平成22年度初めてのLPSA金曜サロン、4月2日は、昼が大庭美夏女流1級、夕方が石橋幸緒天河の担当だった。
実はここ3週間ほど喉の痛みがひかず、1日はセキもひどくなって、とても金曜サロンへ行くどころではなかった。おまけに金曜日は先週から仕事が戻っている。ところが2日は早くも仕事が一段落して、午後3時すぎには一息つけることができた。こうなっては昼の部から参加する一手である。セキは峠を越えたが、バッグにはマスクを忍ばせて家を出た。
午後4時ごろ、入室。前の晩の暴風雨、当日の雨の影響もあってか、会員の出足は悪い。
大庭女流1級が指導対局を行っているが、4面指しの対局コーナーが「1面指し」になったところで、私が入る。と、大庭女流1級が駒を並べながら、すかさず言う。
「私は2回目の記事から読んでましたよ」
「へっ?」
先日のブログで「私のブログを最初に発見した女流棋士は、開設7日目の藤田麻衣子女流1級であろう」と書いたが、大庭女流1級は、私はもっと早かった、と言っているのだ。大庭女流1級がこのブログの読者とは意外だったが、しかしファンランキングといい、女流棋士は負けず嫌いが多い。
「(一公さんのブログにはコメントせず)私はずっと黙ってましたから」
「ああ、そうですね。私も、コメントをくださる人より、黙っておられる方のほうがコワイときがあります」
その後、「物言わぬ人の抗議」の恐さについて、しばし話の花を咲かせた。
石橋天河が見える。この日私が最も恐れていた女流棋士だ。
3月29日のマンデー・レッスンは、渡部愛ツアー女子プロの登場だったので伺ったが、そのとき「(皆さま、将棋で)私をイジメてください」といじらしい言葉を聞き、私はスパークした。ところがこともあろうに、その同じ言葉を石橋天河が言う、という噂が流れていたからだ。
こちらは渡部ツアー女子プロのピュアピュアな残像とセリフが脳裏に残っている。石橋天河の声でそのメモリーを上書きされては堪らない。私は石橋天河に
「先生、お願いですから、あの言葉は発しないでください」
と懇願したものだった。そしてこの願いお陰さまで、聞き入れられた。しかし後で、手ひどいしっぺ返しが待っていた。
続いてはS氏とのリーグ戦。S氏は定年前後から将棋を始めたが、奥様ともども毎週顔を出され、熱心に勉強を続けている。棋力も徐々に向上しており、将棋は何歳から始めても強くなれることを証明してくれる。LPSA女流棋士も、S氏を見習うべきであろう。
この日は大庭女流1級の愛娘さん(4月から小学3年生)もいっしょで、対局をさせていただいた。
「二枚落ちで教えてあげてください」
と植山悦行手合い係。
「これは…私が負けるんですよね」
「……」
「じゃあ六枚落ちで」
「六枚落ち? それはちょっと…(一公さんじゃ)勝てないでしょ」
「……」
それで私と娘さんとの対局が始まったが、娘さんは見慣れないオジサンの出現に驚いたのか手が伸びず、うっかり私が勝ってしまった。投了後、彼女がすかさず初形に並べ直すので、もう1局指したいのかと思いきや、彼女の目に涙がたまってきたので、私はおろおろしてしまった。
いけない。どうもいけない。「将棋ペン倶楽部」の古くからの会員ならご存知だと思うが、私は高校生のときの文化祭で、別の高校の女子と将棋を指したことがあるのだが、完膚なきまでに叩き伏せて、その女子高生を涙ぐませてしまったことがある。
私は女性の前だといい格好をしようとしていつも失敗するが、こと将棋に関してはとくにそうで、つい気合を入れてしまう。しかしこれは逆なのだ。棋力が下の女子には、負けてあげないといけないのだ。どうもこの癖は20年以上経っても直らない。
私は大庭女流1級の娘さんに「泣きの1局」を申し入れ、今度はうまく寄せられた。彼女は棋士の名前やエピソード、駒落ち定跡にも精通しており、十分に将来が期待できる。まずはLPSA主催の将棋大会に出場する日が楽しみである。
石橋天河との指導対局に入る。駒を並べながら、
「扇子勝負でお願いします」
と言われる。ふだんはこちらのセリフで、わざわざあちらから宣言するとは珍しい。しかしそれを言うなら厳密には、「サイン勝負」じゃないか? と思ったが、この言葉には恐ろしい狙いが秘められていた。
何と、あちらは自分が指導対局に勝ったら、発売したての「石橋扇子」を買わせようとしていたのだ。
こんな将棋道場がほかにあるだろうか。将棋は当然のごとく、私が吹っ飛ばされた。これで扇子購入は確定である。しかし同じ買うにしても、石橋天河の目の前で買うのはシャクである。よって扇子の購入は、次回以降に回させていただいた。
実はここ3週間ほど喉の痛みがひかず、1日はセキもひどくなって、とても金曜サロンへ行くどころではなかった。おまけに金曜日は先週から仕事が戻っている。ところが2日は早くも仕事が一段落して、午後3時すぎには一息つけることができた。こうなっては昼の部から参加する一手である。セキは峠を越えたが、バッグにはマスクを忍ばせて家を出た。
午後4時ごろ、入室。前の晩の暴風雨、当日の雨の影響もあってか、会員の出足は悪い。
大庭女流1級が指導対局を行っているが、4面指しの対局コーナーが「1面指し」になったところで、私が入る。と、大庭女流1級が駒を並べながら、すかさず言う。
「私は2回目の記事から読んでましたよ」
「へっ?」
先日のブログで「私のブログを最初に発見した女流棋士は、開設7日目の藤田麻衣子女流1級であろう」と書いたが、大庭女流1級は、私はもっと早かった、と言っているのだ。大庭女流1級がこのブログの読者とは意外だったが、しかしファンランキングといい、女流棋士は負けず嫌いが多い。
「(一公さんのブログにはコメントせず)私はずっと黙ってましたから」
「ああ、そうですね。私も、コメントをくださる人より、黙っておられる方のほうがコワイときがあります」
その後、「物言わぬ人の抗議」の恐さについて、しばし話の花を咲かせた。
石橋天河が見える。この日私が最も恐れていた女流棋士だ。
3月29日のマンデー・レッスンは、渡部愛ツアー女子プロの登場だったので伺ったが、そのとき「(皆さま、将棋で)私をイジメてください」といじらしい言葉を聞き、私はスパークした。ところがこともあろうに、その同じ言葉を石橋天河が言う、という噂が流れていたからだ。
こちらは渡部ツアー女子プロのピュアピュアな残像とセリフが脳裏に残っている。石橋天河の声でそのメモリーを上書きされては堪らない。私は石橋天河に
「先生、お願いですから、あの言葉は発しないでください」
と懇願したものだった。そしてこの願いお陰さまで、聞き入れられた。しかし後で、手ひどいしっぺ返しが待っていた。
続いてはS氏とのリーグ戦。S氏は定年前後から将棋を始めたが、奥様ともども毎週顔を出され、熱心に勉強を続けている。棋力も徐々に向上しており、将棋は何歳から始めても強くなれることを証明してくれる。LPSA女流棋士も、S氏を見習うべきであろう。
この日は大庭女流1級の愛娘さん(4月から小学3年生)もいっしょで、対局をさせていただいた。
「二枚落ちで教えてあげてください」
と植山悦行手合い係。
「これは…私が負けるんですよね」
「……」
「じゃあ六枚落ちで」
「六枚落ち? それはちょっと…(一公さんじゃ)勝てないでしょ」
「……」
それで私と娘さんとの対局が始まったが、娘さんは見慣れないオジサンの出現に驚いたのか手が伸びず、うっかり私が勝ってしまった。投了後、彼女がすかさず初形に並べ直すので、もう1局指したいのかと思いきや、彼女の目に涙がたまってきたので、私はおろおろしてしまった。
いけない。どうもいけない。「将棋ペン倶楽部」の古くからの会員ならご存知だと思うが、私は高校生のときの文化祭で、別の高校の女子と将棋を指したことがあるのだが、完膚なきまでに叩き伏せて、その女子高生を涙ぐませてしまったことがある。
私は女性の前だといい格好をしようとしていつも失敗するが、こと将棋に関してはとくにそうで、つい気合を入れてしまう。しかしこれは逆なのだ。棋力が下の女子には、負けてあげないといけないのだ。どうもこの癖は20年以上経っても直らない。
私は大庭女流1級の娘さんに「泣きの1局」を申し入れ、今度はうまく寄せられた。彼女は棋士の名前やエピソード、駒落ち定跡にも精通しており、十分に将来が期待できる。まずはLPSA主催の将棋大会に出場する日が楽しみである。
石橋天河との指導対局に入る。駒を並べながら、
「扇子勝負でお願いします」
と言われる。ふだんはこちらのセリフで、わざわざあちらから宣言するとは珍しい。しかしそれを言うなら厳密には、「サイン勝負」じゃないか? と思ったが、この言葉には恐ろしい狙いが秘められていた。
何と、あちらは自分が指導対局に勝ったら、発売したての「石橋扇子」を買わせようとしていたのだ。
こんな将棋道場がほかにあるだろうか。将棋は当然のごとく、私が吹っ飛ばされた。これで扇子購入は確定である。しかし同じ買うにしても、石橋天河の目の前で買うのはシャクである。よって扇子の購入は、次回以降に回させていただいた。