現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

経験と勘で「気配」を感じる

2012-06-04 11:29:01 | 虚無僧日記
猫嫌いのRさん。まだ、赤ん坊の頃に、猫に
噛まれたそうです。噛まれた記憶は無いけれども、
以来、トラウマになって、大人になっても
「猫 恐怖症」とのことです。
猫が近くに居ると、見えなくても、肌が
ざわざわと反応し、判るのだそうです。
「灯りの消えた部屋に通されたところ、肌が
反応し、電灯を付けたら、猫の写真が壁に
飾られていた」と云いますから、生きた猫で
なくとも、写真でも、ぬいぐるみの猫でも
「忌避反応」を起こすそうです。

Hさんは、「ネギ、にんにく、しいたけ」など
香りの強いものが嫌いとか。煎餅など、
隠し味で ほんのわずか入っていても、口に
近づけただけで、食べないうちから判る
そうです。

私は「虚無僧」の絵や関係資料があると、敏感に
察知します。

たとえば「古本屋」。「何か有る!」と閃(ひらめ)いて
飛び込むと、大抵、何か 見つかります。

図書館でも、「これは?」と思った本を手に
とると、その中に、求めていた史料があったり
します。

史料館などでもそうです。何か引き寄せられる
ように入っていくと、大抵 有るのです。
何にも無い時は、何にも反応しません。「ここには
無いな」と思うと、やはり ありません。

ですから、すべての古本屋、史料館、図書を
調べなくとも、効率よくめぐり会えるのです。

そんな経験、ありませんか?


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください


2011.1.14「夜の名古屋駅 虚無僧

「振り込め詐欺」に ご用心

2012-06-04 09:47:22 | 社会問題
「毎日新聞」と広告を出したことで、広告出稿依頼の
電話が度々かかってきて、参ってます。

先月「会津若松」の広告代理店からもかかって
きましたので、つい「ふるさと支援」の“情け心”を
出して、6月1日発売の『旅行読売』に出しましたら、
もう毎日、電話が鳴りっぱなしです。
今朝も7件もかかってきました。

「ヒツウチ」でくると「非通知拒否」に設定して
ありますので、その旨音声案内が流れます。
すると「070」か「080」でかかってきます。

まともな広告代理店なら、自社の電話番号を
公開できないわけがないでしょう。

1件、電話番号を表示しての電話でしたので、
出てみると

「先日 広告いただいてありがとうございました。
 代金のお支払いの件で」ときた。

一応、広告代理店の名を聞くと「『財界日本』の
広告代理店で○○アドです」と云う。
会津若松の広告代理店ではない。

「『財界日本』になど 広告を出してません」と
いうと、「お電話で了解いただいています」と、

「うちは『着信履歴』が判りますので、この番号から
電話を受けたことはありません」。さらに「きちんと
『契約書』を取り交わさないでの出稿はしてません。
『契約書』を見せてください」と言うと、
「わかりました」ガチャン。

なんということでしょう。『旅行読売』に出した
「広告代金を こちらに振り込んでください」と
かっさらう魂胆のようでした。ご用心、ご用心。



『江戸名所図絵』に虚無僧が

2012-06-04 04:01:43 | 虚無僧って?
「(社)実践倫理宏正会」の会報『倫風』の7月号に
「虚無僧」の絵が載っていました。「お江戸に学ぶ
《共生》の知恵」と題した特集で、『江戸名所図絵』
より「日本橋駿河町」界隈の絵
が紹介されており、
その中心に「虚無僧」が描かれているのです。
右側には「三井越後屋(現 三越)」があり、中央には
富士山も大きく描かれています。その広い通りに
たくさんの人の往来があり、真ん中に「虚無僧」が
二人います。

この『江戸名所図会』は、江戸時代後期の 寛政年間
(1789~1803)から、天保7年(1836)まで 40年かけて
制作されたそうです。ですから、この「虚無僧」は
文化・文政期の虚無僧全盛期の姿と思われます。
長い裾の着物に錦の太い尺八袋を下げています。

「偈箱(げばこ)」は下げていません。意外なことに、
江戸時代には「偈箱(げばこ)」は無かったのです。
「明暗」と書いた「偈箱(げばこ)」を下げるのは、
昭和になってからのようです。


以前(2010.12.26) にも書きましたが、月刊誌『自遊人』の
H23年1月号に、『二条城内風俗図』が掲載されており、
そこには、長短二本の尺八で合奏する様が描かれていました。
松本市にある「(財)日本浮世絵博物館」が所蔵する「6曲
屏風絵」だそうです。こちらは、江戸初期に描かれたもので、
尺八は「中世歌謡」の伴奏楽器として、三味線や鳴り物と
合奏していたのです。

それが「虚無僧の占有物」のようになって、ノーリズム、
ノーメロデイの曲を吹く「法器(ほうき)」となるのは、
江戸中期以降でしょう。