昨夜、世間を騒がしていた東京都議の木下富美子議員が、辞職会見をした。
時事通信:木下都議が辞任、無免許運転「猛省」
時事通信の見出しは、「無免許運転」に対して反省をしている、という印象があるのだが、記事そのものを読むと「猛省しているのかな?」という、印象を持ってしまう。
その理由が「交通法規に順法精神が弛緩していた」という言葉だ。
何だか、難しそうな言葉が並んでおり、最後に「猛省している」と話してはいる。
ただ、前に並べられた難しいことばの羅列から、「猛省している」という印象が、無くなってしまっている。
その次に、「選挙活動に頭がいっぱいで…」という内容が続き、「ひき逃げ事故を隠す気はなかった」という話をしている。
この部分を読んだとき、「この人は、自分が犯した問題の本質を理解していない」ということが、わかる。
在宅起訴となった内容は、ひき逃げ事故ではない。
短期間に7回も無免許運転をしていた、という事実があり、「無免許の意識がありながら運転を続けていた」という悪質性が、在宅起訴の理由となっている。
にもかかわらず「起こした事故を隠ぺいするつもりはなかった」と、釈明をしている。
彼女が、1回目の無免許運転で交通違反の切符を切られた時に運転を止めていれば、ひき逃げ事故を起こすことも無かったなずだ。
ということは、彼女の中では「無免許運転」という「交通法違反をしている」をしている、という意識はほぼ無かったのでは?
それは「弛緩=緩んでいた」のではなく、「罪の意識がない」ということでもある。
この都議の様に、問題の本質の理解ができていないと、チグハグな行動と言葉が出てしまう、ということは、過去様々な人達が実証している。
このような事をする人は、男女年齢に関係がないのも事実だ。
もう一つ考えられるのは「保身」の為に、問題のすり替えをしようとしている、ということだ。
それが分かるのが、他の都議が反発をし自分が所属する委員会などが開かれず、「議員として、十分に仕事をさせてもらえず、理不尽な現実に悩んだ」という言葉だ。
そもそも彼女が長期間にわたり、議会を休むようになったのは「事故が発覚した直後」からだろう。
(「事故を起こしたことが発覚」したことがすっぽりと抜け落ちたために)理由も分からず自分が批難されるようになり、「理不尽な現実に悩んだ」という思考の繋がりなのだろう。
「理不尽な現実」とは、客観的にみれば「自分が起こした交通事故で批難される事」ということになる。
このような発言は保身のためのであり、「自分は悪くない!」という主張への、すり替えとなっている。
見方を変えると、「他の都議や世間からいじめられる、可哀想な私」という、アピールの様にも受け取れる。
このような思考はつい先日、宮家を出て結婚をされた元内親王の思考も同じなのでは?と、感じ取れる。
「いじめられる可哀想な私」をアピールすることで、保身と同情を引こうと(無意識に)しているのだと思うのだが、このような態度は、自分に対しての冷静かつ客観的に見ることができない、とみられるようになってしまうのが今の社会状況でもある。
時代の変化があるとすれば、今まで疑問に感じても声を出す事が無かった生活者が、SNSというツールを使うことで「違う!」という声を上げるようになった、ということも影響しているのかもしれない。
ただ、保身のために下手な同情を引くようなことは、イメージダウンになることはあっても、イメージアップにはつながらず、むしろ「問題の本質が分からず、逃げ回っているだけ」という印象を与えるだけである、ということを認識する必要があるだろう。
それは女性・男性関係がないし、このような行動をおこしやすのは、社会的ステータスがある人達が多いような気がしている。