現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

1/10 初吟会

2010-01-11 00:07:06 | 虚無僧日記
関西吟詩・東尾張支部の初吟会が賀城園であった。
私も所属している詩吟の会。会員40名あまりだが、
平均年齢は70ウン歳。私より若いのは2~3人しか
いない。でも とても70、80歳にはみえない。実に
みなさん若々しい。元気はつらつ。

全国コンクール優勝の澤田さん、3位の高須さん
以下、入賞歴を誇る会員が多く、レベルは高い。
特に、昨年 久田先生を迎え、会員のレベルは 数段
向上した。その人の欠点を指摘し、改善するための
適確なアドバイスをしてくれる。詩吟も尺八も 基本は
呼吸。共通するものがあって多いに参考になる。

向上心をもって日々努力することが生き甲斐になって
いる。若い者にはソッポ向かれる詩吟だが、健康の
ためには絶対良いということを、実証している。

「今年は、若者にもアッピールする活動を」と久田
先生の年頭の辞。「名古屋開府400年」「COP10」の
名古屋開催に呼応した「構成吟」を作って、公共の場
での出演機会を増やそうとの提案。

10月11日の名古屋能楽堂でのわが一路会公演にもタイ
アップ出演を私が提案。なかなか面白くなってきた。


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仕事はじめ

2010-01-09 19:50:46 | 虚無僧日記
もう毎日が本番。朝3時起きして「今日は何だっけ?」と
カレンダーを見る。そして、演奏する曲の楽譜を探す。
見つからないと、手書きで書く。探しているより書いた
方が早い。

1月8日は、中区の「平和福祉会」で鏡開き。鈴花の箏と
恭花の三絃、私の尺八で「松尽くし」。尺八の譜面など
無いから、箏の楽譜に、自分で尺八の手をつける。

さて本番。恭花は梶田先生から借りてきた三絃の糸巻が
調子悪い。すぐゆるんでしまって、全く演奏ならず。

尺八家は他人の尺八を借りて吹くなどということは絶対
ない。三絃は、持ち運ぶのが大変だからと、借りてきた
のが間違いだった。

これも経験。本番で失敗して強くなる。しかし、
老人ホームが 素人の練習の場になっては 申し訳ない。


その後は、梶田先生宅で『茶音頭』の練習。最初の出
だけでも何十回も、息が合うまで繰り返す。そして
わずかのズレも見逃さない。一音一音、音と“間(ま)”を
確認し、楽譜を書き直す。尺八の楽譜は本当にいい加減だ。
このまま吹いてよく合わせられるなと感心する。三絃や箏の
フレーズに合わない所が何箇所もあるのだ。

たとえば、尺八の楽譜では「レ-ロ---」と続けるように
なっていても、「そこは歌が始まるのでレ-ロ-で切り、
あらためてロ-と吹きなおす」とか、二人で呼吸を合わせ
られるよう、細かくチェックをした。

ようやくこれで尺八の譜面が完成。1月20日のNHK録音
に向けて、100回吹きスタート。


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稽古はじめ

2010-01-09 19:50:46 | 虚無僧日記
1月9日(土) 長縄、加藤両氏がみえる。
11日の、中川生涯学習センター主催の「新春尺八
コンサート」のための練習。

これはおさらい会ではない。市から出演料をいた
だいての、コンサートである。お二人にはその自覚を
持ってもらい、朝10時から2時半まで4時間、みっちり
稽古。出だしの音から厳しく指導した。曲によって
それぞれ異なる。思いっきり強く出すのもあれば、
消え入るようなピアニッシモの場合もある。

童謡ひとつ、尺八家は歌うように吹けない。音の
強弱が歌に合っていないのだ。そんなことも徹底
直した。本番が楽しみ。


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盗難事件

2010-01-09 19:01:58 | 虚無僧日記
尺八教室として借りている「邦楽ラウンジ」に泥棒が
はいって、受講料など現金2万円が盗まれた。

疑われているのは、先月、私に面会を求めてきた○○氏。
「邦楽ラウンジ」には、私のいない時、他の三味線や二胡
などの時間に、度々訪ねてきていたという。そうして
教室内を物色していたようだ。

その時居合わせた「邦楽ラウンジ」のオーナーに、私の
名を出して信用させ、部屋の鍵の開け方を聞き出し、
深夜に無断で はいりこんだようだ。

住所不定だから、深夜、寝ぐらにしていたのだろう。
ケータイ番号と姓名は判っている。電話をかけて呼び
出してもいいのだが、夜中に侵入して 盗んだという
証拠が無いから、警察も逮捕できないという。

とんでもないやっちゃ。私の名前が使われたので
困ったことになった。鍵を取り替えるなど、他の講師にも
迷惑をかけることになってしまった。

元××生命に勤務。××生命が倒産して失職、妻に
死なれ、今は住所不定。古道具屋で買った延べ竹の
尺八を吹いて、あちこち出入りしているらしい。
尺八は自己流のでたらめ。

それでも金を与える人がいるらしい。私と同類だが、
似て非なるもの。“情け無い=ああ無情”だ。

「レ・ミゼラブル(あぁ無情)」を思いだす。情けをかけて
食事を与え、泊めてあげた男に銀の燭台を盗まれた
司祭が、その男ジャン・パルジャンをかばって、「その
燭台はあげたものだ」と警察に言う。


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国府宮での舞楽演奏

2010-01-09 19:01:58 | 虚無僧日記
1月4日から7日までの「国府宮(こうのみや)」神社での
楽箏演奏は、鈴花が無事勤めあげた。4日間で 2,000人
以上の方に、演奏を聞いていただいたことになる。

神殿での舞楽は、演奏会とは全然違う。参列者は、雅楽の
神々しいばかりの音声に酔い、巫女の舞に見とれる。
神が降臨したかの不思議な世界に、魂を奪われたかの
境地になる。

4日目で気づいた。神殿での舞楽は、参列者へのサービス
ではなく、神様へ捧げるものなのだ。「神を喜ばせ、神の
霊力を引き出すものなのだ」と。

音楽は元々、神へ捧げるものとして誕生したのだ。我々の
演奏もその原点を忘れてはならないと。

翌日から毎日が本番。私の尺八の音も明らかに変わって
きた。自分でも神の霊力を感じる。


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絵に描いた餅

2010-01-07 19:59:39 | 虚無僧日記
12/30の鳩山総理会見で「計画をいくら作っても、
実行力がなければ“絵に描いたもち”であるという
ことでございます」と。

さようでございます。煮え切らない総理の態度に、
そろそろ 国民の苛立ちも 高まってきている。

ところで、NHKで「絵に描いた餅」のように、
ふっくら提灯を作るには どうしたらよいか というの
をやっていた。

子供の頃の餅は、炭火で焼くと、よく膨らんだ。
最近の餅はちっとも膨らまない。伸びない。
なんか変だと思っていた。

「絵に書いた餅」のようにふっくら膨らますには、
まず餅をこまめにひっくり返して、両側に焦げめを
つける。そして焼けたら、真ん中に切れ目をいれ、
そこに水を1、2滴たらす。すると、切れ目から
柔らかい部分が提灯のように吹き出してきた。
最近の餅は水分が少ないということか?

子供のころ、母はよく「餅は乞食に焼かせろ、瓜は
殿様に剥かせろ」と言っていた。餅は しょっちゅう
ひっくり返せ、瓜の皮は厚く剥けという意味だ。

今、餅はIHS鍋で焼いているが、ちっとも膨らまない。
横に広がって伸びない。羊羹のように噛み切れる。
絵に書いたような餅は 無くなった?

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1/5 国府宮神社にて

2010-01-06 04:00:08 | 虚無僧日記
「国府宮」神社での「浦安の舞」演奏、2日目。

鈴花が「楽箏」の演奏を頼まれ、私はその付き人。
いつもと主客逆転。朝8時に迎えに行き、国府宮
まで20分と近いのが幸い。

「浦安の舞」は、1940年(昭和15年)11月10日に開かれた
「皇紀二千六百年奉祝会」に合わせ、全国の神社で奉祝祭を
行うに当たり、創作された神楽舞。宮内省楽部の多忠朝が
国風歌舞や全国神社に伝わる神楽舞を下地に作曲作舞した。

歌詞は、1933年(昭和8年)の昭和天皇御製

 「天地(あめつち)の神にぞ祈る 朝なぎの 
          海のごとくに 波たたぬ世を 」

国府宮の宮司さんの話。
 「当時、全国の神社で一斉に舞うため、宮内庁から全国に
  講師が派遣されてきた。テープなど無い時代。雅楽と違って、
  お箏の手も細かいので、覚える方は大変だった」と。
  神楽の新曲なのだ。

ネットで見ると、現在でも各地の神社で舞われているが、大半が
宮内庁雅楽部の演奏によるCDを使用している。生演奏は珍しい。

楽箏専門の人からみれば難しいが、俗箏に比べれば曲はカンタン。
だが、一般の箏が弾けても、楽箏は糸も、弾き方も“間”の取り方も
違う。まず、音程が全体に半音近く低い。そして平均律ではない。

楽箏の音、神楽の雰囲気を出して弾くのは また別だ。
鈴花は、こうしたことを真似て、それらしく弾くのは得意だ。
舞台度胸はあるし、宮司さんからもお褒めの言葉をいただき、満足。

昨日同様、午前10時と11時の2回。
神殿の中に 一回に300名の善男善女がぎっしりと集う。さすが
名古屋周辺の農村部、信仰深い善男善女が多いのに驚く。


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尾張徳川慶勝

2010-01-05 21:20:14 | 虚無僧日記
NHKで幕末の尾張藩主「徳川慶勝」をとりあげていた。
慶勝は尾張の分家、高須松平家から尾張藩主となった。
会津藩主の松平容保、桑名藩主の松平定敬は弟である。

徳川義勝は、慶応4年正月に勃発した鳥羽伏見の戦いで、
さっさと官軍側に寝返ってしまった。御三家筆頭であり
ながら反徳川に回ったのだ。

弟である京都守護職会津藩主容保と京都所司代の桑名
藩主定敬も見捨てたのである。

徳川義勝は、一早く官軍に見方したにもかかわらず、
義勝が明治政府の要職に迎えられることはなかった。

そんなわけで、従来の評価は「変節、凡庸」と、あまり
芳しく無かったが、今回のNHKでは、「争いを好まず、
平和主義者」と再評価である。つい10年ほど前は、官軍に
徹底抗戦した会津藩や新撰組を「至誠、忠義の誉れ」と
賞賛する声が主流だったが、最近はこうした「無抵抗、
平和主義」が「善」とされるように、価値観が変化して
きたように感じる。

ただし、慶勝が1864年、「第一次征長軍」の総督となって
長州を攻め、長州藩家老3人と藩士11名の斬首で、決着を
つけたこと。そして4年後の1868年。鳥羽伏見で幕府軍が
敗れると即、家老3名と藩士11名を斬首し「これで許してぇ~」
と、官軍に頭を下げたことについては、NHKは取り上げ
なかった。

ま、名古屋は今、河村市長の下、「名古屋開府400年」で
元気を取り戻そうと頑張っている。その気運を後押しする
かの番組だった。


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桑名藩主と尺八

2010-01-05 20:33:45 | 虚無僧日記
尾張徳川家の分家である美濃高須藩(岐阜県海津町)の
第10代藩主・松平義建には子が多く、5人の子が他家に
養子に出される。

次男が 尾張藩 第14代藩主 徳川慶勝。
三男は 石見浜田藩主 松平武成。
五男は 慶勝の後の尾張藩主、後慶喜の後の一橋家を継ぐ。
七男が 会津藩主 松平容保。
九男が 桑名藩主 松平定敬。
十男の 義勇が 高須藩 第13代藩主となる。

維新の志士たちがみな若いのに驚くが、会津藩主松平容保 が
京都守護職に任ぜられた時は 26 歳。その弟、桑名藩主松平
定敬が京都所司代になった時はわずか 17歳 である。
信じられない。

慶応4年=明治元年(1868)でも、徳川慶喜は31歳、容保30歳、
定敬21歳だった。ちなみに尾張慶勝は44歳で隠居の身だった。

さて、その桑名藩主 定敬だが・・・・・。
桑名藩は、慶応4年正月、鳥羽伏見の戦いで幕軍が敗れると、
国元の家老たちが協議して、藩を守るために藩主の帰国を
拒否するのだ。
そのため、定敬は城に入いれず、兄容保を頼って江戸から
会津まで行き、さらに会津が危なくなると、函館まで逃れ、
函館戦争に巻き込まれる。

函館戦争でも敗れると、囚われの身となり、後 許されて、
兄容保とともに日光東照宮の宮司などを勤める。

その松平定敬は、なんと なんと、明治になって、琴古流尺八、
荒木派三代目 荒木古童 の 門弟に名を連ねているのだ。
20代で幕末の激動の波に呑まれた定敬は、尺八の音に何を
求めたのであろうか。


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交通事故死者数全国トップ

2010-01-05 18:39:35 | 虚無僧日記
昨年の「交通事故死者数」、愛知県は5年連続でトップ。
ワースト1だ。

●交通事故死者数(括弧内は08年)
 1:愛知県 227人(276人)
 2:北海道 218人(228人)
 3:埼玉県 207人(232人)
 4:東京都 205人(218人)
 5:大阪府 205人(198人)

愛知県の「対前年減少数は49人」で全国1である。それでも
全国ワーストを返上できなかった。
愛知県警は、「ワースト1の汚名返上に真剣に取り組んでいる」
と言っているが、私は名古屋に来て16年。白バイをほとんど
みたことがない。スピード違反取締りの“ねずみ取り”も、
飲酒運転の検問も、この16年で3回ほどしか遭遇したことない。
東京では、年に3回は遭遇していたと思うが。

それより、県警が一番熱心に取組んでいるのは「駐車違反」の
取り締まり。わずか10分足らずに間に、こそっと来ては、
ステッカーを貼るなり、レッカー車で持ち去っていく。その
早業は、まるで“泥棒猫”だ。

しかも本当に迷惑な駐車なら納得するが、閑静な住宅街の、
人も車も通らない日曜の朝6時、人を迎えに知人宅に入って
10分の間に、パトカーが来て、駐禁のステッカーを張って
いったのには、参った。

それで「駐禁の検挙数では、東京の10倍。全国1位」などと
自慢してござる。何か変だぞ愛知県警。


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