現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

未婚率・離婚率

2011-05-21 23:31:34 | 地球人類の問題
未婚率が上がり続けている。
25~29歳の男性の未婚率は遂に70%ラインを超えて71.4%。
30年前の1975年にはまだ50%に届いていなかったのだ。
30~34歳でも 47.1%と、半分が結婚していない。

これも1975年を見ると、なんと14.3%。当時は“ 30歳にも
なれば”、7人のうち6人が世帯を持っていたのである。

当然、女性の未婚率も上昇している。25~29歳で59.0%。
これも30年前はまだ20.9%だった。

30~34歳でも32.0%で、3人に1人が結婚していない。
1975年は実に7.7%で、ほぼ 13人に1人だった。あらためて
数字を見ると、この30年の変化はすごい。

そして、今や「3組に1組が離婚」では、まともな「夫婦」
「家族」を維持できる人は 全人口の3割になるのでは
ないかと危惧される。

まさに「ハッピー・エンド」で、結婚までの単身時代が
「ハッピー」で、結婚したら「ハッピー(幸せ)は終わり」
の人生観が浮上しつつある。これも未知の世界だ。

いや、案外、平安時代の自由恋愛、「妻問い婚」、『源氏
物語』の世界に戻るのかな?

あ、いちばん

2011-05-21 20:41:48 | 虚無僧日記
「あいちばん」。愛知県で「全国一番」のもの。

なんといってもトヨタ王国。自動車関連産業の生産高や
輸出、輸入も日本1。

100m道路や、道路の総延長距離なども日本1だそうで、
そのおかげで、交通事故死は「5年連続 ワースト1」
だった。この汚名は、昨年度 返上したものの、今年また
「ワースト1」に返り咲き。自動車、自転車の盗難件数も
日本一だそうだ。

もちろん、車の総保有台数も日本一。セルフ・ガソリン
スタンドの数も日本一。

農業では、「うずらの卵=全国77%」「しそ=58%」他、
「菊、ふき、いちじく、観葉植物、洋らん、シクラメン」
などが全国一のシェア。水産では「うなぎ」と「あさり」。

野球では中日ドラゴンズ、サッカーでは名古屋グランパスが
昨年 首位に輝いた。名古屋は今、「日本の中心」との
自信を付けた。「愛を知る愛知」「なごやか名古屋」だ。

戦後の復興も目覚しかった。震災復興は「愛知版」で。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。





虚無僧 川柳

2011-05-21 20:41:26 | 虚無僧日記
「虚無僧が行く店は、混むそうだ」

「虚無僧の 宗派を問われ “吹け(普化)”宗」
 
「祖師の普化、尺八 吹けず、鈴を振る」

「虚無僧は、竹で天下の 悪を斬る」

「偽虚無僧、尺八鳴らず、顔隠す」

「とう(唐)の昔に、尺八吹けそう(普化僧)な人 いたん(異端)だ」

「異端児は、『暮露(ボロ)』と呼ばれて いたんだじ」
 

「この袈裟は、今朝作って、昼から付けても 今朝(袈裟)つけた」



「サラリーマン川柳」

2011-05-21 20:28:14 | 虚無僧日記
第一生命「サラリーマン川柳」の中で 私のお気に入りの句。
( )は 私の感想。

「上がらない 給料・職名 右の肩 」
 (そう、ついでに、妻に頭が上がらない)

「ノー残業 妻のストレス 増加中 」
 (ノー残業、ノーマネーでは 行くところも無し)

「イクメンと 乗せられ 今や 家事すべて」
  (そうそう、私も今は 家事やっている「主夫」)

「老人会 65才は パシリ役 」
 (趣味の会、ラジオ体操、モーニング、どこへ行っても私が最年少)

「子育てが やっと終わって 次は親」
 (子育てもままならず、ふり向けば 親がいる 悔悟の息子)

「いつかやる きっとやるぞと もう定年」
 ( あれも、これも、まだまだやりたいのに、寿命尽きる)

「天職を 求めて転職 今無職」
 (手に職をつけたのに、職がない、ショック)

「また買って しまって忘れて また買って」
 (また買ってしまって、同じ本が二冊 シマッター)

「好きにして 昔肯定 今否定 」
 ( 「会社辞める」「好きにして、そのかわり 私も好きにさせて」と離婚届)

「 役員の ブログで知った 社のピンチ」
 ( ブログで知らせる、私のピンチ)

人の為と書いて「偽」

2011-05-21 20:04:43 | 虚無僧って?
「人の為と書いて偽」という色紙を目にした。
ドキッである。
ボランティアも寄付も 自分の為にやるのだ。
「情けは人の為ならず」は、自分の“徳”積み
であることを教える。

これが「自分が“得”するため」なら「偽善」、
「売名行為」か。この差は、紙一重で難しい。

寄付やボランティアをすれば、自分の心の中に
暖かい火が灯り、幸せな気持ちになれる。
このたびの震災で、多くの人の心の中に灯火が
ともった。それを「偽善」という人はいない。

その心が「喜捨(布施)」にも、広がってくれると
いい。「喜捨(布施)」も見返りを求めるものではない。
「無功徳、無償の愛」。「恩は報いを求めず」とも。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

日記@BlogRanking

桶狭間の真相

2011-05-21 03:50:59 | 虚無僧日記
「桶狭間の合戦」は、「信長が 激しい雷雨の中、迂回して、
太子が根の山頂から、窪地で休息していた義元を襲った」
というのが定説だったが、最近、この「奇襲説」は否定
されている。

「桶狭間の真相(真実)」で検索すると、実に様々な説が
浮上してきている。

今川義元が、「上洛を目指して西侵してきた」という
根拠無いそうだ。尾張への略奪目的。

今川義元の領国は、駿河(15万石)、遠江(25万石)
それに 松平の三河(30万石)を合わせて70万石。
一方の、織田信長の尾張は一国で57万石もあった。
義元は、全兵力を率いてきたわけではないから、兵力の
差はそれほど無かったとも。

今川方は、松平元康のように、国人(在地豪族)の集合隊
であり、その配下は半農半兵の烏合の集。それに対して、
信長は、馬廻衆 500騎という専従の騎馬隊を養成していた。
つまり兵力的には、信長の方が優勢だったそうな。

「桶狭間の戦いの最大の功労者は、義元の居場所を報告
した簗田正綱だった」という説は、「情報の大切さ」を
説く ビジネス書だけの世界に終わったようだ。
簗田正綱に豊明が与えられたのは、桶狭間の合戦から
2年後のことなので、論功行賞には当たらないとの
反論が出されている。

最近、「今川義元は 大高の城に入っていた」という
説まで飛び出している。

「歴史的事実とは、過去には無く、その人その人の
頭の中にあるのだ」と、歴史哲学で習った。興味の無い人、
無関心の人の頭の中には、桶狭間は存在しないのだから。