現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

2.尻切れトンボ゜

2008-06-22 15:01:03 | 虚無僧日記
6/14「古典尺八」の会を終えて、竹坐氏と
旅館近くの居酒屋で、今日の感想と反省を
語り合った。
「一路さんの演奏、もっと聞きたいなという
ところで終わるので、もったいないです」と。
彼の感性は鋭い。言葉は遠慮がちだが、私の
演奏が、いつも“中途半端に終わる”という
ことを、ずばり指摘された。

私は「古典尺八は、退屈でつまらないもの」と
いう負い目があり、いつも3分位で止めてしまう。

「長いか短いかは、時間じゃないです。短くても、
内容がつまらなければ長く感じるし、長くても、
内容がよければ、短く感じます。要は、長いと
感じさせない演奏をすることでしょう」と。

竹坐氏は、一端吹き始めたら最後までキチッと
吹き通す。練習でもそうだ。一曲10分~15分
あっても、決して長いと感じさせない。もっと
この空気の中に浸っていたいと思わせる。

最後までキチッとやり通さないのは、他の事でも
いえる。私の“尻切れトンボ”な性格も含めて
反省させられた。

4.竹坐氏の車が廃車に

2008-06-22 15:00:14 | 虚無僧日記
6/15甲州市を後にして、中央高速に入る。
竹坐氏の車も後から着いてくる。
八ヶ岳山麓で私の知人がそば屋を開いている
ので、昼はそこへ寄ろうと、彼も誘ったのだ。
竹坐氏の車と2台連なって、中央高速を走り、
長坂の手前まで来たところで、バックミラーを
見ると、彼の車から白煙が出ている。ヤバイと
私はすぐ車を路肩に止めた。幸い、カーブで
登坂車線のさらに左に路肩も十分あった。非常
電話もあった。
JAFに連絡して待つこと30分。レッカー車で
小淵沢の修理工場まで運んでもらい、点検の
結果、廃車することに。

高速道路で車がオーバーヒートし、廃車とは
大変な事件のはずだが、竹坐氏をそば屋に誘って
同道していたこと、丁度非常電話のある路肩で
止まったこと。日曜なのに、我々が修理工場に
着くと、たまたま、そこの従業員が前を通りかかり、
シャッターを開けてくれたこと。そこが小淵沢で、
目指すそば屋もすぐ近くだったこと。
すべて、こうなるシナリオが組まれていたかの
ように、ラッキーだった。仏に守られている。

マァねぇ(マネージャーの鈴花)と三人、“平気
平気、気にしない”の極楽トンボ。愉快な旅と
なった。 
     つづく



5.八ヶ岳のGO-SOBAへ

2008-06-22 15:00:00 | 虚無僧日記
甲州市の帰り、中央高速で竹坐氏の車がオーバー
ヒートして廃車に。竹坐氏を私の車に乗せて、
マァねぇ(マネージャー)と三人で、八ヶ岳のGO-SOBAに
向かった。

実は、千代田生命時代の先輩中川豪氏が、八ヶ岳
山麓でそば屋を開いている。その名も「GO-SOBA」。
会社がリストラ退職者を募った時、私と同時に会社を
辞め、彼は“そば屋”に、私は“虚無僧”になった。
「会社倒産、リストラ」がマスコミの格好のネタになった
時代だ。彼も 私も しょっちゅうTVに取り上げられた。
そこで毎年年賀状のやりとりはしていて、いつかは
行ってみようと思っていた。「今年は行きます」と年賀状
に書いて、実現したのだ。

15年ぶりに会う中川氏、変わってない。一人でやって
いるので、店はこじんまり、ロッジスタイル。
13時を過ぎていたが、結構お客が切れ目なく入ってくる。
「豪そば」のイメージとは違って、繊細で上品なそばだ。
混ぜ物に秘伝の工夫があるようで、そばつゆが旨い。

定年後の男の趣味として「そば打ち」が流行りだ。彼も
そんなセミナーに講師として呼ばれるとのこと。TV
取材はすでに10件。6月17日も全国放映されるとか。

彼が、早期退職して八ヶ岳にそば店を開いたのは、実は、
ダウン症の息子さんのためだ。障害をもつ子供のことを
考えて、空気の良い、自然に囲まれた八ヶ岳に居を構え、
子供と二人で生活している。そんな生き様が、雑誌や
単行本に紹介されている。

「だんだん歳をとると身体がエライ」との本音もチラリ。
私もいつまで虚無僧で頑張れるか。(ちっとも頑張って
なんかいないか)

旧交を温めて、八ヶ岳を後にする。   つづく


6.伊那の竹坐氏の家へ

2008-06-22 14:59:44 | 虚無僧日記
中川豪氏の店「GO-SOBA」は、小海線の小泉駅と
大泉駅の間。小泉駅前には平山郁夫美術館がある。
観光メッカの清里とはちょっと離れて、静かな林の
中だが、チーズケーキやアップルパイなどのおしゃれ
な店も点在している。

小淵沢から、また中央高速に入って松川ICに向かう。
途中睡魔が襲う。竹坐氏に運転を代わってもらう。
本当に良かった。竹坐氏の車が壊れてくれたお蔭で、
私は命拾いしたのかも。

出かける前、往復600kmはエラい。松川で竹坐氏を
乗せて行こうかとも考えていた。運転を交替して
もらえれば助かる。彼が私の車に乗るというイメージ
を描いていた。竹坐氏の家に寄ることも予知していた。
そして、予知していた通りになった。

予知能力も高まってきて、よちよち。

松川ICで出て、そこから30分。天龍川対岸の山に
登って行き、その中腹に竹坐氏は住んでいる。山羊と、
わずかばかりの畑で、自給するだけの野菜を作って。


7.神田師からお礼の電話

2008-06-22 14:51:53 | 虚無僧日記
帰路、神田重陽師から マァねぇ(マネージャーの鈴花)の
携帯に電話が入った。「好評だった」とのお礼に加えて、
「竹坐さんは“丹田呼吸”がしっかりできてる」と、
竹友の皆さんの評を伝えてきた。竹坐氏に電話を代わると、
彼は「いやぁ、丹田呼吸なのかどうかわかりません」と、
謙遜なのか、そんなことも一切、知らぬ存ぜぬ、気にせず、
の悟りなのか、どこまでも“一切無”の人だ。

私なら、また得々と、“丹田呼吸”の法について論じて
いただろう。とにかく、彼と私は対照的。いろいろ見習い
たい。

三浦雄一郎

2008-06-11 09:16:39 | 虚無僧日記
「プロ・スキーヤーの三浦雄一郎が、75歳で
エベレスト登頂」と聞いても、初め驚かなかった。
以前、親子3代そろって、スキーでエベレストを
滑降したとか、ニュースになっていたから、「彼
ならヤルだろう」ぐらいの気持だった。

ところが、NHKラジオでの対談を聞いて驚いた。
三浦氏は大病し、60歳の時、450mの丘も登れ
ないくらい体力が衰えていた。そこで“75歳で
エベレストに登ろう”と決意し、15年かけて体力
作りに励んできた。エベレスト登山は、25kgの
荷を背負い、何度も手の力で登らねばならぬ
岩壁があり、死力を尽くしての登頂だったのだ。
心臓を患っている体で、空気も薄い、心臓バク
バク、想像を絶する過酷な挑戦で「涙が出る
ほどうれしい」と。

「“75歳でエベレスト登頂”という目標があった
から、体力づくりに励んでこれた。次は“80歳で”
とますます意気軒昂。すばらしい!

今、私も60歳、15年後の75歳に何をゴールに
しよう?1万人の虚無僧集団の頂点に立つか。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

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雨降りお月さん

2008-06-11 09:16:18 | 虚無僧日記
今日6/10の中日新聞に、「雨降りお月さん」の
解説が載っていた。
「雨」で「月」というのは変。「お嫁に行くときゃ
誰とゆく、一人で唐傘さして行く」とは淋しい歌詞
だ。その謎が解明されていた。この詩は、野口雨情
が愛娘を亡くした時の作。娘をお月様のもとにお嫁
に出したのだ。雨は野口雨情が流す涙と。

それで納得。毎月10日は中区平和福祉会での演奏。
今日は、まず、鈴花の筝と恭花の三絃で「千鳥の曲」
を演奏。そして、梅雨の雨にちなんだ曲を4曲、
「雨が降ります」「雨降りお月さん」「てるてる坊主」
「雨雨降れ降れ」を演奏した。

みなさん歌詞がなくとも歌ってくれる。「雨降りお月
さん」は、再度アンコールがあった。その方が目に涙
いっぱい浮かべて聞いてくれた。
聞けば「娘時代にお琴を習っていた。お嫁に来た時、
お琴を持ってきた。私はお琴を弾きたかったのに、姑
が許してくれなくて、お琴を捨てられてしまった。
久しぶりにお琴の音を聞けて、うれしい」とのこと。

『花嫁人形』も悲しい曲だ。お嫁に行くことが、今の
世のように“明るく幸せ”ではなかった時代だった。
新婚時代のつらい思い出がイッキに吹き出てきて、
流す涙だった。「歌は過去に生きている」とは、さだ
まさしの言葉だが、こうした童謡・唱歌に、つらかった
過去を思い出す世代なのだと知る。

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老人ホーム慰問演奏

2008-06-11 09:16:04 | 虚無僧日記
「老人ホーム慰問演奏」なんて今は言わない。
40年前とはずいぶん変わった。40年前、毎年
府中の老人ホームに「慰問演奏」に行っていた。
そこは、刑務所を出所しても高齢で仕事にも就
けず、身寄りもない人たちが多く入所している
所だった。元犯罪者と聞くと恐ろしいが、会っ
てみると、皆さん純真で、犯罪者のイメージは
なかった。琴や尺八を演奏すると、みな涙を流
して聞いてくれた。別れには手を握って「また
来てください」とせがまれた。演奏させていた
だいた場所は、舞台の裏側が納骨場。引き取り
手のない遺骨が棚に並べられていた。

今、「老健施設」と言うのだとか。重度の介護
施設だと、演奏に行っても、ベッドに寝たきり、
全く無表情で反応もない。いろんな素人のグル
ープが来るようで、施設の職員も「やらせてやる」
という態度。寝たきりの人を相手に、素人が芸の
練習をさせてもらう場所になっている。
ラジオである有名バンドが駆け出しの頃、そうした
施設で演奏したところ、ベッドで寝ているお年寄り
から、「うるさい!静かにしてくれんか」と言われ
た、とか笑って話していた。ロックじゃそうだろう。

幸い尺八はまだうけるが、反応の無いのが
一番やりづらい。その点、中区平和福祉会は、
職員も入所者も毎月楽しみに待っていてくれる。
その温かさがうれしい。ここはアットホームだ。

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異変 誰でもいい

2008-06-10 09:35:12 | 社会問題
6/9 秋葉原で無差別殺人。「誰でもよかった」、
またかである。殺傷事件は2ヶ月に1度起きて
いる。「死刑になりたくて殺した」という理由も。

(このパソコン、「しけい」で変換しても「死刑」
と出ない。「死刑廃止」か?「死刑は死語」か?)

同日の新聞には、北名古屋市でも通り魔事件。
死亡に至らない傷害事件は、このところ連日
起きている。
豊田や舞鶴の女子高生殺人事件は、どうなっ
たのか。もう話題にも上らなくなった。

日常茶飯事。これもみな、太陽の黒点が異常な
動きをしているからだそうだ。人間も狂い出すの
だとか。神をも恐れぬ人間の所業に、天の罰。

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