小沢新党「期待しない71%~79%」―健忘症よろしく軽々と判断していいのか

2012-06-30 12:01:50 | Weblog

 2009年衆議院選挙で民主党は解散時勢力112議席から308議席に大躍進。自民当解散時勢力303議席から119議席に追い遣り、歴史的な政権担当の舞台から見事駆逐した。

 民主党が掲げたスローガンは「政権交代。国民の生活が第一。」であった。

 「国民の生活が第一。」という当たり前のことが今まで当たり前となっていなかったが、民主党政治で当たり前となる。

 大多数の国民が大いなる期待・大いなる希望を民主党政治に託したのである。それが政権担当後間もない内から失望と幻滅に化け始め、今やすっかり期待も希望も見る陰もなく、失望と幻滅一色に化けてしまった。

 国民の期待と希望がこれ程当てにならないことを証明した政治変遷はあるまい。

 裏切ったのは鳩山・菅・野田の三代の民主党政権である。

 あるいは騙したのは鳩山・菅・野田の三代の民主党政権である。

 鳩山元首相は普天間移設「国外、最低でも県外」を言い、見事県内を決定する裏切りと騙しを演じた。

 菅も同じで、「沖縄に米海兵隊は要らない、米本土に帰ってもらう」と言い、マニフェストになかった消費税増税を言い出す、前科20犯の詐欺師にも劣らない裏切りと騙り(かたり)を働き、東日本大震災に於ける地震と津波対応、そして福島原発事故対応では自己顕示欲旺盛に反して遅滞と怠慢と不作為と虚言に彩られた活動に終始した。

 そして現内閣の野田首相は野党時代、「2万5千人の公務員OB が天下りした4500法人へ流れる12兆円の血税にシロアリが群がっている構図がある。この白アリを退治しなければならない。天下りや渡り、ムダ遣いのカラクリを残したまま消費税を上げても、砂漠に水をまくのと同じだ」と言っていながら、消費税増税の裏切りと騙りの集大成を目指している。

 政治家の言葉は重いと言いながら、この体たらくである。政治家自身の自らの言葉に対する責任感があまりに希薄に出来上がっている。

 その挙句の消費税増税だが、増税しても、税収を増やすことはできるだろうが、「砂漠に水をまくのと同じ」とまでいかなくても、財政再建に向かわせることはできないように思える。

 このことは後で証明する。

 かくかようにして民主党政権は国民の期待と希望を裏切理、失望と幻滅を現物支給した。

 だが、裏切られたのは国民だと被害者の身分に全面的に位置づけていいものだろうか。

 選択するのは国民の側である。選択する立場にありながら、国民の選択に委ねる側の政治家に騙され、裏切られる。

 このパターンを断ち切らなければ、いつまでも政治家及び政治に裏切られ、騙される反復が延々と続くことになる。

 政治家は元来言葉を売る商売をしている。言葉で政策を売り、国民によりよい生活を約束する。その言葉に対する責任感が希薄で、言葉が軽くなっている。

 モノを売る場合、余程のことがない限り、買った後でそのモノが役に立つかどうか、本物かどうかをたちどころに確かめることができるが、政治家の場合、一定の時間が経過した後でなければ、売った言葉が本物かどうかを見極めることが困難である。

 だが、その言葉が本物か、軽いだけのニセモノかを見極める目を可能な限り持たなければ、国民はいつまでも裏切られ、騙される被害者の位置に自らを立たさなければならない。裏切られ、騙される反復に終わりを告げることができなくても、少なくともブレーキを掛けることさえできなくなる。

 確かに政治家には何をするのか、どのような実現を目指すのか、実現によって国民は何を得るのかの言葉の説明は必要である。財源の裏打ちを確保できたとしても、閣僚や官僚、地方の役人を動かすホンモノと言える言葉の力――指導力を持たなければ、予算付けの段階に於いても、事業実施段階に於いても、そこに金銭的なムダや行動のムダが生じて、最初に思い描いた満足な結果を得ることなく終わる場合もある。

 とすると、言葉は責任感と指導力を備えていなければ、国民を裏切り、騙す根源であり続ける。

 責任感と指導力を備えた言葉であるかどうかを探る手立てがないわけではない。調子のよい、舌が回り過ぎる言葉、聞こえのいい言葉、安請合いの言葉、威勢がよ過ぎる言葉等々、責任感と指導力を備えていないことは明白である。

 菅仮免は首相時代、官僚をターゲットに「知恵、頭を使ってない。霞が関なんて成績が良かっただけで大バカだ」と威勢よく言い放った。そして、盛んに「脱官僚・政治主導」を機会あるごとに唱えたが、脱官僚も政治主導も実現できなかったばかりか、官僚から満足に相手にさえされなくなった。

 バカも使いようという言葉がある。そこに存在する以上、例え「大バカ」であっても使いこなすことができなければ政治は進まない。使いこなすことが必要とされる肝心なことであって、「大バカ」だと罵ることが必要とされる肝心なことではない。

 菅直人は合理的判断能力を欠いていたばっかりに、このことに気づかなかった。一国のリーダーが合理的判断能力を欠如させていたというのはあまりにも逆説的で、倒錯的に過ぎる。

 マスコミ各社の世論調査で「小沢新党期待しない」が71%だ、79%だと高率を占めた。

 大多数の国民が民主党の政権交代に期待し、希望を託しながら、裏切られ、騙されたのはそう遠くない過去である。政治に対する期待と希望が如何に儚(はかな)いかの教訓となった。

 この教訓を健忘症で以て応えたなら、国民が選択する立場にありながら、国民の選択に委ねる側の政治家に騙され、裏切られるパターンが続くことになる。

 「小沢新党期待しない71%~79%」が果たして小沢氏の言葉を見極めた上での71%~79%なのだろうか。官僚を「大バカ」だと罵るのではなく、使いこなすに足る責任感と指導力を備え、政治を強力に推し進めていく力を言葉から看取し、判断した上での71%~79%なのだろうか。

 そうであるなら、納得する。

 先に消費税を増税しても、財政再建に向かわせることはできないように思えると言ったことを証明する。

 東日本大震災の復興に使うために2011年度政府予算に盛り込んだ約15兆円の復興予算のうち4割が使われなかったことが証明している。

 《復興予算5.9兆円使われず 11年度計上分の4割》asahi.com/2012年6月29日0時41分)

 約15兆円のうち9兆円余りを利用、約5.9兆円が未利用。

 このうち約4.8兆円は12年度に持ち越し、予定通り復興事業に向ける。

 例え向けることになったとしても11年度に活用できなかったことの繰返しを12年度に演じない保証はない。

 残りの約1.1兆円は利用見込みがないため、国庫(政府の財布)に返還、借金返済に回すか、新たな使い道を考えると記事は書いている。

 〈事業ごとにみると、震災で壊れた道路や橋を直す災害復旧事業費約1.1兆円は2割しか使われなかった 〉・・・・・

 国土交通省「自治体がつくる『復興計画』の策定が遅れ、事業費を使えない」

 自己正当化しているが、どの自治体の「復興計画」の策定がどの程度遅れているのか、いつ完成して予算請求が可能となるのか厳格に調査して、その調査を復興予算編成に反映させて、厳格な予算付けを行う責任を負っていたはずだ。

 《11年度 復興予算4割使われず》TOKYO Web/2012年6月29日)には次のように予算余りの理由を解説している。

 〈約4割もの予算が執行されなかったのは極めて異例。被害状況の把握が難しい中で、予算を多めに計上した面もあるが、政府が被災地の自治体との調整に手間取るなどして、復興事業が想定通りに進んでいないことが浮き彫りになった。〉・・・・

 被害状況の把握が困難だからと言って、ドンブリ勘定したことになる。また、政府が被災地の自治体との調整に手間取ったとしているが、手間取ること自体が許されることなのだろうか。

 〈集落の集団移転などの幅広い事業に使えるお金として、国が被災地の自治体に配分する「震災復興交付金」は3次補正予算に1兆5612億円を計上したが、1兆3101億円を12年度に繰り越す。

 不用額とするのは、道路や港湾の復旧に充てる災害復旧事業費の3554億円など。〉・・・・・

 野田首相は「福島の再生なくして日本の再生はない」の言葉を機会あるごとに発信してきた。要するに日本の再生は福島の再生にかかっていると宣言したのである。

 それ程にも重大・重要な福島再生であり、そのための予算付けであり、予算執行である。

 どのような予算であっても疎かに扱ってはならないが、特に福島再生に関わる予算は夢々疎かに扱ってはならなかったはずである。

 だとしたら、福島再生は必要事業の的確・厳正な洗い出しと洗い出した事業に対する的確・厳正な予算付け、さらに予算付けた財源の最大限の有効利用が絶対条件となる。

 これらの条件を実行できたとき、福島の再生は加速度的にレールに乗せることができ、早期再生が実現可能となると同時に野田首相の「福島の再生なくして日本の再生はない」の言葉は大部分責任と指導力を備えていたと証明可能となる。

 だが、実態はそうなっていなかった。何よりも重大・重要な福島再生であり、そのための予算でありながら、予算付けと執行の両段階で不備・不足があった。費用対効果に相当な齟齬が存在した。齟齬の程度に応じて福島再生の加速度性にブレーキが掛かるはずである。

 いわば野田首相は自らの「福島の再生なくして日本の再生はない」の言葉に実効力を持たせることができなかった。責任感と指導力を持たせることができなかった。

 消費税は上げる、予算は効率的に執行できないでは踏んだり蹴ったりではないか。

 福島に関わる予算編成だけではない、すべての予算編成に於いて必要事業の洗い出しと洗い出した事業に対する予算付けが的確にできていたなら、事業仕分けといったパフォーマンスは必要ない。

 それを繰返している間は、消費税増税しても、予算付けに於ける金銭的ムダ、予算執行時に於ける、最終的に金銭に換算可能な物理的ムダ、あちこちのムダが解消できないことになり、その上消費税増税で税収が増えるからと、自民党が議員立法で国会に提出している10年間で200兆円規模の予算を注ぎ込むとしている国土強靭化基本法案が景気対策として、あるいはインフラ整備としていくら正当性を獲得しようとも、やはりそこにもムダが生じることになって、必然的に費用対効果に齟齬が発生、各種ムダが財政再建の障害として立ちはだかることになりかねない。

 何よりも国民の期待や希望を裏切ったり、幻滅を与えたりしない、責任感と指導力を備えた言葉を持った政治家を国民は目を凝らして選択しなければならない。

 安易な選択・安易な判断は期待と希望、それに対する裏切りと幻滅の繰返しをパターン化するだけであるに違いない。

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菅国会事故調参考人証言から見る情報公開論・対国民説明責任論の非合理性

2012-06-29 14:49:07 | Weblog

 菅仮免の国会事故調参考人証言で如何に情報処理に関わる認識能力が劣っているか、そのことが最も現れている遣り取りが次の個所である。

 ここでの菅の情報処理能力とは菅自身の矛盾だらけの情報公開論、矛盾だらけの対国民説明責任論となって現れている。

 情報という事柄に対する認識能力の劣りは当然、組織のトップに立つ能力がないことの証明でしかない。

 情報処理は深く解釈能力・判断能力に影響を受ける。解釈能力・判断能力のない人間が組織のトップに立つ資格を持てるはずがない。組織のトップに立つ資格のない人間が組織のトップに立ったことで悲劇が生じた。

 野村委員「ちょっとこちらをご覧頂ければと思いますが、3月11日ですから発災当日なんですが、ちょっと見えなければ、こちらの方にございます」

 スクリーに大きく映し出すが、ハキリとは見えない。保安院作成の「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」のことで、以下別のところから転載。

 3月11日20時30分――原子炉隔離時冷却系(RCIC)中枢機能喪失。
     21時50分――燃料上部から3メートルの水位。今後さらに下がっていく。
     22時50分――炉心が露出する。

 3月12日0時50分――炉心溶融の危険性。
     5時20分――核燃料全溶融。最悪爆発の危険性。


 野村委員「これは既に色々なところに掲載されているものですから、ご存じの方も多いと思いますし、総理もこれをご覧になられたと思うんですが、当日22時44分頃に官邸の危機管理センターの方に今後炉が万が一このまま防御できずに事故が進んでいった場合には、予想としてですね、例えば22時50分の段階では炉心が露出しますよと。

 あるいは24時50分の段階では燃料の溶解が起こりますというようなものです。

 すみません。失礼しました。これ2号機についての話です。今後こういうことになった場合という見立てという名称なんですけども、この種のものは当日、総理のお手元には届いたでしょうか」

 菅仮免「確か、当日こういうものを見せられた覚えがあります。2号機です。当日非常に2号機・1号機、それぞれあったわけですが、その後の展開の中では1号機の方の危機的状況が大きいというふうに、少なくともその時点では焦点が1号機に移ってくるその前の時の、こういう見通しの案がなされたと思います」

 野村委員「この段階でこのような可能性についてどのようにして国民に対して説明をしていこうというふうにお考えになられたのでしょうか。総理のご指示は何か出たんでしょうか」

 菅仮免「私自身は先程来申し上げておりますように色んな方から、あるいはこういうことも含めて、今後の展開について色々な予測を私なりに聞いてはおりましたが。

 しかし現実に、と言いましょうか、当時原子力安全・保安院なり、安全委員会なり、東電の来ている方の話は、こういうプロセスではなく、例えばある時期にではですね、今の認識とは違いますから、当時の認識ですが、水がまだ燃料の上であると、かなり遅い段階までそういう報告を東電なり保安院が私に対してもしておりました。

 そういった意味で当時の国民への発信は官房長官にお願いをしておりましたけども、私の認識は、多分官房長官も同じだと思いますが、事実として分かっていることを隠すことはしないと。

 しかし事実として分からないことまでですね、どこまでどういう表現をするのか、それは官房長官として判断をされてやっておられて、私はそれでよかったと思っています」

 野村委員「昨日の官房長官のお話ですと、官房長官はむしろ情報の収集とか整理、判断、こういったようなところにやや問題があって、その情報をきちんと整理して、確定させたそのプロセスのところ、むしろ問題があり、それを決まったことを対外的に発表されているご自身には、それは致し方がない面があったんだという、そのような趣旨の発言があったように思います。

 そうなりますと、その前提として、どのような事実を国民に伝えるのか、あるいはどこまで可能性の高いもので、どこまで可能性のないものなのかということについてのご判断をされるところか、先ず第一次的に重要だと言うことを(枝野が)昨日おっしゃってらしたと思うんですが、その責任を取られていられた方が総理でしょうか」

 菅仮免「ちょっと質問の趣旨が正確には分かりませんが、少なくとも炉の状態ということのコアのファクト、事実というのはまずは東電、分かるとすれば東電なんです。

 その東電も電源が落ちていますから、例えば圧力計とか水位計とか、あとになってみれば正確でなかった、あるいはそのときも(正確)でなかったんです。

 しかしその時点では多少水位計が動いていましたから、時折りその報告が来るんですよ。その報告を見ると、燃料棒が上にあるというのか、相当なときまできております。

 多分、政府の中間報告にはそれが全部出ていいるはずです。そういう時にですね、そういう事実の報告があったということは、場合によれば言えますけども、いや、この事実は来たけれども、そうではないかもしれないというところまでですね、言う(公表する)のは、それはなかなか、それが官房長官であるのか誰であるのか別として、言えないと思います。

 ですから、そういうことをですね、少なくとも炉の状態ということを把握して判断する、その専門家集団とすれば、それは東電自身と原子力安全・保安院と原子力安全委員会、他にも能力的にはあるでしょう、少なくともそういう所が法律で期待されていた所でありまして、それに添って官房長官が国民に対して、それを踏まえて話をされたと、そう理解をしております」

 野村委員「例えばですね、こういったような事態が起こるかもしれないということをオープンにするということは全く考えてはいなかったということでしょうか。

 つまり今このときにですね、避難が始まっているわけです。この避難、翌朝に亘って避難される方々が出てきています。さらにはその翌朝になりますと、避難の範囲を変えるといったようなことがどんどん起こってまいります。

 そういったようなときに、一応国民に対して可能性は非常に低いけども、、こういったようなリスクもあるので、今回避難をして欲しいというようなことを、ある意味では政府の方針としてお示しになる選択肢もあったんだと思いますが、そのようなことは総理のお考えの中になかったんでしょうか」

 菅仮免「基本的には国民の皆さんにお知らせする、その直接の担当は官房長官にお願いをしておりました。

 多くの場合、官邸ははそういう制度になっておりました。昨日は官房長官であった枝野さんが、それも厳しかったんだと、本来は広報官がいてですね、知らせるのは広報官で、それをちゃんと集めて、ちゃんと誰かに分析させるのが官房長官がやる仕事であるんだけども、両方は厳しかったと、いうふうに言われていました。

 私も同様な認識を持っています。

 私が少なくとも、その5分までですね、予測とかなんなりとか判断をすることは、それは出来ません。やはり専門家、皆さんにこういうことを出してこられた、あるいはこういうことを見て頂いた専門家の皆さんにどうでしょうかと、その中で決まったのが先程のご説明しましたような避難範囲を決めるときには必ず保安院、原子力安全委員会、東電の関係者にも話を聞いて、ほぼ皆さんの提案に添って、決めていったと。

 これを勘案したということです」

 野村委員「避難の範囲をどう決めたかっていうことを聞いているのではなくて、国民に対してどれぐらいのシビアな状態にあるのかということを伝えるという、個々にある部分についての決定は官房長官が行うという形になっていたんでしょうか」

 菅仮免「原則的なことを言えば、事実が事実として確認されていれば、それは伝えるというのは私もそういう方針でしたし、官房長官も同じだったと。

 そういう意味では共通の方針です」

 野村委員「例えばこういう可能性があると。これは全く、例えばですね、炉が制御できなくなったときにはこんなに早いタイミングでこういう事態が起こるということを一方で情報としてあるわけですね。

 さらに総理が今おっしゃられましたように、それを防護できる、そういう動きも他方であると。

 そういうような状況の中で、私共国民はこのことを何も知らされないまま、炉が今どうなっているかということは分からずに、念のための避難ですという情報だけしかいただけなかったわけなんですが、それは私共国民には、こういう情報を直に出すことは危険だと考えて対処されたんでしょうか。

 それとも国民に何か伝えるっていう決めるプロセスがなかったということなんでしょうか


 菅仮免「同じ言い方で恐縮ですが、事実として確定していれば、これは伝えます。これは事実として確定したものではなくて、ある解析結果です。

 で、現実にそのとおりになりませんでした。なったかもしれません。

 色々な事例があります。だから、事実として確定したことは伝える。これが私の内閣の原則ですし、そして枝野長官もそれにそってやってくれたと。

 しかし確定してないものまでですね、色んな予測が出ますから、私のところに色んな予測を言ってきた人がたくさんおります。その予測を一つ一つ代わって説明するというのはこれは必ずしもやるべきであるか。あるいはできるかと言われると、それはそういう予測した人が自分としてそういう予測をしたと言われることまで止めませんが、代わってこの予測をですね、説明するというのは、それはそこまでは無理というか、そこまでやるのは必ずしも適切だとは言えないと思えます」

 野村委員「事実っていうのはこうなるのかならないというのが事実ではなくて、これは正式なプロセスの中で出てきた解析結果でありまして、外の誰かが、専門家が言ってですね、総理の所にお届けになってるお話ではないわけですね。

 要するに総理の所にこの情報を届けるべくして届けられた情報というわけですから。今現時点に於いてはこの事実が届いたと、この解析結果が届いたということは事実なんだと思うんです。

 このような解析結果が届けられていますと。だから、最悪の場合はこういうことになると想定しつつ、それを極力起こらないようにするために今こういった対策を採っていますということが伝えられていれば、避難の仕方が随分違ったのではないかという声があるんですが、その点についてはどのようにお考えなんでしょうか」

 菅仮免「ま、そういった問題は是非ですね、本当に皆さん方でよく検証していただきたいと思います。

 おっしゃることは分からないわけではありません。しかし先程来言ってますように色んな予測に対してどういう対応をすべきかという案などは、当時上がってきておりませんでした。

 そいう中でどこまでですね、色んな可能性を示されたものをどこまでどういう形で説明をするのか、それが適切なのか、それについては是非皆さんの方でも検証していただきたいと思います」

 野村委員「ありがとうございます。私の方は以上でさせて貰いますが、ご質問させていただきました趣旨は、総理、まさにご自分がおっしゃられましたように、今回のは原災法が予定していたような災害とは違っていて、対応が非常に難しい複合的な災害であった。あるいは原子力事故であったというご発言であったと思います。

 そこでかなりの工夫をされて、法律にないことを対処されたということであったわけなんですが、そうであればこそ、総理のところでの全体像のデザインの描き方というのが様々な所の、何て言うんでしょう、対策に影響してくることであったかというふうに思うわけなんですが、そういう点で最後に一言お伺いしたいんだけども、今振り返ってみれば、そういうようなところは法制度にきちっと定めておくべきであるとか、あるいは法制度になかったことしても、総理の権限でこういったことはすべきであるというようなことをまさに総理としてご経験された参考人の方から是非一言、ご助言頂ければと思います」

 菅仮免「私は必ずしもこういう問題で総理の権限が弱かったとは思っておりません。原災法の今の法律は場合によっては事業者に対する指示もできるという法律になっておりますので、そのことが弱かったとか、弱過ぎるたということは思っておりません。

 それよりも本来原災法のもとで、本部長の元の事務局を務める原子力安全・保安院が、大体が総理とか大臣は原子力の専門家がなるポストでは一般的にはありませんから、そうではない人がなることが前提として、きちっとした状況把握、きちっとした対策案、そういうものを提示できるような組織でなければならないし、それが不十分だったと。

 ですから、今後、原子力規制庁なり、あるいは委員会を今後国会で議論いたしますけれども、そういう時にはしっかりとした、シビアアクシデントに対しても対応できる能力を持った、そういう組織が必要だと。そのことはおっしゃるとおりだと思っています」 

 菅の言っていることは最初から最後までメチャクチャである。

 野村委員は3月11日22時44分頃、官邸危機管理センターに保安院提出の「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」を菅が即座に公表しなかったことについて、「この段階でこのような可能性についてどのようにして国民に対して説明をしていこうというふうにお考えになられたのでしょうか。総理のご指示は何か出たんでしょうか」と尋ねた。

 対して菅は先ず、原子力安全・保安院も安全委員会も東電も「水がまだ燃料の上であると、かなり遅い段階までそういう報告を東電なり保安院が私に対してもしておりました」と、それが「当時の認識」だったとして、未公表を正当化している。

 あるいは、「少なくとも炉の状態ということのコアのファクト、事実というのはまずは東電、分かるとすれば東電なんです。

 その東電も電源が落ちていますから、例えば圧力計とか水位計とか、あとになってみれば正確でなかった、あるいはそのときも(正確)でなかったんです。

 しかしその時点では多少水位計が動いていましたから、時折りその報告が来るんですよ。その報告を見ると、燃料棒が上にあるというのか、相当なときまできております」と言って、保安院の解析と現状の違いを言って、未公表を正当化している。

 但し後者の発言には矛盾がある。「例えば圧力計とか水位計とか、あとになってみれば正確でなかった、あるいはそのときも(正確)でなかったんです」と言いながら、すぐあとで、「しかしその時点では多少水位計が動いていましたから」と前後で矛盾したことを平気で言っている。

 だが、2号機の状況を予測し、解析して、「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」に纏めて官邸に提出したのは保安院自身である。

 この解析は機能している圧力計や水位計、その他の計器、そして放出放射線量を測定して予測した解析であるはずである。

 いわば菅は事実でないことを平気で言って、未公表の自己正当化を図っていることになる。

 2号機よりも1号機の方の対応を優先させるとして、1号機の原子炉内の圧力を抜くためのベントを海江田経産相が東電に対して指示したのは保安院がこの文書を官邸に提出した3月11日22時44分頃から約3時間後の3月12日午前1時30分頃である。

 この緊急を要する状況把握にしても、菅が行ったはずはなく、東電や保安院が機能している圧力計や水位計、その他の計器、そして放出放射線量を測定して行ったはずで、その状況が官邸に伝達されていたからこそ、海江田経産相が東電に対してベント指示を出せたはずである。

 当然、1号機も2機も緊迫した危機状況にあったということでなければならないはずで、にも関わらず「水がまだ燃料の上であると、かなり遅い段階までそういう報告を東電なり保安院が私に対してもしておりました」と正反対の状況を説明している。

 保安院の、「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」がかなり正確に解析していたことは水野賢一みんなの党議員が2012年3月8日に野田内閣に対して提出した「炉心損傷等の定義に関する質問主意書」に対する202年3月16日答弁書が証明している。

 〈東京電力株式会社福島第一原子力発電所の第一号機から第三号機までの各号機における炉心の状態の解析結果について、

 第一号機においては、

 2011年3月11日午後6時頃に炉心損傷が始まり、その後、燃料が溶融し、溶けた燃料が原子炉圧力容器下部に移行していたものと推定されるとしており、

 第二号機においては、

 2011年3月14日午後8時頃に炉心損傷が始まり、その後、燃料が溶融し、溶けた燃料が原子炉圧力容器下部に移行していたものと推定されるとしており、

 第三号機においては、

 2011年3月13日午前十時頃に炉心損傷が始まり、その後、燃料が溶融し、溶けた燃料が原子炉圧力容器下部に移行していたものと推定されるとしている。

 これは、第一号機から第三号機までの各号機において一についてでお示しした「メルトダウン」が生じたことを意味している。また、第四号機については、燃料が装荷されておらず、第五号機及び第六号機については、非常用電源により原子炉の冷却を行ったため、これらの号機については、いずれも一についてでお示しした「炉心損傷」に至っていない。〉・・・・・

 1号機のメルトダウンは5月半ば頃の東電による暫定評価で判明したものだが、より正確なメルトダウン到達時間は3月12日午前7時前後だということだが、保安院解析の時間は「3月12日0時50分・炉心溶融の危険性」となっていて、より早めの対応が必要となる危機管理から言うと、6時間早い時間は早過ぎることはないはずである。

 菅は理屈にもならない責任逃れの言い訳をした上で、「事実として分かっていることを隠すことはしない」とか、「事実として分からないことまでですね、どこまでどういう表現をするのか、それは官房長官として判断をされてやっておられて、私はそれでよかったと思っています」、あるいは「事実が事実として確認されていれば、それは伝えるというのは私もそういう方針でしたし、官房長官も同じだった」とヌケヌケと自己正当化の強弁を用いている。

 言っていることは、“事実として確定していなければ、情報公開はしない”を原則としているということである。

 野村委員に、被災者が状況も分からずに避難しなければならなかった、こういった情報は危険だと考えて出さなかったのか、それとも「国民に何か伝えるっていう決めるプロセスがなかったということなんでしょうか」と問われて、次のようにどうしようもない証言を行なっている。

 菅仮免「同じ言い方で恐縮ですが、事実として確定していれば、これは伝えます。これは事実として確定したものではなくて、ある解析結果です。

 で、現実にそのとおりになりませんでした。なったかもしれません。

 色々な事例があります。だから、事実として確定したことは伝える。これが私の内閣の原則ですし、そして枝野長官もそれにそってやってくれたと。

 しかし確定してないものまでですね、色んな予測が出ますから、私のところに色んな予測を言ってきた人がたくさんおります。その予測を一つ一つ代わって説明するというのはこれは必ずしもやるべきであるか。あるいはできるかと言われると、それはそういう予測した人が自分としてそういう予測をしたと言われることまで止めませんが、代わってこの予測をですね、説明するというのは、それはそこまでは無理というか、そこまでやるのは必ずしも適切だとは言えないと思えます」・・・・・

 「現実にそのとおりになりませんでした」と言って、すぐに「なったかもしれません」と付け加えて、その当時はいずれなのか判断不可能であったかのように言っているが、どのような結果が出るのかは後になって分かることであり、原子炉の圧力と温度が下がって安定して初めて事後的に判断可能となる“なった・ならなかった”でありながら、安定していないどころか、危機がどう進行するかも分からない時点では不可能な事後の判断を以てして公表しなかったことの正当な理由とする詭弁を用いて誤魔化している。

 何よりも問題なのは、情報が出た時点でそのとおりになるかならないかという事実の確定と情報公開とは別問題であるという認識がないことである。

 だから、「事実として分かっていることを隠すことはしない」とか、「事実が事実として確認されていれば、それは伝える」、あるいは「事実として確定していれば、これは伝えます」といったことが言える。

 もし頭のいい菅仮免が言うように、“事実として確定していなければ、情報公開はしない”を原則とすることが正しい情報処理の方法だとすると、気象庁の天気予報は日々事実として確定していないことを情報公開していることになる。

 原子力事故と天気予報とではその重大性に違いある。原子力事故の場合は、情報によっては国民の間にパニックが生じ、飛んでもない混乱を引き起こす危険性を抱えていると言うかもしれないが、日本列島縦断の進路を取って各地で大雨を降らし、洪水や土砂崩れ・がけ崩れを誘発する危険性を抱えたこれまでの例を見ないような刻々と勢力を増していくと見られる大型台風を予報した場合、原発事故の被害程ではないとしても、相当な被害をもたらすことは前以て予想できる重大性を抱えているはずである。

 だからと言って、“事実として確定していなければ、情報公開はしない”という原則に則って上陸という事実が確定してから、あるいは日本列島縦断という事実が確定してから台風情報を発するということが許されるだろうか。

 今回のような重大な原子力事故や大型の自然災害といった場合の国民に対する情報公開とは事実の確定の有無とは無関係に国が責任事項としている国民の生命・財産の保護に役立てることができるかどうかを基準に判断されるべき対国民説明責任であって、一国のリーダーとして菅仮免が例え「事実として確定」していない情報であったとしても、その危険性が捨て切れないかどうかを自己判断して行うべき務めであるはずである。

 ここで言っている自己判断とは野村委員が「どこまで可能性の高いもので、どこまで可能性のないものなのかということについてのご判断をされる」と言っていたことに相当する。

 だが、菅仮免は国民の生命・財産の保護よりも、“事実として確定していなければ、情報公開はしない”基準とする非合理性に囚われていた。

 但しここが判断能力欠如の菅の菅たる所以なのだろう、菅仮免は、“事実として確定していなければ、情報公開はしない”原則を自ら破っている。

 多分、2011年3月22日に近藤原子力委員会委員長に作成要請最悪事態想定の「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」を公表しなかったのは“事実として確定していなければ、情報公開はしない”の原則に則ったからなのだろう。

 このシナリオは「想定し得る不測事態」として、「1号機水素爆発発生→原子炉注水不可能→付近の放射線量上昇→作業員退避→4号機燃料プール注水不可能→燃料露出と融溶→同時に2号機・3号機注水不可能→格納容器損壊→放射性物質の外部大量放出」を予測、避難範囲を「半径170キロ、住民強制的移転、半径250キロ、住民任意の移転」と予測していた。

 だが、20111年末情報公開請求をキッカケとして発見され、公文書として扱われ、公になった。

 そして菅は「事実として確定」していなかったこの最悪のシナリオを首相退陣後、さも事実として確定する可能性が高かったように詐術して自己功績の情報として利用した。

 《菅前首相インタビュー要旨》時事ドットコム/2011/09/17-19:58)

 2011年9月17日までのインタビュー。

 記者「3月16日に『東日本がつぶれる』と発言したと伝えられた。」

 菅仮免「そんなことは言っていない。最悪のことから考え、シミュレーションはした。(東電が)撤退して六つの原子炉と七つの核燃料プールがそのまま放置されたら放射能が放出され、200キロも300キロも広がる。いろいろなことをいろいろな人に調べさせた。全て十分だったとは思わない。正解もない。初めから避難区域を500キロにすれば、5000万人くらいが逃げなければならない。高齢者の施設、病院もあり、それも含めて考えれば、当時の判断として適切だと思う」・・・・

 さも撤退を阻止した結果であるかのように誇っているが、菅がこのインタビューに応じるずっと以前から、「事実として確定」しなかった事実を情報源として救世主であるかのように見せかている。

 この発言から、菅が東京を救ったとする説が生まれているように思える。

 この、「事実として確定」しなかった事実を利用した自己顕示は無能を埋め合わせて有能と見せかけるペテンがなせる技であろう。

 有能であるなら、“事実として確定していなければ、情報公開はしない”を原則とすることではなく、国民の生命・財産の保護に何が必要かを原則として情報公開に臨むはずだ。このことを対国民説明責任の基準とするはずだ。

 情報として伝達された予測、予想、解析の類は既に一つの事実である。それぞれが一つずつの事実としてそこに存在することになる。その事実をどう解釈し、自らの情報となしてどう発信するか、しないか、どう情報公開するか、しないかは偏に自身の合理的判断能力にかかっている。

 事実として確定している、いないは関係しない。

 危機管理は「事実として確定」した事態に対処することでもあるが、何よりも「事実として確定」していないが、十分に予測される事態に万が一に備えて対処することも重要な危機管理である。

 地震学者その他が貞観地震とその津波の歴史的事実を指摘して東電に対してその備えをするよう警告としての情報を発したのは、後者の危機管理に入るはずだが、東電は無視した。

 警告としての情報を発信した当時の貞観地震と津波クラスの再来の予測は「事実として確定」していない事実だったが、予想される一つの事実として東電に情報を突きつけた。

 この事例一つ取っても、菅仮免のように、“事実として確定していなければ、情報公開はしない”を原則としていたなら、とても危機管理を任せることはできない判断能力の持ち主と断言せざるを得なくなる。

 菅は最後に原子力事故対応の原災法について、「私は必ずしもこういう問題で総理の権限が弱かったとは思っておりません。原災法の今の法律は場合によっては事業者に対する指示もできるという法律になっておりますので、そのことが弱かったとか、弱過ぎるたということは思っておりません」と言って、原災法に不備はないことを言い、次いで、「本来原災法のもとで、本部長の元の事務局を務める原子力安全・保安院が、大体が総理とか大臣は原子力の専門家がなるポストでは一般的にはありませんから、そうではない人がなることが前提として、きちっとした状況把握、きちっとした対策案、そういうものを提示できるような組織でなければならないし、それが不十分だった」と証言、不備・不足は東電のスタッフや保安院のスタッフの専門的能力にあることを訴えている。

 だが、最初に「総理の権限が弱かったとは思っておりません」と言っているのである。決して弱くはないその権限を持ちながら、東電や保安院、その他との情報共有に活用できなかった。

 ここに菅本人は気づかない矛盾が存在することになる。

 3月11日22時44分頃には保安院が、「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」を官邸災害対策本部事務局に提出しているし、同じく保安院が3月12日午後1時頃に「1号機において耐圧ベントができない場合に想定される事象について(案)」等を提出し、曲がりなりにも東電現場が原子炉の制御に成功しているのは現場自らの努力と同時に保安院やその他からの曲りなりの状況把握、曲りなりの対策案の提示があったからこそであり、そうでありながら、「きちっとした状況把握、きちっとした対策案、そういうものを提示できるような組織でなければならない」と言っている。

 自身の無能を隠蔽する東電や保安院に対する責任転嫁にしか見えない。

 責任転嫁だと断じても、これまで見てきた菅の判断能力の非合理性から見て、不当な批判だとは決して言えまい。

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鉢呂民主党3党合意各修正法案賛成討論の全体的統一性が期待不可能の「社会保障と税一体改革」

2012-06-28 12:24:59 | Weblog

 6月26日衆院本会議「社会保障と税一体改革」関連法案の民主党、自民党、公明党の賛成討論を聞いた。3党で修正協議を行い、合意したと言っているが、幾つかの項目を先送りして、新設の「社会保障制度改革国民会議」で議論し、消費税率8%引き上げ時にまで結論を得るとしている。

 要するに消費税増税が先に決まって、社会保障制度改革分野に関しては部分的に結論を得ているが、全体的な完成は後回しとなっている。

 当然のことだが、各分野の各政策を全体のバランスを考えてすべて積み上げていって「社会保障と税一体改革」の全体を形作り、各政策に対して有機的な統一性を持たせた全体像とはなっていない。

 妥協を見い出すことができる政策に関してのみ、多分、それなりの成果を上げなければそれぞれの党が納得しないからだろう、先に決めたという方式の結論となっている。

 当然、ツギハギの積み上げとなって、有機的な統一性を持った「社会保障と税一体改革」の全体像は望みようがなくなる。

 民主、自民、公明にとっては3党合意ということで、賛成討論はメデタシ、メデタシシャンシャンシャン調子で終わるかと思ったら、野党の与党に対する力関係を如実に誇示した、いわば野田首相と内閣にとっては苦い賛成討論となっている。

 NHKの中継では野田首相が度々屈辱的な赤い顔を見せていた。

 ここでは民主党鉢呂吉雄議員の賛成討論の藻を取り上げて、必要個所だけを拾ってみる。

 鉢呂吉雄民主党「社会保障制度改革推進法案、年金制度改革関連2法案及び再修正案、子ども・子育て関連2法案及び両修正案、認定こども園改正案、税制改革関連2法案及び両修正案に賛成する立場で討論を行います」・・・・

 如何に妥協事項が多かったか、「改正案」、「両修正案」の言葉が多いことが証明している。

 鉢呂吉雄民主党「我が国が誇る皆年金、あるいは皆保険が達成されてから半世紀が経ちました。この間少子高齢化の進行や非正規労働者の増大など、我が国の社会・経済を取り巻く状況は大きく変化しました。

 今後とも社会保障制度を持続可能なものにしていくためには給付と負担の両面、即ち社会保障制度改革と消費税を含む税制の抜本改革を一体的に行うことは避けて通れない道でもあります」・・・・

 要するに政治が無力であったために少子高齢化が進行するままに任せ、非正規労働者の拡大と若者の貧困化を招くに至った。社会の矛盾が噴き出すたびに、「抜本改革だ、抜本改革だ」と政治家は騒ぐが、果たして“抜本能力”を発揮し得た試しがあっただろか。先送り、玉虫色の決着、後退等が精々の“抜本能力”であったはずだ。

今回の「社会保障と税に一体改革」にしても各政策を通して有機的な統一性を持たせた全体像に仕上げることができなければ、やはり抜本的改革は望めないに違いない。

 鉢呂吉雄民主党「特別委員会では130時間にも及ぶ委員会審議を行うなど、与野党が真摯に議論を重ねて参りました。そして民主・自民・公明の修正協議がなされ、合意に基づく立法府としての一定の結論を出すに至ったことは我が国の政治ににとって極めて意義があることであり、この間議論に携わったすべての皆さまに深く敬意を表するものであります」・・・・・

 時間をかければ、それだけ中身が充実するとは限らない。あくまでも「一定の結論」であって、それぞれのバランスを考えて積み上げていって、相互的な有効性と全体的な統一性を持たせて全体の決着をつけたわけではない。「社会保障制度改革国民会議」に先送りした結論もあって、相互反映的な全体的統一性という点で欠ける点がありながら、「我が国の政治ににとって極めて意義がある」などとトンチンカンなことを言っている。

 鉢呂吉雄民主党「民主党はこれまで人生前半の社会保障の充実を訴え、子ども・子育て支援を社会保障と税の一体改革に於ける重要な柱と位置づけて参りました。政府提出法案は全ての子どもに良質な生育環境を保障し、子ども・子育て家庭を社会全体で支援し、幼保一元化を含め、関連する制度と財源を一元化して新しい仕組みを構築し、質の高い教育・保育の一体的提供、保育の量的拡大、家庭での保育支援の充実を図るために必要な制度を導入するためでありました。

 特別委員会に於ける審議の中で幼児教育や子育て支援の基本的な考え方、実施主体に関わる考え方について各党それぞれの考え方がありましたが、喫緊の課題についてそれぞれが共有できたと考えています」

 総合こども園の創設を子ども・子育て支援に関わる「社会保障と税の一体改革に於ける重要な柱と位置づけ」てきたはずだが、総合こども園の「ソ」の言葉も触れずじまいで、続けて自公が制度として設けた現行の認定こども園に対する賛意表明となっている。

 与党の主体性を頭数の点で売り渡さざるを得なかったということであり、これが野田首相が言う「不退転」の正体であるということであろう。

 鉢呂吉雄民主党「最後に申し上げます。私はかつて消費税が3%から5%に上がる最終判断をしたときの大蔵政務次官を務めさせていただきました。国民に増税をお願いするという仕事は政治家として非常に辛いものであり、避けて通ることができるのであれば、誰もが避けて通りたいと思うところがあろうと思います。

 しかしどんなに苦しい時でも国民に正直に説明をし、少しでも多くの国民に賛同していただけるよう、最善の努力をすべきである、このように思います」・・・・・

 増税に「賛同していただけるよう、最善の努力」をする以前に健全な財政運営、実効性ある政策立案と遂行にこそ最善の努力を払うべきだろう。

 これらを怠ってきた末の増税のお願いであり、自分たちの不始末がつくり出したとは決して言わない悪化した財政や、少子高齢化、人口減少等の「説明」に過ぎない。

 自分たちがつくり出したツケをエサに増税を釣り上げようとする自己都合なお願いに過ぎない。

 このことに対する厳格な自省心を持ち、ムダを徹底的に排除できる厳格・健全な財政運営のノウハウ、実効性ある政策立案と遂行のノウハウを政治家・官僚共に身につける「最善の努力」を払わなければ、来た道と同じ道を歩むことになるに違いない。

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菅国会事故調参考人証言/自身の功績を大きく見せるための撤退問題のウソ

2012-06-27 12:50:29 | Weblog

 ここでは改めて東電撤退問題に絞って取り上げてみる。これまでも何度か取り上げたたため、前の記事と重なる個所もあるが、菅国会事故調参考人証言の全編を通して見てみると、撤退問題で如何に巧妙にウソをついているかを暴くことができる。

 例えば菅は3月15日(2012年)午前5時半過ぎに東電本店に乗り込むが、そのとき東電本店と各原発サイトを結んでいた、作動中のテレビ会議システムに気づいていて、福島原発第1サイト共つながっていたことを認識していたとしているが、明らかにウソをついている。

 先ず撤退について菅仮免と吉田所長の電話から菅仮免が東電に乗り込むまでを時系列で見ておく。

2011年3月14日夕方~夜――首相官邸の菅仮免と現場の吉田所長が電話で会話。吉田所長
              「まだやれます」
     3月15日未明――清水東電社長から海江田経産相に電話、撤退を申し込む。
     3月15日午前3時頃――菅、海江田経産相から、東電が全面撤退の意向を示しているこ
                とを伝えられる。
     3月15日午前4時過ぎ――菅、清水東電社長を官邸に呼ぶ。
     3月15日午前5時半過ぎ――東京・内幸町の東電本店に乗り込み、「撤退なんてあり
                  得ない!」と怒鳴った。
 
 次に菅仮免が9月2日退陣後、9月のうちに2社のマスメディアからインタビューを受けているが、撤退問題に関する個所のみ取り上げてみる。

 菅仮免(清水東電社長を官邸に呼び出して)「『撤退したいのか』と聞くと、清水社長は、ことばを濁して、はっきりしたことは言わなかった。撤退したいという言い方もしないし、撤退しないで頑張るんだとも言わなかった。私からは、『撤退は考えられない』と強く申し上げた」(NHK NEWS WEB/2011年9月12日 5時24分)

 記者「東電は『撤退したい』と言ってきたのか」

 菅前首相「経産相のところに清水正孝社長(当時)が言ってきたと聞いている。経産相が3月15日の午前3時ごろに『東電が現場から撤退したいという話があります』と伝えに来たので、『とんでもない話だ』と思ったから社長を官邸に呼んで、直接聞いた。

 社長は否定も肯定もしなかった。これでは心配だと思って、政府と東電の統合対策本部をつくり、情報が最も集中し、生の状況が最も早く分かる東電本店に(本部を)置き、経産相、細野豪志首相補佐官(当時)に常駐してもらうことにした。それ以降は情報が非常にスムーズに流れるようになったと思う」(時事ドットコム/2011/09/17-19:58) 

 菅仮免が表現した清水社長の2つの発言の趣旨は共通する。イエス・ノーの態度を明確に意思表示しなかった。

 重大な事故発生中の原発事故対応のメンバーが事故を放置して全員が撤退するというのは認め難い重大な事態であるはずである。車で人を撥ねて、被害者が大量の血を流して路上に倒れているのを目撃しながら、その生命を無視して救急車も呼ばずに車で走り去るのに似た無責任さをその撤退には必要とする。

 官邸から見た場合、撤退を東電の意志としたことになる。

 その無責任さに関わらず清水社長は東電の代表としても最終的な決定に関わったはずの撤退意志を菅仮免に直接伝える責任を負っていたはずだが、一国の総理大臣を前にして態度を明確にしなかったというのは明らかに矛盾していて、不可解である。

 また、菅仮免は一国の総理大臣として、あるいは原子力災害対策本部本部長として、原発事故対応の以後の推移に深く関わることになる撤退問題に関して清水社長の意思を明確にさせることができないままに放置した指導性と責任感も問題となる。

 いわば菅仮免は総理大臣として、あるいは原子力災害対策本部本部長として担うべき指導性と責任感を弛緩させたまま清水社長に対して撤退問題を取り上げていたことになる。
 
 いずれにしても菅仮免はインタビューを通して清水社長がイエス・ノーの態度を明確に意思表示しなかったことと菅が担うべき指導性と責任感を弛緩させたままていたことを一つの事実として提示したことになる。

 では、国会事故調の桜井委員が取り上げた撤退問題に関する菅の証言に移るが、このことは既に6月6日当ブログ記事――《菅仮免が真っ赤なウソつきだと分かる国会事故調参考人証言「東電全面撤退問題」 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に取り上げた。

 桜井委員「清水社長に呼ばれまして、清水社長はいわゆる撤退問題についてどのような返答をしておられましたでしょうか」

 菅仮免「私の方から清水社長に対して、『撤退はあり得ませんよ』と、いうことを申し上げました。それにたいして清水社長は『ハイ、分かりました』。そういうふうに答えられました。

 桜井委員「その回答を聞いて、当時総理としてどのように思われました」

 菅仮免「その回答についてですね、勝俣会長などが清水社長が撤退しないんだと言ったと言っておりますが、少なくとも私の前で自らは言われたことはありません。

 私が撤退はありませんよと言ったときに、『ハイ、分かりました』、言われただけであります。

 国会の質疑でも取り上げられておりますけれども、基本的には私が撤退はあり得ませんよと言ったときに、(清水社長の方から)そんなことは言っていないとかですね、そんなことは私は申し上げたつもりはありませんとか、そういう反論は一切なくて、そのものを受け入れられたものですから、そのものを受け入れられたということを国会で申し上げたことをですね、何か清水社長の方から撤退はないと言ったことに話が少し変わっておりますが、そういうことはありません。

 私としては清水社長が、『ハイ、分かりました』と言ってくれたことは、一つは、ホッとしました。

 しかしそれでは十分ではないと思いました。そこで併せて私の方から統合対策本部をつくりたいと。そしてそれは東電本店に置きたい。細野補佐官を常駐させる。あるいは海江田大臣もできるだけ常駐をしてもらう。

 そういう形で私は本部長に。海江田さんと、その時確か勝俣会長と申し上げたつもりですが、会長か社長か海江田大臣と副本部長。事務局長は細野補佐官。そういう形でやりたいということを申し上げて、清水社長が分かりましたと了承していただきました。

 さらに私が申し上げたのは、それでは第1回の会合を開きたいから、東電の方で準備をして欲しい、どのくらいかかりますかと聞きましたら、確か最初2時間ぐらいと言われたので、もう少し早くしてくれということで、確か1時間ぐらい後に東電に私として第1回の会議を開くために出かけました」・・・・・
 
 マスコミインタビューと国会事故調証言は明らかに矛盾している。いずれかが事実であり、いずれかが虚偽、ウソをついていることになるが、国会事故調以後の証言は、「ハイ、分かりました」の清水社長意思表示を反映した菅仮免の以後の言動でなければさらに整合性を失うことになる。

 いわば、「ハイ、分かりました」を事実と前提した言動の展開とならなければならないことになる。

 当然と言えばごく当然の前提となる。

 「ハイ、分かりました」が事実であるなら、撤退問題はこれで片付いたはずである。

 但し東電が撤退を申し出たことはないと否定していることに対して官邸側は撤退の申し出はあったとしている以上、菅発言によって清水社長が撤退の意志を撤回したということになる。
 
 菅仮免が後者を事実としていたとしても、撤退問題が片付いたことに変わりはないはずだが、東電本店設置の統合対策本部第1回会合に出席するために本店に訪れた際、再度、「撤退はありませんよ」と大声で叱責したということは、「ハイ、分かりました」を事実と前提した言動の展開とならなければならないことと矛盾する。

 菅仮免はこのときの認識と矛盾する態度に出たことになる。

 この矛盾以前の問題として、菅仮免が現場の吉田所長から電話を通して「まだやれる」と言って継続意志を伝えているにも関わらず、清水社長に対していきなり、「撤退はあり得ませんよ」と言っていることである。

 この箇所に関する国会事故調の証言は次のようになっている。
 
 桜井委員「先程福島の原発を視察された際の成果みたいなこととして、吉田所長に対する信頼が高いというご発言を受けたのですが、責任感があるという。

 その吉田所長が現場で指揮を取っている東電として全員が撤退する、あるいは撤退するような申し入れをしているということについてどのように思われました」

 菅仮免「吉田所長とのですね、私は直接会話を、電話ですが、したのは色々とご指摘がありましたので、私なりにもう一度確認をしてみましたが、確か2回であります。

 一度は14日の夕方から夜にかけて、細野補佐官、当時の補佐官に、これは本人から聞きましたが、細野補佐官から聞きましたが、吉田所長から2度電話があったそうです。

 1度目は非常に厳しいというお話だったそうです。注水が難しいと考えていたその理由が何か燃料切れで注水が可能になったからやれるという話だったそうで、この2度目の時に細野補佐官から私に取り次いで、吉田所長がそう言っているからということで、私に取り次いでくれました。

 その時に話をしました。その時は吉田所長はまだやれるという話でした」・・・・・

 上記ブログには次のように書いた。〈もし撤退の申し入れが事実なら、撤退は福島第一原発の現場の吉田所長から出た要請であるはずである。勝手に東電本店が撤退を決めるはずはないし、決めることはできないはずだ。

 先ずこのことを前提に置かなければならない。〉

 〈菅としたら、この食い違いを当然持ち出さなければならない。現場が「まだやれる」と言っているのに本店の方が撤退したいと申し入れるのはあり得ない事実であって、あまりに奇怪過ぎるからだ。〉

 だが、〈現場が「まだやれる」と言っているにも関わらず、本店が撤退したいというのはどういうことなのかと、その矛盾を尋ねたといったことは一言も触れていない。

 聞くべきことを聞かないこの不自然な矛盾は何を意味するのだろうか。〉云々。

 しかし国会事故調は吉田所長の継続意志を取り上げたことは取り上げたが、この矛盾を追及しなかった。
 
 黒川委員長が終わり近くになって取り上げるが、その個所は次のとおりになっている。

 黒川委員長「確認です。皆さん気にしているのは撤退の話だったんですが、先程の話を繰返しますので、間違っていたらおっしゃってください。

 14日の夕方から夜にかけてのことですが、細野さんが来られまして、そこで吉田さんとの電話をつないで、吉田さんと直接話したのは2回だとおっしゃいましたよね。で、14日の夕方から夜だったと思うだけどというお話でしたが、細野補佐官がちょうど吉田さんと電話としていて、『状況はどうだ』と。『非常に厳しい』と。だけど、『まだやれるぞ』というメッセージを、そのまま電話をお渡しされてお話されたということでしたね。

 14日の多分夕方から夜の頃だと仰ったような気がするけども」

 菅仮免「細野補佐官に確かめた中で私の記憶は率直に言ってそんなに正確に残っているわけではありませんが、何らかの話をしたという記憶の中で、細野補佐官に、当時の補佐官に聞きましたら、2度電話が自分にかかって、1度は大変厳しいと。そんときは水が入らない状況だったと。

 夜頃に、その後、ガス欠が原因で入り出したと。その時点で私に代わって、『まだやれます』と。そういう話です」

 黒川委員長「その後それから数時間かどうか分かりませんが、15日の午前3時頃、海江田大臣に起こされたという話でしたね。撤退の問題だという時だったと思いますが。

 それでよろしいですね。それで。『撤退はないよね』と総理は言われまして、そのあとで清水社長が来られまして、『撤退はないよね』という話をしたら、『ハイ、分かりました』と言うんで、ホットしたということでよろしいですね」

 菅仮免「ホッとしたというのは先程申し上げましたが、少なくとも、『そうじゃない』と言われればですね、私としてはより強くですね、やあ、それは大変かもしれないけども、その後東電で話したようなことを話さなければならなかったかもしれませんが、ある意味で素直にというか、すぐに言われましたので、ま、ちょっと拍子抜けと言いましょうか、ちょっとホッとしたということです」

 黒川委員長「その前に吉田所長から渡された電話で聞いたことが背景にあったと思いますが、そういうことでよろしいでしょうか」

  菅仮免「一つの背景です」

 黒川委員長「そうですよね。それから東電に統合本部をつくろうということで行かれたということで、よろしいですか」

 菅仮免「そうです」

 黒川委員長「ハイ。ありがとうございます」・・・・・

 黒川委員長が言っている「その前に吉田所長から渡された電話で聞いたことが背景にあったと思いますが」という発言は、菅仮免の「ある意味で素直にというか、すぐに言われましたので、ま、ちょっと拍子抜けと言いましょうか、ちょっとホッとした」という受け止めが吉田所長の継続意志と目の前の清水社長の撤退意志撤回による継続意志とが一致したことが背景にあったからではないかと解釈したことを意味しているはずだ。

 だが、一致の前にあった不一致を、あるいは矛盾を黒川委員長は問い質さなかったし、菅仮免は吉田所長と清水社長の意志不統一を清水社長に問い質さなかったのだから、「一つの背景です」は相手の発言に単に合わせた、巧妙に誤魔化した言葉に過ぎないはずだ。

 撤退意志は初期的には現場発でなければならない。現場の、これ以上は無理ですという意志を受けて、最終決定は当然東電上層部であって、決定した時点で撤退意志は現場と上層部が共有することになる。だが、菅はこの意志決定と共有のプロセスが存在しているはずなのに、無視し、清水社長にいきなり、「撤退はあり得ませんよ」と切り出した。

 勿論、現場と本店の意志決定と共有のプロセスを経ずに本店が独断で撤退を決めたケースも考えられる。であるなら、なおさらに吉田所長の継続意志と矛盾する本店の撤退意志を問い質さなければならなかったはずだが、問い質しもしなかった。

 上に立つ者の合理的判断能力を欠いていた象徴的シーンとしか言いようがない。

 合理的判断能力を欠いた者が上に立つどのような組織も情報と人間を的確・適切にコントロールして統率できようはずがない。

 ほぼ終わり近くになって、野村委員が吉田所長(現場)の継続意志に絡めて菅仮免が本店で大声で叱責したことを取り上げている。

 野村委員「総理は15日の朝に東電本店に行かれて、それで多くの方々の証言では、まあ、叱責をされたということなんですけども、このご様子が今ご発言された相手の福島原発の現場におられた作業員の方々にも届いていたことは、そのときお考えになってご発言されていたんでしょうか」・・・・・

 野村委員が菅仮免の叱責が「作業員の方々にも届いていた」と言っていることは本店と各原発現場とテレビ会議システムで繋がっていて、リアルタイムで情報共有が可能となっていることを指し、当然のように福島第1原発現場とも繋がっていたことを言っている。

 菅仮免「私がどういう話をされたかということはかなり表に出ておりますけども、私の気持で申し上げますと、(言葉を強めて)叱責という気持は全くありません。

 直前に撤退という話があったことは、それを清水社長に撤退はありませんと言った直後でありますから、また皆さんがそのことで知悉されているかどうか分かりませんから、何とか皆さんが厳しい状況であるか分かってくださっておられるだろうと。

 だから、これは本当に命をかけても頑張って貰いたいという、そういうことは強く言いました。それから撤退しても、つまり現場から撤退しても、放射能はどんどん広がっていくわけですから、そういう意味で撤退しても逃げ切れませんよということは言いました。そういうことは言いましたけれども、現場にいる皆さんを私が何か叱責するとか、そういう気持ちは全くありません。

 それから、そういう皆さんが聞いておられたということはあとになって気づきました。私も東電に入るのは初めてですから。その頃本社のそういう所に。

 入ってみると、大きなテレビ会議のスクリーンが各サイトとつながっていて、24時間、例えば第2サイトとの状況もが分かるようになっていました。

 ですから、あとになって、私があそこで話したことはそこにおられた200名余りの皆さんだけではなくて、各サイトで聞かれた方もあったんだろうと。私はそれを公開するとかしないとかの話がありましたけどけれども、私自身は公開して頂いても全く構わないというか、私は決して止めるわけではありません。

 それを聞いて頂ければ、私ですがね、まあ、色んなことは申し上げましたが、最後は、まあ、60歳を超えている会長から社長とか、私などはある意味先頭切っていこうじゃないかということも申し上げたわけでありまして、決して現場の人に対して何か叱責するというような、そういう気持は全くありませんでしたので、そこは是非ご理解いただきたいと思います」・・・・・

 「そういう皆さんが聞いておられたということはあとになって気づきました」と、以後の認識だとしている。

 その部屋には大型のテレビモニターが6台か7台あったことが後からの菅の発言で分かるが、「入ってみると、大きなテレビ会議のスクリーンが各サイトとつながっていて、24時間、例えば第2サイトとの状況もが分かるようになっていました」と言って、部屋に入るなりテレビ会議システムの存在とそのシステムを使ったリアルタイムの情報共有を認識していたかのように言っている。

 とすると、前者の「そういう皆さんが聞いておられたということはあとになって気づきました」と言って、以後の認識だとしていることと矛盾することになる。

 続いて、「あとになって」と、以後の認識だとする言葉を発しながら、「私があそこで話したことはそこにおられた200名余りの皆さんだけではなくて、各サイトで聞かれた方もあったんだろうと」と、リアルタイム(即時)の認識だとする矛盾を再び見せている。

 野村委員「お気持はよく分かるんですけども、あの、一点だけですが、その前にですね、まさに会社のために国のためにということで自分たちの命を張っておられる方々がまさか逃げることはないっていうことが伝わっているわけですよね。電話で確認されているわけです。

 枝野官房長官の昨日の発言であれば、現場にも連絡して撤退の意思ではないということは確認されているわけなんですが、そういうような方々が、総理が来られて、現場から自分たち撤退するつもりはないいと思っているのに何で撤退するんだと怒鳴ってられる姿というのは、やはり今まさにサイトと命と共にそれを防いでいこうと思っておられる方々に対する態度として、先程人としてというご意見がありましたけども、何か反省する気持というのはないでしょうか」・・・・・

 現場の継続意志を把握していながら、菅が本店で怒鳴ったことを批判している。

 菅仮免「同じことになるんですけども、私は本当に叱責するというような気持は、特に現場の皆さんに対してそういう気持は全くありません。

 先程来、この撤退の経緯については色々お聞きになりましたけれども、少なくとも私が3時に起こされた時点では撤退するということを社長が経産大臣に言ってきたという、そこからスタートしているわけです。

 ですから、その意思は普通に考えれば東電の、少なくとも上層部は共有されているというふうに理解するのが普通だと思うんです。

 で、私は本店に入りましたので、そこには上層部の幹部の人達が基本的にはおられたわけです。もちろん今仰ったように現場のところにもテレビ電話でつながっていたかもしれませんが、私自身はそのことは後で気が・・・・、あの、テレビは分かりましたけども、そこにおられる東電の幹部の皆さんに、撤退ということをもし考えてもいられたとしてもですね、それは考え直して、何としても命がけで頑張ってもらいたいと。

 そういう気持で申し上げたのでしたので、そこは是非ご理解を頂きたいと思います」・・・・

 「現場のところにもテレビ電話でつながっていたかもしれませんが」ではなく、繋がっていたのであり、前の発言からすると、繋がっていたことを認識していなければならないにもかかわらず、推測範囲の認識となっていることも矛盾している。

 しかも、繋がっていたことは「私自身はそのことは後で気が・・・・」と、以後の認識だとする言葉を言いかけて、「あの、テレビは分かりましたけども」とリアルタイムの認識だと言い直している。

 部屋に何台かの大型のテレビモニターが存在することは目にしていたとしても、それがテレビ会議システムであって、各サイトとつながり、リアルタイムの情報共有を行なっていることを認識していなかったことは明らかである。

 「後で気が・・・・」を「後で気がつきました」とすると、「現場のところにもテレビ電話でつながっていたかもしれませんが、私自身はそのことは後で気がつきました」と言っていることと明らかに前後の脈絡に整合性を備えることができる。

 要するにウソをついて、認識していたかのように装っているに過ぎない。テレビ会議システムで福島第1原発現場と繋がっていることに気づいていなかったからこそ、本店で怒鳴ることができたのである。

 また、「その意思は普通に考えれば東電の、少なくとも上層部は共有されているというふうに理解するのが普通だと思うんです」と言って、上層部共有意志を以って東電は撤退意志を示していたとする自らの主張を正当化しているが、相変わらず現場と東電本店が共有していなければならない撤退意志だとは気づいていない。

 自身の判断が矛盾しているこの鈍感な合理的判断能力、あるいは客観的判断能力は如何ともし難い。

 ウソをついてまでして自己正当化に努めるのは、当然、合理的判断能力を欠いているために犯すことになる失態を責任逃れするためにつくウソということになる。

 このあと田中委員の質問に対して、菅は大きな声を出すのは「はっきり物を言わなければいけないときはあるわけです」とか、「何かよく怒鳴ったと言われるんですが、まあ、私の夫婦喧嘩よりは小さな声で喋ったつもりでありますけども」と抜け抜けと言い抜けている。

 東電は自ら事故対応を検証、6月20日に《福島原子力事故調査報告書》を公表している。色々と批判のある検証だが、まがい物ではない事実を拾い出せないわけではない。

 撤退問題についての菅と清水社長の遣り取りを次のように報告している。

 〈<総理による清水社長への真意確認>

清水社長が海江田大臣に電話をかけてから、しばらく時間が経過して後に清水社長に官邸へ来るようにとの連絡があった。用件は示されなかったが、ともかくすぐに来るようにということであった。3月15日4時17分頃、官邸に赴いた清水社長は、政府側関係者が居並ぶなか、菅総理から直々に撤退するつもりであるか否か真意を問われた。

 (中略)

清水社長によれば、ここで、両者間に次のような趣旨のやりとりがあった。

菅総理 「どうなんですか。東電は撤退するんですか。」

清水社長「いやいやそういうことではありません。撤退など考えていません。」

菅総理 「そうなのか。」

いわゆる撤退問題において、ここでのやりとりが最も重要な場面である。概略このようなやりとりがあったことは、後記の通り、菅総理自身が、事故からまもない4月18日、4月25日、5月2日の3回の参議院予算委員会での答弁(後述)に合致するものであって、確かな事実であったと見られる。

したがって、清水社長と海江田大臣との間の電話によって、菅総理等官邸側に当社が全面撤退を考えているとの誤解が一時あったとしても、それは、このやりとりによって解消されていたと考えられる。

それに続けて話題はすぐ「情報共有」になり、菅総理から「情報がうまく入らないから、政府と東電が一体となって対策本部を作った方がよいと思うがどうか。」との要求があり、清水社長は事故対策統合本部の設置を了解した。〉・・・・・

 上記4月18日、4月25日、5月2日の3回の参議院予算委員会での撤退問題に関わる菅答弁を別Pdf記事に記載しているが、5月2日分記述のみが「オンライン」という表現で東電本店と原発各サイトをつなげてリアルタイムに情報共有が可能なテレビ会議システムに触れている。菅がテレビ会議システムに気づいていたかどうか知るために他の日の答弁でも触れていないか正確に知る必要上、国会議事録から各答弁を引用することにした。

 2011年4月18日第177回国会参院予算委――

 菅仮免「早い時間に東電の関係者から、私には大臣からですが、現地から退避をするといったようなことが伝わってきまして、そこで清水社長に来ていただいて、そのことについて、これは大変重大なことですので、社長にお出ましをいただいて話を聞きました。そしたら社長は、いやいや、別に撤退という意味ではないんだということを言われました」

 前田武志委員長「総理、簡潔にお願いいたします」

 菅仮免「お答えしますからちゃんと聞いてください。

 そこで、これまでの段階で、やはり本部が官邸にあって、本部と東電本店、そして本店と現地のいわゆる福島の第一原発の事務所、この間接的な情報の中で、なかなか状況が、例えば水素爆発が起きてもすぐには伝わってこないといったことがありましたので、そうしたことを解消するためにも政府と東電との間で合同の対策本部を設けることが私は大変重要だと考え、清水社長にもそのことを申し上げ、清水社長も……(発言する者あり)

 前田武志委員長「総理、おまとめをください」

 菅仮免「了解をいただいて、そしてそれを設置したわけです。そして、私が出席をしたのは、その最初の会議を東電本店でやることにいたしまして、そこに出かけたのが最初であります。

 そして、現実に、本店には全ての情報がちゃんと現場とつながるような、そういうテレビ通信もありましたので、それからずっと情報が瞬時に的確に今日まで入るようになって対策がしっかり打てるようになったと。このことは国民の皆さんに私からもしっかりと申し上げたいと思います」・・・・・

 2011年4月25日第177回国会参院予算委――

 菅仮免「15日の段階で少なくとも私のところに大臣から報告があったのは、東電がいろいろな線量の関係で引き揚げたいという話があったので、それで社長にまず来ていただいて、どうなんですと、とても引き揚げられてもらっては困るんじゃないですかと言ったら、いやいやそういうことではありませんと言って。

 そこで、やはりどうしても官邸にある原子力災害対策本部と、そして東電の本店と、そして福島第一原子力発電所と三段階になっておりますので、そこで、少なくとも東電と内閣の方は統合的な対策本部をつくりたいけどいかがですかと言ったら社長の方も了解をいただきましたので、それでその対策本部をまず立ち上げて、そしてその一回目の会合をどこでやろうかとしたときに、そのときに、東電の本社には全ての情報集まっていますし、会長、社長を始めおられますので、そこで東電の中に統合対策本部を設けて、その第一回目の会合に私は出かけたわけです。そして、そのときから主に経産大臣とそして細野補佐官に常駐体制を取っていただくことによって情報が的確に入るようになりました。

 確かに、抽象的には危機管理センターにいれば森羅万象全てが入るというふうにおっしゃいますけれども、現実に六枚のパネルあるいは七枚のパネルの中でいえば、東電にはそういうパネルは、あらゆる原発とのところとつながっておりますけれども、危機管理センターには自動的にはつながる体制にはなっておりませんから、そういうことで一番情報の集まる……

 前田武志委員長「菅総理、往復でやっておりますから、簡潔におまとめください」

 菅仮免「関係者の一番いる統合対策本部を本店に設けたということであります」

 2011年5月2日第177回国会参院予算委――

 菅仮免「特に今回の大震災は、地震、津波の被害が極めて大きかったことに加えて原子力事故というものが起きまして、そういう中において、先ほど例えば私が東電に出かけたことを何か問題のように言われましたけれども、原子力災害対策本部そのものは発災の当日に官邸に設けられて、私が本部長をし、そこに東電関係者あるいは安全・保安院あるいは原子力安全委員会の主要メンバーもお集まりをいただいてやっておりました。

 しかし、ある段階で経産大臣の方から、どうも東電がいろいろな状況で撤退を考えているようだということが私に伝えられたものですから、社長をお招きをしてどうなんだと言ったら、いやいや、そういうつもりはないけれどもという話でありました。

 私は、福島の第一、第二だけで十個の原発があり、使用済燃料のプールが合わせて十一存在する中で、ここは何としても踏ん張ってもらわなければならない、こう考えまして統合対策本部というものを立ち上げ、そして現地のことが一番伝わっているのは東電の本社というか本店、そこには全部オンラインでつながっていますので、そういうところにその統合対策本部を設けて一回目の会合に私自身も出かけたということでありまして、私はそのことが、その後のもう撤退というようなことが一切あり得ないというその覚悟にもつながったのではないかと」・・・・・

 最初は「テレビ通信」という表現で、次は「パネル」という表現、最後は「オンライン」という表現でテレビ会議システムの存在を認識していたことを示している。

 その存在を理由に東電本店の統合対策本部を設置したのだと。

 だが、正確な名称である「テレビ会議システム」という言葉を一度も使っていない。

 要するに国会答弁も国会事故調証言も、他の証言も同じことになるが、テレビ会議システムの存在は後付けの認識でしかなかったことになる。

 菅が東電本店に統合対策本部設置の提案をしたのは清水社長を官邸に呼んで、撤退話が決着してから持ち出した話であって、官邸で決めて、第1回会合を開くということで菅が出席のために本店に乗り込みんだことは桜井委員の質問に対する菅証言が証明している。

 疑問は官邸で清水社長が東電本店と現場がテレビ会議システムで繋がっていてリアルタイムの情報共有が可能であることを伝えたかどうかであるが、東電事故検証は、〈それに続けて話題はすぐ「情報共有」になり、菅総理から「情報がうまく入らないから、政府と東電が一体となって対策本部を作った方がよいと思うがどうか。」との要求があり、清水社長は事故対策統合本部の設置を了解した。〉との記述があるのみで、テレビ会議システムの存在について一言も触れていない。

 伝えたとすると、その1時間後辺りに東電に乗り込んだとき、モニターを通じて福島第1原発現場が菅の叱責をリアルタイムで情報共有していたことに気づかなかったのは理解できなくなる。

 理解不可能からすると、テレビ会議システムの存在を認識していなかっとしか解釈しようがないし、このことは上記証言の矛盾とも合致する。

 撤退問題に関しては、〈したがって、清水社長と海江田大臣との間の電話によって、菅総理等官邸側に当社が全面撤退を考えているとの誤解が一時あったとしても、それは、このやりとりによって解消されていたと考えられる。〉と記述している。

 この記述に続いて、菅仮免の東電本店での言動を伝えている。

〈<当社本店での菅総理>

4時42分頃、清水社長は官邸を辞し、同時に出発した細野補佐官等が、本店対策本部に来社したところで細野補佐官の指示に基づき、本店対策本部室内のレイアウト変更が行われ、菅総理を迎え入れる準備が行われた。

5時35分、菅総理が本店に入り、本店対策本部で福島事故対応を行っていた本店社員やTV会議システムでつながる発電所の所員に、全面撤退に関して10分以上にわたって、激昂して激しく糾弾、撤退を許さないことを明言した。

前述の通り菅総理は官邸での清水社長とのやりとりによって当社が全面撤退を考えているわけではないと認識していたはずであり、上記菅総理の当社での早朝の演説は、意図は不明ながらも、当社の撤退を封じようとしたものとは考え難い。

清水社長は、国の対策本部長として懸命に取り組まれていることを感じながらも、「先ほどお会いしたときに納得されたはずなのにと違和感を覚えた」とこの時の総理の態度が理解できなかったことを証言している。

また、福島第一・第二原子力発電所の対策本部において、菅総理の発言を聞いた職員たちの多くが、背景の事情はわからないまま、憤慨や戸惑い、意気消沈もしくは著しい虚脱感を感じた、と証言している。〉・・・・・

 清水社長との話し合いで撤退問題は片付いたはずなのに、〈全面撤退に関して10分以上にわたって、激昂して激しく糾弾、撤退を許さないことを明言した。〉・・・・・

 菅が言っている、「私の夫婦喧嘩よりは小さな声で喋ったつもりでありますけども」とは大きく描写が違っている。

 どう考えても、撤退問題を大事(おおごと)にし、大事にすることによって、それを阻止した自己判断の功績を大きく見せたとしか思えない。

 撤退意志を事実化することによって東電側の責任放棄だと炙り出すことができ、それを阻止したとすることによって菅は自らの功績とすることができる。

 自らの功績を大きく見せるためには東電側の責任放棄を悪者紛いに大事に演出することによって可能となる。「ハイ、分かりました」で片付けることができなかった理由はこれ以外に考えることができない。

 逆に撤退問題を淡々と片付けたままにしていたなら、マスコミにこれ程取り上げられることもなく、世間を騒がせることもなく、東電本店に統合対策本部を設置したことに関しても、逆に遅過ぎる措置としてのみクローズアップされた可能性がある。

 当然、様々に批判を受けていた当時の不人気に対応して遅過ぎる責任が厳しく問われることになった可能性も考え得る。

 事故検証によって遅過ぎると指摘を受けても、撤退を阻止したという事実を大きくクローズアップさせることができた状況は維持できたまま、遅過ぎる設置に関わる責任を取り立てて問われることなく、撤退問題の陰に隠すことができている。

 このことが2011年9月17日の首相退陣後のインタビュー発言となって現れているはずだ。

 菅仮免「(東電が)撤退して六つの原子炉と七つの核燃料プールがそのまま放置されたら、放射能が放出され、200キロも300キロも広がる。いろいろなことをいろいろな人に調べさせた。全て十分だったとは思わない。正解もない。初めから避難区域を500キロにすれば、5000万人くらいが逃げなければならない。高齢者の施設、病院もあり、それも含めて考えれば、当時の判断として適切だと思う」(時事ドットコム

 撤退の事実化がなければ、阻止したことによる功績の事実化もなくなる。

 撤退を事実化することによって、「放射能が放出され、200キロも300キロも広がる」とか、「初めから避難区域を500キロにすれば、5000万人くらいが逃げなければならない」とか事態を大事化(おおごとか)することができ、逆説的に自己の功績、自己正当性を大事化できる。

 もしかしたらテレビ会議システムの存在とその機能に気づいていたのかもしれない。自己の功績を大事化することに目を奪われるあまりに吉田所長の継続意志を度忘れしたまま、各サイトにまで自身の功績を宣伝すべく、モニターの前で東電を悪者にした大声叱責の一幕を演じたのかもしれない。 

 いずれにしてもこのような詐術は、多分、合理的判断能力を欠いていることが原因している指導者としての無能を隠し、誤魔化すために自ずと必要としている巧妙狡猾なテクニックといったところではないだろうか。

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野田首相が言うように消費税増税が財政再建と社会保障制度の持続可能性を約束するとは限らない

2012-06-26 11:35:55 | Weblog

 野田首相が昨日6月25日(2012年)午後、国会内開催の民主党代議士会で社会保障・税一体改革関連法案の民主党一致団結の賛成を、「心から、心から、心から、お願い申し上げます」と、三度「心から」を繰返してお願いした上、“心から”に違いない、深々と頭を下げたシーンを昨夕のNHKニュースが映し出していた。

 この“心から”の三度の「心から、心から、心から」を聞いたとき、菅仮免が昨年6月15日夜、国会内開催の再生可能エネルギー促進法の早期制定を求める集会に飛び入り参加して、「国会内にはどうも菅だけの顔は見たくないという人がいる」と言い出したと思うと、挑発するかのように、「ホントに見たくないのか、ホントに見たくないのか、ホントに見たくないのか」と三度言って、「それなら早いことこの法案を通した方がいいよと、この作戦でいきたいと思います」と、同年3月11日閣議決定、国会に提出したものの審議入りしないまま放置されていた「再生可能エネルギー促進法案」の早期成立を訴えたのを思い出した。

 結局菅仮免は再生可能エネルギー促進法成立を退陣の交換条件の一つにして、約2ヶ月半後の9月2日に首相の座を去っていった。

 退陣前の世論は、退陣すると言って引き伸ばしに引き伸ばした結果、7月の世論調査で余裕を与える暇もない「8月末に退陣すべき」の情け容赦のない忌避感が70%前後、内閣支持率は20%前半台で、現実にも「菅だけの顔は見たくないという人」が世論の大勢を占め、民主党支持層内にまで拡大していた。

 要するに再生可能エネルギー促進法案が審議入りしないまま放置されていたのは菅仮免自身の指導力不足が原因であって、にも関わらず退陣の条件の一つとしたことがキッカケとなって与野党揃って「菅だけの顔は見たくない」が動機づけとなった法案成立の一面を持っていた。

 野田首相も社会保障・税一体改革関連法案成立を花道に退陣という事態を招かない保証はない。

 退陣するだけならいい。例え民主党が法案反対派と分裂しなくても、現在の内閣支持率、政党支持率のジリ貧状態から言って、次期総選挙で野党転落は目に見えている趨勢であって、政権返り咲きが濃厚の自公が最大の利益独占者となる可能性が高い。

 尤も野田首相は代議士会で「先送りをしたならば、この国は持ちません」と声を振り絞っていた。消費税増税によって財政再建とツケを子や孫世代に先送りしない社会保障制度の持続可能性の道筋をつけることが自らの信念・自らの使命としていたことで、損得の勘定でしていたことではない、どの党が政権を取ろうが、より大きなことは先送りしたなら持たないこの国・この社会を持たせることだと言うだろうが、消費税増税が一時的には政府予算に余裕を与えたとしても、財政再建を必ずしも約束しないことは以前の消費税増税後も赤字国債が増え続け、国債、借入金、政府短期証券合計の「国の借金」が2012年度末時点で1千兆円突破の予想が証明している。

 要するに年々の予算額を増加の一途を常態とするのではなく、景気が決定権を持つ税収に合わせて全体的なバランスを持たせた効率的な予算編成に基づく厳格な財政運営を確保できなければ、リーマン・ショックだ、ヨーロッパ金融危機だ、大災害だといったたびに発生する財政危機に対応できないばかりか、一般歳出に占める割合が5割を超え、年々約1.5兆円ずつ増加していく社会保障関係費国庫負担分(2011年度は約28兆円)を賄うために消費税増税を繰返さなければ追いつかないことになる。

 消費税増税を財源とした社会保障制度改革が国民に今日の安心よりも明日の安心を保証するをスローガンとしているが、消費税増税頼りの財政運営が一般化した場合、明日の安心どころか、今日の安心も覚束ない貧困層が多数を占める現実を考えると、消費税増税が却って覚束ない今日の安心の息の根を止めることになりかねず、先送りしなくても、国が持たない、社会が持たないという事態が生じない保証はない。 

 半数以上を占める消費税増税反対の世論がこのことの一端を証明しているはずだ。

 しかも1年を掛けて民主党内で議論し、民主的に決定したと言っている社会保障制度改革を3党合意によって置き去りした、消費税増税だけが先行の展開となっている。

 尤も野田首相自体はこのことを否定している。

 野田首相「今日、(衆院社会保障と税の一体改革特別委員会の)7時間20分の答弁の中で明確に申し上げております。最低保障年金も高齢者医療制度の廃止も旗は降ろしていない、と明確に申し上げました。国会の答弁で政府を代表する私が議事録に残る形でお話をしたこと。これは是非、重く受けとめていただきたいというふうに思います」(MSN産経

 いくら議事録に発言が残ろうと、その発言を最終的に保証するのは頭数である。現状に於ける頭数や将来的に予想される頭数を考えない、「議事録に残る」の短絡的な安請け合いに見えて仕方がない。

 現状の参議院野党優勢の頭数のみで散々に与党政策の妥協や撤回を強いられている上に、昨日の国会で選挙に不利となる約束の取り付けまで強いられている。

 伊吹自民党元幹事長「民主党が掲げる最低保障年金の創設は、消費税率10%ではできるわけがない。『棚上げしていない』と言うのなら、次の衆議院選挙のマニフェストに、財源として、あと何%消費税率を引き上げるのかを掲げ、正々堂々と国民の審判を受けたらどうか」

 野田首相「最低保障年金の創設などは、長い間、私たちが議論してまとめた基本的な政策であり、制度設計を詰めながら、『国民会議』の中で実現すべく努力したい。実現できていない段階で衆議院を解散した場合には、きちんと整理して、国民に向けて発信するマニフェストにしないといけない」(以上NHK NEWS WEB

 現在でさえ10%の消費税増税は受け入れることはできないとしている国民が半数以上を占めているのに最低保障年金最大で17.5%の消費税増税必要論にどのくらいの国民が賛成できるのだろうか。

 賛成する・しないではなく、生活維持の観点から見た賛成できる・できないの判断の問題である。

 少なくとも日々の安心も覚束ずに社会から取り残されている多くの現役世代の貧困層にとって、いくら逆進性対策を施して17.5%の増税とのバランスを取ろうとも、それをゼロにしたとしても貧困の状況が変わるわけではないのだから、社会から取り残された存在であることにも変化はないはずだ。

 既に触れたが、現在の内閣支持率、政党支持率のジリ貧状態から言って、ただでさえ野党転落は目に見えている趨勢を受けて衆参共に自公が優勢な頭数を握る可能性は高く、当然、野田首相が降ろしていないとしている「旗」など、頭数喪失と同時にどこかに吹き飛んでしまう可能性は否定できない。

 民主党に有利となる唯一の可能性は自公が衆院選で過半数を獲得できなかった場合、野党に転落した民主党と他の少数野党と合わせて衆参共に過半数を獲得できるねじれ状況の実現であるが、いわば今度は野党として与党に対してねじれをカードとすることができるが、参院選挙も来年に迫っている。民主党の国民支持の現況からして、参院選でも議席を大きく落とした場合、自公の他野党との連立の組み方次第で民主党のねじれカードの効力は長続きしない可能性も生じる。

 当然、野田首相が昨日の国会で自公に呼びかけたという、個別政策でのパーシャル連合(部分連合)も衆参それぞれに獲得できる頭数が條件となる。

 野田首相「大連立や政界再編は今は言及する段階ではない。個別の政策でスクラムを組むことを国家、国民のためにやっていくことが大事だ」(MSN産経

 いくら国家・国民を持ち出そうと、所詮議席が決定する役割遂行でしかない。

 消費税増税が財政再建と社会保障制度の持続可能性を絶対的に約束するとは限らない上にマニフェストで約束した政策の実現も将来的な議席獲得予測からして期待薄となると、民主党の一体改革の一体性が明らかに崩れることになるが、何よりも効率的な予算編成に基づく厳格な財政運営能力を政官共に獲得できなければ、言葉だけで受け合う約束となる。

 言葉で以って約束をつくり出そうとする判断能力は菅仮免も資質としていた合理性欠如としか言いようがない。


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原口一博民主党議員の社会保障と税の一体改革関連法案、「党議拘束をかけるなら従う」の自己保身

2012-06-25 17:07:36 | Weblog

 人間が基本的に軽くできているからに違いない、言葉に信用が置けない衆院佐賀1区民主党佐賀県連会長の原口一博議員が小沢一郎元民主党代表の消費税増税関連法案を巡って反対の意志を表明し、場合に応じて離党し、新党結成の覚悟を示している動きを批判した。

 《「小沢氏、ドス突きつけぶっ壊すよう…」原口氏》

 6月23日日曜日の唐津市内郵政関連団体の会合で記者団の取材に答えた。

 原口(採決造反・離党の動きに)「同調しないし、同調しないように働きかけている。

 (法案への賛否)党議拘束をかけるなら従う

 (小沢元代表の行動)ドスを突きつけ、『ぶっ壊す』みたいな行動だ。小沢氏には『今は党を割るべきタイミングではない』と(直前に)伝えていたので驚いている。

 (関連法案)3党合意は重たい。ただ、国民との契約(マニフェスト)も重たいので、どこで折り合いを付けるかで、みんなが悩んでいる」・・・・

 雄々しい主張となっている。小沢グループに所属しているはずだが、別行動宣言――袂を分かつということである。

 だが、その理由が三枚舌人間らしく振るっている。

 「党議拘束をかけるなら従う」とは「党議拘束をかけないなら従わない」、いわば法案に反対するということを意味し、法案の中身に対する自己主張に基づいた賛否の判断ではなく、党議拘束の有無を基準として賛否の判断をすることになる。

 法案に対する信念に基づいた行動ではなく、党議拘束に信念をかけるということである。

 言葉を替えて言うなら、党議拘束次第で信念・態度を変えるということになる。

 これを以て自己保身と言わずに何と表現したらいいのだろうか。

 自己保身で党議拘束に従うと言うことなら、「3党合意は重たい。ただ、国民との契約(マニフェスト)も重たいので、どこで折り合いを付けるかで、みんなが悩んでいる」は単なる奇麗事の体裁となる。

 自己保身で行動するこのような自己保身人間が東大卒だとは驚きだ。

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2012年5月28日菅国会事故調参考人証言全文(1)

2012-06-24 12:28:55 | Weblog

 2012年5月28日午後に行われた《国会事故調(国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会)》菅前首相参考人証言の全文書き起こし。

 途中までブログに書き記したが、改めて全文を記載。ブログに既に記載した箇所までは赤色の水平線を入れて区別しておきました。

 前以て簡単に結論づけておくと、菅前首相は原子力災害対策本部を立ち上げ、その本部長を務めたものの、対策本部を体系だった統一的な組織として構築する能力を欠いていたために、そのトップとして組織を構成する各成員・各成分に緊密な相互関連性を持たせて全体を有機的に統率し、機能させる能力をも欠くことになっていた。

 だから、満足に情報を上げることができなかった。情報が上がってこなかったではない。上がってこなかったなら、上げるのがトップの能力と責任のはずである。

 官邸内に20前後もの会議やチームを立ちあげて、却って指揮・命令系統の混乱や情報停滞を招き、後に整理することになったことも立ち上げた組織を当たり前の組織として統率・機能させることができなかったから、次の組織、次の組織と次々に立ち上げる必要に迫られたはずだ。

 組織構築能力と組織統率能力に優れていたなら、少ない組織で済んだはずだ。

 組織構築能力と組織統率能力の欠如が原発事故対応だけではなく、地震・津波後の対応でも様々な停滞や混乱を生んだ。

 そして両能力の欠如はすべての能力の基本となる合理的判断能力欠如からきているのは断るまでもない。何事も満足な判断ができないということである。

 そういった場面は証言の至るところで見ることができる。

 証言からではないが、ブログに何度も書いてきている象徴的な例を挙げると、2007年参院選で民主党第1党、野党が多数派を形勢して自公政権を散々に苦しめ、安倍内閣、福田内閣、麻生内閣と次々と立ちゆかなくさせて政権交代へと道を開いていった経緯を忘れて、2010年参院選で民主党敗北、野党と立場を逆転させたことは次は自分たちの内閣が立ち行かなくなることだとは考えることができずに「天の配剤」だと表現した。

 この程度の判断能力しか持っていなかった。

 字数の関係から、何ページかに分ける。

 国会事故調の委員メンバー

 黒川清委員長(元日本学術会議会長)

 石橋克彦(神戸大名誉教授)
 大島賢三(元国連大使)
 崎山比早子(元放射線医学総合研究所主任研究官)
 桜井正史(元名古屋高検検事長)
 田中耕一(島津製作所フェロー)
 田中三彦(科学ジャーナリスト)
 野村修也(中央大法科大学院教授)
 蜂須賀礼子(福島県大熊町商工会長)
 横山禎徳(社会システムデザイナー)

 黒川委員長「それでは国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会、通称、国会事故調でありますが、第16回の委員会を開催いたします。

 それでは今日のご案内にありますように参考人に対する質疑を開始いたします。本日は衆議院議員、また前内閣総理大臣であられました菅直人さんにいらしていただきました。

 (菅、軽く二度頭を下げる)

 お忙しいところありがとうございます。ご承知のように菅さんは010年6月から総理大臣を務められ、福島原発事故当時も内閣総理大臣として事故対応に当っておられました。本日は事故当時のことを中心に質疑をさせて頂きます。

 それでは菅総理の方から、ご挨拶をしていただければと思います」

 菅仮免(マイクを手に持ち、立ち上がって)「先ず昨年の東日本大震災、そしてそれに伴う福島原発事故に於いて亡くなられたみなさん、被災されたみなさん、そして全国のみなさんに対して心からお悔やみと御見舞を申し上げたいと思います。

 特に原発事故は国策として続けられてきた原発よって引き起こされたものであり、そういった意味では最大の責任は国にある、そのように考えております。

 この事故が発生したときの国の責任者でありました私として、この事故を停められなかったこと、そのことについては改めてお詫びを申し上げたいと思います。

 今日はこうした事故が二度と起きないように、起こさないためにどうするか、そういうことに役立つならと思って、私が知り得る限りのこと、あるいは当時を含めて私が考えたことについてみなさんから忌憚のないご質問をいただければ、できる限り率直にお話ししたい、そういう意味で出席をいたしましたので、どうか国会事故調のみなさんに於かれましても、よろしくお願い申し上げます」

 丁寧に一礼して座る。

 黒川委員長「ありがとうございます。それでは私からと思いますが、現在のようなテレビ、インターネットで世界中に情報が広がっている中で、今回のような東日本大震災、地震と津波、さらに福島原子力というのは世界中に日本の発言、対応、すべてが見られ、毎日のように日本の記者会見もですね、日本語で喋っているとはいえ、同時に訳されて世界の共有するところとなりました。

 今の参考人である菅さんには私共は福島の事故に限って調べておりますが、大変な時だったと思います。内閣総理大臣という職にあり、行政府のトップという責任ある者として事故に対応に当っておられました。今日は貴重なお時間をいただけるということについて御礼を申し上げます。
 
 さて、ご承知だと思いますが、この委員会は英語の同時通訳もありまして、ネットでも見れるようになっておりますし、のちのちホームページからも見られるようになっておりまして、また菅総理も、その後色んな機会にインタビューを受けられ、あるいは海外のインタビューにも受けておられることは十分承知をしております。

 その意味で今日は大変時間が限られておりますので、質問についてはできるだけ簡潔に。正面から誠実にお答えいただくことを希望しております。

 ということで、まずは桜井委員の方から幾つかの質問をさせて頂きます。よろしくお願いいたします」

 桜井正史(元名古屋高検検事長)

 桜井委員「委員の桜井でございます。よろしくおねがいします。先ず事故前のことについて若干お伺いしますが、菅総理と呼ばせていただきますので、当時の総理のことをお伺いしますので、そのような言葉を使わせて頂きますが、(菅の方から訂正したのだろう)じゃあ、菅さんにさせて頂きますが、菅さんには原子力発電所の事故というものについて、総理になる前、どのような見解、認識をお持ちでしたでしょうか」

 菅仮免「私もスリーマイル島の事件、そしてその後のチェルノブイリの事件、事故、それぞれ関心を強く持っておりました。チェルノブイリの事件については、事故については、その当時ですけども、その原因というものを私なりに調べたことがあります。

 また、原子炉ではありませんが、JOCの事故のとき、まだ私は野党の議員でありましたけども、なぜ臨界事故と言ったものが起きたのか当初理解ができなかったものですから、色々と関係する人に当たりまして、その原因を私なりに調査し、私なりに理解をした、そういうことがあります」

 桜井委員「菅さんは原子力災害の可能性、その発生について、総理になる前で結構ですが、そのように認識をお持ちでしたでしょうか」

 菅仮免「私も議員になる前も色々な形の市民運動をやっておりまして、当時の広い意味の仲間の中にはかなり原発に対して疑念を持っておられた方も数多くおられました。

 当時、私が議員になるかならないかの頃にも、地元のある方が浜岡原発について活断層の存在があるからということで、是非それを停めるべきではないかということを言ってこられた方もありました。

 また私もできるだけ、この原発、原子力エネルギーというのは当初私が属した社民連などは過渡的なエネルギーという位置づけをしていまして、ある段階にまで来たなら、それからの脱却ということも、当時私が属していた政党などでは主張していた時期もあります。

 そいう中で私自身、その後民主党という政党に結成から参加し、政策を固める中で、安全性をしっかりと確認すると、そういう前提の中で原子力を活用すると、そういうことはあってもいいのではないかと、そういうふうに私自身の考え方を、一番古くから比べれば、やや柔軟といいいましょうか、やや許容の方に変わったところであります。

 そしてこれは仕事の話になると思いますが、やはり3・11を経験いたしまして、そうした私自身が考え方を緩めたというか、あるいは緩和したということが結果として正しいことではなかったと、このように現在は思っています」

 桜井委員「それでは次に総理になられてからのことをお聞きします。

 総理の権限と責務はたくさんあると思いますが、その中の一つとして緊急事態宣言が発せられて原子力災害対策本部が設置された場合は、そのトップとして、災害の対応に当たらなければならないことは改めて私が申し上げるまでもないことでありますが、総理は就任されてからこのような場合、どのような責務と権限があるかということを事前に何らか等の説明を受けておられたでしょうか」

 菅仮免「内閣総理大臣としてどういう権限・権能があるかということは一般的には従来から色々議論もしてきましたし、私の中でも一定の考え方を持っております。言うまでもないことですが、憲法にも内閣法にも規定されております。

 原子力事故に当ってどのような権限が総理大臣として、あるいは本部長としてあるかということについて、詳しい説明を総理になった以降、事故までの間に聞いたということは、そういうことは私は覚えている限りありません」

 桜井委員「総理になられてから平成22年に総合防災訓練というものが行われていると思いますが、それに総理は何らかの関わりを持っておられたのでしょうか」

 菅仮免「国会でもそのことを聞かれたことがありまして、そういう機会があったということは覚えておりますけども、深くその時に特に原子力の本部長としての権限などを、その時に深く認識をしたかと言えば、必ずしもそういう形には私自身、残念ながら、なっておりませんでした」

 桜井委員「のちに振り返ってみてですね、事前によく説明を受けて知っておいた方がよかったとお考えにはなりませんでしたか」

 菅仮免「(一つ笑みをこぼして)勿論、この事故に遭遇して、もっと早くからしっかりとした説明を受けておればよかったと、このように思いました」

 桜井委員「それでは15条通報がなされた後のことについてお伺いしますが、海江田経産大臣の方から緊急事態宣言について総理としての決済を求められたことがございますね。

 その際に結果的には19時を過ぎてから、緊急事態宣言がなされているということで、時間がかかっており、その間に野党との党首会談が入っておりますが、詳しいことは結構なんですが、党首会談前に速やかに緊急事態宣言を発するということはできなかったのでしょうか」

 菅仮免「東電から経産大臣の方に15条通報の報告があったのは15時42分と承知をしております。経産大臣の方から、失礼いたしました、今のは10条でしたね。

 15条の方は16時15分と認識しております。経産大臣から私の方にその件について説明及び上申があったのは17時42分であります。確かに野党のみなさんとの党首会談が既にセットされておりましたので、その説明(緊急事態宣言について説明)の途中、確か5分程度でありますけれども、党首会談に、まあ、顔を出して、中座をして戻ってきて、そしてその後の説明を受けて、宣言をしたということで至っております。

 結果として19時3分に緊急事態宣言をいたしました。それ以前に既に地震・津波については緊急災害対策本部が立ち上がり、また原発についても既に官邸に対策室が立ち上がって、実質的な動きは始めておりました。

 そういった点で、もっと早ければよかったというご指摘はご指摘として是非皆さんの方でご検証していただきたいと思いますが、それによって何か支障があったかと問われれば、私が認識している限り、支障がなかったと認識しております」

 桜井委員「私が伺っているのは現実の支障があったかなかったということではなくてですね、ある意味、当時官邸におられた方で、原子力災害ということに一番詳しかったのは菅さん自身ではなかったかというような評価もされていますが、そいう中で15条通報がなされて、緊急事態宣言が経産大臣の方から求められるという意味というのは、一番分かっておられたのではないかと思います。

 そのことをなぜ時間をかけてしまったのかというところをお伺いしたいと思います」

 菅仮免「率直に申し上げまして、何か私が理由があって引き伸ばしたとか、何か押し留めたという気持ちは全くありません。その意味で、17時52分に報告が上がってきて、そして上申が上がってきた中で、私としてはたしかに野党の党首のみなさんでありますので、やはりその方々に対してもお約束をした以上はですね、あまりお待たせをする訳にはいかないとうことで、中座をして5分間行って帰ってくると。

 確かに1時間21分かかっておりますけども、もっと早ければよかったと言えばそのとおりだと思いますが、何か意図的に引き伸ばした、何か理由があって伸ばしたということでは全くありません」

 桜井委員「次に避難区域の設定、避難指示ということについてお伺いします。3キロという、避難を当初政府は決められておりますが、これはどういう根拠、どういう経緯で決定されたのでしょうか」

 菅仮免「避難につきましては、本来なら、、後程議論になるかもしれませんが、オフサイトセンターなどからですね、現地の状況を踏まえて何らかの指針が出されて、それが本部長に対して承認を求めると、そういう形になるのが本来のルールであると思いますが、残念ながら、オフサイトセンターはその時点を含めて機能をいたしておりませんでした。

 そこで原子力・保安院、そして原子力安全委員会委員長、あるいは東電の関係者に集まって貰って、状況把握をしておりました。特にこの避難については必ず原子力安全委員会、当時は班目安全委員会委員長が一緒にしていただいている時間が長かったと思いますが、そのご意見を聞きながら、最終的にその意見に添って決めたところであります。

 21時23分にF1(福島第1原発)から半径3キロ圏内から避難を決定したのは、つまりは15条という状態に至っていると、今後そのことがどういう厳しい状況に至るのか、まだ分かりませんでしたが、予防的な措置として先ず3キロ圏内を決めたと、このように認識をいたしております」

 桜井委員「続いて避難区域のことを纏めてお伺いしますが、次に10キロの避難区域というか、避難指示の決定を、時間的に5時44分ということですが、それはどのような情勢判断、どなたの判断によって決められたのでしょうか」

 菅仮免「3月12日の午前、5時44分、F1から半径10キロ圏内を決めました。その根拠は1号機の圧力が見られるというそういう指摘を、報告を東電から派遣された方から話を聞き、それを踏まえて、先程申し上げました原子力安全・保安院、原子力安全、特に委員会の意見をお聞きしまして、この圧力上昇というのは最悪の場合は、格納容器を破壊する危険性もあるので、そういう危険性を考えて、10キロ圏という範囲に拡大をいたしました」

 桜井委員「この10キロ圏の決定とベントとは関係あるんでしょうか」

 菅仮免「ベントについては(少し考えてから)、11日の段階から、本格的には12日の未明に経産大臣の方から、指示が出るわけでありますけれども、(10キロ圏内避難指示の)12日の午後5時44分というのはベントの指示が出るよりも、後でありますので、そういったことも関係者の皆さんの中には判断の一つの材料になっていたと思います。

 私としては先程申し上げましたように専門家のみなさんの助言を聞いて、国際的な色々なこれまでの、何と言いましょうか、経験を踏まえたご意見を聞いて決めさせていただきました」

 桜井委員「続きまして20キロの指示は同じようにどういう状況判断とどなたのご意見によって決定されたのでしょうか」

 菅仮免「基本的には同じでありますけれども、この時点は3月12日の18時25分でありますけれども、既にこの時点では15時36分に1号機の水素爆発が起きております。

 そういった点で、さらに2号機、3号機がそういった事態を迎える危険性もありましたので、そういう専門家の皆様のご意見を聞いて、20キロ圏に拡大をいたしました」

 桜井委員「その際に30キロという検討をされましたか」


 菅仮免(ほんの少し考える)「色んな議論があったと認識をしております。と同時に避難区域を拡大するということは避難をする先を含めて、避難ができる、迅速にできるということも併せて準備をしなければなりません。

 そういった議論もあったと認識をしております。その時点では1号機の水素爆発のあとでありましたので、2号機、3号機がもしそうしたことになって、放射性物質がその時点で外に広く出た場合には、場合によっては屋内にいた方が、ある時期屋内にいた方が安全ではないかと、そういった議論も含めて、最終的には専門家のみなさんの、少なくとも私のところに周りにおられた皆さんは、最終的に20キロでよしと。

 そののち、20キロから30キロを屋内退避にしたわけです」

 桜井委員「次に総理が福島第1に視察に行かれたことについて伺いますが、津波、その他の被害の所も併せて視察をなさったことは皆さんもご承知で、改めてご説明はいりませんが、福島第1原発をご自分で行かれたということは如何でしょうか」

 菅仮免「視察に行く目的は、今言われましたように地震・津波の現状を直接私が見て認識したい。これはかつての阪神・淡路の震災のときに、当時の内閣、私は内閣のメンバーではありませんでしたけど、そういった関係者がいつ行く、いつ行かないで色々と議論があったことを私も覚えております。

 私としてはテレビ出見ておりましたけれども、やはり現場の状況を上空でいいから、やはり見ておくことが、その対策を取る上で極めて重要だという認識を一方で持っておりました。

 例えばあったのは、東電から先ず電源車を送る、そのために協力して欲しい。そういうことについて色々遣りました。後にベントの話もありました。しかしそういった根本的な状況についての説明は残念ながらありませんでした。

 特にベントに関しては既に経産大臣の方から、東電がベントをしたいということについて了解していると言っているにもかかわらず、何時間経っても、それが行われない。

 私からも東電から派遣された方に、なぜ進まないんですかとお聞きしました。そしたら、分からないと言われるんですね。わからないと言われるのは本当に困りました。

 技術的な理由なのか、何か他に理由があるのかですね、分かれば、またそれに対して判断できますから、そういった状況がありましたので、私としては福島のF1、第1サイトにその責任者と話をすることによって、状況を把握できるんじゃないかと、そう考えまして、地震・津波の視察を併せて福島第1サイトの視察に行くことを決めたわけです」

 桜井委員「福島の第1で当時の吉田所長と会われまして、その結果、行われた先程の目的とその他のことで、どのような成果というか、結論を得られたのでしょうか」

 菅仮免「免震重要棟に入りまして、2階の部屋に入りました。そこで吉田所長と、確か武藤副社長がその同席をされて、こちらに何人かが同席をされていました。

 その中で炉の図面などを広げて、今の状況の概略の説明がありました。その上で、私の方から、ベントについて、我々としたら、もう了解をしているのでベントを行わないと圧力が上がって、格納容器が破壊されると、そういう危険があると聞いているので、何とか早くベントをやって欲しいと申し上げましたら、『分かりました』と。『決死隊をつくってでもやります』と、そういう返事をいただきました。

 それで私も、この所長なら、しっかりやってくれるという印象を持ちまして、確か免震棟におりましたのは40分程度でありますが、それでそこを後にしました。

 私としてはその後、色々な判断をする上で、特に東電の撤退問題、後程話題になるかもしれませんが、そういったことは判断する上で、必ずしも私は何回もお話ししたわけではありませんが、現場の皆さんの考え方、あるいは見方を知るという上では極めて大きなことであったと。そこで顔と名前が一致したということは極めて大きなことであったと、このように考えております」

 桜井委員「撤退問題については後程またお伺いしますが、原災法の建付けでは、こういった事態が起こったときに現地の、俗にオフサイトセンターと言われているんですが、そちらに本部の権限を委譲することができることになっておりまして、ところが委譲されていないようですが、当時の本部長としてはどのような経緯から、これが委譲されていなかったのか把握されていいるのでしょうか」

 菅仮免「当時私は原子力安全・保安院から、そうした説明があったという記憶はありません。ですので、法律の在り方についてはその後詳細に調べましたけれども、その時点ではそういう説明もなかったし、またオフサイトセンターそのものがですね、確か副大臣が到着したのも12日の未明だったと思っておりますので、その上でも関係者が集まらなかったと聞いておりますので、実際にはそういった機能が果たせる状態ではなかったので、保安院が伝えなかったのか、あるいは他の理由で伝えなかったのか、そこは分かりませんが、私はその時点できちんと説明を受けておりません」

 桜井委員「第2回の災害対策本部の会議というのが後に作成されていまして、この拝見しますと、第2回については菅さんが欠席ということになっているんですが、それによりますと、権限委譲についての案というものが配布資料の中に入っておりまして、ところが、その案についてどう扱ったかということが議論の結果とか概要にも書いてないのですが、その事情はご存じなかったでしょうか」

 菅仮免「存じ上げません」

 桜井委員「その点はそう伺っておきまして、ベントの話が先ほどちょっとございましたので、その関係で海水注入についてお伺いしたいと思います。

 海水注入の問題というのは菅さん、ところでお話があったのはどういう経緯だったでしょうか」


 菅仮免「この海水注入については大変私にとってもですね、色々とご批判を頂いた件でもありますので、少し整理をして説明をした方がいいのではないかと思います。

 先ず海水注入について、真水がなくなった場合には冷却のためには海水注入が必要であるという点では私と海江田大臣を初め、そうした専門家の皆さん、関係者の皆さんは一致をいたしておりました。

 そういう認識のもと、3月12日18時頃から20分程度、私、海江田大臣、原子力安全委員長、保安院責任者、東電の派遣された方が話をされまして、その時点では東電から来られた技術担当の武黒フェローが準備に1時間から、失礼、1時間半から2時間かかると、こういう説明がありました。

 そこでその時間を使って、海水注入だけに限らず、いくつかの点で議論をしておこうと。というのはこの日の15時ですが、1号機が水素爆発を起こしておりますけども、この水素爆発についても、前からそういうことが起きることはないか、私も聞いておりましたが、その時点では格納容器内に窒素が充填されているので起きないというご返事でしたけれども、現実には起きたわけでありまして、そういったことを含めてですね、いくつかの事象につてい聞いておった方がいいと、時間があるなら聞いておいたほうがいいと、こういう認識のもとで幾つかのことが議題となりました。

 一つは勿論塩水ですから、塩分による影響であります。それから問題となりました再臨界については淡水を海水に代えたら再臨界が起きるということではありません。これは私もよく分かっておりました。

 つまり、私も技術的なことは専門家でありませんので、詳しくは申し上げませんが、再臨界が起きる可能性というのは制御棒が抜け落ちたとか、あるいはメルトダウンした後の、その燃料より大きな塊になったとか(手を大きく動かしてゼスチャーたっぷりに話す)、そういう場合に起きる危険性があるわけでありまして、班目委員長の方からは『可能性がゼロではない』というお返事がありました。

 まだ時間があるという前提で、それならそういうことも含めて、検討して欲しい。つまりはホウ酸を入れれば再臨界の危険性を抑えることができるということは、その関係者はみんな知っておりますので、そのことも含めて検討して欲しいと、このように申し上げたところであります。

 その後のことを申し上げますか」

 手で遮られる。

 桜井委員「国会でもこのことについて何回も聞かれておりまして、総理は質問と答をどう取られるか、非常に難しい問題もあろうかと思われますが、海水注入の関係で聞かれてくるときに、『いわゆる再臨界という課題も私にはありましたし、そのことの検討』――、ちょっと要約させて頂きますと、『これを皆さんにお願いする』と。

 こういうような答弁をされておりますが、今のご説明との関連ではどういうことでしょうか」

 菅仮免「今申し上げたとおりですけども、何か矛盾はあるでしょうか。私が申し上げたのは、例えば海水注入が再臨界に関係ないというような表現で、何か報道されたものもありますが、これは全く間違っています。淡水を海水に代えたからといって、再臨界の可能性が増えるわけではないと、こういうことを言ったんですが(ふっと笑い)、その前の部分が省略されていると全く意味が違います。

 そういった意味で再臨界のことを申し上げたのは、こののち海水の中にもホウ酸を入れるわけですけども、原子炉にはホウ酸が置いてあるわけですから、それを念のために入れるということを含めて、検討をして欲しいという趣旨で申し上げたので、国会の答弁と矛盾はありません」

 《2012年5月28日菅国会事故調参考人証言全文(2)》に続く

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2012年5月28日菅国会事故調参考人証言全文(2)

2012-06-24 12:21:39 | Weblog

 桜井委員「既に総理もご承知だっと思いますが、現実には東電の方の本店からは始めていたなら、それを停めるという指示が出されてた。吉田所長の方はその指示に反して、海水注入を続けたという事実は既にご承知かと思いますが、少なくとも東電の方では総理の、当時の総理のお言葉を重く受け止めて、そのような行動に出たと思いますが、その点については総理の方はご感想を、どのような見方をされているのでしょうか」

 菅仮免「東電の会長の、この委員会での発言も私は聞いておりました。しかし東電会長はこの問題について本当に技術的なことをですね、関係者から聞かれて言っておられたとは思えないわけであります。

 先ず事実関係を正確に申し上げますと、先程申し上げましたように具体的名を上げて恐縮ですが、直前まで副社長をやっておられた現職の武黒フェローがですね、6時から6時20分の会合では、後1時間30分から2時間はあると準備に、という話を前提で話を始めたわけであります。で、それを20分程度で切り上げて、じゃあ、後、その結果を含めて報告をして下さいと。

 で、私のところに来たのは確か、19時の40分で、準備ができたということで、じゃあやって下さい。

 で、その後始まったと。

 その時点ではそういうふうに理解をしておりました。そしたら、その後色々なことが分かってきますと、武黒フェローはその20分の間の会合の後に直接でしょうか、吉田所長に電話をされて、そこで既に海水が入っているということを聞かれたわけです。

 そのことは私には連絡はありません。

 私は二重の意味で大きな問題と思います。先ず第一は、既に入っているなら、私は当然入れ続ければいいと思っています。もし再臨界の危険性があるなら、ホウ酸を後で追加すればいいわけですから。現実にそうしています、そののちに。

 それを武黒フェローが判断をして吉田所長に停めろと言った。

 よくですね、官邸の意向ということが他の場面によく出ますが、官邸の意向には私自身の意向、あるいは私自身を含む政府の意向と、当時官邸に詰めていた東電関係者の発言とか混在しております。

 少なくともですね、東電関係者の発言は官邸の意向というふうに表現されるということは私は間違っていると思います。これはメディアの関係者の皆さんにもはっきりと申し上げておきたいと思います。

 そこで今申し上げたことが一つです。もう一つは武黒さんというのは確か原子力部長を務められたプロ中のプロです。ですから、水を入れること、海水を入れること、如何に重要であるか。そしてそのことは再臨界とは、淡水を海水に代えたことは再臨界とは関係ないということは、プロであればよく分かっていることであります。

 その人がなぜですね、そういう技術的なことがよく分かっている人が吉田所長に停めろと言ったのか、私には率直に言って全く理解できません。

 そして吉田所長はそれに対して、私はあとで聞いた話ですけれども、私の意向だというふうに理解したと。そこで東電本店に聞いたら、総理の、時の総理の意向なら、仕方がないじゃないかと言って説得されたけれども、それではと言って、まあ、一芝居と言いましょうか、今から停めろと言うけども、停めるなと現場の人に言って、停めろということを言われたと。

 それでテレビ会議の装置を使って、東電本店にも伝わっていたので、東電の大部分の人にも、その時点で一旦停まったと、このように認識されたようです。

 こう言うようなことが私に分かったのはずっと後になってからです。これについても予算委員会でも、あるいは政治家の中でもですね、私が停めたと、それでメルトダウンが起きたと、激しく批判をされました。

 しかし重ねてもう一度申し上げますが、東電の中で派遣されていた人が自分の判断で言ったことについて官邸の意向、まして私の当時の総理の意向とは全く違うんで、その所はきちんと区別して検証していただきたいと思います」

 桜井委員「今、東電の方が海水注入を伝えていないという、開始を伝えていないという認識でおられたですけど、東電の方から海水注入をした(開始した?)と保安院の方に連絡が入っている。それが当時の総理の所に届いていないというこをよく分かりました。

 その辺は当時の最高指揮官としてどのようにお考えでしょうか」

 菅仮免「これはですね、例えば保安院の、直接的には責任者は経産大臣です。経産大臣が例えば、同席していた武黒フェローにですね、聞いてみたら、実はもう入っていたというような話があれば、間違いなく私にもですね、大臣なり来ます。

 武黒フェロー自身がそのことを認識したら、私と一緒の会で話をされたことなんですから、私に直接言うのがですね、当然でありまして、そういう関係でなければ、別ですよ。

 ですから、私にはその間の保安院にどう伝わったかということも、少なくともその当時は知りません。

 それから敢えて申し上げますと、その後も暫くは東電は19時、確か3分でしたか、7分でしょうか、解消(海水注入中断を)したということを、当時は認めていなかったはずです。

 そして19時40分に私のところに来て、確か20時何分かに解消(19時25分、東電、海水注入中断)したという上申をしたはずです。

 ですから、私はそこまで申し上げませんが、東電が伝えたということと、そのあと東電が言っていることと、またその後に言っていることとかなり、私から言うと矛盾しておりますので、少なくとも私にはちゃんと伝えるんであれば、武黒フェローと話をした直後でありますから、私に直接伝えるなり、経産大臣に伝えるのは当然であったと、そのように考えております」

 桜井委員「菅さんは今海水注入と再臨界とは直接繋がらないという説明があったが、(手でひっくり返すゼスチャーをして、淡水から海水へ)代えたことです。ハイ、分かりました。

 当時はですね、総理のお傍におられた方が総理に対して再臨界と海水とは直接繋がらないということをご説明するために随分色々と資料を集めたり、検討されたり(して)おるようですが、その辺については総理はどのようにお考えになりますか」

 菅仮免「私はそのことは知りません。私が再臨界について色々と調べていたのはかつての再臨界事故がJOCのときにありましたから、そういうことを含めてですね、必ずしも原子力安全委員会や保安院からも聞きましたけども、それ以外の原子力の専門家からも、どういう場合にそういう危険性があるのかと、そういう色々な話を。その時点で分かっておりましたのは、先程申し上げたように、例えば制御棒が何らかの理由で抜け落ちて、燃料が臨界に達してしまう、

 あるいはメルトダウンしたものがここに大きく山盛りにのように溜まって、その形状によっては臨界ということになる得ると、そういうことを聞いておりました。

 少なくとも淡水を海水に代えることが臨界条件に何らかの影響を及ぼすということは、私はそういうふうに全く思っておりません。

 それにはホウ酸を入れて、中性子のですか、動きを止めればいいわけですから、それは別のことで、何かそういうこと(資料集め)を準備をされていたということは私は全く知りません」

 (撤退問題)

 桜井委員「ありがとうございました。次に俗に撤退問題と言われている東電の撤退問題についてお伺いします。

東電の方は総理の方にどのように申し出てこられたのか、どなたから、どの方から報告があったのでしょうか」

 菅仮免「15日の午前3時頃だったと思います。私は11日の発災後1週間、夜中も官邸に詰めておりましたので、仮眠と言いましょうか、奥の部屋でそういう状態にあったところ、経産大臣から相談があると、秘書官から起こされたというか、連絡がありました。

 そこで経産大臣が来られて、『東電が撤退したいと、そういう話がきている、どうしようか』と。

 そういう形で撤退の話を聞きました」

 桜井委員「それについてどのように思われ、どのように受け止められましたか」

 菅仮免「私はそれまでもですね、この原子力事故がどこまで拡大するのか、どこで停まってくれるのか、どこまで拡大するのか、私なりにも頭を巡らせていました。

 そいう中で少なくともチェルノブイリは1基の原子力です。スリーマイルも事故を起こしたのは一つだけです。しかし福島第1サイトだけでも6基の原子力と7つの使用済燃料プールがあります。

 20キロ以内にある第2サイトにはさらに4基の原子炉と4基のプールがあります。

 もしこれらがすべてですね、何らかの状況でメルトダウンなり、原子炉の破壊や、そうしたプールの破壊が起きたときにはチェルノブイリの何倍、どころでなくて、何十倍、何百倍というですね、放射性物質が大気中なり、海水中なりに出ていくと、そのときの及ぼす影響というのは、どれ程のものになるかということを私なりに考えていました。

 そういうふうに考える中で私なりに思っていたのは、これは見えない敵との戦いだと。やはり何としても抑え込まなければいけないと。

 私自身はやはり命を賭けてやらざるを得ないと。

 そういう戦いなんだと。

 こういう認識を私の中で持っていました。

 ですから、経産大臣からその話があったときに撤退という言葉を聞いて、いやー、飛んでもないことだと。先ずそう感じました」 

 桜井委員「先程福島の原発を視察された際の成果みたいなこととして、吉田所長に対する信頼が高いというご発言を受けたのですが、責任感があるという。

 その吉田所長が現場で指揮を取っている東電として全員が撤退する、あるいは撤退するような申し入れをしているということについてどのように思われました」

 菅仮免「吉田所長とのですね、私は直接会話を、電話ですが、したのは色々とご指摘がありましたので、私なりにもう一度確認をしてみましたが、確か2回であります。

 一度は14日の夕方から夜にかけて、細野補佐官、当時の補佐官に、これは本人から聞きましたが、細野補佐官から聞きましたが、吉田所長から2度電話があったそうです。

 1度目は非常に厳しいというお話だったそうです。注水が難しいと考えていたその理由が何か燃料切れで注水が可能になったからやれるという話だったそうで、この2度目の時に細野補佐官から私に取り次いで、吉田所長がそう言っているからということで、私に取り次いでくれました。

 その時に話をしました。その時は吉田所長はまだやれるという話でした。

 もう1度は私の方から秘書官に調べさせて電話をしたということなんですが、どういうことを話したのか、事細かに覚えておりません。一般的に言えば、何らかの状況をお聞きしたことがもう1度あると認識しております。
 
 それ以外には私から直接と言いましょうか、誰かを通して直接話をしたことはありません。

 また私が携帯の電話を私が聞いていたということを野村委員が言われたので、私は全部調べてみました。(首を傾げて)記憶は呼び戻ってきませんし、同席をしていた秘書官、補佐官、審議官3名にも聞いてみましたが、そういう場面は見聞きしていないと言っておりまして、私の携帯電話にも登録は少なくとも記録はされておりません」

 桜井委員「清水社長に呼ばれまして、清水社長はいわゆる撤退問題についてどのような返答をしておられましたでしょうか」

 菅仮免「私の方から清水社長に対して、『撤退はあり得ませんよ』と、いうことを申し上げました。それに対して清水社長は『ハイ、分かりました』。そういうふうに答えられました」

 桜井委員「その回答を聞いて、当時総理としてどのように思われました」

 菅仮免「その回答についてですね、勝俣会長などが清水社長が撤退しないんだと言ったと言っておりますが、少なくとも私の前で自らは言われたことはありません。

 私が撤退はありませんよと言ったときに、『ハイ、分かりました』、言われただけであります。

 国会の質疑でも取り上げられておりますけれども、基本的には私が撤退はあり得ませんよと言ったときに、(清水社長の方から)そんなことは言っていないとかですね、そんなことは私は申し上げたつもりはありませんとか、そういう反論は一切なくて、そのものを受け入れられたものですから、そのものを受け入れられたということを国会で申し上げたことをですね、何か清水社長の方から撤退はないと言ったことに話が少し変わっておりますが、そういうことはありません。

 私としては清水社長が、『ハイ、分かりました』と言ってくれたことは、一つは、ホッとしました。

 しかしそれでは十分ではないと思いました。そこで併せて私の方から統合対策本部をつくりたいと。そしてそれは東電本店に置きたい。細野補佐官を常駐させる。あるいは海江田大臣もできるだけ常駐をしてもらう。

 そういう形で私は本部長に。海江田さんと、その時確か勝俣会長と申し上げたつもりですが、会長か社長か海江田大臣と副本部長。事務局長は細野補佐官。そういう形でやりたいということを申し上げて、清水社長が分かりましたと了承していただきました。

 さらに私が申し上げたのは、それでは第1回の会合を開きたいから、東電の方で準備をして欲しい、どのくらいかかりますかと聞きましたら、確か最初2時間ぐらいと言われたので、もう少し早くしてくれということで、確か1時間ぐらい後に東電に私として第1回の会議を開くために出かけました」

 桜井委員「私の方が最後の質問の段階になると思いますが、総理の方に情報が上がらないと色々なことがあったと思います。で、本来地下に緊急対策センターというものがあって、そこに情報が集約されてくるということは総理もご存知だったと思いますが、なぜ近く、ずうっととは申しませんが、その近くに、発災から暫くの間は、その中、オペレーションセンターという中にあるわけですから、そこで情報の集約や情報の指示に使わなかったのでしょうか」

 菅仮免「先ず地震・津波という最大級の災害と、そしてこれまた最大級の原発事故というものが事実上同時に起きているわけです。地下のセンターにも、私も勿論、実際に戻って先ず行きました。

 先程申し上げました緊急対策本部を立ち上げました。同時に二つの極めて重要なことをやるということが非常に難しかったことが一つと、もう一つは総理そのものが、今ご指摘の緊急、何とか、言いました、チーム、これはどちらかと言えば、危機管理官がヘッドのチームでありまして、総理がそこに常駐しているということにはなっていませんし、そういう組織ではありません。

 必要があれば、同じ官邸に私、おりますから、そこの報告なり、何らかの決済が上がってくることになっております。加えて原子力災害については先程来お話がありますように、私が申し上げましたように、本来はオフサイトセンターについては、つまり炉以外のものについてはですね、オフサイトセンター、現地のオフサイトセンターがやることになっていたわけです。

 それが動かない。炉のことについては基本的には電気事業者がやることになっていました。しかしこれも後程議論になるかもしれませんが、小さい事故ならそれで済んだかもしれませんが、しかしベント一つ取ってもですね、一つ取ってもですね、ベントをするかどうかということは炉の問題であると同時に、それは影響が一般住民にもどんどん出るわけですから、それを事業者だけで判断することは、それはできないわけでありまして、そういった意味では現在の原子力災害対策特別措置法が想定した事故というものは、今回のようなシビアアクシデントで何十万、何百万という人に影響を及ぼすということには対応できていなかったわけでしてありまして、そういう点で私が地下にいた、いないということではなくて、元々総理がじぃっと、じぃっとと言うか、いるという仕組みになっておりませんし、その災害対策特別措置法そのものが、言えばたくさんありますが、例えば、オフサイトセンターも地震と原子力事故が別々に起きることを前提にしているわけですよ。

 地震で副大臣が入れないなんていうことは想定していなんですね。それらのすべての想定が不十分だったためにやらざるを得ないという意味で色々なことをやりました。

 それで本来の姿だと思っているわけではありません。 しかしやらなければならない状況であるということは是非ご理解を頂きたいと、こう思っています」

 桜井委員「ありがとうございました」


 野村修也(中央大法科大学院教授)
 
 野村委員「それでは続きまして、委員の野村ですが、引き続きご質問させていただきます。

 本日冒頭菅総理は今回の事故に対して一部謝罪をされたと思うのですけども、これまでの事故、今回の事故に対して停められなかったということで、当時の国の責任者として申し訳ないといったような趣旨のご発言が今日の会議の冒頭にもあったかというふうに思います。

 この停められなかったということの意味をちょっとお伺いしたいんですけども、事前の法制度上の、例えば対策の取り方が不十分であったとか、あるいは各省庁の対策の取り方が不十分であったとか、従って今回のようなこういったような津波対策の不十分さが事故の原因として考えられるので、それに対する謝罪をされたというのでしょうか。

 中には、被災者の中には、あるいは科学者の中にも1号機の水素爆発の後に3号機、あるいは4号機、あるいは2号機でも爆発音がありますけども、こういった連続的爆発っていうのを技術的には阻止できたのではないかという声もあるわけなんですが、そういったようなことが停められなかったことについての謝罪をされたんでしょうか。

 さらには被災者の中には、例えば避難指示がもう少し適切に行われていれば、放射性物質によって汚染されずに済んだというようなことをおっしゃってられる方もいるんですが、そういった、例えば避難指示等に於いての指示の仕方に何らかの問題があったというふうにお考えになって、謝罪されたんでしょうか。

 いずれが先程のご発言なのか確認させたいただければと思います」

 菅仮免「先ず我が国に於いて原子力平和利用ということは40年以上前からですね、積極的な政治家や、色々な方によって推し進められてきました。そういった中で、それ以来のずっと、取り敢えずは3・11までの状況まで申しますと、やはり安全性というものに対して備えが不十分だった、あるいはそれに対する指摘が色々あったにも関わらず、それを軽視・無視してきた。

 色々例を上げればありますが、例えば福島第1原発は元々海面から35メートルの、この絶壁の上が高台にあったわけです。それをあの原発を造るときに海水を汲み上げるためと言って、海面から10メートルの高さにまで切っております。

 私は当時の東電の会社の歴史の本を読みました。そうすることは先見性があったと書いてあります。しかしその後の知見からすれば、あるいは以前の知見からすれば、かなり大きな地震が、少なくとも何百年単位であの地域に来ておりますので、そういった35メートルの高さを10メートルまで切って造ったという言うこと、それ自体が津波に対する備えというものが不十分だった。

 数え上げればまだまだありますけども、そういった根本的な問題。あるいは後に問題になるかもしれませんが、原子力村と言われるですね、そういう色々な批判なり、色々な危険性の指摘に対して、それをどちらかと言えば、軽視し、封じ込めてきた。

 これは私自身も反省を含めてですね、そういうことが十分に対応されなかった。そういうことが第一の国としての責任だと――」

 野村委員「すみません。ちょっとお言葉を差し挟むようですが、それは東電の対策が悪いということであれば、総理が謝罪されることではありませんので、まさか国がそういった対策に於いて不十分な対応だったというご認識を御示しになったということでよろしいでしょうか」

 菅仮免「勿論です。つまりそれを認可したのも国ですし、国が国策として原子力政策を進めてきたということは、これは誰も否定しないことで、まさに国策民営という言い方をされておりますが、国の方針としてなされて、それが今回のような大事故を起こした。

 そういう意味で国の責任だと申し上げております」

 野村委員「事故後の対応について落としてしまったんですが、水素爆発の連続を阻止できたのではないかという声や、あるいは被災者の中には今回の被災に於いて誤った方向に逃げてしまったために放射性物質を余計に浴びたという声があったり、あるいは避難指示がもう少し適切になされていれば、大事な物を持って長期避難することができたという声があったり、様々な声があるんですが、そういったことについての当時の政府の責任者としての謝罪がなされたということでいいでしょうか」

 菅仮免「先ず私はですね、他の政府事故調や民間事故調でもヒヤリングを受けて、私の見方・考え方を申し上げてみましたけども、是非皆さんにも今おっしゃったような、3・11前のこと、3・11から今日までのこと、それから将来のこと、これらについてまさにしっかりした調査を、私も期待をしております。

 そういった意味で今いくつかの指摘がありました。例えば1号機以下ですね、水素爆発を停められなかったのか、そういう今ご指摘をいただきました。まあ、私もこの間読んだり、聞いたりしておりますから、いろいろな思いはありますけれども、まさにこういうことこそですね、しっかりと事故調で調査をしていただきたい。

 その中で私が今申し上げることができるのは、避難の問題などで必ずしも、精一杯やったつもりですけども、昨日も(枝野)大臣のことも聞いておりますけども、私も、例えば一時的な避難というふうに受け止められて、避難された人たちが非常に長期になったと。

 あるいは屋内退避がですね、非常に長くなったとか、そういった点で大変な不十分さが色々な場面であったと。そのことについても併せてお詫びを申し上げたつもりです」

 野村委員「ありがとうございます。それではちょっと違う話ですが、大きな問題のテーマとしまして、先程も総理の口からも出ているんですが、今回の事故対応には必ずしも法律に定めのない制度や動きというものがたくさん見られるわけです。

 これは元々原災法が予定していなかった事象が起こったので致し方がないんだということ、あるいはむしろそういう動きに合理性があったんだというご発言があったかというふうに思うんですが、一つ先ずお伺いしたいのは、本来安全委員会が緊急助言組織というものをつくられて、班目委員長が中心となって技術的な助言をするという、これは法律に書かれている仕組みでありまして、これ自体も大いに総理は当時ご活用されていたということは承知していることなんですが、これ以外に総理がご自分でケイタイなどを使いながら、外部の専門家と様々な情報を入手されていたという事実が時々ご指摘されるわけです。

 このような事実があったということなのか、先ず教えていただければと思います」

 菅仮免「先ず総理大臣として基本は原子力安全・保安院、助言である、提言である、色々ありますけれども、そこが事務局ですから、そこが軸です。

 そしていわば独立性の高い原子力安全委員会が助言機関としてあり、班目委員長からは多くの点で助言をいただきました。そして今回の場合は電力事業者である東電、そこからも技術担当のフェローを送っていただきまして、話を聞きました。

 中心はこの三者であります。

 と同時にそうしたそれぞれの組織を持って、あるいは組織を代表して来られる方以外からも、色々な原子力事故に対する話を私自身参考のために聞きたいということで、何人かの方にお尋ねをしたり、あるいはその後参与になっていただいて相談に乗っていただきました」

 野村委員「その情報については当時他の官邸に置かれた、例えば官房長官始め、その他の大臣等については情報を共有されたんでしょうか」

 菅仮免「基本的にはそういう皆さんから聞いた話で、必要なことは、『こういうふうな指摘もありますが、どうですか』と、原子力安全・保安院、あるいは原子力安全委員会委員長、場合によっては東電から来ていただいた方にも戻す。

 当然、殆どの場合、私一人ではありませんので、三大臣、官房長官も同席しておりますので、そういう皆さんの前でも戻す。

 私も本来の、今私が言った三つの組織以外の話で、私自身がそれ以外の話でも物事を決めたりということは、これはありません。ありませんでしたし、今もありませんでした」

 《2012年5月28日菅国会事故調参考人証言全文(3)》に続く

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2012年5月28日菅国会事故調参考人証言全文(3)

2012-06-24 12:10:39 | Weblog

 野村委員「そういう形では、いわゆるセカンドオピニオンという形でお取りになられたものが、新しい知見として、政府の中にある知見とすり合わせが行われたということであると思いますが、具体的にはどのようなことをご相談されたのでしょうか」

 菅仮免(暫く考えてから、笑いながら)「まあ、色々なことがありました。先程の、先ずはメルトダウンが起きている、起きていないことについての何人かに聞きました。ある方は自分のホームページに間違いなくメルトダウンが起きていると早い段階からご指摘をされる方もいました。

 また先程の再臨界の問題も、こういう場合には起きやすいんだということを私に教示いただいた専門家もおります。あるいはその後参与になっていただいた方も含めて、大量の資料が東電から出ましたので、それを詳細に分析をしていただいて、その分析にはこういう指摘がある、あるいはこういう指摘はこういう問題がある、そういうふうに解説をして、色々と役立ったこともあります。

 あるいは海に汚染水が流れるんではないかというときに、どうすればいいのかと、確か30数メートルの地下に掘れば、岩石があるので、そこまで土の中に遮蔽壁を造ったらどうか。まあ、3億単位の費用がかかります。

 その検討もある段階でこういう意見があるがどうかと指示を頂きました。

 それに対する補強、他からも話があったと思いますが、それに対する補強についても、こういう意見があるからどうかという形で検討を指示しました。

 多くの点で大変参考になりました」

 野村委員「その中で、そういったご助言の中で、取り入れなかったもので、今思えば、それを取り入れておけば、事故の推移も変わっていたのではないかと思われるご助言もありますでしょうか」

 菅仮免「具体的に言っていただかないとですね、多くの助言がありましたので、色んな思いつき的な助言も率直に言ってありましたので、勿論、全部が実行されたわけではありません。

 意味があることでもできなかった助言があるかもしれませんが、よろしければ具体的に言っていただきたいと思います」

 野村委員「ちょっとですね、先程のちに参与になられた方のお話なんですが、かなり早い段階で日比野先生を官邸にお呼びになっていると思いますけども、これはいつの時点でお招きになられたのでしょうか」

 菅仮免「確か参与にお願いをしたのは、20日頃かと思いますが、もっと早い段階で一度ちょっと、ある意味話を聞かせてもらいたい、あるいは相談に乗ってもらいたいということで、お願いをして、来てもらいました」

 野村委員「正式に参与の発令を受けてるのは20日なんですが、その前の段階の、このシビアアクシデントが起こっているときにも様々なご助言を受けられていると思うんですけども、その時の日比野先生の法的なお立場はどのようなものなんでしょうか」

 菅仮免「参与になられる前に色々な意見をお聞きしたのは必ずしも日比野さんに限りません。その後参与になられなかった人も含めて、かなりの方に色々な意見を聞いております。

 ですから、そういった一般の方で、私が個人的に、『どういうふうに考えますか』と意見を個人的にお聞きしたと、そういう関係であります」

 野村委員「日比野先生のご専門は何でしょうか」

 菅仮免「大学では電気というか、電気物理、電気通信、そういうのが専門で、ある大学の副学長をなさっております」

 野村委員「いわゆるコンピューターとか、電気通信といった分野だと思いますが、原子力のご専門家という立場でアドバイスを受けられたのでしょうか」

 菅仮免「必ずしもそうではありません。例えばの例を申し上げますと、原子力の専門家は東大、京都大学、東北大などにかなりおられます。私としては母校でもあります東工大の専門家、直接面識のある方はおりませんでしたので、日比野さんにお願いをして、どういう方に相談をすればいいのだろうか、あの段階では学長にもお願いをして、そういう人を推薦して貰って、その後参与になっていただいた方もいます。

 その参与をサポートする体制を内部として、参与に対するサポートですから、自主的につくっていただいたこともあります。

 そういったことを含めて、色々な面で私にとって色々なアドバイスをして下さったり、そういう面から大変お世話になりました」

 野村委員「民間事故調の報告書の中には後の参与をたくさん任命されたことに対して当時枝野官房長官は必ずしも賛成されていなかったと、昨日もそのようにご発言されているんですけども、その他に官邸におられた方の中で、必ずしも専門性のはっきりしない人たちをたくさん集めたことが情報の混乱を招いたというご発言が出ているわけですが、そういう評価に対して総理はどのようにお考えでしょうか」

 菅仮免「実は3・11前からですね、色んな経緯で参与にお願いしていた。あるいはそのまま継続でお願いをしていた方もあります。私がお願いをした3・11以降では日比野さんも広い意味では原発事故に対しての、いわば広い意味での助言でありました。

 私がお願いしたのは3・11以降ではそういう原発事故以降に関連した方以外についてちょっと私はなかったんではないかと、そういう方を特にお願いをしました」

 野村委員「分かりました。先程総理は福島原発に行かれて、サイトで事故を防ごうと思って取り組んでおられる方々にお会いになられて、その仕事振りにある意味の信頼を置かれたということをご発言されたわけですけども、そのサイトにおられる職員の方々が日比野さんからの電話で極めて初歩的な質問を受けたことに仕事の邪魔だったというふうにご発言されている方がいるんですが、これはサイト第一に事故対応していくっていう基本的原則から見て、やはり問題があったとうふうに考えられないでしょうか」

 菅仮免「やや抽象的なお尋ねなので、私に具体的にお聞きしていいのかどうか分かりませんが、先程申し上げたようにこの事故対応に当たってはですね、直接的に原子炉の状況、原子炉の構造に詳しい方の話もあります。

 あるいは色々な制度について詳しい方もあります。そういった意味でですね、私としてはそれぞれの方にそれぞれ得意とされる分野に於いて色々参考意見をお願いをしました。

 そういった意味で何か、その、今のご質問にはちょっと内容がはっきりしないので、お答えようがありません」

 野村委員「先程ちょっと私が総理がケイタイの番号を書き留めてきたと私が発言したやかにご発言があったんですが、私の今の認識では、東京電力の福島第1原発に対しては東京電力を経由して内線番号を通して固定電話がかかっていると認識しておりますので、昨日の委員会でもそのように発言させていただいておりますので、もし差支えがあれば訂正させていただければと思いますが、その上でこの電話が頻繁にかかっていたというようなご発言があるんですけども、これはどなたが掛けておられたんでしょうか」

 菅仮免「先程申し上げましたように私が相手が吉田所長ということに限れば、私から3・11以降、今日まで電話でお話をしたのは確か二度でありまして、先程申し上げましたように一度は細野補佐官に掛ってきた電話を代わって出たと。

 もう一度は私の方から秘書官を通して状況を聞いたと。

 それ以外にどういうタイミングでどういう方が電話をされたのか、それは私は存じ上げません」

 野村委員「制度の問題なんですけども、本来は官邸の方から直接にサイトの方にですね、電話で確認したり、指示したりと、原災法の建付けには存在していないというわけでありますけども、これは本来のサイト方から保安院を通じて官邸に指示を仰ぐという仕組みが機能不全を起こしていたというふうに理解してよろしいでしょうか」

 菅仮免「本来ということはですね、色々な場があります。簡単に言えば、オフサイトに関してオフサイトセンター。それからオンサイト(現場については法律上の原子炉等規制法が中心になっておりますから。あるいは原災本部に於いての法律でも、基本は事業者の責任となっております。

 ですから、本来東電の原発ですから、最も原発の状況がよく分かっているのは事業者そのものであります。その事業者からですね、必要な情報は直接、官邸に来られている方からでも結構ですし、あるいは保安院を経由してでも結構ですけども、迅速的確に私たちが何らかの判断をしなければならないことに対して的確な情報が上がってきていれば、少なくともそうした必要性は少なかったと思う。

 しかし現実には少なくとも初期の段階では保安院では原子力の中身を説明できる人は、少なくとも私の前に来た人は、初日の二日(ふつか)、三日(みっか)ぐらいからやっと一人来ましたけれども、おられませんでしたし、そういう状況でしたので。

 それから先程申し上げたように東電から来ている方も、必ずしも東電がきちんとフォローされていたのかどうか、どちらかと言えば、されていなかったんではないだろうか。

 ですから、武黒フェローは殆どのことが分からなかったですね。

 そういうことであったので、先程申し上げましたように本来の形だとは思っておりません。

 しかしそいう中で、その大変な危機状況で待ったなしの場面が続きましたので、できることは何でもやるという、そういう意味で、やらざるを得なかったということを是非ご理解頂きたいと思います」

 野村委員「現場で作業されていた方のヒヤリングをさせて頂きますと、今まさに飛行機が墜落しそうになっていて、コックピットで精一杯の対応をしていて、何とか墜落を防ごうとしているところに、ま、普通は電話は掛かってこないんではないかというふうに発言されている方もいるわけです。

 例えば東電本店に対して誰かが連絡役として行かれれば、あとの統合本部のような形の、早い段階で作っている、そういう遣り方もあったのではないかというふうに思いますし、また、もしコックピットに電話を掛けるんだとすれば、必要最小限度のものにとどめるように抑制を掛けるというようなことも必要ではなかったかと思うんですが、そういうふうに考えなかったでしょうか」

 菅仮免「今前半おっしゃったようにですね、15日に統合本部を立ちあげてからは、ほぼすべてのことは統合本部で情報を掌握し、そうした関係者が24時間いましたから、相談し、必要なとこだけ私に、当時の細野補佐官から確認があり、物事がスムーズに状況になりました。

 今考えればもっと早い段階からそういう体制がつくれればよかったと思っております。しかしご承知のようにこれも、今の原災法には予定されておりません。新たな原子力規制法を造る時の参考にしていただければと思います。

 そしてコックピットの話はですね、仰る意味は分からないではありません。しかしその、もし電話を、私も先程申し上げたように、どういうルートで誰が何回掛けたか分かりませんが、本当にそういう状況であれば、誰かがですね、例えばそれが東電経由であれば、今、ちょっと東電経由で後で折り返し電話するとか、そういうことは遣り取りがあったのかと思いますが、まあ、いずれにしてもそれも含めて。是非検証していただいて、本来のあり方で対応できるような、そういう在り方を新たな制度としてつくる参考に意見を出して頂ければと思います」

 野村委員「東電経由というのは東電の人が取り次いでいるのということではなくて、自動配信という形ですから、サイトの方に直接かかっているわけなんですが、そういうような形での頻繁な電話の連絡というのがむしろ統合本部を早くつくっておけば、そういった直接の指示を出したり、確認をしたりすることはしたりしなくて済んだだろうということで、そういうアイディアをご指示した方がいいというのが、そういうご意見でよろしいでしょうか」

 菅仮免「いや、今仰ったので、そのように申し上げたので、私もそう思っています。実はですね、保安院も確か、最初の保安院長の退任のときの記者会見で自分たちも早く東電本店に行っていればよかったという発言をされていたと思います。

 つまりは保安院も危機状態にあっても、東電から人を呼んで話を聞くという平時の対応しかできていません。

 あるいは保安院は検査員が確か現場にいたはずです。それも早い段階で退避をしています。そういった意味で事実として言えば、それは保安院の方、あるいは東電の方も、そのフェローに対してですね、あるいはどなたでもいいんですが、きちっとした東電の、その中身が伝わる、あるいは場合によっては意思決定がですね、少なくとも間違わない形で伝わるような形のフォローがもっとしっかりあれば、よかったと思いますし、結果として15日以降が、それが同じ場所にいて、サイトと24時間テレビ電話でつながっている中でそれが実現しましたので、今後の新たな制度のときには、それを参考にして生かして貰えれば有難いと私自身もそう思っています」

 野村委員「そのうまくいったと仰ってられる統合本部なんですけど、その統合本部をお出しになるアイディアをお出しになられたのはどなただったんですか」

 菅仮免「私です」

 野村委員「と言うことは、そのことはもう少し早くアイディアに出せばよかったということでよろしいでしょうか」

 菅仮免「やはりこのことを私がそういうことが、ま、できたかどうか、そういうことになったのは、撤退問題があったからです。

 やはり一般的に言えば、民間企業に対して政府が直接ですね、その本店なり本社に(聞き取れない。「命令」あるいは「指示」か)というか、何かするということは普通はありません。

 しかし原災法を厳密に読めば、事業者に対する指示という権限を本部長には与えられています。しかしそれは原災法上にあるからと言って、そう簡単に行使していいかどうかは、私もそこまでは早い段階から考えていたわけではありません。

 しかし撤退という問題を起きたときに、これはきちんと東電の意思決定と政治の意思決定、統一しておかなければ、いわばそこの齟齬ですね、大変なことになると。

 そういう思いで統合本部を提案し、了解を頂いたわけで、今考えればもっと早くやっておけばよかったというのはそのとおりでありますが、その時点では撤退という問題が一つのキッカケとなって統合本部を立ち上げたことができたというか、そういうことになったということが、これが事実であります」

 野村委員「ありがとうございます。ちょっと別なことなんですが、テーマとしましては同じで、法律に定めのない制度、動きというものが総理の指示によって行われたことの例をいくつかお伺いしているわけなんですが、その一つとしまして、空本議員を通じて助言チームが動いていたということが様々な所で報じられていますし、私としても確認しているわけですが、このチームができあがったことについてどのように御認識されていますでしょうか」

 菅仮免「ま、私もですね、改めてそのことを報道された最近の新聞をよく読まして貰いました。たしか15日以降、15日からそれ以降になっております。今申し上げましたように基本的には3月15日に統合本部を早い段階に立ちあげましたから、色々な関係の助言とか、色々な関係のお話は全て統合本部の方に受けてくれと。

 これは外国からの問い合わせ等を含めてであります。

 ですから空本議員に対して私が一般的にですね、恰も協力してくれと申し上げたことはあると思いますが、何かこの統合本部以外に何かこういうものをつくってくれとか、そういう指示をしたことではありません。

 それは多分、ご自身たちがそういうものが必要だと見て、統合本部の中なのか分かりませんが、そういう形で動かれたと。それ以上の指示はしておりません」

 野村委員「空本議員が総理に初めて総理にこういったチームをつくるということをご提言されたのか、今総理の方から指示がされたことがないということであれば、そちらからアイデアが出てきたことだと思うんですが、このアイデアは空本議員ご自身から出たものなんでしょうか」

 菅仮免「ですから、その記事を見るまで、助言チームという形があったということは私は知っておりません。一般的に空本議員に対して、まあ、あなたも詳しいでしょうから協力してくれという言い方はいたしたと思いますが、そんなに何々チームをつくってくれとかいう、そういう指示はしたことは私には覚えはありません。

 特に先程申し上げましたように15日以降はですね、全部統合対策本部を中心にしました。確かその報道がそのままだとすると、その助言チームも、細野補佐官を含めてですね、そういうところで色々と助言されたということを聞いておりましたので、そういう統合対策本部を、いわば自主的に協力するための動きであっただろうと、そう理解しております」
 
 野村委員「このチームの中心的なメンバーで原子力委員会の委員長でもあります近藤委員長がおられると思うんですが、近藤委員長からい話を伺っておりますと、かなり早い段階から、例えば1号機の爆発以後、どのような対応をすべきかといったような技術的なことを含めて、政府の方に様々な助言を行なっていたというふうなご発言もあるんですけど、これは個人的な発言ということなんですけども、そういうようなご発言というのは総理の耳には届いていなかったんですか」

 菅仮免「具体的には届いておりません。多少私が思い出してみますと、原子力安全委員会というのがあります。これは原災法上総理に対しる、あるいは内閣に対する助言ということがきちんと規定されております。

 で、原子力委員会というものについて、この原子力災害のときに何か法律的な位置づけというものは特に説明は受けておりませんでした。

 そういった意味で重要な会であり、非常に専門性が高い皆さんがおられることは分かっておりましたが、原子力安全委員会に助言を頂いているという基本的な制度的な中でですね、同趣旨なことを組織的にですよ、個人的にではなくて、組織的にお願いするということについて少なくとも私は二つの関係性の中で考えなければいけないのかなと。

 ですから、そのことも15日以降は細野補佐官が、その後出てくるかもしれませんが、最悪のシナリオを含めてですね、色々とアドバイスをお願いしたという経緯は、私はそれはよかったと思いますが、制度的には個人的な位置づけだったと思っています」

 野村委員「個人的はご発言が色々とあったんですけども、それは日本の中でも原子力の専門家として認識をされておられる方が原子力委員会というところにもおられると。色々な方の意見も聞くんだというふうにおっしゃられていたと思うんですけども、そこにもおられる専門家にはアドバイスは(総理個人は)受けられなかったということでしょうか」

 菅仮免「先程申し上げたように、最悪のシナリオというかですね、そういう問題では私を含め、細野補佐官も含めてですね、近藤先生の方に検討をお願いするという形で、非常に重要な面でのアドバイスをいただきました」

 野村委員「それは22日以降のことだと思うんですが、22日に総理のご指示で相談をされて、どのくらいでできるかということで聞くと、3日ぐらいだということで、25日にそれが出てきていると。

 それは私たちも承知をしているんですけども、近藤委員長が活動されていたのはずっと前で、発災以後、ずうっと委員長宅におられて、様々な情報発信や確証に対する助言等行なっておられるようなんですが、こういったようなことについてはご承知なかったということでしょうか」

 菅仮免「直接どこにおられて、どういうことをされているかということは特に私に、例えば内閣府か原子力委員会も、(近藤の動向については)確かご承知をしていると思いますが、そういうところからの報告書等があれば、記憶にありますけれども、そういう形にはなっておりません。

 その後細野補佐官が原子力担当大臣になった、私が任命したときには、その元に原子力委員会を置くという位置づけをいたしません。その段階からは、少なくともはっきりとした形を取れるようになりましたが、それ以前の段階では、特に制度的な形でこうすべきだということを内閣府等の関係者から提案があったことはありませんでした」

 野村委員「こういう状態ですので、かなり厳しい状況にあったことは重々承知をしておりますけども、先程原災法の建て付けを今回のような複合災害には適合していなかったとか、あるいは様々な限界点があったということを現場で肌でお感じになられたというふうに思うんですが、その結果、例えばそういう人員がセカンドオピニオンを取ったり、あるいは官邸の参与という形を取ったり。

 参与任命でも、様々な人をお招きになられると。さらには助言チームという、名前は伺ったけれども、党の一議員に対して問題があるならよろしくと指示を出されたというふうなことなんですが、この事故対策に対して、原災法ではうまくいかないというふうにお考えになられたときに、何か全体的な専門家の知識等を吸収しながら、この事故対応をしていくというグラウンドデザインみたいなものは総理の頭の中におありになっていたんでしょうか」

 菅仮免「少なくとも15日に統合対策本部を立ち上げるまで、本当に日々ですね、新たな事象が起きる、この場合、水素爆発が起きる、何か起こす、その段階で制度的にですね、何か全体的なグラウンドデザインを考えるという余裕は率直なところありません。

 それが一定程度収まる中で、まあ、現在審議がそろそろ始まる原子力規制庁といったですね、考え方につながることは私なりに考えました。少なくとも15日以前の4日間、そういうこと等考える余裕はありませんでした」

 野村委員「アメリカの方(ほう)からですね、早い段階で支援の可能性が示唆されているわけですが、総理は大統領との間のホットラインでお話をされたときに、何か手伝われるものがあったらというような、そういう話を受けたというのは間違いないでしょうか」

 菅仮免「その通りです」

 野村委員「その言葉を受けられた後にアメリカからの支援についてどのようにそれを受けていこうとお考えになられたでしょうか」

 菅仮免「既に発災当時に、特にこれは地震・津波も一緒ですけども、米国海軍のドナルド・レーガン航空母艦が福島沖に夕方には来てくれて、たしか仙台空港ですか、そういう所の色んな対応に当たってくれると、そういったこともありましたし、色々な物資の支援についても色々な提案がありました。

 私としては有り難い申し出でありますし、日米間というのは同盟関係でありますし、そういう支援を戴くこともですね、有難いという感謝の意味も含めてよいことだと思いましたので、できるだけ必要なものについては行政的な提案があれば受けるという、一般的な意味ではそういうことを言いました。

 特に防衛庁(防衛省の間違い)は早い段階から日常的に在日米軍との関係が非常に深いわけでありまして、そういう点では米国ないし米軍とのですね、色々な協議はかなり早い段階からしてきたと、そういうふうに認識しています」

 野村委員「今のは津波対策というか、津波に対する救助とか、そういったことを含んだ発言だと思いますが、原子力に関してはアメリカとの間では連携をどのように保っていこうと考えていたのでしょうか」

 菅仮免「かなり早い段階から専門家が日本に来られている。あるいは日本に着いたというような話は一般的には聞いておりました。

 で、そういう皆さんと我が国のそういう機関がどういう形で協力関係をつくっていくのか、私は先程申し上げたように米国との関係は日本にとっては極めて友好的な同盟関係でありますので、元々福島原発もGEが開発したものでありますし、そういったことを含めてですね、アメリカの専門家の皆さんの知見というものは一般的には大変重要だと考えておりましたので、そういう皆さんの知見を含めて、協力していただけるものは極力協力していただくと、そういう姿勢については伝えておきました。

 具体的にどの部門がどうできたというのは、そこまでは承知しておりません」

 野村委員「官邸に駐在したいという、技術者を駐在させたいというご提案がアメリカからあったと、昨日枝野官房長官の方でもお尋ねをしましたら、そういう事実は確認できているんですが、そういうことは当然、ご承知されていたのでしょうか」

 菅仮免「私には官房長官からその話はなかったと思います」

 野村委員「国家の主権に関わるというご発言があったということを聞いたことがあるんですが、それは官房長官のご発言ということなんでしょうか」

 菅仮免「昨日、私もインターネットで聞いておりましたが、枝野当時長官が自らがそうだとおっしゃっていましたので、そうだと認識しています」

 野村委員「アメリカからの協力の申し出という非常に重要な局面での提案については総理にはご報告がなく、、官房長官の独断で、それはじゃあ、主権に関わるということでお断りになったと、そういう整理でよろしいでしょうか」

 菅仮免「昨日の会合の、勿論おられたと思いますが、その時枝野、当時の官房長官が言われたのは協力を断ったのではないと、そこははっきりと言われたし、そう思います。

 私もできるだけ協力してもらうようにと。それは指示はきちんと出しております。そうではなくて、官邸という物理的なですね、この建物の中、そこに何らかの立場の人等を常駐させるということについての官房長官が判断して、それはやはり、そこまではできないと。

 私に相談があっても、多分、同じ結論だったと思っています」

 《2012年5月28日菅国会事故調参考人証言全文(4)》に続く


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2012年5月28日菅国会事故調参考人証言全文(4)

2012-06-24 12:00:55 | Weblog

 野村委員「と言うことは、官邸に駐在すということについての提案をお断りになったのは枝野官房長官であったということでよろしいってことですね」

 菅仮免「ま、ご本人がそう言われているんですから、私には上がってきておりませんので、ご本人が言われているとおりじゃないでしょうか」

 野村委員「そのような形で今お話がありましたようにまさに他の形での協力体制の構築っていうことは急がれていたんではないかと思うんですが、その後のところは先程のご発言では総理の中では何か具体的に指示をなさりされたとか、アメリカの技術を今回の事故対応に反映される努力をされたというようなことはないということなんでしょうか」

 菅仮免「基本的に窓口は外務省になったと思います。しかし外務省もですね、原子力の専門家そのものを用意している役所ではありません。

 ですから、多分、その話を聞くとすれば、原子力安全・保安院とか原子力安全委員会とか、場合によっては東電本来とか、あるいは別のですね、政府機関の原子力の機関であるとか、今整理をして考えると、そうなります。

 そういうことを含めて、先程申し上げましたように色々な所でそういう申し出があって、それが必ずしもですね、うまくこの回線がつながらないというかですね、うまくコミュニケーションが進まないという雰囲気があるということをある段階で私も感じていました。

 で、15日に統合対策本部ができて、そういった関係者もすべて統合対策本部の方に物理的にも来てもらって、そこで…・(聞き取れない。「議論
」?)欲しいということを私の方から事務局長に、また枝野、失礼、細野補佐官に言いまして、それ以降は細野補佐官一人ではないと思います。

 色々なスタッフがいたと思いますが、そこでそうした協力要請も含めて、色々な知見を対策に活かしたと、そのように活かしています」

 野村委員「ただですね、統合本部ができたときにはそれこそ東電の本社に総理が行かれてですね、それで統合本部ができたわけですけども、そのときあそこにおられて、4号機の爆発とか2号機の音であるとかそういうことはもう起こってしまいましたので、ある意味では深刻な事態というのはその前の段階に起こっていたんじゃないかなというふうに思うんです。

 で、私自身、例えば自分のウチの、変な譬えで非常に恐縮なんですけども、家電が壊れたときに、それはやっぱり誰に相談するかというと、それは家電量販店ではなくて、家電メーカーではないかというふうに思うんですが、先程総理ご発言ありましたように、あの炉を造っった方々の知見というのはアメリカにあったんではないかというふうに思うんですけども、それ、もっと早い段階で知見を導入するといういことをお考えにならなかったのでしょうか」

 菅仮免「まあ、私、それと多少関係しますが、東芝と日立の代表にそれぞれ官邸においでを頂きました。一つの目的はそういう原発を造っているメーカーにも既に東電との深い付き合いがある企業ですから、政府としても色んな意味の協力をしてくれと。専門家を持っている所ですから。そのことを言いました。

 またその場でも早い段階でしたので、水素爆発等についてのですね、色々な示唆を述べて頂いた方もありました。

 一般的に今野村委員が言われていることは、そうできればそのとおりだと思います。しかしそれが、例えば東電がですね、そういうメーカーとの間で常に何か、そういう保守契約でもしている、あるいはやっていることが何かあったのかどうか、私は知りませんが、やはりそういう予めの何らかのことが準備されていない中で、おっしゃることは分かりますし、そのことはできれば良かったと思いますけども、多少の時間がかかったのかなあと。

 それを不十分だと言われれば、そうかも知れません。しかし15日からはですね、少なくとも大きく改善されたと、このように認識しております」

 野村委員「だからこそ、アメリカは総理の方にですね、なるべく早い段階で支援を申し入れていたんではないでしょうか」

 菅仮免「ま、少なくとも私に例えばオバマ総理(ママ)、その後ルース大使とお会いしましたが、こういう部分でこういうことをしたいというような、そういう具体的なお話ということはありません。

 つまり、『何でも言ってくれ』と。『何でも協力するから』と。そおういうお話でした」

 野村委員「失礼いたしました。組織として動いておられたということだと思うんですが、昨日明らかにさせていただいているんですが、アメリカの電話等の議事録を拝見させて頂きますと、保安院に対しては技術的な支援を申し出ているわけですが、保安院の方から必要ないという返事があったということで、どうしてなんだろうという議事録、アメリカの方から公開されているわけです。

 早い段階、15日以降のことを総理はおっしゃられますけども、その前の段階でもう少し組織的な対応をしていれば、技術的な知見を取り入れるということができたと思うんですが、参与、先程お名前を挙げさせて頂いた、原子力委員会の方の委員長であります近藤委員長のところは個人的なつながりとして海外からの技術やアドバイスといったようなものがきていて、それを総理、政府につなげるべく、自分はそういう助言組織でないために外務省であるとか、あるいは担当大臣であるとか、そういう所には連絡していたようにもご発言があるわけなんですが、そういったようなことをうまく吸収できなかったということに、組織的に何か改善点というようなものはお感じになりますでしょうか」

 菅仮免「それはおっしゃるとおりだと思います。かつては原子力委員会だったものが原子力委員会と安全委員会に分かれたということも承知しております。

 また、元々原子力安全・保安院もですね、元々は科学技術庁の原子力安全局が科学技術庁から文科省に吸収されるときに移ったというかですね、経産省の一部門と合体したものであります。

 その時にかつての原研、あるいは動燃などが原子力機構などをつくっております。私は今後の原子力規制をつくる上で、いわゆる推進する立場の人と遮断するということは極めて重要です。

 と同人にやはり高いレベルの能力を持った人、人材を備えた集団でなければならないと思います。今ご指摘のような問題も、そういう高いレベルの人たちがいる集団であればですね、場合によってはそういうアメリカなどの指摘をもっと積極的に受け止めることができたと思いますが、私はその保安院が断った経緯は昨日の枝野、当時の官房長官の質疑で聞いたのが初めてでありますが、それがもしそうだとしたなら、大きな反省材料だと思います」

 黒川委員長「総理、ちょっと」と言って、30分の時間延長を求める。

 野村委員「ちょっとこちらをご覧頂ければと思いますが、3月11日ですから発災当日なんですが、ちょっと見えなければ、こちらの方にございます」

 スクリーに大きく映し出すが、ハキリとは見えない。保安院作成の「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」のことで、以下別のところから記載。

 3月11日20時30分――原子炉隔離時冷却系(RCIC)中枢機能喪失。
      21時50分――燃料上部から3メートルの水位。今後さらに下がっていく。
      22時50分――炉心が露出する。

 3月12日 0時50分――炉心溶融の危険性。
       5時20分――核燃料全溶融。最悪爆発の危険性。


 野村委員「これは既に色々なところに掲載されているものですから、ご存じの方も多いと思いますし、総理もこれをご覧になられたと思うんですが、当日22時44分頃に官邸の危機管理センターの方に今後炉が万が一このまま防御できずに事故が進んでいった場合には、予想としてですね、例えば22時に50分の段階では炉心が露出しますよと。

 あるいは24時50分の段階では燃料の溶解が起こりますというようなものです。

 すみません。失礼しました。これ2号機についての話です。今後こういうことになった場合という見立てという名称なんですけども、この種のものは当日、総理のお手元には届いたでしょうか」

 菅仮免「確か、当日こういうものを見せられた覚えがあります。2号機です。当日非常に2号機・1号機、それぞれあったわけですが、その後の展開の中では1号機の方の危機的状況が大きいというふうに、少なくともその時点では焦点が1号機に移ってくるその前の時の、こういう見通しの案がなされたと思います」

 野村委員「この段階でこのような可能性についてどのようにして国民に対して説明をしていこうというふうにお考えになられたのでしょうか。総理のご指示は何か出たんでしょうか」

 菅仮免「私自身は先程来申し上げておりますように色んな方から、あるいはこういうことも含めて、今後の展開について色々な予測を私なりに聞いてはおりましたが。

 しかし現実に、と言いましょうか、当時原子力安全・保安院なり、安全委員会なり、東電の来ている方の話は、こういうプロセスではなく、例えばある時期にではですね、今の認識とは違いますから、当時の認識ですが、水がまだ燃料の上であると、かなり遅い段階までそういう報告を東電なり保安院が私に対してもしておりました。

 そういった意味で当時の国民への発信は官房長官にお願いをしておりましたけども、私の認識は、多分官房長官も同じだと思いますが、事実として分かっていることを隠すことはしないと。

 しかし事実として分からないことまでですね、どこまでどういう表現をするのか、それは官房長官として判断をされてやっておられて、私はそれでよかったと思っています」

 野村委員「昨日の官房長官のお話ですと、官房長官はむしろ情報の収集とか整理、判断、こういったようなところにやや問題があって、その情報をきちんと整理して、確定させたそのプロセスのところ、むしろ問題があり、それを決まったことを対外的に発表されているご自身には、それは致し方がない面があったんだという、そのような趣旨の発言があったように思います。

 そうなりますと、その前提として、どのような事実を国民に伝えるのか、あるいはどこまで可能性の高いもので、どこまで可能性のないものなのかということについてのご判断をされるところか、先ず第一次的に重要だと言うことを(枝野が)昨日おっしゃってらしたと思うんですが、その責任を取られていられた方が総理でしょうか」

 菅仮免「ちょっと質問の趣旨が正確には分かりませんが、少なくとも炉の状態ということのコアのファクト、事実というのはまずは東電、分かるとすれば東電なんです。

 その東電も電源が落ちていますから、例えば圧力計とか水位計とか、あとになってみれば正確でなかった、あるいはそのときも(正確)でなかったんです。

 しかしその時点では多少水位計が動いていましたから、時折りその報告が来るんですよ。その報告を見ると、燃料棒が上にあるというのか、相当なときまできております。

 多分、政府の中間報告にはそれが全部出ていいるはずです。そういう時にですね、そういう事実の報告があったということは、場合によれば言えますけども、いや、この事実は来たけれども、そうではないかもしれないというところまでですね、言う(公表する)のは、それはなかなか、それが官房長官であるのか誰であるのか別として、言えないと思います。

 ですから、そういうことをですね、少なくとも炉の状態ということを把握して判断する、その専門家集団とすれば、それは東電自身と原子力安全・保安院と原子力安全委員会、他にも能力的にはあるでしょう、少なくともそういう所が法律で期待されていた所でありまして、それに添って官房長官が国民に対して、それを踏まえて話をされたと、そう理解をしております」

 野村委員「例えばですね、こういったような事態が起こるかもしれないということをオープンにするということは全く考えてはいなかったということでしょうか。

 つまり今このときにですね、避難が始まっているわけです。この避難、翌朝に亘って避難される方々が出てきています。さらにはその翌朝になりますと、避難の範囲を変えるといったようなことがどんどん起こってまいります。

 そういったようなときに、一応国民に対して可能性は非常に低いけども、、こういったようなリスクもあるので、今回避難をして欲しいというようなことを、ある意味では政府の方針としてお示しになる選択肢もあったんだと思いますが、そのようなことは総理のお考えの中になかったんでしょうか」

 菅仮免「基本的には国民の皆さんにお知らせする、その直接の担当は官房長官にお願いをしておりました。

 多くの場合、官邸ははそういう制度になっておりました。昨日は官房長官であった枝野さんが、それも厳しかったんだと、本来は広報官がいてですね、知らせるのは広報官で、それをちゃんと集めて、ちゃんと誰かに分析させるのが官房長官がやる仕事であるんだけども、両方は厳しかったと、いうふうに言われていました。

 私も同様な認識を持っています。

 私が少なくとも、その5分までですね、予測とかなんなりとか判断をすることは、それは出来ません。やはり専門家、皆さんにこういうことを出してこられた、あるいはこういうことを見て頂いた専門家の皆さんにどうでしょうかと、その中で決まったのが先程のご説明しましたような避難範囲を決めるときには必ず保安院、原子力安全委員会、東電の関係者にも話を聞いて、ほぼ皆さんの提案に添って、決めていったと。

 これを勘案したということです」

 野村委員「避難の範囲をどう決めたかっていうことを聞いているのではなくて、国民に対してどれぐらいのシビアな状態にあるのかということを伝えるという、個々にある部分についての決定は官房長官が行うという形になっていたんでしょうか」

 菅仮免「原則的なことを言えば、事実が事実として確認されていれば、それは伝えるというのは私もそういう方針でしたし、官房長官も同じだったと。

 そういう意味では共通の方針です」

 野村委員「例えばこういう可能性があると。これは全く、例えばですね、炉が制御できなくなったときにはこんなに早いタイミングでこういう事態が起こるということを一方で情報としてあるわけですね。

 さらに総理が今おっしゃられましたように、それを防護できる、そういう動きも他方であると。

 そういうような状況の中で、私共国民はこのことを何も知らされないまま、炉が今どうなっているかということは分からずに、念のための避難ですという情報だけしかいただけなかったわけなんですが、それは私共国民には、こういう情報を直に出すことは危険だと考えて対処されたんでしょうか。

 それとも国民に何か伝えるっていう決めるプロセスがなかっったということなんでしょうか」

 菅仮免「同じ言い方で恐縮ですが、事実として確定していれば、これは伝えます。これは事実として確定したものではなくて、ある解析結果です。

 で、現実にそのとおりになりませんでした。なったかもしれません。

 色々な事例があります。だから、事実として確定したことは伝える。これが私の内閣の原則ですし、そして枝野長官もそれにそってやってくれたと。

 しかし確定してないものまでですね、色んな予測が出ますから、私のところに色んな予測を言ってきた人がたくさんおります。その予測を一つ一つ代わって説明するというのはこれは必ずしもやるべきであるか。あるいはできるかと言われると、それはそういう予測した人が自分としてそういう予測をしたと言われることまで止めませんが、代わってこの予測をですね、説明するというのは、それはそこまでは無理というか、そこまでやるのは必ずしも適切だとは言えないと思えます」

 野村委員「事実っていうのはこうなるのかならないというのが事実ではなくて、これは正式なプロセスの中で出てきた解析結果でありまして、外の誰かが、専門家が言ってですね、総理の所にお届けになってるお話ではないわけですね。

 要するに総理の所にこの情報を届けるべくして届けられた情報というわけですから。今現時点に於いてはこの事実が届いたと、この解析結果が届いたということは事実なんだと思うんです。

 このような解析結果が届けられていますと。だから、最悪の場合はこういうことになると想定しつつ、それを極力起こらないようにするために今こういった対策を採っていますということが伝えられていれば、避難の仕方が随分違ったのではないかという声があるんですが、その点についてはどのようにお考えなんでしょうか」

 菅仮免「ま、そういった問題は是非ですね、本当に皆さん方でよく検証していただきたいと思います。

 おっしゃることは分からないわけではありません。しかし先程来言ってますように色んな予測に対してどういう対応をすべきかという案などは、当時上がってきておりませんでした。

 そいう中でどこまでですね、色んな可能性を示されたものをどこまでどういう形で説明をするのか、それが適切なのか、それについては是非皆さんの方でも検証していただきたいと思います」

 野村委員「ありがとうございます。私の方は以上でさせて貰いますが、ご質問させていただきました趣旨は、総理、まさにご自分がおっしゃられましたように、今回のは原災法が予定していたような災害とは違っていて、対応が非常に難しい複合的な災害であった。あるいは原子力事故であったというご発言であったと思います。

 そこでかなりの工夫をされて、法律にないことを対処されたということであったわけなんですが、そうであればこそ、総理のところでの全体像のデザインの描き方というのが様々な所の、何て言うんでしょう、対策に影響してくることであったかというふうに思うわけなんですが、そういう点で最後に一言お伺いしたいんだけども、今振り返ってみれば、そういうようなところは法制度にきちっと定めておくべきであるとか、あるいは法制度になかったことしても、総理の権限でこういったことはすべきであるというようなことをまさに総理としてご経験された参考人の方から是非一言、ご助言頂ければと思います」

 菅仮免「私は必ずしもこういう問題で総理の権限が弱かったとは思っておりません。原災法の今の法律は場合によっては事業者に対する指示もできるという法律になっておりますので、そのことが弱かったとか、弱過ぎるたということは思っておりません。

 それよりも本来原災法のもとで、本部長の元の事務局を務める原子力安全・保安院が、大体が総理とか大臣は原子力の専門家がなるポストでは一般的にはありませんから、そうではない人がなることが前提として、きちっとした状況把握、きちっとした対策案、そういうものを提示できるような組織でなければならないし、それが不十分だったと。

 ですから、今後、原子力規制庁なり、あるいは委員会を今後国会で議論いたしますけれども、そういう時にはしっかりとした、シビアアクシデントに対しても対応できる能力を持った、そういう組織が必要だと。そのことはおっしゃるとおりだと思っています

 黒川委員長「確認です。皆さん気にしているのは撤退の話だったんですが、先程の話を繰返しますので、間違っていたらおっしゃってください。

 14日の夕方から夜にかけてのことですが、細野さんが来られまして、そこで吉田さんとの電話をつないで、吉田さんと直接話したのは2回だとおっしゃいましたよね。で、14日の夕方から夜だったと思うだけどというお話でしたが、細野補佐官がちょうど吉田さんと電話としていて、『状況はどうだ』と。『非常に厳しい』と。だけど、『まだやれるぞ』というメッセージを、そのまま電話をお渡しされてお話されたということでしたね。

 14日の多分夕方から夜の頃だと仰ったような気がするけども」

 菅仮免「細野補佐官に確かめた中で私の記憶は率直に言ってそんなに正確に残っているわけではありませんが、何らかの話をしたという記憶の中で、細野補佐官に、当時の補佐官に聞きましたら、2度電話が自分にかかって、1度は大変厳しいと。そんときは水が入らない状況だったと。

 夜頃に、その後、ガス欠が原因で入り出したと。その時点で私に代わって、『まだやれます』と。そういう話です」

 黒川委員長「その後それから数時間かどうか分かりませんが、15日の午前3時頃、海江田大臣に起こされたという話でしたね。撤退の問題だという時だったと思いますが。

 それでよろしいですね。それで。『撤退はないよね』と総理は言われまして、そのあとで清水社長が来られまして、『撤退はないよね』という話をしたら、『ハイ、分かりました』と言うんで、ホットしたということでよろしいですね」

 菅仮免「ホッとしたというのは先程申し上げましたが、少なくとも、『そうじゃない』と言われればですね、私としてはより強くですね、やあ、それは大変かもしれないけども、その後東電で話したようなことを話さなければならなかったかもしれませんが、ある意味で素直にというか、すぐに言われましたので、ま、ちょっと拍子抜けと言いましょうか、ちょっとホッとしたということです」

 黒川委員長「その前に吉田所長から渡された電話で聞いたことが背景にあったと思いますが、そういうことでよろしいでしょうか」

  菅仮免「一つの背景です」

 黒川委員長「そうですよね。それから東電に統合本部をつくろうということで行かれたということで、よろしいですか」

 菅仮免「そうです」

 黒川委員長「ハイ。ありがとうございます」

 次は崎山比早子委員(元放射線医学総合研究所主任研究官)
 
 崎山委員「委員の崎山です。よろしくお願いします。学校の20ミリシーベルトの問題についてちょっとお伺いしたいんですが、4月の初めにですね、文部科学省から原子力安全委員会の方に小学校の再開に当っての安全についての助言依頼があったそうです。3回程ありました。

 そのときに原子力安全委員会は今週の被曝限度は1年間に1ミリシーベルトだと、その都度回答していたそうです。

 結局それからですね、4月の19日に文科省、結局20ミリシーベルトになったわけですけども、その間(かん)、どういうことがあったか、ご存知でしょうか」

 菅仮免「詳細な遣り取りは私自身は全部知りません。ただ色んな議論があったということはよく聞いております。

 で、最終的には原子力安全委員会を中心にしたお話が、あるいは参与も加わって頂いたお話の中で、多少色々意見が別れたようですけども、原子力安全委員会としてですね、確か正式にそういう数字を提示されたと、そのように理解しております」

 崎山委員「原子力安全委員会の方は20ミリシーベルトということは言っていないそうなんですけども、その間にですね、官房長官ですか、福山副長官が文部科学省とそれから、原子力安全委員会と意見の摺り合わせをするようにという指示を出されているようですけども、それはご存知でしょうか」

 菅仮免「事柄一つ一つを知っているわけではありません。ただ、多分文部科学省というのは子どもということなのかですね、モニタリングの担当でもありますので、そういう意味なのか、そこは今ポッと聞かれても分かりませんが、そういうモニタリングを担当している文科省、その件では担当部署でありますので、担当部署が複数に跨る場合はそれぞれの担当部署同士でよく協議をしてくれと、そういう言い方をするのが、官房長官とか官房副長官とか、よくそういう調整をするのは私も承知しております」

 横山禎徳(社会システムデザイナー)

 横山委員「それはですね、基本的に学校を再開していいのかどうかということで、モニタリングとは全然関係のないテーマでした。

 で、文科省と安全委員会との遣り取りがあって、安全委員会は常にワンクロシーベルトと言う、ワンミリシーベルトと言う。結果的には文科省の20ミリシーベルトが出たということです。

 その間どういう話し合いがあったかということをご質問しているわけです」

 菅仮免「先程申し上げましたようにこの件については相当議論があったという記憶はしております。そいう中で、今のお話だと、原子力安全委員会の意見ではないというように言われますが、少なくとも私が本部長として決定するときに原子力安全委員会の助言を常に受けて、私の知る限りそれと異なった、例えば避難距離、避難範囲なんかはやった覚えはありません。

 ですから、そのときはかなり激しい議論で、あるいは長官、副長官が直接担当していたかもしれませんが、私の記憶では、そういう専門家の皆さんを含めてですね、少数意見はあったようですけども、基本的にはそれでいいということになったと。

 そういう理解でありまして、一方的に文科省が決めたということは当時の私の認識では、そういう認識はありません」

 《2012年5月28日菅国会事故調参考人証言全文(5)》に続く

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