「オオサワさんですか?」
オニイサンが私を呼ぶ。やはり湯布院カントリーロードユースホステルのペアレントさんだった。イメージは俳優の大浦龍宇一、顔はお笑いの今田耕司という感じだった。
クルマに乗ると、40代と思しき女性が2人乗っていた。彼女らは駅前から乗車したものだろう。
鳥越地区の山の中腹にある、ユースに着く。受付を済ませると、もう夕食の時間である。食堂は満員。ユースの定員は22人だったが、幼児を含めて23人いる。人気のユースのようだ。
夕食は地元の食材を使っているようで、メインである鶏のクリーム煮から食後のデザートまで、どれも美味かった。
私のテーブルには男性ばかり6人が座る。最初は他人行儀だったが、誰かが話の口火を切ると、我れも我れもと話しだし、たちまち賑やかになった。
さて、ユースホステルは食後の情報交換やユース独自の行事がおもしろいが、このユースは若夫婦が経営しており、そのあたりはとくに力を入れているようだった。
仙台から来たというホステラーが、IPadを動かしている。旅の途中で撮った写真を再生しているのだ。いままではデジカメ上で画像を見るだけだったが、IPadが発売されて、より大きな画面で旅の写真を見られるようになった。
その写真を撮ったカメラも小さい。10年前ではあり得なかったことで、ホントに便利な世の中になったものだと思う。
自室で一休みしていると、館内放送があり、ホタル観賞会をやる、とのことだった。
ユースの若者離れの一因に、こうした行事に参加しなければいけないという煩わしさがあるが、そこは湯布院ユースも心得たもので、強制ではなく、任意の参加だ。私はユースに泊まる以上、極力参加するようにしている。
参加人数は10余名。ユースの向かいにある旧道が、ホタル散策の現場となる。日本に棲むホタルは全部で40種類あるが、光を放つものは数種類しかないらしい。そこからいまの時期に光るホタルを探すのだから大変だが、実際目撃談があるという。
星空の下、みんなで林の前を行ったり来たりする。10分ほど探したろうか。誰もホタルを見つけられない中、この葉っぱの裏にホタルがいる、という情報が出たが、光るホタルまでは見られなかった。
このあとはみんなで旧道に寝っ転がり、星空観賞会となった。もっともホタル観賞会のほうは、星空観賞会のときにたまたまホタルを見つけた人がいたことがきっかけ。ゆえに、星を見ることが元々の行事なのだ。
九州で星空を見るのは初めて。誰かが流れ星を見たら星空観賞会はアガリとなる。流れ星は1時間に5~6個流れるらしいのだが、なかなか星が流れない。
そのうち誰かが流れ星を確認したらしく、これで坂を降りることになった。
帰りは新道に移る。真っ暗な道を、ときどき自動車が通る。私たちは自動車の音がすると一列に並び、自動車に向かって「にやっ」と笑う。こちらも怖いが、自動車のほうはヘッドライトに不気味な人間が映り、もっと怖いだろう。
ある自動車は明らかに急ブレーキをかけたふうで、ビックリしたまま、坂を下りて行った。私たちも悪いことをする。
ユースに戻るが、向かいの急斜面から見た湯布院町の夜景が綺麗ということで、そちらにも登る。なかなかいい景色だった。
再びユースに戻り、入浴。ここは24時間入浴可能の温泉だ。ホタル観賞会では、ここ大分が温泉の源泉数や湧出量が日本一という話が出たが、その数字に恥じないサービスである。
今回の旅は、最初のころは温泉と無縁だったが、気がつけばこれで5湯目。それなりに旅らしくなったようだ。
食堂に戻って、行きのクルマでいっしょだった40代と思しきお姉さんと、おしゃべり。ひとりは名古屋の方で、特色ある喫茶店の話などを、面白おかしく聞いた。
時刻は10時。いくらユースが健康的とはいえ、まだ寝る時間ではない。
またも館内に放送が響く。この食堂で、ゲームをやるらしい。これも毎日の恒例行事だという。
参加人数はペアレントさんも含め12人。迷ったふうだったが、トランプの神経衰弱をやることになった。これは3人一組、相談アリで進める。やりかたはふつうの神経衰弱と同じで、1ペアは1点、ババ(ジョーカー)ペアは3点とする。ただしババを1枚しか引けなかった場合は、ばらまかれているカードをシャッフルする。このルールがあるだけで、神経衰弱が白熱したものになるという。
前夜は女子大生だらけで華やかだったらしいが、今夜はオッサン色が濃い。私もこれが最後の宿だけにいい思い出を残したいが、こればかりは自分の意志ではどうにもならない。
結果は、最下位に終わった。私は将棋を趣味にしているから、伏せられたトランプの数字を頭に焼き付ける能力が優れていると思いきや、そうでもなかった。これでは私の取り柄が何もないではないか。しょせん私はダメ人間なのだ。
悔しさを残したまま、就寝。6畳間にオッサン4人というギチギチの狭さだったが、前夜が前夜だったので、九州最後の夜は熟睡することができた。
明けて6日、朝。長かった九州旅行もきょうが最終日である。
とりあえず午前7時半から朝食。ここの食事は、室内にお品書きが貼られてある。よほど料理に自信があるのだろう。朝食も工夫がこらされていて、うまかった。
ナナメ向かいに座った人は、明日7日が仕事なので、きょう帰阪するという。土曜日も仕事とはお気の毒だと同情したが、私だって将棋ペンクラブの手伝いで帰らなければいけないから、おあいこだ。
岩手県にある陸前高田ユースホステルはどうなったのだろう、と言ってみる。その彼は泊まったことがあるそうで、高田松原も散歩したことがあるそうだ。
ユースは、建物は残ったみたいだが、当然休館。7万本あった松原も、1本を残して全部流された。
東日本大震災は、日本人の心に大きな傷痕を残したと、改めて思う。
自室に戻ると、玄関のほうで「カントリーロード」の歌声がする。旅立つ人に、ペアレントさんが贈っているのだろう。いかにもユースらしいが、私は勘弁してもらいたいな、という感じである。
また、カントリーロードが流れる。私も階下に降りて、その様子を遠巻きに眺める。と、ペアレントさんが血相を変え、ギターを放り出し、外へ飛び出した。
いったい、何があったのか!?
(つづく)
オニイサンが私を呼ぶ。やはり湯布院カントリーロードユースホステルのペアレントさんだった。イメージは俳優の大浦龍宇一、顔はお笑いの今田耕司という感じだった。
クルマに乗ると、40代と思しき女性が2人乗っていた。彼女らは駅前から乗車したものだろう。
鳥越地区の山の中腹にある、ユースに着く。受付を済ませると、もう夕食の時間である。食堂は満員。ユースの定員は22人だったが、幼児を含めて23人いる。人気のユースのようだ。
夕食は地元の食材を使っているようで、メインである鶏のクリーム煮から食後のデザートまで、どれも美味かった。
私のテーブルには男性ばかり6人が座る。最初は他人行儀だったが、誰かが話の口火を切ると、我れも我れもと話しだし、たちまち賑やかになった。
さて、ユースホステルは食後の情報交換やユース独自の行事がおもしろいが、このユースは若夫婦が経営しており、そのあたりはとくに力を入れているようだった。
仙台から来たというホステラーが、IPadを動かしている。旅の途中で撮った写真を再生しているのだ。いままではデジカメ上で画像を見るだけだったが、IPadが発売されて、より大きな画面で旅の写真を見られるようになった。
その写真を撮ったカメラも小さい。10年前ではあり得なかったことで、ホントに便利な世の中になったものだと思う。
自室で一休みしていると、館内放送があり、ホタル観賞会をやる、とのことだった。
ユースの若者離れの一因に、こうした行事に参加しなければいけないという煩わしさがあるが、そこは湯布院ユースも心得たもので、強制ではなく、任意の参加だ。私はユースに泊まる以上、極力参加するようにしている。
参加人数は10余名。ユースの向かいにある旧道が、ホタル散策の現場となる。日本に棲むホタルは全部で40種類あるが、光を放つものは数種類しかないらしい。そこからいまの時期に光るホタルを探すのだから大変だが、実際目撃談があるという。
星空の下、みんなで林の前を行ったり来たりする。10分ほど探したろうか。誰もホタルを見つけられない中、この葉っぱの裏にホタルがいる、という情報が出たが、光るホタルまでは見られなかった。
このあとはみんなで旧道に寝っ転がり、星空観賞会となった。もっともホタル観賞会のほうは、星空観賞会のときにたまたまホタルを見つけた人がいたことがきっかけ。ゆえに、星を見ることが元々の行事なのだ。
九州で星空を見るのは初めて。誰かが流れ星を見たら星空観賞会はアガリとなる。流れ星は1時間に5~6個流れるらしいのだが、なかなか星が流れない。
そのうち誰かが流れ星を確認したらしく、これで坂を降りることになった。
帰りは新道に移る。真っ暗な道を、ときどき自動車が通る。私たちは自動車の音がすると一列に並び、自動車に向かって「にやっ」と笑う。こちらも怖いが、自動車のほうはヘッドライトに不気味な人間が映り、もっと怖いだろう。
ある自動車は明らかに急ブレーキをかけたふうで、ビックリしたまま、坂を下りて行った。私たちも悪いことをする。
ユースに戻るが、向かいの急斜面から見た湯布院町の夜景が綺麗ということで、そちらにも登る。なかなかいい景色だった。
再びユースに戻り、入浴。ここは24時間入浴可能の温泉だ。ホタル観賞会では、ここ大分が温泉の源泉数や湧出量が日本一という話が出たが、その数字に恥じないサービスである。
今回の旅は、最初のころは温泉と無縁だったが、気がつけばこれで5湯目。それなりに旅らしくなったようだ。
食堂に戻って、行きのクルマでいっしょだった40代と思しきお姉さんと、おしゃべり。ひとりは名古屋の方で、特色ある喫茶店の話などを、面白おかしく聞いた。
時刻は10時。いくらユースが健康的とはいえ、まだ寝る時間ではない。
またも館内に放送が響く。この食堂で、ゲームをやるらしい。これも毎日の恒例行事だという。
参加人数はペアレントさんも含め12人。迷ったふうだったが、トランプの神経衰弱をやることになった。これは3人一組、相談アリで進める。やりかたはふつうの神経衰弱と同じで、1ペアは1点、ババ(ジョーカー)ペアは3点とする。ただしババを1枚しか引けなかった場合は、ばらまかれているカードをシャッフルする。このルールがあるだけで、神経衰弱が白熱したものになるという。
前夜は女子大生だらけで華やかだったらしいが、今夜はオッサン色が濃い。私もこれが最後の宿だけにいい思い出を残したいが、こればかりは自分の意志ではどうにもならない。
結果は、最下位に終わった。私は将棋を趣味にしているから、伏せられたトランプの数字を頭に焼き付ける能力が優れていると思いきや、そうでもなかった。これでは私の取り柄が何もないではないか。しょせん私はダメ人間なのだ。
悔しさを残したまま、就寝。6畳間にオッサン4人というギチギチの狭さだったが、前夜が前夜だったので、九州最後の夜は熟睡することができた。
明けて6日、朝。長かった九州旅行もきょうが最終日である。
とりあえず午前7時半から朝食。ここの食事は、室内にお品書きが貼られてある。よほど料理に自信があるのだろう。朝食も工夫がこらされていて、うまかった。
ナナメ向かいに座った人は、明日7日が仕事なので、きょう帰阪するという。土曜日も仕事とはお気の毒だと同情したが、私だって将棋ペンクラブの手伝いで帰らなければいけないから、おあいこだ。
岩手県にある陸前高田ユースホステルはどうなったのだろう、と言ってみる。その彼は泊まったことがあるそうで、高田松原も散歩したことがあるそうだ。
ユースは、建物は残ったみたいだが、当然休館。7万本あった松原も、1本を残して全部流された。
東日本大震災は、日本人の心に大きな傷痕を残したと、改めて思う。
自室に戻ると、玄関のほうで「カントリーロード」の歌声がする。旅立つ人に、ペアレントさんが贈っているのだろう。いかにもユースらしいが、私は勘弁してもらいたいな、という感じである。
また、カントリーロードが流れる。私も階下に降りて、その様子を遠巻きに眺める。と、ペアレントさんが血相を変え、ギターを放り出し、外へ飛び出した。
いったい、何があったのか!?
(つづく)