子供の頃から大学4年まで、毎年、夏休みには、
会津に行き、戊辰の戦跡や、神社仏閣などを
巡っていた。
私の記憶は、40年前に止まっている。私の人生も
40年 止まっていたように思う。40年前のことは
鮮やかに甦るのだ。
会津も、新しい道は、いくつもできていたが、
過疎化と産業や観光の停滞は続き、40年、時間が
止まっているようだ。
今回の震災、原発問題で、会津も避難民を受け入れ、
賑わっているかと思ったが、工場を誘致するために
田んぼを埋めたてた「工業団地」の空き地が、
避難民の仮設住宅になっていた。田んぼの中に
隔離された場所だ。それを見て、愕然とし、言葉を
失った。
我々会津人にとっては、下北に移住した時の、絶望の
思いが甦ってくるのだ。でも、祖先たちはみな、
なんとか食いつなぎ、頑張って成功し、今日に命を
つないできたのだ。
今日は、8月23日、白虎隊、そして牧原一郎、奇平
他が自刃した「命日」だ。すぐそんなことが頭を
よぎるが、今回の旅を最後に、過去を吹っ切りたい。
会津に行き、戊辰の戦跡や、神社仏閣などを
巡っていた。
私の記憶は、40年前に止まっている。私の人生も
40年 止まっていたように思う。40年前のことは
鮮やかに甦るのだ。
会津も、新しい道は、いくつもできていたが、
過疎化と産業や観光の停滞は続き、40年、時間が
止まっているようだ。
今回の震災、原発問題で、会津も避難民を受け入れ、
賑わっているかと思ったが、工場を誘致するために
田んぼを埋めたてた「工業団地」の空き地が、
避難民の仮設住宅になっていた。田んぼの中に
隔離された場所だ。それを見て、愕然とし、言葉を
失った。
我々会津人にとっては、下北に移住した時の、絶望の
思いが甦ってくるのだ。でも、祖先たちはみな、
なんとか食いつなぎ、頑張って成功し、今日に命を
つないできたのだ。
今日は、8月23日、白虎隊、そして牧原一郎、奇平
他が自刃した「命日」だ。すぐそんなことが頭を
よぎるが、今回の旅を最後に、過去を吹っ切りたい。