諏訪湖から唯一流れ出る川が「天龍川」。
岡谷市、伊那市、駒ヶ根市、飯田市、そして
天龍村をくだり、浜松で太平洋に注ぐ。全長200km。
この流域は以前、何度か旅をした。虚無僧するには
もってこいのシチュエーション。人情も厚く、虚無僧
への理解もある。
今回は、先を急ぐので、過去の思い出を振り返り
ながら、車で駆け抜けた。
そして、一つまた知り得たことがある。
飯田市の「座光寺」は、尾張徳川家の支藩「美濃
高須藩」の飛び地だったとのこと。ここも一昨年、
虚無僧で廻った。縁があったのだ。
つまり 高遠は、会津藩祖「保科正之」の出身地。
そして「座光寺」は、会津藩9代目藩主「松平容保」が
生まれた高須藩の飛び地だった。
そして、高遠から飯田までの街道を、幕末、
武田耕雲斎率いる「水戸天狗党」が 通り抜けて
いった。
それは、甲州乙黒・明暗寺の虚無僧が、ここを
通って、岐阜まで来ていたことにもつながる。
中仙道は、意外と 往来は自由だったようだ。
岡谷市、伊那市、駒ヶ根市、飯田市、そして
天龍村をくだり、浜松で太平洋に注ぐ。全長200km。
この流域は以前、何度か旅をした。虚無僧するには
もってこいのシチュエーション。人情も厚く、虚無僧
への理解もある。
今回は、先を急ぐので、過去の思い出を振り返り
ながら、車で駆け抜けた。
そして、一つまた知り得たことがある。
飯田市の「座光寺」は、尾張徳川家の支藩「美濃
高須藩」の飛び地だったとのこと。ここも一昨年、
虚無僧で廻った。縁があったのだ。
つまり 高遠は、会津藩祖「保科正之」の出身地。
そして「座光寺」は、会津藩9代目藩主「松平容保」が
生まれた高須藩の飛び地だった。
そして、高遠から飯田までの街道を、幕末、
武田耕雲斎率いる「水戸天狗党」が 通り抜けて
いった。
それは、甲州乙黒・明暗寺の虚無僧が、ここを
通って、岐阜まで来ていたことにもつながる。
中仙道は、意外と 往来は自由だったようだ。