「週刊ポスト」5.20 《肉喰う人々》
サバイバル登山家「服部文祥」の言葉。「命は大切じゃ
ありません。地球上に必要で大切な命なんて本質的には
無いんだ。本来的に自分は世界に必要とされていない」。
前後の流れを紹介せず、この部分だけを取り上げると、
随分センセーショナルな発言だが、私もそう思っている。
原発騒ぎで、半径○キロ以内かの 牛、馬、豚、何万頭も
するというと、誰しもが「かわいそうに」と 心痛める。
だが、普段、牛や豚は 平気で食べているのだ。私の子供の
頃(50年前)、父の里でも、牛や豚、羊を飼い、それを
売ったり、鶏をさばいて食することは、当たり前のこと
だった。そんな話しの流れで、上記の言葉となっている。
「服部文祥」氏の〆の言葉は「(命なんて必要ない)と
いうことを 心のどこかで理解して初めて、人はこの
日々を必死に生きるんですよ」と。
今、世界の人口は 60億を超えた。これ以上増えると、
地球の許容量を超え、自然淘汰が始まる。「ノアの箱船」
伝説が、ま近にせまってきている。その時、「生き残る
べき人」のリストの中に、自分は入らないのは確実だ。
釈迦は「生老病死」の不安から解脱することを説いた。
私も、この年で、生への未練も無いし、死を怖れないが、
最後の審判の時がきた時、「船に乗れる者のリスト」に
名前が乗っていなくとも、最後まで あきらめず、必死に
生きる努力はするだろう。
いや、今も必死に、日々充実して生きている。
サバイバル登山家「服部文祥」の言葉。「命は大切じゃ
ありません。地球上に必要で大切な命なんて本質的には
無いんだ。本来的に自分は世界に必要とされていない」。
前後の流れを紹介せず、この部分だけを取り上げると、
随分センセーショナルな発言だが、私もそう思っている。
原発騒ぎで、半径○キロ以内かの 牛、馬、豚、何万頭も
するというと、誰しもが「かわいそうに」と 心痛める。
だが、普段、牛や豚は 平気で食べているのだ。私の子供の
頃(50年前)、父の里でも、牛や豚、羊を飼い、それを
売ったり、鶏をさばいて食することは、当たり前のこと
だった。そんな話しの流れで、上記の言葉となっている。
「服部文祥」氏の〆の言葉は「(命なんて必要ない)と
いうことを 心のどこかで理解して初めて、人はこの
日々を必死に生きるんですよ」と。
今、世界の人口は 60億を超えた。これ以上増えると、
地球の許容量を超え、自然淘汰が始まる。「ノアの箱船」
伝説が、ま近にせまってきている。その時、「生き残る
べき人」のリストの中に、自分は入らないのは確実だ。
釈迦は「生老病死」の不安から解脱することを説いた。
私も、この年で、生への未練も無いし、死を怖れないが、
最後の審判の時がきた時、「船に乗れる者のリスト」に
名前が乗っていなくとも、最後まで あきらめず、必死に
生きる努力はするだろう。
いや、今も必死に、日々充実して生きている。