6/14「古典尺八」の会を終えて、竹坐氏と
旅館近くの居酒屋で、今日の感想と反省を
語り合った。
「一路さんの演奏、もっと聞きたいなという
ところで終わるので、もったいないです」と。
彼の感性は鋭い。言葉は遠慮がちだが、私の
演奏が、いつも“中途半端に終わる”という
ことを、ずばり指摘された。
私は「古典尺八は、退屈でつまらないもの」と
いう負い目があり、いつも3分位で止めてしまう。
「長いか短いかは、時間じゃないです。短くても、
内容がつまらなければ長く感じるし、長くても、
内容がよければ、短く感じます。要は、長いと
感じさせない演奏をすることでしょう」と。
竹坐氏は、一端吹き始めたら最後までキチッと
吹き通す。練習でもそうだ。一曲10分~15分
あっても、決して長いと感じさせない。もっと
この空気の中に浸っていたいと思わせる。
最後までキチッとやり通さないのは、他の事でも
いえる。私の“尻切れトンボ”な性格も含めて
反省させられた。
旅館近くの居酒屋で、今日の感想と反省を
語り合った。
「一路さんの演奏、もっと聞きたいなという
ところで終わるので、もったいないです」と。
彼の感性は鋭い。言葉は遠慮がちだが、私の
演奏が、いつも“中途半端に終わる”という
ことを、ずばり指摘された。
私は「古典尺八は、退屈でつまらないもの」と
いう負い目があり、いつも3分位で止めてしまう。
「長いか短いかは、時間じゃないです。短くても、
内容がつまらなければ長く感じるし、長くても、
内容がよければ、短く感じます。要は、長いと
感じさせない演奏をすることでしょう」と。
竹坐氏は、一端吹き始めたら最後までキチッと
吹き通す。練習でもそうだ。一曲10分~15分
あっても、決して長いと感じさせない。もっと
この空気の中に浸っていたいと思わせる。
最後までキチッとやり通さないのは、他の事でも
いえる。私の“尻切れトンボ”な性格も含めて
反省させられた。