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放射能ヒステリック

2012-02-23 17:07:35 | 徒然
先日讀賣新聞に、環境省が全面広告を掲載した。
内容は、遅々として進まない被災地の瓦礫処理に関する理解と協力を求めるもの。
昨日の環境省の発表によると、瓦礫処理は僅か5%程度しか進んでいないようだ。

この瓦礫処理については、自治体が受け入れを表明しても住民からの苦情で進まない、と言う事情がある。
「住民からの苦情」と言うのは、「瓦礫が(東京電力福島第一原子力発電所事故による)放射能に汚染されているコトへの懸念」だ。

今回讀賣新聞に掲載された「震災瓦礫」と言うのは、宮城・岩手の被災地の瓦礫を対象としている。
そして、詳細な放射能の分析データも掲載されていた。
多くの人がこの広告を見たとは思わないが(理由は、広告掲載が讀賣新聞だけのようだからだ)、それでも環境省が訴え、理解を求めようとする姿勢は十分評価できると思うし、そもそも「絆」だとか「災害復興のための協力」と言いながら、生活基盤を造るための瓦礫の受け入れを拒否するのは、どこかおかしな話と言う気がする。

そもそも今回の震災で発生した「震災瓦礫」=「放射能汚染瓦礫」と、決め付けてしまうのは、いかがなものか?
もちろんその背景にある「東京電力福島第一原子力発電所事故」による、放射能の拡散+汚染に対する、住民不安と言うことは十分理解できるのだが、ココまでくると「不安」と言うよりも「放射能ヒステリック」と言う気がしてくる。

拙ブログでも何度か指摘しているのだが、「放射能ヒステリック」の要因となっているのは、「将来がんになるのでは?」と言う不安からだろう。
とすれば、「東京電力福島第一原子力発電所事故」以前から、「日本人の死因第一位が、がん」であったこと、「男性の2人に1人・女性の3人に1人が、がんに罹患する」と言う事実をどのように考えるのだろうか?
言い換えれば、「フクシマ」以前から日本は「がん大国」なのだ。

もっともこのような表現をすると、「問題にすべきは、子どもたちへの影響」と言うことになると思うのだが、既にデータ上「心配ない」となっているにもかかわらず、「放射能が怖い」と言うのは、「放射能について知らなさ過ぎる」というコトなのでは?
事実、この広告が掲載された直後、青森の自衛隊が沖縄の自衛隊へと輸送した「沖縄の子どもたちへの雪遊び用の雪」が、「放射能疎開」をしてきた人たちの苦情によって、破棄されたという記事が、小さく新聞に掲載されていた。
そのおかげで18年続いていた沖縄の子どもたちへの雪のプレゼントは、中止となってしまった。
当然のことながら、青森の雪には問題となるセシュウムなどの放射能は、含まれていなかった。

日本地図を思い浮かべていただければ分かるとおり、青森県は福島県よりも相当離れた北に位置する県。
尚且つ、日本上空には「偏西風」と言うジェット気流が流れており、青森に降らせる雪はシベリアからの寒気によるもの。
テレビの天気予報を見ていれば誰でもわかりそうなことだと思うし、当然「フクシマ」の影響などあるはずも無いと言うことは、中学校の理科や社会の知識で十分理解できるはずなのだ。
何より、私たち人間自体ある程度の放射能を放出している、と言う事実を知らなくてはならない。
余り「放射能0」を求めすぎることは、生物としての自分の存在をも否定することでもあるのだ。

「フクシマ」以降、日本各地で見れる「放射能ヒステリック」を見るたびに、冷静さと「放射能(放射線)についての科学的知識」を得る大切さを感じる。