蓮舫が2016年10月28日、毎日新聞のインタビューに応じて、7月の参院選で掲げた重点政策「国民との約束」を政権選択が問われる次期衆院選用の公約に改定して、11月中に纏める方針を明らかにしたという。
要するに大敗した参院選に用いた公約を焼き直して、より重要な次期衆院選の公約にするということらしい。少なくとも「参議院選挙」という言葉を「衆議院選挙」という言葉に変えるだけではなさそうだ。
「財源の裏付けも含めて(検討が)進んでいる」と話したというが、政策と財源は一対のものでなければならないから、当たり前の話である。
記事の後半は有料となっていて無料では覗くことができないが、過去の衆院選、参院選共にアベノミクスを争点とされて大敗していることと、民進党を含めて殆どの野党がアベノミクスは失敗だと言っている関係からして、再度の大敗を避けるためにはアベノミクスを上回り、尚且つ国民に成る程と実感させる経済政策の具体的な提示の約束こそが最優先されて然るべきで、そのことに関連する発言があったなら、その触りだけでも記事は無料部分で取り上げると思うのだが、取り上げていないということはその約束に関する発言はなかったということなのだろう。
あるいはその手の予定があったなら、毎日新聞のインタビューに対してだけ発言するわけはなく、自身の記者会見でも触れるはずだから、自ずと世間に知れることになるはずだが、アベノミクスを上回ると思わせる具体的な経済政策の提示に未だお目にかかっていない。
確かに2016年7月の参院選用に用意した政策集「参院選2016 国民との約束」で民進党の経済政策を明らかにしているが、具体策は何ら示していない。
例えば、「成長戦略・経済政策」は次の項目を掲げている。
(1) 分配と成長の両立
1)人への投資
2)働き方革命
3)成長戦略
〈(1) 分配と成長の両立
民進党は、ふつうの人から豊かになる経済政策を実行します。格差が拡大して、富とチャンスが偏り、人びとの能力の発揮や個人消費が阻まれています。必要なのは、「分配と成長の両立」です。公正な再分配を実現し、日本の潜在能力を引き出すために、「人への投資」「働き方革命」「成長戦略」を実行します。
1)人への投資
人への投資こそが、日本経済を成長させるエネルギーです。保育園・幼稚園、義務教育の負担軽減、大学進学等のための給付型奨学金の創設に取り組みます。職業技術教育を充実させ、公的な職業訓練メニューを多様化するなど、学びと仕事をつなげます。起業を応援するため、IT/デザイン・人材育成・研究開発などソフト面の助成金等を充実します。
2)働き方革命
残業が当たり前の働き方を変えて仕事の生産性を上げ、子育て・介護と仕事の両立を強力にバックアップします。誰もが時給1,000円以上となるよう、最低賃金を引き上げます。同時に、派遣法改悪を見直し、「同一価値労働同一賃金」を確立して、家計を温め、消費を刺激して成長につなげます。
3)成長戦略
既存産業の生産性向上、新産業の創出・育成の観点から、
政策資源(予算、税制、人員等)のメリハリ=「選択と集中」
起業と廃業の促進=「新陳代謝の向上」〉等々――
この政策の多くをアベノミクスも掲げていて、具体的に政策を進めているのに対して民進党がここに掲げている政策の全ては具体論ではなく、スローガンの域を出ない抽象論に過ぎない。
どう焼き直そうと、それが具体的な内容を伴わせた政策の提示とならなければ、アベノミクスを上回って成る程と国民に納得させることができるとは思えない。
少なくともこのような視点を持たせていなければ、インタビューを受けた意味は生まれないし、記事が紹介している蓮舫の発言も意味はなくなる。
蓮舫「民進党イコール何? このイコールにつながるものが見えない。民進党はこういう政党だということを作り、それを私が発信する」――
人間は経済の生きものである。当然、経済=生活を最大の利害としている。安倍晋三はこの利害がアベノミクスに集約されているかのように思わせて選挙に勝ち抜いてきた。
当然、「民進党イコール何?」の「何?」は参院選で掲げた経済政策の具体論を当てなければならないことになるが、蓮舫にはその視点がない。「イコール」など、出てきようがない。
「イコール」が出てこなければ、同じ表現の言い替えである「民進党はこういう政党だ」と知らしめることになる、その主たる看板を国民の目に映ずることもできるはずはない。
実際にアベノミクスによって一般国民の生活は良くなっていない。良くなったのはより富裕な国民ばかりである。そうである以上、一般国民にとって経済=生活はより差し迫った最重要の利害となっているはずである。
この点をしっかりと捉えていたなら、民進党の経済政策はより具体性を持たせなければならないはずだが、その方向への意思を欠いたまま、「民進党はこういう政党だということを作り、それを私が発信する」と、これも抽象論でしかないことしか言うことができない。
百歩譲って、「民進党はこういう政党だということを作」ることができたとしても、「それを私が発信する」と言うのは余りにも自己の能力を過信し過ぎている。
この発言には民進党は自分一人で持っているかのような思い上がりがある。「私が発信する」ことによって知らしめることができるという過信と思い上がりである。
そしてこの過信と思い上がりは民進党はどういう政党なのか国民に説明可能とするためには何が必要なのか、その具体的視点を欠いたきめ細やかさの無さと対応しているはずだ。
民進党は蓮舫一人で成り立っているわけではないし、一人で成り立たせる程の力が蓮舫にあるわけではない。この自覚があったなら、民進党が一丸となって発信すべき事柄を何事も自身の発信にかかっているかのように自分だけを押し出す物言いはしない。
小賢しさだけが鼻についたとしても無理は無いはずだ。
鼻についたのはこの発言だけではない。
東京都知事の小池百合子が自らの政治塾「希望の塾」の塾生を募集したところ、全国から4827人が応募し、選考の結果、2902人が入塾、10月30日に開講した。
この開講について東京都内で記者団に向けた蓮舫の発言を「asahi.com」記事が紹介している。
蓮舫「政治に関心を持つ人たちが、積極的に動く場所をつくるのは大賛成です。私たちの仲間も参加をしているとの報告を受けている。我々の仲間が手を挙げることを止めることはしていません。
小池知事が取り組んでいる姿勢は私は素晴らしいと思っています。行財政改革、これまで情報非公開だった部分を透明化する姿勢は、国政にも求められる姿勢だと思っている。今後も協力できるところがあればさせて頂きたいと思います」――
確かに新しく都知事となった小池百合子は現在風を受けて順風満帆の状況にある。だが、その風は舛添要一自身の「政治とカネ」の問題と古手の自民党都議たちの自己権益擁護中心の政治、さらに都の役人の豊洲問題に代表される無責任体制が吹かせた風に乗っかった順調な滑り出しであって、自分自身が作り出した風ではない。真の力量は今後にかかっている。
このような風を受けて小池百合子は自身の政治活動の中心に都政改革を掲げることになった。
先ずこの点を抑えておかなければならない。
小池百合子の政治塾開講は2017年7月22日任期満了の都議会議員選挙を見据えた行動で、塾生の中から都議候補を擁立して当選させて都議会に議席を確保することで都政改革をより進めやすくする目的からだと言われている。
現在の都議会の各会派の構成は定員127人のうち自民党が60人、公明党が23人の与党83人で3分の2近くを占める。野党は3分の1に過ぎない。
小池百合子が自らの政党を立ち上げて都議会に議席を占め、一気に過半数を確保できればいいが、できなければ都議会民進党や共産党等の野党の力を借りる必要が生じる。
だとしても、小池百合子は2902人もの塾生を抱えながら、定員127人の都議会選挙で野党との協力を視野に入れて野党との間で立候補調整をし、その落選を妨害しない住み分けを図るだろうか。
野党との協力はあくまでも選挙の結果に対してのものであり、当然、民進党は、他の野党にしても同じだが、次期都議会選挙で小池百合子の政党と対立する関係となる。小池百合子の人気がその時までほぼ現在の状態で維持され、その人気を背景とした小池百合子の政党の立候補者が民進党を落選させることもあり得ることになる。
結果、初めての都議選でありながら、過半数獲得、そこまで行かなかったとしても、それなりの躍進を果たした場合、自民党のみならず、民進党も共産党も議席を大きく減らす可能性は否定できない。
蓮舫は民進党代表としてこういった可能性を想定しなければならない立場にある。
このような立場を前提として蓮舫の発言を改めて振り返ってみる。
「私たちの仲間も参加をしているとの報告を受けている。我々の仲間が手を挙げることを止めることはしていません」
止めることなどできないだろう。旧民主党系の都議会民進党の都議を除名に付したとししても、旧維新の党系の民進党都議団の都議を除名に付したとしても、都議としてとどまることができるし、次の都議選に立候補をできる。
除名が却って同情を誘い、小池新党への期待と相俟って当選に力を貸すことになったなら、除名したことが却って仇となる。
いわば止めることができないことを、「我々の仲間が手を挙げることを止めることはしていません」と、さも民進党の心の広さであるかのように言う。
この小賢しさにも鼻につくが、多分、7月の東京都知事選で党の方針に反して小池百合子を応援したことを理由に7人の自民党区議に対して離党を勧告していた自民党東京都連との違いを示したのだろが、そうだとすると、できないことを以って違いを示したことになり、却って小賢しさは増す。
また、「小池知事が取り組んでいる姿勢は私は素晴らしいと思っています」と好感を寄せるのはいいが、一政党の代表である以上、代表としての蓮舫自身に好感を寄せる、小池百合子に負けず劣らずの賛同者が大勢いてこそ、他者に好感を寄せる対等の資格が出てくる。
ところが衆院選東京10区補選で小池百合子が背後に控えていた若狭勝にしてやられた民進党候補の敗北は小池百合子よりも蓮舫の方の賛同者が遥かに少ないことを知らしめることになった。
賛同者の数が対等でないにも関わらず他者に好感を寄せるのは政策やその他全てに関わる他者の自律性の下に同じく政策やその他全てに関わる自身の自律性を置いていることになる。
いわば蓮舫は知らず知らずのうちに小池百合子を上に置いて下から見ている。
言い替えると、蓮舫自身が取り組んでいる姿勢を多くの有権者に素晴らしいと思わせなければダメだと言うことである。
素晴らしいと思わせてこそ、誰とも比較を許さない民進党代表としての自律性を確保できる。
果たして蓮舫に民進党代表としての資格があるのだろうか、個人的意見ながら述べてみることにした。