現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「私は貝になりたい」の真実

2008-11-21 11:48:31 | 虚無僧日記
私の父も、中国戦線で戦い、武装解除となって上海に
集結し、やれやれ日本に帰れると喜んだのも束の間、
戦犯容疑で拘束された。主計中尉で部隊の食料調達の
任務にあたっていたから、部下が村々で行なった略奪や
残虐行為の責任をとらされたのだ。あわや死刑かと覚悟
したが、証拠不十分で釈放された。目撃証人がいなかった
からだ。
BC級戦犯で拘束された者は1万人、内、死刑となった
者は1,000人という。戦犯処理といえども、適正な裁判は
行なわれていたのだ。

橋本忍脚本の「私は貝になりたい」は、どうも腑に落ちない。
フィクションだからと済ます人も多いが、昨年8月、中村
獅子童主演で「『私は貝になりたい』の真実」というドラマが
あったそうな。
私は見なかったが、この時、「私は貝になりたい」には
「加藤哲太郎の『遺書』」がベースになっていることが
明らかにされた。
加藤哲太郎は、新潟の俘虜収容所で脱走を企てた捕虜を
殺した事件で戦犯に問われ、死刑判決となる。最終的には、
マッカーサーに助命嘆願申請して、異例の再審命令が下され、
減刑され、生還しているのである。

これなら納得である。やはり事実の方が辻褄があって、
私には面白い。中居君ファンにとっても、これなら満足だろう。
新潟なら雪も深い。仲間由紀恵の雪中シーンもリアリティが
ある。

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「私は貝になりたい」 3

2008-11-21 11:48:03 | プロとアマ
今日11/21 中日新聞に「私は貝になりたい」の全面広告。
CBCアナの若狭敬一氏のコメント。

「私は貝になりたい」は「真実を語りたくない、口を閉ざしたい」
という意味だと思ってました。私と同じだという方、今すぐ劇場へ

そう、そう思っていた人が多いようだ。脚本の橋本忍自身、前作
の時、黒澤明から「なんで“貝”なのか?」と批評され、「今回
脚本を手直しした」というようなことを語っていたので、期待したが、
変わっていなかった。

“貝”がテーマなら、冒頭の方で、愛する妻と浜辺で遊び、美しい
貝を拾うなり、海の底にもぐって貝をみつけるなり、貝をイメージ
するシーンが伏線として出てくるべきだった。それもなく、最後に
唐突に出てくるのは不自然。

モデルになったという加藤哲太郎の事実を探ると、これは新潟の
捕虜収容所でのこと。脱走した捕虜を殺した事件があった。所長の
加藤は自分が殺ったことにして、逃亡するのである。彼の書き残した
ものによって、部下は死刑を免れる。加藤は逃亡するが、全国指名
手配され、警察に逮捕される。そして死刑になるが、捕虜を殺した日、
実際は他へ出向いていて居なかったことなどが明らかになり、
マッカーサーの異例の再審命令で刑を軽減されるのである。

まさに、部下が殺ったという事実を固く口を閉ざして語らなかった
のだ。これなら「私は貝になりたい」の意味がわかる。事実を曲げる
と、いろいろほころびがでる。

ところで、「容疑者Xの献身」は、集客数345万人、興行収入43億
円に達し、まだまだ観客動員が伸びる勢いとのこと。
すべてが完璧だった。冒頭のホームレスのシーンも何もかもが、無駄
なく伏線として描かれていた。私も泣けた。映画が終わっても深い
感動が残った。福山もこまめに全国に舞台挨拶をして周り、観客の
心にはいっていったとか。

名古屋での舞台挨拶で、「私はジャイアンツファンだから、早く(東京に)
帰りたい」とのたまわった中居くんと、どちらが競り勝つか、見守りたい。

日中戦争従軍記-牧原五郎』のブログも見てください。  

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11/19 俳句の会

2008-11-20 23:28:28 | 虚無僧日記
「牡丹」という俳句の会の「25周年記念祝賀会」に
ゲスト出演。会場は駅前のニューグランドホテル。
祝いの曲として「鶴の巣篭もり」他、四季を彩る童謡
唱歌の類を数曲吹く。さらに「月の砂漠」「青葉の笛」
などリクエストにも応える。

「尺八って初めて聞いた」と、若いご婦人。
「94歳で亡くなった母の声が聞こえてきたようです」と
年配の男性が涙声で。
「名古屋駅で見かけた虚無僧は、あなたですか」とも。
駅前で虚無僧として吹いている時は、見向きもされない
方が、こうした場では、心を寄せて聞いてくださる。

さて、俳句の会だから、何か一句と求められて、初めて
の苦吟。

「牡丹香に 息吹き返す 薦(こも)の笛」

俳句の会の会誌「牡丹」が長らく休刊となっていたのを
復刊させた記念パーティでもあるという。忘れ去られつつ
ある薦(こも=虚無僧の異称)も「牡丹」の復刊パーティに
呼ばれて、尺八の音を聞いていただけた喜びを表した。

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11/16 松阪

2008-11-20 22:40:19 | 虚無僧日記
11/16 「泰旭流詩吟25周年記念大会」に尺八伴奏を頼まれ、
三重県松阪へ行く。松阪は虚無僧で周ってみたい町だった。
 
松阪は、蒲生氏郷の築いた城下町。氏郷は秀吉によって、
松阪から奥州会津100万石に移封させられた。近江日野の
一豪族から100万石の大大名になったのであるが、氏郷は
「たとえ小名であっても、都近くに居れば天下をとれた
ものを」と嘆いたという。会津若松の「若松」は、松阪
から草深い東北の地に移された氏郷が、新天地での再起を
願って付けた名だ。(それまでは黒川)

さて詩吟の伴奏は、半分くらいがCDでのカラオケ伴奏で、
尺八は出番が少ない。それでも8万円もギャラをいただいた。
ありがたい。これで当分しのげる。
時間があったので、駅前通りを虚無僧で流してみた。人通りが
ほとんどない。でもこういう商店街こそ、虚無僧には温かい。
二軒に一軒の割で100円、500円とくださる。
(名古屋より豊かなのか?)

小学3年生くらいの女の子が二人寄ってきた。
「何してるの?」「なんでそんなの被ってるの」「これなぁに」
矢継ぎ早に質問してくる。「お寺にも来る?私んちそこのお寺、
お父さん呼んでこよォ」と駆け出す。
(ギョギョ、お寺さんからお布施をいただくわけにはいかんが)
と迷う間もなく、すぐ側のお寺に引っ張っていかれた。
ご住職がでてこられ、子供に「虚無僧さんだよ」と言って、
ポケットから500円、100円玉を取り出して、ジャラジャラン。
純真無垢、くったくのない子供の心には大人もかなわんか。
名古屋や大都会では、「知らない人には声をかけるな」と教え
られているから、子供たちは、虚無僧に興味を持ってもあえて
無視する。“忘れられたニッポン”がここには息づいていた。

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一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

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一喜一憂

2008-11-13 05:49:59 | 虚無僧日記
11/10月曜日はさすが人が少ない。寒くなったので
皆地下道を通るようだ。夜10時まで吹いて、お布施
は 若い男性一人1円。こういう日もある。

11/11(火)は、やや人通りも増えた。スーツ姿の長身で
カッコいい男性が近づいてきて、「一曲お願いします」と。
『下がり葉』を吹く。吹き終わって、
「伝統芸能はいいですね」 「(ん?芸能か?)」
「今夜はこれで、うどんでも食べてください」と、
3,000円も入れてくれた。
「ところで最近、托鉢の人見なくなりましたね」
「ネットなどで、『あれはインチキだ』と騒がれましたから」
「いやぁ、インチキでも、こういうこと(乞食行)をするって
大切なことです」
(しまった、余計なことを言った。他人のことを とやかく
云ってはいけない) と反省。

この後も、年配のご婦人が、「ご苦労さまです」と1,000円。
他にも何人かの方からいただいて、都合5,000円。
すごいことだ。こういう日もある。いや 初めてだ。

今日は、梶田淳子先生の葬儀で、お香典5,000円を包んだ。
その分、そっくり返ってきたことになる。

11/12(水) 昨日の成果? に気をよくして、詩吟の稽古を
さぼって虚無僧に出る。“柳の下に二匹目のどじょうは
いない”若いカップルが二組で 計220円。地下鉄代差し
引くと240円の赤字。

現実大肯定。あるがまま。一喜一憂するなということだ。


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片桐朋子さん

2008-11-12 08:39:14 | 筝尺八演奏家
11/11 片桐さんに会った。
10年前、ある会で、私と田中夕子さんが箏本手、
彼女が替手で『千鳥の曲』を弾いた。あの時
まだ箏の初伝だった3人である。「片桐さん」
と呼んで親しく言葉を交わしていたら、近く
に居られた箏の大先生が「片桐朋子先生ですか、
あの作曲の、『邦楽ジャーナル』で毎号載って
ますね」と。そうか、彼女は今ポピュラー曲の
箏アレンジを手がけ、大日本家庭出版から、
楽譜とCDを売り出している。もう作曲の先生
なのだ。もうひとり田中夕子さんも、結婚して
埼玉の方へ移り、師範の資格を取って箏の教室
を開いているとか。
私ひとり、10年経ってまだ『千鳥の曲』すら
まともに弾けない。よく「尺八って難しいでしょう?」
と聞かれるが、私にとっては、箏よりははるかに
優しい。10年で二人ともすごい進化だ。感心感心。

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淳子先生逝く

2008-11-11 23:23:43 | 筝尺八演奏家
平成11年11月9日
梶田昌艶先生の妹君、淳子先生が亡くなられた。
享年78歳。名古屋では著名な琴の三姉妹の末娘。
若い時に交通事故に遭われ、足が少々不自由に。
そして結婚もせず、姉の梶田昌艶に影の如く付き
添って生きてきた人生だった。昭和20年代から、
梶田昌艶先生が作曲された曲の演奏には、必ず
名パートナーとして共演。平成11年に出した私の
CD『梶田昌艶の世界』で「水上に寄せて」の
十七絃を弾かれたのが、最後の演奏となった。
その時、すでに体調を崩し、演奏も危ぶまれたが、
しょっぱなの十七絃のボンという一撃は、他の
箏奏者では出せない音だった。全曲暗譜である。
あの音を出せる人は、もういないのかと思うと
惜しまれる。

11/10 通夜
11/11 葬儀、告別式

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ムーンライトながら

2008-11-11 08:53:06 | 社会問題
「ムーンライトながら」人気に悪乗り、指定券を転売容疑(朝日新聞) - goo ニュース

「ムーンライトながら」は、以前、東京との往復によく
利用した。新幹線の半分くらいで安い。結構満席なのだ。

その人気に目をつけて、指定券を高値で売っていたとは
驚き。買う方も買う方。JRの窓口に行けば、指定席券
だけ 510円 (閑散期310円)で買えるのにである。世の中、
いろいろなことを考え付く人がいて、またそれに飛びつく
人もいるから面白い。

ところで、「ムーンライトながら」は全席指定で窮屈。
混雑期には数分前後して臨時急行が出る。座席は普通
シートで硬いが、比較的空いているので、1ボックスを
一人で占領してゆったり帰れる。

ところがである。二度スリにやられた。東京から小田原
を過ぎる頃ぐっすり眠ってしまう。深夜2時頃、富士駅
で降りていく怪しげな数人のグループ。人を疑っては悪い
が、たぶんである。しかし警察は取り締まってくれない。
自己責任。
普段は財布も持っていないのに、偶々公演料としてウン
万円もの大金を懐に入れていた時に限ってやられた。
二度もやられる私も愚か。それ以来もう乗らない。

それにしても金を持っているって、どうしてわかるの
だろう??人智はすごいものだ。二度もやられる私も愚か。
みなさま、ご用心、ご用心。

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11/9 音量・音質共にチェィンジ!

2008-11-10 07:30:48 | 虚無僧日記
虚無僧修行、今日で3週間が過ぎた。1日、娘の
結婚式で東京に行き休んだので、都合20日間。

「循環呼吸」が見えてきた。それをやるには、まず
吹き方を変えなければならない。頬と上唇も膨らます
蛸の口“梅干口”で吹く。最初は全く音も出なかった
のが、今日ようやく曲が吹けるようになった。音質も
音量も変わった。

覚王山日泰寺に行った時、人通りも少ない静かな
環境の所では、バカでかい音で、自分でもビックリ。
音量をセーブするコツも覚えた。
その後、栄や名古屋駅で吹いた。騒々しい中では
ものすごく響く。割れるような大音量だが、全然疲れ
ない。今日は朝9時半から夜7時半まで10時間吹いた。

ジヨン・海山・ネプチューンは、日本に来て尺八を習い
始めた時、一日10時間練習したという。わずか3年で、
私は彼に抜かれた。20年先輩の私でも総練習時間に
したら彼より少なかったのだ。今日ようやく彼の練習
量に追いついた。1日だけだが。これが生業なのだから
1日10時間は働く、つまり尺八を吹くのが当然。
60歳にして、チャレンジ、チェンジだ。


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虚無僧への誤解

2008-11-10 07:24:13 | 虚無僧って?
結構物知り顔に聞いてくる御仁もござらっしゃる。

その1
男「ちょっと聞いていいですか?」
私「どうぞどうぞ、聞いてください」と尺八を吹く。
男「いえ、『昔、悪いことをした武士が、虚無僧になれば
  罪が許された』と聞いたんですけど、虚無僧って罪人ですか?」
私「私もネットでそう書いてあるのを見ましたけど、間違いです。
  江戸時代の『掟書き』でも、『罪を犯して虚無僧寺に逃げ込ん
  できた輩が居れば、速やかに奉行所に突き出すべし』とあります。
  現に、何人かしょっぴかれています」
 (まったく、ネットではいい加減な記載が多い。困ったもんだ。
  それにしても、そんなのまで読んでいるとは雑学家だ。感心感心)

その2
男「虚無僧って幕府の隠密だったんですよね」
私 心の中で(これも嘘、その事実は無い。現に幕末に、京都
  明暗寺の看主は、長州藩士を匿った門で捕えられている。
  でも、無碍に否定してはいけない。
 「はい、一般にはそう云われていますが、さてそのような史料は
  無いですね。尤も“幕府の隠密だ”なんてあからさまにしては、
  隠密になりませんからね。これじゃ目立ちすぎて隠密にならない
  でしょう。バレバレですよ」

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