日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

スポーツと心のバリアー

2005-02-24 13:22:46 | スポーツ
「スペシャルオリンピックス」について、コメント及びトラックバックを頂いたsabuさん、ありがとうございました。
そして、「ダルビッシュ投手の喫煙問題」についてトラックバックをしてくださったzig zag roadさん、独特な視点でのブログ拝読させて頂きました。

この二つのスポーツの内容は、様々なことを考えさせてくれます。
ひとつは、「人気スポーツとスポーツ選手のあり方」。
そしてもうひとつは「観戦者の心のバリアー」です。

ダルビッシュ投手の問題は、決して彼だけの問題ではないと考えています。
それはブログでも書きました。
学生スポーツ、特に高校生くらいのスポーツの場合、「学校の名誉」というモノを彼等は背負っています。
「何をいまどき」と思われるのかも知れませんが、「春の選抜高校野球」にしても出場校のプロフィールや地元の期待みたいなものを紹介します。
これは、とりもなおさず「学校や地域の名誉」だからなのでは?
以前から問題になっていましたが、「甲子園出場のための越境入学」というのもそうでしょう。
もちろん、「今の状況で野球の名門・有名校では、レギラーは難しいけれど、田舎のそこそこの強豪校なら大丈夫だろう」という選手の思いと、「学校名を売る」という学校側の利害が一致していたからなのですが。
今では「スポーツ推薦」と言って、全国各地から「スポーツのできる生徒」を入学させるような高校も出て来ました。
それが「悪いか否か」と言うことを、論議する気はありません。
でも、その弊害として「スポーツさえできれば、後は目をつぶる」ということに、なっているように思えるのです。
何故なら、彼等は「広告塔」だからです。
「学校タレント」と言っても良いかも知れません。
「タレント」であれば、ある程度社会のルールから外れたとしても「まぁ、仕方ないね」という受けとめ方を社会(=私たち生活者)が、してきているのですから。

ところが、同じようにスポーツをするにしても「障害者スポーツ」となると、また見方が変わってきます。
特に今回の「スペシャルオリンピックス」のような「発達障害」の場合は、多くのパラリンピックの選手達のように「後天的障害者」ではなく、「先天的障害者」ということもあり、「可哀想」という同情が先にあるように思います。
本当に「同情」なのか?と言えば「何も、こんなところに出てきてさらし者にならなくても・・・」とか「頑張っているのは、分かりました。でもその頑張りを見せつけて満足ですか?」というような感情もあるのでは?
どこか「健常者が、非健常者を見下げている」と言うのか、「憐れんでいる優越感」と言うものが、あるのではないでしょうか?
いくら「ユニバーサルサービス」だとか「バリアフリー」だと言ったとしても、その実「心にバリアー」を張っているのではないでしょうか?
これは、もちろん私を含めてのことです。

「スポーツ選手に対する期待」、「障害者アスリートを見る目」そのどちらにも「心のバリアー」を張って、自分達の生活エリアへの侵入を拒んでいる・・・それも、私たちの姿のように思います。