現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

50歳の転機

2011-05-10 04:01:41 | 虚無僧日記
昭和20年までは「人生50年」だったのが、今や「人生100年」。
二人分生きられるのだ。

辛口評論家の「樋口恵子」氏は、「50歳は 人生の折り返し点。
50にして知る 我が新しい適性」と言う。50歳からの再出発。
「BB(貧乏ばあさん)にならないように」と 警告している。
私も 50歳で千代田生命を辞め、虚無僧となった。50歳の転身だ。

それで思い出した。スカルノ・デヴィ夫人。彼女は中学の時に
父を亡くし、母と兄姉弟の4人を養うために、千代田生命の
「給仕」さんになった。「給仕」とは「ショムニ(庶務二)」の
こと。でも、それでは 家族を養うだけの収入は得られないと、
一念発起。ものすごい努力をして、18歳の時、インドネシアの
スカルノ大統領に見初められ、第3夫人となった。

インドネシア語の学習塾など無い時代、独学でマスターしたのだ。
当時から蔑む声は強かったが、そんなのなんのその。それが、
スカルノ大統領の失脚で、天から地に落ち、数奇な人生を歩んだ。

その後がすごい。50歳で日本に帰国した時、「日本女性の
平均寿命は 80歳を超えている」と知って、過去をふっきり、
「もう一度生まれ変わるのだ」と 芸能界にデビューした。

いろいろ叩かれても屈しない逞しさには、励まされる。

ところで、樋口恵子さんも デヴィ夫人も 最近見かけない。
後半の 50年を生ききるのも大変だ。

孤独な老後

2011-05-10 04:01:26 | 虚無僧日記
「自殺防止ネットワーク・風」の理事長で 曹洞宗長寿院住職の
「篠原鋭一」氏は、「やすらぎ通信」に「あなたは、一人じゃない」と
題して、孤独な高齢者の声を紹介している。

夜中の2時に「私、捨てられたんです」と 77歳の女性から電話。
「息子も嫁も孫たちも、誰ひとりとして会いにきてくれない。
子供たちに捨てられて、生きている意味がない」と。そして 短歌一首。

「来るはずのない息子とは知りつつも 車の音にベランダに駈け」

身につまされる。

別のサイトで見つけた『北の宿から』の替え歌 

あなた 介護は いやですか
日ごと 手足が 弱ります
来ては もらえぬ 子供たち
涙こらえて 祈ります
親心の 未練でしょう
あなた 恋しい 北の窓

あなた 死んでも いいですか
胸が ドキドキ 痛みます
鏡 写して 死に化粧
厚く塗っても 変わりません
女心の 未練でしょう
日なた 恋しい 北の部屋

ほこり 混じりの どんぶりに
ごはん 冷たく なってます
食べてもらえぬ 夕飯を
お椀ならべて ただ一人
女心の 未練でしょう
あなご おいしい 北の寿司


ぞっとする歌だ。これを笑い飛ばせたら 幸せなのかも

一人じゃないって

2011-05-10 03:56:39 | 心の問題
「ひとりじゃないって ステキなことね」、天地真理の歌が
今 震災被災者の励みになっているらしい。

中日新聞に以前、「夜回り先生」こと「水谷修」氏のエッセー
がんばらなくていいよ』には泣けた。

私の目の前で、男の子が転んだ。私が、抱き起こそうとすると、
お母さんが「すみません、そのままに。この子は 自分で立てます」と。
そのお母さんが言うには、「私たち親子は、この世で2人きりなんです。
この子に父親はいません。私は 今 癌に冒され、あとわずかの命です。
私が死んだら、この子は、1人で生きていかなくてはなりません。
だから、この子を、強い子にしたいのです。この子は、これからの人生、
たった1人で生きていかなくてはならないのですから」。

私は、彼女にいいました。「おかあさん。おかあさんはとてもえらい。
でも、がんばりすぎです。決して、この子が1人きりで生きることは
ありません。今のようにこの子を育てれば、この子は、だれにも
頼らない子になってしまいます。それは間違いです。人は 1人では
生きることはできません。がんばらなくて いいんだよ」。

要約すると、そんな内容だった。

未曾有の大震災で多くの命が失われた。その後、「自死」願望の多くの
若者が、水谷先生にメールを送ってきた。「死にたくないのに、命を
絶たれた人たちのことを思えば、死にたいなんて“甘え”でした。
亡くなられた方の分まで、頑張ります」と。
その数、2万件とも。