現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「やらせ」で何が悪い?

2011-08-01 21:03:02 | 社会問題
九電やらせメール「きっかけは佐賀知事会談」と第三者委(朝日新聞) - goo ニュース


玄海原発の運転再開を巡る「テレビ番組」への「やらせメール」問題。
何が何で悪いのか、私には理解できない。「国」の提供番組だ。
テレビなんて、そもそも「番組スポンサー」の宣伝媒体だ。

海江田経産相が、一度は「再開を認める。国が責任をとる」と公認した。
その時点まで、国は「再開容認」だったのだから、それを援護する声を
集めるのは当然だ。原発に従事している人たちにとっては死活問題。
彼らに意見を言う権利は無いというのか。

まるで、戦前、「戦争推進」で、マスコミも「戦争」に協力する意見
ばかりを取り上げてきた。「戦争反対の声」など、封殺されていた。
それが、敗戦と同時に「実は私は、戦争に反対だった」などという輩が
大手を振って出てきた。

それと同じ状況ではないか。

こんな事実もある。

原発反対運動を追ったドキュメンタリー映画『セヴァンの地球のなおし方』
が日本で公開され、フランス人監督のジャン=ポール・ジョー監督が来日した。

彼は、日本で さぞかし支持を得るものと思っていたが、現実は厳しかった。
マスコミの取材は直前にキャンセルになり、舞台挨拶でも客席は半分以上空席。

「わたしは、日本の皆さんを支援するために、フランスからやって来ました。
でもなぜ、今日、私の映画の客席は空っぽなんでしょう。昨日の上映会場も、
今日の上映会場も、半分以上が閑散とした空席状態なのでしょうか。
多くの脱原発を求める市民は、いったい どこに いるのでしょう? 
ほんとうに残念です」
 
ちなみに、今の私は「原発なんて要らない派」。無けりゃ無いで何とかなる。
今年は、極力エアコンを付けないでいるが、全然平気。24時間風呂もやめた。
それで、電気代は去年の半分以下。

結局、政府(自民・公明)が「原発」を推進してきたのは「利権」がらみ
だったのか。なら要らない。


「八朔」とは 8月1日のこと

2011-08-01 09:41:19 | 虚無僧日記
今日は「八朔(ハッサク)」。「8月朔日(さくじつ)」。
「昨日」ではない。「朔日」とは毎月の初め「1日」のこと。
ちなみに、月の最終日は「晦日(みそか)」。1年の最終日、
12月31日は「大晦日」。

「ハッサク」という果物がある。「夏みかん」のようで
夏みかんより皮が薄く甘い。因島の原産。

「八朔(8月1日)には食べられる」という意味で「ハッサク」と
名づけられたというが、実際収穫期は2~3月で、8月はまだ
青くて食べられない。変な話だ。

伊勢名物「赤福」では、毎月1日に「ついたち餅」として
オリジナルの品を販売している。「8月1日」は「八朔餅」と
銘打っての品。

朝、ラジオで「八朔餅の発売に 早朝から 500人も並んだ」と
いうニュースをうけて、女性アナが「八朔」という果実入りの
餅と勘違いしていた。

「赤福」の説明では、(旧暦の8月1日は、新暦では9月なので)
「伊勢では、米や粟の初穂を神前にお供えし、豊饒を祈り、
粟(あわ)餅を食べる風習があった」ということで、「八朔餅」は、
「ハッサク」入りではなく「粟餅」だそうだ。

各地に「八朔祭」というのがある。この起源は、「旧暦の8月に
なると早稲(わせ)の穂が豊かに実るので、その初穂を 貴人、
恩人に贈る風習があった。そして、この頃は台風のシーズン
でもあり、また虫害などでやられないように、「田の実」が
無事に実りますようにと「恃(たの)み」の意味を込めて、
「五穀豊穣を祈願する」という祭礼とのこと。

なるほど「田の実」が実るようにと「お頼み」。おやじギャグじゃん。

さてさて、虚無僧本寺の京都明暗寺は、毎年「8月1日」に
二条城と所司代に出仕して、年貢?を納めていた。
8月1日は、徳川家康が 天正18年(1590)の8月1日に
江戸に入城した日として、徳川幕府の重要な祝日だったのだ。

諸国流浪の虚無僧も、8月1日には 所轄の虚無僧寺に戻り、
志納金を納めて、新しい鑑札を発行してもらわねばならな
かったようだ。虚無僧にとって「年貢の納め時」だったとさ。