日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

高校生達の「フェアートレード」

2006-09-16 22:05:03 | アラカルト
静岡新聞にエイズ孤児支援へフェアトレード 富士「吉商本舗」という記事があった。
以前にも「フェアートレード」について、エントリさせていただいたが高校生達が始めるというのは、全国的にも珍しいのではないだろうか?

昨年は「ホワイトバンド」が話題になったが、その使い途に疑問が残った。
その代わりに注目されるようになったのが「フェアートレード」という「公正な取引で途上国の人たちを経済的自立を促す」という方法だ。
オーガニックショップや書店で、フェアートレードの通販カタログ等を見ることが出来るようになった。
そこに掲載されている原産国もアジアだけではなく、アフリカや南米などバラエティーに富み、その国の「素敵感」がある。

今回は高校生達の学習チャレンジとして、商店街の活性化と経営やビジネスを実際に学ぶという場所での、フェアートレードなのだ。
選んだ商品も、女子高校生らしく可愛らしい。
商品である「ビーズアクセサリー」を選ぶに当たっては、自分達の「これって、可愛くない?!」的ノリだけではなく、おそらく市場調査的なことも実施しただろう。
テーマとして選んだ対象国の事情なども、調べ彼女達なりの商品選定だったのではないだろうか?

たとえ学校の実習の一環であっても、「儲けのしくみ」だけではなくビジネスの視点が世界へと広がり、相手を理解するきっかけとなることを期待したい。

アァァ~、情けない・・・エコノミスト

2006-09-14 20:50:50 | 徒然
既に、テレビや新聞の夕刊などで報じられている「植草教授の痴漢」。
同世代(あ!年齢バレバレ)として、情けないやら哀しいやら。

確か植草教授は、以前にも女子高校生のスカートをのぞこうとして、エスカレーターで手鏡を使っていたところを現行犯逮捕されたハズだ。
今回は、酔っ払って女子高校生のスカートの下から手を入れ、現行犯逮捕。
よほど、女子高校生がお好きなんですね。

以前逮捕された時、「命をかけて、無罪を証明する」みたいなことを言っていたはずですが、かけている命の方向が違うんじゃ・・・と思ってしまいます。
エコノミストとして、早稲田大学大学院教授として活躍していたのに、くだんの事件で職を失って懲りていたと思ったのですが・・・。
拾った神(名古屋商科大学大学院)としては、「拾わなければ良かった・・・。有名エコノミストということで、客員教授にしたけど学校の名前に傷がついた」と悔やんでいることでしょう。

名古屋周辺地域以外の方で「名古屋商科大学」という大学を、どれだけの方が知っているのか分かりませんが、大学全入時代に突入する今、私大の4割近くは定員割れ必至と言われ、その打開策として、マスコミなどで有名なエコノミストを、客員教授として受け入れた結果がこれでは・・・。
過去の経歴も大切ですが、人物評価も大切だ、ということでしょう。
そもそも、このような教授の言う「経済論」に、どれだけの真実味があるのか?
過去に起きた経済的なお話ならともかく、将来的な経済予測となると疑問。

「聖人君子」である必要はないけど、理性や品格を持つことが社会的信頼の第一歩ということでしょうか?
それにしても、情けない・・・。



自己抑制よりもテクノロジー?

2006-09-13 22:19:29 | トレンド
福岡での幼児3人の飲酒運転による死亡事故以来、連日のように飲酒運転(死亡)事故が報じられている。
その度に、飲酒運転の自制ということが叫ばれている。
そして遂に?自動車メーカーが「飲酒していたらエンジンがかからない自動車」の開発に、乗り出しそうだ。

朝日新聞のWEBサイトasahi.comに飲酒運転できない車を研究 日産などという記事がアップされていた。
記事中に名前の挙がっている自動車メーカーは、日産と三菱。
具体的な動きがあるのが、日産ということのようだ。
早晩、ホンダやトヨタも同様の研究・開発に乗り出すだろう。

「人の自制心でダメなら、テクノロジーでカバー」ということになるのだが、どうやらこのような「飲酒したら運転できない自動車」というのは、欧米では既に一般的になりつつあるようだ。
シートベルトに付属している、アルコール感知器に息を吹きかけ、シートベルトを着用しないと、キーがロックされ動かないというシステムらしい。
もちろん、アルコールが検知されるとロックされてしまう、というなかなか優れたシステムのようだ。
そして、世界的にこのような自動車の需要があるということは、「飲酒運転」そのものが日本だけの問題ではない、ということをあらわしているのだろう。

実は、自動車メーカーにもう一つお願いがある。
それは、「高齢者ドライバー向け仕様」のクルマの開発である。
実家の父は、既に70代後半。
バスの本数は年々減り、タクシーを利用するには経費がかかりすぎる。
そのような事情があり、田舎ではクルマに頼らざるえない生活なのだ。
例え私が同居する生活となっても、それまで自分のスケジュールで出かけることが出来た父とすれば、私にクルマの運転を依頼するとは思えない。
ある意味「自分の好きなときに、行きたい場所へ」というのは、クルマの持っている重要なベネフィティング・ポイントでもあるのだ。
とすれば、できるだけ「高齢者ドライバーが、安全に運転できるクルマ」というのも、大切な視点であり、将来必要とされる機能なのではないだろうか?

ところで・・・今日の「飲酒運転できない車」を最初に記事掲載したのがスポーツ新聞だったのは、「飲酒運転をする人は、スポーツ新聞を読む」と考えたからなのだろうか?


レジ袋より減らして欲しいもの

2006-09-12 22:00:52 | ライフスタイル
小池百合子さんが、環境相となってから様々な企業が「環境問題」に取り組んでいることを、積極的にアピールしている。
今日も毎日新聞のWEBサイトに、「環境保全:ローソン、モスの2社と協定結ぶ 環境省」という記事が掲載されていた。
この記事を読むと、ローソンはレジ袋を減らすことを目標としている。
実際、スーパーマーケットに行くと「ショッピングバック」を持参している、買い物客も少なくない。
それだけ、環境問題に関心が高いということだと思うのだが・・・。
ただ、レジ袋がそんなに悪者扱いされる理由が、イマイチわからない。
「石油製品だから」ということは、分かるのだがレジ袋=ゴミとして扱っている家庭はどれくらいいるのだろうか?
もちろん、行政指定のゴミ袋を使わないとごみ収集がされないため、レジ袋をゴミ袋として使えない、というところもあるとは思う。
本音では、「レジ袋を「生ゴミ袋」として再利用したい」と思っている人も少なくないだろうし、近所のスーパーマーケットでは、行政指定のゴミ袋をレジ袋として使っている(当然ではあるが、レジ袋は生ゴミ袋として便利に利用させていただいている)。
では、その行政指定のゴミ袋は「非石油製品」なのか?ということなのだ。
おそらく、「非石油製品」と言うところは、殆どないのではないだろうか?
結局のところ、スーパーマーケットのレジ袋も行政指定のゴミ袋も「石油製品」であることには、変わりないということになると思うのだが・・・。

確かに、「ゴミ袋を有料化すれば、ゴミが減る」という傾向があるのかも知れない。
でも、日本の生ゴミの多くは「賞味期限切れ」の食品などと、言われている。
むしろ「買いすぎ」によるゴミのほうが、多いのではないだろうか?
それよりも、ゴミの原因となっているのは「食品を包む」ラップ包装やプラスチックトレーなのではないだろうか?
実際、女の1人暮らし自炊生活で出る生ゴミなどは、野菜のくずなどが殆ど。
たいした量ではない。
ところが、野菜や肉・魚などを入れているプラスチックトレーなどは、生ゴミとは比べ物にならないくらいの量なのである。
もちろん、「資源ゴミ」として出すのだが、毎回その多さに驚くのだ。

この背景には、日本人の衛生志向があるのかも知れないのだが、レジ袋云々する前にラップ包装やプレスチックトレーを減らすことを考える必要があると思うのだ。
すくなくとも、野菜や果物のラップ包装はやめてもらいたいのだが・・・。
何故なら、ラップ包装をすることで「野菜や果物の買い方(美味しい野菜や果物の見分け方ややってはいけないことなど)」ということを、私たちが忘れはじめているように感じる時があるからだ。

新しいギフトスタイル?ベビーシューズ

2006-09-10 20:58:06 | ライフスタイル
先週6日、お生まれになった秋篠宮家の男のお子さんとお母様の紀子様のお見舞いに、天皇陛下と美智子皇后が入院先の病院にいかれたと、ニュースであった。
お見舞いに伺われた美智子皇后の手には、白いベビーシューズがあった。

欧州などでは、出産の贈り物として「銀のベビースプーン」や「ベビーシューズ」を贈るのが、習わしだといわれいる。
最近では「銀のベビースプーン」を贈るのは、だいぶ一般的になってきているようだが「ベビーシューズ」というのは、まだまだという印象があった。
そこに、今日の美智子皇后の「ベビーシューズ」の贈り物だ。
もしかしたら、これをきっかけに「出産祝いのギフト」として、定着するかも知れない。

実は、私も過去何度も「銀のベビースプーン」を贈ったことがある。
欧州の古くからある言い伝え「銀の匙を咥えた子供は、幸せになる」ということで、女のお子さんの時には「銀のベビースプーン」を贈っていたのだ。
そして、男のお子さんの時には「シッカリ自分の足で立って、未来を切り開いて欲しい」という願いを込めて、「ベビーシューズ」と決めていたのだが・・・なぜか私の周囲では、女の子ばかり誕生していて贈るチャンスがなかった。

出産祝いの贈り物と言っても、その時々の流行がある。
グッチやセリーヌなどのベビーシューズを出産祝いとして贈るというのは、数年前から(「クラッシー」「ミス(旧ミス家庭画報)」等)の女性ファッション雑誌で、紹介されていた。
実際履いて歩くことが出来ない「ベビーシューズ」には、実用性ではなく「願い」が込めれれている。
古今東西の良き願いをカタチにした、贈り物は上手に活用したい。
それが「贈り物上手」の第一歩なのかも知れない。


美の基準が変わるか?-痩せすぎはOUT-

2006-09-09 22:49:49 | ライフスタイル
Yahooのトピックスに、「痩せすぎモデル出演禁止」という記事があった。
あくまでも、マドリッドのファッションショーでのコトなのだが、ファッションショーのランウェーをキャットウォークで歩くモデルの姿は、確かにカッコよく一つの美の基準と言ってもいいかも知れない。

いつの頃からか、「痩せている=キレイ」という基準ができあがってきた。
それが過剰なダイエットブームを、呼んでいるともいえる。
特に、テレビの健康番組などで取り上げられる「最新ダイエット法」は、その影響力も強く、半年ほど前には「白いんげん」を使ったダイエットがテレビで紹介され、早速試した女性が下痢症状を訴え、問題になった。
「痩せている=キレイ」信仰は時に、「過食症」や「拒食症」といった「摂取障害」を生み出す原因の一つとなっている、とも言われている。
その「基準」を、最新ファッションという場で変えてしまう可能性があるのが、今回のマドリッドでのモデル基準だ。

ただ、パリやミラノのコレクションと比べると、モデル業界やファッション業界に及ぼす影響力は、あまり強いとはいえない。
まぁ、年々パワー不足になっているといわれる東京コレクションよりも、影響力はあると思うが・・・。
それでも、パリやミラノで活躍しているモデル達が、掛け持ちでマドリッドにも登場しているのは、当たり前。
パリやミラノでは活躍できなくても、ステップアップとしてマドリッドのコレクションに出演しているモデル達もいるだろう。
とすれば、エリートなどの大手モデルエージェントなども、モデルを選ぶ基準が変わってくるかも知れない。
それは、ヴォーグやハーパスバザーなどのファッション誌に登場するモデル達も、変わる可能性があるということなのだ。

「美のアイコン」=「ファッションモデル」=「時代の美の基準」が大きく変わり、ヌーベルバーグやルネッサンスの時代のような「豊かな柔らかな女性美」が、注目されるのだろうか?



トップの責任

2006-09-08 20:12:54 | アラカルト
今週、2日続けて前ライブドア・社長堀江さんの公判があった。
傍聴席の倍率が200倍以上あったらしい。
それくらい、話題で注目の裁判だった訳だ。
そして、その注目の堀江さんの主張は「無罪」だった。
「やはり」という感じを受けた人のほうが、多かっただろう。
というのも、堀江さんの弁護士さんが前日テレビに出演し、雄弁にイロイロと話していたからだ。
そこでの話は「罪を犯していた、という解釈をしていない」ということと「そこまで深く知ってはいなかった」というコトらしい。
しかし、多くの人は「企業経営者であれば、知らないはずがない」と思い・感じている。
逆に「知らない経営者」だったら、様々な場面で堀江さんの言っていた「ライブドアの収益」は、何を根拠にしたものだったのか?という疑問がわく、ということになる。
これか半年後くらいで、終わる公判で堀江さんがどんなことを主張していくのか?注目していきたい。
そしてそこで話されることが、起業を目指す人たちに「企業経営とは?」という意味を示していくかも知れないと考えている。

そして今日、「裏金問題」で揺れている前岐阜県知事・梶原拓氏の記者会見があった。
こちらも謝罪はしたが、「知らなかった」の一点張り。
しかし多くの県民の多く(だけではなく国民の多くも)が、「そんなことあるはずないじゃない」と、思っている。
今日の記者会見でも、時折笑顔をみせながら自信満々でご自分の主張を繰り広げられていたが、「元自治体の長」としての責任を感じさせることはなかった。
それだけではなく、裏金を管理していた組合から借りた700万円余りの訴訟費用(一部裏金が使われていた)も、返却していないらしい。
ちなみに梶原さんの退職金は1億8000万だったらしい。
もちろん、退職金返還に対しても公職辞任も積極的な態度は見られない。

堀江さんにしても梶原さんにしても、「トップの責任」を感じていないような気がするし、自覚がないような気がする。
企業だけではなく自治体のトップも、その責任は大きい。
選挙に勝って「バンザイ」ではなく、その責任の重さに「畏怖と謙虚さ」を感じる必要な気がする。

堀江さんの服装チェックですが、可もなく不可もなく・・・。
Tシャツではなかったのは、TPOを考えてのことでしょう。
ネクタイに紺などを選んだのは、「誠実さ」や「清潔感」をアピールしたかった、ということでしょうね。
お受験ママが、濃紺のスーツを選ぶのと同じ理由でしょう。

吉野家、牛丼再開

2006-09-06 18:39:46 | アラカルト
世間的には、秋篠宮家第3子・男児誕生!!!(めでたい!!!!!!!!)なのだろうが、あえてこの話題を外したい。

Yahooのトピックスに「吉野家牛丼再開」のニュースが、ピックアップされている。
ニュースの配信元は、ロイター。
ロイターが配信するほどのニュースなのか?と、驚くのだが・・・アメリカ牛肉輸出市場とすれば、重要なニュースなのか?という気がしないでもない。

これまで、吉野家は「米国産牛肉」にこだわってきた。
というのも、「吉野家の味は、米国産牛肉でなくては出せない」という理由からだった。
それに対しライバル企業は、米国産牛肉のBSE問題発覚後オーストラリア産牛肉に切り替え、一定の品質を保つ努力をしてきた。
理由は「食の安全を優先し、価格維持」の為だった。
それぞれの理由に、納得できることだと思える。

ただ、これまでの流れからすると吉野家にとっては、やや不利だという気がする。
最大の理由は、「米国産牛肉の安全性」に対する疑問。
「牛肉としての美味しさ」よりも「食の安全」の方へと、生活者の目がいっているようなところがあるからだ。
確かに先月、アメリカ系大型スーパーマーケットが米国産牛肉販売を再開させ、ほぼ完売した。というニュースがあったが、日本のスーパーマーケットは状況を見て・・・と消極的だ。
他にも、ファミリーレストランなども米国産牛肉の商品を扱うことに、二の足を踏んでいるようだ。
アメリカのファーストフードの雄「マクドナルド」は、「オーストラリア産牛肉100%パテ」を「食の安全」としてCMに起用している程だ。
「食を扱う=健康を扱う」という、意識だからだろう。

今回の吉野家の牛丼再開に、喜ぶ牛丼ファン(というか吉野家ファン)もいるだろう。
「味へのこだわり」は、牛丼という食べ物を一般化させた自負もあったように思う。
とすれば、吉野家が「美味しさ」と「食の安全」を両立させるということが、生活者に対するより強い信頼を得る為には「生産者の顔を見せる」ということなのでは、ないだろうか?
既にモスバーガーなどは、生産者の顔を見せ、ファーストフードであってもレストランの美味しさというものを、打ち出している。
吉野家の「牛丼の美味しさ+食の安全」という新しい、生活者への提案が積極的にされることを期待している。

日本の美が、グローバル?

2006-09-04 22:25:30 | トレンド
先月、カネボウから「いち髪」という、ヘアケア商品が発売された。
資生堂の「TUBAKI」から遅れること、半年ほど。
ライバル企業が、同じコンセプト商品を市場投入したことになる。

資生堂の「TUBAKI」とカネボウの「いち髪」は、パッケージなども対照的。
「TUBAKI」が赤で商品を統一しているのに対し、「いち髪」は白・黒・灰色と商品アイティムで色分けしている。
形状もやわらかい曲線を使い「日本女性のたおやかさ」を表現しているかのような「TUBAKI」。直線的な印象の「凛とした立ち姿」を思い浮かべる「いち髪」、といった具合だ。
ただ、どちらも「日本女性(の髪)は、美しい」ということを謳い、その主成分も「和」が中心となっている。

先週末の朝日新聞の「be」に掲載された、レポートなどを読むと、今のシャンプー市場というかヘアケア市場は企業の体力勝負となっているようだ。
というのも、シャンプーや石鹸といった商品は「使用者の親しみ度」が、その商品を支えているといわれているからだ。
新製品が出ると、「お試し」購入をしてくれる。
だからといって、それが次回の購入、それもポンプタイプの購入⇒詰め替え用購入へと結びつかない。
「お試し」だけで終わってしまう場合のほうが、多いのだ。
それが家族全員が使う商品(シャンプーの場合は、個別の場合があり)であれば、子供の頃に使っていた商品を大人になっても選択・購入する傾向があると、いわれている。
だからこそ、ヘアケア・石鹸などの「ホームラボラトリー」と呼ばれる商品カテゴリーは、1単価が決して高くなくても、企業にとっては重要な商品となるのだ。

カネボウの「いち髪」のテレビCMをまだ見ていないので、どれだけ資生堂の「TUBAKI」を意識したモノとなっているのか分からない。
昨年あたりから、幾つかの企業は「日本」を意識した商品を出しはじめている。
それも「内側の美しさ」を謳っている商品が多い。
それが今の「トレンド」ということなのか?それとも・・・。

先週起こったこと-飲酒運転事故や東京オリンピック-

2006-09-04 08:47:28 | 徒然
先ほどチェックした、讀賣新聞のWEBサイトを見てビックリした。
トップの「社会」に「飲酒運転事故が3連記事」となって、並んでいる。
福岡で幼い3兄弟が、飲酒運転によって命を奪われてから1週間ほどしか経っていないのに・・・問題意識が低いというのか?「自分は大丈夫」という過信なのか?
こういうニュースを見るたびに、人間って懲りないな~と思ってしまう。

3連記事のうち1つは、ガソリンスタンドに突っ込んでいる。
火気厳禁の場所での事故だけに、二次事故とならなかっただけ良かった・・・とみるべきなのか?
他にも、大分県職員が飲酒運転。
父が公務員だったこともあり、子供の頃言い聞かされたことがあった。
「(交通)事故を起こしたら、新聞やテレビのニュースでは職場の名前まで公表される。「会社員」では済まされない。事故を起こすことそのものも問題だが、公務員というのは、生活総てにおいて衿を正すような意識をもたなければ、世間から非難をされる立場にある」ということだった。
一昔、二昔前の人だから、このような考えを持っていたのかも知れないのだが、それにしても箍が外れたようなモラルのなさは・・・と、考えてしまうのも事実だ。

先日の「東京でいいのかな~?-オリンピック候補地-」にコメントを下さった、ひろさん、カミナリ弟さんありがとうございました。
決定後の中日新聞記事などを読んでみると、東京に不利と思われるレポートが削除されていたようです。
計画性なども、福岡のほうが具体的だったと記事にありました。
投票前から「東京ありき」ということだったのでしょう。
福岡のプレゼンテーションで不快と感じる場面があったとすれば、東京大学教授・姜 尚中氏(熊本出身)だったかも知れない。

東京に決まった背景には「国による財政負担がない(少ない)」ということがあったようですが、それはメイン会場などの用地取得費用くらいで、実際は「国家プロジェクト」として、「東京オリンピック」がしたいという、石原東京都知事の本音が見え隠れしている。と既に指摘されてるようです。
JOC及び各スポーツ団体の偉い人たちの「判断基準」というセンスが、一昔、二昔前ということが分かったような気がします。