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日清の「音彦」は、単なるパロディーなのか?

2017-10-26 21:55:13 | CMウォッチ

日清のカップヌードルのすすり音を消す、という商品CMが話題になっている。
日清食品グループオンラインストア:麺すすりオンカモフラ―ジュ機能搭載フォーク「音彦」
元々は、TOTOが開発をした女性がトイレを利用する「擬音装置・音姫」のアイディアを基にしている、と言われている。
確かに、麺類をすするという文化は日本独特(あるいは、アジア独特?)なのかもしれない。
もちろん、パスタなどをすすって食べる方は、ほとんどいないと思うが、蕎麦やうどん、ラーメンなどは、やはりすすって食べる人のほうが多いと思う。
実際、落語などでは手ぬぐいと扇子を使って、微妙に蕎麦とうどんの違いをすする音で使い分けているように思う。
麺類を食べるときの「すする音」は、おいしさの表現でもあるのだ。

しかし、欧米を中心に「麺をすする」という文化の無い地域もある。
そのような地域の人たちからすると「すする音」は、不快だと感じるのだろう。
随分前だが会社員時代に、カップ麺を箸に器用に巻き付け、パスタのように食べている女性を見たことがある。
彼女曰く「すすり音」は、食事のマナーとして反していると感じている、ということだった。
その時には「別に、カップ麺を食べる時のすすり音は、マナーに反していないでしょう」と思ったのだが、最近では麺をすすって食べない若い人たちもいる、という話を聞いたことがある。
理由は、上述したパスタのように麺を箸に巻き付けて食べていた彼女と同じだ。
そう考えると、食べ方に対する考え方も時代と共に、変化するものなのかもしれない。

しかし、「時代と共に変化する」と言い切ってしまうのは、どうなのだろう?と、感じる部分もある。
落語の例のように、「音」が作り出す「おいしさ」というものがある。
ステーキが焼きあがる音、野菜を切る音・・・などなど、音と共に「おいしさ」を想像し、時にはある種の幸福感さえも感じさせる。
その一つが、日本人が感じる「麺をすする音」なのではないだろうか?

それを、不快と思っている人たちに合わせることも重要かもしれないが、不快と思っている人たちに「おいしさをイメージさせる音」であることを知ってもらうことのほうが、もっと大切なのではないだろうか?
それぞれの食文化の違いがあるからと言って、片方だけに合わせるということに、疑問を感じるのだ。
同じ麺類でも、パスタをすする人はほとんどいないだろう。
何故なら、パスタをすすって食べるのは、余りおいしいと感じないからではないだろうか?
それに対して、蕎麦やうどん、ラーメンをすすって食べるのは、そのように食べるほうがおいしいと感じるからなのでは?
「感性の違いや文化の違い」と言ってしまえば、それまでだが、違う文化を知り、理解するほうが、豊な食文化を創り出すような気がするのだ。