日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

今年贈るチョコは、好きな人だけではなく・・・

2012-02-11 18:59:21 | CMウォッチ
今日の百貨店のチョコレート売り場は、相当にぎやかだったのではないだろうか。
来週の火曜日は、バレンタインが待っている。
そしてこの時期、世界中のチョコレートが日本に集まるのでは?と思うほど、百貨店を中心に様々なチョコレートを見ることができる。
欧州の有名菓子店のリッチで色とりどりのものから、フェアトレードのシンプルなものまで、本当に様々なチョコレートを見ることができる。

そして今日、新聞に明治製菓の全面広告が掲載されていた。
実際の広告をUpすることができないのだが、板チョコで家や教会などの建物を作り、その建物には暖かな明かりが灯っている。
そして、広告文がまたとても素敵な内容。
見ているだけで、心が温かく優しくなれる広告だ。
そしてその広告の下には、UNHCR(国際高等弁務官)への寄付をお願いする文がある。
広告は、現在明治製菓が行っている「チョコレートで応援します」キャンペーンの「世界の難民の子どもたちに」だったのだ。

考えてみれば、「バレンタインでチョコレートを贈る」と言う習慣(製菓業界の仕掛けと言うべきか?)があるのは、日本くらいだと思う。
海外では、チョコレートに限らずいろいろなモノが贈られるのがバレンタインのようだ。
ただ、「人を思い、人にプレゼントをする」と言うことは、何かのキッカケが無いとなかなかしづらいのも事実だろう。
特に、シャイな日本人にとってはこのバレンタインは、愛や感謝を伝えるキッカケを作っているのかもしれない。

そうやって考えると、このキャンペーンもとても意味深いものになる。
世界中には、国を追われ難民となっている人たちがたくさんいる。
そしてその人たちの多くは、食うや食わずの生活を強いられている。
その中でも子どもたちが置かれている状況は、目を覆うほどだと言うのは想像しやすい。
だから愛を伝えるバレンタインに、彼らにも愛を!と言うのは、とても共感を得やすいはずだ。

暖かな明かりの下で、温かな料理を家族や大切な恋人と過ごすことに感謝し、少しのおすそ分けを難民の子どもたちにも・・・そんな気持ちを感じる広告だった。
この広告を見て、フッと思ったのは、東日本大震災で大切な人たちを失った人たちへ、何か贈ることはできないか?と言うこと。
「時既に遅し」と言う気は十分するのだが・・・と思っていたら、チョコではないが昨年のクリスマスでサンタを100名募集していた「遠野まごころネット」で、奨学金基金の募集をしていた。
義理チョコ購入分をこちらにおすそ分け、と言う気持ちは、義理で渡す相手にも理解してもらえると思う。

中京圏構想と大阪都

2012-02-10 19:33:09 | アラカルト
昨日、名古屋で「中京圏構想」についての発足会議があった。
ここで注目されたのは、大阪の橋下さんが進めている「大阪都構想」との連携があるのか?と言う点だった。
ところが、連携どころか「大阪都構想」とは大きく違う内容となっていた。

ご存知のように橋下さんが進めようとしている「大阪都構想」は、行政改革や教育など幅広い「改革」構想を持っている。
決して「二重行政の無駄を省く」と言う点だけではない。
もちろん「大阪都構想」の大きな柱となるのは、現在の大阪市を東京23区のようなカタチにすることだが、そのことによって起きるであろう様々な行政、財政面での効率化を図ると言う点にある。
だからこそ、世間の注目を浴びるのだと思う。

そして今回、名古屋市長の河村さんと愛知県知事の大村さんが一緒になって考えている「中京圏構想」が、どのような内容なのか?と、注目された。
どうやらこの「中京圏構想」は、正しくは「中京圏経済発展構想」と言う内容のようだ。
その点では、橋下さんが推し進めようとしている「大阪都構想」と、大きく違う。

では、この「中京圏構想」で何が変わるのだろうか?
昨日の発足会議の時点では、何ともいえない部分があるように感じたが、基本的には何も変わらないのでは?と言う気がしている。
と言うのも、経済の主役となるのはやはり企業であって、自治体ではないと考えているからだ。
自治体が関係してくるとすれば、一昔前なら「企業誘致」だっただろう。
今であれば、何だろうか?と考えると、チョッと思い浮かばないのだ。
もちろん「税の優遇措置」などは考えられるのだが、それが「中京圏構想」でできるのか?と言うと、疑問な点がある。
とすればこの「中京圏構想」と、名古屋市と愛知県が行政としてどのような役割をしていくのか、とても分かりにくいように感じるのだ。
それだけではなく、この「中京圏経済発展構想」が生活者に与える影響には、どのようなコト・モノがあるのか、と言う点もまったく見えていない。

会議に参加した人たちのほとんどが、名古屋及び愛知県下の優良企業の社長さんなどだったと言う点も、この「中京圏構想」を分かりにくくしているのではないだろうか?
もし本気で「地域経済の発展」と言うのであれば、トヨタやトヨタ関連、JR東海などの優良企業以外の参加が必要だと思う。
税金が無駄になる「構想会議」にならないことを、一市民として願っている。

企業のグローバル化が社会に与えること

2012-02-08 19:36:05 | ビジネス
仕事柄新聞のチェックは欠かさないのだが、唯一ほとんど読まない頁がある。
それが、株式市況。
株などの投資をしていないだけではなく、日々の株価の変動よりも日々の社会変化のほうが私にとっては、注目したい点だからだ。
珍しく株式市況の頁をよんでいたら、フッと考えさせられるコラムが掲載されていた。
それが「企業のグローバル化と経済」と言う点。

「企業のグローバル化」といわれて久しいが、なんとなく日本の企業に勤めている人の多くは、日本人でその多くが日本国内に住んでいる、と思っているところがある。
少なくとも、私の中では「企業のグローバル化」とその企業に勤める人たちの住んでいる場所(国内外)と言う関連は思い浮かばなかった。
しかし現実は、日本の企業だからと言ってその企業で働く人の大多数が日本人だと、限らない。
取り上げられていたソニーに関して言えば、全従業員の35%程度が日本人。
それも、年々減少傾向にあると言う。
言い換えれば60%強が、外国籍の人たちで年々増加傾向にある、というコトになる。
もちろん、その外国籍に人たちの多くは日本には住んではいない。
一方、米国の保険会社「アフラック」は、それとは逆の現象となっている。
それだけではなく、保険料総額の3/4は日本でのもの。
というコトは、米国に本社がありながら日本で儲けている、と言う実態があるのだ。

それが「企業のグローバル化だ」と言ってしまえばそれまでだが、先ごろ発表された日本の家電メーカー各社の赤字が、黒字に転じたとしても日本の経済全体が活性化するわけではない、と言うことをこれらの数字は表してもいるのだ。
だからと言って「日本の経済活性化のために、海外に進出するのをやめ、国内雇用を増やすべき」と言うことを言っているのではない。
おそらくそのようなコトをすれば、ますます日本の経済は立ち行かなくなる可能性のほうが高いだろう。
考えなくてはいけないのは、「日本企業のグローバル化」は「世界の企業のグローバル化」でもある、と言うこと。
「日本の製造業=日本の物づくり」と言う、高度成長期と同じような発想では、日本のこれからは難しい、と言うことなのだ。
そもそも、第二次産業(=工業生産産業)に携わる人よりも、第三次産業(=商業や公務員を含むサービス業)に従事する人のほうが多い、と言う現実がある。

そろそろ、高度成長期の成功体験の殻を本気で打ち破らなくては、いけないのではないだろうか?


「慣れ」と言う経験の怖さ

2012-02-07 11:13:24 | ビジネス
昨日は、乳がんの年に1度の一番重要な経過検診日だった。
そのため、いろいろな検査をする必要があり、当然病院での待ち時間も長い。
そんな待ち時間の時、フッと目に留めた医療者向け雑誌があり、その雑誌を読んで時間をやり過ごすことにした。

その雑誌の中に、とても興味深い言葉があった。
「医者塾2011.6vol.11」より
「現役医師に-
 経験と言う財産が「慣れ」形を変える時、
 視野を狭べるだけの「ブリンカー(競馬などの馬に使われる視野を狭める道具)」になる。
 「ブリンカー」を着けたままの経験は、
 ただの「傲慢」にすら形を変える。」

と言う一文だ。 
医師という職業には、経験がとても大切だと言うことは十分に理解できる。
しかし、経験が慣れとなり、新しい知識や考えを取り入れること無く過ごしていけば、いつのまにか時代に遅れた知識しか持たない、肩書きだけの傲慢で頑固な医師となってしまう・・・。
そんな警告文のような文だった。

しかしそれは、何も医師と言う仕事だけに当てはまる言葉ではないように思う。
以前読んだビジネス雑誌などでも、中間管理職以上になると新しいコトを学ぶ姿勢が徐々に失われ、それまでの慣習や前例の踏襲をするようになる傾向がある、と言う指摘がされていた。
医師と違いビジネスの場面では、目の前にいる人の命にかかわるようなコトが無いが、ビジネスそのものは、「経済」と言う社会の血液だと言える。
とすれば、経験と言う「慣れ」が経済を停滞させてしまうコトがある、と言うことだともいえるのではないだろうか。
時には「過去の成功体験」に引きずられ、時代の変化を感じることができずに、前例的なことばかりを繰り返してはいないだろうか。

医療者向けの雑誌の、医師に向けて発せられた言葉ではあるが、それはビジネスと言う違う場所でも同じなのでは?
そんなことを考えながら、雑誌を読んでいた。

競合商品との違いを考える

2012-02-05 14:10:41 | マーケティング
昨日のエントリ「CMだからといって、見逃せないこと」を書きながら(正しくは、キーを打ちながら)考えていたことがある。
この「フォション オテマエドパリ抹茶」と競合する商品は何だろう?と言うことだ。
思い浮かんだのは、昨年発売されたサントリーの「伊右衛門 GreenEspresso」だった。

ご存知の通り、サントリーの「伊右衛門GreenEspresso」も、抹茶を使っている。
ただ、こちらは「かぶせ茶」から淹れたお茶に抹茶を加えていると言う点。
一方アサヒ飲料の「フォション オテマエドパリ抹茶」は、抹茶のみを使用しているという違いがある。
いわゆる「茶道」でいただくお茶に近いのは、アサヒ飲料の「オテマエドパリ抹茶」と言うことになる。
だからこそテレビCMでは、わざわざ茶せんでお茶を点てている映像を、トップに持ってきているのだと思う。
その後の内容については、「・・・・???」であると言うのは、昨日エントリしたとおりである。

そこで疑問に思ったのは、何故「フォション」と言う名前を使ったのか?と言うことだ。
サントリーが「エスプレッソ」と言う、イタリア語を使ったからなのか?
しかし「エスプレッソ」と言うのは、珈琲の淹れ方であってブランド名ではない。
「フォション」は、ご存知のとおりフランスの高級食料品店。
商品サイトを見ても「フランスの高級食材商が見出した日本の雅(みやび)な「お点前」と言う、コピーが付いている。
そもそも「お手前」とは、お薄や濃茶を点てるときの作法であって、飲み方でも淹れたお茶でもない。
もっと言えば、「客人をもてなす心遣いであり、それはお茶を点てるだけにとどまらず、そのしつらえから挨拶にいたるまで全てのコト」を指している。
とすれば、このコピーの意味は「お茶を点てる作法の雅さをフォション風にした缶入りお薄」と言うことになるのだろう。

なんとなくだが、この商品コンセプトは「若い女性にも気軽に抹茶を楽しんでもらいたい。パリのカフェで珈琲を楽しむように」と言うところだったのではないだろうか?
それが、「フォション」と言う名前を冠にし高級感を出そうとして、悪戦苦闘した結果、このようなモノになってしまったとすれば、とても残念な気がするのだ。

CMだからと言って、見逃してはいけないこと

2012-02-04 20:43:19 | CMウォッチ
facebookの知人が、アサヒ飲料の新商品「フォション・抹茶」のCMについて、怒っていた。
現在テレビ無し生活をしている私は、このCMを知らなかったのだが公開されているCMを見ると、確かにおかしい。
「おかしい」と言うよりも、茶道を習ったことが無い私が見ても「それは無いよ!」と言うほど、恥ずかしい内容のCM。

最近、時折送られてくるDMなどを見ても感じることの一つに、これまでの常識では考えられないような「それは無いよ」と言う演出をした写真を使った内容や、コピー文が普通になりつつある、と言う点がある。
「常識は、時代とともに変化する」と言われれば、それまでなのだが、このフォションのCMのように「一つの型」が決まっていることについても、それがどんどん崩れてきているような気がすることが、増えてきているのだ。

別に、このCMのモデルさんが着ている着物や髪飾り、小道具として使われている抹茶茶碗の季節感の無視状態を指しているのではない。
本当は、この部分はとても重要な部分でもあるのだが、このCMの場合それ以前の「作法」と言う点で問題なのだ。
このCMを作ったスタッフに、「茶道」の心得た人物がいなかったのかも知れない。
もう一つは「フォション」と言うフランスの食材メーカーのブランドの商品と言うことで、モダンさを狙ったのかもしれない。

しかし、「モダン」と言うことを考えれば伝統を理解した上での、現代解釈や表現があって初めて「モダン」と言えるのではないだろうか?
同じような、上っ面の「モダンさ」を表現しているような、「日本風」の広告表現が増えてきている、と言うことに一種に危機感のようなモノを感じるのは、私だけだろうか?

昨年の東日本大震災以来、世界中が「日本の精神文化」と言うものに注目をし始めている。
そしてその「精神文化」の一つの表現として、「日本のモダンデザイン」や「モノづくり精神(工業製品などの物作りではない、創造性のあるモノ作りという意味)」に反映されていると、捉えられ始めているのも事実だろう。
とすれば、そのような世界が注目する「日本の精神文化」とは逆をいくような広告表現と言うのは、いかがなものだろう。
むしろ、広告を作る人間と言うのはそのような文化的な知識も必要だと思うし、このような商品の広告を担当する際には、その知識を得ることが当然なのだと思う。
そのような「当たり前のコト」を、おざなりにしてきている風潮が最近の広告表現に多くなりつつあるように感じている。

「CMだからこの程度」と思って、メーカーや広告代理店がこのようなCMを作っているのだとしたら、とても恥ずかしいことだと思うのだ。

商品情報を確認したら・・・「甘くない抹茶」とある。
もともと「抹茶」は甘く無いんですけど・・・アサヒ飲料さん。
アサヒ飲料さんがイメージしていた「抹茶」と言うのは、抹茶に砂糖が入った「グリーンティー」のコトだったのですね。
日本の飲料メーカー、ここまで落ちたのか・・・と、情けない気分です。




ロングセラー商品から学ぶこと

2012-02-03 09:57:47 | ビジネス
江崎グリコのロングセラー商品の一つに、「ビスコ」がある。
おそらく多くの方は子どもの頃、遠足のおやつに持っていったとか保育園でおやつとして食べた、といった記憶があるのではないだろうか?
その「ビスコ」の本年度の売り上げが、発売以来最高の売り上げを記録するという。

江崎グリコニュースリリース愛されて 80年目の 「 ビスコ 」

「ビスコ」が発売されてから既に80年という、ロングセラー商品であったことにもチョッとビックリしたが、発売してから80年経って過去最高の売り上げを記録する、というコトにも驚いた。

過去何度か、「ロングセラー商品」についてのエントリをさせていただいたが、それらの商品に共通していたことは、「時代とともに変化する」というコトだった。
「時代とともに変化する」と言っても、目だった変化をしているわけではない。
むしろ、「ロングセラー」という市場の優位性を十分理解した上で、味や素材などを変えるということだった。
パッケージにいたっては、逆に古臭いと感じられるほど大きな変化はしてない。
今回取り上げる「ビスコ」も、今のパッケージと私が子どもの頃見ていたパッケージとでは、さほど変化が無いように感じる。

「ビスコ」といえば、「子どものおやつ」というイメージが強いと思う。
だが、実際には「子どものおやつ」として購入している人よりも、オフィスなどでOLさんが「小腹が空いた時」などに食べている。
これは、数年前から江崎グリコが展開をしている置き菓子「オフォスグリコ」の効果だろう。
実際、街中でもこの「オフィスグリコ」の配達をしていると思われる営業車両を見ることが多くなった。
子どもが食べて安心なおやつなら、大人が食べても安心なおやつ、というコトだ。
このような、新たな市場の開拓によって「お菓子=子ども」という少子化市場と思われる「お菓子市場」を変えることに成功したのだと思う。

もう一つ大きく売り上げが伸びた理由が、「東日本大震災」だという。
阪神淡路大震災以来、日本の製菓メーカーには「非常食としてのおやつ」という考えが、生まれてきた。
毎年9月になると、スーパーなどの「防災用品」のコーナーにビスケットなどの缶詰お菓子が登場するのもそのためだ。

そして今回、「ビスコケース付きハッピーアイソート」を出す。
「(OLが)かばんに入れても、ビスコが壊れないように」というコトのようだが、使われ方としてはそれだけではないだろう。
実は昨年から、週に1回程度3,4時間の散歩を楽しむようになったのだが、その時水筒と一緒に必ずもって行くのが、小分けパッケージのビスケットやキャラメルなのだ。
お弁当を持って歩くほどではないが、チョッと疲れたら気分転換をかねて一休みする時には丁度良いサイズなのだ。
そんな使い方をする人も、少なくないだろう。

江崎グリコ側は、積極的にこのような提案をしていない。
していないが、食べ方の変化に対応している。
そのような「変化対応力」が、ロングセラー商品にはある。




価値観の変化を理解しているか

2012-02-01 19:31:54 | ライフスタイル
昨日、「留職」というコトバを聞いた。
「留学」ではなく、「留職」だ。
最近良く聞くコトの一つに、「若年層の内向き志向」がある。
一般的に言われるのが「海外の大学などへの留学が減っている」というコトから、言われるようだ。

しかし、昨日「留職」を勧めている「NPOクロスフィールズ」の代表の方のお話を伺うと、決して「内向き志向」なのではないようだ。
一言で言えば「価値観の大きな変化」というコト。
特に興味深かったのは、
「今の30代より下の世代は、子どもの時から『不況』といわれてきた世代。バブルの恩恵にあずかることも無く、阪神淡路大震災などの大規模災害も目にしてきた。高度成長期のような価値観を持ち合わせていないだけ。高度成長期のような物質的豊かさが脆く崩れ去るのを見てきているのだから、これまでとは違う価値観を持っていても不思議ではない。逆に、『内向き』といっている人の価値観は、高度成長期の価値観の押し付けだと思う」
という内容の話だった。

確かに、今の30代より下の世代はバブルの恩恵に預かることも無く、高度成長期のような右肩上がりの社会とは無縁の世代。
だからこそ、違う価値観を見出そうともがいているようなのだ。
その一つとして「留職」という選択肢を、考えているようにも思えた。

「留職」というの基本は、企業から新興国の企業や政府に派遣されることなので、企業側のメリットも高い。
高い日本の技術やサービスの考えを伝えるだけではなく、企業に対しての親しみ度といった部分での貢献度も高い。
「留学」というと、多くの場合米国やEU諸国の大学で学ぶことだと考えるトコロがあるが、日本の大学だって負けず劣らずのモノを持っているのでは?
とすれば、せっかく大学で学び、社会で身に付けた経験を新興国の経済支援というカタチで、「幸せにする」という価値観もアリだと思った。

もしかしたら、「内向き志向」になっているのは、旧来の価値観にとらわれている年代なのかも知れない。