現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

諏訪から浜松、天龍川流域

2011-08-18 21:52:56 | 虚無僧日記
諏訪湖から唯一流れ出る川が「天龍川」。
岡谷市、伊那市、駒ヶ根市、飯田市、そして
天龍村をくだり、浜松で太平洋に注ぐ。全長200km。

この流域は以前、何度か旅をした。虚無僧するには
もってこいのシチュエーション。人情も厚く、虚無僧
への理解もある。

今回は、先を急ぐので、過去の思い出を振り返り
ながら、車で駆け抜けた。

そして、一つまた知り得たことがある。

飯田市の「座光寺」は、尾張徳川家の支藩「美濃
高須藩」の飛び地だったとのこと。ここも一昨年、
虚無僧で廻った。縁があったのだ。

つまり 高遠は、会津藩祖「保科正之」の出身地。
そして「座光寺」は、会津藩9代目藩主「松平容保」が
生まれた高須藩の飛び地だった。

そして、高遠から飯田までの街道を、幕末、
武田耕雲斎率いる「水戸天狗党」が 通り抜けて
いった。

それは、甲州乙黒・明暗寺の虚無僧が、ここを
通って、岐阜まで来ていたことにもつながる。
中仙道は、意外と 往来は自由だったようだ。

保科正之とは

2011-08-18 14:28:53 | 虚無僧日記
「保科正之」とは?。最近、俄かに注目されてきた。

「保科正之」は「徳川2代将軍秀忠」の隠し子として
生まれた。只今NHK『江』で、向井理演じる「秀忠」だが、
乳母の侍女に手をつけて、生ませた子がいたのだ。

「秀忠」の正室「お江与」は嫉妬深く「秀忠」は
恐妻家だった?。それで、生まれた子は、秘かに
信州高遠の保科正光の養子に出されていたのだ。

やがて「江」も「秀忠」も亡くなって、3代将軍
「家光」の代となる。「家光」はある時、腹違いの
弟が居ると知って、兄弟の対面となる。

「家光」には、同母弟の「忠長」がいた。「江」は
弟の「忠長」を可愛がり、3代将軍は「忠長」かと
誰もが思っていたところ、「家光」の乳母「春日局」が
家康に訴え出て「家光」が3代将軍となった。

そのような経緯から「家光」は同母弟の「忠長」を嫌い、
自分と同じく、親の愛を知らず育った「保科正之」に
兄弟愛を感じた。

「保科家」は、元は武田の家臣で、2万石程度の小大名
だったが、「家光」は「保科正之」を 会津23万石の
大大名に抜擢するのである。会津は、米沢の上杉、
仙台の伊達など戦国大名を抑える北の護りとして、
弟の「正之」を会津23万石の太守に任じたのである。

そして、家光は後事を「正之」に託し、4代家綱の
後見人として「保科正之」は、幕藩体制を確立した。
その「名君」しての働きは、最近NHKやTBS
でも特別番組で取り上げられた。