2月16日から公開された日清の「どん兵衛」のCMが、話題になっている。
現在の「どん兵衛」のCMのシリーズは、5、6年ほど前から始まったのでは?という気がしている。
ドラマ「逃げ恥」の主題歌「恋」で、一躍世間に知れ渡った星野源さんが起用された、ということで話題になったCMのシリーズだからだ。
そしてこの日清「どん兵衛」のCMも、人気シリーズとなっていった。
その人気シリーズのCMが終了か?ということで、話題になっているのだ。
日清どん兵衛:さよなら、どんぎつねさん
以前から、日清のCMの評価は高く「Hungry?」というCMは、CMのカンヌと呼ばれる「カンヌ国際広告映画祭」で、グランプリを受賞している。
日清食品:1993年カンヌ国際広告映画祭でグランプリを受賞
「どん兵衛」のCMも、日清食品らしさを感じさせるユーモアのあるCMシリーズだった。
そのCMが終わってしまうのか?と思うと、残念な気がしないわけではない。
半面このCMの最後、老夫婦が去っていく狐の姿を見ながらつぶやく「だましていたのは、狐ではない」というところが、個人的に気になる点でもある。
最後のセリフが「マーケティングだ」だからだ。
マーケティングという仕事は、別に人(=生活者)を騙すために、企業が行っているわけではない。
逆に言うと、マーケティングをしっかり行ってきた企業だからこそ、このような自虐的なセリフが、堂々と言えるのでは?ということなのだ。
生活者が今どんな感覚で、日々の生活をしているのか?
夢を語るばかりで、現実を見ないような広告をたくさん作り続けても、受け手となる生活者は空々しさを感じるだけでは?という警告もあるだろう。
時には、生活者の気持ちを逆なでするような(=炎上するような)広告もある。
「生活者に寄り添う」という、自己満足で完結しているような広告は、面白くもなければ、生活者の印象には残らない。
マーケティングの中の4P(=価格・売り場・製品・プロモーション)の内、プロモーション以外がしっかりできていたとしても、最終的には受け手となる生活者からの共感や惹きつける何かを持っていなければ、マーケティングができているとは言い切れない。
そして皮肉なことに、日本の企業は「製品が良ければ」とか「価格が安ければ」、「人目を引くような目立つ広告なら」商品やサービスが生活者に受け入れられると、勘違いしてしまっている企業が少なくない。
特にここ10年くらいは、このような傾向が強くなっているのでは、という気がする時がある。
勿論、若い世代の人たちには、このようなマーケティングの在り方に、疑問を感じている人たちもいるように感じている。
マーケティングとは、即物的に「売るためのknow-how」を提供するものではない。
「売れればよい」と考えるのであれば、それは生活者を騙してでも、目先の売り上げに邁進しすればよい、ということにもなってしまう。
「今やそんな時代ではない」ということも、この「どん兵衛」のCMは言っているのかもしれない、と感じたのだ。
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