創世記
「初めに神は天と地を創造された。」
街を歩いていて
私の目に映る街並みの風景。
待ち行く人や小動物を除けば、
並木にしても自生したものではなく
ほとんどのものが、
誰かの手によって築かれたもので
神が造ったとされるものを見ようと思えば
見上げたそこにある空だけ。
当たり前ゆえに見過ごしてきた
そんな現実を再認識してしまうと
ボールペン、お皿、お箸、枕、歯ブラシ、服等々、
ありとあらゆるものは、
誰かがデザインし、誰かが造ったもので、
それにただお世話になっている自分に気が付く。
神に対して畏怖の念を抱いたり
崇め奉るのも大切なことだとは思うけれども
その前に
それに携わった人たちへの尊敬の念というか、
なんだろう。どう言っていいのか。
お世話になるだけでいたくない感じ。
今の自分は、
その全体の構成要因の小さな小さなパーツの一つにでも
成れているのだろうかと思ったりするのです。
そして、これから先、
受ける大きな恩は見過ごすことはないだろうし、
大きな恩を
知らぬ存ぜずといとも簡単にしらばっくれるような
人間にはよもや落ちぶれないだろうけれども
差し伸べてもらった数え切れない
ゆるやかというか、ほんのりというか、
さりげないというのか、
そんな暖かな気持もまた
記憶の彼方に押しやることのないようにと、
空を見上げながら思うのでした。
催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計
明日からは、空を見上げて歩く事もしてみようかと思います。
心は何時も、穏やかでいたいものです。
顔を上げて空を見て歩くと気分まで良くなる効果があるのですが、千円を拾うチャンスを逃すでしょうねえ。上と下をバランスよくとなると、車に撥ねられてしまうこともあるので前を向いて歩くことも忘れてはならないようです。
東京で夜遅くコンビニに向かう途中の横断歩道に差し掛かった時、「私はココよ。」と言う声のする方を見てみると、誰かに窮屈に二つ折りにされて監禁されていたであろう一万円札が、風に吹かれてパクパクと動いていました。
正義感の強い私は躊躇することなく救助したことがあります。いや~、良いことをした後は、心も懐も暖かくなるものですね。
私は子供の頃、五百円札を拾った事を皮切りに以降たまに千円札を拾う事が多かったのですが、私も場合も二つ折りや八つ折りの状態で風にパタパタとなびいていました。
先生は、拾われた壱万円札は何に使われましたか?
私は生活費の足しにしました。
先生の事ですから世の人の為に使われたかと思われますが、参考までにどのように使われたか教えて下さい。
使い道とは?何をおっしゃっているのか私には分からないんですが。。。
拾った後は、どうするか。分別のある大人としての行動は、決まっているじゃなですか。
ちゃ、ちゃ、ちゃんと警察に届けたに。