ケイの読書日記

個人が書く書評

角田光代 「おみちゆき」

2016-08-01 16:15:48 | 角田光代
 即身仏に題材を取っている短編。角田光代は上手だから、すごく怖い。

 即身仏って、大昔に読んだ『湯殿山麓呪い村』に出てきて、へぇー!こんなミイラみたいなものが日本にもあったんだ、と驚いた覚えがある。
 エジプトのミイラは死んだ後、ミイラ化される。しかし、日本の即身仏は、お坊さんが衆生救済を願い、生きたまま自分の肉体をミイラにすること。遺体がミイラ化した後、掘り出され、ご本尊として奉られた。
 当然、よほど強い意志がない限り、できないよ。

 食事は、木の皮や木の実で、脂肪を燃焼させ、水分を減らし、生きている間に身体を腐敗しにくいミイラ状態に近づける。地下に穴を掘り石室を築き、そこに入る。竹筒で空気穴を設け、行者は断食しながら鈴を鳴らし、息絶えるまで読経する
 つまり、鈴が鳴っている間は生きている訳で、それを確認するため『おみちゆき』の主人公たちは、夜中に埋められた石室の所に行き、鈴の音を確認し、音がしなくなったら白い布を空気穴の竹筒にまくのだ。今度は本当にすべて土で埋めるために。

 4年後、お坊様は掘り起こされた。素晴らしい即身仏になっているかと期待したが…ああ、こりゃあ、だめだ
 枯れ枝のような腕は、頭上に向けて上げられていて(そんなスペースが石室のなかにあったんだろうか?)5本の折れ曲がった指は、思い切り開かれていた。まるで、「ここから出してくれ!!!」と叫んでいるように。
 本当に評価が高い即身仏は、両手を印に結んで立派なお姿で、そうでなくてはご利益も望めないらしい。

 主人公は、大学受験のため東京に出てきて、そちらで就職し結婚し、即身仏の事は忘れてしまった。
 でも、子供と一緒に入った見世物小屋で、あの即身仏と再会する。悪漢のミイラとして、見世物小屋に売り飛ばされていたのだ。かわいそうに。村の守り神になろうと、苦しむ衆生を救おうと、即身仏を志願したのに。
 日本には今、17体の即身仏が現存しているらしいが、苦悶の表情だったため、印を結んでいなかったため、即身仏になりそこなって打ち捨てられたミイラは、その何倍もあるんだろうね。

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