ケイの読書日記

個人が書く書評

法月綸太郎「しらみつぶしの時計」

2015-11-08 09:12:54 | Weblog
 表題作の「しらみつぶしの時計」は、なかなかの力作。
 外界からシャットアウトされている施設の中にいる主人公が、1分ずつ時刻のずれている1440個の時計から、唯一の正確な時間を表す時計を、論理的な思考で選び出すゲーム。本当に力作だと思うが、読んでいて楽しい話ではない。
 でも、パズルが好きな人にとっては、こたえられない作品かも。
 しかしまあ、デジタル時計とランドルト環(視力検査に使われる「C」のマーク)をながめながら、こんな話を思いつくとは…ミステリ作家も本当に大変な職業だと思います。

 「使用中」は、以前、何かのアンソロジーで読んだことがある。その時も、印象が強かった。正当な密室モノじゃなくて変則物。
 犯人が犯行後、ミスに気が付き現場に戻るが、どういう訳か密室になっている。つまり、外から開かない。自分が犯人だと分かる遺留物を取り返そうと、なんとかして開けようとするが…。下ネタも入っていて、結構、笑える。面白い。

 一番の変わり種は「猫の巡礼」。富士山のふもとに猫の聖地があり、野良猫はもちろん、飼い猫も、一度は行った方が良いという。もちろん架空の話だが、妙に納得する場面も。イスラム教徒にとってのメッカ。日本人にとっての、お伊勢参りみたいなものか。

 現在は、室内飼いが常識になってしまったが、私の子供の頃(昭和40年代ごろ)猫は自由に外に遊びに行って、ご飯の時や寝るときだけ帰ってきた。発情期の時なんか、ヘンな声でにゃごにゃご鳴いて、3、4日帰って来ないことなんかザラ。
 それだけ自然に近かったんだ。
 今よりもうんと、猫の寿命は短かったが、死期が近づくと、猫ってどこかに行ってしまう。
 アフリカの象には、象の死に場所があると聞いたことがあるが、猫にもそういう場所があったんだろうか? 子供の頃、実家で飼っていた猫ちゃんたちも、交通事故で死んだ猫以外は、いつのまにかいなくなっていた。
 今は、室内飼いがほとんどなので、室内で死ぬだろうけど。

 犬と比べると、やはり猫のほうが神秘的な部分が多いと思う。犬は、あまりにも人間に手を加えられすぎてるね。
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水木しげる「のんのんばあとオレ」

2015-11-03 09:55:33 | Weblog
 水木しげるは1922年(大正11年)生まれ。ということは、私の父の4歳年上になるわけだ。
 この本には、山陰の境港で生まれ、ガキ大将として暴れまくっていた「ゲゲル」の幼少年時代が、いきいきと書かれている。むしろ、のんのんばあとの思い出よりも、このガキ大将帝国の攻防のほうがメイン。
 ちっちゃな頃、しげる氏は、自分のことを「シゲル」と発音できず「ゲゲル」と言ったので、周りから「ゲゲ」と呼ばれていたとか。わーーー!可愛らしいエピソードです。

 ゲゲが生まれた頃、つまり大正から昭和初期にかけての境港のあたりでは、神仏に仕える人のことを「のんのんさん」と言っていた。その人がお婆さんなら「のんのんばあ」。その「のんのんばあ」が、ゲゲの子供の頃いつもゲゲの家に来ていた。昔、ゲゲの家の女中さんをしていたらしい。
 NHK朝のドラマ『ゲゲゲの女房』を見ていた人なら分かると思うけど、ゲゲの生家って、裕福だったんだよね。お祖父さんの代まで境港で廻船問屋をやっていたし、お父さんは、明治時代に東京の大学に行って、帰郷して銀行に勤めていた。
 こらえ性のない人で、転職を繰り返し、だんだん財産を無くしていったけど。

 のんのんばあは、その頃は拝み屋みたいなことをしていたが、お客さんはさっぱり来ず、ダンナにも死に別れ、養子にもらった子供もハシカで死んだ。経済的に窮乏しているらしく、子守をしながら、こっそり雇い主の米櫃の米を失敬することもあったらしい。
 そののんのんばあは、ゲゲをとても可愛がり、お化けや妖怪などの話をたくさんしてくれて、ゲゲはすっかりその世界に浸ってしまった。

 もともと目に見えない世界を信じる傾向が強かった人なんだろうね。
 ゲゲの学校近くにある樹齢何百年という古い大木の下に、壊れたお雛様がよく捨ててあったそうだ。死体のように見えたという。
 そのお雛様が、見えなくなった。その古い大木を通じて、どこか別の世界に行くのだろうと、信じていたそうだ。
 ちょっとロマンチックな話だね。こういう人は、お雛様を誰かが拾っていった、とか、燃やしたとか、考えないんだよね。


 しかし、ゲゲが小学校5年の時、のんのんばぁが死ぬ。ばあは、結核患者の看病をして収入を得ていたが、自分にうつってしまったのだ。高齢だし、貧乏でロクに物を食べていないので体が弱っていたのだろう。
 悲劇だが、水木しげるが書いているように、戦前の日本海側の一寒村の片隅で生活していた人たちの、平均的な姿なんだろう。

 でも、この困窮のうちに死んだのんのんばあが、後の鬼太郎を生み出したともいえる。それを思えば、素晴らしい一生だった。
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