日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「無料」という落とし穴

2019-07-11 19:08:48 | アラカルト

Yahoo!のトピックスに、「Music FM」追放という見出しがあり、ビックリした。
記事を読んだら、日ごろ私が聞いているFM局ではないことがあり、ホッとしたと同時に様々なことが思い浮かんだ。
CNET JAPAN:APP Storeからの「Music FM」追放を・・日本レコード協会やLINEらがアップルに要望書

APP Storeにこのようなアプリがあるとは知らなかったのだが(スマホで音楽を聴かない為)、記事を読むと10代を中心に人気のあるアプリのようだ。
若い人たちに限らず、人は往々にして「無料」という言葉は好きだと思う。
「無料」だからこそ、受けるサービスもあるのではないだろうか?
言い換えれば「有料だったら、買わない商品・受けないサービス」、ということになる。

しかし「商品やサービス」というものは、提供する側にとって何らかの費用が掛かっていて、「無料」で提供できるものなど無い。
もちろん「お試し」と呼ばれるキャンペーンなどはあるが、それは「販売促進の一環」であって、期限が終われば有料となるのは当然のことだ。
その中で問題となるのは、「サービス」と呼ばれる無形の商品だ。
今回問題となっているのも「音楽」も、CDという形状で販売されることはあっても、今の若い人たちはストリーミングという方法で、音楽を聴く傾向があり、一つの形状として手元にあるわけではない。
だからこそ、「お金がかかる」という意識があまり持てなくなっているのかもしれない。

ただ音楽を創作するということは、何もないところからアイディアを出し、一つの曲というカタチにし、スタジオを借りて、ミュージシャンを集め演奏を何度も繰り返し、その音源を録音するエンジニアがいて、ベストな演奏を選びだすプロデューサーがいる。
これらは全て、人の手がかかりそれに似合うだけの費用(=お金)がかかっているのだ。
このような作業をする人達がいるからこそ「音楽」が、成り立っている。
「無料」ということは、これら音楽を創り出すミュージシャンだけではなく、そこに関わる全ての人に対して「ただ働きをさせる」ということでもある。
そもそもそのような聴き方をしている音楽に、愛着が持てるだろうか?

人はおかしなもので、「ただ働き=無料」で提供されたモノ・コトに対して、大切に扱うという意識はなくなる。
何故なら「価値」というものを考えないし、認めないからだ。
これは音楽に限ったコトではない。
と同時に「無料であることが当たり前」であるという意識があると、そのような人には誰もモノ・コトを与えようとはしなくなる。
「ビジネスとして成り立たない」ということもあるが、そのような人は信頼関係を結ぶことができなくなるからだ。

商業的(=ビジネス的)問題はもちろんだが、このような無料アプリの多くは利用者が知らない間に、利用者の様々なデータを収集し、相手が分からない第三者にそれらのデータが渡っていることほとんどだ。
「個人情報管理」などということが言われて久しいが、このような無料アプリを利用することで、自分の個人情報をダダモレさせている、とは思っていない、ということも問題だろう。

「無料」と謳うモノには、利用者が知らないリスクが数多く潜んでいるだけではなく、「無料」に利用された側には多大な経済的損失を与えることで、文化や経済を破壊している。

もう一つ指摘するなら、JASRACは音楽教室ではなくこのようなアプリに関わるサイト運営者から著作権料を徴収するほうが、遥かに効率が良く膨大な金額が得られると思う。
もっともこのようなサイトの多くは、中国経由(ということは、利用者のデータは中国に渡っていると考えるのが自然だろう)なので徴収そのものが難しいかもしれないが・・・。