また「宴乃桜」さんからコメントをいただいた。
忙しい方なのに、私のブログまで見ていただいて、
コメントまで打ってくださる情熱に感謝。
「執着を捨てきれない」とか。まだお若い。
私も40代の頃はそうだった。会津藩士の血という
過去へのこだわりも捨て切れなかった。
それが、虚無僧として、先祖ゆかりの地を回って、
先祖の供養をし、昨年は薩摩へ、今年は土佐高知へ
ついに足を踏み入れた。墓も建てられなかった先祖の
無念を思うと、仇敵怨敵の地だ。でも、鹿児島と高知
を回ったことで、わだかまりがスッーと消えた。
土佐の血を引くという「桜」さんとの出会いが、そう
させたのかも。
人への恨みも憎しみも、過去へのこだわりも、執着も
一切消えた。人を責めることもなく、今心穏やかに
過ごしている。それは尺八の音にも現われている。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
忙しい方なのに、私のブログまで見ていただいて、
コメントまで打ってくださる情熱に感謝。
「執着を捨てきれない」とか。まだお若い。
私も40代の頃はそうだった。会津藩士の血という
過去へのこだわりも捨て切れなかった。
それが、虚無僧として、先祖ゆかりの地を回って、
先祖の供養をし、昨年は薩摩へ、今年は土佐高知へ
ついに足を踏み入れた。墓も建てられなかった先祖の
無念を思うと、仇敵怨敵の地だ。でも、鹿児島と高知
を回ったことで、わだかまりがスッーと消えた。
土佐の血を引くという「桜」さんとの出会いが、そう
させたのかも。
人への恨みも憎しみも、過去へのこだわりも、執着も
一切消えた。人を責めることもなく、今心穏やかに
過ごしている。それは尺八の音にも現われている。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。