割り当てた。〉――

 対して各府省の反応。

 国土交通相等「業務に支障が出る」

 小川法相「仕事の緊急度、人員の必要度を勘案した対応をしてほしい」

 数値目標ありきでは困ると言っている。

 労働関係からは。

 南雲弘行連合事務局長「国家公務員制度がどうあるべきかの議論が先だ」

 ただ数だけ減らせばいいってものではないとの反発。

 国家公務員新規採用削減を思い立った動機については次のように解説している。

 〈(平成)21年の衆院選マニフェスト(政権公約)に掲げた「国家公務員総人件費2割削減」に道筋を付けたい首相にとって23、24年度以上の削減は譲れない。消費税増税に向け、国民に「身を切る改革」の姿勢を示す上でも「5割超」の削減は確保することにした。〉――

 議員定数削減や議員歳費削減の「身を切る改革」を成し遂げないままの国家公務員新規採用削減は就職を目指す若者を改革の生贄にする他力本願の“身の切り方”に過ぎない。

 また、新規採用削減はマニフェストに掲げた「国家公務員総人件費2割削減」に道筋を付けるためだとするなら、いわば若者がこれだけ犠牲になっているのだから、現職の君たちも給与の2割を犠牲にして貰いたいとする理由づけにするということなら、やはり若者を改革の生贄にする他力本願としか言いようがない。

 岡田福総理は3月21日の参院本会議で中高年の国家公務員削減にも踏み込む考えを示したと記事は書いている。

 岡田副総理「希望退職制度の導入や自発的再就職の支援について検討する」

 要するに国家公務員新規採用削減の評判が悪いことから、例え人数を減らしても是が非でも実現させるために後付けで打ち出した政策といったところなのだろう。

 若者の新規雇用創出に与える影響への視点や感慨を何一つ持たない岡田副総理の発言であり、数々の方針となっている。

 先ず「国家公務員総人件費2割削減」を厳格に実現させて財源の捻出を図ることから始めて、新規採用削減で若者の雇用を脅かすのではなく、現在国家公務員として採用されていて職業と生計を保証され、雇用が脅かされる立場にない国家公務員宿舎入居者からその家賃を民間マンション並みに値上げしてなおのこと財源の捻出に努めるべきだろう。

 国家公務員よりも給与が少ない民間企業社員が民間マンションを借りて職業と生計を維持していることからして、国家公務員賃料の値上が彼らの職業と生計を損なうことにはならないのだから、若者の雇用を脅かす新規採用削減よりも次善の策であるはずである。

 では、学生インターンシップに参加した大学生らに発した野田首相の発言を見てみる。

 《首相が公務員採用削減に理解求める 学生インターンと懇談》MSN産経/2012.3.22 21:07) 

 野田首相「東日本大震災の痛みを国民皆で分かち合うため理解してもらいたい」

 短い記事で、単に野田首相のこの発言のみを伝えている。

 《野田首相:インターンシップ学生らと面談》毎日jp/2012年3月22日 18時47分)も同じ体裁の記事だが、少々ニュアンスを違えている。

 野田首相「東日本大震災の痛みを国民皆で分かち合おうという話の中で理解してほしい」
 
 上の記事は新規採用削減は「痛みを国民皆で分かち合」う行為そのものであって、新規採用削減と「痛みを国民皆で分かち合」う行為をイコールと見做して、そのことを直接的な目的として要望しているのに対して、下の記事は「痛みを国民皆で分かち合」うことと関連付けて、同レベルの行為としての解釈を要望している。

 いわば前者と後者では「痛みを国民皆で分かち合う」という点に於いて後者の方がより精神的な感覚を求めている。

 これから就職を目指す学生にしたら、新規採用削減と「痛みを国民皆で分かち合う」行為をイコールとすることはできない。首相と学生の立場は異なる。就職を“痛みの分かち合い”に代えるわけにはいかない。学生の一生がかかっているのである。

 もし国家公務員を絶対的な職業として目指していながら、その夢を果たすことができなかった若者が生涯、その痛みに付き纏われない保証は皆無とは言い切れない。

 要するに被災地や被災者に自身にできる範囲の「痛みを国民皆で分かち合」う犠牲的精神を働かすことはできても、就職対象職種の選択や就職活動に犠牲的精神を働かすことはできない。

 自身の一生がかかっているのだから、当然の気持の持ち方と言える。

 以上のことからして、多分後者の物言いをしたのだろう。

 だとしても、例え新規採用削減で財源が捻出でき、それが震災復興に振り向けられることで「痛みを国民皆で分かち合」うことになったとしても、被災地や被災者に対する自身ができる犠牲とは別次元の雇用に於ける犠牲であるという同じ理由から、学生の立場からしたら容認できない“痛みの分かち合い”であり、犠牲的精神であるということに変わりはない。

 そもそもからして「東日本大震災の痛みを国民皆で分かち合」うとは、気持や支援の点で自身に可能な範囲で少しずつ持ち寄って「分かち合」うということであって、不況下の雇用困難な状況をより困難とし、若者をそのような状況に曝すことが「分かち合」うということではない。

 だが、野田首相は優れた政治家だからなのだろう、学生の気持の持ち方や新規採用削減によって置かれることになる雇用状況に対して理解する視点を向け得ずにドジョウのツラにショウベンの風情でいられる。

 要するに“痛みの分かち合い”の対象を混同させての「東日本大震災の痛みを国民皆で分かち合おうという話の中で理解してほしい」という要望である以上、大震災をダシにして国家公務員新規採用削減を納得させようとした薄汚い自己正当化といったところなのは間違いない。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

簡単には喜んでばかりはいられないイラン制裁適用除外の日本の地位

2012-03-22 10:49:25 | Weblog

 2011年12月14日米国で「2012年会計度国防授権法案」が下院を賛成対数で可決・通過、同12月15日、上院を賛成多数で可決、2011年12月31日オバマ大統領が署名 。

 この法律は対イランに関しては世界各国の金融機関のイランとの取引制限を課すことでイラン産原油の輸出入を事実上不可能とすることを目指しているという。

 但し、日本の金融機関はその法律の適用除外を受けた。その理由をWEB記事から拾ってみた。

 《同盟関係に配慮も=日本のイラン制裁除外-米》時事ドットコム/2012/03/21-09:49)

 イラン制裁法に基づく制裁対象から日本を除外した理由。

 ●東京電力福島第1原発事故でエネルギー確保が困難な状況にあること。
 ●イラン産原油輸入の削減努力を評価したこと。
 ●日米同盟の重要性に配慮したこと。

 記事は、〈日本を除外することで、韓国などにさらに輸入削減を促す狙いもある。〉と書いている。

 要するに現在のところ韓国は適用除外を受けていない。日本並みにイラン産原油輸入削減に努めた場合は、適用除外を受けるということを示唆した文言なのだろう。

 日本は米政府から制裁除外の通告を事前に受けていたとも記事は書いている。

 在米外交筋「日本が震災で大変な中、同盟国としてしっかり対応していることを評価した結果だ」

 国務省高官「日本は半年間で、イラン原油輸入を15~22%削減した。日本の削減努力は制裁除外を求める国々の一定の基準になる」

 (記事解説を発言形式に一部変更。)

 この国務省高官の発言が、記事の〈日本を除外することで、韓国などにさらに輸入削減を促す狙いもある。〉の文言を引き出したということなのだろう。

 尻を叩いてセリにかけるようなものである。

 記事。〈イラン産原油を輸入している23カ国のうち、制裁対象外となったのは、日本と欧州連合(EU)の10カ国。EUは、7月からイラン産原油の全面禁輸に踏み切ることを決めている。EU以外で除外となったのは日本だけで、韓国やトルコなどは含まれていない。〉――

 何とも恵まれた日本の扱いである。

 日本側のこの適用場外に対する反応を見てみる。《イラン制裁、日本適用除外を歓迎 官房長官》(MSN産経/2012.3.21 11:29)

 3月21日(2012年)午前の記者会見。

 〈日本が過去5年でイラン産原油の輸入を約40%削減したことが評価されたと指摘〉した上で、

  藤村官房長官「(適用除外を)歓迎したい。この(輸入削減の)傾向は今後も加速され、相当程度削減される」

 但し、〈具体的な削減幅には言及しなかった。〉と記事は指摘している。

 要するにアメリカの要求次第、意向次第となるから、自分たちからは削減幅は決めることはできないということなのだろう。下手にアメリカの要求以上の削減幅を前以て決めてしまったなら、あとで日本の首を締めることになる。夢々お先っ走りはできないということに違いない。

 だが、このような日本の事情を裏返すと、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5か国以外の核兵器保有を禁止する核拡散防止条約を日本が批准していながら、イランの核開発問題に対して独自の毅然としたイニシアチブを取れない状況に縛られていることの証明以外の何ものでもない。

 また、イランの独裁的国家権力がイラン国民に強いている権状況に対しても経済的な国益という名の自己利害擁護を優先させて、これらの面での自律した対外的姿勢を示すことができないことの証明ともなる。

 単にアメリカに従うだけということである。

 《米国のイラン制裁、日本対象除外を歓迎 枝野経産相ら》asahi.com/2012年3月21日10時43分)

 枝野経産相(3月21日記者会見)「米国側に(日本の削減努力を)かなり具体的に説明し、例外措置を含む柔軟な対応を要請してきた。努力を理解していただいた。

 (今後のイランからの輸入の見通しについて)減少させてきたトレンドのなかで対応するので、直ちにはゼロにならない」

 藤村官房長官と同じで、アメリカの要求、あるいは意向を窺いながら、応じなければならない場合は応じていくということなのだろう。

 アメリカが決めたこの対イラン制裁は断るまでもなく、アメリカ主導の制裁であり、日本その他はアメリカに従う下の立場に位置づけられている。アメリカとの国力の差、国際政治力の違いから無理はないが、それでも日本が自律的に積極的に協力することによって、下の立場からより対等な立場を確保できて、このことが対外的発言力を損なわずにそれなりに維持できる方向に日本を進めていくことができる。

 だが、そういった方向を選択せずにアメリカと交渉して適用除外を成果としたことは、一見日本の努力によって獲ち取ったように見えて、実質的にはアメリカの判断が決めたことであって、そのようなアメリカの決定権に委ねる最終判断の構造に支配された適用除外は日本がアメリカの保護を受けたことを意味するはずだ。

 いわば日本をアメリカの保護下に置いた。あるいはアメリカと保護の関係を結んだ。

 その保護に守られて、日本の石油各社がイラン産原油の取引をしても、その決済に関わる日本の金融機関は制裁を受けずに済む。

 保護そのものの関係であろう。

 東電福島第1原発事故でエネルギー確保が困難な状況にあるからと適用除外を受けたことは“保護”という言葉そのものを象徴している。

 勿論、アメリカの日本に対する保護の関係は今回の対イラン制裁に限ったことではない。

 イランの人権状況と核開発意志は前々から分かっていたことであって、昨日今日に始まった突発事態ではない。どう転んでもいいように国益を死守する危機管理を時間をかけて構築すべきを構築しきれずにアメリカの保護に与った。

 アメリカの下位に位置し、保護を受ける関係に甘んじている以上、そのような関係を強いている政治的・外交的問題に関する対外的発言力は既に触れたように満足に発揮することは敵わないに違いない。

 イラン制裁適用除外で簡単には喜んでばかりはいられないということである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

共同通信世論調査に現れた国民の衆院選後望ましい政権枠組みが意味するもの

2012-03-21 09:16:23 | Weblog

 《世論調査、政界再編に期待38% 内閣支持31%で微増》

 3月19、20日全国電話世論調査。

 野田内閣支持率。

 「支持する」――31・6%(前回2月中旬調査+2・6ポイント)
 「支持しない」――50・2%

 消費税(「どちらかといえば」を含めた数値)

 「引き上げに賛成」――42・1%(前回2月中旬調査48・3%)――-6・2ポイント
 「引き上げに反対」――56・0%(前回2月中旬調査50・6%)――+5・4ポイント

 消費税増税賛成が減って、増税反対が増加しているにも関わらず、野田内閣支持率は+2・6ポイントの逆の現象を見せている。

 いずれにしても、前回反対と賛成の差が2・3ポイントから3・9ポイントと拡大している。

 これは内閣支持増加率の2・6ポイントを1・3ポイントも上まわる反対の増加率となっている。

 前回2月中旬調査にはなかった衆院選後の望ましい政権の枠組みを取り上げている。
 
 「衆院選後の望ましい政権の枠組み」

 民主・自民両党の大連立23・4%
 自民党中心13・4%
 民主党中心8・3%

 合計45・1%が答えている。

 残念なことは政党支持率が出ていないことだが、「衆院選後の望ましい政権の枠組み」がそのまま反映した政党支持率となっていなければならない。

 このことから読み解くと、現在の政治状況から判断して、民主党政権に失望している、期待していないということであり、この拒絶反応がそのまま反映した、民主党中心の「政権の枠組み」に対する最低の期待ということであろう。

 にも関わらず、内閣支持率が微増という逆の現象が他の世論調査と同様にここでも見て取ることができる。

 「衆院選後の望ましい政権の枠組み」に答えた合計45・1%から、現況から見た場合の期待不可能性・失望度、いわば拒絶反応の程度を見てみる。


 民主党中心の政権に期待しない・失望している――36.8%。
 自民党中心の政権に期待しない・失望している――31.7%
 民主・自民大連立に期待しない――21.7%

 これも現在の政治状況から判断した期待不可能性・失望、イコール拒絶反応であって、簡単に言うと、政治不信、当然の結果ではあるが、日本の政治を代表する二大政党が共に責任を果たしていない、国民の期待に応えていない姿が浮かんでくる。

 民主党と自民党が現在の勢力のまま大連立することは考えにくいから、政界再編の形で民主党と自民党の主だったところが多数派を形成する政権の形を取るはずだ。

 期待不可能性・失望、拒絶反応にしても、民主党も自民党も、同じ党に所属しながら、政策によって意見が合わずに何事も決まらない、あるいは何事も決めることができない、その結果政治が先に進まない閉塞的な状況が仕向けている期待不可能性・失望であり、政治不信ということなのだろう。

 当然、現在のままの勢力による大連立は政策が異なる集団体制を引きずることになって、現在の二の舞を演じることになる。

 民主党に関しての閉塞的状況を言うと、野田首相が消費税増税を目指していながら、増税で党を今以て一本に纏めることができないところに象徴的に現れている。

 野田首相は2月29日(2012年)午後の党首討論で、谷垣自民党総裁に対して次のように発言している。

 野田首相「手順は踏んできているんです。去年の6月に成案をまとめました。成案をまとめましたときには、これは政府と党が一体でまとめたんです。それを踏まえて8月の代表選で明確にそれを具体化していくと申し上げました。そして、素案として(2012年)1月6日にまとめました。これも多くの時間をかけながら、多くの人が参加をして、熟議を重ねながら、最後はこれは拍手で、そして握手で終わっています。深夜までかかりました。党内のプロセスは民主的なプロセスを踏んでしっかりやってまいりました。その素案を閣議決定したら、もしかすると与野党協議に応じていただけるかもしれないという話があったんで、閣議決定しました。大綱にしました。そのときもいろいろ議論がありましたけれども、きちっと手順を踏んで、党議として今の方向を決めております」(MSN産経

 党内で民主的なプロセスを踏んで拍手と握手の和気藹々で党議として今の方向性を決めたと言っている。

 3月6日(2012年)衆院予算委員会。

 野田首相「私は、(与党内が)一枚岩でない、ばらばらという前提に立っていない。かんかんがくがくの議論をし、民主的手続きを瑕疵(かし)なくやっている」(毎日jp

 以上の発言から窺うことができる状況は民主党は消費税増税で一枚岩に固まっている。それも民主的なプロセスを踏んで拍手と握手で党議決定し、野田内閣で「大綱」を閣議決定した。

 だが、実態は消費税増税案を閣議決定する前の民主党の事前審査では経済状況が好転しなければ税率引き上げを凍結できる「景気条項」や2016年度をメドとする「追加増税」規定の扱いで、野田首相が言う「拍手と握手」の和気藹々に反して議論が紛糾、激しい抵抗に遭って先週、3日間に亘って事前審査を行ったが未だ内容が確定していない。

 だが、何よりも奇妙なことは各マスコミの消費税増税に関する世論調査で増税反対が殆ど50%を上回っているにも関わらず野田首相が不退転を言い、粛々と消費税増税の法案化を進めている世論が通らない閉塞状況に見舞われながら、野田内閣支持率微増に手を貸していることであろう。

 民主党中心の現政権に一番失望し、次の政権の枠組みとして民主党と自民党中心の政権を望無事を民意としていながらである。

 消費税増税に反対しながら、増税は既定事実と諦めているといったところが民意なのかもしれない。

 この諦めが増税賛成・反対の民意とは別個に内閣支持率に僅かながらに働いているのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする