現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

伊那から高遠

2011-08-17 19:55:20 | 虚無僧日記
「馬籠」を逐(お)われて、南木曽から大平峠を越え、
飯田に出る。木曽川流域から木曽山脈を越えて、
天竜川沿いの伊那谷だ。「谷」と云っても、巾 数kmは
あるだろうか。広い河岸段丘だ。

飯田の北が下伊那郡。天竜川対岸の松川町に住む
「竹座」氏の所へ寄ろうか迷いながら、通り過ぎる。

下伊那郡から北へ20km。かなり離れて「伊那市」が
ある。そこから東へ11kmほどで「高遠」。

高遠は、桜の名所として知られる。徳川秀忠の隠し
子として生まれた会津藩祖「正之」公が養育された
地であり、私の母方の「山室」は、高遠から会津に
来たということで、一度行ってみたいと思っていた。
地図で見て「山室」という地名もあることは知っていた。

馬籠で警察官に不審者扱いされたので、こちらでは
先手を打って、高遠城の近くの交番に飛び込んだ。

「山室への行き方」を尋ねたところ、「警部」さんが
実に親切に、いろいろ教えてくれた。

高遠城の南にある「高遠湖」の上流が「山室川」。
10kmほどの長さの川。途中「山室鉱泉」や「山室
神社」もある。「分校」を利用した旅館もあるとの
こと。

書いてくれたカンタンな地図を頼りに、山室川沿いに
上る。30分も走ると、道路は 車のすれ違いもできない
狭い山道となる。もっとも、車は ほとんど見かけない。
陽が落ちかけた頃、ようやく「分校旅館」に辿りついたが、
4室限りで満室とのこと。鮎釣りの客の定宿のようだ。

さらに奥に行ってみる。

すごい山奥。こんな奥地にも、家が点在していた。
だが ほとんど 人が住んでいない。廃墟なのだ。
とうとう行き止まり。そこで すっかり 陽が暮れて
真っ暗。ここで野宿するのはさすが怖い。
鹿や猪が出るという。実際に見た。暗闇の中で、
鹿の親子が こちらを見ていた。目だけが光る。

雨も降ってきた。急ぎ、高遠に戻り、別の山道を
通って 茅野に抜ける。

1600kmの旅 初日は「木曽馬籠」で×××

2011-08-17 15:48:24 | 虚無僧日記
「虚無僧行脚」。今夏は信州「馬籠」から「高遠」、
そして 北関東を通り抜け、「白河」から「大内宿」を
経て「会津」へ。先祖の墓参りを済ませて、帰路は
「南会津、日光」経由で 東京の母の所に立ち寄り、
今朝4時に 無事帰暦。往復 1600km 走破。

さてはて、12日は、国道19号線(中仙道)を通って、
長野県の「馬籠(まごめ)」へ。ここは4回目。
(いつも「おやき」をくださる店がある・・・)なんて
あてにする心があったからか、天罰てきめん。

30分も吹いていると、警官がやってきて「住民からの
通報があったので・・・・」と、退去命令を受けてしまった。
「警官」が言うには「“景観”を損ねる」からイカンの
だそうだ。

まあ 虚無僧になって10年。世の中の変化を感じる。
10年前 初めて来た時は、観光客のカメラの放列を
浴びたものだった。妻籠(つまご)や馬籠(まごめ)の
宿場町の景観には、虚無僧はよく似合うはずだ。

「写真を撮らせてください」と、きちんと断って
カメラを向ける。そして「お布施」も「お札」で
いただいたものだった。

それが カメラがシャメに変わり、勝手にカシャカシャ
撮って、「布施」などしてくれなくなった。

そして 今やデジカメ全盛だが、デジカメやシャメを
向ける人も少なくなった。撮ってくれるのは中国人
観光客ぐらい。

前回は中国からの観光客もたくさんいたが、今年は
震災、原発の影響か、全然居ない。日本人も お盆の
帰省の途中で立ち寄ったような家族連れがパラパラ
の状態。

そして 挙句の果て、住民から警察に「不審者」
として通報されてしまった。

観光客激減で、「お金を落としてくれる人」は
歓迎だが、町並みの景観を利用して「金を稼ごうと
する人」は締め出せということか。

あてにしていた「おやき」が いただけず、一日
食べるもの無し。これ「ぼやき」。