現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

2/2 満願のはずが・・・・

2011-02-02 23:23:06 | 虚無僧日記
2/2 今日で「真如苑の寒修行」が終わった。10日間全日貫けた。
「虚無僧修行」の方は、10月27日から始め、今日で100日目、
「満願」に なるはずだったが、13日も残ってしまった。
東京に行ったり、仕事がはいったため。雨で出れなかったのは
1日だけだった。

「真如苑」も「朝起会」も、「ただ自分ひとりで修行している
だけでは“ 小乗 ”の学び。“ 大乗利他行 ”は、“ 世のため
人のため ”に尽くす実践」と教える。毎日が実践行。

2/3 は「節分」。4日は「立春」私の誕生日。ということで、
3、4、5と東京に行ってきます。このブログも3日間中断
します。


虚無僧行脚」の模様を抜き出し、英語訳もつけて
紹介していただいてます。クリックして ご覧ください。

名古屋駅・虚無僧」クリックすると「虚無僧」の写真が見れます

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2/1 虚無僧 86日目

2011-02-02 00:29:04 | 虚無僧日記
名古屋駅から帰る途中「大門」の所に「味噌煮込みうどん」の
「山本屋本店」がある。一度食べると、その味が忘れられなくなる。
だが、値段が高くて、おいそれとは入れない。年に一度 ごちそう
してくれるSさんのことを思い浮かべていたら、なんと電話がはいった。
「また、味噌煮込みを食べたくなったから、時間 あいてないか」と。
正に「願ったり叶ったり」。今日、鈴花とともに、ごちそうになった。
値段は、3人で1万円。

「虚無僧って何だろう?」と自問自答の日々。
以前、民放テレビの取材を受けた時、布施をいただいて、その金で
帰りに、虚無僧の格好で「吉野家」にはいり、牛丼を食べるシーンを
撮りたいという。一般の人にとっては、そういうイメージなのだろう。

喜捨いただいたお金で 買い食いすることはない。もっとも、布施の
額は、地下鉄代460円を差し引くと、一日平均 100円以下だから、
缶コーヒーも買えない。しかし、いろいろな方が、食べ物を持ってきて
くれたり、ごちそうをしてくださるから、食べるには困らない。
食費はゼロ。一日一食の日も、食べない日もあるが、もう慣れている。

そこで思う。喜捨いただく金は わずかだが、「虚無僧」ということで、
いろいろな方が、食べ物を施してくださる。それだから「喜捨いただいた
金では食べていないが、虚無僧で生かされている(食べている)」と
言えるか。

本日「味噌煮込みうどん」をごちそうになった夜は、12時まで吹いても、
喜捨は0でした。まさに「楽あれば苦あり」。でも「幸せ」を感じる。



虚無僧行脚」の模様を抜き出し、英語訳もつけて
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ただ会いたい~母へ

2011-02-02 00:04:14 | 虚無僧日記
NHKラジオ土曜夜「今月のユアソング」で流れている曲。
西つよしの「ただ、会いたい~母へ」。

3歳で、デパートの屋上に捨てられた子が、大人になって
結婚し、まもなく子供もできる。そして「母に会いたい」
という内容の歌詞。究極の涙ソングだ。

映画『悪人』の主人公も、母親に捨てられた子だった。
「お母さんは、戻ってくるっていったんだ。でも僕の言葉
なんか 誰も信じてくれなかった」と、涙する。

以前聞いた、某養護施設の館長の話を思い出す。
「親に死なれた子はまだいい。父さん母さんは、お星様に
なって、お空から見守ってくれていると 思えるから。
その、絶対守ってくれると信じていた親に捨てられた子は、
一生人間を信じられなくなる」と。


「私は母親(あなた)のことを 恨んだりなどしてません
ただ、会いたい 会いたいだけなんです
三歳の記憶は デパートの屋上でした
青空が とても眩しいことだけ 憶えています
麦わら帽子に 泪を隠して
母親を 待ち続けた
あの夏が今年も やってきました

あれから季節は巡り 振り返る事拒んだ日
今、思えば 思えば懐かしい
同じ時間(とき) 人生 挫けない友達がいた
数々の出会い 別れが 私を育ててくれた
もうすぐ私に 子供が生まれる
母親に 伝えたい
あの夏に戻って 母親に会いたい

青空が とても眩しいことだけ 憶えています
麦わら帽子に 泪を隠して
母親を 待ち続けた
あの夏が今年も やってきました

あの夏が今年も やってきました」