昔の拷問には、殴り、蹴り、
身体にダメージを与えるのではなく
身体を縛り付けて放置するだけの
拷問があったそうですが、
私達にとって最大の苦痛の一つは、
動けないことです。
絶対化した二つの心の規則が
ぶつかりあうと、
私達は、動けなくなります。
例えば、
失敗してはならない。と
成功しなければならない。が
同時に関わるような場合がそうです。
失敗してはならない。
の規則の禁を犯さないようにするには
失敗の危険性の高いものには
手を伸ばさず、近づかずに避けることで
どうにかなりますが、
それに、
成功しなければならないが加わると
手を伸ばさないことは、
成功しなければならない規則の禁を
犯すことになります。
どちらを選んでも
一つの規則を犯す危険地帯に
足を踏み入れることになりますから
防衛を司る心のパーツは、
強烈な緊張と恐怖の感情で
ブレーキをかけてきます。
かと言って何も選択をせずにいては
心の警戒警報が鳴り響く状態に
留まることになりますから
これもまた、許容できるものではありません。
進むことも、退くことも、留まることも出来ず、
心が大きく揺れ乱れます。
仮に、心が乱れる中で成功をしたり、
何とかそれなりの結果を得られたとしても、
度々、そのような心身の反応が起きると、
その原因となる状況を
自我レベルで拒否する気持ちが強くなります。
そして、
拒否を実現するために
それらの環境に近づくことを
身体や心が拒否反応を示すようになります。
それが仕事であるなら
会社に向かわせないように
目眩、身体の重さ、ダルさ、身体の痛み、
発熱、下痢等、過緊張、
その人の反応しやすい何かを使って実現しようとしたり、
不快な環境に近づくための電車や車といった
特定にものに対して
強い緊張や不安が起きたりするようになります。
これは
最高の解決策とは言えませんが、
現時点での
超自我レベルの顔を立てることが出来る
最高の落とし所です。
行くつもり、やる気はあるけれども
これこれの所為で実行出来ないと
理由が立ちます。
子供の頃、
明日、学校に行きたくないなあと思っていたら、
都合良く発熱したなんていうことの
強烈版であり、大人バージョンの
自分の身や心を守るための回避システムです。
このような場合に、
その反応だけを抑え込んだり、
解消しようとするのは
非常に困難な取り組みとなります。
何故なら、
それらの反応を取り上げることは
その原因となる環境に近づかないための理由を
ただ取り上げることになります。
それは、何一つ条件が変わらないまま
再び、過酷な環境に赴くことを
意味することになる訳ですから、
それを自我レベルは認める訳がありません。
そのような行為を
そのまま黙っているはずもなく、
防衛担当大臣は強く抵抗することを命じます。
一方では、防衛力を強く削ごうとして
一方では、それに対抗して防衛力を強める。
そして、心はより混乱します。
心の混乱があまりにも過ぎたものになると
心理的アプローチを行おうにも
行える状態ではなくなります。
そのような時には、
その反応を強制的に抑え込んだり、
心の混乱を鎮めるために有効な手段、
薬の利用となりますが、
強い効力のある薬を利用すれば
身体の反応や心の乱れを
押さえることは可能かもしれませんが、
今度は、思考力や集中力の低下といった
別の問題が起きます。
ですから、ほどほどの効力を得られる
薬を利用することになりますが、
薬そのものは、
心の規則を書き換えるものではありませんから
薬を利用し、ある程度の心のゆとりが取り戻せたら
心の規則の書き換えに取り組むことが
求められます。
催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計