現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「大文字焼」の騒動

2011-08-10 21:51:44 | 社会問題
「大文字焼」が、ちょっとした騒動になっている。

津波で流出した陸前高田市の高田松原の松を薪とし、
それに被災者がメッセージを書いて「送り火」として
燃やしてもらおうと企画したところ、京都市民から
「放射性物質を含んだ灰が飛散するのではないか」との
抗議が500件ほど寄せられ、中止となってしまった。

原発は福島で、陸前高田は150kmも離れている。
京都人にとっては、岩手も福島も「陸奥一国」で
一緒くたなのだろう。

送られてきた護摩木を検査した結果、放射性物質は
検出されなかったのだが、それでも「市民感情は
ぬぐえず」と、陸前高田に突っ返したというのだから、
なんとも「情け無い所業」だ。

そして案の定、全国から抗議の意見が900件寄せられ、
新たに、陸前高田の松で作った薪を500本取り寄せ、
16日に「送り火」として燃やされることで、騒ぎを
収めたが、しこりは残る。

500対900。多数決で、京都の負け。まさか、京都人は
「抗議のメール」も「やらせメール」と言うのでは
ないでしょな。

一方、名古屋の東海テレビの「ぴーかんテレビ」は
「岩手産コシヒカリ」について「怪しいお米セシウム
さん」などの不適切テロップを流し、世の批判を浴びて、
番組が打ち切りとなった。これも、岩手と福島を
同一視している。

心ない一人の悪ふざけだが、その奥には「東北蔑視」の
根深い差別があるように思える。

空蝉 (うつせみ)って私のこと?

2011-08-10 03:44:06 | 虚無僧日記
ラジオ体操をしている那古野神社の境内では、今
セミの大合唱。先日、羽化してくるシーンを見た。
出てくる瞬間は白い体に白い羽。それが次第に大きく
なり、羽もどんどん広がっていく。

そして、 みるまに茶色に変わり、しばらくして 
突然飛び立つ。自然の営みの不思議さだ。全く別の
体に変身し、学習もせずに、突然飛ぶ。そんなことにも
感動する私だが、今時の子供は、無感動、無表情。
それこそ、セミの抜け殻みたいだ。

セミの抜け殻を「空蟬(うつせみ)」という。
「この世に生きている人間世界」も“うつせみ”と
いうが、これは、古語の「現人(うつしおみ)」が
訛ったものとか。セミの抜け殻とは 関係無いのだが、
寿命が伸びて、今「抜け殻」のように生きている
自分の姿かとも思えてくる。

『源氏物語』にも「空蝉」という女性が登場してくる。
「控えめで慎み深く、小柄で、決して美人ではないが、
立ち居振る舞いが美しく、趣味も良かった。源氏の
求愛に対しても、品良く矜持を守り通し、源氏の
心をひきつける。

「空蝉」は「紫式部」自身が モデルではないかと
言われているそうな。「うつせみ」とは、なぜか
心魅かれる言葉だ。


さだまさし」の曲にも「空蝉うつせみ」、あったけな。

クマゼミ と ミンミンゼミ

2011-08-10 02:44:34 | 虚無僧日記
「今年は蝉が鳴かない」と云われていたのに、このところ
毎日すごい鳴声だ。今年は春が寒かったので、蝉の成長が
止まっていたことと、猛暑が早く始まったので、「暑いのに
蝉が鳴かず“変”」と 感じた だけのことらしい。

蝉は毎年のように、7月後半から羽化しているのだ。
このころ、一段とにぎやかいのは「クマゼミ」だ。

「クマゼミ」は暖かい地方に生息するセミで、東京には
いなかった。それが、最近、温暖化のせいか、東京や
北陸でも観測されるようになったという。

ところが、私が小学生の頃、房総半島の南端、保田に
臨海学校に行った時、「クマゼミ」を捕まえた。初めて
見る珍しいセミだったから、「昆虫標本」にして、
夏休みの宿題で提出した。

今、ネットで調べたら、関東に居ないはずのクマゼミが
南房総にだけは棲み付いていた。これは、地球が
温暖の時に北上して来、寒冷期に、他の地域では
死滅し、房総半島の南端だけが、比較的温暖で
あったために生き残ったのではと。下北半島の
北限の猿と同じだ。


ところで、東京育ちの私にとって、「セミの鳴声」と
言えば「ミ~ン、ミンミン、ミ~ン」、ミンミンゼミ。
ところが、名古屋では全く聞かない。

ミンミンゼミとクマゼミは、体が緑か黒の違いだけで、
同じ仲間だそうが、ミンミンゼミは暑さには弱いらしい。
名古屋では全く見かけない。ところが、知多半島南部や
渥美半島西部など、比較的涼しい海風が吹く所では生息
しているとのこと。

また、西日本には居ないのだが、高知県の山には居る
とのこと。一昨年、四国に行った時、高知の五台山で、
ミンミンゼミの鳴声を聞いた。感動だった。

映画『硫黄島からの手紙』で、二宮くんの家は名古屋
という設定だったと思うが、ミンミンゼミの鳴声が
していた。あれは間違い。東京人の音響屋の感覚では、
セミというと「ミンミンゼミ」だから、その音源を
使ったのだろう。

あの映画は、夜中でも国旗が掲げてあったり、犬を
殺すのにピストルを使ったり、あり得ない話がいくつか
目につき、シラけた。所詮アメリカ映画だ。

こうして、アラ捜しばかりする私って、嫌われ者かな。



「スイカ」と「メロン」そして・・・「まくわ瓜」

2011-08-10 01:52:50 | 虚無僧日記
8/9 「9」の日は、豊国神社参道で「九の市」。
近郷近在から 野菜、果物、乾物、魚介類まで
たくさんの店が並ぶ。新鮮で安いから、炎天下でも
結構な人手だった。

今日は、「スイカとメロン」を いただいてきた。
今晩の食事は「スイカとメロン」半分ずつ。最高!

子供の頃、父の生家で、「スイカ」や「まくわうり」を、
かぶりついて たらふく食べた記憶が甦る。スイカより
「まくわうり」の方が好きだった。

長円形で、スイカのような縞模様の「まくわうり」は
とんと見かけなくなった。

「かあさん、あの『まくわうり』は どうなったんで
しょうね」

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「まくわうり」が大好きな高僧がいた。

紫野大徳寺の開祖「大燈国師(妙超越宗峰)」。彼は、20年
賀茂の河原で乞食と交わって生活した。「乞食(こつじき)の行」だ。
「乞食の中にいても光るものがある」と、花園天皇の叡聞に達した。

花園天皇は、「彼の僧は、まくわ瓜が好物とのこと。まくわ瓜を
もって妙超を探し出し、連れてくるように」と、役人に命じた。

命を受けた役人が、賀茂の河原に行き、乞食の群れに向かって
「脚を使わずに来た者に、このまくわ瓜をやろう」と云うと、
乞食の中から「手を使わずに渡せ」と答えた者がいた。それが
妙超であると判った。

妙超が花園天皇に対面した時、平伏もせず、堂々としているので、
天皇が「仏法不思議、王法と対坐す」と言うと、妙超はすかさず
「王法不思議、仏法と対坐す」とやりかえした。

これで、花園天皇は 妙超に帰依し、紫野に一堂宇を建立し、
「大燈国師」の称号を贈ったのである。

さて、大徳寺が創建されてから100年後、大徳寺 48世住持と
なったのが「一休和尚」だ。

一休は、大徳寺の開祖「大燈国師」に
心酔していた。大燈国師の100年忌に、着飾った僧侶どもが、
意味も判らずに経を唱え、カタチばかりの法要をしているのを
あざ笑って、「自分は、法要の日、前の晩からずっと美女を
抱いていた」という詩を残している。

これを、水上勉は、「その女は誰か、飯炊き女か」などと
ヤボな詮索をしている。柳田聖山は「美女は中国の古典で
女とは限らず、屈原(くつげん)の故事に掛けたもので、
その美女こそ大燈国師のことだ」と喝破した。

大燈国師のこの「まくわ瓜」の話。「天皇との対面」の話。
その後の「一休とんち話」にも通じているではないか。

「足無しで来い」「手無くして渡せ」
「熟達した落語家は、舌なしでしゃべる」
「熟達した弓道家は、矢無しで鳥を落とす」
「行を究めた虚無僧は、尺八無くして、人々の心を射る」か。