現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

1/4 国府宮神社

2010-01-04 22:20:48 | 虚無僧日記
はだか祭りで有名な「国府宮」神社での舞楽演奏。

鈴花が「楽箏」の演奏を頼まれ、先月から練習に
取り組み、100回は弾いたという。今日がいよいよ
本番。各町内ごとに組織されている氏子さんたちが
大勢参集され、今年一年の祈願とお祓いを受ける。
その中で『浦安の舞』を演奏し、巫女が舞うのだ。
午前10時と11時の2回。4日間続く。

神殿の中に 一回に300名の善男善女がぎっしりと集う。
祝詞、お祓いの後、厳粛な“気”の中で、鈴花が巫女の
衣装をまとい、笛太鼓に合わせて楽箏を弾く。

満杯の参列者がしぃーんと息を呑んで、舞楽にみとれる。
こんなに荘厳で、張り詰めた空気は神殿ならでは。
一般の劇場ではとてもできない。

こんな演奏を 10/11 の能楽堂での「一路会演奏会」で
是非やりたい。大変参考になった。


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1/3  弾き初め吹き初め

2010-01-04 21:54:17 | 虚無僧日記
毎年正月3日は、岡崎の後藤先生宅に集まって
「お弾き初め、吹き初め」。
後藤先生は、お歳をめされ、箏・三絃はもう弾けない
と言われるが、自宅敷地内に広い稽古場を持って
おられるので、利用させていただいている。
「私を忘れずに毎年集ってきてくださるのがうれしい」
と、料理も酒も菓子も手土産まで用意してくださって
おり、お言葉に甘えさせていただいている。

津から大森君も初参加。彼は高校の時から地唄三絃に
興味があり、地唄ひとすじ。早稲田を出て、名古屋の
有名女子大の講師。30代独身。“草食系男子”。

私の求めに応じて『茶音頭』『新娘道城寺』などを
サラりと弾きこなす。『青柳』『萩の露』『残月』などの
大曲も暗譜しているというから恐れ入る。

岡崎の尺八家、石井氏も、もの静かな方。琴古流で古曲
一筋。迷いのない完璧な演奏だ。

一宮の後藤氏は都山流尺八家だが、三絃も弾く。新曲が
中心。尺八家で三絃も弾けるのは珍しい。

長縄氏は、尺八と横笛の両刀使い。
箏の筒見さんは、小唄も習っているから 歌も上手い。

皆それぞれ特技をもっていて、今年は一段とレベルアップ
した「初弾き・初吹き会」だった。


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史実と歴史小説

2010-01-04 18:47:14 | 虚無僧日記
歴史的事実=史実の羅列では小説にならない。歴史小説は、
歴史上の人物に名を借りて、小説家が独自の視点で、価値観を
読者に訴える。その視点によっては、価値観が反転する。

明智光秀などもさまざまに描かれ、評価は180度変わる。
その光秀の子孫と自称するのが坂本龍馬だ。琵琶湖の西岸、
近江の「坂本」は、光秀の所領であり、菩提寺の西教寺が
ある。その「坂本」を姓にしたとか。その説はたぶんに怪しい。

坂本家の先祖は百姓だった。龍馬から4代ほど前に商売を
やって成功し、株を買って郷士となったのだ。

そうした郷士に対して、上士は差別的に見下していたという。
NHK『龍馬伝』では、上士の理不尽な仕打ちにも、ただ
ひたすら我慢我慢、耐え忍び、争いを避ける龍馬像となって
いる。「恨みや武力では物事は解決しない」というのがテーマか。

前回の『天地人』も「愛」がテーマだったが、この『龍馬伝』も
「暴力否定」がテーマのようだ。平和の世の今日ならではの
テーマか? いや、なんか世の中殺伐としてきたからこその
テーマのようだ。

「朝起き会」でも、「真如苑」でも「愛和」「和合」と、
いかなることに直面しても、ひたすら己を捨てて、
相手を思う。まさに『龍馬伝』の龍馬の生き様を説き。多くの
賛同者を集めている。何か時代が「非暴力」「無抵抗」
「愛和」に向かっている。いいことではある。


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史実とドラマ

2010-01-04 18:47:14 | 虚無僧日記
NHK大河ドラマ『龍馬伝』、第一回。

郷士が上士の戯れで切りつけられても、抵抗もできない。
その上、その上士はお咎めなし。それでも耐え偲ばなく
てはならないのか。理不尽な土佐藩の上下格差に、視聴者は
いやでも反感を掻き立てられる。だが、どうみても理不尽だ。
そんなバカなと私は思ってしまう。そして調べてみれば、
事実は随分違う。

山田広衛が郷士中平忠次郎と肩がぶつかったことから諍いとなり、
山田広衛が先に刀を抜いた。中平忠次郎も刀を抜いて応戦して
いるのだ。しかし山田の方が腕前が強く、中平は斬られる。
刀も抜かずに斬られるのは武士として“恥”である。郷士中平も
刀を抜いて、一応斬りあったということに、私は納得する。

そして、その後、斬られた中平忠次郎に同行していたしていた
宇賀喜久馬が忠次郎の兄・池田寅之進に知らせ、2人で急ぎ現場へ
駆けつけて、まだ現場に居た山田広衛を背後から襲って切り殺して
いるのだ。みごと仇を討っている。「そうでなければ」と私は
溜飲を下げ、満足する。

事件はその後、上士と郷士の対立が激化し、坂本龍馬が郷士側の
リーダーとして仲裁に当たるが成らず、上士を殺害した宇賀喜久馬と
池田寅之進が自ら責を負って切腹する。

この事件に対して、藩は、山田広衛の方は弟次郎八に家督相続を許し、
先に斬られた中平家は格禄没収、山田を斬った宇賀家はお家断絶、
との処分がなされた。この決定に郷士側の人々は憤り、事件より
半年後に結成される「土佐勤王党」の勢力拡大へとつながるのだった。

事実どおりドラマにしても良さそうなものだが、ややこしいので
「中平が刀も抜かずに殺され、山田はお咎めなし」となった。
大幅圧縮し誇張されているから、私などは「そんなバカな」と
ドラマに対してシラけてしまうのだ。

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越中ふんどし

2010-01-04 18:47:14 | 虚無僧日記
どうも歴史ドラマは、あら探しばかりしてしまう私。
NHK大河ドラマ『龍馬伝』。

まず、龍馬の子供時代。岩の上から水に飛び込むシーン。
10歳未満の子供たちが、いっぱしに「越中褌(ふんどし)」を
つけている。ありえない。これで もう シラけた。

褌は男子が13~15歳になって、陰毛が生えてきてから
「成人式」の行事として与えられしめるもの。それは
「六尺褌」だ。「越中褌」は明治以後に広まった。
徴兵制で軍隊にはいる時に下賜されたので、軍人の
下着となった。江戸時代の子供はノーパン、ふりちん。
これでは放映できないか。

次に、龍馬が差している刀の「朱鞘」。正規の武士は
禁止されていた。まして郷士の身分で「朱鞘」はない。
福山雅治をかっこよく見せるためか。

龍馬の家も立派すぎる。先月、長府や萩で「侍屋敷」を
見てきたが、意外と天井が低く、小さく狭い。下士は
長屋住まいだ。

そして食事のシーン。家族全員が膳を並べて、おしゃべり
しながら食べている。これもありえない。

会津藩では、100石どり以上の上士の家では、座敷に
座るのは家長と長男(嫡子)のみ。次男、三男は次の間。
女子供は、一段下がった板の間=台所に控え、家長が
食べ終わるのを待って、あとから食事をいただく。
食事は厳粛な儀式だったから、食事中に口をきいては
いけなかった。

まして、テレビドラマで一番気になるのは、口に食べ物を
ほおばりながらしゃべるシーン。今日、日常でも禁じて
いる家庭は多いはずだ。


龍馬伝

2010-01-03 21:33:33 | 虚無僧日記
今、四国が熱い。『坂の上の雲』に続いて『龍馬伝』が始まった。
オープニングは、明治になっての岩崎弥太郎が「あいつは一番
嫌いな奴じゃった!」と咆えるシーンから回想となる。
なるほど、こうきたか。

坂本龍馬は、生前より死後に有名になった人物であり、龍馬を
最初に世に出したのは、明治16年(1883年)高知の『土陽新聞』に
「汗血千里の駒」を載せた坂崎紫瀾とか。その記者が岩崎弥太郎に
龍馬について取材するのが、オープニングとなった。

『龍馬伝』第1回は「上士と下士」。武士でも家禄の高い上士と
一段低い下士の理不尽な差別と対立。ドラマでは、龍馬がまだ
若い時の事件として、これを契機に志を立てるという設定。
視聴者には解りやすい。

史実では、坂本龍馬が江戸留学から帰国した後、25歳の時の事件だ。
山田広衛が郷士中平忠次郎と肩がぶつかったことから諍いとなり、
忠次郎を切り捨てた。忠次郎に同行していたしていた宇賀喜久馬が
忠次郎の兄・池田寅之進に知らせ、2人で急ぎ現場へ駆けつけ、山田
広衛と同行の益永繁斎の二人を殺害した。翌日上士と郷士の対立が
激化し、坂本龍馬が郷士側のリーダーとして仲裁に当たるが成らず、
上士を殺害した宇賀喜久馬と池田寅之進が自ら責を負って切腹した。

これは土佐藩が取潰しになりかねない大騒動だった。これを機に
下級士族の武内瑞山をリーダーとする「土佐勤皇党」が結成され、
翌年龍馬は藩を脱藩する。これ以後、時代は急展開し、わずか
5年後には、龍馬は何者かによって暗殺されるのだ。

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龍馬暗殺の首謀者

2010-01-03 21:33:33 | 虚無僧日記
ところで、NHK『龍馬伝』では、坂本龍馬の暗殺を
どう描くのだろうか。龍馬を暗殺したのは、当時は
「新撰組」とされ、近藤勇は坂本龍馬暗殺の下手人
として捕らえられ処刑されたのだ。

後に、明治になって、旧幕臣で「見廻組」の隊員だった
今井信郎が、龍馬暗殺を公表したため、今では「見廻組」
が龍馬を襲ったこととなっている。だが、慶応3年(1867)、
10月、徳川慶喜は大政奉還をして将軍職も辞職しており、
徳川方としては龍馬を暗殺する理由がなかった。

むしろ、坂本龍馬は、「徳川慶喜を議長とする公武合体の
議会政治」を考えていたのだから、徳川家存続を希望する
側にとっては大切な人物だったのだ。

あの時点で「龍馬が邪魔」と考えていた人物。それは
西郷隆盛である。西郷隆盛は、「徳川家の取り潰し」という
荒療治をしなければ、明治維新の大業は成らないと考えて
いた。だから徳川家の存続を認める龍馬は邪魔だったし、
龍馬暗殺を新撰組のせいにすれば、反徳川の機運がイッキに
高まると企んだのだ。龍馬は倒幕のスケープゴート(生贄)と
なった。

明治になって、西郷隆盛が坂本龍馬について、「天下に
有志あり、余多く之と交わる。然れども度量の大、龍馬に
如くもの、未だかつて之を見ず。龍馬の度量や到底測る
べからず」と最大の賛辞を送っている。

それだけに、逆に、西郷こそが、陰で糸をひいた真犯人では
ないかと疑われるのである。もっとも歴史家は否定的で、
小説家の推理である。


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フーテンの寅さん

2010-01-02 22:56:44 | 虚無僧日記
寅さんと云えば「フーテン」だが、この「ふーてん」の
語源、意味について、ネットで検索しても明解なものはない。

「仕事を持たず、ふらふらしている人」とあったが、寅さんは
「テキ屋」という仕事を持っている。ただふらふら何もしないで
いるわけではない。

「フーテン」は「瘋癲」と書き「瘋(ふう)」も「癲(てん)」も共に
「キチガイ、精神病の意。精神状態に異常をきたし、ふらふら徘徊
する人」とも。となると、山下清だが、山下清を「フーテン」とは
云わない。

一時「フーテン族」というのが流行った。定職を持たず、無気力
な若者。フーセンとヒッピーを掛け合わせたようなものだった。

「フーテン」には、寅さんが“国民的英雄”として慕われている
ように、自由奔放だが、何か憎めない、存在感のある生き方が
求められる。


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坂本龍馬

2010-01-02 21:16:24 | テレビ・映画・芸能人
1/3 からの大河ドラマ『龍馬伝』。前宣伝にNHKは、相当
力を入れている。まず題字を書いた新進書道家「紫舟」さんの
パフォーマンスには、目をみはるものがあった。すばらしい字だ。
書道も進化しているのだ。

そして『プロフェッショナル』でメーキングの特番。

龍馬が成し遂げた功績の一つは「薩長同盟」。
「覚悟とユーモアをもって、自分をさらけ出して、人の心を
掴むのが上手かった。根回し上手であった。それを演ずる
福山雅治の苦悶。「ひとつ間違えば平凡な男」「セリフは
曖昧に覚えて、相手役やスタッフと演じながら決めていく。
音楽も楽譜通りには歌わない」という言葉に私は納得。
監督やディレクター、シナリオ・ライターによっては、
台本通り、一字一句変えることを許さないという人もいる。
プロフェッショナル同士のぶつかり合いだ。

10年以上前の『その時歴史が動いた』だったか。「坂本
龍馬」をとりあげた時、「坂本龍馬は大した人間では
なかった。明治になって、意図的に英雄に祀り上げられ、
今日の“龍馬”像がつくられた」という内容だった。
高知の人の反発はいかにと、私でさえ驚いたものだった。

昨年、高知空港の出発ロビーに展示された坂本龍馬像の首が
折らるという事件が3度もあったそうな。「龍馬は高知の
象徴なのに、なぜ……」と、地元の人の落胆も痛いほど
わかる。「ひいき」があれば、「嫌い」もあるか。

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紅白の舞台裏

2010-01-02 20:30:34 | 虚無僧日記
1/2 NHK「紅白の舞台裏」を見る。

その昔、視聴率が 70% を超えていた時代の「紅白」は、
舞台転換も無く、今から見ると、実にお粗末なステージ
だった。それが、ここ10年で、ものすごい進化だ。

小林幸子の豪華衣装も毎年話題だが、そのスタッフの
苦労はすごい。舞台裏を知ることも面白い。

「紅白」は時間との勝負。生で4時間、それを1秒の
狂いも許されず、定刻に終わらせるのは奇跡だ。
そのための裏方の働きには目を見張る。

「紅白」は魔物。ハプニング、トラブル何があっても
不思議ではない。ベテランも出番前は震えているという。

かつて、年が明ければ、年末の「紅白」のことなど話題に
するのは、はばかられたが、今年は、堂々再放送や、
舞台裏を見せるなど「紅白」をひきづっている。
ま、あれだけ大変な裏方の苦労に報いてあげるのも
いいか。


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