現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

平塚芳朗氏コンサート

2010-10-23 10:42:49 | 虚無僧日記
いよいよ明日10/24、 長久手森のホールで、
平塚芳朗氏のコンサート。今年最後の大仕事。

平塚氏は、尺八は父平塚晃山氏の晃山流を
継いで二代目宗家、琴は母麗明都志子の麗明社を
継いで二代目家元。尺八と琴双方の家元であり、
作曲もされる。そして、海外公演がなんと166回
という、異色の邦楽家。演奏は、古曲以外は
すべて、ご自身の作曲になる曲。

1936年生まれだから、私より12歳も年上、今年
74歳だが、若々しく精力的な活動には驚くばかり。

音程やリズムにやかましく、厳しく注意される。
私の尺八は A=440 で、E♭とFを平均律より
低めにとっているため、洋楽器と合わせるのは
厳しいのだ。やむなく、手孔を削って上げた。

今日はこれから、夜7時までリハーサル。洋楽の
人はすごい。前日に初見で合わせて、翌日本番。
プロの世界は大変でござる。では、行ってきま~す。


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プロはなんでもやらねばならぬ

2010-10-21 23:21:38 | 虚無僧日記
「一つのことに習熟していること」の他に、「専門外の
ことでも、それなりに こなすのが、一段上のプロ」という
話があった。なるほど、その昔、クレージーキャッツの
面々が、「芸能人隠し芸大会」で、尺八でジャズの『テイク・
ファイブ』を五重奏で演奏した時は驚いた。当時、尺八家で
『テイク・ファイブ』を吹ける人など皆無だったのだ。

10/11の能楽堂では、私は『耳なし芳一』の語りを務めた。
10/17は、伊賀上野のホテルでの某高校の同窓会に、
一絃琴の伴奏。そこで、その高校の校歌をリクエスト
された。楽譜があれば、初見で吹ける。それは無事成功
したのだが、その後、一絃琴の調弦が半音上がって
しまった。尺八で半音ずつ上げて吹くのは難しいのだが、
九孔尺八だから、なんとか吹いた。

10/24は、平塚芳朗氏のコンサート。弦楽四重奏との合奏は
音程を合わせるのが難しく、苦手だが、やらざるを得ない。

毎夜、車の中での練習を続けており、只今帰ったところで
ござる。これから寝て、3時に起きて、また一日が始まる。


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10/17 伊賀上野 往復6時間

2010-10-21 10:12:03 | 虚無僧日記
「100kmの距離を、時速100kmで飛ばせば、1時間で着く」と
いうのは、小学生でもわかる算数。だが、現実社会はそうは
いかない。高速道路が1,000円になり、大渋滞で、時間が全く
読めなくなったのだ。

10/17(日)は、昼と、午後4時から伊賀上野の 2件の仕事が
入っていた。以前なら、2時に出れば十分間に合ったのだが、
昼の仕事を断って、12時に名古屋を出、着いたのが3時。
帰りも6時に伊賀を発って、名古屋に帰り着いたのが9時。
片道3時間、往復6時間かかった。

もっとも、大渋滞の中ひたすらハンドルを握っていたわけ
ではない。疲れて、SAで休憩をとるので、ますます遅れる
のだ。

ところで「御在所岳SA」に入って驚いた。かつてのドライブ
インのイメージとは一新。トイレはウォッシュレット。シャワー
室もある。出店している店も「柿安」はじめ一流ブランド店
ばかり。昼の弁当が1,200円。それでも、どこも長蛇の列。
どうやら、ここを目当てに来ている人もいるようだ。着ている
服装も違う。山や海に行くカジュアルな格好ではないのだ。

「何でも 安くしないと 売れない」という価格競争は底を
付き、高くても、客が集まり、売れているという現実に、
眠気も吹き飛んだのは、私だけではないようだ。


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大須で「百鬼どんどろ 岡本芳一師」追悼

2010-10-20 10:37:56 | 虚無僧日記
「大須大道町人祭」の演目の中に『百鬼どんどろ
岡本芳一追悼 魑魅魍魎絵巻』があった。

岡本芳一さんは、長野県の上伊那に居を構えて、
活躍していた人形師。昨年の春、飯田での公演を観に
行った。バックの音楽は、わが敬愛する児玉竹座氏の
法竹(地無し尺八)。満開の桜の木の下での二人の
共演も、身震いするほどステキだった。

その岡本氏が、今年の春、62歳で亡くなった。私と
同じ歳だ。下伊那に住む尺八のトム・ディーバーも
相次いで亡くなり、二人をよく知るカメラマンの
丹羽さんに誘われて、5月にそれぞれの居宅を弔問
に訪ねた。

岡本氏は、今年の「大須大道町人祭」にも出演予定
だったのだろう。その遺志を継ぐ人たちの演舞が
あったのだ。

岡本氏とギリヤーク尼崎は、共にパリの公演に招かれて
行った仲とか。ギリヤークは演舞の初めに「仲の良か
った友達、どんどろの岡本さんの為に、踊りま~す」と、
声を張りあげたのだ。

そして、終了後に、ギリヤーク氏は「今日は最高だった。
最高の踊りを披露できた」と、興奮して、何度も何度も
口にしたほど熱が入っていた。私も、岡本氏も知るだけに、
その思いが伝わった。

ブログを検索していたら、大阪から わざわざ観に来た人が、
「隣りの人と、肩を抱き合って、涙流して、感動した」と
書いていた。

私も、隣りの若い女性に、思わず声をかけてしまった。
「(ギリヤークの芸が)わかりますか?」と。彼女は「?」顔
だったが、「ギリヤークは知らなかったが、ちょっと気に
なる存在で見にきた」と言う。彼女も独りで見に来ていた。

その後、ギリヤークが私たちの所にやってきて、「(首から
かける) 前掛けの紐を、首の後ろで結んでくれ」という。
ギリヤークはもう80歳。指先が絶えず震えている。中風か。
紐を結ぶのも大変なのだ。暗い中、隣りの彼女にギリヤークの
長い髪を束ねて上げてもらい、私も緊張で指震えながら、
どうにか結んであげることができた。

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「大須大道町人祭」での金粉ショー

2010-10-20 09:07:14 | 虚無僧日記
「大須大道町人祭」の呼び物の一つが「大駱駝艦の
金粉ショー」と知ってびっくり。毎年恒例だそうだ。

大駱駝艦(だいらくだかん)は、1972年、麿赤兒を
中心に結成された舞踏集団。70年安保で世相荒廃の
中、アングラ前衛舞踏として登場した。男女とも、
前張りだけのほぼ全裸に、男はスキン・ヘッド。
全身を白く塗り、おどろおどろしく、狂おしく、のたうち
まわるように踊る。踊るというより、少ない動きの中で
「筋骨の美や 顔の表情の 変化」を見せると云った
方がいいか。海外でも評価され、「Butou」として、
逆輸入され、日本でも認知されるようになった。

その後、「北方舞踏派」「背火」「山海塾」「白虎社」
「アリアドーネ」など、分派して、いくつもの会が結成
された。大駱駝館のメンバーである室伏鴻によって
76年8月に結成された「背火」の、第一回 結成記念
公演は、なんと題が「虚無僧」だった。

私は、こういう世界が好きで、よく通った。バック
の音楽に、尺八の海童道曲『息観』『産谷』などが
使われることもあった。私も「現代舞踊」の会などで
演奏を頼まれたことがある。

前衛舞踊は、人間の奥深い強欲やら深層心理を
えぐり出しており、それは宗教的な祈りにも通じて
いる。

その大駱駝艦が、40年続いていたとは驚きだった。
当然メンバーも全員変わっているのだろう。アングラ
(地下)から地上に出て、人々の目を楽しませるダンス
グループになっていようとは。時代の変化か。


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アメリカ映画 「大和魂」

2010-10-19 09:29:19 | 社会問題
「遺骨の置き捨て」という悲しいニュースに、
子供の頃、テレビで見たアメリカ映画を思いだした。
タイトルは『大和魂』だったか?主演は「早川雪州」。
1935年の映画だ。

時は幕末、なぜかアメリカの西部を日本の侍が旅を
している。彼は一つの壺を大事そうに抱え、朝晩に、
その壺を前にして手を合わせ拝んでいる。それを見た
荒野の荒くれ共が、「きっと純金の仏像が入っているに
違いない」と思って、奪おうとする。そしてピストルと
日本刀の決闘。必死に戦うが、多勢に無勢、その壺を
奪われてしまう。盗賊は、奪い取った壺の蓋を開けて
みると、ただの「灰」。がっかりして、中の灰を荒野に
撒き散らし去って行ってしまう。侍は命は無事だった
ものの、悲しみと無念の表情で、その場で切腹して
果てる、というストーリー。

実は、その灰は、共にアメリカに渡った主君の遺骨だった。
主君は盗賊に襲われたか、アメリカの地で亡くなり、従者で
あった侍は、主君の遺骨をなんとしても日本に持ち帰らねば
ならない使命を帯びて、西海岸まで旅をしていたのだ。

そして、遺灰を奪われ、蒔き散らかされたことで、責任を
とり切腹する。「早川雪州」は、日本人初のハリウッド・
スターで、戦前、チャップリンと肩を並べる人気俳優だった
とか。

日本では、「ヘンな日本人観を植えつけた」として国辱
俳優扱いされていたそうだが、アメリカでは、この映画も
「これぞ武士道。侍ニッポン」と、大好評だったようだ。

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「遺骨」の置き去り

2010-10-18 13:42:59 | 社会問題
長寿社会 悲しみのない死 放置された漬物容器の遺骨(産経新聞) - goo ニュース

東武伊勢崎線に漬物容器に入った遺骨が放置されたとのこと。

私が子供の頃、「山手線の遺失物の中に『骨壷』」という
ニュースがあって、大きな話題になった。当時は「うっかり
“忘れ物”したのだろうから、すぐとりにくるだろう」と
しか思いが行かなかった。

それが年々増え続けるにつけ、「故意に置き去り?にされた」と
気づくようになった。そして今や、もう頻繁だそうだ。

ある葬儀場では、火葬後「持ち帰らない」骨壷が、今年はすでに
161体で、昨年の120体を上回るとのこと。

もう「葬儀もしない、墓も作らない」という人が。最近急激に
浮上している。

今日10/18の中日新聞一面のコラムでも「戒名は、仏典には無い
日本だけの制度」と名言されていた。もう従来の葬儀社や仏教
寺院は受難の時代だ。新しい価値観を創造する努力が必要。


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テレサ・テン、『ジェルソミーナの歩いた道』

2010-10-18 12:34:13 | テレビ・映画・芸能人
テレサ・テンの『ジェルソミーナの歩いた道』。かつて
一度聞いて、とりこになり、最近 また 毎日聞いている。

【歌詞】

 振り向かないで ドアをしめていって
 あなたの冷めた愛を いたわりにかえないで
 許してあげる 心変わりなんか
 あなたの好きな人を ひたすらに愛してあげて
 どれだけ愛したか それだけがすべてだから
 私は大丈夫 こんなに元気よ

 ※ジェルソミーナの 歩きつづけた
  涙と そよ風の道を 私も今 歩き始める
  両手を広げて※

 確かなものは 何もないにしても
 寄りそい合える人に
 あぁ もう一度 逢えたなら
 どれほど 愛せるか
 それだけが すべてだから
 女に生まれたら 女に生きたい

You-Tubeでは、1985年、NHKホールでのコンサートの
最後に、ウェディングドレスで登場して歌ったという
映像がアップされている。

なぜ、ウェディング・ドレスで歌ったのか、意味深だ。

「ジェルソ・ミーナ」といえば、有名なイタリア映画『道』の
主人公の名前だ。その「ジェルソミーナの 歩きつづけた 涙と
そよ風の道を 私も今 歩き始める。両手を広げて」というのだが、
どういう関わりなのかは、意味不明。あの映画と、関わりが
あるのか無いのか、謎を残して逝ってしまった。永遠の歌姫。


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イタリア映画 「道」

2010-10-18 09:41:57 | テレビ・映画・芸能人
フエデリコ・フェリーニ監督のイタリア映画『道』。
1954年(S29)の制作。

私がこの映画を初めて観たのは、もう40年も前。
モノクロの暗い映像は 強烈だった。

昨年だったか、世界の名画100選のアンケートに、
上位に入っていたから、今もって世界中の人に
「名作」として支持されているようだ。

大男で、ただ鎖を引きちぎるだけの芸しかできない
大道芸人に買われ、奴隷のように扱われながらも、
けなげに付き添っていく女の名が「ジェルソニーナ」。
“知恵遅れ”というが、そんなことはない。なかなか
愛くるしい。だが、男は彼女を粗暴に扱い、最後は
捨てるのだが、何年かして、男はジェルソニーナが
死んだことを聞かされて、大泣きするシーンで終わる。
見ていて涙は出ないが、ジ~んと重苦しいものが残る。
大道芸人たちのどん底の悲哀に胸を熱くするのだ。

大道芸人を見ると、このフエデリコの『道』を思い
出し、投げ銭をせずにはいられない。


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大須大道町人祭で「ギリヤーク尼崎」 (つづき)

2010-10-18 09:10:45 | 虚無僧って?
私は、20代の学生の時、偶然通りかかった渋谷の
ハチ公前で、ギリヤーク尼崎を観、強烈な印象を
受けた。津軽三味線の音とともに、狂おしく踊る姿は、
今も目に焼きついている。それは「坊さま」と呼ばれた
津軽三味線弾きや、「ごぜ」の姿だ。
まだ、津軽三味線の高橋竹山も、「ごぜ」の小林ハル
さんも、それほど知られていない時代。むしろ、そう
した古いものが、なぎ倒しに、消えていく時代だった。

私は、子供の頃から、虚無僧や放浪の旅芸人に、強い
憧れを持っていた。そして、今、その“夢”が叶い、
虚無僧として生きている。自分の将来は、旅に暮れ、
のたれ死にすることを望んでいる。
 
「旅に病み、夢は枯野を かけめぐる」芭蕉

今、60の還暦を過ぎ、尺八を吹けるのも、あと10年か
と思っていたが、ギリヤーク尼崎に40年ぶりに会って、
力をもらった。
彼は、心臓にペースメーカーを入れている。ここ(左胸)を
路面に打ち付けないように注意して踊るんです」とか、
「体が動くように、毎日鍛えている」と、芸人魂を語って
いた。

16日の「大須大道町人祭」での演舞は夜7時。最後に
水をかぶり、ずぶぬれになる。夜になれば、結構冷えて
きて、濡れた体では寒いはずだ。後片付けにも時間が
かかる。

その間ずっと、興奮してしゃべりまくっていた。「今日は
良かった、今日の踊りは最高だった、あんな手は、今まで
で無かった、激しくよく(手足)が動いた」と。

彼は意外にも雄弁だった。生きることに必死の執念を見る。
虚無僧は「執着を捨てる」ことを教える。彼は、生きること
への執着を伝えているようだ。「宗教的な“祈り”をこめた
芸」では共通しているのだが、正反対のものを感じる。