豊洲市場:設計図と異なる主要建物地下室設置は誰の利益を考えてのことかを疑ってみる

2016-09-30 14:09:47 | Weblog

 テレビ等で見る殺人等の犯罪捜査では、一般的にはその殺人が誰の利益となるかという観点から行われている。例え恨みからの殺人であっても、殺すことによって恨みを晴らすという利益が動機となる。

 空き巣に入って家人に見つかり、殺してしまう場合も、こそ泥自身が家人に捕まらずに無事逃げるためという利益を動機とすることになる。

 今問題となっている豊洲市場の埋土設計に反して4つの主要建物の地下部分を非公表で埋土せずに地下室を設けたことの利益は誰に帰すのだろうか、各マスコミ記事を参考にして考えてみることにした。

 建物維持の便宜性を考えてのことなら、豊洲市場自体の利益のためとなる。あるいは市場入居者となる各業者の利益を考えてことなのか、建設費の関係からの都の利益からなのか、この利益は都税を支払っている都民の利益ともなるが、あるいは都の役人たちの自分たちの利益を考えてやったことなのか、あるいは建設を請け負ったゼネコンの利益のためなのか色々と疑うことができる。

 老朽化した築地市場の移転先となった東京都江東区豊洲六丁目の豊洲市場は東京ガスの工場があった跡地で、ベンゼンなどの有害物質による土壌や地下水の汚染が確認されたことから都は平2011年8月から約850億円かけて土壌汚染対策を実施することにした。

 結果的に専門家会議の提言を受け、約40ヘクタールの敷地全体の表土を約2メートル掘削して汚染土を除去した上で、左掲の画像のように新しい土を搬入して2メートル分を盛土して戻し、更にその上に高さ2.5メートルの土を盛って、元々の地表よりも2.5メートル高くする設計となった。

 合計4.5メートル分の盛り土となる。

 ところが主要4建物の地下部分は実際には埋土が行われず、地下室が設けられていた。しかもそのことは一部の関係者のみが承知していたことで、公には秘密にされていた。

 秘密にされていたこと自体が地下室建設によって手に入れる利益は手にすべきではない対象者ではなかったか疑わなければならない。

 手にすべきではない対象者の利益とは不正な利益となる。

 このことは毎日新聞が伝えている都の声からも理解できる。

 「3棟の下が空間になっているのは事実。ホームページで公表している図面は盛り土の上に建物があるようになっているが、誤解を招く図面だった」

 さも盛土して、その上に建物を建てたかのように見せかけていたのだから、誤解の招きようはない。実際の施工と図面が異なる以上、ゴマカシていたに過ぎない。

 ゴマカシて手にする利益は正当な利益であるはずはない。

 青果棟の地下室の床の一部はコンクリートで覆わずに砕石を敷設(ふせつ)したのみの状態となっていて、地下水が10センチから15センチ程度湧いた状態になっていた。

 その後、地下水は青果棟だけではなく、水産卸売場棟と水産仲卸売場棟、さらに加工パッケージ棟でも確認された。管理施設棟のみ、地下水の漏出を見つけることはできなかったとしている。

 地下水から共産党や民進党、公明党等の調査によって基準以下のヒ素等で汚染されていることが判明した。

 合計4.5メートルの埋土で覆っていないのだから、地下室の床一面を分厚い防水コンクリートで密閉状態にしない以上、地下水は湧いてくるのは当然であるが、そのことを計算に入れていなかったのだろうか。

 地下室を設けた理由を都は配管設置のための空間だと説明していた。

 だが、合計で4.5メートルの高さとなる埋土をしないままだと、各建物の一階床下は埋土したと仮定した場合の地表の高さとなるものの、地下室の床下は元々の地表下2メートルを掘削して50センチ厚の砕石を敷設した上部分からとなるから、各地下室の床上から天井までの高さは4メートル前後となる。

 一般的には配管は地下室天井に吊具を埋め込んで天井近くに吊る状態で設置する。高さは4メートル前後の高さなど必要ない。

 但し水産卸売場棟と水産仲卸売場棟では地下室天井から2メートル以上もある長い吊具を使って人の背丈の高さに配管が敷設されているという。

 万が一修理しなければならない場合、梯子や踏み台を使わずに修理できて便利な高さとなるが、配管の向こう側に行くためには背を屈めて潜る形にしないと移動できない作業の不便さ、窮屈さを与える。

 天井近くに設置した配管の修理は当然、2メートルから3メートル近い高さの作業台を設けなければできないことになる。

 こういった不自然さが配管設置のために地下室を設けたとする説明を納得し難くしていた。

 多分、こういった疑義が各方面から出されていたからなのか、配管設置のための地下室設置だとしていた最初の説明を覆して、土壌汚染が再び見つかった場合に備えてパワーショベルが作業できる場所とする目的で設けたのだと説明を変えた。

 説明を変えること自体が地下室を設けたこと自体の利益の入手者が正当な対象者であるか否かを疑わしくさせることになる。

 各マスコミは配管が人の背丈の高さに設置されている地下室では重機が自由に動くためには一旦配管を外さなければならない矛盾を指摘した。

 もし事実重機の移動を計算した地下室設置だったなら、配管はわざわざ吊具を長くして人の背丈程の高さに設置しないはずだ。例え修理に2メートルから3メートル近い高さの作業台を設けなければならなくても、一般的な方法で天井近くに設置しなければならなかったはずだが、そうしていない棟が存在する。

 棟によって配管の仕様が異なることも、準備した設計に基づいているとは言い難く、不純な動機を感じる。

 またパワーショベル作業を前提とした地下室設置は、土壌汚染の再発をも前提とした工事ということになる。

 しかもパワーショベルの搬入口は建物傍の普段はコンクリート蓋をした場所で、クレーン等で地下室に吊り降ろす仕掛けだという。

 土壌汚染が発見された場合、パワーショベルを地下室に降ろして土を掘削することになる。その土は当然汚染土ということになるから、そのまま埋め戻すことはできない。パワーショベルの搬入口からダンプに積んで、捨てていい場所に捨てるという手間も生じる。

 なぜ分厚い防水コンクリートで地下室の床一面を覆ってしまわなかったのだろう。土壌汚染防止の4.5メートルの盛土をしない以上、それに代わる土壌汚染防止の方策を講じなければならなかったはずだが、地下室床の一部をコンクリートで覆わずに地下水が滲み出る状態にしておいた。

 矛盾だらけである。

 これらの矛盾を正当化している都の元局長級幹部の声を「毎日新聞」が伝えている。  

 (中央卸売市場が事実を公表しなかった背景について)「『パワーショベルを入れるため』と明かせば、『土壌汚染対策は万全ではないのか』という話になる。問題が広がらないようにと考えるのは、事務方特有の発想だ。

 盛り土よりコストが高いとも考えられ、手抜き工事とかコスト削減目的とかではなく、真剣に検討した結果だったのではないか」――

 土壌汚染対策を万全とするための4.5メートルの埋土だったはずである。それを省いて埋土に代わる地下室を設け、しかも地下室の床一部をコンクリートで覆わないままにしておいた。

 設計図通りに埋土をしなかったことが露見したときの弁解の用に供するための口実にしか見えない。地下室の床一面を分厚いコンクリートで覆って土壌汚染対策を万全とした場合、設計図に反して地下室を設けたことの口実がなくなる。

 このように疑った方が不満足な地下室を設けたことの整合性を見い出すことができる。

 「盛り土よりコストが高いとも考えられ」と言って、地下室建設の方が盛土よりもコストが高いから、「手抜き工事とかコスト削減目的とかではない」と地下室建設の正当性を訴えているが、果たしてそうだろうか。

 盛土が行われていなかった4棟の建物は以下である。

  水産卸売場棟――建築面積49,000平方メートル
  水産仲卸売場棟――建築面積66,000平方メートル
       (うち管理施設棟4,600平方メートル)
  青果棟――建築面積54,000平方メートル
 
 「加工パッケージ棟」(5,100平方メートル)
 
 合計174,100平方メートルとなる。

 どのくらいの広さか、キロ平方メートルに直した上で東京ドームの広さと比較してみる。

 174,100平方メートル=0.174平方キロメートル。
 
 東京ドームは0,047k㎡。東京ドームの約3.7倍の広さとなる。

 また174,100平方メートル✕4.5メートル=69255,000立方メートルの土が必要となるが、埋土しないことによって、これだけの土が浮く。

 山土と生コンの値段の違いをネットで調べてみた。

 両方共ダンプ運搬で、運ぶ距離によって値段に違いは出るが、大体のとこで山土は1立方メートル3,500円前後。生コンは1立米で18,000円前後。

 69255,000立方メートル✕3,500円(1立方メートル)とすると、2423億9250万円のコストが資材だけで浮くことになる
 
 さらに埋土にかかるコストを考えてみる。

 東京ドームの約3.7倍の広さの面積を先ず何台もの重機で2メートル掘削して汚染土を取り除き、その土を何台ものダンプで搬出し、掘削できた場所から順次新しい土を何台ものダンプで搬入して4.5メートルの高さの埋土を行うが、問題は埋土した土はふわふわしていて引き締まっていないから、一定程度の盛土(一般的には30センチ)をしたら、20トン等のタイヤローラーと振動ローラー等を併用して地固めをしなければならない。

 この手間とコストは相当なものであろう。

 また敷地全体に一定間隔で砂杭を設けたそうだが、砂杭とは「地中に多数の穴をうがち,砂を密に充塡して設けた柱を排水路とし,軟弱な粘土層の地盤の強度を高める方法」ということだが、埋土した地盤を固めた後でないと砂杭のための穴を掘ろうとしても、掘った先から土が崩れて穴が埋まってしまう。

 いわば埋土せずに地下室を設けた個所は土の搬出のみで搬入の手間も地固めの手間も砂杭の手間が省けて、もし最初の2メートルを掘削した時点で地下室の建設にかかったとしたら、2.5メートルを埋め戻してから改めて4.5メートルの地下室建設分の広さを掘削した場合のH鋼や鉄板パイル等を使った土留めの必要性もなく、単に普通の鉄筋コンクリートの擁壁建設の工法でコンクリート壁で四方を囲むだけで済むから、生コンの量も手間もそれ程かからず、全体的なコストは相当に浮くことになる。

 勿論、各棟は地震対策でコンクリートパイルを何本も地中深く埋めて建物の支えとしただろうが、このコストは埋土してもしなくても行うことだから、変化はない。

 都の調査に対して土壌汚染対策を担当土木部門と建設部門二人のの元幹部らの証言を9月27日付「日刊スポーツ」が伝えている。     

 土木部門元幹部「基礎工事のため盛り土はしなかった。その後、建築部門が埋めると思っていた」

 建設部門元幹部「盛り土がないので、地下構造物を造るしかないと考えた」

 記事は、〈都は、土木と建築の両部門の連携が不足した結果、地下空間を設置することになった可能性があるとみて経緯を調べている。〉と解説し、〈土壌汚染対策工事の詳細設計を受注した地質調査会社「応用地質」(千代田区)が2011年3月、敷地全体で盛り土を実施すると記載した報告書を都に提出。ただ報告書には、基礎工事のために掘削する部分は除くとも記されていた。〉と付け加えているが、土木工事にしろ建設工事にしろ、設計に基づいて行うのだから、例え埋土は「基礎工事のために掘削する部分は除く」となっていたとしても、埋土なしは基礎工事用であって、建設部門元幹部が言っているように「盛り土がないので、地下構造物を造るしかないと考えた」と言うことは決してあり得ない。

 埋土してないことがなぜ地下構造物につながるのか、そう発想すること自体も奇々怪々としか言い様がない。

 また、基礎工事用に4.5メートルの深さが必要とは考えることはできない。建物の支えに何本ものコンクリートパイルを土中に打ち込み、地表近くのパイルの頭を固定するためにその頭を埋め込む形で鉄筋を配した1メートル前後の厚さの基礎コンクリートを打設するだけだから、少なくとも3メートル前後は埋め戻して地固めしていなければ、パイルを打設するたびに地下水が打設の振動で浮き上がってきて、汚染水を周囲に撒き散らすことになる。

 地下室を造るために最初から「基礎工事のために掘削する部分は除く」としていたとしか見ることができない。

 誰を対象とした利益から地下室を設けたのかを考えるとき、最大の問題点は土壌汚染対策の盛り土が行われていなかった水産卸売場棟など主要3施設の建設工事の再入札の平均落札率が99・9%だったと「産経ニュース」が伝えていることである。
    
 しかも各工事の入札にはそれぞれ1つの共同企業体(JV)しか参加していなかったという。

 明らかに談合が疑われる。談合が誰のための利益なのか、当然、ゼネコンばかりではない、よくあることだが、官僚が、この場合都の役人ということになるが、談合に手を貸すことで、その見返りに自分たちの天下り先を確保する利益からであろう。

 手を貸すことを代々受け継いで、天下りの流れを滞りなく維持する。テイク・アンド・テイクである。

 談合の疑いが濃厚であること、地下室建設を隠していたこと、その事実が明らかになると、建設の最初の理由を覆して、別の理由を持ち出したこと。その理由にも様々な矛盾が存在すること。汚染土壌の再発を前提とした地下室の構造となっていること。役人たちの説明にも様々な矛盾があること。

 矛盾はゴマカシによって生じる。どこにもゴマカシがなければ、その建設方法が妥当性を欠いていたとしても、構想したとおりの建設まま終わる。

 様々にゴマカシが存在する以上、地下室建設が正当な利益を目的していたとは考えられないことになる。

 最も疑うことのできる利益は埋土せずに地下室を造ることでコストを浮かし、浮かしたカネを都の役人が懐することだろう。役人ばかりでは露見した場合の不都合から、建設業者を巻き込むこともある。

 もし埋土よりも地下室建設の方がコストがかかっているとしたら、余分な仕事を作ることで建設業者に計算外の利益(=余録)を与えて、見返りにそのお裾分けを現ナマの形で都の役人が受け取るという手もある。

 いずれにしても、埋土をしないままの地下室建設は都の役人かゼネコンの利益のための建設の疑いが極めて高いと見た。

 皆さんはどう考えるかである。

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蓮舫の安倍晋三からお馴染みとなっている言葉の羅列を引き出すための紋切り型・人並みの9月28日代表質問

2016-09-29 11:01:25 | Weblog

 安倍晋三は2016年年9月26日の今回臨時国会の所信表明で、例の如く、「有効求人倍率は47全ての都道府県で1倍を超えた」、「実質賃金もプラスに転じ、6カ月連続でアップしている」、「雇用拡大し、賃金も上昇している」等々の指標を持ち出し、「経済の好循環は生まれている」とアベノミクスに太鼓判を押しているが、その事実を以てしても、個人消費は伸びていない。低迷したままである。

 2016年3月24日内閣府公表の。《個人消費の動向について》には、〈○雇用者数の増加などから雇用・所得環境が改善する中で、総雇用者所得は、2015年春以降、名目・実質ともに増加しているが、個人消費は力強さを欠いている。   

 ○その背景の一つとして、実質賃金の伸びが緩やかなものにとどまっていることがあげられる。また、2015年夏以降は、世界的に株価や為替が大きく変動する中で、消費者マインドが足踏みしており、先行き不透明感から消費が抑制されている。〉と記されている。 

 経済の活性状況を伝えるどのような指標を持ってこようと、一般的な国民一人ひとりの消費活動(=個人消費)が窮屈や不自由を強いられていたなら、政治は責任を果たしていると言えるだろうか。

 消費とは物質的欲求の充足のみならず、精神的欲求の充足でもあり、それらの充足によって人間は生活に於ける自己実現の主要な一部を見い出す。いわば消費は生命の活動をも意味する。

 その消費が抑えられることは生命の十全な活動を抑えられることにもなる。

 安倍晋三の所信表明演説に対する9月28日午前参院本会議での民進党の新代表蓮舫の代表質問は、誰もが取り上げることのできる紋切り型・人並みの内容でしかなかった。    

 蓮舫「さて。平成24年12月に発足した安倍内閣はデフレ脱却をスローガンに掲げました。しかしデフレ脱却ができないまま、内閣改造ごとにスローガンは上書きされクルクル変わっています。地方創生、女性が輝く社会、戦後以来の大改革、一億総活躍、そして、今回は未来への投資。スローガンだけは活発に循環していますが、経済はまったく好循環にならない現実にそろそろ向き合っていただきたいと思います。

  政権交代で安倍総理がアペノミクスを声高に唱えたことで行き過ぎた円高は是正され、これに伴い株価は上がりました。それは、明日にでも経済再生が実現するかのような期待をもたらし、国民のマインドを大き<変えました。

 この変化は率直に素晴らしいと私も評価をしました。ところが、4年近く経ち、安倍総理が目指していたデフレ脱却も経済の好循環も未だ実現していません。総理ご自身も『アベノミクスは道半ば』と公言していますが、総理の現状認識をお聞かせください。また、異次元の金融緩和、円安による輸出拡大、賃金上昇、消費拡大、更なる企業業績回復という好循環はー体、いつ実現するのでしょうか。具体的に国民にご説明ください」

 蓮舫は「スローガンだけは活発に循環していますが、経済はまったく好循環にならない現実にそろそろ向き合っていただきたい」と批判、安倍晋三の「経済の好循環は生まれている」とする主張を否定はしている。

 対して安倍晋三は「安倍内閣の責任は、確実に成果を生んでいるアベノミクスを一層加速させることだ」と答弁したと、9月28日付「ZAKZAK」記事が伝えている。  

 また蓮舫が「アベノミクスは成功だとしながら、2回も消費税増税を先送りしたのは矛盾だ、先送りを新しい判断としたことはゴマカシだ」と批判したことに対しても、同記事を纏めると、安倍晋三は消費税増税の再延期は「参院選で国民の信を問い、信任を得て、連立与党は安定した政治基盤を頂いた。矛盾、ごまかしとの指摘は当たらない」と反論で済ませていることが分かる。

 安倍晋三の両答弁は前々から繰返し行っていて、お馴染みとなっている言葉の羅列に過ぎない。紋切り型・人並みの質問だからこその何度も繰返している例の如くの言葉の羅列で済ませることができたということなのだろう。

 要するに蓮舫は安倍晋三からお馴染みとなっている言葉の羅列を引き出すために紋切り型・人並みの質問を行った。

 安倍晋三の「信任を得た」は消費税増税の再延期のみならず、アベノミクスの経済政策に対する発言でもある。

 問題は「信任を得た」の中身である。

 NHKの7月の内閣支持世論調査を見てみる。

 「安倍内閣を支持する」48%(前回調査+2ポイント)
 「安倍内閣を支持しない」36%(前回比±0)

 支持する理由
 「他の内閣より良さそうだから」43%
 「実行力があるから」18%
 「支持する政党の内閣だから」17%

 支持しない理由
 「政策に期待が持てないから」37%
 「人柄が信頼できないから」23%
 「支持する政党の内閣でないから」15%

 NHKの8月の内閣支持世論調査

 「安倍内閣を支持する」53%(前回調査+5ポイント)
 「安倍内閣を支持しない」32%(前回比-4ポイント)

 支持する理由
 「ほかの内閣よりよさそうだから」41%
 「実行力があるから」19%
 「支持する政党の内閣だから」15% 

 支持しない理由
 「政策に期待が持てないから」43%
 「人柄が信頼できないから」17%
 「支持する政党の内閣でないから」14%

 NHK9月の内閣支持世論調査

 「安倍内閣支持する」57%(前回比4ポイント)
 「安倍内閣を支持しない」26%(前回比-6ポイント)

 支持する理由
 「他の内閣より良さそうだから」42%
 「実行力があるから」20%
 「支持する政党の内閣だから」16%

 支持しない理由
 「政策に期待が持てないから」44%
 「人柄が信頼できないから」19%
 「支持する政党の内閣でないから」16%

 NHKの7、8、9月の世論を見ると、確かに内閣支持率は上昇傾向にあるが、但し安倍晋三に対する国民の積極的信任とは決して言えない。「他の内閣より良さそうだから」は選択肢がない状況での感覚的な判断からの信任に過ぎない。確固とした理由をそこに見い出すことはできない。

 NHK6月の世論調査から「アベノミクスに対する評価」を見てみる。

 「大いに評価する」5%
 「ある程度評価する」41%
 「あまり評価しない」34%
 「まったく評価しない」13%

 NHK7月の世論調査は「アベノミクスに期待するか」に質問が変わっている。この調査は参院選前のものである。

 「大いに期待している」9%
 「ある程度期待している」37%
 「あまり期待していない」34%
 「まったく期待していない」14%

 残念ながら8月、9月の世論調査には「アベノミクスに対する評価」は載っていない。

 他の世論調査でも「アベノミクス評価」は評価する・評価しないはほぼ拮抗している。問題は参院選前のNHK7月世論調査のアベノミクスに期待する・期待していないでほぼ拮抗状態にありながら、参院選では自民党が大勝したことである。

 この状況を証明するために読売新聞7月の世論調査を挙げておく。

 「アベノミクスを評価する」39%
 「評価しない」43%
 
 以上のことから判断できることは既に触れたように選択肢がない状況で、「他の内閣より良さそうだから」といった漠然とした感覚的な理由からの安倍内閣やアベノミクスに対する信任に過ぎず、決して確固とした理由があっての積極的な信任ではないことを証明しているはずだ。

 と言うことは、所信表明演説で、「有効求人倍率はどうの」、「実質賃金はどうの」、「雇用がどうの」と良好な各指標を取り上げようとも、あるいは代表質問に対する答弁で「経済の好循環は生まれている」といくら言い張ろうと、各指標を取り上げて安倍晋三が証明しようとしている経済の活性状況からの恩恵も、好循環の恩恵も、少なくとも国民の多くはは実感として受け止めていないことになる。

 実感として受け止めていたなら、「他の内閣より良さそうだから」といった支持理由がトップを占めるはずはなく、「実行力があるから」がトップを占めるはずだ。

 アベノミクスに対する評価も「評価しない」を抑えて圧倒的な数値を示すだろう。

 だが、そうはなっていない。

 安倍晋三が言っていることと国民の実感とのこの落差はいくつかの経済指標が好調でありながら、一般的な国民一人ひとりの消費活動(=個人消費)が低迷しているところに原因があるはずだ。

 他の指標がいくら良くても、消費活動(=個人消費)が低迷していたなら、さしたる意味を成さない。少しぐらい賃金が上がっても、その上がった分のカネを心ゆくまで消費に回すことができなければ、上がったことの有り難みは大したものではないことになる。

 人間にとって働くことにのみ意味があるわけではなく、消費活動にしても生きていることの証明としての意味がある。一定程度の心ゆくまでの消費活動なくして自己の存在を証明することは難しい。

 要するに安倍晋三やアベノミクスの経済政策に対する国民の信任の程度は安倍晋三が所信表明演説や代表質問答弁で繰返し発言している程にはアベノミクスの好循環を示しているわけではないことのバロメーターとしかならないことになる。

 他に選択肢がないから、半信半疑ながら、仕方なくアベノミクスに付き合っているという状況であるはずであり、そのことを消費活動(=個人消費)の低迷と世論調査が示しているということであろう。

 紋切り型・人並みの代表質問では堂々巡りは引き出すことはできても、安倍晋三にアベノミクスの転換を求めることはできない。安倍晋三の言葉の巧みさを許して、以後もこのままの状態ののさばらしを許すことになって、埒が明かないことになる。

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安倍晋三の自身が持つ先軍政治の精神性を露わにした2016年9月26日臨時国会冒頭所信表明演説の一節

2016-09-27 10:49:28 | 政治

 安倍晋三が2016年9月26日召集の臨時国会冒頭の所信表明演説の中で海上保安庁、警察、自衛隊それぞれの成員の任務に対して壇上から「心からの敬意を表そう」と呼びかけ、自ら拍手してその任務を讃えると、自民党の殆どの議員が安倍晋三の呼びかけに応じて一斉に起立して拍手し、任務を讃え合ったと2016年9月26日付「asahi.com」記事が伝えていた。  

 記事は約10秒間に亘って演説が中断したと書いている。要するに10秒間前後も起立したまま拍手をし続けた。議長が着席してくださいと指示しなければ、もっと続いたかもしれない。

 自民党議員たちの一斉の賛美は安倍晋三への賛美でもあるはずだ。安倍晋三は特に自衛隊という存在の必要性、その存在理由を前面に打ち出した政治家でもあるからだ。

 これはどこかで見た光景である。一段高い場所の壇上中央の椅子に腰掛けた金正恩がゆっくりと手を叩くと、議場を埋め尽くした党員や委員が一斉に拍手を開始し、その音が会場中に響き渡る。

 このような景色を可能としている理由は、内心は兎も角、少なくとの表面上は金正恩の意思に一糸乱れぬ規律で統御されているからだろう。

 このことが独裁政治を可能とする要件となる。

 北朝鮮を例に取った一斉の呼応から見ると、自民党議員の殆どが安倍晋三にかくまでも飼い慣らされているということになるが、事実はどうだろうか。

 この安倍晋三の呼びかけとそれに対する自民党議員たちの一斉の呼応について「生活の党と山本太郎となかまたち」の小沢一郎代表の発言を9月26日付「日刊スポーツ」記事が伝えている。   

 9月26日の定例会見での発言だそうだ。

 小沢一郎代表「(所信表明演説は)パフォーマンスとしてはうまい演説だった。特に1点、非常に心配しているのは、議場で自民党の議員が起立して拍手して、本人も拍手していたことだ。この政府の姿勢と、それが国民に受け入れられるとすれば、国民と日本社会の異常性を感じた。

 ああいうことは、今まで、日本の議会では見られないと思うし、北朝鮮か中国共産党大会みたいな感じで、ちょっと、ますまず不安を感じた。異様な光景だった」

 このブログのテーマに外れるが、アベノミクスとTPPについて触れているから、一応紹介してみる。

  小沢一郎代表「宣伝とは裏腹に、矛盾とひずみを拡大してきているにすぎない。これを経済政策と呼んでいいのかとさえ、思っている。

 (首相がTPP関連法案の今国会での成立に強い意欲を示していることについて)基本的には反対だが、言い出しっぺのオバマ政権が終わりに近づいている。後継を争うヒラリー・クリントン氏もトランプ氏も、反対か消極的な立場だ。アメリカが新しい大統領になって(TPPに)消極的となると、何をやっているか分からない話になる。日本政府もメンツにこだわらず、再考すべきではないか。少なくとも、アメリカの新政権を待ってからでいいのではないか」
 
 小沢一郎代表の前段の発言は「北朝鮮か中国共産党大会」で通用していることを日本の議会でも通用させた場合、「この政府の姿勢と、それが国民に受け入れられるとすれば、国民と日本社会の異常性」を否応もなしに感じざるを得ないことになるだろうとの趣旨である。

 この件に関して安倍晋三が具体的にどう発言したか、9月26日付「時事ドットコム」記事から発言を見てみる。

 安倍晋三 北朝鮮がまたも核実験を強行したことは、国際社会への明確な挑戦であり、断じて容認できません。弾道ミサイルの発射も繰り返しており、強く非難します。このような挑発的な行動は、北朝鮮をますます孤立させ、何の利益にもならないことを理解させるべく、国際社会と緊密に連携しながら、断固として対応してまいります。核、ミサイル、そして、引き続き最重要課題である拉致問題の包括的な解決に向けて具体的な行動を取るよう強く求めます。

 東シナ海、南シナ海、世界中のどこであろうとも、一方的な現状変更の試みは認められません。いかなる問題も、力ではなく、国際法に基づいて、平和的・外交的に解決すべきであります。

 そして、わが国の領土、領海、領空は、断固として守り抜く。強い決意を持って守り抜くことを、お誓い申し上げます。

 現場では、夜を徹して、そして、今この瞬間も、海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が、任務に当たっています。極度の緊張感に耐えながら、強い責任感と誇りを持って、任務を全うする。その彼らに対し、今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」――

 繰返しの説明になるが、日本国家の安全保障を担って国家防衛の任務に「強い責任感と誇りを持って」日夜を問わずに当っている「海上保安庁、警察、自衛隊の諸君」に「心からの敬意を表そう」との呼びかけであり、自民党議員の殆どがその呼びかけに応じ、両者共々国会議事堂で拍手を以てその任務を讃えた。

 「海上保安庁、警察、自衛隊」の三組織のうち、常に国家防衛の最前線に位置して、その防衛に関して責任の最も重い最重要な任務を担っている組織は自衛隊である。主として国内の犯罪取締まりと、ときには災害時の救助・救命を役目としている警察でもなければ、日本の領海に所属する様々な国益を守ることを任務としている海上保安庁でもない。

 いわば安倍晋三は「海上保安庁、警察、自衛隊」と三つの組織を並べたが、北朝鮮の核開発とその実験、弾道ミサイル開発とその発射実験を取り上げ、中国の東シナ海・南シナ海での軍事力を背景とした海洋進出を取り上げて「わが国の領土、領海、領空は、断固として守り抜く」と日本の確固たる安全保障・国家防衛を言っている以上、実際には自衛隊を安全保障・国家防衛の主たる柱として念頭に位置づけていたはずだ。

 この点についての自衛隊の役目から見た場合、海上保安庁も警察も端役に過ぎない。

 要するに安倍晋三は日本の安全保障・日本の国家防衛に関して自衛隊に最も重きを置いて、その任務に対して「心からの敬意を表そう」と呼びかけ、自ら拍手してその任務を讃えると、自民党の殆どの議員が安倍晋三の呼びかけに応じて一斉に起立して拍手し、任務を讃える光景を演じたのである。

 だが、日本の安全保障・国家防衛は何も軍事力のみがその任務を担っているわけではない。安全保障・国家防衛の主たる柱は一般的には外交力と軍事力と情報化された知能を駆使・利用して様々な多方面に亘る産業を育てて国民生活を豊かにし、それを以て国の力とする経済力である。

 これと言った産業を育てることができず、結果的に経済力がなく国家予算の乏しい小国は軍事力を充実させることができず、その不足を補って巧みな外交の力で自国の安全保障・国土防衛を図るケースが存在する。

 あるいは小国ながら経済力に恵まれ、その経済の力で多くの国々と濃密な経済関係を築くことで、それがその国の安全保障・国家防衛の役目を果たすというケースも存在する。

 かくも自国の安全保障・国家防衛は軍事力のみではなく、外交力と経済力を必須要件としているはずである。

 だが、安倍晋三が気持の中では自衛隊をより強く念頭に置いてその隊員たちに対して壇上から「心からの敬意を表そう」と呼びかけ、起立した大多数の自民党議員共々拍手して讃え合ったということは自国の外交力や経済力を日本の安全保障・国家防衛の重要な必要要件から除外して、少なくとも過小評価して、軍事力により重点を置いていたということになる。

 しかもそれを日本の政治の中心を成す国会議事堂で正々堂々と行った。

 除外もしていない、過小評価もしていなければ、拍手して讃える相手は自衛隊に限らない、外交や経済を担う広範囲な人材に対してでなければならない。

 と言うことは、安倍晋三が自らの精神性に先軍政治を息づかせている証明としかならない。

 それが露わとなった今回の一幕ということであろう。

 「先軍政治」とは「Wikipedia」では、「すべてにおいて軍事を優先し、朝鮮人民軍を社会主義建設の主力とみなす政治思想である。」と紹介、「コトバンク」では、「朝鮮人民軍の最高司令官、国防委員長でもある金正日(キム・ジョンイル)総書記の指導理念。『軍隊は人民であり、国家であり、党である』とする軍・軍事を最優先させる統治方式。労働党の機関紙・労働新聞によると『革命と建設のすべての問題を軍事先行の原則で解決し、軍隊を革命の柱にする政治方式』だという。 (小菅幸一 朝日新聞記者/2008年)」と紹介されている。
 
 勿論、北朝鮮程の先軍政治ではないにしても、この度の国会議事堂での一風景から判断しても、軍事優先の安全保障観・国家防衛観の持ち主であることは確実に断言できる。

 だからこそ、国民世論の反対ばかりか、日本国憲法9条まで無視して、憲法解釈でのみ集団的自衛権の行使に走ることができた。

 安倍晋三が戦前の大日本帝国を理想の国家像としていて、大日本帝国のように日本の軍事的地位を世界的に高め、軍事的影響力を世界に拡大しようと願っているということは兼々ブログに書いてきた。

 その願いが端無くも表面化して讃える気持となって現れた国会議事堂での一幕でもあるはずだ。

 当然のことだが、自民党議員の殆どが安倍晋三の呼びかけに条件反射的に一斉に起立、拍手で呼応したということは、何も考えなかったということであり、安倍晋三に飼い慣らされていること以外を意味しないはずである。

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NHK「日曜討論」:野田佳彦の自民党憲法改正草案撤回要求と蓮舫の「憲法に対案はない」の愚かな連動性

2016-09-26 09:08:11 | Weblog

 9月25日NHKの昼のニュースで同日9時からのNHK「日曜討論」で民進党幹事長野田佳彦が自民党幹事長二階俊博に対して自民党の憲法改正草案の撤回を求める発言をしたと伝えていた。

 撤回を求めて、「ハイ、そうですか、撤回します」と応ずるはずはないから、バカげたムダな努力に過ぎない。

 その後NHKのサイトにアクセスして、その記事を拾ってみた。「NHK NEWS WEB」記事からではなく、添付の動画から、両者がどう発言したのか、見てみた。  

 野田佳彦「現代社会の変容の中で、足らざるもの補わなければいけないものがあるならば、それは改正をする。

 自民党の憲法改正草案はどういう位置づけなのか。私はあのー、まあ、国民の権利を軽んじ、国の在り方を変える中身としか思えない。撤回して貰えば、ところから始めないと、静かに粛々と議論が進まないのではないかというふうに思います」

 二階俊博「我々はこれをすぐさま撤回するつもりはありません。皆さんのご意見を聞いてここが落ち着くところだと、思うとこで、我々もその後ゆとりを持って議論頂ける。

  今日までの憲法審査会等々皆さんにご議論頂いた(ことを)参考にして、これからも憲法問題に取り組んでいきたいと思います。

 建設的な議論を丁寧に丁寧にやっていくってことが、意見集約の上で私は大変大事なことだと――」

 自民党の安倍晋三以下の面々が自民党の憲法改正草案が「国民の権利を軽んじ、国の在り方を変える中身」だなどと思っているはずはない。逆に国民の権利を最大限重んじ、国の在り方を日本の未来社会に相応しい内容に変えるものだと信じているはずだ。

 だから、二階は直ちに撤回を拒否した。

 民進党の新代表蓮舫は2016年8月5日午後の代表選出馬会見産経ニュース)の質疑で憲法について発言している。  

 文飾を当方。

 記者「今後、衆参両院の憲法審査会が動いていく。憲についてはどんなスタンスで臨むか」

 蓮舫「立法府の一員として、審査会が動いたらそれは当然積極的に参加する」
 
 記者「党内には『党として独自案をまとめるべきだ』との意見があるが」

 蓮舫「平成17年に、当時の枝野(幸男)憲法(総合)調査会の会長が民進党の提言をまとめている。それ以降、調査会もやはり定期的に開かれてきているし、岡田代表のもとでも動かしてきた。考え方としては、例えばまるまる変えるのかと。首相がよく『憲法の対案を(示すべきだ)』と言われるけれども、私は憲法に対案はないと思っている。むしろ憲法9条は絶対に守る。これは私の信念でもある。

 ただ、今年3月、旧民主、旧維新の党で政策の基本合意を交わしたときに、憲法のいわゆる基本理念『平和主義』『主権在民』『基本的人権の尊重』は尊重した上で、ただ時代の変化に応じて必要があれば地方自治の条文の改正を目指すとはっきり明記している。必要な条文、必要なことが生まれたら、それは党内でしっかり議論して提言するのは当然の成り行きだと思っている」――

 蓮舫は同じ出馬会見で今後の野党としての民進党の姿勢はこうあるべきだとする発言を行っている。

 蓮舫「(野党である)私たちは批判ばっかりだと思われている。私は代表として、ここを変えたいと思う。私たちには提案がある、提言がある、対案がある。そして、その案を実現できる、立法できる、具現化できる人材がいる。ここに信頼を付け加えたいと思う」

 その後代表選3立候補者の共同記者会見等でも同じ趣旨の発言を繰返している。

 蓮舫は出馬会見では「私は憲法に対案はないと思っている」と言い切っている。その一方で、「ただ時代の変化に応じて必要があれば地方自治の条文の改正を目指すとはっきり明記している。必要な条文、必要なことが生まれたら、それは党内でしっかり議論して提言するのは当然の成り行きだと思っている」と、「地方自治の条文の改正」等については「提言」はあり得ると発言している。

 要するに国会で憲法改正の議論が行われた場合は「地方自治の条文の改正」等、「必要な条文、必要なことが生まれたら」、与党に対してこれこれこういった条項を付け加えるべきではないかといった「提言」はするが、“民進党憲法改正草案”といった対案は出さないと言っていることになる。

 蓮舫のこの姿勢はNHK日曜討論」での野田発言に相互連動している。

 野田佳彦は「現代社会の変容の中で、足らざるもの補わなければいけないものがあるならば、それは改正をする」とは言っているものの、「自民党憲法改正草案」の撤回を求めている以上、国会での憲法改正の議論には応じるという意味での発言であって、対案を示しますという発言ではない。

 もし対案を示す意思があったなら、撤回は求めない。例え頭数で負けることが分かっていても、対案を出さなくても同じことだから、対案同士、堂々と戦わせる道を選択するだろう。

 果たして蓮舫が言うように「憲法に対案はない」のだろうか。

 民進党が日本国憲法の全条文のうち信念に照らして絶対に守るとする憲法9条、その他の条項はそのままに改正を必要とする条項・条文を付け加えた民進党憲法改正草案の作成は可能である。

 それを以て自民党憲法改正草案への対案だとすれば、批判ばかりではない、提案・提言・対案を以って野党第一党としての自らの存在性を示すようにすれば、国民の信頼を回復し、強大与党と対峙できるとする新代表蓮舫の姿勢は憲法問題に関しても整合性を獲得し得る。

 だが、蓮舫は「憲法に対案はない」と言い切っている。

 蓮舫に民進党幹事長を任命された元首相野田佳彦にしても対案を以てして自民党と堂々対峙する方向を選択せずに、受け入れられるはずもないと分かりきっている自民党憲法改正草案の撤回を求めるムダな努力をする。

 勿論、民進党が対案を示しても、既に触れたように現在の議席数では反対多数で否決され、自民党案が国会で採決されるのは目に見えているが、民進党内でそのような対案をうまく纏めたなら、憲法に関わる民進党の姿勢を国民に示すことはできる。

 選挙になったとき、その姿勢によって少しは議席を回復できる力となり得る可能性は否定できない。

 世論調査で憲法9条の改正に国民の多くは反対している。NHKが2016年4月15日から4月17日3日間行い、2016年5月2日付の「NHK NEWS WEB」記事で公表した世論調査で「立憲主義」について質問している。

 〈憲法の基本的な考え方である「政府の権力を制限して国民の人権を保護する」という立憲主義を知っているか〉

 「知っていた」16%
 「ある程度知っていた」37%
 「あまり知らなかった」30%
 「まったく知らなかった」11%――

 「知っていた」がわずか16%。以下は「ある程度」、詳しくは知らない、全く知らないが占めている。

 野田佳彦が自民党憲法改正草案が「国民の権利を軽んじ、国の在り方を変える中身」だと批判するなら、立憲主義とは如何なる政治原則であるのか、国民に徹底的に知らしめて、批判が事実であることを証明、いわば自民党憲法改正草案の反立憲主義性を浮き彫りにすることで初めて撤回を要求する資格を得る。

 勿論、民進党としては立憲主義に忠実に則った憲法改正草案を国民の前に示さなければならない義務を負うことになる。

 このような経緯を踏んで初めて野田佳彦の自民党憲法改正草案の撤回要求は正当性を手に入れることができる。蓮舫にしても代表選出馬以降口にしてきた“批判ばかりではない対案・提言・提案の創造”の姿勢を裏切らない発言の正当性を手に入れることができる。

 だが、そういった手続きを一切踏まずに自民党憲法改正草案の撤回を要求し、自民党憲法草案の中にある国家主義・復古主義の危険性の指摘があるにも関わらず、「憲法に対案はない」と言い切る。

 愚かしいばかりの両者の連動性である。

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安倍政権の余りにも内向きな守り一辺倒の尖閣諸島に関わる領有権姿勢

2016-09-25 06:56:41 | 政治

 2016年9月24日付の「NHK NEWS WEB」記事が、尖閣諸島と竹島が日本の領土であることを証拠付ける新たな歴史的な資料等を内閣官房がホームページに公開したと伝えている。

 この公開は昨年2015年8月に200点を掲載したのに続いてのものだそうで、合わせて400点にもになる。

 記事は、尖閣諸島に関しては戦前から戦中にかけて沖縄県の水産試験場が、魚釣島などの周辺で漁業資源の調査を行っていたことを示す資料などが掲載されていると、その一部を紹介し、政府の声を伝えている。

 政府「客観的な事実を積み上げて、日本の主張に理解を得る必要がある」

 そして記事は最後に、〈政府は、今後も、尖閣諸島と竹島をめぐる歴史的な資料の収集と公表を続けて、国際社会に日本の主張を浸透させていきたいとしています。〉と政府の希望を伝えている。

 記事最後の解説からすると、政府の声、「日本の主張に理解を得る必要がある」は中国ではなく、国際社会を対象とした理解要請と言うことになる。

 9月24日午前、中国海警局の船4隻が一時、日本の領海に侵入した。領海侵入は今回で今月11日に続いて今年28日になるという。

 海上保安本部は巡視船を使って再び領海に入らないよう警告と監視を続けていると言うが、中国側は「釣魚島(尖閣諸島の中国名)は我が国固有の領土だ。中国の管轄海域で定例のパトロールを行っている」と決まりきった応答で日本領海内の航行を正当化しているのだから、堂々巡りを演じているに過ぎない。

 堂々巡りだからこそ、今年28日にもなる領海侵入を繰返し許すことになっているのだろう。

 いくら国際社会を対象として尖閣諸島が日本の領土であることを示す歴史資料をホームページに400点と展示しようとも、あるいはさらに増やして600点、800点と展示しようとも、「そんなことは関係ない、関係ないったら関係はない」とばかりに中国は尖閣諸島が中国の領土であることを示す示威行動として粛々と領海侵入を続けるだろう。

 続けてきたことがその証明となる。

 日本政府は「尖閣諸島は歴史的にも国際法上も明らかに日本固有の領土であり、かつ、実効支配していることから、領土問題は存在せず、解決すべき領有権の問題はそもそも存在しない」を公式的な立場としている。

 その一方で、歴史的資料等々を400点もホームページに載せて、尖閣諸島が日本の領土であることを国際社会に証明すべく訴えなければならない。

 領土問題が存在しなければ、後者の努力は必要ないはずだ。

 一方、中国側は逆に領土問題は存在するとする立場から、釣魚島及びその海域は日本の領土ではなく、中国の領土だと中国公船の領海侵入をその証明の示威行動に利用している。

 日本の後者の努力と中国側の領海侵入の繰返し。

 現実には領土問題が存在することの証明としかならない。

 ではなぜ、日本の領土であることを証明している歴史的資料が400点もありながら、400点共中国に切り札として突きつけ、役にも立たない国際社会に対してではなく、直接中国に対して尖閣諸島の領有権問題に決着をつけようとしないのだろうか。

 中国公船の領海侵入を相手の自由にさせ、それを防ぐ断固とした意志を示すこともしないままに領土問題は存在しないとする公式的な態度を取る一方で内閣官房のホームページに尖閣諸島が日本の領土であることを国際社会に証明する歴史的資料等を400点も載せる。

 この手の矛盾から見えてくる風景は余りにも内向きな守り一辺倒の尖閣領有権に関わる安倍政権の姿勢のみである。

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北朝鮮に対する新しい制裁は2020年東京オリンピック・パラリンピックと他の国際競技からの排除を

2016-09-24 09:10:24 | 政治

 北朝鮮は様々な国際的な制裁を何ら問題とせずに2016年1月6日に4回目の核実験を、2016年9月9日に5回目の核実験を実施した。

 この間に何回もミサイル発射実験を行っている。

 安倍晋三は北朝鮮が5回目の核実験を行った9月9日の当日昼前、首相官邸で「もし北朝鮮が核実験を行ったのであれば、断じて許容できない。強く抗議しなければならない」(NHK NEWS WEB)と、いつもの如く強い憤りを示した。

 「断じて許容できない」という言葉は二度と許容させないことによってその言葉は効果を証明したことになる。「断じて」と言いながら、何回も許してきて、これからも許したなら、「断じて」は単なる口先と化す。

 安倍晋三はその後NSC(国家安全保障会議)を開催したが、これもいつもどおりの情報収集と分析、国民に対する適切な情報提供、各国との連携等々、決まりきった指示が主な内容の会議で終わったはずだ。

 当日の首相動静を見てみると、閣議は11時2分から17分でたったの15分間、国家安全保障会議は11時17分から11時44分までの僅か27分間。肝心な議論ができる時間だろうか。

 北朝鮮の5回目の核実験から3日後の9月12日午前、安倍晋三は防衛省で開かれた自衛隊高級幹部会同で訓示し、「北朝鮮がわずか9カ月の間に2度に亘って核実験を強行した。断じて容認できない」(産経ニュース)と、ここでも「断じて」を使った。

 こうも何回も使うと、北朝鮮をして二度と容認させない状況に追いつめないと、口にする本人の信用が落ちることになる。

 国連総会出席のためにアメリカのニューヨークを訪れていた安倍晋三は9月21日に国連のパン・ギムン(潘基文)事務総長と会談、対北朝鮮制裁に関わらず北朝鮮が核実験や弾道ミサイルの発射を繰返していることに対して国連安保理決議の厳格な履行に向けリーダーシップを発揮すると同時に事務総長自身が厳しいメッセージを表明するよう要請したと「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。

 安倍晋三「新たな段階の脅威で国際社会は従来と異なる対応をすべきだ。北朝鮮の行動を変えるには圧力を強化していくほかなく、日本政府として、新たな制裁措置を含む国連安全保障理事会の決議の採択を目指すとともに、独自の制裁措置の検討も進める」(同記事)

 「従来と異なる対応」が「断じて許容」させない状況をつくると考えて発言したに違いない。
 
 但し頭の中にその具体的な内容が頭に浮かんでいたかどうかである。

 安倍晋三はその後日本時間の9月21日夜遅く国連本部で中国の李克強首相と短時間言葉を交わし、核実験や弾道ミサイルの発射を繰返す北朝鮮に対してさらなる制裁措置を盛り込んだ新たな国連の安保理決議の採択に向けて協力を要請した。(「NHK NEWS WEB」

 対北朝鮮制裁の効果は中国がカギを握っていると従来から言われていた。当然、中国に対する要請が「従来と異なる対応」というわけではあるまい。

 中国は北朝鮮の国家体制が不安定化した場合に、あるいは崩壊した場合に受ける中国の国家的打撃、あるいは国家的損失が生じることを恐れていて、そうならないよう最低限のところで北朝鮮体制を支えなければならない状況にある。

 そのような中国に要請して協力を約束されても、表面上の態度と見ないわけにはいかない。

 安倍晋三はこれも「従来と異なる対応」なのか、日本時間の9月22日朝、イランのロウハニ大統領と会談し、北朝鮮との軍事協力の断絶を求め、さらに北朝鮮に対するさらなる制裁措置を含む国連決議の採択や北朝鮮による拉致問題の解決に向けて協力を求めた。(「NHK NEWS WEB」

 対して ロウハニ大統領は「世界のいかなる地域でも、大量破壊兵器の開発は安定に資さず、非核化のプロセスを支持する。拉致問題はいかなるものでも非人道的であり、非難する」と述べたという。

 イランが核開発を実際に行っていなくても、核技術だけは自前のものにしておきたいだろうから、北朝鮮との軍事協力の断絶は現実的ではないことになる。つまり、イランにとって「はい分かりました」と言うことにはならないはずだ。
 
 安倍晋三は日本時間の9月22日未明、ニューヨークの国連本部で一般討論演説に臨んだ。

 安倍晋三「我々は既往に一線を画す対応を以って、これに応じなくてはならない。力を結集し北朝鮮の計画をくじかなくてはならない。安全保障理事会が新次元の脅威に対し明確な態度を示すべき時だ。日本は安保理の非常任理事国として議論を先導する」(「NHK NEWS WEB」

 安倍晋三は「従来と異なる対応」をここでは「既往に一線を画す対応」と言い換えている。言葉の問題ではなく、「対応」の中身の具体性が問題であるはずだが、表現を変えているところからうると、具体的な中身が未だ頭に浮かんでいないからだろう。

 このことはアメリカから直接初となるキューバを訪れてラウル・カストロ国家評議会議長と会談、対北朝鮮制裁要請が証明する。

 日本時間の9月23日午前、フィデル・カストロ前国家評議会議長とその弟の現国家元首のラウル・カストロ議長と相次いで会談し、北朝鮮の核・ミサイル問題での協力と日本人拉致問題の解決についても理解を求めているが、所詮、協力の要請で終わっているからだ。

 「従来と異なる対応」であろうと、「既往に一線を画す対応」であろうと、具体的中身が出来上がっていたなら、その実行あるのみだから、当てにはならない協力要請などはしないだろう。

 もし「従来と異なる対応」、あるいは「既往に一線を画す対応」を言うなら、北朝鮮を2020年東京オリンピック・パラリンピック、あるいはFIFAワールドカップや世界陸上競技等々の国際競技から排除したらどうだろうか。

 オリンピックに政治を介入させてはならないと言われている。だが、《オリンピック憲章》は「オリンピズムの根本原則」の2で、〈オリンピズムの目標は、スポーツを人類の調和のとれた発達に役立てることにあり、その目的は、人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進することにある。〉とし、6で、〈人種、宗教、政治、性別、その他の理由に基づく国や個人に対する差別はいかなる形であれオリンピック・ムーブメントに属する事とは相容れない。〉と規定。   

 さらに「2 IOC の使命と役割」で、〈10. スポーツや選手を、政治的あるいは商業的に悪用することに反対すること。〉と規定している。

 北朝鮮はオリンピックを国威発揚の道具としている。このことは人類の調和のとれた発達に水を差すことに役立っても、発達そのものには役立たない。

 また、北朝鮮の金正恩の思想・信条・表現の自由を認めない独裁体制は人間の尊厳を否定する国家体制であって、平和な社会を推進しているとは言えず、オリンピックに参加する国の資格から見た場合、「オリンピズムの根本原則」に反してことになる。

 また、反体制派に対する民主的な裁判を経ない収容所への収容は政治思想に基づいた「個人に対する差別」に当たり、「オリンピック・ムーブメントに属する事とは相容れない」

 オリンピックを利用した国威発揚は「スポーツや選手を、政治的あるいは商業的に悪用すること」に当たり、国威発揚の道具としていることを放置することは「IOC の使命と役割」を果たしていないことになる。

 勿論、北朝鮮がオリンピック、その他の参加を排除されたとしても、核開発とミサイル開発はやめないかもしれない。だが、北朝鮮の対外的にマイナスとなる宣伝材料は数多くあっても、プラスとなる宣伝材料はオリンピックやその他の世界的な競技で金メダルや銀メダルを取ること以外に数少ない。

 そのことを国威発揚の道具としているのである。排除によってそれを奪うことができるばかりか、国威発揚が効かなくなって、国家体制に与える打撃は決して小さくない。

 1988年ノソウルオリンピックの際、参加しなかった北朝鮮は翌年の1989年に社会主義陣営だけの祭典「第13回世界青年学生祝典」を平壌で開催して対抗したように何らかの国際大会を開催するかもしれないが、国威発揚はオリンピックやFIFAワールドカップといった国際大会の比ではない。

 国際社会の中での国威発揚の道具を奪うことが北朝鮮の、あるいは国家指導者である金正恩の面目をどれ程失わせるか、それは効果のない経済制裁や金融制裁の比ではないはずだ。

 国民に対する面目も失わせることになる可能もは否定できない。

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安倍晋三のHe For Sheレセプションでの「女性が輝く社会実現」の決意よりも今や成果を語るとき

2016-09-23 11:08:22 | 政治

 国連総会出席が目的でアメリカのニューヨークを訪れていた安倍晋三が日本時間2016年9月21日午前、ニューヨーク近代美術館で行われていたジェンダーの平等を促進するために男性の関与を呼びかける「He For Sheレセプション」に出席し、スピーチした。  

 「He For She」とはネットで調べたところ、ジェンダー(社会的意味合いから見た男女の性区別)の平等を訴えるキャンペーンだそうだが、勝手に解釈すると、女性は男性のための存在(She For He)で終わらずに、男性は女性のための存在(He For She)であることを同時に並立させてジェンダーの平等は成り立つということなのだろうか。

 そもそもからして明治時代以来の日本の古い家族制度を尊び、女性が自身の姓と名前を自分であること――自己存在性のアイデンティティーを表現する拠り所の主たる一つと見なして社会的な自律を図る選択的夫婦別姓に反対している安倍晋三にこのようなレセプションに出席する資格があるのか、甚だ疑わしい。

 安倍晋三「皆さんこんばんは。安倍晋三です。まず始めに、本会合の主催者であるニーニスト・フィンランド大統領とムランボ=ヌクカUN Women事務局長の男女平等及び女性のエンパワーメントに関する先進的な取組に敬意を表したいと思います。

 また、エマ・ワトソンUN Women親善大使のHe For Sheの推進における貢献に感謝を申し上げます。また本日は、たくさんのHe For She支持者が集まるこの会合に参加できることをうれしく思います。

 私はこれまで、日本の総理大臣として、インパクト・チャンピオンに選ばれ、『女性が輝く社会』の実現に取り組んでまいりました。

 G7伊勢志摩サミットでは、首脳会合のみならず、全ての関係閣僚会合でも必ず女性の問題を議題として取り上げるよう指示しました。これはG7サミットの歴史上、初めてのことであります。

 私は、『女性のエンパワーメントなくして日本経済の再生はない』と思っています。これまで女性の参画は社会政策という位置付けでありましたが、安倍政権では、これを経済政策と位置付け、アベノミクスの中心政策としてまいりました」――

 「女性のエンパワーメント」とは、「力をつけること。また、女性が力をつけ、連帯して行動することによって自分たちの置かれた不利な状況を変えていこうとする考え方。」だと、Hatena Keywordが紹介している。

 安倍晋三が「私はこれまで、日本の総理大臣として、インパクト・チャンピオンに選ばれ」たと言っている「インパクト・チャンピオン」とは、UN Women 日本事務所(女性の地位向上を目的とした国連機関の日本事務所)のサイトで、「IMPACT 10x10x10では世界の10人の元首、10人のビジネス指導者、10人の大学指導者が、即時の変革をリードする影響力のあるリーダー、IMPACT Championとして選ばれています。これらのリーダーはHe For Sheを率先して支持し、核となる課題に取り組んでいます。」と説明している。  

 先進国の中でも日本の男の意識の中にある男女格差の反映、あるいは男尊女卑の名残りの反映としてある女性の社会進出が特に遅れている日本のリーダーが「IMPACT 10x10x10」の一人に選ばれている。

 多分、遅れを取り戻すためのムチの役目を担わせるために選んだのではないのだろうか。

 安倍晋三は「G7伊勢志摩サミットでは、首脳会合のみならず、全ての関係閣僚会合でも必ず女性の問題を議題として取り上げるよう指示しました。これはG7サミットの歴史上、初めてのことであります」と自慢している。

 いくら女性の問題を議題として取り上げようとも、議論だけでは何も進まない。議論を成果に結びつけてこそ、これこれを成し遂げたと自慢できるのだが、成果に結びつけることができるとは限らない議論だけを成果とすることができるのは安倍晋三が例の如く合理的判断能力を欠いているからだろう。

 自身の外交能力を誇るのに何カ国を訪問した、外国の首脳と何回会談を開いたと、その回数を基準としているところにも現れている合理的判断能力の欠如である。

 「He For She」がジェンダーの平等を実現することを目的としている以上、貧困や格差の問題と同じく社会政策に位置づけなければならない問題でありながら、安倍晋三はそのレセプションに参加、スピーチで「女性の参画」を「社会政策という位置付け」ではなく、「経済政策と位置付け、アベノミクスの中心政策としてきた」と、恥ずかしげもなく経済政策で把えている。

 だから、「女性の社会参画」と言わずに、「女性の参画」と表現したのだろうか。

 「女性の参画」という言葉の意味は「女性が事業・政策などの計画に加わること」ことを言う。「女性の社会参画」の意味は、女性も労働やその他の活動を通して社会の一員として男性と平等に社会の形成に加わり、社会の発展に寄与すること言う。

 いわば男女平等によって成り立ち可能となる。

 要するに安倍晋三は女性を労働力としてのみ把えて、労働力人口の減少を働いていない女性で補充し、アベノミクスの経済戦士にしたい思惑でHe For Sheのレセプションでスピーチを行った。

 と言うことは、管理職等の指導的地位に占める女性比率の国際比較で日本が最下位近くに低迷していることに対して安倍政権は「2020年に指導的地位に占める女性の割合を30%にする」と、とても到達不可能な目標を掲げているが、世界に顔を向けた世間体からの止むを得ない目標であって、この目標以上にアベノミクスの成功のために女性の労働参加をより重視していることになる。

 このような意識の持ち主に「IMPACT 10x10x10」に選ばれる資格はない。

 安倍晋三は2013年9月25日のニューヨーク証券取引所でも同じ趣旨のスピーチ首相官邸)を行っている。  

 安倍晋三「ここニューヨーク証券取引所の初の女性会員は、ミュリエル・シーバートさんです。46年前の出来事でありました。ミッキーの言葉が頭をよぎります。

 『アメリカの経済界は、女性役員こそが、人口の半分の男だけに頼っている日本やドイツに対抗する上で、強力な競争力向上の武器になることを気づくだろう』

 まさにその言葉を、身を持って証明し、アメリカにおける女性の活躍をリードしてきたミッキーが、先月お亡くなりになったと聞きました。ご冥福をお祈りするとともに、これまでのパイオニアとしての活躍に、深い敬意を表したいと思います。

 そして、『人口の半分の男だけに頼ったせいで』閉塞感に直面している日本を、私は、大きく転換してまいります。

 日本には、まだまだ高い能力を持ちながら、結婚や出産を機に仕事を辞める女性がたくさんいます。こうした女性たちが立ちあがれば、日本は力強く成長できる。そう信じます」――

 ニューヨーク証券取引所の初の女性会員であるミュリエル・シーバート女史にしても、安倍晋三同様に女性を経済戦士仕立てに扱っている。

 だが、アメリカに於ける管理職等指導的地位に占める女性の2011年の割合をネットで調べて見てみると、全就業者の43.9%であって、日本2012年は先進国の中でも僅か11.1%に過ぎない。

 43.9%のアメリカ女性のうち、多くが自らの地位上の役目を通して様々なチャリティーパーティー等の社会活動や、あるいは自らの思想・心情に基づいた政治活動等、社会参画を試みているはずだ。

 しかし日本では指導的地位に占める女性が11.1%に過ぎないとなると、指導的地位に応じた社会参画に与えるインパクトは自ずと限られてくる。

 但し労働力の面から見た安倍晋三の女性観であったとしても、「『女性が輝く社会』の実現」を約束したのである。

 ニューヨーク証券取引所での2013年9月25日のスピーチから3年も経過している。その3年後に「He For Sheレセプション」でスピーチをして、「『女性が輝く社会』の実現に取り組んでまいりました」と自らの仕事ぶりを誇っている以上、取り組んできたことの成果をそろそろ語るときではないだろうか。

 成果があれば針小棒大とまでいかなくても、得々と喋らない安倍晋三ではない。成果を語らないということは取り組んできたにも関わらず、成果がないからこそであろう。

 女性の社会参画はあくまでも社会政策と位置付け、その中で男女平等(=ジェンダーの平等)を打ち立てなければ、いくら経済政策と位置付けて女性の雇用を増やそうと、女性の指導的地位へのチャレンジは頭を抑えられることになる。

 当然、女性の社会参画にも悪影響を与えることになる。

 こういったことを考えずに安倍晋三はジェンダーの平等を訴える「He For Sheレセプション」でスピーチをした。

 滑稽な限りではないか。

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安倍晋三の「デフレから脱却しつつある」発言はハッタリとなる9月21日黒田総裁記者会見等のデフレ発言

2016-09-22 11:21:58 | 政治

 2016年9月21日、日銀は政策委員会・金融政策決定会合を開き、そこでこれまでの金融政策の「総括的検証」と今後の決定事項を《金融緩和強化のための新しい枠組み:「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」》と題してネット上に公開している。   

 金融政策についてまるきり詳しくないが、上記記事を読むと、日本銀行は2%の「物価安定の目標」をできるだけ早期に実現するために10年物国債金利が概ねゼロ%で推移するよう、長短金利の操作を行う「イールドカーブ・コントロール」と消費者物価上昇率の実績値が安定的に2%の「物価安定の目標」を超える(=オーバーシュートする)まで、マネタリーベース(現金通貨と民間金融機関保有の日銀預け金の合計)の拡大方針を継続する「オーバーシュート型コミットメント」の二つの方法による「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」を行い、日本経済のデフレからの脱却と持続的な成長を図るということらしい。

 この発表によって株価は300円以上上昇し、為替も円安に振れたとマスコミは伝えている。

 その一方で、「日銀長期金利誘導、市場機能の消失懸念も」とか、「円安効果は短命か」、「官製相場強まる」、あるいは「一時的効果か」といった手厳しい評価を受けることにもなっている。

 ここで問題としたいのは日銀のデフレ脱却に向けた新しい金融政策よりも、デフレの現況についての認識である。

 この認識については上出の日銀の記事発表の中で記したデフレについての文言と同じ9月21日に行った「黒田日銀総裁記者会見」THE PAGE/2016年09月21日 19:34)でのデフレに関わる発言はほぼ同じ内容で紹介されている。   

 黒田総裁「総括的検証で示したとおり、量的・質的金融緩和は経済、物価の好転をもたらし、その結果、日本経済は物価の持続的な下落という意味でのデフレではなくなりました。その主たるメカニズムは実質金利低下の効果です。これを長短金利の操作によって追求するイールドカーブ・コントロールを、新たな政策枠組みの中心に据えることといたしました」

 「実質金利低下の効果」によって「日本経済は物価の持続的な下落という意味でのデフレではなくなりました」と言っているが、これまでマスコミは円安を受けた輸入物価の高騰が生活必需品やその他の製品の価格を押し上げ、さらに消費税の増税による3%分の価格上昇が追い打ちをかけるように消費を冷え込ませる原因となったが、その一方に於いて物価上昇分に見合った賃金の上昇がないから、個人消費が伸びず(=経済が活発化せず)、結果として円安と消費税増税の影響以上の物価上昇が起きなかったとしてきたと思うのだが、「物価の持続的な下落」を押しとどめた主たる理由は円安と消費税増税ではないのだろうか。

 ところが最近為替が円高に振れて、物価上昇を抑える状況となってしまった。

 こうと解釈しなければ、以後のデフレに関わる発言と矛盾することになる。

 黒田総裁「2%の物価安定の目標を実現するためには人々のデフレマインドを抜本的に転換し、予想物価上昇率を引き上げる必要があります」

 要するに最初に上げた発言と合わせると、「実質金利低下の効果」によって「物価の持続的な下落という意味でのデフレ」ではなくなったが、「人々のデフレマインド」は抜き差しならない状況に陥っているということになる。

 この矛盾を「実質金利低下の効果」のみによって説明し得るのだろうか。

 いずれにしても、抜き差しならない状況に陥った「人々のデフレマインド」を「抜本的に転換」しなければ、「2%の物価安定の目標を実現する」ことはできない。そのための「イールドカーブ・コントロール」と「オーバーシュート型コミットメント」の新たな二つの方法の導入ということなのだろう。

 では、安倍晋三がこれまで繰返し言ってきた「デフレから脱却しつつある」といった趣旨の発言はどうなるのだろう。

 安倍晋三は2014年1月1日の年頭所感で、「20年近くにわたってこびりついた『デフレ』からの脱却は、いまだ道半ば。『強い経済』を取り戻すべく、引き続き、全力で取り組んでまいります」と言っていたが、今年2016年5月18日の安倍晋三と岡田民進党代表、志位和夫共産党委員長、片山虎之助おおさか維新の会共同代表との党首討論では、志位委員長に対して「我々は平成24年12月に政権を担当して以来、デフレから脱却し、そして所得を増やし、また職を増やす。この挑戦を続けてきた。そしてデフレではないという状況を作ることはできたが、デフレ脱却には至っていない。デフレ脱却には至っていない中で、消費税を引き上げたことによって、いわばまだデフレマインドが残っている中において、消費について国民の皆さまが慎重になった。経営者の方々も投資に対して慎重になったのも事実だと思う」と発言、「デフレ脱却には至っていない」ものの、「デフレではないという状況を作ることはできた」という表現で、デフレ脱却への歩みが道半ばから道の出口近くにまで到達していると、いわばアベノミクスの成果を誇った。

 ところが、金融政策遂行の張本人たる黒田日銀総裁は「2%の物価安定の目標を実現するためには人々のデフレマインドを抜本的に転換し、予想物価上昇率を引き上げる必要があります」と、デフレ脱却が道の出口近くどころか、道半ばにも到達していないことを示唆している。

 だからこそ、上出日銀政策委員会・金融政策決定会合の報告書の記事の最後で念押しする必要が生じたはずだ。

 「政府と日本銀行は、2013 年1月に共同声明を公表し、デフレからの早期脱却と物価安定のもとでの持続的な経済成長の実現に向け、政策連携を強化し、一体となって取り組むこととしている。日本銀行は、『長短金利操作付き量的・質的金融緩和』を推進し、2%の「物価安定の目標」をできるだけ早期に実現する。政府の財政運営、成長力強化の取組みとの相乗的な効果により、日本経済をデフレからの脱却と持続的な成長に導くものと考えている」――

 「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」という新たな金融政策を打たなければ、「日本経済をデフレからの脱却と持続的な成長」に導くことはできないという趣旨となる。

 もしデフレ脱却が道の出口近くに到達していたなら、従来の政策で後一押しで済んだはずだ。世の中も明るくなっていただろう。

 安倍晋三の、「デフレ脱却には至っていない」ものの、「デフレではないという状況を作ることはできた」はハッタリに過ぎなかったことになる。

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安倍晋三の「生前退位」政府内議論「期限ありきでなし」は現天皇が死去するのを待っているのか

2016-09-20 10:42:45 | 政治

 2016年9月18日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えている国連総会出席のためにアメリカに向かう羽田空港での対記者団発言。

 安倍晋三「天皇陛下が、国民に向けてご発言をされたことを重く受け止めている。ご公務の在り方などは、天皇陛下のご年齢や、ご公務のご負担の現状に鑑み、天皇陛下のご心労に思いをいたしながら、何ができるかをしっかりと考えていきたい。

 期限ありきではなく、静かに、先ずは(有識者等)様々な方々から話を伺っていきたい」

 風岡典之宮内庁長官の2016年8月8日の記者会見発言として天皇は5、6年前から「務めを果たせなくなった場合にどうしたらいいか」と側近に相談していたとマスコミは伝えているが、この相談の形を取っ天皇の意向は日本国家の体制にも関係してくる政治の問題でもあるから、5、6年前の民主党政権に伝えられ、安倍政権も引き継いでいたはずだ。

 だが、この5、6年の間一切表てに出なかった。いわば意向は封印されていた、と言うと聞こえはいいが、無視され続けた。

 理由は「生前」などという途中退位は以ての外と反対していたからだろう。

 ところが、宮内庁の誰かからのリークに違いない、7月13日付「NHK NEWS WEB」記事によって意向が表沙汰になると、いくら安倍晋三と言えども、受け入れるべきとの方向で喚起された世論まで封印・無視することは不可能なために意向を尊重するという姿勢を取った。

 それが姿勢でしかないことの現れの一つが、根本的解決法の皇室典範の改正ではなく、皇室典範には手を付けずに現天皇に限って退位を認める特別立法を軸に法整備を検討していることに現れているはずだ。

 生前退位の現天皇の跡を継いで天皇となった皇太子が高齢となって同じ境遇となったとしても、一代限りの特別立法で遣り繰りしていくことになる。

 皇室典範に手を付けずに一代限りで生前退位を認める考え方は皇室典範に於ける即位の条項を絶対視しているからに他ならない。

 旧皇室典範(1889年(明治22年)2月11日に裁定)を見てみる。 

 第二章 踐祚即位 

 第一〇条 天皇崩スルトキハ皇嗣即チ踐祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク

 「踐祚即位(せんそそくい)」とはネットで調べると、「皇位の象徴である三種の神器を受継ぐことを践祚、皇位につくことを天下に布告することを即位」(コトバンク)と解説されている。

 現皇室典範

 第4条  天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。――

 旧と新の違いは旧の「祖宗ノ神器ヲ承ク」が省かれているのみで、天皇が死去を以てしか退位できない規定は全く同じである。

 明治以前の天皇は生前退位が珍しくなかったということだが、安倍晋三等の超保守的な国家主義者たちが即位の条項のみならず、旧・新、これも同じとなっている男系の男子のみに限るとする皇位継承の条項をも絶対視しているのは、彼らが明治から敗戦までの大日本帝国を理想の国家像としていることと合致する。

 この絶対視は日本国憲法はGHQがつくった憲法だと忌避しているのに対して現皇室典範にしても、旧皇室典範が大日本帝国に於いて明治憲法と並び立つ特別法で、帝国議会や国民の関与・支配を受けないとされていたことに反して一般法として当時の帝国議会衆議院本会議に1946年(昭和21年)11月26日提出され、12月14日衆議院、12月24日貴族院可決、1947年1月16日交付、5月3日施行となったが、一般法化することで国会と国会を通して国民が関与できる仕組みにしたのはGHQの関与によるものだそうだが、その関与を忌避しないのは根幹部分に於いて新が旧をほぼ踏襲していることが可能としているはずだ。

 このことを逆説するなら、現皇室典範が国会と国会を通して国民が関与できる一般法であったとしても、根幹に手を付けることは大日本帝国という国家像に手をつけることになり、そのことへの忌避こそが皇室典範に関わる絶対視となって現れていると見なければならない。

 当然、皇室典範絶対視の基本的な考え方からすると、天皇の死去がなければ、皇位継承を認めることは譲れないことになる。

 だからこその天皇の生前退位の意向に対して皇室典範の改正ではなく特別立法で一時凌ぎをするということなのだろうが、天皇が5~6年も前からその意向を示していながら、政治の側はその意向を封印・無視し、マスコミがスクープするに及んで意向に添うべくやっと腰を上げたものの、「期限ありきではない」となると、天皇の生前退位の意向と世論の手前、見せなければならない動きであって、一般国民からしたら畏れ多いことだが、安倍晋三は実際は天皇の死去を待っているのではないかという疑いが出てくる。

 死去によってのみ、現皇室典範の第4条「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」の規定を、一代限りといった例外は一つもつくらずに守ることができる。

 このことは安倍晋三にとっては大日本帝国という戦前の理想の国家像を守ることでもある。

 天皇は「生前退位の意向」を2016年8月8日に述べられた。   

 昭和天皇が死去したとき、大多数の日本国民が一斉に様々な行事を自粛し、それが日本全国に広がった。テレビがNHKの教育番組を除いて天皇追悼番組一色に埋め尽くされ、NHK教育番組の視聴率が突然跳ね上がったり、街のビデオレンタル店が普段以上に繁盛したが、愉しみ事は不謹慎という雰囲気に社会は支配された。

 天皇はこのことについて触れている。

 「天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い殯(もがり)()の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀()に関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります」――

 だが、「皇室の存在は日本の伝統と文化そのもので、日本は天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきた」と見なして、日本の歴史は天皇家を源に発し、その主人公を天皇に置く歴史認識の持ち主である安倍晋三は日本国民ほぼ一斉の一大自粛は天皇の存在性を国民の中に新たに顕現させ、高める一大イベントとして、あるいは国民に対する天皇の影響力は測るバロメーターとして、その有用性を認めているはずだから、国家主義者としての立場からも、天皇主義者としての立場からも、あるいは5~年間天皇の意向を封印・無視してきた姿勢からも、いわば“自粛の自粛”に十分に反対であろうから、生前退位してからの死去は何もかも不都合と見ているとしなければならない。

 どこをどう考えても、安倍晋三は明治以降の天皇の存在性を絶対として、その絶対性を守る重要な手立てとして皇室典範が規定している第4条、「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」を死守したいようだ。

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蓮舫の「批判より提案」の訴え、9/17「ウェークアップ!ぷらす」辺野古発言で早くもメッキが剥がれたか

2016-09-19 09:59:59 | 政治

 蓮舫が2016年8月5日午後、党本部で民進党代表選への出馬会見を行った。そのときのどういった党の姿にするかに言及した発言を「産経ニュース」から見てみる。 

 蓮舫「『野党は一体何のためにあるんだろう』と、今回ずいぶん随分考えた。政権が間違った方向とか、あるいは政権や与党が国民を幸せにしない政策とか、納得できない政治を作ったときに、それを牽制(けんせい)する役割はもちろんある。でも、私たちはさらにその一歩先に対案がある、提案がある、提言がある。

 でも、残念ながらこれが国民に届いていない。伝わっていない。私たちは批判ばっかりだと思われている。私は代表として、ここを変えたいと思う。私たちには提案がある、提言がある、対案がある。そして、その案を実現できる、立法できる、具現化できる人材がいる。ここに信頼を付け加えたいと思う。

 国民の皆様方に選んでいただける政党にしたいと改めて思う。例えば、大臣が政治とカネでお辞めになられたとき、『その不祥事はおかしいじゃないか』と国民の怒りの声を代弁する役割が、野党にはもちろんある。でも、その先に、何でこれが問題だったのか。政治とカネ。国民がなぜ怒っているのか。解決策はどこか。問題点はどこか。それをしっかりと提案できる政党にしたいと思う」――

 与党の政策や与党議員の不正行為等に対して批判のみではなく、与党の政策を上回る提案・提言・対案を行い、同じく与党議員の不正行為等を二度と起こさせることのない提案・提言・対案を行って、信頼を獲ち取っていくと言っている。

 そうでなければ、信頼は獲ち取ることはできない。

 同じ趣旨の発言を繰返している。

 蓮舫「批判ではなく提案へ。批判から創造へ。私はこの政党を選んでいただける、信頼していただける民進党に変えたいと改めて覚悟を持って、今回の代表選に臨ませていただきたいことを決めた」

 発言通りに実行できたら、蓮舫民進党は信頼獲得の実効性を上げるはずだ。
 
 蓮舫は執拗なくらい同じ趣旨の訴えを繰返している。 

 蓮舫「これから先、この民進党をしっかりと選択していただける政党につくっていく。私たちの政策も対案もあります。人材もその人たちの能力も保証されたものだと思っていますので、信頼を1つずつ積み重ねていくことのできる政党にしていきたいと改めて思っております」

 蓮舫「これから先、私が向かうべきは巨大与党です。大きな大きな与党と対峙する。人気の高い今の政権と向き合う。

 そして堂々と批判ではなく提案、私たちの提案力、創造、国のあり方をもって、しっかりと戦って、選択していただける政党にぜひ一緒にしていただきたいと、改めてお願いを申し上げます」

 蓮舫「我々は、批判だけではなくて提案をして、政権とは違う、こういう考え方があるということを声高に訴えていく、このことをまず徹底していきたいと思っています」

 当然、後は実行あるのみとなる。蓮舫の民進党代表としての存在理由はこの実行性と実行したことの実効性にかかっていることになる。

 何も実現できなければ、自らの存在理由を失う。

 このような蓮舫の訴えを記者が質疑で取り上げた。
 
 記者「『批判ではなく提案』と言ったが、野党にとっては言うは易く実践は難しい。それを実践して成功した人は誰か思い当たるか。また、提案へシフトするにあたり、具体的にどんなイメージを抱いているのか」

 蓮舫「この夏の参院選の私の実感が全ての原点にあります。どうしても選挙の演説となると、やはり選んでもらいたいという部分では、野党の戦い方としては現政権の問題点を列挙して、それに対して批判して、それで皆様方と怒りを共有して、そして支持を広げていくというやり方が伝統的だと思う。

 私は今回そうではなくて、その先に『我々はこういう正し方を持っている。どちらが皆様方に選んでいただけるか。私たちは選んでいただける政治家でありたいし政党でありたい』という、このことに関して、町で皆様方の反応はとてもよかったと実感しています。

 これまで私も国会の中での質問、当初国会議員になったばかり(の頃)は、やはり批判とかはある意味、楽なんですよね。けれども、問題の指摘だけでは何の解決にもつながらない。国民の代表であるという、例え野党であろうと、問題があるんだったら解決することをしっかり提案していくことは、これは私は問題は全くないと思っています。あと、別に特段どなたかを意識しているものではなくて、つくっていきたいと思っています」――

 聞こえのいい至極尤もなことを言っている。
 
 「『我々はこういう正し方を持っている。どちらが皆様方に選んでいただけるか。私たちは選んでいただける政治家でありたいし政党でありたい』という、このことに関して、町で皆様方の反応はとてもよかったと実感しています」と発言していることは、街頭演説等で、どのくらい集まったか知らないが、聴衆にそのように訴えて反応が良かったというだけのことで、安倍政権のこの政策に関しては私はこういった提案なり対案なりを持っていますと自身の提案・対案を具体的に披露したことに対する好感触というわけではあるまい。

 要するに民進党の今後のあるべき理想の姿を抽象的に語ったに過ぎない。にも関わらず好感触を受けた。

 好感触を持った聴衆は具体的な実行性と実行したことの実効性ある姿を待ち構えていることになる。

 ついでに2016年9月2日に民進党本部で行われた「民進党代表選3候補者記者会見」から、蓮舫の同じ趣旨の訴えを見てみることにする。  

 蓮舫「『蓮舫代表』になっただけで大きく変わります。それは玉木さんも前原さんも同じです。みんなその思いでここに立っています。やはり『新世代民進党をしっかりつくっていくんだ』、このメッセージをこれから15日まで打ち出していく、皆様方に報道していただく、それが届いてもらいたい。

 その後、どうやって『変わった』感を維持するかが一番問題だと思っています。ここにおいては私は奇策はないと思っています。愚直なまでに、批判ではなく提案、批判ではなく創造、私たちはそれを示し続けていくことだと思います」――

 「批判ではなく提案、批判ではなく(対案や提言等の)創造」が有権者の中にある民進党の姿を大きく変える契機となる、動機となると執拗なまでに訴えている。

 これ程までに執拗に繰返しているのだから、このことに関する蓮舫の自覚は相当なものがあるはずである。

 蓮舫は2016年9月17日放送の「ウェークアップ!ぷらす」に東京スタジオから出演した。そのときの普天間飛行場の辺野古移設に関する蓮舫の発言には自身が強く自覚しているはずの、民進党を新しい姿とする“批判ではない対案・提言・提案の創造”をどこにも窺うことはできなかった。

 辛坊治郎「蓮舫さん、具体的な安全保障の話で言うと、蓮舫さんも野田さんも普天間基地の辺野古移設には賛成ですよね。とすると、自民党が進めているその方向性に乗るというのはあり得ますか」

 蓮舫「ただこれは辛坊さん、今の政権の沖縄への、何て言うんでしょうか、手法というのは余りにも私は民意に、沖縄の県民の心に寄り添っていない遣り方だと思っています。

 特に、特に看過できないのは、これは長い自民党政権のときでも、私たちの政権のときでも、沖縄の基地問題と沖縄振興の予算は必ず切り離していました。今の政権は来年度の概算要求で沖縄の振興予算切り下げました。

 あるいは選挙が終わったら、訴訟に踏み切りました。

 あまりにも乱暴な遣り方だと思っていますので、目標・目的という以前にその途中経過は到底賛成できません」

 辛坊治郎「それは分かります。でも目指すところが同じならば、蓮舫さんなら沖縄を説得して辺野古移設をできるとお考えですか」

 蓮舫「これはもう、あのー、自分たちが政権を担ったなら、やるべきことは主張していきます。

 やはりただ、辛抱さんね、そのね、これは分かったと言って、途中経過を端折るものではありません。今の政府の遣り方は私は賛成できません。沖縄県民の心を蔑ろにしています」――

 橋本五郎が野田佳彦の幹事長起用と共産党との連携についての質問に変える。

 9月11日にさいたま市で開かれた候補者による討論会で辺野古移設に関して三者共に発言していることを「NHK NEWS WEB」伝えているから取り上げてみる

 蓮舫「結論は基本軸として守るべきだ。どんなにアメリカと話をしても、選択肢はやはり限られてくる。ただ、今の政権の、沖縄に寄り添っていないやり方はあまりにもひどく、この手段においては考えるべきだ」

 前原誠司「進め方に極めて違和感がある。沖縄の理解なくして日米安保は成り立たないという丁寧さが必要だ。日米安保が必要なら、辺野古以外で本当に日米で合意できる場所がないのかどうかを静かに議論すべきだ」

 玉木雄一郎「鳩山政権でいろいろあり、結局、日米合意という形で現在の辺野古移設を決めたが、その後、さまざまな民意が沖縄で示されている。民進党になったので、沖縄政策については、アメリカ側としっかり対応すべきだ」

 記事は発言をそのまま解説している。〈沖縄のアメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設計画について、蓮舫代表代行が、維持すべきだという考えを示した一方、前原元外務大臣と玉木国会対策副委員長は、見直しも含めた再検討が必要だという考えを示しました。〉――

 このような辺野古移設に関わる蓮舫の姿勢が辛坊の質問となって現れたのだろう。

 蓮舫の辛坊の質問に答えたここでの辺野古移設に関わる発言の全ては政府の批判で始まり、批判で終えている。「沖縄の県民の心に寄り添っていない」、「あまりにも乱暴な遣り方」で、「目標・目的という以前にその途中経過は到底賛成でき」ない。「今の政府の遣り方は私は賛成できません。沖縄県民の心を蔑ろにしています」

 では、どういった遣り方が沖縄県民の心に寄り添うのか、“批判ではない対案・提言・提案”を何一つ提示していない。

 「今の政権は(基地問題と沖縄振興予算と結びつけていて、沖縄が基地移設に応じないから)来年度の概算要求で沖縄の振興予算切り下げました」と言っていることも批判である。

 確かに安倍政権は翁長沖縄県知事が辺野古移設に強硬に反対していることから、沖縄県運営の兵糧となる振興予算をどのくらいにするのか、安倍政権でどうにでもなるそのサジ加減で以て反対姿勢を切り崩す圧力の一つに利用しているが、だからと言って、増額したとしても、米軍基地に関して沖縄県民の心に寄り添う政策となるわけではない。

 なぜなら、国家権力側が基地問題と沖縄振興予算を切り離すのは当然だが、沖縄の民意を背景とした沖縄県側にしても、基地問題と振興予算を切り離していて、目に見える増額があったからと言って、基地反対を基地賛成に転ずるワイロ紛いのプレゼントとするわけではないからだ。

 蓮舫はこのことに留意して発言していない。

 もし蓮舫が“批判ではない対案・提言・提案の創造”を言うなら、そして普天間飛行場の辺野古移設に賛成ならば、沖縄振興予算などを持ち出さずに辛坊治郎が「(安倍政権と)目指すところが同じならば、蓮舫さんなら沖縄を説得して辺野古移設をできるとお考えですか」という質問に対して、「説得してできますよ」と具体的対案を的確に示した答を口にしなければ、言っていることの“創造”は自身の訴えをウソにするマヤカシを犯していることになる。

 少なくとも「説得できる対案を早急に用意します」と約束しなければならなかった。

 大体が沖縄県民の多くが基地の移設に反対している。沖縄の県民の心に寄り添う基地の移設など存在するのだろうか。

 日本国土の約7%しかない沖縄の土地に米軍基地が日本全体の米軍基地の約73%が存在するという。沖縄県民の多くが沖縄だけがなぜこうも負担を強いられなければならないのかと疑問を抱かざるを得ない理不尽そのものの過重な負担が沖縄県民が米軍基地との関わりに於いて沖縄に誇りを持つことができない理由となっているはずだ。

 このことは本土のいずれかの自治体に取り替えて考えると容易に想像できる。

 それとも米軍基地の負担に誇りを持っていると考えているのだろうか。持つことができないからこその基地反対であろう。

 当然、「沖縄の県民の心に寄り添う」を言うなら、蓮舫は辺野古移設に反対しなければならない。

 だが、賛成である以上、「沖縄の県民の心に寄り添わない」形で移設を進めることになる。
 
 蓮舫代表のもと民進党が政権を獲得しても、安倍政権と同様にできることは沖縄県民の民意に反して、あるいは反対を無視して移設を強行することぐらいだろう。

 蓮舫が代表選中、そして代表選後も言い続けるであろう“批判ではない対案・提言・提案の創造”は9月17日放送の「ウェークアップ!ぷらす」出演での発言で早くもメッキが剥がれたように見える。

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