一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

船戸陽子女流二段と私の、初めての会話

2010-04-29 23:24:37 | 女流棋士
私はこのブログで船戸陽子女流二段のことをいろいろ書いているが、船戸女流二段はそれに関して不快感を示されたことは一度もない。むしろ話にノッテきてくれる感さえあり、ありがたいことだと思っている。
では、船戸女流二段と私との、記念すべき最初の会話はなんだったか。それはいつだったか。思い出してみたい。
まず、船戸女流二段を生で拝見したのは、2年前に行われた「天童桜まつり・人間将棋」が最初である。当日は前日の雨が残っていたため、舞鶴山での将棋は見送り。市民文化会館へ場所を移しての開催となった。もうひとりの対局者は島井咲緒里女流初段で、女流棋士会とLPSAの一騎打ちであった。
このあとの指導対局で、私服姿で現れた船戸女流二段がモデルのように美しく、この瞬間、私の未公開ファンランキングで、彼女が1位になった。しかし以前記したように、このとき私は片上大輔六段との指導対局だったので、船戸女流二段との会話はなかった。そしてそのチャンスはこの先もないと思われた。
ところがその翌週、私がLPSA金曜サロンに赴き将棋を指していると、突然船戸女流二段が訪れたので、私は本当にビックリした。
しかし同時にちょっと戸惑ったのは、彼女が当時女流棋士会の所属だったことだ。しかし女流棋士会所属の棋士がLPSAサロンを訪れていけないという法はなく、船戸女流二段の行動には何の問題もない。
そんな船戸女流二段を目の前にして、私がどれだけ感激したか、このブログの読者にはお分かりであろう。いや、読者の想像以上であったと言いきれる。
ここで船戸女流二段と私との、初めての会話が交わされた。

「船戸先生!!」…「先生、☖○○○では、☖1八歩成☗3七玉を利かせばよかったんじゃないですか? 銀が入れば☖2八銀があるし、それなら1筋に歩も利くし」
「あっ、それ、どなたかにも言われましたー」

だった。
私は高校時代の1年生と2年生のとき「男子クラス」だったので、女子とほとんど話したことがなく、いまでもそれを引きずっていて、女流棋士の前でアガッてしまう。
だから憧れの船戸女流二段を前にした私は、挨拶もロクにせずに、本題から切り出してしまったのだ。もちろんふつうは、「はじめまして、大沢と申します」と言うところであろう。
対して船戸女流二段も、前からの知己のように、自然に言葉を返してくれた。それで私の緊張感がどれだけほぐれたことか。とても気さくなひとだと思った。平成20年4月25日。この日が船戸女流二段と私との最初の会話、ということになった。
そしてその約2ヶ月後、船戸女流二段はLPSAへの移籍を表明し、全国のLPSAファンを感動の渦に巻き込んだのだった。

さてそんな船戸女流二段だが、今年に入って、金曜サロンへの登板がまだない。聞くところによると、マンデーレッスンの1~3月期も休みだったそうである。たしかに私が訪れた3月15日、29日は、船戸女流二段の姿はなかった。
私はLPSAの内情は知らないが、マンデーレッスンは、船戸女流二段が第1期から講師を務めてきた、愛着ある教室である。金曜サロンはともかく、マンデーを休むのは尋常ではない。
船戸女流二段は昨年からMinervaファンクラブ担当に着任し、女流王位リーグなどの対局をこなしてきた。相当な疲れがたまって、マンデーレッスンや金曜サロンの担当を回避した、と見るのは考えすぎだろうか。
そんな思いでLPSAホームページを見ると、金曜サロン5~6月の担当に、船戸女流二段の名前がある。まずは一安心というところだが、LPSAは少人数の構成である。デザイン担当だった藤田麻衣子女流1級が抜けて、船戸女流二段への負担はまた増すに違いない。しかしひとりの女流棋士に任務が偏り過ぎて、その女流棋士が体を壊したら元も子もないのだ。付け加えれば、中井広恵代表理事、石橋幸緒理事の激務も凄まじい。
LPSAの業務編成担当はそこを踏まえ、慎重な割振りを行ってほしいと思う。
コメント (8)
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