28日(土)は将棋ペンクラブ関東交流会が東京・将棋会館で催された。
予定では、自宅を午前9時半ごろに出て、将棋会館には開会時間の10時を少し過ぎたころにお邪魔するつもりだった。
ところが28日は朝から、6歳のめいと3歳のおいが遊びに来たので、すぐ家を出られなくなってしまった。余談だが、めいはプリティー、おいはイケメンで、どちらも芸能人の素質は十分。将来が楽しみなのである。
けっきょく9時50分ごろに自宅を出た。天気は朝から雨。そういえば今月7日(土)の将棋ペンクラブ大賞第一次選考会も雨だった。私が雨男なのは否定しないが、これだけ立て続けに悪天候が続くと、ペンクラブ幹事にも雨男がいると考えざるを得ない。
将棋会館に着いたのは10時33分。会場は4階の大広間だが、受付が例年と反対側だった。隣のトクタイ(特別対局室)で、王位戦白組プレーオフの羽生善治名人・王座・棋聖と村山慈明五段の一戦が行われていたからだ。私たちの声が対局室に聞こえないようにという応急措置である。
しかし、何でこんな事態になったのか。羽生名人が31日に名人戦第5局を控えていたためで、日程上この日にしか組み込めなかったらしい。本割で村山五段が羽生名人を仕留めていればこんな事態にはならなかったのだが、いまそれを言っても詮無い。私たちはせいぜい、おとなしく努めるだけである。
まずは交流対局。すでに20名前後がおり、雨にしては例年にない、出足のよさであった。
1局目は四段氏と。私の後手で、初手から▲3六歩△8四歩▲3五歩△8五歩と進む。中盤で私の金得になったが、四段氏の反撃もすごく、途中では逆転していたと思う。
終盤、四段氏が▲4五桂と△3三の角取りに打った手が敗着となった。私はすかさず△7七角成と金を取り、先手玉が即詰みになった。辛勝だったが、とりあえずは幸先のいい1勝を挙げた。
2局目、Kun氏が「こんにちは」と来る。手に手合いカードを持っている。なんと、Kun氏と手合いがついたのだった。今回は、LPSA芝浦サロン会員が何人か出席していて、Kun氏のほかにO氏、ミスター中飛車氏の顔があった。芝浦サロン会員でもあるHak幹事氏の営業の賜物でもあるが、参加者が増えるのは喜ばしいことである。
Kun氏のすぐ後ろに、本日の指導女流棋士である、船戸陽子女流二段(LPSA所属)の姿も見えたので、同時に挨拶。ワンピースからのぞく脚が、細く長い。目の覚めるような美しさとは、彼女のようなことをいう。前日のブログでは、松尾香織女流初段の美しさに云々と書いたが、やっぱり船戸女流二段の右に出る者はいないと、考えを改める。
なお女流棋士会からは谷川治惠女流五段、斎田晴子女流四段が出席してくださることになっていた。
Kun氏とは私の先手で、「横歩取り△3三桂」となった。Kun氏の得意は振り飛車だが、ときどき居飛車も指す。お互い飛車を左辺に振り、玉は右側に据える。さらに私は穴熊に組んだが、これがちっとも固くなかった。Kun氏に端を攻められ、こちらは防戦一方。Kun氏の△4四角に▲3六桂と飛車角両取りに打つ手を逃し、ここからはもうダメ。最後は惨敗した。最近Kun氏には勝った記憶がなく、若干負け下になっているのは反省の余地がある。
感想戦の最中、谷川女流五段と斎田女流四段が見えた。田中寅彦常務理事(九段)もいっしょである。
谷川女流五段は本年4月1日に五段昇段し、非常勤理事就任に花を添えた。女流棋士会会長の経験もあり、女流棋士の要的存在となっている。
斎田女流四段は前年に続いての指導対局登板。将棋ペンクラブの長年の会員でもあり、同会に最も理解を示している女流棋士といえる。
田中常務理事は、念願の理事返り咲き。生まれ変わった日本将棋連盟を応援してください、皆さんが将棋を後世に伝えてくださいと、熱っぽく語った。
さて船戸女流二段に指導対局を仰ぎたいところだが、あいにく3面が埋まっている。それよりここは女流棋士会棋士に指導を受けるのがスジであろう。谷川女流五段に手合わせ願いたいという会員がいたので、私は斎田女流四段との指導対局を所望した。
手合いは平手。角落ちはさすがに私に分があるだろうが、といって香落ちはこちらが指し慣れていない。結局、平手で教えてもらうことにした。
「そのバッジ、駒桜のものでしょうか?」
「いえ、これは女流棋士会のバッジです」
という軽い会話を経て、対局開始。斎田女流四段のゴキゲン中飛車に、私は6筋位取りの作戦を採った。前日松尾女流初段と指した将棋を下敷きにしたものだが、松尾女流初段のときと同様、6筋の位を奪還され、指しづらくなってしまった。
こうなっては、ジリ貧は免れない。最後は玉頭の厚み合戦に負け、たまらず私は駒を投じた。
斎田女流四段は、「まだ下手も指せるんじゃないですか…?」と慮ってくれたが、投了の局面から何手か指すと、たちまちこちらの玉が寄ってしまった。見た目以上に差が開いており、投了もやむを得なかった。
感想戦では、△4五歩▲同歩△同銀と1歩交換を許した手を真っ先に指摘された。ここで上手に1歩を手持ちにさせたため、上手の角道が通り、さらには△6四歩▲同歩に△6五歩と打たれる余地を与えてしまったからだ。戻って、△4四歩には▲3六銀と上がり△4五歩を拒否し、そのあとゆっくり駒組を進めれば、これからの将棋だったようだ。
いやしかし、さすがは斎田女流四段である。LPSA女流棋士との指導対局では出てこない序盤のアドバイスで、私は大いに勉強になった。
受付に行くと、傍らで田中九段が指導対局を行っていた。ファンを大事にする将棋連盟である。そのご厚意に頭が下がる思いだった。
昼の軽食を挟んで4局目は、「将棋世界」編集部のF氏と。角換わり系の将棋になりそうだったので、私は右玉に変化したのだが、すかさず端攻めをされ、またたく間に不利になった。
その後も互角に持ちこむ順があったのだが、私が戦意喪失しており、最善手を見つけられなかった。結果も私の早投げ。さすがに将棋世界編集部は強かった。
ここまで4局指して1勝3敗はよくない。トップ通過はむずかしくなってきた。
5局目は、長老格の三段氏と。対居飛車穴熊に、私は△6五歩と仕掛ける。▲同歩△7七角成▲同桂△6九角(7八の金取り)▲7九金△4七角成で、私の有利。そのまま押し切った。
室内にはいつの間にか人がいっぱいになっており、かつてない盛況ぶりだ。中でも女性の姿が、やけに目につく。
船戸女流二段を見やると、指導対局の真っ最中。船戸女流二段と私の初指導対局は、2007年のペンクラブ交流会だった。そのときの模様は「将棋ペン倶楽部」にも書いたが、それから現在まで、船戸女流二段にはちょうど50局、将棋を教えてもらった。当時はこんな数字になるとは夢にも思わなかったから、感慨深いものがある。「あこがれの女流棋士に将棋を教えていただける」。本当に私は幸せだと思う。
そして今回は51局目からの新たな1頁を、同じ将棋ペンクラブ交流会からスタートさせたいのだが、手合い係氏は、一般対局をどんどんつけてくる。
米長邦雄日本将棋連盟会長が挨拶に見えた。交流会に顔を出すヒマがないほど忙しいはずだが、これも公務と割り切っているのであろう。
6局目は、T四段と。角換わりのむずかしい将棋だったが、何とか勝ち。しかし私の寄せが強引で、T四段に最善を指されていたら、私が容易でなかった。
またも船戸女流二段に目が行く。相変わらず丁寧な指導ぶりだ。それほど短くないワンピースなのだが、正座をしているので、腿のあたりがわずかに見え、ついそちらに視線が行ってしまう。
7局目は三段氏と。横歩取り模様の出だしだったが、先手の三段氏がひねり飛車にスイッチしたので、私がそれを受ける展開になった。
先手・3九玉、4七歩、6六角、6七歩、7九飛。後手・2二角、5五桂の局面で、三段氏が▲8八角と引いたのが大落手。△4七桂不成まで、三段氏の投了となった。
後半盛り返し、4勝3敗。逆転の目がない将棋はあっさり投げ、勝ち将棋も素早く終え、まだ2時台ということもあって、最多勝の可能性が出てきた。
8局目はN五段と。「五段」は相当な強者である。難解な戦いになるだろうが、ここを勝てば最多勝当確と信じて、私は対局に臨んだ。
将棋は相居飛車になったが、五段氏の駒組に隙があり、私の大作戦勝ちになった。以下も無条件に飛車を成って、この将棋はもらったと思った。
ただ、当然と思えた飛車成りが次善手で、ここは決め手があったのだ。その局面の駒の配置を以下に記すので、今回ばかりは読者の皆さまも盤に並べて、お考えいただきたい。
先手・一公:1六歩、1九香、2九桂、3六歩、3七角、3八銀、3九玉、4七歩、4九金、5七歩、6八銀、7七桂、7八金、8六飛、8七歩、9六歩、9九香 持駒:歩4
後手・N五段:1一香、1四歩、2一桂、2二角、2三歩、3一王、3二金、3四歩、4二銀、5二金、5三歩、6二飛、6四銀、7三歩、8一桂、8三歩、9一香、9四歩 持駒:歩
(△6四銀まで)
(つづく)
予定では、自宅を午前9時半ごろに出て、将棋会館には開会時間の10時を少し過ぎたころにお邪魔するつもりだった。
ところが28日は朝から、6歳のめいと3歳のおいが遊びに来たので、すぐ家を出られなくなってしまった。余談だが、めいはプリティー、おいはイケメンで、どちらも芸能人の素質は十分。将来が楽しみなのである。
けっきょく9時50分ごろに自宅を出た。天気は朝から雨。そういえば今月7日(土)の将棋ペンクラブ大賞第一次選考会も雨だった。私が雨男なのは否定しないが、これだけ立て続けに悪天候が続くと、ペンクラブ幹事にも雨男がいると考えざるを得ない。
将棋会館に着いたのは10時33分。会場は4階の大広間だが、受付が例年と反対側だった。隣のトクタイ(特別対局室)で、王位戦白組プレーオフの羽生善治名人・王座・棋聖と村山慈明五段の一戦が行われていたからだ。私たちの声が対局室に聞こえないようにという応急措置である。
しかし、何でこんな事態になったのか。羽生名人が31日に名人戦第5局を控えていたためで、日程上この日にしか組み込めなかったらしい。本割で村山五段が羽生名人を仕留めていればこんな事態にはならなかったのだが、いまそれを言っても詮無い。私たちはせいぜい、おとなしく努めるだけである。
まずは交流対局。すでに20名前後がおり、雨にしては例年にない、出足のよさであった。
1局目は四段氏と。私の後手で、初手から▲3六歩△8四歩▲3五歩△8五歩と進む。中盤で私の金得になったが、四段氏の反撃もすごく、途中では逆転していたと思う。
終盤、四段氏が▲4五桂と△3三の角取りに打った手が敗着となった。私はすかさず△7七角成と金を取り、先手玉が即詰みになった。辛勝だったが、とりあえずは幸先のいい1勝を挙げた。
2局目、Kun氏が「こんにちは」と来る。手に手合いカードを持っている。なんと、Kun氏と手合いがついたのだった。今回は、LPSA芝浦サロン会員が何人か出席していて、Kun氏のほかにO氏、ミスター中飛車氏の顔があった。芝浦サロン会員でもあるHak幹事氏の営業の賜物でもあるが、参加者が増えるのは喜ばしいことである。
Kun氏のすぐ後ろに、本日の指導女流棋士である、船戸陽子女流二段(LPSA所属)の姿も見えたので、同時に挨拶。ワンピースからのぞく脚が、細く長い。目の覚めるような美しさとは、彼女のようなことをいう。前日のブログでは、松尾香織女流初段の美しさに云々と書いたが、やっぱり船戸女流二段の右に出る者はいないと、考えを改める。
なお女流棋士会からは谷川治惠女流五段、斎田晴子女流四段が出席してくださることになっていた。
Kun氏とは私の先手で、「横歩取り△3三桂」となった。Kun氏の得意は振り飛車だが、ときどき居飛車も指す。お互い飛車を左辺に振り、玉は右側に据える。さらに私は穴熊に組んだが、これがちっとも固くなかった。Kun氏に端を攻められ、こちらは防戦一方。Kun氏の△4四角に▲3六桂と飛車角両取りに打つ手を逃し、ここからはもうダメ。最後は惨敗した。最近Kun氏には勝った記憶がなく、若干負け下になっているのは反省の余地がある。
感想戦の最中、谷川女流五段と斎田女流四段が見えた。田中寅彦常務理事(九段)もいっしょである。
谷川女流五段は本年4月1日に五段昇段し、非常勤理事就任に花を添えた。女流棋士会会長の経験もあり、女流棋士の要的存在となっている。
斎田女流四段は前年に続いての指導対局登板。将棋ペンクラブの長年の会員でもあり、同会に最も理解を示している女流棋士といえる。
田中常務理事は、念願の理事返り咲き。生まれ変わった日本将棋連盟を応援してください、皆さんが将棋を後世に伝えてくださいと、熱っぽく語った。
さて船戸女流二段に指導対局を仰ぎたいところだが、あいにく3面が埋まっている。それよりここは女流棋士会棋士に指導を受けるのがスジであろう。谷川女流五段に手合わせ願いたいという会員がいたので、私は斎田女流四段との指導対局を所望した。
手合いは平手。角落ちはさすがに私に分があるだろうが、といって香落ちはこちらが指し慣れていない。結局、平手で教えてもらうことにした。
「そのバッジ、駒桜のものでしょうか?」
「いえ、これは女流棋士会のバッジです」
という軽い会話を経て、対局開始。斎田女流四段のゴキゲン中飛車に、私は6筋位取りの作戦を採った。前日松尾女流初段と指した将棋を下敷きにしたものだが、松尾女流初段のときと同様、6筋の位を奪還され、指しづらくなってしまった。
こうなっては、ジリ貧は免れない。最後は玉頭の厚み合戦に負け、たまらず私は駒を投じた。
斎田女流四段は、「まだ下手も指せるんじゃないですか…?」と慮ってくれたが、投了の局面から何手か指すと、たちまちこちらの玉が寄ってしまった。見た目以上に差が開いており、投了もやむを得なかった。
感想戦では、△4五歩▲同歩△同銀と1歩交換を許した手を真っ先に指摘された。ここで上手に1歩を手持ちにさせたため、上手の角道が通り、さらには△6四歩▲同歩に△6五歩と打たれる余地を与えてしまったからだ。戻って、△4四歩には▲3六銀と上がり△4五歩を拒否し、そのあとゆっくり駒組を進めれば、これからの将棋だったようだ。
いやしかし、さすがは斎田女流四段である。LPSA女流棋士との指導対局では出てこない序盤のアドバイスで、私は大いに勉強になった。
受付に行くと、傍らで田中九段が指導対局を行っていた。ファンを大事にする将棋連盟である。そのご厚意に頭が下がる思いだった。
昼の軽食を挟んで4局目は、「将棋世界」編集部のF氏と。角換わり系の将棋になりそうだったので、私は右玉に変化したのだが、すかさず端攻めをされ、またたく間に不利になった。
その後も互角に持ちこむ順があったのだが、私が戦意喪失しており、最善手を見つけられなかった。結果も私の早投げ。さすがに将棋世界編集部は強かった。
ここまで4局指して1勝3敗はよくない。トップ通過はむずかしくなってきた。
5局目は、長老格の三段氏と。対居飛車穴熊に、私は△6五歩と仕掛ける。▲同歩△7七角成▲同桂△6九角(7八の金取り)▲7九金△4七角成で、私の有利。そのまま押し切った。
室内にはいつの間にか人がいっぱいになっており、かつてない盛況ぶりだ。中でも女性の姿が、やけに目につく。
船戸女流二段を見やると、指導対局の真っ最中。船戸女流二段と私の初指導対局は、2007年のペンクラブ交流会だった。そのときの模様は「将棋ペン倶楽部」にも書いたが、それから現在まで、船戸女流二段にはちょうど50局、将棋を教えてもらった。当時はこんな数字になるとは夢にも思わなかったから、感慨深いものがある。「あこがれの女流棋士に将棋を教えていただける」。本当に私は幸せだと思う。
そして今回は51局目からの新たな1頁を、同じ将棋ペンクラブ交流会からスタートさせたいのだが、手合い係氏は、一般対局をどんどんつけてくる。
米長邦雄日本将棋連盟会長が挨拶に見えた。交流会に顔を出すヒマがないほど忙しいはずだが、これも公務と割り切っているのであろう。
6局目は、T四段と。角換わりのむずかしい将棋だったが、何とか勝ち。しかし私の寄せが強引で、T四段に最善を指されていたら、私が容易でなかった。
またも船戸女流二段に目が行く。相変わらず丁寧な指導ぶりだ。それほど短くないワンピースなのだが、正座をしているので、腿のあたりがわずかに見え、ついそちらに視線が行ってしまう。
7局目は三段氏と。横歩取り模様の出だしだったが、先手の三段氏がひねり飛車にスイッチしたので、私がそれを受ける展開になった。
先手・3九玉、4七歩、6六角、6七歩、7九飛。後手・2二角、5五桂の局面で、三段氏が▲8八角と引いたのが大落手。△4七桂不成まで、三段氏の投了となった。
後半盛り返し、4勝3敗。逆転の目がない将棋はあっさり投げ、勝ち将棋も素早く終え、まだ2時台ということもあって、最多勝の可能性が出てきた。
8局目はN五段と。「五段」は相当な強者である。難解な戦いになるだろうが、ここを勝てば最多勝当確と信じて、私は対局に臨んだ。
将棋は相居飛車になったが、五段氏の駒組に隙があり、私の大作戦勝ちになった。以下も無条件に飛車を成って、この将棋はもらったと思った。
ただ、当然と思えた飛車成りが次善手で、ここは決め手があったのだ。その局面の駒の配置を以下に記すので、今回ばかりは読者の皆さまも盤に並べて、お考えいただきたい。
先手・一公:1六歩、1九香、2九桂、3六歩、3七角、3八銀、3九玉、4七歩、4九金、5七歩、6八銀、7七桂、7八金、8六飛、8七歩、9六歩、9九香 持駒:歩4
後手・N五段:1一香、1四歩、2一桂、2二角、2三歩、3一王、3二金、3四歩、4二銀、5二金、5三歩、6二飛、6四銀、7三歩、8一桂、8三歩、9一香、9四歩 持駒:歩
(△6四銀まで)
(つづく)