現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

『ファウスト』に見る「人はいかに生きるべきか」

2012-06-13 11:59:43 | 社会問題
再び、ゲーテの『ファウスト』について。

「ファウスト」は 悪魔と契約して、天上天下を自由に
往来し、美女も富も、欲しいものは何でも手に入れます。
決して ひとつの所に留まっていることはできず、現状に
満足せず、常に現状を変えようと行動し、努力し続ける
のですが、そのために 何人もの人の命が犠牲となります。

「(社)実践倫理宏正会」の上広栄治会長は、著書『人生を
輝かす』の中で、「フアウストは、欲しいものを手に入れ
ながらも、満足を得ることはできなかった。ファウストが
最後に辿りついたのは、目を失った愚かで無力な普通の
市民となり、人々が力を合わせ助け合っていく姿に最上の
“美”を見つけた。これこそが、実践倫理の会員がめざす
生き方である」と、説かれます。


でも どうでしょう。「欲を捨て、名も無く、貧しく、
美しく」では、「努力して成功し、富を得てはいけないのか」
という疑問が生じます。

「これでは、前途有為の若者に“夢と希望”を無くし、
やる気、活力を奪うものではないか」と 反論したくも
なります。

「人は何のために生きるのか、いかに生きるべきか」と
問われれば、「夢と希望、高い目標に向かって努力する
ことが、生き甲斐であり、生き様であって、60歳過ぎて、
先が見えてきても、頑張って生きてきたことに“満足”
すべきではないか。

若い人は、多いに可能性に向かって努力してもらいたい
ものです。

でも、成功するのは 1万人に1人。所詮、大多数の人は
小市民。“自分もその一人だった”ということを知るのは
60歳過ぎてからでいいでしょう。









』「西欧的な考え方の象徴」として描かれます。

「古い奴だとお思いでしょうが・・・・」

2012-06-13 11:15:20 | 虚無僧日記
私の性格判断で、よく書かれるのが「知的欲求が強く、
新しいもの、未知のものにも関心が高い」という面です。

「“虚無僧”なんて古い奴だとお思いでしょうが、
古い奴ほど、新しいものを求めるのでございます。」
(鶴田浩二『傷だらけの人生』) このセリフが大好きで、
以前は、ライブのオープニングに使っていましたが、
今は「鶴田浩二」もご存知ない方が多くて・・・・、
「道路工事 謝(あや)まろ」の芸名で出ていま~す。


さて、「虚無僧」なんて、時代錯誤、時代劇から
抜け出たような場違いな存在ですが、虚無僧の天蓋を
通して、スカイツリーを見ると、また違ったものが
見えてくるのでございます。

そういえば、江戸時代の浮世絵「歌川国芳」の
『東都 三ツ又の図』に、なんと「スカイツリー」の
ような鉄搭が描かれていたと、話題になりましたっけ。

「歌川国芳」は180年後の未来を予測していたので
しょうか。「国芳」はこの他にも、謎の多い絵を
残しています。天才には、人が見えないものを見る
力があるといわれます。私も「尺八」を通して、
未来が見えたらいいな と、そんな欲で尺八に
取り組んでおります。

やっぱし、私って“変(へん)”でしょうか。

ゲーテの『ファウスト』

2012-06-13 10:24:52 | 虚無僧日記
今朝の「朝起会」でのご本読みは、ゲーテの『ファウスト』に
ついてでした。私も若い時、読んではいたのですが、自分の
都合の良いように勝手な解釈をしていました。

主人公の「ファウスト」は、悪魔と契約をし、天上天下の
あらゆる富みも快楽も、望むものは何でも手に入れる力を
得ます。しかし「そなたは美しい、時間よ止まれ」という
言葉を発した時に“魂(命)”は 召し上げられるという話です。

「悪魔に魂を売り渡す」とか「悪魔にとり憑(つ)かれた」
といいますが、正に「ファウスト」は悪魔に魂を売り渡し、
悪魔の力を借りて、思いのまま、美女も金も手にいれます。

しかし、そのために、周囲の者は不幸のドン底に落とされ、
何を得ても“虚しさ”だけが残る。

そしてラストは、視力を失い、自分の墓を掘るツルハシの音
を、干拓の槌音(つちおと)と思いこみ、仲間のために働くと
いうことが最高の幸せだと感じて、「時よ留まれ、おまえは
美しい」と言ってしまう。

私も若い時は、「ファウスト」のように、悪魔の力を借りて
でも、欲しいものは何でも手に入れたいと願い、手に入れて
きました。でも、今は “それが何だったの”という虚しさ
にとりつかれています。