2006年に筑摩書房より刊行された本なので、今から10年前、群ようこ、50歳の時のエッセイ。
友人たち3人で老後をくらそうと計画しているが、なかなか話が進まない事とか、最近の若いもんはなってない!と若い頃の群さんも言われたであろう小言を、エッセイ集の中で書きまくっている事とか、母親や弟の住む家のローンを早く払い終わりたい事とか、いつもの話題をいつもの調子で書き連ねている。
その中で、いつもでない話題が一つ。『新聞はとらない』という章がある。
群さんは、図書館をあまり利用しない。本は買うべき、という信念の持ち主なので、新聞をとらないのは意外だった。その理由だが、まず新聞を作っている人が好きではないそうだ。新聞社の体質は、出版社とは明らかに違うどす黒いものがあるそうだ。あくまで群さんの意見。
一般的には、新聞社の方が公明正大・清く正しくのイメージがあり、週刊誌を発行する出版社の方が、ダーティなイメージがあると思う。まぁ、群さんが付き合ってるのは、文芸書部門の編集者だろうから、クリーンな人が多いんだろう。
ただ、私の高校時代の社会科の先生は「新聞記者はヤクザと同じ」とたえず言ってたので、どす黒い面もあるだろうなと思う。
群さんが、M新聞から依頼されエッセイを連載したら、一月ほどたってから、担当者から電話があり「読者から手紙が来て、エッセイを載せると不買運動を起こすと言われたので、書く内容を変えてほしい」と言われたそうだ。
いやーーー、群ようこの毒にも薬にもならないエッセイのどこが気に障ったんだろう? その方が気になる。不買運動って、新聞社がそんな圧力に負けていいの? 読者からって本当? ひょっとしたら新聞社の上層部からじゃない?
大学の教授とか、評論家とか、硬派と思われてる人にはへこへこして、柔らかい文章を書く人にはキビシイ人って、新聞社の管理職に多いんじゃないの?
エッセイ内にも、こういう箇所がある。「だいたい新聞社の人間は傲慢である。自分が社会を動かしているような気になっているのではないか」
これには深く同意する人も多いんじゃないだろうか?
群さんは、新聞に投稿するようなおばちゃんも、勧誘員も嫌い、とにかく新聞には関わりたくないそうだ。立派な心掛けだと思う。
友人たち3人で老後をくらそうと計画しているが、なかなか話が進まない事とか、最近の若いもんはなってない!と若い頃の群さんも言われたであろう小言を、エッセイ集の中で書きまくっている事とか、母親や弟の住む家のローンを早く払い終わりたい事とか、いつもの話題をいつもの調子で書き連ねている。
その中で、いつもでない話題が一つ。『新聞はとらない』という章がある。
群さんは、図書館をあまり利用しない。本は買うべき、という信念の持ち主なので、新聞をとらないのは意外だった。その理由だが、まず新聞を作っている人が好きではないそうだ。新聞社の体質は、出版社とは明らかに違うどす黒いものがあるそうだ。あくまで群さんの意見。
一般的には、新聞社の方が公明正大・清く正しくのイメージがあり、週刊誌を発行する出版社の方が、ダーティなイメージがあると思う。まぁ、群さんが付き合ってるのは、文芸書部門の編集者だろうから、クリーンな人が多いんだろう。
ただ、私の高校時代の社会科の先生は「新聞記者はヤクザと同じ」とたえず言ってたので、どす黒い面もあるだろうなと思う。
群さんが、M新聞から依頼されエッセイを連載したら、一月ほどたってから、担当者から電話があり「読者から手紙が来て、エッセイを載せると不買運動を起こすと言われたので、書く内容を変えてほしい」と言われたそうだ。
いやーーー、群ようこの毒にも薬にもならないエッセイのどこが気に障ったんだろう? その方が気になる。不買運動って、新聞社がそんな圧力に負けていいの? 読者からって本当? ひょっとしたら新聞社の上層部からじゃない?
大学の教授とか、評論家とか、硬派と思われてる人にはへこへこして、柔らかい文章を書く人にはキビシイ人って、新聞社の管理職に多いんじゃないの?
エッセイ内にも、こういう箇所がある。「だいたい新聞社の人間は傲慢である。自分が社会を動かしているような気になっているのではないか」
これには深く同意する人も多いんじゃないだろうか?
群さんは、新聞に投稿するようなおばちゃんも、勧誘員も嫌い、とにかく新聞には関わりたくないそうだ。立派な心掛けだと思う。
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