閣僚自殺も「戦後レジームからの脱却」の一環なのか
閣僚から自殺者を出した安倍内閣の名誉とは29日(07年5月)の朝日新聞が≪現職閣僚自殺戦後はじめて≫と題して説明している。
<現職閣僚の自殺は現憲法下で初めて。これで戦後の国会議員の自殺者は7人となった。05年に自民党の永岡洋治衆院議員が、98年に新井将敬衆院議員、83年に中川一郎元農相が自殺している。このほか、社会党の松本幸男衆院議員、91年には自民党の名尾良孝参院議員が、それぞれ病気を苦にしたとみられる理由で自殺している。
また。45年12月には、戦犯容疑者となった近衛文麿・元首相が出頭直前に服毒自殺した。
戦中の43年には時の東条英機政権と対立していた中野正剛衆院議員が、憲兵隊からの取調べを受けたあと割腹自殺したこともある。>
≪戦後はじめて≫。何という名誉だろうか。現職閣僚から自殺者を出した内閣として、安倍内閣は永遠に記憶され続けるべきだろう。中学校・高校の教科書にも載せるべきである。
カネや口利きに関わるいくつもの疑惑を既に抱えていた人物を閣僚に起用。起用後にパーティー券代100万円を政治資金収支報告書に記載していなかったことや家賃不要の議員会館事務所に事務所経費を計上していたといった疑惑の上に疑惑を築く新たな疑惑が持ち上がって疑惑ぶくれした閣僚を政権運営と支持率確保の損得勘定から擁護。その果てに林道整備事業をめぐる入札談合事件で逮捕者を出した独立行政法人「緑資源機構」の事業受注会社から政治献金を受けていたことが判明してさらに進行させることとなった疑惑ぶくれに本人が耐えられなくなったのか自ら生命を絶たしめるに至り、疑惑ぶくれに終止符を打った。
いわば戦後初という、現職閣僚自殺者を自らの内閣から出す名誉を疑惑に目をつぶることによって安倍首相は自ら成し遂げることとなったのである。これは自殺者である松岡現職疑惑閣僚と安倍首相の共同作業による金字塔の打ち立てではないか。
安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を重要な政策の柱の一つとしている。「戦後レジーム」にはなかった現職閣僚の自殺を「脱却」を目指す過程で生じた。意図せざる事態だったとしても、「脱却」事業の一つと見るべきだろう。
あるいはこういうことではないだろうか。松岡自殺は安倍首相がいくら「戦後レジームからの脱却」を掲げたとしても、現職閣僚から自殺者を出す程度のことしかできないことの象徴として生じた突発自体だったのかもしれない。
そのことは昨日のNHKニュースが暗示している。
「塩崎官房長官は、午後の記者会見で、各種の世論調査で安倍内閣の支持率が下がったことについて『国民の関心の高い政策には特に力を入れて頑張っていく』と述べ、国民の関心の高い政策で実績をあげることで支持率の回復を図っていきたいという考えを示した」といったことを言っていたが、国民の福祉・生活の向上を直接的な動機としてではなく、支持率回復を動機として「国民の関心の高い政策」を行う。それが安倍政治だと言うことだろう。
支持率に右往左往し、支持率のために右顧左眄する。そのような無節操・ご都合主義首相に「戦後レジームからの脱却」の何ができようか。現職閣僚から自殺者を出すことぐらいが精々だろう。
〝死人に口なし〟を選択した松岡農水相
自殺せずに〝口あり〟の状態でいた場合の利益と、〝死人に口なし〟を選択した場合の利益を天秤に掛けたとき、〝口なし〟の利益が遥かに多いと計算したことからの〝死人に口なし〟選択なのだろう。
〝口なし〟の利益とはヤミに葬り去ることによって手に入れることができる利益なのは断るまでもない。汚名を着ることになった場合失うこととなる経歴の擁護、嘲りに代わる愛惜、非難に代わる無言、被告席に立つ可能性からの無罪放免etc.etc。
自身が抱えることとなった不正行為をヤミに葬るために自身をヤミに葬り、〝口なし〟へと持っていく。裏を返すなら、死との交換以外に修復の道はない不正行為の程度ということだろう。
朝日新聞によると松岡自殺後の記者会見で安倍首相は、「有能な農水相でした」とその政治手腕を高く評価し、失うことの惜しさを口にしている。
松岡農水相の資金管理団体が多額の光熱水費を計上している問題で国会で野党の辞任要求を受けることになったときも、安倍首相は「政策分野について、相当の見識がある。今後とも職責を果たすことで、国民の信頼を得る努力をしてもらいたい」と政治手腕を優先させ、人間性に関わるカネの疑惑を免罪している。
06年9月に安倍内閣を発足させてから3ヶ月そこそこ経過しただけの06年12月21日に政府税制調査会長だった本間正明大阪大学院教授の公務員宿舎愛人同居問題での辞任。その6日後の群馬1区選出・佐田行革相の政治団体が東京都内に架空の事務所を構え、存在しないのだからかかるはずもない事務所経費を7800万も支出していたかのように政治資金収支報告書に虚偽記載していた不正行為の責任を取ってか、取らされてかした辞任、さらに柳沢「女性は産む機械」発言大臣の進退問題がたて続いての松岡辞任発展は自身の政権運営に打撃を与えることからの自己利害を取った〝政治手腕優先〟の面もあるだろうが、それがタテマエであっても、
公には有能であれば倫理面での欠点は許されるとしたのである。
伊吹派領袖伊吹文科相も「政策的に非常に有能な人だった」(07.5.29.『朝日』朝刊≪松岡農水相 政治とカネ幕引きに不安≫)と疑惑を「有能」によって免罪している。少なくとも有能さを倫理性や人間性よりも上位に置いている。
渡辺行革担当相も「政権運営にまったく影響がないとは言えない。農政、特にWTO(世界貿易機関)交渉などは余人をもって代え難い側面があった」(07.5.29.『朝日』夕刊)と死者を労わる気持からであったとしても、「余人をもって代え難い」政治手腕の前にその人間の倫理性が絡む疑惑・人間性を免罪することとなる発言を行っている。
人それぞれの才能や人間性、あるいは倫理性をどう評価するか、どう順位づけ、その人間を価値づけるか、それぞれの判断基準に関係することだから、能力の有能さを優先させて人間性や倫理性の上に置こうが置くまいが自由だが、もし上に置いて人間性や倫理性よりも有能という能力で人間を評価・選択するなら、安倍首相は首相就任前の教育政策に関する政権公約で、「高い学力と規範意識を身につける機会の保障」などと言うべきではなく、「規範意識を身につける機会の保障」は抜いて、「高い学力を身につける機会の保障」のみを主張すべきであったろうし、そうすることで自らの能力の有能さを人間性や倫理性よりも優先させる価値観と教育政策との間に整合性を獲ち得る。
当然安部教育再生会議でも「規範意識」教育といったことを政策に盛り込むことはせず、人間性も倫理観もどうでもいい、規律?、それもどうでもいい、社会の一員としての社会性の獲得も横に置き、人格などちっとやそっと欠陥があってもいい、有能であることがすべてに優先する価値であり、そのために学力獲得のみにエネルギーを注ぐべきだと、学力獲得が優先可能となる教育環境整備への提案を心がけるべきだろう。
政府は評判が悪くて撤回した<「子育てを思う」保護者そしてみなさんへ>で、<保護者は子守唄を歌いおっぱいを上げ、赤ちゃんの瞳をのぞく。母乳が十分出なくても抱きしめるだけでもいい>などと親としての努め・基本を、<最初は「あいさつをする」「うそをつかない」など人としての基本を、次の段階で「恥ずかしいことはしない」など社会性を持つ徳目を教える。>などと「人としての基本」だとか「徳目」だとかをお節介にも提案したが、自分たちが人間判断基準としている能力優先主義に対する矛盾行為であって、今後一切、似たような提案でお節介を焼くことはやめるべきだろう。そうすることによってのみ、自らの政策だけではなく、自らの人間性・倫理性に首尾一貫の整合性を与えることができる。それが安倍首相にしても、「美しい」やり方と言うのものだろう。
朝食をしっかり食べようが食べまいが構わない。夜遅くまでテレビを見ていようが見ていまいが好きなようにさせる。ウソをつこうがつくまいが、そんなことはどうでもいい。テストの成績を上げて学力だけを身につけ、その学力を仕事の能力に変え、有能さを身につける。人として恥ずかしいことをしても、その有能さが免罪符の役割を果して世に憚らせてくれる。
そういった世にのさばっている人間が如何に多いことか。もし安倍首相が松岡農水相対する自らの任命責任に免罪符を与えたいと願うとしたなら、バカの一つ覚えのように振りかざしている「規律を知る凛とした国」とか「美しい国、日本」なる言葉を撤回するしかないのではないか。
いや、最初から「規律を知る凛とした国」、「美しい国、日本」などと口先だけの奇麗事は言わずに、閣僚に任命する場合も、有能であればすべてよし、人間性・倫理性は任命の重要な条件とはしないと美しく正直に明言していたなら、松岡農水相任命責任問題も起こることはなかったろうし、支持率も下がることはなかったろう。今からでも遅くはない。有能というだけで人間性・倫理性に欠陥のある人間がゴマンとのさばっている状況に勇気づけられて、「美しい国、日本」だとか「規律を知る凛とした国」だとか言うことはやめて、今後正々堂々と能力優先主義を押し通すべきである。
安倍内閣が安倍首相主導のもと、「美しい国づくり」プロジェクトなるものを推進している。「美しい国づくり」と言うからには、今の日本の社会の不正と虚偽と不公平・不公正によって織りなされた各種矛盾を少しでも正して、より公平・公正な「美しい」日本を実現させようと言うことなのだろう。
いわば問題となっているのは、あるいは問題とすべきは日本人の日常普段の姿・営為であって、それをより正しい方向に導こうということでなければならない。またそれは政治の仕事でもある。
そういった構造の「美しい国づくり」なのか、首相官邸のHPから、そのプロジェクト内容を見てみた。
まず<「美しい国」とは?
皆さんにとって、「美しい国」とはどんな国でしょうか?「日本の美しさ」とは何でしょうか? >と問いかけている。
そもそものこの問いかけからして不都合を感じた。日本という国は一般的には日本に帰化した、しないに関係なしに日本に住む外国人及び日本人を含めた集合体であって、当然のこととして「美しい国」か、美しくない国かといった国の姿は主体となる日本人の全体的な姿・営為によって決定する。となれば、<どんな国>かは人間の姿・営為が美しい国と答は決まっているはずだが、<「美しい国」とはどんな国でしょうか?>とことさら尋ねた上で、<「日本の美しさ」とは何でしょうか?>と人間の姿・営為への問いかけなしに、それを跳び超えて、国の「美しさ」そのものを問いかける見当違いを見せている。
例えば日本の富士山がいくら美しくても、日本の政治家・官僚の姿が美しくなければ、富士の美しさは「日本の美しさ」の一つに入るだろうが、日本人の姿・営為に反映していない美しさであって、国の姿全体を表す美しさではなく、富士山の姿のみにとどまる個別性で終わる。それをいくら誇っても、あるいはそういった「美しさ」をいくら掻き集めようとも、「美しい国」とはなりようがない無駄な努力と言うものであろう。
もしも日本人の姿・営為を直接問題として、それを如何に正していくかを検討するのではなく、そこから離れた<「日本の美しさ」>に的を絞るものであったなら、最初からボタンの掛け違いを犯していることになる。
<「美しい国づくり」プロジェクトとは?>にはこう書いている。
<「美しい国づくり」プロジェクトは、私たちが本来もっている魅力を引出し、いきいきとした未来につなげようとするものです。「今ある美しいもの」、「失われた、あるいは失われつつある美しいもの」、「これから作り上げるべき美しいもの」について、国民の皆さんが気づき、行動していくきっかけ作りをするものです。>
<私たちが本来もっている魅力>、<「今ある美しいもの」>、<「失われた、あるいは失われつつある美しいもの」>がどんなものかは知らないし、知ろうとも思わないが、これらが日本人が現実に体現しているプラスの資質だとしても、政治家・官僚の不正、企業の不正、一般市民の不正等となって現れている日本人の現在の姿・営為、そしてそれらが織りなしてつくり出されている日本の社会の不公正・不公平等の矛盾の解消に何ら有効な資質となっていなのも現実であって、それらにスポットを当てていること自体が既にボタンの掛け違いなのだが、 行うべきは日本人の「美し」くない姿・営為を探し出して、それを改める方法を検討することだが、逆の「美しい」姿・営為を探し出して、それを以てだから日本の国は美しいのだとイコール答とする現実からかけ離れた「美しい国づくり」としか見えない。
このような〝美しさ〟探しによる数々の〝美しさ〟の前面への押し出しは、逆に社会の矛盾や不公平・不公正をつくり出している日本人の美しくない姿・営為を隠す役目を果たさないだろうか。いわば臭い物にフタの力学が働くことはないだろうか。
尤も臭い物にフタだけで終わるなら、まだよしとすべきかもしれない。安倍首相自身が既に国家主義に囚われた人間である。その先に行く危険を抱えていないと断言するわけにはいかない。
このような懸念が単なる懸念で終わるかどうかを順次見ていかなければならない。
<安倍内閣では、皆さんとともに目指したい、新しい、私たちの国のかたちを、 活力とチャンスと優しさに満ちあふれ、自律の精神を大事にする、世界に開かれた、「美しい国、日本」と考え、そして、この私たちの国の理念、目指すべき方向を
Ⅰ 文化、伝統、自然、歴史を大切にする国
Ⅱ 自由な社会を基本とし、規律を知る、凛とした国
Ⅲ 未来へ向かって成長するエネルギーを持ち続ける国
Ⅳ 世界に信頼され、尊敬され、愛される、リーダーシップ
のある国
と考えています。
「美しい国、日本」は、私たち一人ひとりの中にあります。だからこそ、この「美しい国、日本」を、私たち一人ひとりが創り、そして誇りをもって伝えていきたいと考えています。>
掲げている<国の理念、目指すべき方向>は飛び切りの素晴らしい言葉の散りばめによって飾り立てているが、<「美しい国、日本」は、私たち一人ひとりの中にあります>と言うと、現実の姿に即さないまるきりの真っ赤なウソになる。なぜなら、<私たち一人ひとりの中にあ>る<「美しい国、日本」>が政治家・官僚の不正、企業の不正、一般市民の不正等となって現れている現在の日本人の全体的な姿・営為をつくり出し、それが日本社会の矛盾や不公平・不公正を成り立たせていることとなって、倒錯的な逆説を生じせしめることになるからである。
厳密に言うと、<文化、伝統、自然、歴史を大切にする>姿・営為は一般的な生活上の姿・営為とは関係なく、個別的に示すことができる態度である。逆説するなら、いくら「美しく」ない人間でも、<文化、伝統、自然、歴史を大切に>することができる。当然、<規律を知る、凛とした>人間でなくても<文化、伝統、自然、歴史を大切に>することができるし、逆に<文化、伝統、自然、歴史を大切に>しているからと言って、イコール<規律を知る、凛とした>人間だ、「美しい」人間だと必ずしも断定可能とはならない。
また<未来へ向かって成長するエネルギーを持ち続ける国>は国の経済がうまくいきさえすれば可能な事柄であって、経済的成功は応々にして人間性とは無関係に成り立たせることができる。裏取引や不正行為が経済活動や政治活動を成功させる手段の一つとなっていることがその証明となる。だからこそ、各種談合の跡を絶たない現状がある。
<文化、伝統、自然、歴史を大切にする>ことが一般生活上の自己利害に深く関係するなら、誰にしたって率先して大切にするだろうが、自己利害が動機であることに変わりはなく、一般生活上の自己利害に関係していないなら、自らの地位・立場に期待される世間に対する体裁からの<文化、伝統、自然、歴史>への思い入れで終らせることも可能である。
いわば、表面的な形式で済ませることができる<文化、伝統、自然、歴史を大切にする>態度をいくら問題としても始まらないことで、問題とすべきは社会の一員として社会のルールを如何に守るかのごくごく基本的態度であろう。守っているか、守っていないかが日本人の姿・営為を決定していく。
要するに言っているところの<規律を知る>であるが、人間が自己利害の生きものであることから<規律を知>り、それを守り通すことが難題となっていることが現在の日本人の姿・営為となって現れ、その先に今の日本の社会があるのであって、難題であることを無視して、それを<凛とした>レベルにまで求めるのは非現実的なないものねだりに等しい。実現不可能を可能として求めるようなものだろう。誰が日々<凛とした>態度で行動しているだろうか。
大体が安倍首相自身が体現していないことを求めているのだから、ウソつきが他人に正直な態度を求めるようなもので、単に言葉でこうあるべきだとし、言葉だけで終わる、もっともらしい言葉を骨組みとした中身は何もないハコモノの「美しい国づくり」となっていくのは既に目に見えている。
ハコモノで終わるのは一向に構わないが、ハコモノだと気づかずに結果として臭い物にフタの役目を果たして、「美しい国、日本」、あるいは<日本人ならではの感性、知恵、工夫そして行動を自覚する>美しい日本人だけが強調されてそれだけが一人歩きした場合、日本人優越意識に結びつくことの危険はどこにもないだろうか。
次にプロジェクトの進行方法を眺めてみる。
<「美しい国づくり」プロジェクトとは?
私たちの国の、理念、目指すべき方向としての4つの柱にもとづき、私たちの国、日本には、様々な分野で本来持っている良さや『薫り豊かな』もの、途絶えてはいけないもの、失われつつあるもの、これから創っていくべき美しいものがあること、をも踏まえながら、私たち日本人一人ひとりの中にある、豊かな未来につなげようとする活力の源と言える日本に対する思いを、引き出すことです。
そして、日本に対する思いを通じて、国民一人ひとりが、日本人ならではの感性、知恵、工夫そして行動を自覚する、きっかけを創ることです。
"日本らしさ"を、毎日の生活や日々の仕事を通して磨きあげていくことで、いきいきとした、豊かな国としての成長につながっていきます。加えて、こうした国の姿や国民の行動を、堂々と世界に発信していきます。
そこで得られた理解や共感は、世界から認められ、愛され、信頼されることにつながり、そのことが、私たち自身の誇りや、自覚を促し、私たちの国の未来を確固たるものにします。>
相変わらず日本人に限らず、すべての人間が利害の生きものであるとする視点を持たずにどうあるべきかを論している。現実の人間の姿・営為を土台とせずに、その上に美しいだけの姿をつくり上げようとしている。公務員制度改革を現実の公務員の姿を土台とせずに改革しようとするようなものであろう。その間違いに気づいていない単細胞を犯している。安倍首相らしいと言えば、安倍首相らしいと言える。
人間は自己利害の生きものだから、まず自己への思いを出発点とする。自己なくして、人間は存在し得ない。このことは政治家が<日本に対する思い>からではなく、選挙の趨勢や自己地位の底上げを自己利害として行動することに象徴的に現れている。「日本のため」はそのための方便に過ぎない。族益・省益を行動の優先条件としていることにも現れている<日本に対する思い>の幻想である。
自己への思いを否定、もしくは無視した、国としての<日本に対する思い>への優先は権威主義的な強制なくして成立しない。それは戦前の「天皇のため・お国のため」が何よりも証明している。安倍国家主義者がそのような日本人を求めているのだとしたら、「美しい国づくり」プロジェクトは間違いではない。だからプロジェクトの方針、目指すべき方向に現実の人間の姿が見えない内容となっているのだろう。
<日本に対する思い>は強制によるか、自己利害に叶う場合にのみ発揮される態度成分でしかない。そのような強制がない場所でのそれぞれの日本人のそれぞれの自己への思い・自己利害が現在の日本人の姿・営為をつくり出している。となれば、強制もなく、自己利害を基本的な行動ルールとする人間の自然な存在性を土台として社会のルールに反した場合、同じ強制でも、反社会行為を禁ずる法による強制でその自己利害行為をコントロールするしか方法はない。
その繰返しが現実の人間社会でもある。
このような客観的認識を持てないから、<本来持っている良さや『薫り豊かな』もの>といった、人間の現実の姿・営為から遠く離れた非現実的なたわいもないことが言えるのだろう。 日本人の現実の姿・営為から離れた提案だから、実質的には日本人、あるいは日本の国の美しい輪郭を描くだけで終わっている。<本来持っている良さや『薫り豊かな』もの>をあげつらって、社会保険庁職員の保険の管理・運営の杜撰さ・怠惰・怠慢を正す力となるとでも言うのだろうか。緑資源機構以下の官製談合行為や天下りを利用した私益・私腹行為をなくす力となると思っているのだろうか。<本来持っている良さや『薫り豊かな』もの>が、それが日本人の資質として存在するとしたならの話だが、人間の自己利害行為に何ら力とならないから、現在の矛盾多き日本の社会となっているはずである。その現実性に反して、あげつらい、力としようとしている。
このことは上記掲げた提案と同じことの繰返しに過ぎない次の提案にも現れている。
<プロジェクトの進め方は?
美しい国づくりプロジェクトでは、私たち日本人の暮らしや仕事の中に息づいている、本来持っている良さや「薫り豊かな」もの、途絶えてはいけないもの、失われつつあるもの、これから創っていくべき美しいものがあることを踏まえながら、皆さんと一緒に、一人ひとりが日本"らしさ"を見つめなおすことから始めていきます。
そして、これからの私たちの成長や活力の"糧"として、日本 "ならでは"の感性、知恵、工夫、そして行動に気づき共有し、そのことを日々の暮らしや仕事の中で磨き上げ、創り出していくことで、「美しい国、日本」を築いていくことを目指しています。
また、こうした私たちの姿や行動を世界に発信することで、世界から理解や共感を得て、愛され、信頼につなげていくことを目指しています。
こうした取り組みを繰り返すことで、私たち自身の誇りや自覚を促し、私たちの国の未来を確固たるものにしていきます。>
人間の持つ自己利害性や社会のルールに従う・従わせるとする基本的態度のない場所に<日本 "ならでは"の感性、知恵、工夫、そして行動>だとか、<私たちの姿や行動を世界に発信する>、<世界から理解や共感を得て、愛され、信頼につなげていく>といったいいこと尽くめの言葉を散りばめて現実社会の一般的な姿を無視した「美しい国づくり」の実現を図り、<日本"らしさ">の金字塔を打ち立てようとしている。
現実社会の一般的な姿を無視しているゆえに現実社会の一般的な姿から遊離することとなる「美しい国」、あるいは<日本"らしさ">の打ち立ては、遊離した姿であるという一点でまさに日本人の一般的な姿への臭い物にフタの役目を果たすだけではなく、そのような現実の姿に対する臭い物にはフタによってこの日本は<活力とチャンスと優しさに満ちあふれ、自律の精神を大事にする、世界に開かれた、「美しい国、日本」>だとする肯定的価値のみの支配を許すことにもなる。このような自国に対する客観性を欠いた肯定一辺倒の位置づけが日本国家の優越性、あるいは日本民族の優越性につながらない保証はない。
その危険性を次の項目で嗅ぎ分けてみる。
<具体的なプロジェクトの内容は?
「美しい国づくり」プロジェクトでは、以下のような、身近な“私たち視点”で参加できる、皆さん一人ひとりの思いを引き出す企画(推進施策)に取り組んでいきます。
・あらゆる世代の気づきを促す企画
日本の「薫り豊かな」ものや途絶えてはいけないもの、か
つては美しかったが美しくなくなってしまったものを見つ
め直し、あらゆる世代が日本の「良さ、素晴らしさ」に気
がつくこと。
・身近な視点での取り組みを推進する企画
一人ひとりが、「美しい日本づくり、美しい自分探しへの
旅」を始め、その思いをきっかけに自らが行動するような
身近な視点での取り組みを推進すること。その結果、描き
出されたものを「美しい国、日本」として皆で共有し自覚
し合うこと。
・世界とも分かりあえ、共感しあうための企画
“諸外国の国民とも理解しあい、認め合う”という視点で
、私たちの姿や行動を堂々と発信すること。
これら企画については、「美しい国づくり」企画会議で審議します。
これら取り組みを通じて、皆さんと共に思いをめぐらせ、歩み、築いていきます。>
ここには党利党略や権謀術数の渦巻く政治の世界も自己利害抗争に明け暮れる一般社会も存在しない。人間が自己利害から離れた肯定的な姿を常に見せるわけではないにも関わらず、そのことを無視してすべてが肯定的な姿で把えられている。
そして<「美しい日本の粋(すい)」のご応募を楽しみにしております!>と、「日本」を肯定づけ、肯定の衣服のみで覆おうとする作業に国民まで動員しようとしている。
<美しい国づくりプロジェクトの企画一覧
・美しい日本の粋(すい) ~伝えたい私たちの美しさ~
失ってしまったものも含め、なくしてはいけない日本の“らしさ”“ならでは”を教えてください
募集期間:平成19年4月20日(金)~6月22日(金)>
日本のありとあらゆる社会、ありとあらゆる場所に我が物顔にのさばっている官製談合とか政官のムダ遣い、税の私腹、政治家・役人の怠惰・怠慢、企業犯罪、企業の重大な手抜き人災事故等々がもたらしている様々な矛盾と不正と虚偽と不公平・不公正を抹消できなければ、いくら日本の自然が美しかろうと、いくら<美しい日本の粋(すい)>を応募させ、甦らそうと、<日本 "ならでは"の感性、知恵、工夫、そして行動>を力として伝統料理や伝統工芸、伝統建築、伝統造園といった様々な分野で日本人が伝統的に素晴らしい技術を発揮して素晴らしい製品を数々残し、現在も新たにつくり続ける永続性を持とうとも、これらは様々な矛盾と不正と虚偽と不公平・不公正が日本人の支配的な営為となり続ける日本の社会に於いて個別的な力・価値しか発揮できず、社会全体を美しく彩るまでには至らない。そのことは目の前にある現実の社会そのものが証明している。
それはなぜかと言うと、<日本 "ならでは"の感性、知恵、工夫、そして行動>、あるいは<美しい日本の粋(すい)>が力となってもたらす技術と、それらが力とならずに一般社会で発揮されることとなる人間性は別個の構造式を持つからだろう。
現在でもアジアの国々の一部で日本人が信用されないのは技術力に対してではなく、日本人の人間性に対してであり、そのことが証明している技術と人間性の関係式であろう。
簡単に言えば、日本人が伝統工芸にいくら力を発揮しようとも、日本の料理がいくら素晴らしくても、それらを内容とした日本の文化が<美しい日本の粋(すい)>の集約であり、そこにいくら価値と栄誉を与えようとも、政治家・官僚・企業が不正を行い、誤魔化しばかり働いていたなら、意味はないと言うことである。人間の価値はその人間性によって測られるべきで、技術によって測ることはできない。
技術は確かにカネをもたらすが、信頼は人間性によってしかもたらされない。
人間の現実の姿・営為から離れた日本の美しいとこ取り一辺倒の「美しい国づくり」プロジェクトは学校での愛国心教育と奇妙に重なる。日本にはこういった素晴らしい文化があります、美しい自然があります、素晴らしい習慣があります、伝統があります、だから郷土を愛し、日本という国を愛しましょうと肯定的な色彩で日本をまぶす。
しかし人間が自己利害の生きものであることのどのような自覚の植え付けもないこのような日本という国を美しく彩るだけの教育が現実の子供たちの姿にどう反映し、彼らが大人になったとき、その人間性にどう埋め込まれていくというのだろうか。彼らの行動にどのような規律を与えるというのだろうか。日本の国は美しいとする先入観のみを植えつけられたとしたなら、その代償として自己の利害行動に対するどのような客観的省察能力も育まれることなく成長する危険を抱えることにもなる。そのような能力の欠如が行過ぎた自己利害行為の蔓延・横行を許している。
〝日本肯定〟を唯一の目的駅としている「美しい国づくり」プロジェクトは1937(昭和12)年3月刊行の『国体の本義』とも重なる。安倍首相は『国体の本義』の精神を出発点として、「美しい国」思想をつくりあげたのではないかと疑いたくなる日本肯定思想の一致を見ることができる。
「一大家族国家」だとか、「忠孝の美徳」、「我が国の政治は、神聖なる事業であつて、決して私のはからひ事ではない」、「天壌無窮・万世一系の皇位・三種の神器」、「我が国が永遠の生命を有し、無窮に発展する」、「我が歴史は永遠の今の展開であり、我が歴史の根柢にはいつも永遠の今が流れてゐる」とする人間の現実を無視した日本肯定思想は安倍首相の日本を美しい色彩のみで肯定しようとする「美しい国、日本」とも符合するもので、『国体の本義』が体現している「神聖」及び「永遠」をキーワードとした民族的優越意識にいつ染まらないとも限らない肯定一辺倒を目指している。
戦前肯定・戦後否定の国家主義者なのだから、当然のいつか来た道への後戻りと言うべきか。
ナントカ還元水、誰に「説明責任を果たしている」のか
5月23日(07年)に衆院予算委員会で政治資金問題の集中審議が行われた。と言っても、松岡農水相の議員会館事務所・2800万円光熱水費疑惑追及に多くの時間が割かれたのだろう。野党があの手この手で追及しても、対する松岡勝利大物農水大臣は野党のあの手この手の裏をかいて「法律に則り適切に報告している」の馬鹿の一つ覚えを振りまわす一点突破型。一見しぶといように見えるが、自身の進退、政治生命にかかってくるから、何が何でも公開しない、説明しないに縋るしかない、他に切り札を持たない身動きのなさからの一つ態度に違いない。
それが証拠に答弁に立つ松岡大物の表情に余裕がない。「法律に則り適切に報告している」に縋るしかない後のなさなのだろう。
松岡大物大臣の疑惑がナントカ還元水オマケ付の光熱水費疑惑だけでなく、今回官製談合で検察の摘発を受けた「緑資源機構」に絡んでいる談合公益法人や談合企業から政治献金を受けているし、<福岡県警の家宅捜索を受けた会社の関連団体「WBEF」のNPO法人申請の審査状況を照会していた>(07.1.6.『朝日』朝刊≪安倍政権また火種≫)、いわば口利きしていた政治家秘書とは何を隠そう、松岡大物の秘書だし、その他政治資金を受けながら、その使途が不明となっている疑惑等々、疑惑のオンパレード、あるいは疑惑のオールキャスト、総出演である。さすが「美しい国作り」内閣を担う重要ポストに就いているだけのことはある。日本の美しい自然を維持・管理する職務を農林水産の基本の一つとしているである。自然と立ち居振る舞い・政治活動も緑美しき日本の風景のように美しくなろうと言うものである。
それにしても気がかりなのは腹の黒さが顔をカガミに自然と外に映し出されているのはないかと思うばかりの顔肌の黒さである。日に焼けて健康といったのとは正反対の脂じみた厭味のあるどす黒さを曝している。その点安倍首相の顔と大差ない美しい顔相だが、民主党の岡田克也元代表の<「首相は松岡氏が説明責任を果たしていると思うか」>の質問に安倍首相は<「法律の定めに従って説明を果たしたと私は理解している」>(07.5.24.『朝日』社説≪政治とカネ 踏みにじられた倫理綱領≫)と、松岡大物大臣の説明責任に「美しい国作り」内閣の総理大臣自らが力強いお墨付きを与えている。
ということは、安倍首相のその美しい力強いお墨付きによって、安倍首相と松岡大物は「説明責任を果たした」という点で同じ穴のムジナ、あるいは一蓮托生と化したことを意味する。
しかし、一体誰に「果たした」のだろうか。国会議員は国民に顔を向けて政治を行うことを自らに課せられた使命とする。「法律に則り適切に報告している」は国会という場での追求野党議員に対する答弁から一歩も出ていないもので、どこをどう取っても国民に向けた説明の類とはなっていない。
にも関わらず、それを以て「説明責任を果たした」と言うなら、安倍首相の美し上に力強いお墨付きにしても、松岡大物の「説明責任を果たしている」にしても、国民に顔を向けたものではないお墨付きであり、「説明責任」と言うことになる。
と言うことは安倍美しい首相にしても松岡美しい大物にしても、国民に顔を向けていない政治家であるという点に於いても同じ穴のムジナであり、一蓮托生の仲間だと言うことになる。名誉なことではないか。
国民に顔を向けていない同じ穴のムジナ、一蓮托生なる、その胡散臭いばかりの如何わしさから連想できることは、衰退久しい時代劇とはなっているものの、そこでお馴染みとなっている〝悪事の数々〟を繰り広げる悪役登場人物たちであり、まさに同じ穴のムジナ、一蓮托生という関連から時代劇の悪役登場人物に安倍美しい首相と松岡美しい大物をそっくりそのまま重ね合わせることができるのではないだろうか。
安部首相は現実の政治振る舞いだけではなく、雰囲気から言っても、そのままメーキャップなしで悪家老、悪勘定奉行になれる顔の持ち主であるし、松岡大物にしてもノーメイクで「お主も悪よのう」と誉ある栄誉を受けても、「いえいえご家老様には敵いません」と思い上がらずに謙虚に受け止める悪徳商人・松岡屋に横滑りできる顔をしている。
残念なのは今の時代、時代劇が流行っていないことだが、その分政治の世界で〝悪事の数々〟が流行っているのだろうか。
今週21日の月曜日(07年5月)にNHKの夜7時半からの『クローズアップ現代』で≪潜入!アフガン麻薬無法地帯≫を放送していた。
アフガンのケシ栽培量が過去最高を記録しているということだが、これは武装勢力の活動の活発化と連動した栽培の活発化なのだろう。武装勢力が自ら精製工場を持ち、99.何%とかの高純度の製品から純度20%といった低所得層向けの廉売品なのか、顧客層に応じたニーズに応えるべくグレードを各段階に分けた製品を作り分けて幅広い販路を維持することで得ることのできる相当額の収入を資金に高精度の武器を大量購入し攻撃力を高め、なお且つ政治家や官憲と癒着して柔・剛両面から反政府活動の形でアフガン政府のケシ畑撲滅作戦を妨害し自らの権力と支配地を維持する。そのような戦略がすべて成功していることの成果が〝過去最高の生産量〟なる誇るべき好結果に結びついているのだろう。メデタシ、メデタシ。
国連プロジェクト・サービス機関(UNOPS))のHPは<アフガニスタン、イラン、パキスタン国境沿いは「黄金の三日月地帯」と呼ばれるほど、世界最大のケシ栽培地域となっており、中でもアフガニスタンは世界最大の麻薬(ケシ、モルヒネ、ヘロイン)産出国になっている。>と名誉ある地位にあることを伝えている。
陽に焼けた顔にしわを深く刻み込ませたケシ栽培の農民が違法だと分かっているが、土地が乾燥地帯でケシ以外に栽培する作物がないといったことを言っていた。と言っても、ケシ栽培で彼らが大儲けしているかというと、武装勢力に仕切られた、世界中どこにでもよくある搾取される存在で、たいして収入は得ていないようだ。ケシ栽培をやめれば、唯一の収入源を失って、元も子もなくしてしまう。儲かるのは誰かと分かっていても、その日その日の生活を維持するために違法栽培を続けなければならない。
アヘン・ヘロインの国内生産が活発なだけあって、アフガンでは100人万近い愛好者が存在し、相当数の子供にまで愛好の裾野が広がっているとのこと。マスコミ風に表現するなら、〝アヘン常習(もしくはヘロイン常習)の低年齢化〟といったところか。世界中で選り取り見取りの各種低年齢化現象が起きている。
その象徴的シーンが父親が自分の吸ったアヘンの煙を眠っている幼い子供の口の辺りにゆっくりと吹きかけると、子供は既に条件反射化しているのだろう、眠ったままゆっくりとした反応だったが、その煙を吸うかのように口をわずかにむにゃむにゃと動かせた場面だった。まるで神が宿ったかのような穏やかな聖なる顔をしていたが、父親はアヘンが身体に悪いことは知っているが、こうしてやると子供が落ち着くといったことを言って、アヘンの精神安定効果を説いていた。
アフガン大統領カルザイが「ケシが国を滅ぼすか、国がケシを滅ぼすか」と国によるケシとの戦いを後はないといった真剣な表情で決意表明を行っていたが、口で言うほどの効果が後はない後ろからついてきてくれないのは乾燥土への水分補給を可能とする灌漑施設が満足に整備されていないことと、現状ではケシ栽培に換わる有効な代替作物が存在しないことだという。
ではと素人頭で考えたことだが、ケシが栽培可能なのだから、灌漑設備が現状のままでも可能と思われる、酸性土壌にも強く乾燥にも強いサツマイモ栽培はどうだろうか。食用に生産するのではなく、バイオエタノール用に栽培する。国際援助でサツマイモの種を配給し、栽培地近くに同じく国際援助でバイオエタノール生産工場を建設する。
サツマイモを即バイオエタノール化すれば、輸送に便利でコストも安く上がるはずである。バイオエタノール化農産物の生産地を増やすことで、現在起こっているトウモロコシや大豆、小麦粉といった穀物の値上がりを僅かながらでも抑制できるはずだし、ケシからサトイモが成功すれば、それに連動してアフガニスタンに於けるアヘン・ヘロインの類の国内生産が減少し、そのことがスイスの時計にも匹敵する有名ブランドであるアフガニスタン製のアヘン・ヘロインの類の輸出品の減少につながっていく。中毒患者の数も減っていくに違いない。成功すれば得ることのできる利益は計り知れないものがあるだろう。
武装勢力側はケシからサトイモに猛反発して、転作農家を威し、従わない農家を武力攻撃するだろうし、バイオエタノール精製工場も直接攻撃するだろうから、アフガン軍は勿論、反政府勢力の武力攻撃に備えて展開している国連軍も農家と工場の保護にまわる。兵力が不足なら、各国に応援部隊を要請する。
この案はサツマイモを食べると出る始末の悪い屁と同じく、屁みたいな話、屁でもない話だろうか。
一昨日(07.5.21)の月曜日の夜8時からのNHKテレビ『鶴瓶の家族に乾杯 ムッシュかまやつ疎開探しで大苦戦』の番組はかまやつが戦争中に疎開した山梨県甲斐市を訪ね歩く内容だったが、冒頭部分で、60年も昔のことで遥か彼方の時効となっているからなのだろう、疎開先でいじめにあったといったことを軽く笑いながら話していた。
それを聞いて、そう言えば街の子が疎開先で田舎の子供にいじめられる光景はごく当たり前のこととされていたのではないかと思い出して、インターネットで調べてみた。ポータルサイトの「goo」で「疎開 いじめ」で検索すると、重複しているものもあるだろうが、なかなかどうして「約4,020件」の数字が表示された。
その中でいじめが街の子と田舎の子の間だけではなく、集団疎開者同士の間にも存在していたことを≪いじめ≫というHPで知った。冒頭部分と最終箇所を引用してみる。
< 1.集団疎開はいじめに最適な環境であった。
(1)親の面会は制限されていて1学期に1回程度で、親の
目が届かなかった。
(2)手紙は先生による検閲があり、子どもは親に本音が書
けなかった。
(3)先生は強い皇国民の錬成に熱心で、体罰は日常化し、
子どもたちに弱音を吐くことを許さなかった。戦時体
制下「欲しがりません、勝つまでは」と、耐えること
ばかりが強いられていた。
(4)日常生活は四六時中上級生が取りしきる軍隊式集団生
活で、上下の規律が厳しく、下級生は上級生に絶対服
従であった。いくらいじめられても、先生に告げ口を
すれば後で何倍もの制裁が待ち受けていたので、怖く
て何も言えなかった。
(5)上級生は空腹や家恋しさのストレスのはけ口として、
下級生をいじめて楽しんだ。
(6)いくらいじめられても泣いてすがれる母親もなく、登
校拒否をする自由もなかった。最後に残された手段は
「脱走」しかなかったが、いじめられっ子には脱走す
る気力も枯れていた。>
<上級生は空腹や家恋しさのストレスのはけ口として、下級生をいじめて楽しんだ。>の箇所が疎開者同士の陰湿な閉塞下での上下関係を如実に表現している。内(=集団疎開者たちの世界)も外(疎開先の子供たちの世界)もいじめに支配されていた。
疎開とは空襲そのものから、あるいは空襲の恐れから逃げてきた行為であって、それは疎開先の田舎の子供たちには負の行為として把えられたに違いない。何しろ日本の兵隊さんたちが戦地で「生きて不慮の辱めを受くることなかれ」と死を賭し、勇猛果敢に戦っている勇ましさに反した逃げる行為なのだから、卑怯・卑劣に見られたといったこともあったのではないだろうか。部隊を指揮する立場の将兵が兵士を部隊ぐるみ置き去りにして戦地を離脱する卑怯・卑劣な振る舞いに及んでいたことなどごく一部の軍関係者しか知らないことで、ましてや内地の片田舎の子供たちには知る由もなかったろう。
もし頭数の点で田舎の子よりも疎開した子供の方が圧倒的に多かった場合、これといって武器を持って戦うわけではないのだから、その優位性が唯一の利点となって、いじめは疎開した子から田舎の子に向かったに違いない。戦国時代、落ち武者が頭数は劣るものの、遥かに人口の多い村に侵入してその村を支配することができるのは村人が所持しているのとは比較のできない優秀な武器を所持し、その武器を使いこなす技術に於いて優っていたことからの優位性が可能とした支配・統治であろう。
いじめはそれしか自己実現のない人間、それしか自己活躍の方法のない人間によって、何らかの優位性を力として起こる。あるいはそのような人間はどのような優位性をも武器とする時代の美化とは無縁の美しくない卑劣な人間行為としてある。
最終箇所の<3.引率教師の戦後の述懐>はいじめが深刻であったことを示唆している。
<このような事実を当時の親が聞いたら、気も狂うであろう。集団疎開は一度に瓦解したかもしれない。
泣けば総がかりで声を止め、つぎの制裁は倍化するのだから、もちろん先生に告げ口をすることなどは思いもよらない。親が面会にきたときに、親に話せば先生につうじ、だれが告白したかは明瞭になるし、その結果は自分に報いてくることをこの子たちも知っていたから、ただ完全にあきらめるしかなかったのであった。
班長が牢名主然と構えて、下級生を顎で使うのは男子である。その命令は絶対的だった。
戦争中の訓練主義教育が必要以上に子どもたちのうえに覆いかぶさっていたことは否めない事実でもあった。われわれは子どもの精神衛生面を重要視できなかったということが、決定的な落度といわなければならないのではなかったか。
これほどの事実が子ども同士の間でおこなわれていたということを、現地にあって、学童補導の任にあたっていたわれわれがまったく気づかずにいたとは、じつにうかつな話で、たとえそれがあらゆる手段で隠蔽されていたとしても、知らなかったとして、済むものではない。まことに申訳ないことをしたものである。>
しかし先生が<強い皇国民の錬成に熱心で、体罰は日常化し、子どもたちに弱音を吐くことを許さなかった>存在だったにしては、非当事者のような観察となっている。いじめに気づいていながら、軍隊式に強くなるための試練・訓練の類だぐらいに思っていたのではないだろうか。
軍国主義がはびこり、天皇の兵隊が自分たちは絶対正しいといった何様態度で我が物顔にのさばっていた社会の風潮が教師の生徒に対する体罰や子供たちの上下関係にまで影響していたということだろう。
このようないじめ状況は安部首相が小沢民主党代表と党首討論を行ったときに戦前の日本について発言した「大家族で地域がみんな顔見知りで、子供たちを家族で、地域で教育していく仕組みがあった」とする親近的で懐の深い地域性が子供に対する教育効果に何ら有効ではなかったことを物語っていて、そういった地域の関係は結果としてあってもなきが如し、あるいはタテマエだけのことで無意味化し、あったとするのは歴史の捏造に相当しないはずはない。
それとも「みんな顔見知り」の間のみに有効な限定条件付の地域性だとでも言うのだろうか。とすると日本人が外国人、特に有色人種に対して持つ差別的な忌避感はそのような限定つき地域性が反映した他処者扱いなのだなと頷けもするが、まるきりの限定つきで日本全体の価値としてあった地域性ではなかったとすると、一国の首相が国会でさも日本の全体性としてある地域性であるかのように声を強く主張し、訴えること自体が歴史の捏造に当たることになる。
いわば安部晋三は二重にも三重にも歴史の捏造を犯す歴史捏造の常習者となっている。当然、戦後日本を批判して「経済は成長したが、価値の基準を損得だけにおいてきた」とする価値否定にしても、「損得を超える価値、例えば家族の価値、地域を大切にし、国を愛する気持ち、公共の精神、道徳」といった戦前の価値自体が少なくとも日本社会全体を覆って存在せず、戦前の日本に於いても「価値の基準を損得だけにおいてきた」のだから、戦前はあったとして「子供たちに教える必要がある」とするのは砂上の楼閣を築くに等しい幻想で終わるだろう。
法律はいくらでも美しい文字を連ねて作り上げることができるが、内容に込めた目指すべき理想を現実社会に如何に運用・反映させて、社会の利益として結実させるかが唯一重要な最終目的であることを無視して、単に法律を改正したばかりの先行き不透明な段階であるにも関わらず、いわば砂上の楼閣化しかねかねない段階で、どの首相も成し遂げることができなかった教育基本法改正を自分が首相になって成し遂げたといったふうに声を上げて自画自賛の胸を張ったが、成果を見ないうちからの成果を誇る早トチリがどうも砂上の楼閣化を占っているように思えてならない。
7年前の2000年森政権下の「教育改革国民会議」がどのくらいの雁首とカネをかけたか知らないが、砂上の楼閣に終わったからこその安部政権の「教育再生会議」があるのだろう。森が砂上の楼閣に終わって、安部が終わらない保証などどこにもない。結果を見ないでまだ条文を変えただけの段階に過ぎない教育基本法を改正したと胸を張っているようでは、森以上に砂上楼閣化の可能性の確率は高いのではないのか。
一柳恵子なる女性が≪「いじめ」は昔からありました - OhmyNews:オーマイニュース “市民みんなが記者だ”≫の中で、安部首相と同じ線上にある歴史捏造を扱って疎開先のいじめについて語っている。
<テレビを見ていたら、小説家で僧侶でもある瀬戸内寂聴氏が現代のいじめ問題に言及して、「私たちの子供のころにはいじめはなかった」と発言していた。私は、著名文化人としてはきわめて無責任な発言だと思う。
戦前は、牧歌的な時代だったから、子供ものんびりしていたとの理解が氏にはあるようだが、「いじめはなかった」というのは、氏の個人的な体験をいっているに過ぎず、綿密な教育学的統計調査に基づいた見解ではないだろう。
私の叔母は、戦時中、学童疎開をした体験があるが、地元の子供から、極めて陰湿ないじめを受けたと聞いたことがある。背中にがまがえるを突っ込まれたり、漆の枝をつかまされて肌をかぶれさせられたり。>
「私たちの子供のころにはいじめはなかった」――テレビに出たり、新聞に記事を書く著名人が時代による陰湿性の度合いの違いや感受性の個人差を無視して、「昔は今みたいな陰湿ないじめはなかった」といじめを一緒くたに扱うことで過去のいじめの否定、もしくは無化を通して過去をよき時代とする時代美化論からの発言であろう。
瀬戸内寂聴が成長の段階で第三者のいじめ体験を知識としていなかったわけではないだろうが、「子供のころ」の時代を美化する正当化操作によって、そのような時代の空気を吸って成長した現在の自己が「子供のころ」から一貫して変わらない善なる存在だと見せたい人間なら誰でも持っている無意識の自己利害からの自己美化衝動が自己に都合の悪い事実を記憶から排除させてしまっているのだろう。勿論過去の時代の実際の姿を自分に都合よく変える美化は人にウソを伝える歴史の捏造に入らないわけはない。
安部晋三が戦後生まれであるにも関わらず、戦前の日本を美化・肯定し、戦後日本を否定・排斥するのは、日本民族自体の正当化を図る美化操作であって、戦後を否定する比較対照で戦前と一貫性を持たせたいがための歴史捏造であろう。そしてその先にあるのが「戦後レジームからの脱却」なる戦前との一体化・一貫性なのは言うまでもない。日本人の内実性に於いて戦前と何ら変わらない戦後を否定しようとする「戦後レジームからの脱却」が歴史捏造の上に歴史捏造を重ねる新たな歴史捏造というわけである。
次第に安倍称号表現がきつくなってきます
昨年11月以来約半年ぶりの5月16日(07年)に国会で行われたという安倍・小沢の党首討論の模様を翌日の『朝日』朝刊社説≪もっと憲法を論じよう≫と『時々刻々』≪半年振り党首討論 背水小沢氏に粘り≫が伝えている。双方の記事から日本国首相安倍晋三が一国の首相でありながら歴史を捏造して何ら恥じないどころか、逆に得意顔に主張していた箇所を拾って如何に歴史を捏造しているか、指摘してみる。
小沢「首相は『日本の国柄をあらわす根幹が天皇制』だという。首相の描く『美しい国』の根幹には天皇制がある。それが敗戦によって、占領軍によって憲法や教育制度が改変され、『美しくない国』になった。だから自分たちの手で作り直さなければならないということなのか」≪社説≫
小沢「国や社会の仕組みの基準をすべて天皇制に求めるという考えを私は持っていない」≪時時刻々≫
安倍「すべて天皇中心に考えているわけではない」≪時時刻々≫
安倍「日本人が織りなしてきた長い歴史、伝統、文化をタペストリーだとすると、その縦糸は天皇だ」≪社説≫
安倍国家主義者だけではなく、その他多くの日本の国家主義者は日本の歴史・伝統・文化というとき、戦前の戦争を頭の中からすっぽりと抜け落ちさせるご都合主義を犯す。このこと自体が既に歴史の捏造に当たるのだが、それは国家主義者たる所以をなす<日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族>(≪人間宣言≫)とする意識との兼ね合いで侵略戦争とすると日本の歴史・伝統・文化を貶めるだけではなく、<他ノ民族ニ優越セル民族>とする国家主義思想自体を自己否定することとなって都合が悪いからだろう。
侵略戦争であることの都合の悪さをすっぽりと抜け落ちさせることによってのみ、自存自衛の戦争、アジア解放の戦争とする歴史認識が維持できる。「日本人が織りなしてきた長い歴史、伝統、文化をタペストリーだとすると、その縦糸は天皇だ」と、日本民族の正統性を答とすることができる。そこに侵略とか従軍慰安婦、東京裁判、中国人強制連行労働、南京虐殺といった自存自衛の戦争認識・アジア解放の戦争認識を否定する要素を潜り込ませることは日本民族優越性自体を自己否定する矛盾行為へと発展する。
もし戦前の戦争を常に頭に置いていたなら、「日本人が織りなしてきた長い歴史、伝統、文化をタペストリーだとすると、その縦糸は天皇だ」などと歴史・伝統・文化、天皇を肯定的な意味合いで把えことはできなくなる。「タペストリー」の一つとして「日本人が織りなした」侵略戦争に於いても天皇は「縦糸」の役目をなしたとすることとなって、自己の歴史認識に齟齬を来たすことになるからだ。
実際には形式上「縦糸」の役目をなしただけなのだが、国家主義者・天皇主義者の安倍が戦争に於いても天皇が「縦糸」だったとした場合、天皇の戦争責任を同時に宣言することとなって、不都合が生じる。いわば戦争を頭に置いていないからこそ言える言葉だとする根拠がここにある。
戦前の戦争期は日本が最も先鋭的・暴力的に世界に突出した時代だった。先鋭的・暴力的に荒々しいまでに織り成した「タペストリー」だった。その「縦糸」の役目を天皇はその名前を利用される形で担ったのである。歴史的にも伝統的にも文化的にも最も美しくない日本の姿がそこにはあった。
にも関わらず、その美しくない日本の姿を美しいと誤魔化す悪質な歴史の捏造を安倍は犯している。それが次の場面に於いても発揮されている。
<教育改革をめぐって、首相は60年前の日本をこう評価した。「大家族で地域がみんな顔見知りで、子供たちを家族で、地域で教育していく仕組みがあった」
それなのに、と首相は戦後日本を次のように批判する。
「経済は成長したが、価値の基準を損得だけにおいてきた」「損得を超える価値、例えば家族の価値、地域を大切にし、国を愛する気持ち、公共の精神、道徳を子供たちに教える必要がある」>
「大家族で地域がみんな顔見知りで」――
人口の少ない、かつ農業以外にこれといった産業を持たない立地条件から人口流出はあっても、逆の人口流入の少ない町村地域では一族郎党が地元生え抜き状態ということになって、「大家族で地域がみんな顔見知り」は成り立つが、産業が盛んで人口流入・人口移動の多い都市地域に於いては成り立たない「みんな顔見知り」であろう。そういった認識を持てずにそれを成り立たせ、「大家族で地域がみんな顔見知り」と単純化することができるのは単純な頭をしているからに他ならない。講釈師、見てきたようなウソをつきの類であり、その種の歴史の捏造に過ぎないのだが、歴史の捏造だとは気づかずに一国の首相が声を強くして自らの主義主張としているだけに始末が悪い。
「子供たちを家族で、地域で教育していく仕組みがあった」――
戦前の一般社会では教育と呼ぶにふさわしい学校教育と言える程のものは存在しなかったはずである。百姓や職人の子に教育はいらないという考えが戦前から戦後の一時期まで社会的に支配的だったのである。百姓の子は百姓、職人の子は職人と子供は親の職業を継ぐことを職業選択に於ける社会的常識としていた。そういった子供たちの教育は学校から帰ったら、親の仕事を手伝うことを通して、その仕事を学ぶことが教育だったのである。戦後も農繁期になると、農家の子は子守や簡単な農作業を手伝わされるために義務教育である小学校の授業を親の命令で休みを取らされた。それ程に学校教育は重要視されていなかった。
こういったことを何よりも証明する現象として、農業では満足に食えない寒村の子供が義務教育である中学校を卒業すると早々に金の卵とおだてられて都会に就職していく集団就職があった。文科省のHPの次の一文も同じことを証明している。
<昭和9年の小学校卒業者の中等学校への進学率は20%弱にすぎなかったが、昭和33年の中学校卒業者の高等学校進学率は53.7%に増力1している。>。昭和33年に於いても高校進学率は半数をほんの少し超えたところにあったのである。
義務教育は尋常小学校(昭和16年以降は国民学校初等科に改称)の6年のみで、4年生から2年制となった上級学校である高等小学校は義務制ではなかった。義務教育である尋常小学校の6年制が最初は4年制で、それが2年ふえたのは国民の知識向上に義務年限で束縛する必要があったからだろう。時代の経過と共に日本社会が産業化され、上級学校での知識取得の必要性が高まったとしても、親の職業を継ぐのことが社会の一般的なしきたりだったことと考え併せると、人口の絶対多数はお上の言いつけだから義務年限に従うものの、尋常小学校の6年間を自らの学歴としてといったところだろう。
当然<60年前の日本>には「子供たちを家族で、地域で教育していく仕組みがあった」などと言うのはウソっぱちもいいとこの歴史の捏造以外の何ものでもない。
村単位で言えば教育は庄屋の家系や富農といった地位と財産を有した者が受けるものと限定されていた。貧乏百姓の子で余程学校の成績のいい子供がカネのある百姓の援助を受けて上の学校に行くといったことがあったが、権威主義が強かった時代だから、金銭的な援助の代償として援助者の影響下に入らざるを得ないといったことがあったに違いない。
安倍首相は歴史の捏造に過ぎないことに恬として気づかずに自らが価値を置く戦前の「優越セル」日本の国と違って、<戦後日本を次のように批判する。
「経済は成長したが、価値の基準を損得だけにおいてきた」「損得を超える価値、例えば家族の価値、地域を大切にし、国を愛する気持ち、公共の精神、道徳を子供たちに教える必要がある」>――
政治家・官僚の「価値の基準を損得だけにお」く犯罪は明治の時代も大正の時代も戦前の昭和の時代も蔓延していた。当然のこととして、「損得を超える価値、例えば家族の価値、地域を大切にし、国を愛する気持ち、公共の精神、道徳」といった価値観は<60年前の日本>に於いてもタテマエとして存在していたに過ぎなかった。
それを<60年前の日本>、戦前の日本に実質的に存在していたとするのは真っ赤なウソ、歴史の捏造そのものであろう。単細胞に助けられて、歴史捏造の悪意に本人が気づいていないだけの話である。
技術の発展はあっても、そのことが世の中の暮らしに進歩をもたらしたとしても、世の姿自体は変わらない。「価値の基準を損得だけにお」く人間の姿そのものが自己利害の生きものであることから抜け出れないために何ら変わらないままに推移しているからだ。
そのことを客観的に認識することができずに戦前の日本を美化し、戦後の日本を悪と把える歴史の捏造を犯して「戦後レジームの転換」を主張する。この歴史捏造の倒錯意識は如何ともし難い。
そして安倍晋三の生命思想――
社会保障審議会児童部会が平成16年1月1日から同年12月末日までの期間を対象に調査し、06年(平成18)3月に発表した報告書「子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について」の中の<相談機関の関与について>の部分は、
<2.死亡事例の概要
○死亡した子ども58人の内訳、
・0歳が24人で約4割(内、月齢4ヶ月未満が約7割)
・4歳未満が45人で約8割
○身体的虐待が49例(84.5%)、ネグレクトが7例(12.1
%)であった。
○主たる加害者は、実母が31人(53.4%)、実父が13人(
22.4%)であった。
○「児童相談所が関わっていた事例」は17例(32.1%)で
あった。
○「関係機関が虐待やその疑いを認識していたが、児童相
談所が関わっていなかった事例」は3例(5.7%)で、
過去の事例と比較すると減少した。
○一方で、「関係機関との接点(保育所入所、新生児訪問
、乳幼児健診等)はあったが、家庭への支援の必要性は
ないと判断していた事例」は15例 (28.3%)で、過去
の事例より増加した。さらに、「関係機関と全く接点を
持ち得なかった事例」は18例(34.0%)と過去の事
例より大幅に増加した。>となっている。
<死亡した子ども58人>のうち、<「児童相談所が関わっていた事例」は17例(32.1%)>と事実を把握していながら虐待死を見逃してしまった割合が3分の1も占めていて、<過去の事例と比較すると減少した>とはいうものの、<「関係機関が虐待やその疑いを認識していたが、児童相談所が関わっていなかった事例」>の<3例(5.7%)>は事実を把握していたが見通しの甘さから見逃してしまった対応ミスに加えなければならないだろうし、<過去の事例より増加した>とする<「関係機関との接点(保育所入所、新生児訪問、乳幼児健診等)はあったが、家庭への支援の必要性はないと判断していた事例」は15例 (28.3%)>にしても甘い判断(=間違った判断)が関わった関係機関の対応ミスからの虐待死としなければならないだろうから、58人の虐待死のうち半分以上の60%を占める35人の児童虐待死に関係機関の危機管理が機能しなかったとしなければならないのではないのか。
そしてこの種の対応ミスからの虐待死事例は平成16年1月1日から同年12月末日までの期間に限った傾向ではなく、平成16年以前も似たような状況にあり、さらに現在も引き継いでいる決してなくならない傾向でもあろう。
虐待死を見逃していたと言うことは、虐待死にまで至らなくても、関係機関が関与しながら虐待の過度の進行を許してしまった事例もあることを示している。
こういった状況は関係機関が児童の生命に対する危機管理機関として位置していながら、それが満足に機能しなかったというだけではなく、同時に虐待死や過度な虐待に至る過去の対応ミスを学習できないでいる状況をも示している。その結果の児童相談所等の所長が頭を下げる跡を絶たない状況があるのだろう。
虐待、もしくは虐待死見逃しのサンプルをたくさん抱えながら、そのことを防止する有効な対応策を打ち出せずに防げたかもしれない虐待、もしくは虐待死を繰返し許してしまう関係機関という逆説的構図はどのような学習不能を物語っているのだろうか。
虐待の起因は親が子供に対して歪んだ異常な養育に走る、いわば当たり前の養育を放棄していることにあるのは言うまでもない。虐待死にまで至らなくても、一方に止むことのない親の〝養育放棄〟があり、対する対応機関の危機管理不全が親の〝養育放棄〟に追随する形で虐待に関わる負の相互関係を延々と引き継いでいる。
と言うことは虐待や虐待死は親の養育放棄がつくり出す子供の育て方の一つの形、あるいは死の形の一つであるが、ある部分児童相談所その他の関係機関が関わりながら防げなかったことで結果的に〝助長〟することとなる育て形であり、死の形でもあると言える。
これは赤ちゃんポスト設置が親の「養育放棄を助長する」とする危惧論、もしくは反対論が赤ちゃんポスト設置に契機を置いているものの、それが逆に子供の命を救う危機管理の役目を果すのに対して、児童虐待に於ける親の〝養育放棄〟への児童相談所等の関与が虐待死や、虐待死に至らなくても、子供の人格損壊を許してしまう方向に佇むばかりで、必ずしも子供の命を救う危機管理的な契機とはなっていない対応不備・危機管理不全と比較して考えた場合、意義を認めないわけにはいかないのではないだろうか。
いわば赤ちゃんポストは子供の生命優先の思想を基盤としていて、対して同じ思想を担うべきはずの児童相談所やその他の関係機関は担いきれていない不活発な状況にある。
安倍首が赤ちゃんポストに反対なのは、「匿名で子どもを置いていけるものを作るのがいいか、大変抵抗を感じる」とする主張そのものが証明していることだが、「子供を置いて」いく主体である親の行為のみ、その責任のみを問題としていて、子供の生命に対する視線が一切ないことが仕向けている反対思想からであろう。
安倍首相が国民無視、国家主体の国家主義者たる所以がここにある。子供は家で親が育てるとする制度・形式を後生大事とし、中身をなすそれぞれの命は問題としていない。
これは中身の命よりも家を優先させるハコモノ思想以外の何ものでもないだろう。元従軍慰安婦や強制連行中国人元労働者、あるいは中国人残留帰国孤児に対する姿勢も、それぞれの命に向けた配慮を欠いていることが可能としている姿勢であって、そのような姿勢から判断できることは、北朝鮮拉致被害者の救出は国民の生命・財産を守るとする目的からだとする姿勢はタテマエに過ぎず、政治史に刻むべく自分の手柄とする、あるいは拉致解決という金字塔を打ち立てる、被害者自身よりも自分の名前を優先させるハコモノの国民の生命・財産思想である疑いが濃厚となる。
棄てられる乳幼児を救う目的で設置されたばかりの熊本県の慈恵病院の赤ちゃんポストに棄てられた(棄てたか預けたかは、親の姿勢にかかっているが)名誉ある第1号が乳幼児とは程遠い3歳児(ぐらい)だった。「父親に連れてこられた」と本人は言っているという。
本人は第1号だという名誉ある勲章を、それも新生児ではなく、3歳になってからの、スポーツの世界で言えば、既に引退間近の年齢になってからということになる特別待遇となる勲章を背負って自らの人生を歩むことになる。なかなか自分からでは滅多には得ることが難しい運命といったところで、結構なことではないか。尤も第1号だと本人が知ればの話だが。
夜中にパソコンを叩くつもりで早くに寝たはいいが、昼寝が過ぎて寝つけなく、9時頃に目を覚ましてどのチャンネルかも分からずにテレビをつけたら、安倍首相が3歳児のことで記者の前で喋っている。既にNHKの大相撲放送の前のニュースで聞いていたから、何気なく聞いていただけだったが、その後古舘伊知郎が顔を覗かせたから、ああ、報道ステーションかと気づいた。古館は「政治家は当たり前のことしか言わない」と独り言のように言った後を受け継いだコメンテーターの朝日新聞の編集委員だとかいう加藤千洋先生がコメンテーターにふさわしく政治家を超える当たり前のことをもっともらしい顔で喋った。
「賛否両論がありますけど、記憶に残る3歳男児をもし父親が来て棄てたのだとすると心にキズが残る。棄てるべきではなかった、無責任だ」といった表面をなぞって解説するだけのごくごく当たり前のコメントで、さすがと思いながらバカらしくなってテレビを切ってしまった。
「賛否両論がある」と言うが、本人は賛否のどちらなのだろう。賛成なら、赤ちゃんポストと切り離して論ずべき事柄で、そうなっていないから、だったら反対なのだろうかと推測しても、要領を得ない。
「心のキズ」にしても、キズをキズとしていつまでも抱え込む人間もいるが、心のキズとして残さずに、バネとする人間もいる。いわば人格形成に与える決して小さくはないであろう影響は常に悪い方向に向かうばかりとは限らない。人様々であって、記憶に残る年齢であろうがなかろうが、棄てられたという一事だけで物事がすべて決定するわけではない。
とすれば、決して簡単なことではないが、周囲の大人が担うべき役目は心のキズをバネとする方向に導くことだろう。こういうことがあって、ああいうことがあった、そうすべきだ、すべきでないなどと表面をなぞっていても始まらないのではないのか。
人間は罪を犯す生きもの、あるいは犯してしまう生きものであることを弁えることもできずに、罪を犯すべきではなかったと役にも立たない繰言を言ったに過ぎない。
赤ちゃんポスト設置には新聞・テレビがあれほど大量に報道しているのだから、当たり前の生活者なら設置対象が新生児・乳幼児の類だと周知徹底しているはずである。熊本県外からわざわざ目差したとすると、父親は赤ちゃんポストにそれ相応の知識がなかったはずはない。
この見方が正しいとしたら、父親は遠い距離と距離に見合う時間をかけて既にしっかりと歩ける3歳(ぐらい)の男児をポストの扉を開けて置き去りにする一種の年齢制限無視を年齢制限無視だと知っていて大胆にも犯したことになる。
父親が自分の息子が既に中学生になっているのに、身体が小学生並みに小さいのを利用して、どこに連れて行くにも小学生料金しか払わない大胆さに似ていないこともない大胆さである。
子供に与える心理的影響は前者と後者でどちらが大きいかは、受け止めようによって個人差が生じるから、一概に棄てられた子供の方が大きいとは即断はできないはずだ。
年齢制限無視の大胆さを父親に強いた容易に考えることができる一番の理由は赤ちゃんポスト反対派が反対の根拠としている「助長しかねない」とするまったくの「養育放棄」であるが、わざわざ県外からやって来て暗黙的な了解事項に達している年齢制限を無視したのは赤ちゃんポストに預けることによって自分の良心の痛みを少しでも和らげる意図があったとしたら、情状酌量の余地がないわけではない。
人間の世界は何でもありとする考えに立って見るとすると、最も意地の悪い見方は、想定外の年齢の子供を置き去りにする衝撃性を利用して赤ちゃんポストが「養育放棄を助長しかねない」措置だとする警告を発した可能性を100万が一も疑えないことはない。とにかく何でもありなのだから、驚いてもいられないし、表面をなぞるだけでも済まないはずである。
赤ちゃんポスト設置は生まれたばかりの子を棄てて死に至らしめる事態が少なくないことに対する一種の危機管理であろう。いわば幼い子供の命に対する危機管理であって、親の命に対する危機管理ではない。勿論「養育放棄」という問題は残る。
例えそれが「養育放棄」そのものからの捨子であっても、捨て子は何も捨てるという実質的行為を伴った捨て子ばかりはない。夫婦の間で家庭内離婚とか家庭内別居があるなら、親子の間にも実際に棄てられていなくても、家庭内捨て子という捨て子状態が存在するはずである。家庭内離婚状態の父母の間でどちらの味方につくこともできずに、子供として宙ぶらりんの状態に置かれた家庭内捨て子。あるいは母親に味方したためにその代償に父親に親しみを見せることを子供自らが禁じたことによって、その反対給付として与えられることとなった父親との関係に限った家庭内捨て子等々。――
夫婦仲がよくても、夫婦揃ってパチンコやカラオケに行くために幼い子供だけが部屋に残されたり、車の中に外から鍵をかけられて残されたりする当たり前の「養育」から外れた家庭内捨て子といったこともあるだろう。
実際の棄て子、いわば家庭外捨て子だけではなく、家庭内捨て子も人間である以上、それぞれに何がしかの心のキズを負うはずである。
周囲の大人にとっては却って家庭外捨て子の方が事実を目で把えることができるから、少なくともどう対応すべきか方法論を打ち立てることができる。その方法を役に立つように生かすことができるかどうかは別問題だが、対応が取りやすいのに対して、家庭内捨て子の場合は第三者からは簡単には窺うことが困難なゆえに始末に悪いという側面を抱えているということもあるだろう。
家庭内捨て子への恨みが原因となって、中学生・高校生になってからの親殺しということもあるかもしれない。
安倍首相の記者会見での言葉。NHKのニュースから。
「そうした事実があったと、いうことについては、え、私は聞いておりません。いずれにせよですね、ええ、そのように、え、子供を置いてくる前に、ええ、児童相談所初め、ええ、ま、そうした相談する体制がありますので、ええ、色々と育児の悩みがあれば、相談してもらいたいと思います」
誰に向けたメッセージなのだろうか。3歳児を置き去りにした父親だとすると、既に置き去りにしてきてしまった父親に「子供を置いてくる前に、・・・・・ええ、色々と育児の悩みがあれば、相談してもらいたいと思います」はおかしいし、言葉のつながりからすると、棄てるかもしれない捨て親予備軍が最も可能性が濃厚だが、月並み・紋切り型の意見表明に過ぎず、問題提起の深刻さが何も伝わってこない。多分、質問されたから答えないわけにはいかず、ただ単に喋ったといったところで、メッセージの体裁をなしていない。
満足なメッセージを発することもできない一国の総理大臣という図式はどういった逆説、あるいは単細胞によって成り立っているのだろうか。
柳沢「女性は産む機械」発言大臣は「これはかねてから申上げているように、あってはならないことだと思います」
塩崎官房長官「あってはならならないことで、非常に遺憾だと思います」
「あってはならないこと」とは殆ど起きないことがたまたま起きたことを言うのではなく、よく起きることを言うのであって、当然起きた一つの事を取り上げるだけでは問題解決とはならない。そのことに気づくだけの頭がないらしい。
このことは政治家・官僚のカネに卑しいコジキ行為はあってはならないことだが、あってはならないことだからといってたまたま起きることではなく、逆にいくらでも起きるあってはならないこととなっていることを見れば、よく分かる。
要するに、よくある出来事の一つに過ぎないのだから、3歳児遺棄一事を以て「あってはならないこと」だからと、赤ちゃんポスト否定に向かうのは筋が合わない。国会議員があっちでもこっちでもカネに卑しい振舞いに及んでいる。あってはならないことだから、国会は廃止せよと言うようなものだろう。
どのような道徳論を振りかざそうとも、子棄ては決してなくならない。いくら「養育放棄を助長」しようとも、優先すべきは幼い命に対する危機管理対策であろう。100人の親の「養育放棄」を抑え込んだとしても、一人の幼い命を失わせてしまったのでは、その対策は危機管理としての意味を失う。
A級戦犯合祀、御意に召さず
S20/2月14日(水)近衛文麿(10・20-11・20侍従長病中に付、木戸内大臣侍立。重臣〔拝謁〕のつづき也)。
〈注〉重臣拝謁の近衛の日である。このとき近衛は「勝利の見込みのない戦争を、これ以上継続することは、まったく共産党の手に乗るものというべきでありましょう」といい、軍部の中の〝かの一味〟を一掃することが緊要である、と天皇もア然となることを奏上する。そして「上奏文」を奉呈した。その中に、この戦争は一貫した陸軍の計画基づく侵略戦争であり、日本を共産革命化する〝五十年戦争計画〟によって進められている、などと驚くべきことが書かれていた。
――「軍部の中の〝かの一味〟」とすることで、自分たちの責任・無能を逃れることができる。責任転嫁のために持ち出した陰謀説。自分で東条英機を後継推薦しておき、自分で東条打倒の先鋒に立った木戸と同じ責任回避の構造。
S20/3月9日(金)〔10日〕0・15-2・40、B29 120機帝都来襲、中心部を爆撃す。被害甚大なり。
〈注〉深川・本所・向島など東京下町が、夜間の低空による焼夷爆弾攻撃という新戦法で、一夜で壊滅した日である。死者8万9千。総指揮をとったルメイ少将は「日本の家屋は木と紙だ。焼夷爆弾で十分に効果があがる」と、それまでの昼間の高高度からの爆弾攻撃作戦を変更した。B29の大編隊による日本本土焼尽夜間攻撃が、この日からはじまった。戦後、そのルメイに日本政府は最高の勲章を与えている。
――政治の中枢部である首都は防衛体制が最も堅固に準備されているはずである。それが一挙に120機もの空からの攻撃を許し、「死者8万9千」も数えた。防衛力が如何に脆弱化していたか、この時点でもはや国は持たないと悟るべきを徹底抗戦を掲げるばかりだったのだから、そのことを誰も悟らなかった。
S20/3月16日(金)17日前2・00過より、B29数十機神戸付近を盲爆す。
〈注〉この日、硫黄島で頑強な戦闘を続けていた総指揮官、栗林忠道中将からの訣別の電文が大本営に送られてきた。
「・・・・今や弾丸尽き水涸れ、全員反撃し最後の敢闘を行はんとするに方(あた)り、熟熟(つらつら)皇恩を思ひ、粉骨砕身も亦悔いず・・・」
この電文を最後に連絡が絶える。
3月26日、日本軍玉砕。硫黄島の戦闘は終る。日本軍の死傷者2万数百人(うち戦史1万9900人)、米軍の死傷者2万5千900人、
S20/3月18日(日)戦災地巡幸(8・55-10・07)。今回の行幸は極秘にて、遽(にわ)かに仰出されたるものなり。従って、御警護など常侍る依らざりき。
〈注〉藤田侍従長の『回想』にある。深川から本所へ、さらに浅草から上野へと一巡した。焼け跡に立つ都民は驚きと敬虔のまざった複雑な気持で、金色の菊の紋章のついたあずき色の車を迎えた。天皇はいった。
「大正12年の関東大震災の後にも、馬で市内をまわったが、こんどのほうがはるかに無惨だ。(略)侍従長、これで東京も焦土となったね」
――心象風景としては、天皇が置かれていた裏切られた自己状況を象徴する焼け野原だったのではないだろうか。そのときは気づかなくても、戦後のある時点で気づいたに違いない。蚊帳の外に置かれていた末の結末。蚊帳の外で見舞わされることとなった最終局面。
S20/4月1日(日)敵は沖縄本島に上陸する。
〈注〉この日の午後2時には島の中央部にある読谷、嘉手納両飛行場が占領される。なぜこれほど容易に?そこには沖縄戦を事実上の本土決戦と見る海軍と、これを来るべき本土決戦のための出血持久の前哨戦とする陸軍との、戦略戦術的対立があったからである。それにしても地上戦闘は悲惨を極めた。組織だった戦闘といえるものはなく、沖縄県民をまきこんでの〝火と鉄の暴風〟による殺戮に近かった。死者は軍関係(中学生や女学生の義勇兵も含む)10万9千600人、一般県民10万人を超える。
S20/4月5日(木)小磯首相(10・37-10・50.辞表奉呈)。(中略)鈴木〔貫太郎〕
枢府議長(9・58-10・05)組閣の大命拝受。(後略)
〈注〉この日、モスクワでソ連外相モロトフから佐藤尚武駐ソ大使に、日ソ中立条約延長せずの通告があった。『大本営機密戦争史』4月7日の項にある。
「佐藤駐ソ大使より日ソ中立条約破棄通告時におけるモロトフとの問答経過を報告し来る。モロトフが案外冷厳なる態度を持しある点より観て、既にソ連は帝国を准敵国視する腹なるべし」
ここまで正確な判断をしながら、なお条約有効期間をあてにするとは、日本人は甘かったというほかない。
――元々ソ連とは敵対関係にあった。日本が負け犬となれば、なおさらいつまでも付き合ってはいないだろう。分かっていても、溺れる者、藁をも掴む。当てにするしか方策なし。最初から方策らしい方策もなく、猪突猛進的に戦争を始めたのではなかったか。
S20/4月13日(金)宮内大臣(ルーズベルト死去奏上)。(後略)
――S20/5月5日(土)」の日記の〈注〉に、「4月30日、ヒトラー総統自決。そして5月7日、盟邦ドイツは無条件降伏する。9日には日本政府は、トイツ降伏にかかわらずわが国の戦闘遂行決意は不変である、と声明した。」とある。結果的に広島・長崎の原爆を招いた「声明」となったに違いない。
S20/5月16日(水)B29百数十機、夜間、名古屋に来襲す。熱田神宮、本殿及屋根一部炎上。
S20/5月25日(金)B29 二百五十機来襲、焼夷弾を投下す。都下に大火災発生す。――宮城も火災。
〈注〉宮殿本殿を焼いたのは、皮肉にも三宅坂上の参謀本部からの飛び火であったという。満州事変以来の陸軍の横暴の歴史を、何か象徴するようである。(後略)
S20/6月8日(金)前10時より正午迄、御前会議。重要国策に付、審議せらる。
〈注〉この御前会議で決定された大事なところは次のとおり。「方針=七生尽忠の信念を源力とし、地の利、人の和をもってあくまでも戦争を完遂し、もって国体を護持し、皇土を保護し、征戦の目的の達成を期す・・・」
すなわち徹底抗戦、最後の一兵までの決意である。天皇はこれを裁可した。
――相変わらずの精神論一辺倒。聞こえは勇ましいが、具体策のなさに比例して、言葉は勇ましさを否応もなしに獲得するに至る。
戦争を終らせるのは難しいと自ら言っていた困難な道を敢えて採るべきを、勢いで取り掛かることができる簡単ではなるが、より最悪な徹底抗戦を天皇は「裁可した」。愚かしいこと。
S20/6月15日(金)本日は、終日御床にあらせらる。御回復は極めて御順調に荒らせらる(昨夜より御下痢あらせらる)。
〈注〉天皇は戦争勃発いらい、風邪を引くことはあっても政務を休んだことは一度もなかった。「聖上昨日から御不例に渡らせられる」と野田海軍侍従武官の日記にあり、陸軍の尾形侍従武官も「聖上昨日よりご気分悪く数回下痢遊ばされ、今日は朝より休養なり」と日記に記した。この小倉日記でいっそう確認されたことになる。仮説であるがわたくしはこのとき天皇は戦争終結の決意を固めたと考えている。
――ヒステリー症状のように人間は自身の感情の許容量を越える感情を発すると、身体の変調を伴う場合がある。
S20/6月22日(金)本日午后3時より開催せられたる、最高戦争指導会議に臨御あらせらる(総理、陸海両総長、同両大臣、外相)。
約30分にて終了す。本日の会議には特に〔天皇の〕御召に依り、開催せられたるものと拝す。
〈注〉この会議における天皇の発言は、諸資料でほぼ共通している。
「戦争指導に付ては、先の御前会議〔6月8日〕で決定しているが、他面、戦争の終結についても、この際従来の観念にとらわれることなく、速に具体的研究を遂げ、これを実現するよう努力せよ」
だれもが口に出せなかった「戦争終結」を天皇がはじめていった。このときに終戦への第一歩がやっと踏みだされたのである。
――例え天皇が「戦争終結の決意を固めた」としても、従の関係にある天皇は軍部という障害を越えたわけではない。「決意を固めた」ものの、みなの意見を聞かなければならなかったのは、そのためだろう。
S20/6月23日(金)(前略)聖上には、自分の御生れ遊ばされてよりの御住居が、皆無くなった、高輪(大正震災)、御誕生の青山御殿、霞関離宮、宮城と四つなくなった。此処だけ残っている、と仰せあり。皇后宮にも、渋谷の御殿、麻布御殿など無くなってしまったと仰せあり。府中第三高女に御下賜の御花御殿の、戦災を免れたるを申上げたる処、御満足に思召されたる。(後略)
<注>沖縄侵攻の米軍総司令部は、6月23日、沖縄戦の終了と正式占領を表明した。菊水第一号より第十号出撃まで、のべ2千867機を投入し、精根尽くした日本海軍の特攻作戦も、この日で打切られた。米艦隊の艦船の損傷368隻、沈没36隻、飛行機768機を喪失したと、戦後の米軍の記録は伝えている。
――6月23日の日記は沖縄に関しての情報は一切触れていない。沖縄がかくも無惨な結末を演出していることに反して、皇族は自分の住いの喪失のみに関心を寄せている。いい気なものである。住む場所を一切合財無くし、青空しか住む場所のない国民は頭にはないらしい。
S20/6月27日(水)后0・50、上野発、長野県に向け加藤〔進〕総務局長、東部軍の井田〔正孝〕中佐、小林少佐、同道せり、と庫温泉に泊す。
翌日午前、松代在の山中(烽山)に築造せる地下工事を視察す。
〈注〉日本陸軍は、本土決戦となったとき、東京は海に近く平野にあるゆえとても守れないと考え、長野県松代に皇室ならびに大本営を移すという案を立てた。そこでひそかに築城工事をはじめたのが19年9月中旬、それが完成となったのであろう。が、この年の晩春ごろそのことは知れ渡り天皇の耳にも入った。天皇は不快げにいったという。
「私は行かないよ」
――天皇は戦争終結の方策の模索を言いつけているが、陸軍は着々と本土決戦に備えている。天皇の意志が日本を動かしているのではなく、軍部(特に陸軍)が動かしている。天皇一人の「決意」が如何に力を持たないかをも物語っている。天皇の意志は戦争終結に関するだけではなく、すべてに於いて最初から最後まで力を持つに至ってはいない。それが天皇の姿だった。
S20/8月9日(水)ソ連、今暁零時を期し、日本と交戦状態にある旨、宣戦を布告し、ソ満国境並、北鮮国境を越え侵入、攻撃し来れり。我亦自衛の為め之に応戦す。事態極めて重大となれり。去る6日8時過、広島に対し原爆らしきものを投じ大被害を惹起。その際、李ぐう公殿下(李王垠の甥)御負傷、終に薨去遊ばされたり(7日前5時5分)。遺骸は海軍機を以て宮城に御運びす。
S20/8月14日 本日異例の御前会議に於て、聖断に依りポツダム宣言を受諾することに決せる由。内閣全閣僚、内閣書記官長等、統帥部首脳出席。陛下には、卿等色々意見もあろうが、之以上国民の惨害を見るに忍びずと、御涕泣遊ばされつつ仰せあり。各員慟哭、茲に受諾に一決せる由。全く御聖断に依るもの、恐懼に堪えず。直に大詔を煥発あらせられ、夜、表拝謁間に於て、御放送録音。四句5日正午、放送せられたり。一億慟哭す。
――「之以上国民の惨害を見るに忍びず」ではなく、もはや打つ手を失ったからだろう。「国民の惨害」は口実に過ぎない。8月14日に言う通りの「聖断」が有り得たなら、S20/6月22日に「戦争終結の決意を固め」たその時点でも有り得た「聖断」となる。だが、その可能性を有効化させることもできずに引きずったまま1ヶ月半も経過した時点でのポツダム宣言受諾である。その間に広島原爆投下が8月6日、長崎原爆投下が3日後の8月9日と立て続けの形で受けている。それまで「戦争終結の決意」は「聖断」の形を取ることなく、かくまでも意味をなさなかった。「国民惨害」を言うなら、もっと早くに言わなければならない。
文藝春秋掲載の『小倉庫次侍従日記』は上記8月14日で終っている。半藤利一氏の解説も合わせた全体を通して窺うことができる事柄は大日本帝国憲法に位置づけられた確固とした天皇の権力・地位に反した軍部・政府に従属した天皇の姿である。その姿は一般国民と同様に情報操作の対象とされるまでに軽い扱いを受けていた。天皇共々、軍部・政府が国民騙していたわけではない。情報操作・情報捏造に於いても天皇を蚊帳の外に置いていた。
天皇がその当時は気づかなかったとしても、大本営発表の戦果や国の重要政策を含めて天皇自身に上奏された情報の数々が上奏者に都合よく捏造・操作したものだったことを情報の届かない孤島に閉じ込められていたわけではない、戦後、学ばなかったはずはない。自身の愚かさも学習したことだろう。「立憲国の天皇は憲法に制約される」として開戦責任を回避したのは敗戦の翌年のことで、まだ何も学習しなかった可能性も考えられる。
それから20年30年と年数の経過と共に多くを学んだはずである。あの戦争は何だったのか。どのような国策のもとに遂行されるに至ったのか。そこで自分は何をなしたか、なさなかったか。自分は何者だったのか、どのような存在だったのか。
言葉を替えて言うなら、何が〝真〟で、何が〝虚〟であったかということだろう。そして殆どが虚に満ちていたことを学んだに違いない。天皇自身も〝虚〟の場所に置かれ、〝虚〟の存在とされていたが、A級戦犯となった者、その他が聖戦だとか東亜新秩序だとか、アジア解放だとか八紘一宇だとかの〝虚〟を演出した。戦争遂行政策そのものが〝虚〟で成り立っていた。
国を無惨に破壊し、国民に多大な犠牲を強いたそのような〝虚〟の主たる演出者を靖国神社に合祀する。天皇の名で犠牲になった国民と天皇の名で国民に犠牲を強要した側のA級戦犯が区別なく、そう区別なく合祀された。それは新たな〝虚〟ではないか。
「A級戦犯合祀が御意に召さず」は人間として天皇として多くの〝虚〟を学び、学ばされた結果の自然な感情の行く末であったろう。
もし「A級戦犯合祀が御意に召」して合祀された後の靖国神社をも参拝したとしたら、戦争中の天皇のありよう、天皇制の実体・日本の戦争の実態、その〝虚〟を何も学習しなかったことになる。
昭和天皇が「A級戦犯合祀が御意に召さ」なかったということなら、A級戦犯合祀前の天皇の靖国差参拝は、国のため・天皇のためという〝虚〟の犠牲となった一般兵士を追悼する参拝だった。
片やわが日本の美しい国家主義者・安倍晋三総理大臣は戦後A級戦犯容疑を受けて巣鴨プリズンに拘留され釈放された侵略戦争加担者である岸信介おじいちゃんの膝に美しい孫として抱かれ、自己正当化のために日本の戦争は自存自衛の戦争だった、アジア解放の戦争だったとする美しい日本ばかりを聞かされて御坊ちゃん育ちしたのか、〝真〟と〝虚〟を学ぶ合理的な客観的認識性を身につけるに至らなかったのだろう、「A級戦犯は国内法では犯罪人ではない」と彼らを〝真〟とする擁護を行い、それと同じ解釈で「侵略戦争の定義は定かでない。政府が歴史の裁判官になって単純に白黒つけるのは適切でない」と戦前の日本の戦争そのものを〝真〟としたい一方向のみの欲求に立った擁護を行っている。
「国のリーダーたるもの、国のために戦った人に追悼の念を捧げるのは当然。次の総理もその次の総理も靖国に参拝してほしい」とする、天皇の〝A級戦犯合祀、御意に召さず〟とは真っ向から反する戦争正当化からの靖国思想信奉者にふさわしい靖国参拝首相義務化衝動にしても、戦前の日本の戦争を〝真〟としたいのと同じ文脈にある欲求としてある。
安倍晋三の「A級戦犯合祀が御意に召」した靖国参拝は「国のために戦った人」と戦死者全体を指しているものの、追悼の主たる対象は戦争遂行者の側に立っていたA級戦犯、その他の戦争指導者ということになる。戦争肯定は一般兵士の肯定であるよりも、より優先的に戦争指導者の肯定へと向かうからである。
A級戦犯やその他の戦争指導者を主たる追悼の対象とすることによって、安倍晋三は自らの国家主義に美しい一貫性を与えることにもなる。そして中国・韓国との関係で現在は靖国神社参拝の足止めを窮屈なまでに強いられているが、「A級戦犯合祀が御意に召」す意思表示に参拝・追悼の思い止み難く、足止めの代償に今年は4月21~23日の春の例大祭に合わせて内閣総理大臣と木札に書き入れた榊の鉢植えの供物に変え「A級戦犯合祀が御意に召」す思いを叶えさせた。その巧妙狡猾な小賢しいばかりの策士振りは戦争中の松岡外相なみである。そういえば名前だけではなく、人間まで似ているもう一人の松岡がいる。類は友を呼ぶというわけだろう。
昨年7月、昭和天皇が靖国参拝を中止した理由がA級戦犯の合祀にあったとする富田メモの発見に関して時の総理大臣小泉純一郎は、「詳細は分かりませんが、これは心の問題ですから。陛下自身に於かれても、様々な思いがおありになったんだと思いますね」
「それぞれの人の思いですから、心の問題ですから。強制するものでもないし、行ってもよし、行かなくてもよし、誰でも自由ですね。あの人が、あの方が言われたからとか、いいとか悪いとかいう問題でもないと思っています」
確かに「心の問題」であり、「人の思い」ではあるが、日本の戦争の〝真〟と〝虚〟にまで思い及ばすことができない「心の問題」、「人の思い」となっている。安倍晋三と同様に客観的認識能力が未発達で、軽薄短小な上っ面の洞察しかできないからだろう。そしてその年(07年)の年8月15日の終戦の日を特に選んで、A級戦犯合祀何のそのの首相としての最後の参拝衝動を満たした。
小泉も安倍もその他も、戦前の軍部・政治権力者が天皇を軽んじていたからこそ、無謀な戦争計画を立てることができ、無謀な戦争遂行と無益な計り知れない犠牲者を国民から出すことができたように、「A級戦犯合祀が御意に召さず」の天皇の意志を無視、軽んずることができるからこそ、「御意に召」そうが召すまいが、A級戦犯合祀を自らの〝真〟として靖国神社に参拝・追悼の勲章を与えることができる。天皇制の二重構造を日本の歴史・伝統・文化として戦後も受け継いでいるからである。。
何も学ぶことができなかった愚か者たち。
(終)