日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

嫌な社会的空気感

2014-11-13 21:07:28 | 徒然

 先日、京都大学に警視庁の公安部の職員が、京大の職員を装って侵入し大学ともめる、と言うことがあった。
そして今日、その公安部が京都大学内にある学生寮を捜索し、学内が騒然とするというコトが一部ニュースで報じられている。
毎日新聞:京大:学生寮「熊野寮」を捜索 警視庁公安部

 このニュースを聞いた時、40年以上前に時代が戻ったのか?と一瞬錯覚を起こしそうになった。
おそらく、今の50代以上の方なら覚えていらっしゃると思うのだが、40年以上前学生運動が盛んな時代があった。
その学生運動の中から様々な「グループ」が誕生し、その中には「よど号ハイジャック事件」や「クアラルンプール事件」などを引き起こした「赤軍派」と呼ばれるグループもあった。
当時は小学生だった私にとって、「赤軍派」が起こした「浅間山荘事件」などは、強烈な印象とともに「時代の変化」を感じさせる象徴的な事件だった。

 「赤軍派」が起こした事件なども、よくよく検証すると掲げられた彼らの理想や考えとは全く関係のない、「グループ内での嫉妬や嫉み、恋愛関係の痴話」などが背景にあったコトなどが、次々と明らかになったことも、当時の若者の心が離れていった大きな要因だったように思う。
 何より、その当時の日本経済は大きな転機を迎えていて、「固定相場制から変動相場制への移行(今では考えられないかも知れないが、昭和40年代初めまで1ドル=360円だった)」、「オイルショック」、田中角栄氏の「日本列島改造(論)」と、大きく変化した時代。学生自身もより現実的な行動へと移っていった時代でもあった、と言う印象が残っている。

 そこへ突然「中核派」だとか「警視庁公安部」などの言葉が登場したのだ。しかも、大学の構内での騒ぎ。
 今現在、「中核派」と呼ばれるグループが、どのような活動をしているのかは知らない。しかし、捜索までの経過を見ていると、かつての様な「過激な中核派」という印象は全くない。むしろ、戦前の「言論統制」に近い印象がある。これが、警視庁公安部の勇み足だったとしても、今の政府がこの様な考えを持っているのでは?と、生活者に疑念を持たせるには十分な出来事だと思う。思うのだが、肝心の安倍さんは、全くそのようには感じていらっしゃらない様子。

 そもそも大学というのは、自由闊達な場であって欲しいと思っている。様々な考えや意見が自由に発言できるからこそ、新しい何かが生まれ、育つ場所でもあるはずだ。教科書に書いてあることや教授が板書した内容をノートに書き写す(最近は、スマホで撮影する学生もいるらしいが)のでは、大学という場で学ぶ意味がない。
 そう考えると、益々今回の騒動は戦前の「言論統制」を思わせる出来事だと思う。
 それは、大学だけにとどまらず、いずれ社会全体に広がっていく。そしてそのような社会になると、ビジネスそのものがとても息苦しくなってくるし、新しい市場を創り出す元気もなくなってくる。安倍さんご自身は、その様なコトを理解しているのだろうか?

 


「デザイン」の意味が変わりはじめた

2014-11-12 20:55:51 | トレンド

毎年今頃になると「グッドデザイン賞」の発表がある。
先日発表があり、今年の受賞者が決まった。
グッドデザイン賞 特別賞:2014年度グッドデザイン賞受賞概要

大賞を受賞したのが、デンソーで受賞作品が「医薬・医療用ロボット」というのも、今年らしいというか政府が力を入れている分野での受賞なので、何となくわかる様な気がする。
ただ、賞全体を見てみるとここ数年で「それって、デザイン?」と思う様な「コト」もデザインの大賞となってきている。
特に今年は、「月刊誌」や「NPO法人」、「災害ボランティア」などが、受賞している。

これまで「グッドデザイン賞」というと、「工業デザイン」や「建築」などが主な対象だった。
確かに、「工業デザイン」や「建築」というのは、「形」として分かり易く、好みや趣味の違いはあっても、納得がし易い物が対象だった。
それが「月刊誌」だとか「災害ボランティア」や「NPO法人」となると、その選考基準などが判り難く納得し難い。
例えば「災害ボランティア」と言ったとき、「ボランティア活動にグッドデザインってあるの?」という、疑問が起きるだろうし、「ボランティア活動」そのものの何を比べているのかわからない。
もちろん、受賞理由を読めば「なるほど!」と理解できるのだが、それでも「なんだかな~?」という感覚が残ってしまう(のは私だけだろうか)。

しかし、考え方を変えると「デザイン」の意味が、変わってきたのかも知れない、と思うのだ。
これまでの「人にとって使いやすい」などのような、「物のデザイン」だけではなく「人の気持ちを動かす仕組み」というコトが、「デザイン」に加わり始めているように感じる。
これまで、日本のデザインは伝統的な手仕事の繊細さや大胆さを背景に、「意匠」という視点で発展してきたように思う。
そこに「人の気持ちを動かす仕組み」という、これまでとは全く違う視点が組み込まれるコトで、「社会的デザイン」と言う新たな視点がこれまでとは違う「新しい価値観」を創っているかも知れない。
そしてその様な視点が生まれる場所というのは、案外地方のような気がする。


ロングセラーには、訳がある

2014-11-10 20:05:14 | マーケティング

Yahoo!のトピックスに、小林製薬の「ブルーレット」が年間売上げでギネスに登録された、と言う産経新聞の記事が取り上げられていた。
産経新聞WEST:
130億円超えのブルーレット、ギネス世界記録認定!トイレ用洗浄剤で年間売上げ世界一小林製薬に認定証

年間の売上げが、130億円というのも凄いものだがむしろ「ブルーレット」という商品が、売れ続けていると言う点のほうが、もっと凄いと思う。
商品登場以来40年以上の時間経過がありながらコンスタントに商品が購入され続ける、と言うのは、多くの企業にとって羨ましいばかりだと思うからだ。
特にこの「ブルーレット」の様な市場は、商品の入れ替わりが激しく、40年以上も前に登場した商品がリニューアルを繰り返し、商品アイティムを増やしながらも市場に残る、と言うのは相当な企業努力を必要とするからだ。
もう一つ考えなくてはならないことは、新聞の記事にある様な「下水道の整備が進んだ」というだけの理由では、これほど長い間売れ続けない、と言う点だろう。

では、何故売れ続けたのか?と言うことを考えると「家事労働」という点が浮かび上がってくる。
「ブルーレット」という商品は、産経の紹介記事にある様に「トイレ用洗浄剤」である。
その特徴は、水洗トイレタンクに入れるか、置くだけと言う簡単なモノ。
実はこの「簡単さ」が、とても重要なのだ。

例えば、「ブルーレット」の大ヒット以来、様々な洗浄剤メーカーが商品を出した。
花王の「トイレマジックリン」のように、トイレ使用後スプレーをして消臭+汚れが付きにくくするコーティングという、機能としてはほぼ同じ商品が登場しているが、「使用後スプレーをする」と言う行為が、案外使う側としては面倒なのだ。
何より、使用後スプレーをする人・しない人が家族内に出ることで、効果そのものは半減してしまう。
それに比べ「ブルーレット」の場合、トイレタンクに入れるまたはセットするだけなので、手軽で使用後、誰もがすることで、家事そのものの大変さが減っていく。
それほど、トイレ掃除というのは面倒で大変なコトなのだ。

「トイレ掃除の回数を減らし、消臭効果がある」というコンセプトは、「家事労働大変さ」や「主婦の気持ち」を理解していたからこそ、「便利・快適・手軽・労力の軽減」の商品として「ブルーレット」がヒットし、ロングセラーになったのではないだろうか?

言い換えれば、「使う人」の気持ちを商品に反映させるコトが、ロングセラーの秘訣なのだと思う。


「ひと」とIT

2014-11-09 22:10:00 | アラカルト

先週の今頃、ネットで「10年後に消える職業」というリストが話題になっていた。
今日のYahoo!のトピックスでも、取り上げられていた。
記事そのものを読んだ時「なるほどね~」と、思いはしたが「そんなに単純じゃないと思う」という気持ちのほうが、今でも強い。
Yahooトピックス:オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」702業種を徹底調査してわかった

例えば、記事で真っ先に挙げられているバーテンダー。
私は、お酒そのものをほとんど飲むコトがないので、実際のバーデンダ-がどのような接客をしているのかは知らない。
しかし、「お酒を飲む場所」としてお客となる人が欲しいと感じているのは、シェーカーを振るだけのバーテンダーではなく、お酒について熟知しているだけではなく、自分のその時の気持ちをさりげなく察して、その時の気分に合ったカクテルを提供してくれるバーテンダーなのではないだろうか?
カクテルを作る技術だけを求めるのであれば、レシピ通りに作れるロボットのほうが効率がよく味も均一でよいかも知れない。
しかし、それだけを人が求めている訳ではないはずだ。

その中でも一番「それは無いな~」と感じたのが、医療と介護だった。
確かに介護職の離職率は高い。
その大きな理由が、重労働なわりに待遇面が悪いと言うことが挙げられている。
この「重労働」の部分をロボットが肩代わりする、と言うのは良くわかるしそうなれば離職者も減るだろう。
だからと言って、介護職に人の手が必要無いのか?と言うとそうではないと思う。
介護や医療には「手当」という言葉があるように、人の手のよって患者や介護を受ける人とその家族の心が安まる、信頼する、と言うことが多いからだ。
「死の科学者」と呼ばれたキューブラーロス博士の著書「死ぬ瞬間」(だったと思う)の中に、「死を前にした患者が、ある掃除婦が掃除にいくと、それまでとは考えられない様な穏やかな表情になり、死を受け入れ亡くなる、と言う場面に遭遇し、不思議に思ったキューブラーロス博士が、その掃除婦の後をつけ、様子を見る」という話がある。
結局掃除婦は、掃除に入り患者の手を握るだけしかしていないのだが、何故「手を握るだけ」で穏やかになるのか?掃除婦に問いかけると、「私はあなたの側にいる、怖がらないで」と言って手を握っているだけだ、と話す。
この掃除婦の言葉と手を握ると言う行為こそ、患者を安心させ心穏やかな死を迎えるコトに繋がっている、とキューブラーロス博士は確信を得、「死を前にした人に必要な医療」を問いかけている。
この様に、医療の現場は「人の生と死が行き交う場所」であり、一番求められているのは的確な手術技術以上に「患者の気持ちを思い図る、人としての力」なのだと思う。

ITの進歩により、将来人に代わってロボットが仕事をする、と言うことはあるだろう。
ただ、このリストに挙げられた仕事や職業が、ロボットに変わるコトができるのか?というと、決してそうではないと考えている。
何故なら、人は誰かと接するコトで安心をしたり自分自身のことを考えたりするコトができるからだ。
それが「社会」という、大きなシステムを創っているのだ。
記事にある様なクリエイティブで芸術性のある仕事、と言うのは、実は「人を思う仕事」であり、その様な仕事や職業が、このリストには数多く含まれている、と考えている。


国内自動車販売と自動車学校

2014-11-08 21:00:27 | ビジネス

先日、トヨタ自動車の3月期の純利益予想が2兆円となった、と言う記事が新聞に掲載されていた。
中日新聞:トヨタ純利益、初の2兆円 3月期予想
この記事にあるとおり、トヨタの純利益が2兆円を超す、と言うのは日本経済にとって明るい話題のように思える。
しかし、本当にトヨタのクルマが日本国内で売れているのか?と言うと、決してそうではなさそうだ。
日経新聞:自動車の国内生産、回復力弱く 8社、9月3.3%減

日経の記事では、増税などに伴う消費者の「購買意欲の低下」という様な趣旨となっているが、本当にそれだけだろうか?
と言うのも、先日地下鉄の駅前で、自動車学校の入校チラシを配布していたからだ。
チラシを配布していた自動車学校は、元々我が家から一番近いトコロにある自動車学校。
周囲には、大学が3校あるだけではなく、地下鉄の駅からほど近いこともあり、沿線の大学に通う大学生達だけではなく、社会人にもロケーションの良さから「夜間クラス」などは、「入校待ち」と言うことも多かった。
もちろん、これまチラシを配布していなかった訳ではない。
チラシで盛んに募集をしていたのは、昼間クラスの一部だった。
それが、今回配布されているチラシを見ると、これまで人気だった「夜間クラス」も募集となっている。
確かに、ここ数年夏休みなどでも自動車学校の名前の入った「実習車」を見かける頻度が減ってきている、と言う実感はあった。
しかし、上述した様な「アクセスの良さ」や「周囲のビジネス環境(=複数の大学が近くにある)」というコトから、まさか!と言う気がしたのだった。

自動車学校にとって、入校生が少ないと言うことはある程度予測できたコトだと思う。
何故なら、日本の人口構成を考えると、「自動車免許を取得する世代」が、減少傾向にあるからだ。
私は自動車免許を取得しなかったが、私の世代では大学1年の夏休みに自動車免許を取得するのが、当たり前だった。
その為、GWの頃から自動車学校に申込をし、予約を入れないと夏休みが終わるまでに免許を取得するのが難しい、と言われていた。
まして、名古屋はトヨタ自動車のお膝元の様な地域。
私の様に自動車免許を持たない大学生などは、ほとんどいなかった。

それが人口減少+若者の自動車に対する興味の薄れなどで、「クルマがない」コトが特別なコトではなくなってきたのでは?と言う気がするコトが多くなってきた。
上述した通り、自動車学校の周囲には大学がある。
自動車通学そのものが認められている大学などもあるのだが、その「自動車通学」そのものをほとんど見かけ無いのだ。
さすがに、地下鉄沿線から離れた大学に通う学生は「自動車通学」をしている学生もある程度いる様だが、その様な大学の前を通っても、自転車通学の学生の姿のほうが多い様な気がすることが増えてきた。

大学生なので、自分でクルマを買う程の経済力は無いと思うが、そうなると親の経済力という視点で考える必要がある。
自動車そのものの価格が大幅に値上がっている、と言うのであれば、親の経済力もそれ相応に必要だと思うのだが、自動車の価格そのものがここ10年ほど大きく値上がっているとは思えない。
とすれば、親が子どもにクルマを買い与える程の余裕がなくなってきている、と言うことになるのでは無いだろうか?
もう一つ考えられるのが、今の大学生(=自動車免許取得世代)が、クルマそのものに興味が薄くなっているのではないだろうか?

確かにトヨタの純利益2兆円という数字は、日本経済の回復という数字にも見える。
しかし、足下(国内)を見ると、決して楽観できる様な状況ではないし、何より自動車学校の入校車の減少による自動車産業に与える影響は、ボディーブローのようなものではないだろうか?


モノやコトに、物語を

2014-11-06 19:00:52 | マーケティング

NHKの朝ドラ「マッサン」が、人気らしい。
「マッサン人気」で、期待が掛かるのが洋酒の売上げかも知れない。
特に、主人公夫妻のモデルとなっているニッカウヰスキー、と言うことはご存じの方も多いと思う。
そしてそのライバルとなるのは、サントリーと言うことになる。
そのサントリーのウイスキーの中でもトップブランドとして名前が上がる「山崎」が、「世界最高のウイスキー」と評されたと、先日報道された。
HUFF POST:「山崎シェリーカスク2013」世界最高のウイスキーに選ばれる
「山崎」の国内でのコピーは、20年以上同じ(だと思う)で「何もたさない、何もひかない」というシンプルなモノ。
そのコピーらしく、シングルモルトウイスキーの味わいを、しっかりと商品が伝えている、と言うコピーと商品が、マッチしているお手本のような、コピーと商品の関係がある。

そして先日、百貨店に立ち寄ったとき、見慣れない「kibiso」というブランド名のシルク製品が置いてあった。
パンフレットを早速持ち帰ると、「鶴岡シルク」と言う企業の製品のようだ。
鶴岡シルク:kibiso
パンフレットを読むと、「鶴岡シルク」の隆盛・衰退というコトだけではなく、「何故、今kibisoというブランドを立ち上げ、世界へ発信するのか?」という物語や「鶴岡シルク」に対する思いが伝わってくる。
シルク製品として、魅力的なだけではなくその「物語」に、共感し心動かされた人達が、どうやら買って行かれているようだった。

バブルの頃、このような「モノ・コトに物語性を加える」と言うことが、盛んに言われた。
今ではすっかり忘れ去れてた感があるが、その当時の「物語性」は「この商品があると、どれだけ生活がリッチな気分になれますよ」というモノばかりだったような気がする。
それが、最近では「そのモノ・コトに対しての物語性」が語られるようになり、その「物語に共感・心動かされた」人達が、その「モノ・コト」を買って行っている、と言う気がしている。

考えて見れば、日本の得意(?)分野である「ものづくり」を指すとき、多くは工業製品を指してきた。
その工業製品も、家電製品などは韓国や中国などに押され、大変な状況になっている。
もし、それら工業製品に「作り手と使い手を結ぶ物語」があれば、また違ったモノになるのではないだろうか?
その為には、企業側も「製品、商品を提供する」という思考ではなく、「生活者と一緒に作り・提供する」という発想が、必要だろう。
そこから「ものづくり」がスタートすれば、生活者へのアプローチも変わってくるのではないだろうか?


視点を変えると違って見える

2014-11-04 19:12:54 | マーケティング

Yahoo!のトピックスに「利用者目線、変わる駅 スマホ充電器、祈祷室」という、神戸新聞の記事を取り上げていた。
神戸新聞NEXT:利用者目線、変わる駅 スマホ充電器、祈祷室

名古屋の場合、私鉄そのものが「名鉄」か「近鉄」しか無いため、関西のような熾烈な私鉄利用者獲得競争のようなものは無いと思う。
ただ、この記事を読んで「!!」と感じたコトがある。
それは「祈祷室」と言う発想だ。

記事を読んでわかる通り「祈祷室」というのは、イスラム教徒のために設けた施設だ。
最近「イスラム」というと、「イスラム国」ばかりが思い出され、「イスラム教徒=蛮行をする宗教」というイメージがつきまとってしまうようだが、あのような過激で自己都合ばかりを主張する「イスラム教徒」というのは、ごく一部だと思う。
多くの「イスラム教徒」は、他のキリスト教徒などと同じ様に極々普通の思考を持っているのでは?と、考えている。
何より、「イスラム教徒」そのものは、とても広い地域に住んでいると言うことがわかる。
アジアでも、インドネシアやパキスタンなどは、「イスラム教徒」の国だと言われている。
イスラム教徒が世界で16億人いる、と言う説があることを考えれば、その信者の多さだけではなく、宗教が与える世界的な影響力ということもわかるのではないだろうか?

そう考えると「国」という単位では無く、「宗教」という視点で人の生活を見てみると、随分違って見えてくるはずだ。
例えば、「イスラム教」で禁じられている食べ物がいくつかある。
厳密に言えば、「ハラール食と呼ばれる食べ物しか、口にしてはいけない」と言う宗教的制約がある。
日本ハラール教会:「ハラール」とは
どうやら「豚を食べてはいけない」という程度のコトでは無さそうだが、よくよく読むと日本の精進料理に近いものを感じる。
今や世界で注目されている「和食」だが、「イスラム教」が中心の国ではなかなか受け入れられそうな感じが無かった。
しかし、「精進料理」となれば、「イスラム教徒」の人達でも十分堪能できるように思う。

同じ様に、「言語圏」と言う視点で見ていくと、実はアフリカ諸国のいくつかが「フランス語圏」だというコトがわかる。
言語はその地域の生活の中心なので、「フランス語圏」という視点でアフリカ諸国を見てみると、欧州の生活様式に影響されている部分があるのでは?と考えるコトができるし、逆にフランスにアフリカ系の人達が多くいるコトに違和感を感じなくなる。

「グローバル化」という言葉は、随分前から盛んに言われてきている言葉だが、使われ方としては「国」という単位で見ている場合が多い。
その「国」というフレームを外して、宗教や言語などの視点で見ると、「国」そのものが違って見えてくるはずだ。
そして今必要な「グローバルな視点」というのは、この様な「国」では無い他の物差し(と言うべきか?)での「見方」という気がする。


パッケージも大切な「広告」であり、「コミュニケーションツール」

2014-11-01 22:32:00 | マーケティング

買い物に出掛けると、様々な商品を目にする。
特に、百貨店やスーパーなどは、数多くの様々な種類の商品を一度に視るコトができる場所だろう。
そんな売り場を歩いていて、気がついたことがある。
それが今日のタイトルだ。

アパレルなどは、特にパッケージがある訳では無いが、食品や日用雑貨など、日々の生活の必需品にはパッケージがされている。
例えば、今日見かけたカルビーのポテトチップス。
パッケージには帯広川西産新じゃがという、産地表記がしてある。
一番大きなスペースとなる場所にはジャガイモ作りへのこだわり、畑への思いが詰まった一品ですとある。この部分が「キャッチコピー」なら、その下にある文章は「キャプション」とか「ボディーコピー」というコトになるだろう。やや長くなるのだが引用するとカルビーでは35年以上に渡って契約生産者と二人三脚でじゃがいもづくりに取り組んでいます。生産者限定ポテトチップスは、北海道の契約生産者を限定紙、2014年とれたてのじゃかいもを100%使用下ポテトチップスです」とある。その下には「私たしが育てました! という生産者さんの顔写真と名前が記載されている。

この本文を読むと、如何にカルビーがポテトチップス製造に対して、真摯に取り組んでいるのか、と言うことが伝わってくる。
誇らしげな笑顔の生産者さんたちの顔写真も、このポテトチップスが「普通とは違う!」と思わせるには十分だろう。
美味しそうなポテトチップスの絵や写真を優先するのではなく、メーカーとして生活者に自分達の思いと生産者の顔写真を掲載するコトで、「安心、安全である」ということもアピールするコトができている。

カルビーがこの様なパッケージを作ったのは、おそらく今年の夏マクドナルドのチキンナゲットをはじめとする「食に対する不安」が生活者に広がっているのでは?と言う懸念があったからだろう。だからこそ、「北海道産」ではなく「帯広川西産」という産地表示がされ、生産者さんたちの顔写真と名前を記載しているのだと思う。

しかし考えて見れば、パッケージそのものが発しているメッセージというのは様々だ。
海外の高級ブランドなどは、そのパッケージを見ただけで「ラクジュアリーでハイセンス」なイメージを思いうかべる。
スポーツブランド「ナイキ」などは、ロゴとなっている「スウォッシュ」を目にしただけで「ナイキの持っている世界観」のようなモノを思い感じるコトができる。
それらは、ブランドイメージが確立しているからこそのコトなのだが、逆に言えばパッケージそのものがブランドイメージ作りに貢献をしている、ともいえるはずだ。

パッケージそのものは「商品を包む」ものだが、そこには様々なメッセージを込める必要がある。
考え方を変えると、「パッケージは、生活者とのコミュニケーションツール」だというコトかも知れない。