現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

栄の呉服町にて

2008-10-31 08:40:09 | 虚無僧日記
名古屋の中心栄に出る。国際ホテル、丸栄がある一画、
そこは、その昔呉服町。江戸時代、東照宮の祭礼行列に
この町内の子供達は虚無僧の恰好をして先払いを勤めた。
その祭りをいつか再現したいと思っている。名古屋祭り
などで子供たちの虚無僧行列だ。

そんな夢を描きながら、交差点で吹いていると、女性が
財布を開けて近づいてきた。見覚えのある顔、宮腰さんだ。
真如苑の琴クラブで2、3度合わせたことがある。その後
ご主人の転勤で大阪に行かれ、以来ご無沙汰になっていた。

思わず天蓋を上げて顔を見せると、「まあ!」と驚きの顔。
「私も(真如苑で)修行しているから、修行僧をみると、
必ず布施するようにしているの」と連れの友達に語った。
そして1,000円も入れてくれた。これで今日の目標達成。

「でも でも でも」である。真如苑で唱える『密厳院発露懺悔文』には
「形を沙門に比して信施を受く、顕わに取り、密かに盗る他人の財」
とあるのが頭をよぎる。僧でない者が僧の形をして施しを受けるのは
罪だが、それも弁えた上で喜捨される。真如苑の人たちは底抜けに
善人だ。その善人の心にどう応えられるのか、重い課題を突きつけ
られているのだ。


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露天商

2008-10-31 07:22:25 | 虚無僧日記
大須観音に行ってみた。
骨董市をやっていた。朝から中高年者ばかり、すごい人。
ブランド物のバッグや財布が、飛ぶように売れている。
万札がとびかう。だが、虚無僧には目もくれない。

露天商のひとりが声をかけてくれた。「おや珍しい、
虚無僧だよ、どこの寺で修行された?」と聞く。
虚無僧は寺で尺八を習うわけではないのだが、説明するの
もややこしいので、「京都明暗寺です」と答えると、
「わしも京都から来た、そうかそうか、京都か」と、
喜捨してくれた。騙したような気分。

そこで仏像も何体か売ってはいたが、とても手が出ない。
円空仏もあった。本物かどうかわからぬが、本物と思う
人には本物、偽物と思う人には偽物。虚無僧をありがたいと
思うか、インチキと思うか、同じことか。

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ティッシュ配り

2008-10-31 07:13:29 | 虚無僧日記
朝8時から名古屋駅前に立つ。寒い中、ミニスカートの
女の子たちが、大きな声を張り上げてティッシュ配りを
している。最近は、ティッシュでも受け取る人は少ない。
私はティッシュを欲しいのだが、虚無僧には「どうぞ」と
言ってくれない。人通りが絶えた頃合をみて、「ちょうだい」
と手を出して受け取る。サラキンの広告だった。

かつて私はサラキン地獄で苦しめられ、そして今虚無僧を
している。虚無僧になる決断をさせてくれたのもサラキンの
おかげ。ティッシュをありがたくいただく。感謝感謝。

聞くと、朝7時から配っていて、時給1,000円とのこと。
1,000円だったら、張り切って仕事に精出すのもわかる。
なかなか受け取ってもらえない中、割り当てられた分を
全部撒くのも、結構大変だろう。


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