我が家にテレビが無いことと、野球そのものに興味がない為、「高校野球」そのものにも興味がなかった。
おそらく、今でもないと思っている。
興味が持てない理由の一つが「野球を通して優等生の姿を見せている」ような印象があり、高校時代優等生とは言い難かった自分とを比較してしまい、未だに好きになれずにいる。
その「優等生ぶり」に関連して、大人の期待以上に応えようとしているようにも見え、スポーツを楽しんでいるような印象が持てないのだ。
もちろん、甲子園で活躍するコトでプロ野球選手への道が開け、実際プロの道へと進む選手たちも少なくない。
その意味では「甲子園」という場所は、「野球選手のショーケース」のようでもある。
だからこそ、「よりよく品行方正に見せる必要がある」のかもしれない、と勝手に思い込んでいた。
ところが、今年の夏の甲子園は少しだけ違うようだ。
その1校が、神奈川県代表の「慶応高校」だ。
これまで、高校球児と言えば「丸坊主」が当たり前だった。
ところが、慶応高校の監督・森林貴彦さんは「野球は、髪型でやるモノではない」と、言い切っている。
Number Web:「髪を切ってから、出直してこい」というヤジも・・・今夏甲子園の”非坊主”校、慶応高監督が明かす”高校野球の嫌なところ”「皆、甲子園中毒になっている」
まさに私が「嫌だな~」と感じていたのが、この「甲子園中毒」だったのだ。
そして、軍事教練でもないのに「丸坊主」を強要する不思議さを感じていた。
そこにあるのは、これまでメディアが作り上げてきた「高校球児のさわやかさ、真面目さ、穢れの無さ」のような、崇高なイメージにがんじがらめに縛られた、大人の価値観ということなのだろう。
それらの価値観の押し付けが、野球をする生徒たちを野球というスポーツから遠ざけてしまっているのかもしれない。
もう一校が、静岡県代表の浜松開誠館高の話題だ。
Number Web:なびく髪、週休2日制、異色のユニフォーム・・・甲子園初出場・浜松開誠館の「高校野球離れ」した柔軟さ 元プロ監督は”筋肉>技術”改革に着手
この高校も、これまでとは違う発想の監督さんを招聘し、甲子園に出場している。
注目すべきは「元プロ監督」という肩書だろう。
これまで、高校野球はいわゆる「プロ」と呼ばれる人たちからの指導を受けない、とされてきたように思う。
そのタブーを破って、「プロ」と呼ばれる人財を監督に置き、「野球」というスポーツを、「学校教育の一環」ではないモノとしてとらえているように感じるのだ。
この背景にあるのは、おそらく学校教員に対する様々な仕事を負わせているという問題の指摘だろう。
そもそも「部活」の意義は?「全員参加」を目標とする学校もある(私は中高と「帰宅部」だった)。
スポーツに興味がない生徒、スポーツが苦手な生徒に「(スポーツの)部活に入れ」というのは酷だと思うし、「部活を通して人間性が豊になる」わけでもない。
確かに、一生の付き合いとなる友人などとの出会いの機会となることもあるとは思うが、そのような生徒ばかりではない。
学校の先生の「教える時間の(為の準備の)無さ」等から、「部活指導は、教員ではない人に任せてもよいのでは?」ということが、ここ2,3年言われるようになってきた。
それを実勢したことで、これまでのような「気合と根性」的指導から脱却した指導を行った結果、甲子園初出場となり2回戦進出となったのだろう。
慶応高校も浜松開誠館高校も私立高校である、という点である程度の自由さをもって監督選びや指導ができたのだろう。
公立高校では、実現することは難しいことかもしれない。
ただ、「高校球児を見る視点」を替えるだけで、日本のスポーツ文化は変わっていくような気がする。
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