日経新聞のWEBサイトに掲載されている、COMEMOというコラムがある。
拙ブログでも、何度か紹介をしたコトがあると思う。
様々な分野で活躍をされている方々が、執筆をされているのでその内容もバラエティーに富んでいて、面白い。
その執筆者の中でも、大阪ガスのエネルギー文化研究所所長をされている池永寛明さんのコラムは、いつ拝読しても「なるほどな~」と思う。
日経新聞 COMEMO:「寄り道」と「前後」がなくなった
今回の「寄り道」と「前後」がなくなった、というコラムを拝読しながら、慶応機塾大学名誉教授をされていた故村田昭治先生を思い出した。
村田先生は、日本におけるマーケティングの第一人者と言われていたが、それだけではなくとても素敵なエッセーも書かれていた。
絶版となってしまった「なぜ彼はいつも笑顔なのか」というエッセーの中には、「無駄をする人、遠回りをする人は発想が豊かである」という章がある。
正に、池永さんのいう「寄り道」をする人のことを指していると感じたのだ。
池永さんのコラムにある通り、今ではパソコンやスマホなどで簡単に「検索」することができる。
知りたいコトを知る時間と手間がかからない時代になっている、ということになるだろう。
それでも、今年改訂された「広辞苑」が、予約販売でそれなりの数があったことを考えると、今でも「広辞苑」を利用している人が、それなりにいらっしゃる、ということなのだと思う。
「広辞苑」に限ったコトではないと思うが、「モノ・コトを探すための寄り道」というのは、時間と労力の無駄のように思えるが、村田先生がエッセーに書かれた通り「発想をする」ためには、必要なコトなのでは?と、常々感じている。
それは「関連付ける発想力」という、単に思い浮かぶ「発想」とは少し違う力を養うからだ。
単発的に思い浮かんだ「発想」を関連付けさせる力というのは、案外身に付いていないコトが多いのではないだろうか?
そのような「発想力」は、おそらくAIなどが進歩していっても「人でなくてはできない」コトだと思っている。
何も、調べものをするときだけではない。
普段歩かない道をチョッと寄り道してみると、新しいお店を発見したりすることはないだろうか?
決まった道から少し外れることで出会うことも、案外多いと思うのだ。
いつも歩く道であっても、視線を変えるだけで随分違って見えることもある。
「違って見える・発見をする」そのようなコトが、新たな発想のタネとなるのだ。
「発想の豊かな人」というのは、そのような「寄り道の達人」のような気がする。
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