先月末あたりから、次々と判明している「マイナンバーカード」の問題。
一部では「日本人は完璧を求めすぎる」という、内容の発言をされた方もいらっしゃるようだが、今回のマイナンバーカードに関連する問題は「完璧」を求めている、以前の問題のような気がしている。
多くの生活者は「完璧」ではなく「慎重」な取り扱い、を求めているのではないだろうか?
それほど、ずさんさを感じるような「マイナンバーカード」に対する不信感が、生活者の中に生まれてきている。
それを示すのが、「マイナンバーカード返納者」の急増だ。
「マイナンバーカード」を返納したからと言って、既に登録済みの情報が削除されるわけではないだろう。
一連の報道で知る限りでは「返納=登録情報の削除」という、手順は発表されていないような気がしている(詳しい情報をお持ちの方は、教えてください)。
生活者が抱いている「不信感」は、政府に対する不信感でもある。
特に、積極的にマイナンバーカードの取得をしてきた高齢者にとって、実はマイナンバーカードそのものがとても使いにくいモノだった、ということを政府は知っているのだろうか?
先日、クリニックで処方された薬を購入するために調剤薬局に出かけた時のことっだ。
私の前にいた高齢のご婦人と調剤薬局の方が、マイナンバーカードを持ちながら、カードリーダーに向かい何かをしていた。
結局、あれこれやっていたご婦人は、途中であきらめ健康保険証を使い、処方された薬を購入するコトになった。
その時ご婦人の一言が「国が作れ作れと言って作ったけど、結局年寄りにはわからないコトだらけ。なんか国が詐欺をしているみたい」と、こぼされたのだ。
おそらくこのご婦人の感想が、「マイナンバーカード」を返納する高齢者の本音なのではないだろうか?
デジタル弱者と呼ばれる人達にとって、マイナンバーカードそのものがとても使いづらいもの、ということなのだ。
確かに、様々なデータが一元化され自分自身が管理できる、というのはとても便利だし、安心もできる。
ところが、一元化されたデータを自分が管理できず、そのデータを引き出すこともできない、とすればそれはとても不便なものだし、不安の素となる。
今回のような、入力トラブルだけではなく、使う側の不便さと不安さを現在の「マイナンバーカード」は持っている、ということなのだ。
とすれば、その問題解決の為に「一度立ち止まる」ということが、必要なのではないだろうか?
丁度「新型コロナ」の感染拡大が始まった頃、京都大学では「立ち止まって、考える」という講座をネットで行っていた。
京都大学:立ち止まって、考える
不安な気持ちを抱えたまま、闇雲に進むというのは、決して良い判断には結びつかない。
道に迷った時などは、一度立ち止まり、落ち着いてルートの確認をしたり、人に尋ねたりしながら進む方が最終的には、安全で確実に目的地にたどりつくことができる。
それと同じような状況が、「マイナンバーカード」でも起きている、ということなのではないだろうか?
「功を急ぐあまり、功を成すどころか大失敗」という状況が、今の状況であり、岸田政権の問題点でもある(と、拙ブログでは指摘しているつもりだ)。
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