ケイの読書日記

個人が書く書評

東野圭吾「むかし僕が死んだ家」

2013-05-27 14:06:58 | Weblog
 7年前に別れた恋人から連絡があり、ミステリアスな相談を受けた僕。
 彼女の母はとっくに亡くなっていて、最近亡くなった彼女の父親の遺品を整理していたら、1本の鍵と簡単な地図が見つかった。その場所に、一緒に行ってほしいと頼まれる。

 既婚者の彼女からの申し出に戸惑う僕。断ろうとすると、彼女は僕に、驚くべき秘密を話し始める。
 「あたしには幼い頃の思い出が全然ないの」

 小学校ぐらいからの思い出はある。自分のアルバムの最初の写真は、小学校の入学式。それ以前の写真はない。

 子どもの頃は、小さいから覚えてないんだろう。他の子も皆そうだろうと勝手に思っていた。でも、それはずいぶん特殊な事だという事に、だんだん気が付いてきた。
 地図に記されたこの場所に、秘密がある。この場所に行けば、自分の記憶が取り戻せる。

 そう考えた二人は、その場所を訪ねる。
 そこは、めったに人が来ることがない山の中で、ひっそりと異国調の小さな白い家が建っていた。



 あーーー、ぞくぞくする導入部ですね。クリスティの「スリーピング・マーダー」を思い出す。打ち捨てられた廃屋というのは、本当にそそるものがあります。


 裏の戸口から家に入ると、荒れてはいるが、数年前までは人が管理していたような形跡がある。2階に上がってみると子ども部屋があり、小学生の男の子の部屋だったようだ。本棚には、彼の日記帳が残されていて…。

 二人が部屋の中をいろいろ探し回っているのがもどかしく、「おい、地元の不動産屋に尋ねろ!」とか「地元の小学校だったら、その男の子の事が分かるんじゃないか?」とか、口出ししたくてたまらなくなった。でも、どうも違和感がぬぐえない。こんな山の中の一軒家に、友達が何人も頻繁に遊びに来るだろうか? その違和感の正体が、最後に明かされる。

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